歌劇「ザンパ」序曲
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:歌劇「ザンパ」序曲
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:歌劇「ザンパ」序曲
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:歌劇「いやいやながらの王様」より”スラヴ舞曲”
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:祝典序曲 三善 晃
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:エニグマ変奏曲
| 固定リンク
| コメント (8)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:宝珠と王の杖 -戴冠式行進曲
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:歌劇「運命の力」序曲
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。
内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。
橋本音源堂HP:キューバ序曲
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
Dance of the Polovtsian Maidens,
Polovtsian Dances
from "Prince Igor"
A.ボロディン
(Alexander Porfir'evich Borodin
1833-1887)
その美しく魅力的な旋律とエキゾティックな曲想とで、聴くものを魅了する屈指の名曲。原曲のオペラのみならず単独の管弦楽曲として採り上げられ、またさまざまなポピュラー・ミュージックにもアレンジ、アダプトされて広く愛されている。
そして、この曲をめぐるエピソードは数多い。
12世紀の史実に基く「イーゴリ軍記」(成立不詳、1800年初版刊行)をウラジーミル・スターソフ(Vladimir Stasov 1824-1906)が脚本化、作曲者アレクサンドル・ボロディン(冒頭画像)自身がその脚本に手を入れて作られた歌劇。
ダッタン(ポロヴェッツ)の脅威に晒されたロシアを救うべく遠征に出た君主・イーゴリ公は戦いに敗れ捕虜となるが、ポロヴェッツの懐柔にも心動かされることなく、再び祖国を救うことを期して決死の脱出をはかり、ロシアに帰還を果たす-という物語である。
♪♪♪【歌劇「イーゴリ公」あらすじ】
マリインスキー劇場/ゲリギエフ版:
マリーナ・マルキエル 編
木村 博江 訳
に基く抜粋
時は1185年、ロシア中部(現在のウクライナ)を治めていたイーゴリ・スヴァトスラーヴィチ公は、ロシアを脅かす遊牧民族ポロヴェッツを倒すべく、遠征を決意する。
周囲の反対、とりわけ妻のヤロスラーヴナの嘆願をも振り切り「ロシアを守るのは自分の務めである。」と強い意志で出征したイーゴリ公であったが、戦いには敗れ、息子のウラージミルとともにポロヴェッツの捕虜となってしまう。
イーゴリ公は敗北と虜囚の屈辱に耐え難く、苦悩の日々を送っている。イーゴリ公は逃亡も潔しとせず、ポロヴェッツの頭目=コンチャーク汗に対してあくまでロシアの独立とその防衛を貫く姿勢を変えることはない。
コンチャーク汗はロシア君主たるイーゴリ公の誇りと勇気に感銘を受け、貴賓として遇するのであった。
一方で、コンチャーク汗の娘=コンチャコーヴナとウラージミルは恋に落ち、将来を誓い合う仲となっている。その頃、ロシアではガーリツキイ公がイーゴリ公の不在の間に権力を手中に収めようと画策している。こうしてロシア内政が乱れる中、ポロヴェッツの脅威は勢いを増し、ロシアの首都プティーブルを襲う。プティーブル陥落はイーゴリ公に激しい衝撃を与えた。ロシアを救うため、遂にイーゴリ公は捲土重来を期し、逃亡を決意するのであった。
キリスト教徒のポロヴェッツ人であり、イーゴリ公の味方となったオブルールの協力を得て、いよいよイーゴリ公と息子ウラージミルは逃亡しようとしている。
そこに現われたコンチャコーブナはウラージミルと離れられないと取り乱す。ウラージミルのなかなか決断できない様子に絶望したコンチャコーブナが警報を鳴らし、ポロヴェッツ人
が集ってくる。混乱の中、ウラージミルは捕えられてしまったが、イーゴリ公はオブルールとともに何とか脱出に成功する。
一方、焦土となったロシア/ドニエプル川のほとりには、夫と祖国の運命を嘆き悲しむヤロスラーヴナの姿があった。やがて、そのヤロスラーヴナの遠い視界に、二人の男の姿が入ってくる。
それこそは、脱出してきたイーゴリ公とオブルールだった!
イーゴリ公とヤロスラーヴナは抱き合って再会を喜び合い、群集は駆け寄ってイーゴリ公の帰還を讃えるのであった。
♪♪♪
この歌劇の作曲が着手されたのは1869年だが、1887年のボロディンの他界に至るまで作業は続くも、結局未完に終わっている。
18年を超える作業を経ても完成を見なかったのは、ボロディンが「ロシア民族楽派五人組」に名を連ねながらも、本職は化学者(その評価も相応に高い)であり「作曲」に充分な時間と労力が割けなかったことが主因といわれる。
歌劇「イーゴリ公」はボロディンの死後、盟友リムスキー=コルサコフ(1844-1908)とその弟子アレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)のオーケストレーションや補作により完成、1890年に漸く初演されている。
歌劇の冒頭「イーゴリ公」序曲に至っては、劇中に登場する主題とボロディンの残したスケッチ※に基いて、グラズノフが”作曲”したものなのである。
※グラズノフの言葉によれば、彼が探し出したボロディンの遺した「紙屑」^^)
こうしてボロディンの存命中に未完に終わった「イーゴリ公」の中でも、所謂「ダッタン人の踊り」の部分については、1879年に管弦楽曲として完成し同年に初演されたものである。
※尚、この遅々として進まない歌劇の創作の話題は、もはやボロディンにとって不愉快なものでもあったらしく、この話題に触れた途端に不機嫌になるボロディンの様子は、友人たちの回想録にも遺されている。
またリムスキー=コルサコフの「わが音楽生活の年代記」には、「ダッタン人の踊り」が歌劇の完成に先立ち、管弦楽曲として発表された時の様子が書き残されているが、その初版のオーケストレーションもボロディン + リムスキー=コルサコフ + リャードフ(Anatoly Lyadov 1855-1914)による3人がかりの突貫作業だったという。
【出典】
「ボロディンの管弦楽作品-記録による年代記」
(リチャード・タルースキン/森田 稔 訳)
※リムスキー=コルサコフとその弟子たちは、ボロディンだけでなくムソルグスキーの作品なども補作・完成に注力し、その音楽を永遠のものとした。
現在では、作曲家のイメージした原典に回帰する志向も高まってはいる(ムソルグスキー「禿山の一夜」など)が、リムスキー=コルサコフたちの功績は些かも否定されるものではないし、後世の音楽ファンとしてはその尊い精神と努力に深く感謝するのみである。
♪♪♪
さて、「ダッタン人の踊り」とは歌劇「イーゴリ公」の中の、どの楽曲を指すのか-。
収録されたCDを見ても、歌劇「イーゴリ公」第2幕(マリインスキー劇場/ゲリギエフ版では第1幕)に登場する
”ポロヴェッツの娘たちの踊り”と
”ポロヴェッツ人の踊りと合唱”の両方を併せて「ダッタン人の踊り」と称する場合と、後者のみを称する場合があって、必ずしも統一的でない。
また、邦題としては永く「ダッタン人の踊り(韃靼人の踊り)」として親しまれてきたが、正確でないという指摘が強い。
「ダッタン(韃靼)」が本来指すのは”タタール”(Tatar)であり、本作に登場する”ポロヴェッツ”(Polovtsy)とは異なるからである。
このため、現在では「ポロヴェッツ人の踊り」という表記も一般的になりつつある。
※そもそも「ダッタン(韃靼)」という言葉は、時代と場所によって示すものが異なるといわれており、大きくロシア南部を中心とした地域の異民族を総称してきたとの見方もあることから、本稿では私にとっても永く愛着のある「ダッタン人」を採用している。
尚、「ポロヴェッツ」はトルコ系遊牧民族で、11世紀中頃から13世紀初めまでさかんにロシアを襲撃しており、イーゴリ公遠征当時には、黒海・アゾフ海沿岸からヴォルガ川流域の大部分をその支配下に収めていたという。
1. ダッタン(ポロヴェッツ)の娘たちの踊り6/8拍子・Presto、終始躍動感と流麗さに溢れる音楽であり、冒頭からClarinetソロがキラキラとほとばしる。この旋律が徐々に賑やかに、織り重ねられてゆき、さながら見事な織物のような音楽となっていく。しかしあくまでも軽やかさは失わず、爽快に踊りを終える。
2. ダッタン(ポロヴェッツ)人の踊りと合唱
優れた旋律と、個性の強い舞曲が次々と現われる非常に多彩な音楽。
冒頭のHornの音色を効かせたコードは、「イーゴリ公」の要所で使用されているもの。そして、Andantinoの前奏からして息を呑むほどに美しく、魅力的な旋律が現われる。緩やかなその旋律、たおやかさは並ぶものがない。
-それに心を奪われ、余韻に浸っているとほどなくOboeのソロ、最も有名な名旋律が歌われる。聴くものを魅了し、虜にしてしまう旋律がかくも立続けに提示されてはたまらない。ボロディンの天賦の才にはただ驚くばかりである。原曲に付された歌詞は捕虜となったイーゴリ公の望郷の念と、解放への切望を慰める内容で、以下のようなものである。
風の翼に乗って 故郷まで飛んでいけ、祖国の歌よ
自由にお前を口ずさんだあの故郷へ
気ままにお前と過ごしたあの故郷へ
そこでは、灼熱の空の下
大気は安らぎに満ち 海は楽しげにさざめき
山々は雲に包まれて微睡む
太陽はあくまで明るく輝き
故郷の山々は光をいっぱいに浴び
谷間には薔薇の花が華麗に咲き乱れ
緑なす森では鶯がさえずり 甘い葡萄が実を結ぶ
祖国の歌よ、そこではお前は自由気まま
飛んでいけ、祖国の歌よ
(一柳富美子 訳)
さらにコールアングレに引き継がれ、朗々と歌われたこの歌は弦楽器の音の束を重ねて一層豊かな音楽となる。伴奏の木管群がまたキラキラとして実に素敵であり、躍動感を与えている。
名残惜しげに静まると、続いて民族色の濃いシンコペーションの伴奏でAllegro vivoに転じ、小気味良いClarinetソロから”男たちの踊り”が始まる。快速で大変エネルギッシュ、かつ逞しい曲想の舞曲である。Hornソロに続いて更にスピード感を増し、鮮烈な区切りをつけて短い終止。
豪快で重厚なTimp.のリズムが遠くから近づいてきて、バーバリズムが炸裂する「全員の踊り」へ。ここはコンチャク汗の偉大さを讃える歌の場面であり、無骨でスケールの大きい音楽。小節頭の強拍低音、殊にBassTromboneの音色の豪放さは実に痛快である!
続いて、再びPresto 6/8拍子の速い舞曲となる。躍動感あるリズムに始まるが、旋律が野太く奏されるクライマックスは圧倒的な音圧であり、対比が映えている。
ここからは、これまでに登場した歌や舞曲のリプライズ。それぞれがクロスオーヴァーしながら再現され、いよいよエネルギッシュな民族色を強めた曲想となる。ここではTrp.が大活躍であり、またリズミックなベースラインが大変印象的である。音楽は華々しい最後のコードまで、まさに息をつかせることなく突き進んでいく。
♪♪♪
さて、もう一つ「ダッタン人の踊り」で特筆できることは、最も有名な合唱部分の旋律(前述の「風の翼に乗って・・・」)がポピュラー音楽にも多く採り上げられ、さらに幅広い人々に愛されていることであろう。
TVCMに使われたギタリスト・天野清継の"AZURE"を初めとして、洋の内外を問わずアダプトされている。そして、その最大のものは
ミュージカル「キスメット」
(Kismet)であろう。
1953年初演、1954年にトニー賞を受賞したこのミュージカルは「イーゴリ公」「中央アジアの草原にて」「交響曲第2番」など、全編に亘りボロディンの音楽をフィーチャーしたもので、10-11世紀のバクダッドを舞台としたラヴ・コメディといった内容。
その代表曲
「ストレンジャー・イン・パラダイス」
(Stranger in Paradise)こそ「ダッタン人の踊り」をカヴァーしたものなのだ。
(R.ライト&G.フォレスト/Robert Wright & George Forrestによるアダプト )
Won't you answer the fervent prayer
Of a stranger in paradise
Don't send me in dark despair
From all that I hunger for
But open your angel's arms
To the stranger in paradise
And tell him
That he need be
A stranger no more
天国にまぎれこんでしまった-
そんなことを言うあの人のために
燃えるようなこの祈りを捧げます
私が心から望むこととは全く違う
暗い絶望をもたらすのはお赦し下さい
そうではなく、あなたの天使の腕を
天国の異邦人のために
広げてやってください
そしてあの人に、もうこれからは
異邦人でいなくてもいいのだと
伝えてあげてほしいのです「ストレンジャー・イン・パラダイス」は吹奏楽にもアレンジされ、このスッキリとしたアレンジは、演奏会に一息つけさせる貴重なレパートリーとして愛されている。
編曲:小野崎 孝輔
演奏:岩井 直溥cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
※吹奏楽のコンサートでは、どうしてもインパクトの強い楽曲ばかりを並べがちだが、コンサートを一つのパッケージとしてみれば、こうした聴衆にも奏者にも優しい小品は絶対に必要なはずである。このような観点に欠けたプログラミングから早く卒業することは、吹奏楽界の課題の一つであろう。
こうしたタイプの優れたアレンジがさらに登場することを、大いに期待したい。
※尚、さらにディープに「ダッタン人の踊り」を知りたい方には、下記サイトがオススメ。 「イーゴリ公をとことん楽しもう!」という管理人さんの言葉通り、充実した内容です!
「歌劇『イーゴリ公』の世界」
♪♪♪
「ダッタン人の踊り」は非常に多彩な楽曲である。極めて洗練された美しい旋律でしびれるような感銘を与えると思うと、また違う場面ではエネルギッシュなバーバリズムを炸裂させる-。演奏には、そのコントラストが確りと描かれつつ、一つの楽曲としてのまとまりも感じられるバランス感覚が求められる。ただ美しいだけでもダメ、ただエネルギッシュなだけでもダメなのだ。
その観点から、音源は以下をお奨めしたい。
本稿の執筆にあたり、合唱つきのものも含め多くの録音を聴いたが、今回も私の「好み」により、(コメントを付さないものも含め)合唱のないバージョンの演奏に限定してご紹介する。ヘルベルト・フォン・カラヤンcond.
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
カラヤンはピカピカのオケを縦横無尽に生かし、申し分のないバランスの良さでこの曲を演出している。小澤 征爾cond.シカゴ交響楽団
これもメリハリの効いた、存分に演出された演奏ながら、バランス良く全体が見透された好演。
【その他の所有音源】
レナード・バーンスタインcond. ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団
アンドレ・クリュイタンスcond. パリ音楽院管弦楽団
ルイ・フレモーcond. モンテカルロ歌劇場管弦楽団
ダニエル・バレンボイムcond. シカゴ交響楽団
フェレンツ・フリッチャイcond. RIAS交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーcond. パリ管弦楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーcond.
ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団
ジョージ・セルcond. クリーヴランド管弦楽団
ウラディーミル・フェドセーエフcond. モスクワ放送交響楽団
♪♪♪
この「ダッタン人の踊り」を私が初めて聴いたのは、やはり吹奏楽であり、1977年の全日本吹奏楽コンクール実況録音/北海道代表・紋別中の演奏だった。大変明快で実にのびのびとした魅力溢れる好演である。
翌1978年には、前年に堂々の雪辱を果たした今津中がこの曲を演奏、オーボエに続くコールアングレのソロがとても印象的だった。(紋別中はサックスで演奏していたから・・・。)
オーボエもファゴットもない田舎の吹奏楽部に所属していた私にとって、この演奏などは本当に眩しいばかりである。そんな私の、灼きつくようなオーボエへの憧れ- その象徴こそがこの「ダッタン人の踊り」だったのである。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
Petite Suite
C.ドビュッシー
(Claude Debussy
1862-1918)
管弦楽編曲
H.ビュッセル
(Henri Busser
1872-1973)
I. En Bateau II. Cortege III. Menuet IV. Ballet
まだ20代半ばであったクロード・ドビュッシー(冒頭画像左)が4手連弾によるピアノ曲として1886-1889年に作曲。後にドビュッシーの友人である指揮者アンリ・ビュッセル(冒頭画像右)によって1907年に管弦楽に編曲され、どちらも同等に有名となっている。管弦楽版は作曲者自身の依頼、立会いのもとに作られたものである。
1979年の全日本吹奏楽コンクールでは弘前南高校が”小舟にて””バレエ”を採上げ金賞受賞。その爽やかな演奏以来、吹奏楽のレパートリーとしても定着し、現在では著名なアレンジャーがこぞって吹奏楽版スコアを手掛けている。
”第二の原曲”ビュッセル版自体が、木管楽器の音色やフィーリングを存分に活かしたものとなっており、吹奏楽でも貴重なジャンルのレパートリーとして重用されているようだ。
♪♪♪若き日のドビュッシーはフランスの詩人
ポール・ヴェルレーヌ
(Paul Verlaine 1844-1896/左画像)
に傾倒し、1880-90年代にはその詩を題材とした作品を遺している。「歌曲集”艶なる宴”」「歌曲集”忘れられた小唄”」「ベルガマスク組曲」といった作品群がそれである。
ヴェルレーヌの作品中でも、ドビュッシーは「艶なる宴 (Fetes Galantes)」に強く惹かれ、その幻想的な内容を自作に反映していたという。本稿で採り上げた「小組曲」もその一つに数えられる。
「艶なる宴」より (ヴェルレーヌ詩集/堀口 大學 訳)
小舟にて
空より暗い水面に
金星うかびただように
舟子、股引のポケットに火打石たずぬるに。
さても皆さん今こそは二度とまたないよい時分
傍若無人にいたしましょう、
さてもわたしのこの両手
以後かまわずにどこへでも!
騎士アチス切なげにギタール鳴らし
つれなびとクロリスあてに
あやしげな秋波おくる。
法師はひそひそエグレを口説き
ちと気の変な伯爵は
心を遠くへ通わせる。
かかるおりしも月の出て
小舟は走るいそいそと
夢みる水のそのおもて。
行 列
金襴の仕着のお猿
彼女の先に立ち
踊ったり跳ねたり、
夫人はお上品な手袋の片手に
ダンテルの手巾をいじくって。
後ろから、赤いおべべの黒奴小僧
両腕にあふれこぼれる彼女のお晴れ
長い裳裾を重げに抱いて、
襞の一つの動きにも目の玉ぱちくり。
夫人の白い衿元から
猿め、かた時目を離さない。
見えぬ胸乳のふくよかさ
女神の体にふさわしい
黒奴小僧のいたずら奴、その豪勢な重荷をば
必要以上に持ち上げて
彼の夜ごとの夢に入るものの象(すがた)をのぞき込む。
彼女は石の階を、心静かに登り行く、飼いならされた動物の
身のほど知らぬ恋慕なぞ
気にもとめないのどかさで。
♪♪♪
(以下はビュッセル編の管弦楽版をもとに述べる。)
前述の通り、ハープを含む弦楽器と木管楽器を中心とした編曲であり、洵に魅力的な旋律を、そのイメージに実に合致した楽器の音色で聴かせる。音楽は明快で非常に愛らしい。虚心坦懐、”いい歌”をシンプルに提示しているさまは、音楽の根源的な悦びそのもの。
「小組曲」という題名は、そのシンプルさに対するドビュッシーのはにかみが表れたものかもしれないが、楽曲には充分な魅力と高い品格が備わっている。
I.小舟にて
優雅なバルカロール(Barcarolle/ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの舟歌、もしくはそれを模して書かれた楽曲)で幕開け。Harpの分散和音の上に、瑞々しいFluteの旋律が歌いだす。中間に凛とした表情の弦楽アンサンブルを挟むが、あくまでふんわりとした音楽であり、クラリネットやオーボエの音色も実に映えている。柔らかに寄せては返す旋律に応えるオーボエのカウンターは、これもまた名フレーズ。
II.行 列
「ちょこちょこぴょんと跳ねていく」Fluteで軽やかに始まり、シンコペーションを効かせた中間部は幻想的。全曲中でも可愛らしさを極めた、愛すべき音楽。
III.メヌエット
この組曲の中で最も私の好きな楽章。ルイ王朝風と評される音楽であり、OboeとFagottoのソリで始まる短い序奏部に続き、ノスタルジックで典雅な第一主題が現れる。
そして、一層ノスタルジーを高め、切なさを掻きたてる第二主題をFagottoが奏する。私はこの旋律がどうにもこうにも好きなのだ。
VI.バレエ
浮き立つような快活なフレーズで始まるが、決して無用に泡立つことはなく落着いた品のある音楽。中間部のワルツも小洒落ており、生命感に満ち満ちている。冴えるピッコロの音色は注目!
やがて冒頭の旋律が戻り、さらに2拍子が3拍子に変容してスケールの大きな音楽となる。品格を保ちながら音楽は高揚し、爽やかな全合奏で終末を駆け抜けていく。
♪♪♪
さて、音源。管弦楽版は以下をお薦めする。ヤン・パスカル・トルトゥリエcond.
アルスター管弦楽団
若々しく快活な演奏。軽やかで陽気な”才色兼備の女学生”のイメージ。ジャン=フランソワ・パイヤールcond.
パイヤール室内管弦楽団
端整で落着きのある美しさ。自信に溢れた人生をおくる”大人の女性”のイメージ。ヨアブ・タルミcond.
ケベック交響楽団
非常に繊細で透明感のある演奏。可憐で清純な”深窓の令嬢”のイメージ。エマニュエル・クリヴィヌcond.
国立リヨン管弦楽団
清潔な美しさと精神的な成熟を感じさせる、凛とした好演。自分の美しさを的確に把握した美人にして、眼鏡の似合う理知的な”お姉さま”のイメージ。
【その他の所有音源】
ジャン・マルティノンcond.フランス国立放送局管弦楽団
ルイス・レインcond.クリーヴランド管弦楽団
ポール・パレーcond.デトロイト交響楽団
エルネスト・アンセルメcond.スイス・ロマンド管弦楽団
原曲/4手連弾版としては、定番の
ベロフ=コラール
(Michel Beroff & Jean-Philippe Collard)盤や、
ハース=リー(Werner Haas & Noel Lee)
盤も良いのだが、リュヴィーシ=マクダーモット
(Lee Luvisi & Anne-Marie McDermott)
盤を紹介しておきたい。
とても素朴で、好感の持てる演奏である。
(Revised on 2008.8.26.)
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
最近のコメント