2017年2月21日 (火)

ブラスオーケストラのための「行列幻想」

3Procession Fantasy
團 伊玖磨(Ikuma Dan 1924-2001) 作曲
時松 敏康(Toshiyasu Tokimatsu) 編曲
I.  男の行列 Procession of Men
II. 女の行列 Procession of Women
III.そして男と女の行列
   Thence Procession of Women and Men


Photo永く本邦楽壇の重鎮であった大作曲家であり、歌劇「夕鶴」や数々の管弦楽曲・室内楽・合唱作品、そして「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」などの童謡や映画音楽に至るまで幅広い作品を遺した團 伊玖磨による吹奏楽作品である。
團には吹奏楽にも少なからず作品があり、何といっても二代に亘り皇太子ご成婚を祝し、パレードにて使用された「祝典行進曲」「新・祝典行進曲」が圧倒的に有名である。

この「行列幻想」は職場バンドの名門・ブリヂストン吹奏楽団久留米(当時の名称は「ブリヂストンタイヤ久留米工場吹奏楽団」)の委嘱によるもので1977年に作曲された。同社創業家の姻戚にあたる團は既に1955年にも「ブリヂストン・マーチ」を作曲している。
同1977年、ブリヂストン久留米はこの「行列幻想」第3楽章を自由曲に採り上げ全日本吹奏楽コンクールで金賞受賞、その翌年も第1楽章を採り上げて全日本吹奏楽コンクールにて金賞受賞の栄誉に浴するのである。

     1977年は私が中学入学とともに吹奏楽部に入部しTromboneを始めた年。
     この年から幸運にも3年連続で西部(現九州)大会に進出できたことから、
     私はブリヂストン久留米の演奏した「行列幻想」にリアルタイムで接している。
     「ブラスオーケストラのための行列幻想より”そして男と女の行列”」
     …プログラムに記された題名から、如何にもおどろおどろしい曲を想像して
     いたのだが、実際にはとてもカッコ良く爽快でまた暖かな曲だったため、意外
     という印象を抱いたのを記憶している。


「ブリヂストン久留米」は(今もだが)まさに九州の誇る名バンドだった。名匠・小山卯三郎(おやま・うさぶろう)の指揮の下、優れたメンバーを揃えたこのバンドの演奏は次元の違うものであり、毎年コンクールで聴ける演奏がとても楽しみだった。また1977年まで西部(現九州)大会では出演バンドのパレードもあり、マーチングユニフォームに身を包んだ同バンドのカッコ良さも記憶に灼きついている。
Photo_2ブリヂストン久留米は1975年の全日本吹奏楽コンクールでは5年連続金賞による招待演奏を披露し、聴衆の度肝を抜いている。ムソルグスキー/ラヴェルの「展覧会の絵」より”プロムナード””古城”を演奏したのだが、大真面目な”プロムナード”に続いたのは何と突如ドラムソロに始まりエレキベース・エレキギターの強烈なサウンドが響きわたるファンク・ロック版の”古城”!日下部徳一郎の斬新なアレンジによるこの”古城”はキーボード・ソロもフューチャーした実に”ナウい”^^)演奏だったのである。

そして数々の名演が遺された中で、小山=ブリヂストンの真骨頂といえば1979年-1980年に自由曲として演奏された、歌劇「ウインザーの陽気な女房たち」序曲(ニコライ)や歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(グリンカ)あたりではないだろうか。
Bs1979中高生だった私に「これぞ大人の演奏」というものを聴かせていただいた。”音楽的”を尽くし、落ち着いているのに愉しい!-小山卯三郎という指揮者だからこそ生み出せた世界だったと思う。

     ※小山 卯三郎(1903-1985)
       熊本県玉名市出身、1920年陸軍戸山学校入学の後、軍楽隊隊長や同校
       教官を歴任。終戦後は皇宮衛士総隊総額隊長を務めたのちに帰郷。
       1958年ブリヂストンタイヤ久留米工場吹奏楽団常任指揮者に就任、同団
       を指揮し全日本吹奏楽コンクール出場16回(招待演奏及び1977年を含む)
       金賞受賞11回。
       「ステージで指揮をしながら死ねたら最高」と口にし、日々の生活でも食事
       が終わるとすぐに寝転んでは指揮者用の楽譜を広げ、手を動かし、しば
       らくすると今度は大音量でクラシックの曲を聴く― というのが日課で、
       そのすべてが音楽を中心にした世界だったという。

       【出典】 熊本県玉名市HP
            「指揮者・小山卯三郎さん~こころをつないだタクト~」


「行列幻想」もその同時代、ブリヂストン久留米の名演とともにこの世に現れた。全編を通じ、人間的な暖かさとノスタルジーに満ちた曲想であり、”華美さ”とは一線を画しつつ、心に残る旋律と提示される活力が印象的な作品となっている。

♪♪♪

「行進曲には、いろいろな行進曲がある。今回の作品については、少し変わった行進曲を書きたいと思った。人間の行列を“男”、“女”、“そして男と女”の3楽章から組み立ててみた。第1楽章は力強く、第2楽章は優美に、そして第3楽章は力強く演奏してほしい。優れたブリヂストン・タイヤ吹奏楽団のために作曲するのは幸福だった。全体としては明るい曲になるように努めた。」
                (初演プログラムに寄せた團 伊玖磨コメント)

本作の委嘱を受けた作曲者の念頭には、吹奏楽の本流たる「行進曲」があったことが判る。「行列幻想」は夫々に性格の異なる3つの楽章から成る曲だが、このことを認識しておくと全曲の統一感や、第3楽章に1・2楽章も集約されている構成が理解でき、楽曲全体の纏まりを具現化できるであろう。

尚、この「行列幻想」の吹奏楽オーケストレーションは時松 敏康が担当した。團は前年(1976年)に東京吹奏楽団の委嘱により「吹奏楽のための奏鳴曲(ソナタ)」を作曲したが、この時から時松に吹奏楽オーケストレーションを任せている。「奏鳴曲」オーケストレーションの最初の部分を見ただけで、團は時松に全幅の信頼を寄せたとのことである。

    ※時松 敏康
      1951年に警視庁に入り、1955年より警視庁音楽隊にてフルート奏者として
      活躍。アレンジャーとしての活躍も目覚ましく、1991年に同音楽隊副隊長を
      以って退官。


     【出典】 東京吹奏楽団HP 2007年クリスマスコンサート曲目解説


それでは楽曲の具体的な内容に触れていこう。作曲者コメント(「 」)も参照されたい。

I.男の行列
「第1楽章は、やや無骨で古風なリズムにのって男性的なテーマが装飾を従えて現れ、クライマックスに向かっていきます。」

1中間部にフーガを配した三部形式に成り、大らかさと郷愁とで聴くものを包み込む楽曲である。
鷹揚なリズムに乗って悠然と木管楽器が第1主題を歌い出し開始されるが、楽章を通じて終始落ち着きのある音楽だ。作曲者から”力強く演奏してほしい”との指示があり大いに盛り上がるのだが、それに続いてサックスに現れる第2主題は柔和で一層包容力に溢れた抒情的なものである。
1_2こうした旋律同士の対比、或いは中間部と前・後半部との対比が楽曲に奥行きを与えている。
クライマックスではタムのユーモラスなリズムとともに、金管中低音が男性的な旋律を楽しげに奏でる。
1_tomtoms”力強さ””柔和さ””弛みなさ””愉快さ”…この楽章の持つさまざまな要素が浮かび上がらせるのは、頼れる「父」のイメージか。
冒頭を再現した後に鎮まって、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ピッコロ・フルートと次々に旋律の受け継がれるフガートとなる。ここでの印象は深まっていく郷愁に他ならないだろう。
1徐々に目覚めて行くが如きブリッジを経て冒頭を呼び戻し、弛みない歩みを再現して楽章を終う。

II.女の行列
「第2楽章は1楽章にくらべてはるかに柔らかい、衣装を風になびかせる女性たちの踊りにも似た行進曲です。美しいばかりでなく、憂愁を秘めた心の歌が聴こえます。」

2木管、続いてHornが加わり室内楽的な響きで開始される大変優美な楽章。ここでは所謂行進曲的なビートは一切聴かれることがなく、作曲者コメント通り寧ろたおやかな”舞”をイメージさせる音楽である。従って第1楽章とは性格の異なるものなのだが、この楽章にも大きな包容力が感じられる点が共通しているのは興味深い。慎ましさや愁いも湛えた最初の主題に続き、今度はフルートに優しく希望に満ちた上向系の旋律が現れる。
2flute更にサクソフォーンによるロマンチックなパッセージを挟んだのち、再びこの上向系の旋律がクライマックスで用いられると、そこでは更に逞しさも備えるのである。この楽章の”慎ましさ””美しさ””優しさ”に”逞しさ”をも加えた包容力が示すのは、やはり愛情溢れる「母」のイメージということになるだろうか。
冒頭の主題がOboeソロに戻り、上向系の主題のモチーフが穏やかに反復され美しく静まり、曲を閉じる。

III.そして男と女の行列
「第3楽章は1と2の要素をさまざまに組み合わせて、男女によって支えられる理想的世界を華々しく描きます。」 

独特の個性を放つファンファーレに始まる。(冒頭画像)どこか日本的な雰囲気を醸し、高い品格を感じさせるファンファーレなのである。特に3連符を基調としたHornのカウンターが実にカッコよく、冒頭から聴く者の心を躍らせる。
6/8拍子に転じ、カスタネットも参じるタランテラ風の主部に入ると、活気あふれる第1主題を木管が歌い出す。
31繰り返されるこの主題にオブリガートが絡むと、一層リズミックな音楽となっていくのだ。そして6/8拍子で変奏される”男の行列”の主題を挟んで2/4拍子に転じテュッティでエネルギッシュな第2主題が現れ、これが繰り返されたのち第1主題に回帰するのである。
32_2冒頭のファンファーレが再現されて緊張とテンポを緩ませるブリッジとなり、”女の行列”の旋律が奏される中間部へ。幻想的な雰囲気が徐々に高揚して、中低音が朗々と奏する憂愁の旋律でクライマックスを迎える。
3パワフルで情緒的な旋律に木管楽器のトリルの刻むリズムが絡み立体的な音楽となって、強い印象を残すだろう。
生命感を発散する低音の三連符に乗ったFlugelhornが吹き鳴らす合図を受けてテンポを戻し、再び行進が始まる。
3flugelhorn昂ぶる音楽はやがて堂々たるそして荘重なグランドマーチとなって終局へ。三度(みたび)現れたファンファーレに続き、最後はPrestissimoで一気に駆け抜け全曲を締めくくる。

♪♪♪

音源は
Cd金 洪才cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

の演奏を。
大らかで情緒にあふれ、明朗だが品を失わないこの作品の美点をきちんと押さえた好演である。

演奏機会の少ない曲であるが、忘れ去られるのはあまりに惜しい。多様性が尊重される昨今、近年の吹奏楽曲とはまた違う、こうした曲の深い”味わい”も大切にしたいものだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年2月 3日 (金)

ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ / 台所用品による変奏曲

JfmThe January February March  /
Variations on a Kitchen Sink -A 'Fun' Piece
D.ギリス (Don Gillis 1912-1978)


Don_gillisドン・ギリス(本名:Donald Eugene Gillis)はその作品の際立ったユニークさで知られるアメリカの作曲家である。アメリカ3大ネットワークの一つNBCにおいて巨匠トスカニーニの指揮するNBC交響楽団の番組を担当、プロデューサー兼台本作者として活躍した経歴を持つ。代表作からして「交響曲第5 1/2番(ごかにぶんのいちばん)」というネーミング!”楽しみのための交響曲”という副題のこの作品もアメリカ的な陽気さに満ちた”底抜け”のユニークさで、まさに放送業界人らしくエンタテインメント性を充満させているのだ。

そんなギリスが吹奏楽のために書いた”極めつけ”の小品が「ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ」(1950年)「台所用品による変奏曲」(1959年)である。これらはともに当時流行していた「冗談音楽」のフレーバーを漂わせる。標題からして察せられるようにユーモアを音楽に盛り込んだ特徴的な作品なのである。

   ※ギリスの作品は交響曲第5 1/2番をはじめ、管弦楽・吹奏楽の両方で演奏
      可能即ち譜面が用意されているものが多い。
      「ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ」も管弦楽版が出版されている。


♪♪♪

「冗談音楽」(但し”替え歌”でない器楽作品)というと下記の要素を多く含み、それによって聴く者に”笑い”を喚起する楽曲・演奏を指す、ということになろう。音楽の枠組みを用いて、或いは音楽的満足も与えつつユーモアを提示するものである。
<例>
 ・作曲上の禁則・禁じ手をわざと盛り込む
 ・不協和音や不自然なダイナミクスをわざと強調する
 ・漫画的に極端でわざとらしく演奏する
 ・終わったと思ったらまた最初に戻り、永遠にリピートする
 ・同じ失敗を繰り返す
 ・楽器ではないもの(日用品など)を使用して”演奏”する
 ・楽器でないものの音を、音楽の中に盛り込む
 ・複数の曲を同時に、または交互に不思議な調和を以って演奏する
 ・たくさんの楽曲を次々とメドレーにする
 ・特異な衣装やアクションを以って演奏する


「冗談音楽」として想起されるのは何といっても後に詳述するように1940-1950年代を中心としたアメリカの音楽シーンなのだが、こうした音楽を介した”笑い”というものは遥か以前から存在している。
Mozart例えば、かの天才作曲家モーツァルト(Walfgang Amadeus Mozart 1756-1791)「音楽の冗談」(Ein Musikalischer Spaß k.522 1787年)というディヴェルティメントを遺していることは有名。当時の古典派音楽の常道を次々と逸脱する楽曲であり、モーツァルトはわざとこのような作品(悪例)を著すことによって、至らない作曲家や演奏家を揶揄し嘲笑していたというのが通説だが、一方でまさに「冗談音楽」としての愉しみを聴衆に与えていたとの見方もある。

    ※「出来損ないの転調」「構成上著しくバランスを損ねる、無意
      味に長いメヌエット(第2楽章)」「ドルチェから到底かけ離れ
      たドルチェと指示のあるホルンのフレーズ」「名ソリストを気
      取るヴァイオリン奏者の滑稽なカデンツァ」「フィナーレに登
       場する唐突なフーガ」「20世紀を先取りした?複調(F ,G ,B ,
      E♭,B♭)によるエンディング」などが指摘されている。
     
     極めてまともな合奏団による録音が多数出ており、それを聴
      くと(エンディングの如くあからさまに違和感を感じるものも
     ちょくちょく出てはくるが)今となってはこんな感じの曲もよく
     耳にするというか、こんな曲もアリでは?という感じもする。
          
     では私自身凄くいい曲だ!感動した!と思うかというと、
     「それはない」のが率直なところではあるが…。その理由は
     やっぱり”行き当たりばったり感””全体俯瞰した際のバラン
     スの悪さ”が豪く引っ掛かるからなのだ。また(古典派の)禁
     じ手を使ったから即ダメというより、その使い方に説得力が
     存在しないから、白けた感じが湧くのだと思う。


     【出典・参考】
        名曲解説全集 (執筆:海老沢 敏/音楽之友社)
        森 泰彦・石井 宏・竹内 ふみ子各氏によるCDリーフレット解説
     【私の所有音源】
         ヴィリー・ボスコフスキーcond. ウイーン・モーツァルト・アンサンブル
        ウイーン室内合奏団
        ニコラウス・アーノンクールcond. ウィーン・コンツェントス・ムジクス


♪♪♪

「冗談音楽」の括りの中でも、所謂ライト・クラシックの新機軸として存在したものと、ともかく”笑い”を目指して何でもありのショーマンシップ路線に突っ走ったものとの両極に分かれており、これがともに第二次世界大戦終戦後のアメリカで大いに流行した。そのピークが1940-1950年代なのである。

Anderson前者を代表するライト・クラシックの巨匠がルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson 1908-1975)。「トランペット吹きのための休日」「舞踏会の美女」など、彼の作品は現在でも実に良く知られ愛好されている。その作風はモダンでお洒落、そして上品にしてユーモラスだ。
タイプライター(「タイプライター」)や紙やすり(「サンドペーパー・バレエ」)といった日用品を独奏楽器に使用したほか、馬の駆ける擬音(「ホーム・ストレッチ」)の活用や、時計の音Typewriter_2(「シンコペーティッド・クロック」)、馬の嘶き(「そりすべり」)、猫の鳴き声(「踊る仔猫」)などを楽器で表現したり、弦楽器のユニークなパフォーマンス(「プリンク・プレンク・プランク」)を採り入れたりと、「冗談音楽」の要素も大いに発揮して人気を博した。アンダーソンの作品は音楽としての絶対的水準/完成度が高いことにも定評があり、ライト・クラシックの作曲家の中で抜きん出ている。

Spike_jonesそして後者の代表-”冗談音楽の王様”がスパイク・ジョーンズ(Spike Jones 1911-1965)である。編成的にも音楽的にもジャズを基本としており、”ジャズ楽団とその演奏とで表現するコメディー・ショウ”と云うべきものだ。(CDもWeb動画もあるのでぜひ触れてみていただきたい。)
フライパンや鍋釜を叩き、洗濯板をギコギコ擦り、ピストル(空砲)をぶっ放し…大小さまざまな家畜の鈴をズラリと並べておそろしく速い曲を鮮やかに演奏してみせたかと思うと、トロンボーンを本当に”爆破”しちゃったりと「面白けりゃ何でもアリ」の冗談の極みである。この伝でクラシックの有名な曲を「お高くとまってんじゃねーぞ!」とばかりぶちかます、その痛快さも気持ちいい。
Spike_jones_bandメチャクチャ、デタラメの限りのようで、(音色は荒いが)実は奏者は非常に達者である。こうした「冗談」は達者な演奏でないとキマらない、カッコ良くない、オモシロクない!という事実は歴然だ。音楽の素養がないと本当の面白さを感じられないネタもあり、これがただのドタバタコメディではなく、「音楽の遊び」であることに気づかされるのである。

    ※スパイク・ジョーンズに多大な影響を受け、これを日本に持ち込んで大ウケ
      となったのが「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」や「ハナ肇とクレイジー・
      キャッツ」である。


Mauriciokagel19312008_2尚、現在「冗談音楽」はクラシック音楽の”前衛”との境界にあると云えよう。中でも突き抜けたユニークさで注目されるのがアルゼンチンの前衛作曲家、マウリシオ・カーゲル(Mauricio Raúl Kagel 1931-2008)だ。
終盤で突然指揮者が斃れ、曲名そのものを体現してしまう(?^^)奇曲「フィナーレ」はテレビ番組でも採り上げられ有名となったし、「イーゴリ・ストラヴィンスキー公」のインパクトも凄い。
Frst_igor_2この「イーゴリ・ストラヴィンスキー公」は管弦打入り混じる特異な室内楽編成+バス(男声)という合奏形態の曲なのだが、後半で突如長~い板を持った坊さん(?)が登場し、悠然と闊歩しながら時折その板を叩いて音を出し…という、シュールさ極まる作品なのである。
20141129031616_2更に「ティンパニ協奏曲」のエンディングも有名。そもそもメガホンでヘッドに声を響かせながら叩いたり、マラカスを上に転がしたりといった様々な奏法が独奏ティンパニに求められている曲なのだが、何といってもキチンと”記譜(指示)”もされているエンディングの衝撃は圧倒的に過ぎる…!

♪♪♪

ドン・ギリスが活躍したのはルロイ・アンダーソンやスパイク・ジョーンズとまさに同時代。ギリスの作品も、こうした時代の流行を取り入れたものだったのである。今聴くとまさに”時代”を感じさせる古さも否定できないが、一方で普遍的な音楽のユーモアも確りと伝わってくる。

■ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ
題名はもちろん”3月”と”行進曲”とをかけた洒落、それ以上の意味はない。
6/8拍子ff のフル・テュッティのユニゾンによるイントロダクションに始まる(冒頭画像参照)のだが、まあその大仰なこと!ほどなく2/4拍子に転じてウッドブロックとともにトボケた旋律が流れ出し、ユーモラスなムードはそのままながら これに呼応するTrombone Soliはなぜかちょっとお洒落でハーモニアス。
Jfm_trombone_soli続いてMuted Trumpetの更にすっトボケたSolo…このあたりのセンスが絶妙である。
Jfm_cornet_solo大仰なイントロの再現を挟み、いよいよ打楽器のソリへ。ここからトボケたまんま”悪ノリ”に突入していく。杓子定規にリズムを刻むスネアとバスドラムとは対照的にぴょこぴょこ跳ねまわるようなTimp.が変に可愛らしい!そしてチャイムに続いて次々に加わってくる木管も、ベースラインも中低音金管(+Sax)もどいつもこいつもが、すっトボケたフレーズを一心不乱に繰り返す-そのさまに笑いがこみ上げてくるのである。更に素っ頓狂なTrp.の”信号”が吹き鳴らされ、全てが織り重なって”冗談”は最高潮へ。
Jfm_climax前半が短く再現された後コーダに入るが、ここもやはり大仰で、唐突感も匂わせるエンディングとなって曲を閉じる。

■台所用品による変奏曲
Photo_2構成は3部形式+コーダ、Tromboneのグリサンドを多用したりと終始諧謔味に満ちてはいるが、旋律やリズムもごくシンプルなこの曲自体は、主役たちのバックグラウンドに徹している印象である。
その「主役」こそが、さまざまな台所用品!
Utensils_neededフライパン、洗濯だらい、鍋、ボウル、パイ皿、歯車式泡立て器、食器用洗い桶、鉄板を使用することが、さまざまな撥だけでなくフォークなども使うその”奏法”とともに、スコアに示唆されている(!)。

※Suggestions for paerformance :
「suggestions_for_performance.jpg」をダウンロード

これらを演奏する8人の奏者はシェフ帽や三角巾を被り、エプロンや割烹着を纏った料理人に扮してステージ前方にズラリと並び、ひたすら陽気で賑やかにパフォーマンスするのが恒例である。
Photoまさに当時流行していた”冗談音楽”を愛らしい曲想で吹奏楽にアダプトしたもの。ひところは本邦のコンサートでもとてもよく演奏され、大ウケであった。

♪♪♪

さて音源だが、これが極めて乏しい。
Jf_lp■ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ
今村 能cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

この曲の”大仰さ”や、堂々とした”ふざけ”を充実したサウンドとメリハリのある曲作りで聴かせる名演。
唯一の商業録音(LP)であり、未だCD化されていない。

Lp■台所用品による変奏曲
赤池 史好cond.
神奈川・静岡・石川・愛知県警
合同音楽隊

全国警察音楽隊演奏会のLive録音(LP)、この曲も他には(Web動画を除き)CDはもちろんレコードも見当たらない。まあ、そもそも聴くだけでなく”視る”曲なのだから已むを得ないか…。

♪♪♪

ルロイ・アンダーソンの楽曲にしても、「冗談音楽」の要素がピタっと嵌った楽曲自体が音楽的にも説得力のある出来映えであって、それをまた演奏者がキッチリ音楽的に演奏するからこそお洒落で恰好良いのである。そもそも「冗談音楽」とは、ハイレベルな者だけに許された”遊び”なのだ。

吹奏楽の世界では「冗談音楽」まで行かずとも、踊ったり動いたりといった要素も含めショー的な演出を絡めて演奏することも多い。しかしこうしたパフォーマンスは企画自体にセンスが問われるし、何より演奏が”その気で”キメた上質なものでないと、全くサマにならず、却って聴衆を失望させてしまう。演奏者サイドはこのことをシビアに心へ刻んで取組まなけばならない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年1月22日 (日)

吹奏楽のための第1組曲 A.リード

PhotoFirst Suite for Band
I.March II.Melody III.Rag VI.Galop
A.リード (Alfred Reed  19212005


Alfred_reed_portrait名匠アルフレッド・リードは吹奏楽のために幾つもの「組曲」を遺したが、中でも1-3番はいずれも出色の出来映えである。そのうち第2組曲は”ラテン”の音楽と情景を、第3組曲は”バレエ”の音楽と情景をテーマとし表現した楽曲であり、夫々内容を総括する副題が付されている。
1975年に作曲されたこの第1組曲にこうした副題はない。フルスコアにも「独立した対照的な4つの楽章から成り、それぞれを単独で演奏しても良い」とまでコメントされているのである。

しかしながら作曲にあたり、リードは”古き良きアメリカの音楽と情景”を想起していたのではないだろうか。この曲にはマーチ、ラグ(ラグタイム)、ギャロップ(サーカス音楽)といった音楽がフィーチャーされているのだが、”マーチ王”スーザ(John Philip Sousa 1854-1932)が1885-1927年頃その全盛期を迎えていたように、これらはいずれも19世紀終盤から20世紀初頭にかけてアメリカで一世を風靡し広く親しまれた音楽なのである。

この時代- 南北戦争終結~西部開拓時代~第二次産業革命を経て国力を高めたアメリカは、第一次世界大戦で疲弊した欧州を出し抜き遂には圧倒的な経済成長を果たす。(やがてそれも陰り、1929年の世界恐慌を境に社会不安増大そして第二次世界大戦勃発への道をたどることになるのだが…。)
マーチもラグタイムもサーカス音楽も、そうした”史上最高の繁栄”を謳歌していたアメリカで全盛を極め、その時代を象徴するものだった。
ポピュラー音楽の世界でも隆盛となった”バラード”の性格が濃い第2曲「メロディ」を含めたこの「第1組曲」こそは、まさにそうした”古き良きアメリカの音楽と情景”のアンソロジーと云うこともできるだろう。


■マーチ/March
既に述べた通り1885-1927年頃を頂点に”マーチ王”スーザによって空前の人気を博した「マーチ」は、後に続くアメリカ音楽の源流となった。スーザは1880年にアメリカ海兵隊バンドの隊長に就任し本格的に足跡を残し始めるが、1891-1892年同バンドのアメリカ横断ツアー後の休養時には、ヨーロッパのバンド研究も深めている。これを経て誕生したのが伝説のスーザ・バンドであり、1892年9月最初のコンサートを皮切りにあっという間に人々の人気を攫った。
Sousaconductingparisexposition1900c
(画像:J.P.スーザと1900年パリ万博でのスーザ・バンド)
決して大げさでなく、もし当時にヒットチャートというものが存在したならば上位はスーザのマーチが独占しただろうと謂われる。スーザはその優れた楽曲とともに、並外れたショーマンシップによるパフォーマンスで聴衆を魅了したのである。スーザは自分のバンドで演奏する際には出版されたスコアから離れ、アクセントとダイナミクスと彼自身の好みによる特別の効果を付加し、また曲の途中でテンポを変えることはせず、通常の(軍隊)マーチよりも少し早目のテンポで演奏したという。
当時のスーザについて、
「スーザ・マーチ大全」には以下のように記されている。

  スーザのマーチをスーザ・バンドのように演奏できるバンドは、
  ほかにはなかったと多くの人が書いているが、スーザほどマー
  チで聴衆の心を劇的なまでに揺り動かした指揮者はいなかっ
  たと言うのがより正確だろう。スーザが彼自身のバンドを指揮
  して、彼自身のマーチを演奏する姿を見るのは、本当に心とき
  めく体験であって、そこにこそスーザ・バンドの画期的成功の秘
  密があったのである。スーザが指揮台に立つと、彼のマーチが
  たちまち躍動を始めたとでもいうのが適切だろう。この躍動感
  あるいは「高揚感」が聴衆をしびれさせたのだが、スーザが死
  んだ後は絶えて久しいことになってしまった。


-まさに現世のシンガー・ソングライターと同じではないか!


Photo【出典・参考】
「スーザ・マーチ大全」
ポール・E・バイアリー 著
鈴木 耕三 訳
(音楽之友社)







■ラグタイム(ラグ)/Ragtime (Rag)

19世紀末から20世紀初頭にアメリカで流行。黒人のダンスの伴奏音楽や酒場で黒人が演奏したピアノ音楽が起源で、
”ラグタイム黄金期”は1899-1917年とされる。白人の客にウケがいいマーチなどの西洋音楽に黒人独特のノリが加わり、シンコペーションを強調する初の軽音楽となったのがラグタイムと位置付けられる。バンジョー・マンドリン・管楽器などを加えた小編成楽団も奏したが、多くはピアノが奏する音楽であった。
形式的には”ラグタイム・ワルツ”を除き2拍子で、3楽節以上のソナタ・ロンド形式をとり、中間部では属調または下属調に転調するということからも”マーチ”がラグタイムの重要な音楽的母体であることは間違いなく、マーチにアフリカ系アメリカ人(当時のスラングで”Jig”)がもたらしたリズムなどさまざまな音楽形式がブレンドされていったものと推定されている。
ラグタイムと云えばスコット・ジョプリン(Scott Joplin 1868-1917/左下画像)を抜きには語れない。
Joplin_the_entertainerこの「ラグタイム王」は数10曲に及ぶラグタイムの名曲を作曲し演奏したが、1973年の大ヒット映画「スティング」に彼の作品が使用されたことで評価が高まったものである。金管楽器奏者にとってはブラス・アンサンブルの至宝フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルが好んでレパートリーとしていたことで一層なじみが深い。


     【出典・参考】   「ラグタイムの解説」 浜田 隆史(ラグタイムギタリスト)


■ギャロップ/Galop
元々馬術の「襲歩(Gallop)」=最も速い歩調を示す言葉に由来する快速な音楽。この「襲歩」とは競馬などで馬が疾走している時に見られる歩法で、馬の四肢が全て宙に浮く瞬間が存在し且つ同時に着地するのは二肢までのものを云うと定義される。これによって馬の歩幅は最大となり、従って最速となるのである。
Photo_4音楽的にはそもそも19世紀中頃にヨーロッパで流行した2/4拍子のテンポの速い舞曲の総称。その当時、ダンスとしてのギャロップ(左画像参照)は舞踏会のフィナーレを飾ることが多く、
「ひとたびギャロップが演奏されるや否や、踊り手は興奮のあまり我を忘れた。手をつないだ二人組が巨大な輪を作り、凄まじい勢いで回った。靴を踏まれ、服はまくれ、かつらは飛ぶ。ときに将棋倒しが起きるほど、この踊りは激しさを極めていた。(中略)ギャロップには野生の勢いが備わっている。その勢いは人間の本能に強く訴えかけ、原始の祭りのごとく彼らに自然と踊りの輪を作らせる。」
(小宮 正安)
と伝わっている。ヨハン・シュトラウスI世/II世やオッフェンバックが遺したギャロップも有名だが、何といってもカバレフスキー作曲の組曲「道化師」第2曲”ギャロップ”は運動会の定番BGMとして誰もが知るところだろう。
ギャロップはまたアメリカで流行したサーカスと関係が深い。
Photo_5サーカスに於いて馬の曲乗りは伝統的かつ重要な演目であるが、サーカスを盛り立てる音楽にギャロップは欠かせないものであり、この「第1組曲」に登場するのはまさにサーカスをイメージしたギャロップである。


Photo_3【出典・参考】
JRA HP 「競馬用語辞典」
「ヨハン・シュトラウス-ワルツ王と落日のウイーン」
小宮正安 著
(中公新書)
「ロマン主義と革命の時代」
アレキサンダー・リンガー 編 西原稔 監訳
(音楽之友社)

♪♪♪

この「第1組曲」は単なる曲集のようでありながら、組曲としての纏まりも悪くない。シリアスなムードを漲らせた「マーチ」に始まり、短調の色合いを引継ぎながらもそれを美しく緩ませていく「メロディ」へと続き、スケルツォの役割を果たす「ラグ」で転換、最後は華やかで賑やか、かつ何より軽やかさを失うことのない「ギャロップ」で締めくくるという構成となっているのである。
また「メロディ」「ラグ」ではHarpが効果的に使用され、上品でまた一段豪華なサウンドを生み出しているのも魅力的である。

I.マーチ Allegro deciso (快速に、決然と ♩=104-108)
ジャズの発祥はラグタイム時代から発生していた「スイング」であり、そのラグタイムの重要な音楽的な母体の一つが”マーチ”とされる。即ちアメリカ音楽の源流たるマーチを以って、リードはこの”アメリカ音楽のアンソロジー”を開始しているのだ。しかし一方で、提示されたその”マーチ”は保守本流のスーザ・マーチとはまた一味違う、短調のきりりとした曲想である。
エナジティックに開始(冒頭画像参照)されるや直ぐに鮮やかなクラッシュ・シンバルがフィーチャーされているが、全編に亘りその活躍はめざましい。優れた音色をドンピシャのタイミングで聴きたいところである。
旋律に対峙する低音の下降音型+打楽器の豪壮さや、絡み合った動きがスルリとほどけた瞬間に現れる、あまりにカッコイイHornのソリなど序奏部からして心震わす傑作である。
March_horn_soli主部に入ってからも凛とした表情は崩すことなく、強固な律動を伴い並々ならぬ推進力を終始放ち続けるこのエキサイティングなマーチは、一気呵成の鮮烈な印象を聴く者に焼き付けて已まない。
March_melody最終楽句を導くリムショットの一撃も実に鮮烈である。

II. メロディ Slowly and sustained (ゆっくりと、音を持続させて ♩=44)
美しくしかし愁いを帯びたバラード。ノスタルジーをかきたてる”歌”の大きなうねりと、その昂ぶりから鎮静へと遷移するさまが素晴らしい。冒頭、Oboeの音色に始まった歌がHornへ移りFluteのオブリガートがこれに絡む-その色彩の”移ろいの妙”からして惹きつけられる。
Melody_2シンプルだが心に迫る旋律の力と、それを品よく修飾し構成した音楽が、しみじみとした感動を与えるのだ。
やがてHarpの伴奏とともに一層深みを増した旋律がEuph.(+ Bassoon, A.Cl, T.Sax)に現れるが、その情緒の豊かさには感じ入るばかりである。
Melody_euph徐々に幅広さを増す音楽は、律動感を極限まで抑制しつつ劇的に高揚してクライマックスに達するが、そのレシタティーヴォの暖かさに包まれる幸福感は圧倒的である。
やがて冒頭の旋律が戻り静まりゆく音楽はひたすら名残惜しく、余韻とともに遠ざかっていく。

III. ラグ Moderate Ragtime (two-beat, not fast ♩=62-66)
まさに古き良きアメリカの喜びと当時の気分が充溢しており、この組曲を明確に性格付ける楽曲
。スプラッシュシンバルのおしゃまな一撃とともに、陽気なノリの音楽が賑やかに流れ出す。
Rag演奏者によってテンポの選択はさまざまだが、(物理的な速度とイコールではなく)感覚的に余裕のあるテンポで、確固にしてメリハリのあるリズムが刻まれなければ、独特の曲想は表現できない。
旋律・リズム・構成いずれもシンプルだが、その素朴さこそが良い!それでいてブルースコードのサックス・ソリや、
Rag_sax_soli_2ウッドブロックとともに実に愛らしい楽句が現れたり、ダイナミクスの大きな落差でコントラストを効かせる工夫もあり、愉しい音楽を聴かせてくれる。

    ※作曲者リードはこの「ラグ」の16分音符の奏法(アーティキュレ
      ーション)についてフルスコアに付言している。即ち
     ほぼジャズ風に奏するか、
     それとも若干ジャズ寄りに変形するに止めるか-。     
Rag_note_to_conductor_2
           その判断に基き全編に亘って軽快さやキレ、或いはバウンスの
     程度などを徹底することを前提に、テンポも含め指揮者の好み
     と判断に委ねると云うのである。

     この「ラグ」には打楽器を変更・追加したり、ディキシー調の
     Tromboneグリッサンドを加えたりといった演奏も見られる。
     確かにこの曲はそういった自由までも許されるタイプの楽曲で
     はあるのだが、この曲の”立位置”からして最も求められるもの
     が何かと云えば、それはやはりライトにして品のある”粋”であ
     ろうと私は思うのだ。


IV. ギャロップ As fast as possible (but no faster!)

Photo”できるだけ速く、でも速すぎないで!”というユニークなテンポ設定のこの曲はまさに説明の要らない楽しい音楽である。アンコール・ピースとして単独で演奏されることも多い。
金管の短いファンファーレに始まり、大げさなクレシェンドを効かせ、底抜けに明るくまた精気に溢れてかつスリルもあるさまは、サーカスのワンシーンを直截に想い描かせる。サーカスの見せ場で必ず奏される”お約束”のスネア・ロール&シンバルも聴こえてくるのである。
Photo_2目まぐるしくエネルギッシュな曲想に挿入される”小型蒸気オルガン風”(a la miniature steam calliope)
のパッセージも懐かしく親しみ深い味わいがあり、聴く者を思わず笑顔にさせるだろう。最終盤では更にテンポを捲りに捲り、その興奮のままに熱狂のエンディングで全曲を結ぶ。

♪♪♪

音源は意外に少ない。私が推すのは
Cd秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

性格の異なる各楽章の対比が見事に表現されており、またテンポ設定も絶妙な秀演。”ラグ”は速めのテンポ設定ゆえ全編スウィングでよりジャジーな愉しさを追求している。また存分に歌いきった”メロディ”の抒情、サーカス音楽色を全面に出し生きいきとして且つシュアーな快速”ギャロップ”などどれも素晴らしいのだが、何といっても引き締まったテンポと表情の”マーチ”が圧巻!である。全編を通じ胸のすくような演奏に仕上がっている。

    【その他の所有音源】
      汐澤 安彦cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル
      アルフレッド・リードcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
      木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ


大衆に広く愛された音楽をテーマに編まれたこの「第1組曲」は、まさに”吹奏楽”という音楽形態を体現するものでもある。「理屈抜きに楽しめる」という常套句があるが、本作品はまさにそれそのものだからだ。
-そう、”吹奏楽”も幅広い聴衆が「理屈抜きに楽しめる」ものでなくてはならないのである。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年11月14日 (月)

交響詩「スパルタクス」

Photo_2Spartacus -Symphonic Tone Poem
J.ヴァン=デル=ロースト
(Jan Van der Roost 1956-


Jan_van_der_roostヤン・ヴァン=デル=ローストは、「アルセナール」「カンタベリー・コラール」「プスタ」「フラッシング・ウインズ」「モンタニャールの歌」などのヒット作で知られ、更に近年も「いにしえの時から」「オスティナーティ」などの傑作を変わらず発表し続けているベルギーの人気作曲家。ダイナミックでロマンティック、骨太なサウンドと堅牢な構成の作品には定評がある彼の出世作が、この交響詩「スパルタクス」(1988年)である。
スコアには「ローマ三部作」で知られるオットリーノ・レスピーギへのオマージュとの記載があり、レスピーギの作風と共通した輝かしくゴージャスでスケールの大きな曲想となっている。また別の観点からは、かなり映画音楽的な要素を備えた華々しさとメリハリの効いた楽曲と云える。

標題にあるスパルタクス(Spartacus 別表記スパルタカスとは紀元前1世紀に古代の共和政ローマに反旗を翻し大変な脅威となった第三次奴隷戦争の指導者だ。本作はこのスパルタクスという英雄とその闘いを写実的に描くものである。

    ※Spartacusの邦訳表記は現在「スパルタクス」が一般的であり、本稿もこれを
      採用しているが、1960年公開のアメリカ映画は「スパルタス」の表記となっ
      ているため、同映画の題名と関連のみ「スパルタカス」と表記している。

     ※尚、「スパルタクス」を題材にした音楽としては何といってもアラム・ハチャトゥ
      リアンのバレエ音楽「スパルタクス」が高名であり(但しこのバレエは史実か

            らはやや離れた脚色が成されている)、吹奏楽ではドナルド・ハンスバーガー
      の名編曲による”スリー・ダンス・エピソード”がよく演奏される。
      また映画「スパルタカス」の主題曲はハリウッドの名作曲家アレックス・ノース
      (Alex North 1910-1991)が担当した。ビル・エヴァンス(Bill Evans)のジャズ
      ピアノによる”Love Theme from Spartacus”の演奏が高名であるほか、ジョン
      ・カカヴァスの編曲によって吹奏楽でも演奏されている。
     

♪♪♪

「スパルタクス」の名は”プルタルコス英雄伝”※1のクラッスス(Marcus Licinius Crassus  BC115頃-BC53)※2の項に登場する。まずは”プルタルコス英雄伝”の記述も参照しつつ、スパルタクスをめぐる史実を押さえておこう。

     ※1 プルタルコス英雄伝 ([英] プルターク英雄伝)
         「対比列伝」とも呼ばれる古代ギリシア・ローマの英雄伝。帝政ローマ
        初期のギリシア人著述家プルタルコス(Plutarchus 46-127)の執筆し
        たもので、単独伝記4篇と古代ギリシア・ローマの英雄を対比して描い
        た22篇から成る。
        文学作品としてのみでなく史料としても取り扱われており、かのシェイ
        クスピアによるローマ史劇もこの「プルタルコス英雄伝」を下敷きにして
        いるとされる。
        (尚、スパルタクスに関する記述は2世紀の史家アッピアノス(Appianos
         生没年不詳)の「内乱記」にもあり、プルタルコス英雄伝と違った史実
         も遺されている。)


     ※2 クラッススは共和政ローマ時代の英雄であり第1回三頭政治を行った、
        と云えば学校の世界史の授業を思い出される方も多いだろう。クラッス
        スはローマを脅かしたスパルタクスを討ち取って第三次奴隷戦争を終
        結させ、その功績から翌年に政敵ポンペイウスとともに共和政ローマの
        最高職であるコンスル(執政官)に選出されるのである。


■第三次奴隷戦争(スパルタクスの乱)
紀元前73-紀元前71年にかけてイタリア半島で発生した奴隷の蜂起とそれを鎮圧しようとするローマ軍との戦争であり、3度に亘る共和政ローマ期の奴隷戦争で最大のものである。
発端はカプア(ローマにアッピア街道で繋がる南東の街)でバティアトゥスなる者が運営する剣闘士養成所から剣闘士奴隷78人が逃亡を謀ったもの。当初台所の包丁や焼串を手に養成所を飛び出した剣闘士奴隷は、途上で剣闘士用武器を運ぶ車を襲い武器を奪って武装し、ローマ軍を次々と撃破し勝つたびに相手の武器を奪ってさらに強化していった。
スパルタクスの率いるこの奴隷軍は進撃とともに他の奴隷を解放して仲間に加え、全盛期には12-20万人に達していたとも云われる。スパルタクス軍は当時権勢を誇ったローマに大いなる脅威を与えたが、いよいよ切り札としてクラッススがローマ軍の最高司令官に任命されると、クラッススによりローマ軍は立直され、その大軍の反攻によってスパルタクス軍は徐々に追い詰められていく。
Photoそしてとうとう奴隷軍は殲滅させられ、自由と故郷への帰還を求めたスパルタクスら奴隷たちの望みが叶うことは遂になかった、叛乱奴隷は殆どが戦死し、捕虜となった6千人余りは磔の刑に処され、ローマからカプアに続くアッピア街道には延々と磔の十字架が立ち並んだとされる。
-しかし、強大なローマに対峙して立ち上がり、あわやというところまで脅かしたスパルタクス軍の自由への戦いは、永遠に歴史に刻まれたのである。

Louvredepartment_of_sculptures_fr_2■スパルタクス蜂起の背景
当時のローマは侵略戦争を重ね、領土(属州)を得てそこから搾取するだけでなく大量の奴隷をも獲得し、ローマ社会に投入していた。
「ものいう道具」と扱われた奴隷の中でも、見世物として命懸けの剣闘を強いられる剣闘士奴隷は最下位に位置付けられていた。
「命懸けで戦うなら、見物人のなぐさみものになるより我々の自由のために戦おう。」というスパルタクスの説得から、剣闘士奴隷が蜂起したのは必然である。
これが既にローマ社会に多数存在した他の奴隷たちも巻き込んで、勢力拡大していったのだった。

     ※左上画像:
       ドニ・フォヤティエ(Denis Foyatier 仏 1793-1863)による1830年作のスパ
       ルタクス彫像。奴隷であったスパルタクスが自らの手枷を打ち砕いた瞬
       間が表現されている。
       (同作品を所蔵するルーヴル美術館の公式HPより)


■スパルタクスという英雄
カプアの剣闘士奴隷蜂起に於いて、奴隷軍が選んだ3名の首領の筆頭であり、トラキア(現在のブルガリア南東部~黒海に至る地域)のマイドイ族出身。
勇気と力に勝っていただけでなく、智慧に優れ温和な人となりであったと伝わる。奴隷の集団を強力な「軍」へと組成した統率力と、戦いぶりに見られる優れた知略に疑う余地はない。
彼が望んだのはローマを打ち破り権力を握ることでは決してなく、奴隷たちが自由の身となって各々の故郷に帰還することだったという。

   ※スパルタクスの戦いと、その英雄としての姿に関する更なる詳細については、
      こちらを参照されたい
      「スパルタクスとその戦い」:
「rebellion_of_spartacus.pdf」をダウンロード

Photo【出典・参考】
「プルタルコス英雄伝 下」
 プルタルコス 著 村川 堅太郎 編 (筑摩書房)
新版 スパルタクスの蜂起―古代ローマの奴隷戦争」
  土井 正興 著  (青木書店)



♪♪♪

さて本作品を演奏・鑑賞するにあたり、やはり無視できないのが映画「スパルタカス」(1960年)の存在である。作曲者ヴァン=デル=ローストもこの映画を知らないはずはなく、影響を受けた可能性は高いと推察されるのだ。

本作の中間部に現れる甘美で雄大な旋律について、ヴァン=デル=ローストは”スパルタクスとその(想像上の)恋人との愛”を表すものとコメントしているが、これはまさに映画「スパルタカス」の描いたものと一致している。
古代の奴隷叛乱という史実に色恋の記録はもちろん存在しない。しかし、その背景に想いを馳せればスパルタクスにも愛する女性があり恋愛があっただろうという想像が湧き起るわけで、それを大きな要素とした映画「スパルタカス」の世界観が、交響詩「スパルタクス」のあの”愛のテーマ”へと繋がっていったのではないだろうか。

     ※「プルタルコス英雄伝」に、スパルタクスが蜂起したときカプアの剣闘士養成
        所にスパルタクスと同族の婦人がおり、共に脱走したとの記述はある。
         このトラキア人の婦人は予言を能くし、スパルタクスが偉大な恐るべき勢力
          となることと、しかし不幸な結末に至るということを語っていたという。
          これ以上、この婦人とスパルタクスとの関係に言及したものはないようだ。


■映画「スパルタカス」概要
Poster1960年公開のアメリカ映画。既にハリウッドの大スターであったカーク・ダグラス(Kirk Douglous 1916- )がハワード・ファストの原作小説を気に入って、製作総指揮と主演を務め、1,200万ドルもの巨額製作費を投じた超大作。
第二次世界大戦後の東西冷戦下において、所謂”赤狩り”の標的となってハリウッドを追放されていたダルトン・トランボ(Dalton Trumbo 1905-1976)を脚本家に起用、当時31歳の若きスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick 1928-1999)を監督に抜擢。キャストもローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier 1907-1989)、チャールズ・ロートン(Charles Laughton 1899-1962)、ピーター・ユスティノフ(Peter Ustinov 1921-2004)といった大物を揃え、全米興行収入3,000万ドル(全世界では6,000万ドル)の大成功を収めた。極めてスケールの大きな歴史スペクタクル映画として現在も名を遺す傑作であり、上映時間193分の長さにも拘らず冗長さは感じない。1960年のアカデミー賞において助演男優賞ほか4部門を受賞している。

■映画「スパルタカス」の描いたもの
Jean_simmons_kirk_douglas古代ローマ時代の文字通りの”肉弾戦”たる戦争を生々しく活写するスペクタクル映画の衣装をまといながら、実はこの映画は愛を描き、人間の価値観とそこから生じる信念・意思・行動の表出を描き、”人として生きる真の意味”を真摯に問うものとなっている。
もちろん周到に計算された戦闘シーンをはじめ、迫力の映像は圧倒的だが、それ以上に「人として」大切な美しく気高い精神性と、まさにそれを希求し闘いへと身を投じた人間の姿が描かれているのである


    ※脚本家トランボ、監督キューブリック、制作総指揮兼主演カーク。ダグラスが
      それぞれに違った”スパルタカス像”を思い描き、軋轢も衝突も経てこの映画
      は完成した。制作時の対立の激烈さゆえか、キューブリックが後年も「スパル
      タカス」は自分の監督作品と認めない、と表明していたことは有名である。
      主要キャストや他の優秀なスタッフも含め、優れた才能がぶつかり合って誕
      生したこの作品だが、最終的にはカーク・ダグラスの思い描いた”愛の物語”
      に落着したようだ。英雄スパルタカスを一人の人間としても捉えてスポットを
      当て、スパルタカスとヴァリニアの愛、そして何より自由への愛を描いたのだ。


    ※映画「スパルタカス」の詳細はこちらを
      「映画『スパルタカス』の時代」:
     
 「the_times_of_movie_spartacus.pdf」をダウンロード
      「映画『スパルタカス』の見どころ」:
     
 「the_highlights_of_movie_spartacus.pdf」をダウンロード

【出典・参考】
2_2DVD
「スパルタカス スペシャル・エディション」
 (2012年/ジェネオン・ユニバーサル)
「『ローマの休日』を仕掛けた男―不屈
の映画人ダルトン・トランボ」
  ピーター・ハンソン 著  松枝 愛 訳 
(中央公論新社)
「映画監督スタンリー・キューブリック」
 ヴィンセント・ロブロット 著
 浜野保樹、櫻井英理子 訳 (晶文社)


以上、個人的な思い入れによる仮説に基き述べてきたが、たとえヴァン=デル=ローストの作曲自体には全く影響を与えていないとしても、交響詩「スパルタクス」と接するにあたって映画「スパルタカス」に触れておくことは絶対に有意義だと私は信じる。過酷な剣闘士奴隷の生活、剣闘の残酷さ、古代ローマの戦闘のありさま…この楽曲が描いた或いはその背景となった、さまざまな映像のイメージを端的に得ることもできるであろう。

♪♪♪

”「スパルタクス」は連続した3つの部分から成る”交響詩”である。各部が固有の旋律的素材を持っているが、最終部では第2部のメインテーマが戻ってきて、テュッティのグランディオーソにて奏される。また、最後から2小節前にはまさに冒頭のオリエンタルな雰囲気が再現されている。”

作曲者ヴァン=デル=ローストは、交響詩「スパルタクス」をこのように総括した。その内容をさらに作曲者自身のコメント(” ”)も引きながら見ていこう。

第1部(冒頭から練習番号Jまで)は、幾つかの旋律やリズムで構成されたものを反復し積み上げてクライマックスを築いていく。旋律の端々に見られるオリエンタルな特徴は、ローマ奴隷の出自に照らしたものだ。”
重厚な低音のどっしりとした響きに続き、エキゾチックな旋律が唸りをあげて曲は始まる。(冒頭画像)まさにスペクタクル映画のオープニング・クレジットを彷彿とさせるスケールの大きさと緊迫感溢れる序奏部である。
3+2と2+3の入替る5/8拍子の密やかなリズムで潜まったその余韻のままに、5/8+7/8拍子の民族色の濃いリズムをTimpaniが奏してAllegro moderato (♩=112)の主部へと移る。
Allegrotimpそれは拍子とダイナミクスがくるくるとめぐり、野性味のある躍動の音楽だ。練習番号Gでトリルを連ねシンコペーションを効かせた木管の旋律に打楽器のリズムが絡むあたりはその典型であり、エキサイティング極まる!Photo_2
朗々とした中低音の2拍3連符と木管の16分音符が対比的に応答した後、変拍子に転じて弱奏からビルドアップ、第1部のクライマックスへと向かう。
I_11凄みをもって下降する低音16分音符から反転した木管高音の輝かしい16分音符に導かれ、練習番号 I の14小節目には全合奏が”集結”したff が響きわたるのだ。
ここの高音-低音-高音-低音のカウンター応酬の迫力と、それでいて爽快に澄み切ったサウンドは圧巻である。
前出していた中低音の2拍3連符と木管の16分音符の対比的な応答が更に3/4拍子の豪快な曲想に姿を変えて登場し、痛烈なfpから木魚のリズムに導かれて高揚するや冒頭の場面へと回帰、重低音とドラの轟音で第1部を締めくくる。

”第2部は安寧な雰囲気を醸して、スパルタクスと恋人との恋愛を想い描かせる。(練習番号Lに最初に現れる)このメインテーマは宏闊にして雄大であり、やや映画音楽的である。本作品においてこの部分にはオーケストレーションに格別の意を払った。”
低音の轟音の余韻から静かに浮かび上がってくるFluteソロで第2部が開始される。ここは終わりに向けてクレシェンドとともに少し速くするニュアンスは伝えられている(poco precipitando)ものの、Senza misura (拍子なしに)/ a piacere (奏者の自由に)と指示のある自由なカデンツァである。
2_flute_soloモーターオフのVibraphoneやSmall Gongと相まって幻想的な響きのこの部分は”愛のテーマ”への序章であり、どこか時が止まったかのような雰囲気を醸し、そしてまた陰のある悲哀をも感じさせる。
これがコールアングレに引き継がれ”囁くような”(mormorandi )クラリネットのトリルやVibraphoneとともに一層深遠さを極めていく。クラリネットがサウンドクラスターへと変わるとHornに”愛のテーマ”のモチーフが現れ、金管群がこれを拡大し昂るが、また徐々に遠く静まっていく。穏やかで美しいTrombone Soliと続くPiccolo/Flute Soliは聴く者にひと時の安寧を印象付けるだろう。
満を持して”愛のテーマ”がHornによって全貌を現わす。
Photo作曲者コメント通り宏闊にして雄大、この上なくロマンティックな旋律である。そしてこれに応答するEuphoniumのSoliがまた美しく豊潤で実に素晴らしい!(ヴァン=デル=ロースト得意の手法である。)
旋律は木管へ移り繰り返されるが、今度はオブリガートに回って更に歌いまくるHornが聴きものである。すると次にはまるで天上界のように清らかで神々しくTrumpet Soloに旋律が現れ、Trumpet II, IIIとTromboneが加わってハーモナイズされ高まっていく。夢見るような美しさで紡ぎ出されるクライマックスだ。
微睡むようなOboeソロからは徐々に名残惜しく静まって、第2部を終う。

”最終部はいよいよ激しい戦闘そのものを表すものとなるが、これはローマ圧政者に対する奴隷たちの叛乱のさまである。途中に現れる積み重なりゆく12の音は、奴隷たちが磔の刑に処されていくのを象徴的に示している。ここで第2部の練習番号Jに現れたフルートのカデンツァを部分的に再現するコールアングレは、あたかもスパルタクスと恋人との永遠の愛の姿を最後の最後にもう一度見せようとするかのようだ。練習番号Tの3小節目の主題は、実は最終部の第2主題(練習番号R5小節目に始まる主題)に基いているが、リズミックなものに姿を変えている。”
All.Marciale ma moderato (♩=104-108)の第3部は蠢くような打楽器ソリから放射状に亢進していく導入部に始まる。
P_percここは、まさに開戦直前の異様な緊迫感や恐怖感の高まりを感じさせる音楽である。ミュートをつけた金管の野蛮な響きが交錯する昂ぶりの頂点で鮮やかに視界が開け、激烈で厳格な太鼓のリズムに導かれて重装歩兵の大軍が進むさまを描き出す。
Photoベルトーン風にモチーフが重なりゆく部分を挟んだ後に、この情景はもう一度現れ、生身の人間が入り乱れ命を遣り取りする熾烈な大合戦の様相を想い描かせずにはいない。そしてこの血の沸き上がるような音楽にあって、威風堂々とした”誇り高さ”を併せ持っていることが、本作品を名曲の域に押し上げたと言えるだろう。

一旦静まった音楽は第1部を再現する変拍子へと移るが、ここで対比的に現れる流麗にして艶やかな光沢を放つSaxソリが洵に印象的で、冗長さなど感じさせることがない。
Photo_2そして第2部最初に奏されたFluteのカデンツァがコールアングレで呼び戻され、スパルタクスとその恋人の愛をもう一度想い描かせるのである。
終局に向かって密やかに再始動した音楽は一気にヴォルテージを上げていく。最終盤のクライマックスはうねる木管群の伴奏とゴージャスなサウンドに包まれつつ、高らかにそして暖かくTromboneとEuphoniumが奏する壮大なあの”愛のテーマ”だ。
Photo_3胸を熱くしたままになだれ込むコーダVivoはまさに一気呵成、快速でエキサイティング、渾身のsfpクレシェンド…!壮麗な音楽が疾走する鮮烈なエンディングはBRAVO!の一語に尽きる。
W_soli-最後から2小節前、死んだはずのスパルタクスがぎらりとした視線を浴びせるような、そんな凄味のあるダブルリード陣(+Flute,BassCl,B.Sax.)による迫力のパッセージも聴きどころ、お忘れなく!

♪♪♪

この曲は秀演の条件として冒頭部分の重々しさを要求していると思う。重心が低くぶ厚い、そういう音楽で開始されなくてはならない。
ポイントになるのは音の保持と、3/8及び2/4拍子で現れるカウンターの8分音符である。幾ら正確で揃っていても、この8分音符が跳ねて”軽さ”を呈した途端にこの曲は死ぬ-。
冒頭部分は表記通りの変拍子を追うのではでなく、フレーズをより大きく捉えることで重厚な音楽の流れを生み出せるのではないだろうか。とにかく始まった瞬間からの”重さ”が極めて重要なのである。

そして場面の変化とコントラストを演じ切って欲しい。古代ローマの重装歩兵軍が動き出す様子に始まる戦闘シーン、それとは明らかな対照をなす熱く甘美な愛のテーマなど、夫々がそれらしく、表面的でなくダイナミックに描出されて欲しいのだ。ヴァン=デル=ローストはさまざまな手法を駆使し、音色配置の妙や多彩な打楽器の活用など、ディテールまで拘り抜き場面場面を描き込んでいるので、ぜひそれを発揮させたい。

上記観点にも照らし、音源は以下をお奨めしたい。

Cdヤン・デ=ハーンcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

全体設計が大変優れており場面場面のコントラストが鮮烈に示された好演。音楽の流れが大きく捉えられており、雄大なスケールで奏される。描写力の高さは抜群で、特にコーダの圧倒的なスピード感、最後から2小節前の凄味の効かせ方は他の追随を許さない。

Kmk_cdピエール・キュエイペルスcond.
オランダ陸軍軍楽隊

さらに一層スケールの大きさを感じさせる好演。その骨太で剛勁な音楽には圧倒される。戦闘シーンの臨場感は(やや物騒だが)軍楽隊ならではだろうか。続く輝かしいサウンドの高揚に向け練習番号Ⅰの12-13小節で織重なる16分音符の鮮烈さも鳥肌が立つほどの見事さ!コーダも悠然としたテンポで奏されるが、冒頭から一貫したイメージのこの演奏なれば”アリ”だし、却って説得力大。

Wasbe_cd進藤 潤cond.
航空自衛隊航空中央音楽隊[Live]

こちらも”さすが”というべきか、戦闘シーンの描写の迫力や進軍場面のサウンドとリズムの重厚さが素晴らしい。何よりも特筆すべきは冒頭から炸裂する木管低音(Bass Saxophoneか?)のド迫力の”轟音”!バーバリズム溢れるこの曲ならば、こういうのも悪くない。

     【その他の所有音源】
      ヤン・ヴァン=デル=ローストcond. 大阪市音楽団[Live]
      ヤン・ヴァン=デル=ローストcond. フィルハーモニック・ウインズ大阪[Live]
       ディルク・デ・カリューウェcond. ゼーレ聖セシーリア吹奏楽団
      レーヌ・ジョリーcond. ケベック管打楽器アンサンブル
      ゲーラルツcond. ベルギー憲兵隊吹奏楽団

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年8月 2日 (火)

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

2Myth for Symphonic Band
- on the Story of
"AMANO-IWAYADO"
大栗 裕
(Hiroshi Oguri 1918-1982)

「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。
音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」

                        (作曲者 大栗 裕によるコメント)

Photo_5作曲者自身のコメントにある通り、「吹奏楽のための神話」 「天岩屋戸(天岩戸)」の物語に基く交響詩的作品である。
この神話は古事記日本書紀に所載されており、弟である素戔嗚尊(スサノヲ)の乱暴狼藉を恐れた太陽神・天照大神(アマテラス)が天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語で、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。しかし何より物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものである。

    ※古事記(左上画像 :福永 武彦 現代語訳)
       
「kojiki_excerpt.jpg」をダウンロード

そもそも太陽神がひきこもることで天上界も地上も真っ暗闇になり、それがさまざまな禍を引き起こすという設定が面白いし、八百萬の神々が集合してアマテラスにお出ましいただくよう対策を練るというのも実にユニークである。そして芸能の女神・天宇受賣命(アメノウズメ)のエロティックな踊りに神々の笑いが湧き起こるさまや、剛力の神・天手力男神(タヂカラオ)が岩戸に手をかけアマテラスを引き出すさまなど、ヴィジュアライズされた情景を想い描かせるのだ。神聖で神秘的な-しかしどこか世俗的な親しみとがない混ぜになったその世界観にぐっと惹きつけられてしまう。

この「天岩戸」の日本神話にまつわる神社・史跡は日本全国に存在している。それはこの神話が古から日本中で深い興味を以って伝承され、「天岩戸はどこにあるのだろう」「まるで天岩戸のような風景だ」といった想いを人々に紡がせてきた証左であろう。
Photo_4中でも有名な宮崎・高千穂の「天岩戸神社」には天岩戸(撮影禁止とのこと)の他、八百萬神が集まり神議を行ったと伝わる天安河原という大洞窟も存在している。
そこに伝承される神事も含めこの神社と「天岩屋戸神話」とは、尋常ならざる深い関わりを感じさせるのである。

♪♪♪

Photo_2大栗 裕は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。自身、吹奏楽の名門・天王寺商高出身でプロフェッショナルのホルン奏者として活躍していたこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。
吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。

♪♪♪

この「吹奏楽のための神話」(1973年)は伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンド大阪市音楽団(現 オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ)の創立50周年を記念して作曲されている。
50197309261973年9月26日、大阪市中央体育館で開催された「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」において永野慶作指揮の同団により初演。キャパシティの関係で選ばれたこの体育館はコンサート会場としては広すぎ、また折悪く激しい雨に見舞われその雨音の影響もあり、残念ながら本初演は演奏効果を充分に発揮することはできなかったようだ。

     ※出典:バンドジャーナル掲載の鈴木竹男氏レポート(写真も同誌)
            上掲右画像:初演指揮・永野慶作と作曲者・大栗裕


しかしながら本作品の素晴らしさはクチコミでも各地に広まっていった。吹奏楽連盟講習会の講師を通じてこの曲の存在を知ったというのが、四国の雄・徳島県富田中を率いる糸谷安雄先生である。「神話」に惚れ込んだ富田中は本作を自由曲に選び、1975年の全日本吹奏楽コンクールにて見事金賞を受賞した。
1975_2今津中・豊島十中が5年連続金賞で招待演奏に回ったこの年、名門・富田中は心に期するものもあったと思うが、実に表現豊かな秀演で文句なしの金賞を手にしたのである。

     ※出典:バンドジャーナル1976年1月号
         「特集・第23回全日本吹奏楽コンクール」
      尚、当該記事中で糸谷先生は次のようにコメントされている。
       「練習が進むにつれ、この曲の持つ魅力にすっかりとりつかれ、
            今年の自由曲に決定させてもらった。しかし13分30秒という大
      曲のため、半分近くもカットせざるを得なかったのは、たいへん
      に残念であった。特に美しい笙の響きを思わせるクラリネットの
      重奏の部分をもカットしてしまったのは、今でも心残りである。」
      -ああ、やっぱりなと思う。こういう感覚、想いで楽曲に接しな
      ければ人に感銘を与える演奏は生まれないのだと思う。
      ”却って効果的”などとコンクールの勝敗だけに頭を巡らして心
      ないカットを施し、楽曲不在となっているケースはないだろうか。
      繰り返し言うが、もうそんな演奏は聴きたくもないのである。


Photo_3私が「吹奏楽のための神話」を知ったのも全日本吹奏楽コンクールLive盤で聴いた富田中の演奏が最初である。冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じたし、続く前奏部も実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど…。それほどまで強い印象を与える、優れた表現力の演奏だった。富田中は翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田”の名を轟かせることとなる。

今や吹奏楽の邦人オリジナル曲として最も多く演奏される作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも多くの秀演が生まれた「吹奏楽のための神話」は、間違いなく吹奏楽史上に燦然と輝く名曲なのである。

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は前述の通り、”天岩屋戸伝説”を極めて描写的に音楽にした交響詩的作品であり、鑑賞や演奏においては描かれた情景に想いを巡らさねばならない。
全曲の構成としては、Adagio - Allgro molto - Andante - Allegro molto - Andante の5つの部分から成っているとみることができる。

I. Adagio
アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声


Photo_7冒頭の木管群の鋭いフレーズとTimp.の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す-。暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。
Adagio_trb暗闇に蠢くのは神か、物の怪か-。Tromboneのグリッサンドがとても効果的に、その密やかなざわつきを表すのだ。
続いて木管群にミステリアスな旋律が現れ徐々に高揚、
Adagioこれが繰り返されたその頂点で緊張感漲る木管のトリルに導かれ、Muted Trumpetが長鳴鳥の鳴き声を奏する。
Photo_8これに続いて、いよいよアメノウズメの踊りが始まるのである。

II.Allegro molto
アメノウズメの狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑


アメノウズメが踊る情景を現すのは、賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲。各楽器が楽句を応酬し、その音色も含めた”対比”が聴きものである。
Allegro
ここではTimp.やSnare Drum(snare off) はもちろんのこと、BongoやCongaも大活躍。ラテンパーカションは”古代の野性”を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが洵に素晴らしい!
Allegro_2このリズムに乗った土俗的な舞曲の熱狂が、この曲独特の個性を決定づけている。
ますますスケールアップした音楽は締太鼓のリズムと下降するベースラインに導かれて一層生命感とエナジティックさを極め高潮していく。
Allegro_3一旦静まったのちに楽句が重なり合って放射状に高揚し頂点を迎え、重厚なドラの一撃とスネア・オフのドラムに続いて、荘厳なサウンドが響きわたって場面は岩屋戸の中へと転換する。

III. Andante
天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情


不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。
この場面では木管が存分に聴かせる。まずTimp.のソロイスティックな伴奏を従えたFluteのソロ。
Andante_fl_solo_2これに続いてClarinetが重なり合いまさに笙の如き不思議な美しさの世界を見せる。大変印象的な音響である。
Andante続いてClarinetへとソロが移り行く。
Andante_cl_solo_3このAndanteの全編に亘って現れる幻想的な木管のアンサンブルと密やかに蠢く打楽器たちとが映し出す情景の神秘さは、洵に筆舌に尽くし難い。

IV.Allegro molto
再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂、高天原を揺るがす神々の囃し声


Photo_6岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。踊りに熱狂するアメノウズメの衣服がはだけ、遂にはあられもない姿となって更に踊り狂い、神々にどっと笑いが起こり、高天原がその笑いで揺れる情景が描かれるのだ。



エキサイティングな舞曲はオスティナート風に反復される木管群の旋律に、遁走するTrumpetとTromboneのモチーフ、4拍3連のビートを打ち込むベースライン、更に打楽器群のリズムも渾然一体となって、じりじりと昂ぶりを強める。
Zそして、遂にその時がやってきた。頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!

V. Andante
岩屋戸を僅かに開き外を覗くアマテラスを写す鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景


Muted Trumpetに曲頭Adagioの旋律が再び現れ、岩屋戸から洩れ出す光が徐々に強まっていくさまが、高揚していく音楽によって劇的に描かれる。
Trbそしてアマテラスが引き出され、これを待望していた神々の歓声の如く、高らかにTromboneが雄叫びを挙げるのだ!

再びAdagioの旋律が重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円となる
Aa最後は冒頭が逆モーションで再現(Timp.→木管7連符)され、潔くそしてキレのいいエンディングが、遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。

     ※参考画像(アメノウズメの踊り)出典:
      「アマテラス」 舟崎 克彦 著 / 東 逸子 画  (ほるぷ出版)


♪♪♪

この「神話」という曲は魅力に満ちている。前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。
殊に、ともすれば”落ち着き”が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。
また、吹奏楽オリジナル曲としては屈指のTromboneが大活躍する楽曲であり、Tromboneセクションの好演が求められるのは云うまでもない。

多くの演奏を聴いたが、音源としては
Cd朝比奈 隆cond.大阪市音楽団
(1975年録音)
を推したい。ふさわしい”雰囲気”が充満しており、総合的に見てやはりこの委嘱者である大阪市音楽団と、作曲者の盟友であるマエストロ・朝比奈 隆による演奏が、大栗ワールドを最も体現していると私は思うのである。

     【他の所有音源】
       ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
       朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


Lp尚、この1975年録音(左画像:初出のLP盤)では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)
同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。
果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。
カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この”1975年録音版”の演奏をお奨めする次第である。
(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)


(Originally Issued on 2008.5.21./Overall Revised on 2016.8.2.)

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2016年7月24日 (日)

友愛のファンファーレと讃歌

PhotoFanfare and Hymn of Brotherhood
J.ボクック (Jay Bocook 1953- )


   ※本邦には「友愛のファンファーレと聖歌」の訳題で紹介され、現
     在に至るが
、作曲の背景(後述)を勘案すると「聖歌」より「讃歌」
     の方が適切と思われるので、本稿では「友愛のファンファーレと
     讃歌」とした。


ファンファーレを伴った演奏会用オープナーとして出色の出来映えの傑作である。シンプルだが魅力的な旋律、終始安定したサウンド、佇まいの整った構成感の大変スマートな楽曲にして、陳腐さを感じさせぬモダンなムードを持っている。華麗さのみならず爽快さをも兼ね備える曲想は、洵に得難いものである。

Jay_bocook_2作曲者ジェイ・ボクックはアメリカの作編曲家で、マーチングを含めスクールバンドの指導経験も豊富であり、Jenson Publicationsから多くの作品を出版し後に同社の吹奏楽出版部門の責任者も務めた人物である。その作品からは手堅く高い手腕が感じられ、現在もバンド指導者として活躍の傍ら、Hal Leonard社の主筆作編曲者として作品を発表し続けている。

この「友愛のファンファーレと讃歌」は、アメリカ南部の名門リベラル・アーツ・カレッジとして高名なファーマン大学(Furman University)の音楽愛好者団体「ファイ・ミュー・アルファ・シンフォニア友愛会」からの委嘱によって作曲された。ボクックは1982年からの7年間及び2001年から現在に至るまで同大学にてバンド指導者を務めている。本作の作曲年は明記されていないが、ボクックが最初にファーマン大学と関わりを持った1982年が有力であろう。

”友愛=Brotherhood”とは同友愛会の設立趣意にある”brotherhood of musical students”という文言に由来するものと思われる。ボクック自身が同友愛会の全米組織の出身でもあり、その趣意に強い共感を有していたであろうことは想像に難くない。
      ※Furman University HP : Phi Mu Alpha Sinfonia - Gamma Eta

♪♪♪

本作の特徴であり楽曲に大きな魅力を加えているものとして、後半から登場する”Antiphonal Brass”の華麗さ、壮麗さを忘れるわけにはいかない。Trumpet×3&Trombone×2から成るこのバンダの効果は測り知れないのである。

バンダ(Banda)とは管弦楽団や吹奏楽団の”別働隊”を広く指し示すものである。オフ・ステージのTrumpet独奏や、歌劇においてオケピットから離れ舞台上にて”劇の一部”として奏楽する合奏体、或いは例えばO.リードの名作「メキシコの祭り」第1楽章に登場する祭楽隊なども、みな”バンダ”である。しかしながら、やはり何といってもバンダと云えばファンファーレ編成の金管合奏体が真っ先に思い起こされることだろう。

最も有名なものを挙げれば、管弦楽作品では
交響詩「ローマの松」”アッピア街道の松” (O. レスピーギ)
祝典序曲 (D. ショスタコーヴィチ)

Banda_3がいずれもバンダを極めて効果的に使用し、劇的で絢爛豪華、壮麗さに聴衆を酔わせる最終盤を現出している。

吹奏楽曲ではアンティフォナーレ (V. ネリベル)が傑作!
Banda最終盤で金管六重奏(Trp.&Trb. 各3)のバンダが示す鮮烈な音響は「これぞネリベル!」という圧倒的な印象を与え、実に感動的である。

バンダには舞台の”つくり”や、演出によってさまざまな配置がある。楽団本体と正面対峙するよう客席(特に2階客席)に配置する「対立配置型」もよく見られる。ステージ後方/中空のバルコニー席あるいはひな壇最上段に配置する「正面型」、またステージの花道など片方のサイドに配置したり、ステレオ効果を狙って左右サイドに分割配置する「サイド型」など、曲によって会場によって指揮者によって、バリエーションが存在するのである。

■佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラでのバンダ
   ステージ後方/中空のバルコニー席での配置
   祝典序曲 (D. ショスタコーヴィチ)
   2006.12.22.@横浜みなとみらいホール

Banda_sienaバンダの登場は大変インパクトが強く、聴衆を興奮に導く。即ち、バンダは純粋な音楽の観点だけでなく、当然に視覚的アピールや演劇的な要素も狙って使用されるものなのだ。
Banda_siena_2しかしながら、バンダを使用した場合でもやはり音楽的な説得力は充分であってほしいと私は思っている。
特に「対立配置型」はサプライズ感に富み、また上手くいけば音響の立体感や、前後から響きが充満する状況に聴衆を浸すことが大いに期待できる一方で、演奏は難しくリスクも高い。どちらかと云えば”演出”重視の選択と感じられる。
カッコ良い演出が生きるのも良い演奏あってのこと-。海外オーケストラの動画を見ても、バンダにステージ後方/中空やひな壇の最上段の「正面型」配置が多いのは、その観点からすぐれて納得的と思う。

この「友愛のファンファーレと讃歌」は魅力的な内容を持ちながら難度も相応であり、大編成となる合同演奏会などで演奏するにはもってこいの楽曲ではなかろうか。大編成ゆえに可能となる充実したバンダは、きっとこの曲を一層輝かせ大輪の華をそえることであろう。

♪♪♪

「友愛のファンファーレと讃歌」は2つの主要な旋律と、そのモチーフによるファンファーレから成っている。
冒頭Allegro Maestoso(♩=108)はTrumpetとTromboneが高らかに第2主題のモチーフを奏で、これに第1主題のモチーフによるカウンターをHorn(+ A.Sax, A.Cl, Glocken)が奏する華やかなファンファーレ(冒頭画像参照)。華麗さはもちろん備えているが決して硬質でなく、美しく伸びやかでスケールの大きな音楽となっているのがとても素敵である。
これが静まって悠然としたProudly(♩=80)に移り、Hornが第1主題の全貌を提示する。
Photo_2これが木管楽器によって繰り返され、冒頭のファンファーレ再現を挟んでAndante con espressivo(♩=72-80)となり、今度は第2主題が木管アンサンブルに現れる。
2この2つの”讃歌”はとても美しく安寧で、加えて何とも爽やかな印象が心に刻まれるのである。
第2主題がMaestosoで一層朗々と歌われた後には、快活なAllegro(♩=144)の中間部に入る。16ビートで疾駆するスネアに木管高音+Glockenのリズミックな動きが加わったスピード感溢れる伴奏に導かれ、PiccoloとTuba(+ B.Cl, Fagotto)のソリで第1主題が歌いだす。
Allegroこの最高音と最低音の組合せは吹奏楽でしばしば用いられる手法であるが、ユーモラスでありながら心地よいテンションがあって耳が惹きつけられる。本作の聴かせどころの一つである。
Trombone(+ T.Sax)に旋律が移り反復すると転調し、鐘を打ち鳴らすような壮麗なサウンドの伴奏となりバンド全体が眩い輝きを発し、Maestosoとなって高揚していく。

その高揚の彼方、Antiphonal Brass(バンダ)の響きが天から降ってくるのだ。
Antiphonal_brass荘厳な金管の響きが気高く告げるのはクライマックスへの序章-。
Photoそして押し寄せるTriumphantly(♩=92)のクライマックスはまさに誇りに満ちた凱歌そのものだ。
Antiphonal Brassからバンドへと引継がれた第1主題が旗鼓堂々と奏されるのに対峙し、Antiphonal Brassの壮麗な第2主題がクロスオーバーしてここで一体となり、心に迫る感動的な音楽で満たされるのである。

冒頭のファンファーレを再現してコーダへと入り、重厚なサウンドを背景に華々しく鐘が打ち鳴らされ金管群の鮮烈な楽句とともに、最後まで緩むことなく輝きを放ち続けて曲を結ぶ。

♪♪♪

音源は
Lp汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

の演奏(LPレコード)をお奨めする。
明確に設計されメリハリのきいた演奏で、この曲の魅力を存分に発揮している。美爽な印象の好演であるが、残念なことにCD化されていない…!


    【他の所有音源】
      井田 重芳cond. なにわオーケストラル・ウィンズ(Live)
     トーマス・レスリーcond. ネヴァダ大学ラスベガス校ウインドオーケストラ(Live)

     ※現在本作品の出版はJensonからHal Leonaradに移っている。
       Hal Leonardの提供している参考音源はこちら。(上記ネヴァダ大学の演奏) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 2日 (土)

森の贈り物

Yakushima_forest                                        (画像:屋久島の森)
Legacy of the Woods
酒井 格 (Itaru Sakai 1970- )


吹奏楽コンクールの演奏でここまで感動したのはかなり久し振りな気がする。
2014年全日本吹奏楽コンクールでの米田真一cond.玉名女子高校「森の贈り物」。その演奏は、楽曲を尊重し、真摯に向き合い寄り添う想いが感じられる秀演だった。
Photo_2この作品の代名詞ともなっている序盤のCornet(Trumpet)ソロだけでなく、Alto Sax、Flute、Clarinet、Baritone Saxに至るまでどのソロもよい音色で実によく歌う。というよりバンド全体がとにかくよく歌えるのだ。
Photo美しくまろやかなサウンドの魅力はもちろんとして、曲の持つ多彩さを表現する、コントラストを効かせた場面転換も見事であり、しかもそれがある時は移ろうように、またある時は決然と、楽曲にピタリと嵌ったニュアンスを示している。息の長いフレージング、そして”行くときは行く!”の躊躇なく堂々たる強奏と繊細で美しい弱奏とが織り成す幅広いダイナミクスで奏されるので、音楽のスケールが非常にデカい!場面ごとにふさわしい情緒が込められ、細心の注意を払ったフレーズの受渡しで形成する自然な音楽の流れは最後まで途切れることがなかった。
楽曲を大切にし、表現を尽くそうとする想い-それがこの曲のように愛らしい音楽で示されていることに、一層胸が熱くなり思わず涙がこぼれる。

…私はもうこの曲について書かずに居られなくなってしまっていた。

♪♪♪

Photo_2「森の贈り物」(2003年)は心に残る名旋律、名フレーズを数多く吹奏楽界に送り出している酒井 格龍谷大学の委嘱により作曲した作品。
龍谷大学は同年の全日本吹奏楽コンクールにて自由曲として演奏し、見事金賞を射止めている。龍谷大学は通算8回連続でコンクール自由曲に酒井作品を採上げ高い評価を受けているが、この「森の贈り物」はその2曲目にあたる。前述の通り序盤のCornetソロが印象的であり、その好演が大変話題となって人気を得た作品である。

Itarusakaithumbautox281580「日本の南西部、鹿児島県に屋久島という、深い森に覆われた島があります。
1993年にユネスコの世界遺産にも登録されたこの森には、樹齢7200年と云われる縄文杉をはじめ、樹齢1000年を超える巨木が数多くあり、その佇まいは神々しく、神秘的ですらあります。古代から、島に住む人たちに大きな恵みをもたらしてきたこの森も、数十年前には木材需要の高まりにより、数多くの樹木が伐採され、森が失われる危機に見舞われたこともありました。しかし、森の大切さを訴える人たちの、真摯な願いが叶い、現在では緑豊かな森が多くの人たちによって守られています。
目をつぶって耳を澄ませると、鳥の鳴き声、水のせせらぎが聞こえ、私たちが生きるのに必要な美しい空気を作り出してくれる森。
屋久島のような大森林ではなくとも、そんな豊かな恵みを残してきてくれた多くの森が、これからも私たちの手によって守られていくことを願って、この作品を書きました。」 

 (フルスコア所載:作曲者コメントより)

酒井作品の中でも一番ファンシーな要素を持つ作品である。長い年月をかけて森が作り出してくれた恵みに想いを巡らせ、そこから広がったイメージを表現した音楽ということだが、そのイメージの拡がりはとても自由であり、空想的で幻想性に満ちている。
従ってこの「森の贈り物」は”屋久島の自然を描写した音楽”ではないのだが、そうした空想をインスパイアしたのはまぐれもなく屋久島の情景、そして神々しい杉の古木から感じられる生命の力強さと、古代から続く悠久の時の流れであったのだろう。

■屋久島
Yakushimamap2_2本州最南端・鹿児島県佐多岬の南南西約60km海上に位置し、温暖多雨な気候に育まれた豊かな自然の魅力あふれる島。東にあるのは鉄砲伝来とロケットの打ち上げで有名な種子島である。
屋久島は1955年から国立公園指定されていたが、1993年にはユネスコ世界遺産に(法隆寺・姫路城・白神山地とともに)日本で最初に登録され、観光地として更に人気が高まり現在に至っている。
Photo_3もちろん美しい海にも恵まれており、見事な滝などもあって自然の見所満載な島であるが、やはり一番人気の観光は縄文杉、大王杉、翁杉、夫婦杉、ウィルソン株、太古杉などの巨杉群を擁する原生林を登る高塚山(たかつかやま・標高1,396m)トレッキングである。
Photo_2往復8-10時間を要し、急登400mを含む高低差700mを登るこのトレッキングでは巨杉だけでなく実にさまざまな畏敬に値する自然と接することができる。
屋久島の風景の中でも特徴的なのは、宮崎駿監督作品「もののけ姫」の世界をまさに想起させる、緑の光を醸す苔に覆われた木立の情景。洵に神秘的であった。
(冒頭参考画像参照)
観光客はうじゃうじゃいる。人間の手が入っている部分も確かにある。しかし、それがどうした?ってくらい懐深くスケールの大きい、まさに生きた自然がどーんと存在している-その雄大さ、深遠さこそが屋久島の森だったと思う。

     【出典・参考】
       サンシャインツアーHP 「屋久島縄文杉トレッキング」


■縄文杉
Photo_4決して縄文杉だけが名杉ではないと思うが、トレッキングの終着地に御座すその姿にはやはり圧倒的な存在感と神々しいオーラがある。
「樹齢7200年」というキャッチフレーズで有名になったのだが、これはさまざまな調査の結果現在では疑問視されている。それでも4000-5000年の樹齢と云われ、屋久島最大の杉に変わりはない。
私は当時人生最大の体重を抱えていて、縄文杉を目指す真夏の南国での過酷なトレッキングは相当堪えたのだが、漸くたどり着いた末の縄文杉との対面に尋常ならざる感動を覚えた。
奥深い自然のまたその奥所に、畏るべき存在というものは居るんだなぁと妙な納得感があったのである。


※私が屋久島を訪れたのは2008年8月。前日まで屋久島は強い雨に曝されていたとのことだったが、我々家族の在島中は天気に恵まれ、快適に過ごすことができた。
もちろんトレッキングは全ての行程で自然を満喫できたし、雨で増水した大川の滝(おおこのたき)は普段以上(らしい)の壮観であった。また春田浜の美しい海で泳げたこと、海岸の露天風呂(平内海中温泉)の風情、海の幸いっぱいの美味な民宿の料理など、短期間の滞在にもかかわらず素晴らしい想い出になっており、決して忘れることができない。

Photo_4
♪♪♪

「森の贈り物」は序奏部を伴うAndanteに始まり、行進曲風のAllegrettoから緊張感を高めて嵐を表すAllegro con fuocoへと展開し、Allegrettoが変奏されて再現された後、Andanteに戻ってクライマックスを形成しコーダで終う、というアーチ状の構成を俯瞰することができるだろう。全編に亘って酒井 格らしい素敵な旋律が鏤められている。

     ※以下、フルスコアならびに酒井格HP所載の作曲者コメント(” ”)も引用
       しつつ述べる。
 

Photo_5Andante con grazia 3/4拍子、柔らかなClarinetに始まる短い序奏に続いて、優しい鐘の音ともにCornetのソロが流れ出し、「森の贈り物」は始まる。
森の精が優しく語りかけるような”と表現されるこのCornetソロは全曲の生命線。
Cornet_solo柔らかな音色と自在なダイナミクスで、過剰なアゴーギグは排し大きなフレーズの歌を聴かせてほしい。
序奏部の再現に続いてUn poco piu mossoとなって新たな旋律がAlto Saxに現れ、これがFlute、Clarinetと受け継がれていく。
Soloさながらさまざまな精霊たちの歌声が聴こえるさまであろうか。ファンタジックなバックハーモニーによって音楽の雰囲気が移ろうさまも聴きどころである。
続いて序奏部旋律が拡大されて現れた後、温和で優しいBass Clarinetのソロが朗々と歌われる。これこそは、きっと作曲者コメントにある”森の長老の語り”なのだろう。
Bassclarinet_soloClarinet、Flute、Hornのキラキラした細かい楽句の応答の経過句が静まって、Alegretto 4/4拍子の行進曲が始まる。リズミックだがひそやかなスネアに導かれてHarpが鳴り、遠くから愛らしい”森の生き物たちの行進”が近付いてくるのだ。
Photo徐々に姿が大きくなって悠然とした行進となるが、どこかユーモラスで可愛らしい音楽の性格が失われることはない。scherzandoのHornソリとこれに応答するTubaとのおどけた表情には思わず口角が緩むことだろう。
行進は時にのんびりと、時に駈足に-ここからはテンポが速まったり緩んだりしながら、徐々にダイナミクスと緊張感を高めていくが、その移ろいが単純で幼稚だと幻滅である。ここにこそ細心のニュアンスがほしい。

そして高揚した音楽は遂にAllegro con fuocoに到達する-”森を襲う嵐”が吹き荒れる場面だ。
Climax_2際立ってエキサイティングな曲想となり、打楽器も交えた激しい応答は聴く者を紅潮させる。(122小節目の頂点を見透し、大きく音楽を捉えた演奏でなければそれは実現できない。)

静まって行進曲の再現部へ。ここではテクニカルな変奏となりスネアからCornetソロ、Xylophoneと6連符の楽句による流麗な曲想となる。ここでも特にCornetソロは奏者の腕の見せ所であり、同パートが「森の贈り物」の要諦であることは疑いない。
Cornet_6soloやがてHarpの調べとともにふと爽やかな風が吹くようなOboe(+A.Sax、Glocken)のフレーズが歌い出すのだが、その優しさには何とも癒される。ここからアッチェルランドしてAllegro con spiritoとなり放射状に高揚、遂に冒頭旋律が高らかに奏されるAndante maestosoのクライマックスを迎える。
ふくよかな音響に包まれて、まさに”嵐が過ぎ去って、また緑いっぱいの美しい森の景色が広がる”光景が感じられ、清々しい感動で満たされることであろう。

Soli音楽は静まりと高揚とを繰返し、旋律を拡大して奏する雄大で鮮烈なLentoを経ると、あのCornetソロのフレーズを今度はラッパ全員でファンファーレの如く奏してコーダに突入。最後は冒頭のモチーフに続き、全合奏のクレシェンドで豊かなサウンドを響き渡らせ、幸せな余韻とともに全曲を締めくくる。

♪♪♪

音源は既に挙げた全日本吹奏楽コンクールの実況録音をお奨めする。この曲に関してはプロフェッショナルな楽団よりも、玉名女子や龍谷大の楽曲への愛着の想い溢れる演奏の方が私の心を揺らしたと申し上げておきたい。
この「森の贈り物」は至って明快な音楽だけれども、どの演奏を聴いてもそれぞれの表情を持っていることにこの楽曲の奥行を感じる。その後もコンクールで演奏される機会も増えているようで、末永く愛奏されてほしい一曲である。

    【その他の所有音源】
     ノルベール・ノジーcond. オランダ陸軍軍楽隊ヨハン・ヴィレム・フリショー
     米田 真一cond. なにわオーケストラルウインズ (Live)


♪♪♪

演奏者が楽曲に愛着と畏敬を持って尊重し、さまざまな”表現”を込めることで、音楽は聴く者に感動を与える。今回はそのことを改めて深く感じさせられた。そもそも所詮アマチュアならば、演奏する楽曲を愛し尊重する想いがなければその曲を採り上げる意味があるまい。その想いからしかアマチュアに音楽の感動を生み出せる可能性はないからだ。
しかし実際にコンクール等で接する吹奏楽の演奏には、カットにしろ演奏の中身にしろ、楽曲に対する尊重があまりに不足していると感じることが少なくない。

磨いたテクニックやサウンドも、あくまで”表現”を尽くし感動的な音楽を生み出すためのもの。「テクニックがある」「揃ってる」「合っている」を「よい音楽(本当の意味で”うまい”演奏)」と同一視してはいけない。またたとえ演奏参加型の吹奏楽に携わっていたとしても、聴く側に立ったなら、アマチュアの演奏レベル視点から「自分たちと比べて良い」「水準が高い」という感覚に拠って過剰な評価をしてはいけない。本当に感動できたか、忘れられない演奏だったか? -理屈はいらないので率直に自分の心に問うてほしい。

演奏者は真摯にどこまでも音楽を深く掘り下げ、聴く側は音楽の感動こそをシビアに求めなければならないと思う。
「この曲をこのくらい仕上げたら、当然金賞、当然全国でしょ、え?」
「ウチは一人ひとりのレベルから違うから。どう?このサウンド文句ある?」
こんなドヤ顔をちらつかせながら、音楽の内容は幼稚で浅薄な演奏など、もう聴きたくもないのである。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2015年8月 2日 (日)

イーストコーストの風景

SunsetovernewyorkcitydrkEast Coast Pictures 
N.ヘス (Nigel Hess 1953- )
I.Shelter Island  II.The Catskills  III.New York

(冒頭画像:ニューヨークの夕暮れ)

2nigel_hessイギリスの作曲家ナイジェル・ヘスによる1985年の作品である。
ヘスの代表的なキャリアとしてはロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(Royal Shakespeare Company)のホーム・コンポーザーを務めたことが挙げられるが、1875年創設の歴史を有しシェイクスピアの生誕地ストラットフォード・アポン・エイボンを本拠とするこの”世界で最も有名な劇団”のために、彼は20もの作品を書いた。ヘスはまたテレビ番組を中心に映像関連の音楽に多く携わり、手腕を発揮している作曲家としても高名だ。

吹奏楽作品も多く、「グローバル・ヴァリエーション」「スティーブンソンのロケット号」などモダンで多彩、かつ突き抜けたユーモアが個性的な楽曲で知られており、中でも「イーストコーストの風景」はヘスが最初に出版した吹奏楽曲にして代表作として高く評価されている。やはりモダンなサウンドとポピュラー音楽に通じる曲想でノリも良く理屈抜きに楽しいこの曲は、同時に壮大なクライマックスと色彩の豊かさも備え、まさに鮮やかな3枚の絵と云うべき作品となっている。

♪♪♪

「組曲『イーストコーストの風景』は3つのコンパクトな”絵”から成っているが、その着想は私がアメリカ東海岸のごく一部に数度訪れたことがあり、そこから閃いたもの。この地域はその地理や住民が実に極端なのである。」
                                   (ヘスのコメント)


題材は上記コメントにもあるように、ヘスが訪れたアメリカ東海岸に位置するアメリカ最大の都市ニューヨークとそのごく周辺のリゾート地であり、その情景と印象とを3楽章からなる組曲で描写するもの。
Photo各楽章はいずれも高揚感が高くそれぞれに完結したイメージを与えるもので、対比的なセッティングになっていると解されよう。
同じ題材の楽曲として「マンハッタン交響曲」(S.ランセン/吹奏楽)や「ニューヨークのロンドンっ子」(J.パーカー/ブラスアンサンブル)などが挙げられる。いずれもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」の向こうを張って、欧州の作曲家がニューヨークを描写しているわけだが、特に「マンハッタン交響曲」第4楽章”ブロードウェイ”のエネルギッシュでスピード感のある楽想が示す活気と喧噪の情景はヘスの描いたニューヨークと共通しており、それこそがこの大都会の強烈な印象となっているのだと感じられるのは興味深い。

【ニューヨーク (New York)】
Timessquareニューヨークは市街区のみでも8百万人、エリアでは2千万人を超える人口を擁する”人種の坩堝”であり、経済・政治・スポーツ・芸術・エンタテインメントなどあらゆる面に於いてアメリカのみならず世界の中心的な存在である。
Lincolncenter例えば国連本部もこの地に設置されており、またとりわけアメリカの生んだジャズやミュージカルなどのポピュラー芸術においては、まさに総本山と位置付けられるのがニューヨークという街である。

Central_parkこの大都市は、17世紀初めにオランダが入植して建てた「ニューアムステルダム」を起源とするがこれを1664年にイギリスが征服した際に当時のイングランド国王の弟君=ヨーク公に因み「ニューヨーク」と名付けられた。後の独立戦争直後の5年間はアメリカの首都でもあったのである。1825年にエリー運河が整備完成されてからは港湾都市機能を発揮、アメリカ屈指の貿易拠点として弛みなく発展を続け現在の繁栄へと至った。そうした発展の原動力は”移民”であり、”移民社会”ゆえに深まった多様性(diversity)が新たな価値創造を生んだこと-それこそがニューヨークの魅力と評されるところである。
Metropolitan_museumエンパイアステートビルをはじめアール・デコを取り入れた摩天楼のひしめく近代的な都市の風貌に自由の女神を配する景観、世界的な経済の中心地ミッドタウンで中核を成すウォール街、超一流の文化・芸術施設、繁栄する都市ならではの食事やエンタテインメントの豊富さなど、観光的にも随一の魅力を誇る。ベースボールのヤンキースとメッツなど多くのスポーツチームも本拠地をここに構えているし、
Broadwaytheatresignsカーネギーホールや舞台芸術の聖地であるリンカーンセンター、ミュージカルで有名なブロードウェー、メトロポリタン美術館(世界三大美術館)、Eleven Madison Park(世界的に高名なミシュラン三ツ星レストラン)、メガシティのオアシスたるセントラル・パーク、更にタイムズスクウェアにチャイナタウンなど枚挙に暇のない観光名所…これらはみなニューヨークにあるのである。

     ※画像(上より):Times Square、Lincoln Center、Central Park、
                 Metroplitan Museum、Broadway


Photo_2【出典・参考】
「ニューヨーク」 亀井 俊介 著 (岩波新書)
「図説 ニューヨーク都市物語」
 賀川 洋 / 桑子 学 著 (河出書房新社)




【シェルター・アイランド(Shelter Island)】
Photoニューヨークのあるアメリカ最大の島・ロングアイランドの東端に挟まれるように位置する30km2ほど(世界遺産で有名な広島の厳島と同じくらい)の島であり、マンハッタンからは車で2時間+フェリーで5分の距離にある。
Shelter_island_sunset_beachニューヨーカーにとっては日帰りも可能で気軽なリゾート地であり、夏期には大変賑わう。セレブの別荘やプライベートビーチも多いが、普通の人が普通に泳ぎに行きリラックスできる綺麗な海とSailboats2ビーチがあり、夏の穏やかな海でヨットやボート、カヤックや釣りなども楽しまれている。古くから富裕層の避暑地であったため、ニューマネーによる開発を逃れたことも特筆すべきである。
Kayak_2このため古き良き佇まいの建物が多く残り、また手つかずの自然-深い緑にも包まれたその景色はどこも美しいと評される。
更にオイスターやソフトシェルクラブなど美味なシーフードに恵まれ、また海を挟んですぐ北側にあるグリーンポートはワイナリーが集まっているエリアであるため、多彩なローカルワインも楽しめるとのこと。

「ニューヨークの都会の喧騒を離れて過ごす時間は貴重で、とてもリラックスできます。」との評価は多く、人気も頷けるものである。

        ※音楽関連では、世界的なヴァイオリニスト、イツァーク・パール
            マンが
主宰する後進教育プロフラムの開催拠点となっており、
            1994年以来毎夏12~18才の若き音楽学生がここシェルター・
      アイランドで7週間に亘るミュージックキャンプに参加している。

   
 【出典・参考】
     
Town of Shelter Island HP   The Perlman Music Program HP
           尚、リゾート地としてのShelter Island については多くの在NY邦人の方々の
     SNS、並びに旅行サイトの評価から情報を収集した
 
 
【キャッツキル山地(The Catskills)】
Catskills_4ニューヨーク市街から200kmほど北上したハドソン河の西側に位置する広大なキャッツキルパークの中心を成す山地である。
Ihoverlook0415_3キャッツキルパークは約3万km2に及ぶ自然保護区であり、ニューヨーク市の水源地として厳しい規制によりその美しい水と環境とが200年に亘り守られているという。
ニューヨーカーの感覚としては東京に於ける奥多摩や秩父に近いとも云われる。

    ※尚、killという言葉がその名についているが、これは”小川”
      ”水路”などを表すオランダ古語に由来するもので、水辺に
       近いところを表し物騒な意味はないとのことだ。実際、前述
      のようにオランダの入植が先行したこのニューヨーク周辺
      には-killという地名が多いのである。
      (Webster米語辞典に記述あり)


Bastion_falls_21960年代後半までは避暑地としての開拓も進み、富裕層の別荘や大規模なホテルなども多かったが、自動車と高速道路の発達によりニューヨーク市街から完全な日帰り圏内となったことで、避暑施設は不要となり現在では残っていない。しかし現在でも冬はスキー、夏はフライフィッシングや川下り、ハイキングにキャンプなどが楽しめる手近なリゾートとして親しまれている。
美しく聳えるキャッツキル山地に加え、山間各所に見られる沢から流れ落ちる滝はまさに一瞬息を呑むほどの美しさと評されており、秋の紅葉も見事である。こうした景観の素晴らしさに人気は高い。

    【出典・参考】
     キャッツキル オフィシャル・ガイド
     緑のgoo :
vol.8
     「アートとエデュケーションとアグリカルチャー、ロハスが息づくキャッツキル」
     

♪♪♪

前述の通り、いずれも情景描写的な3つの楽章で構成される組曲である。ヘスのコメント(「 」)も引きながら内容を見ていこう。

I. シェルター・アイランド
Shelter_island_winter_2「シェルター・アイランドはロング・アイランドの果てといったところに位置する小さな島で、ニューヨーク市街からはクルマで2-3時間だ。夏にはシェルター・アイランドに惹きつけられた旅行者でごったがえすのだが、冬には見事に人気(ひとけ)が無い。
この季節、荒れ狂う大西洋の襲撃に敢然と対峙するこの島は、海霧と横殴りの雨に覆われている。この曲の情景は、シェルター・アイランドで過ごす冬の週末の良き想い出である。」




既に述べたように、シェルター・アイランドはニューヨーク郊外の”夏の”リゾート地として人気である。だが、ヘスは実体験から”冬の”シェルター・アイランドを描いた。
(上画像:冬のシェルター・アイランドの情景)

Bright(♩=138)、12/8拍子
の冒頭は、やはり冷たい雨を乗せた風を表すFluteの素早い3連符のフレーズに始まる。
Shelter_island4拍3連のビートでブレイクすると、主要主題のモチーフがHorn、続いてこれにEnglishhornが加わって提示される。そしてこの伸びやかで暖かな旋律は朗々たるTrp.によって全容を表すのである。
Shelter_island_2第1楽章を通じ、海霧と横殴りの雨を表す木管の細かなフレーズに金管群の吹き下ろす大きな冷気が加わって表現される”情景”が、それとはうらはらに暖かく幸せに満ちた”心象”を示すこの主要旋律に絡みつつ描かれていく。

  現地アメリカの旅行サイトを見てみると、彼氏から冬のシェルター・
  アイランドで週末を過ごそう、と誘われ戸惑う女性の投稿があった。
  夏はリゾートとして賑わうのを知っているけど、冬には一体何をし
  に行くの???とややふくれっ面ですらある。
     これに対して「彼氏はただあなたと穏やかでロマンティックな週末
  を過ごしたいんじゃない?冬のシェルター・アイランドは本当に安寧
    で、ニューヨーク市街から行くなら素晴らしい気分転換になるわよ。」
  などのアドバイスが寄せられたこともあり、結局彼女は彼に従って
  出掛けた様子である。
  結果、この彼女は冬のシェルター・アイランドに大満足したと報告し
  ている。美しい風景、こじんまりとはしているが素敵な宿、シーズン
  オフであっても頻繁に行き来するフェリーで対岸へ渡ってのワイナ
  リー巡り -どこへ行っても混んでなくて、恋人二人いい時間が過
  ごせたようだ。一番美味しかったお店はシェルター・アイランドにあ
  る”The Vine Cafe”で、ここが一番混んでいたと。冬のシェルター・
  アイランドは静かだがとても素晴らしく、同じニューヨーク州で過ご
  したとは思えない”a great weekend”だったと結んでいる。
  他のコメントを見ても、冬のシェルター・アイランドがニューヨーカー
  にトップシーズンとはまた違った素晴らしい”癒し”を与えてくれるこ
  とは間違いないようだ。
Mash_3    この曲を”a fond memory”であると解説している作曲者ヘスの心に
  も、きっと
冬のシェルター・アイランドで過ごしたロマンティックで素
  敵な想い出が刻まれているのだろう。


これらが多様な楽器のとりどりの音色とダイナミクスの起伏に次々と移りゆき豊かな音楽となる。中でも、少しばかり顔を出した最終楽章「ニューヨーク」のモチーフを挟み、2度奏される抒情的なOboe+Englishhornのソリが殊のほか美しい。
Shelter_island_w_reedそして、徐々に雄大さを増しやがてあの美しい旋律が力強く高らかに奏され、Trp.のハイトーンとともに劇的なクライマックスへと到達するのである。力を込めて奏されるほどに、この旋律の素晴らしさ、豊かさが胸に迫ることだろう。
ほどなく鎮まるや再び風のフレーズが現れ、ファゴットのSoliに導かれたファンタジックな音風景に見送られて静かに曲は閉じる。

II.キャッツキルズ
1400woodstockcatskillswg_web_4「ニューヨーク州北部に鎮座するキャッツキル山地-そこでは静穏と力強さ、そして安寧と荘厳さとが絶妙に融合している。一度目にしたならば、その魅力に何度も何度も呼び戻され、再び訪れたくなってしまうのだ。」


The_catskillsSteady4(4/4拍子 ♩=72)と標され、Trb.を中心とした静謐で落着きのあるコラールにより厳かに開始され、やがてOboeのロマンティックな歌が聴こえてくる。この序奏部に続いて甘美極まるリリックなソロをコルネットが歌い出す。
The_catskills_cornet_soloトランペットとコルネットで実際に音質の差はないと云われるが、このソロこそは英国式ブラスバンドの擁するあの”コルネット”のまろやかな音色(ねいろ)こそがイメージされて已まない。ここでは伴奏のオルガンの如き厳かでファンタジックなサウンドも魅力的である。
続いて旋律がトロンボーンに移り、これをバックに木管群が美しくまた自在に歌う。コルネットのソロに戻って主題が変奏され高揚するが、クライマックスの手前で引き返し、鎮まって冒頭が呼び返されるのが心憎い。
再びコルネットのソロから始まる音楽の流れは一層雄大なものへと発展していく。気高い自然の威容を讃える堂々たるクライマックスとなり、スケールの大きなサウンドで締めくくられる。

III.ニューヨーク
Lowermanhattan「ニューヨーク…より厳密に云えばマンハッタンの情景だ。この奇矯で素敵な都市に慣れ親しんだ人にとっては、この曲が描いた情景に説明は要らない。まだニューヨークの虜になっていない方々には、ニューヨークを訪ねた折に目のあたりにするであろうものを、この曲でささやかながら味見してもらおうというわけさ!」


New_yorkマンハッタンとはウォール街に5番街、タイムズスクエアやブロードウェイに名だたるホールや美術館などを擁し、まさにニューヨークの中心たる或いはニューヨークそのものを指し示す地区である。前述のように政治も経済もスポーツも芸術も、最先端からアングラに至る文化や風俗も、それら全てが集約した街は良くも悪くもエネルギッシュさに満ち、魅力が満載だ。
当然そこには騒動や犯罪も起こるわけだが、それらが全部ごった煮になって噴きこぼれているさまが、スピード感溢れる音楽で表現されている。

冒頭(Bright4 4/4拍子 ♩=168)のモチーフ提示からして生命感に満ち溢れ、そのスピードと鮮烈さに惹きつけられる。ここで”立った”サウンドの低音のカウンターがドンピシャのタイミングで決まったら、それだけで鳥肌立つこと請合いだ。
主部に入ると元気なTom toms のお囃子に乗って第1主題が奏される。
New_york_2活気と浮き立つ感覚がとても愉しい音楽だ。途中7/8の変拍子による変奏を挟むが、ここではJaw Bone(Quijada キハーダ)やString Bassの音色と機能が効果的に使用され楽曲に魅力を加えているのも見逃せないし、かと思うと続くMuted Trp.(+Piccolo)の奏する経過句のバックにはクラベスやマラカスが躍るなど、まさに多様な文化の坩堝であるニューヨークを体現した曲想である。
更に金管楽器のgrowl奏法を絡めたり、ダイナミクスと各楽器を目まぐるしく入れ替え決して飽きさせることのないままエナジティックに高揚させていく。

Playingthequijada※Quijada キハーダ (正式名称 Quijada de Burro)
その名の通りロバや馬の顎を乾燥させて作られるラテンパーカッション。「歯の部分を撥で擦る」「顎の骨本体を手で打って震わせる」の組合せで演奏する。”カーッ””カラララララ”などと表現される個性の強い音が出る。入手できない場合はヴィブラ・スラップで代用されるのが一般的である。実際の演奏の様子はこちら


この高揚の頂点を越えて、すぅっと視界が開け美爽な第2主題がHorn(+Euph.)に現れる。
New_york_3この最終楽章ではずっとHornとEuph.が主題を奏していたのに、転調を絡めまたガラリと変わった感じを示すのが凄い!

    ※クッキリと姿を現わし、堂々と主役を務めるここのHornだが”ベルアップ”とい
       う感じでもない。あれこれ考えたが指示するなら”満面の笑みで!”といった
      ところか。


第2主題は木管へと移り、再び転調しさらに伸びやかで流麗なTrp.のフレーズになる。シンコペーションの賑やかな伴奏を従えて歌い上げると第1主題が戻ってきて、けたたましくホイッスルが鳴るや主題のモチーフの応答から6/8拍子の強いビートで鳴動するクライマックスを迎える。
このエキサイティングな曲想はG.P.で一転、Steady4となりFlute、次にダブルリード楽器のSoliが穏やかに第1主題のモチーフを奏でるのだ。
New_york_siren_2続いて描かれるのはニューヨークの黄昏時だろうか。(冒頭画像参照)想い出に浸り、思い切りセンチな気分になっていると- それをつんざくパトカーのサイレン!

Nypd_police_car…やれやれ、この街の騒々しさは旅人を感傷に浸らせてもくれない。
コーダ(Tempo primo)に突入し第1主題が一段とスピードを増して駆け出すや、まさにエネルギーの塊となって捲りに捲り(Presto)、一気呵成の鮮やかさで全曲を締めくくる。

    ※この”サイレン”の「けたたましさ」は極めて重要。音楽的に(演奏的に)最も
      コントロールしやすく表現しやすいのは「サイレン・ホイッスル」(下左)だと
      思うが、臨場感のある演出にはぜひ「サイレンそのもの」を使いたいところ。
      手動サイレンも演奏用(?)だと直ちに音をストップするスイッチが装備され
      ている(下中)とのことだが、音の出だしは?
      全くの電子サイレン(メガホン型/下右)では如何にも味気ないし…思案の
      しどころである。

Sirens_2♪♪♪

「イーストコーストの風景」は捉えやすい楽曲である。しかしながら各部分部分を対比させるべく、それぞれを”らしく”演奏する=演じ切ることが求められる楽曲でもある。譜面を無難に音にしただけではこの曲の魅力は発揮しきれないだろう。こういう曲こそイメージを豊かに膨らませ、それを表現したメリハリの効いた演奏が求められるのだ。
逆に云えば、素敵な旋律を持ちさまざまな”仕掛け”がなされているこの曲は、そうした表現ができたなら、この上なく愉しい音楽になる。
例えば”ニューヨーク”の最後、アッチェルランドを経て突入したPrestoの最終5小節で打楽器群が「楽譜に正確に」とばかりにマーチの如きフィーリングで演奏してしまうとエラく幼稚な音楽に聴こえてしまう。
Ending_percここはあたかも和太鼓の乱打ちに近いニュアンスで一気呵成さを表現することが求められよう。書いてある音符を追うのではなく、「どういう音楽にしたいか」を考えて楽譜を読み解くことこそが肝要なのである。

叙上の観点から、音源は下記の作曲者自作自演盤をお奨めする。
Cdナイジェル・ヘスcond.
ロンドン・シンフォニックウインド
オーケストラ

”完璧”とまではいかないが、さすがにこの曲の魅力を存分に語った名演。各ソロも名手の優れた音色と豊潤な”歌”で聴かせてくれる。テンポ設定・間の取り方・ダイナミクス設計も見事で、実にイメージ豊かな音楽となっている。
”ニューヨーク”に登場するサイレンにはサイレン・ホイッスルを使用し、音楽的なコントロールと表現を優先。全編に亘りこうした小物の”演技”も大変素晴らしい。

     【その他の所有音源】
       加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
       石津谷 治法cond. なにわオーケストラルウインズ(Live)


♪♪♪

本稿の執筆に際してあたった文献や資料、写真の多くに、あの「世界貿易センタービル」の姿があった。1985年に作曲されたこの「イーストコーストの風景」が音で表現するニューヨークの情景にも、もちろんあのモダンな摩天楼が描かれていたはずなのだ。
ご存知の通り、大都会ニューヨークを象徴していた「世界貿易センタービル」は、2001.9.11.のテロによって2,700人を超える尊い人命とともに消滅した。あの悲劇は、世界中の誰もが決して忘れることのできないものだ。

教条めいたことは言いたくないが、音楽が楽しめるのも平和であればこそ-ニューヨークを題材にした実に愉しいこの曲と接する時も、どこかで必ずそのことには想いをめぐらせねばならないであろう。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2015年5月14日 (木)

シンフォニックバンドのための序曲 兼田 敏

Photo_2Overture
for Symphonic Band
兼田 敏  
(Bin Kaneda
1935-2002)

私にとって京都勤務の日々は洵に良き想い出である。そしてとりわけ、その最終日に招かれた宴席は忘れ得ぬものだ。

幕開けは、本格的な会食の前に夕暮れの嵐山/保津川へ小舟を浮かべ軽くお酒をいただくという趣向であった。紅葉の季節にあって、全く以って京都らしい風情の遊びである。黄昏ゆく舟上の風景の中、芸妓さんが和笛を奏でてくれた。けして達人という域のものではなかったが、素敵だった。こうした宴席にごく自然に歌舞音曲が取り入れられている京都文化の深さには感じ入るほかない。
と、ほどなく曲がりなりにも楽器ができるということから「お前なら音が出るんじゃないか。吹いてみろ。」と周りから声がかかり、和笛を拝借して吹いては見たが…当然僅かに音がするばかり(お粗末)。

そんな私だが、自在に吹けたらこの状況で何を吹くかなぁと考えた頭に真っ先に浮かんだのは -この「シンフォニックバンドのための序曲」冒頭のオーボエ・ソロの旋律だった。

    ※夕暮れ前から日付が変わっても続いたこの宴席は、嵐山の高名な料亭に始ま
       って祇園の品格あるクラブに場所を移し、さらに高台寺へと足を延ばすという
      まさに京都流の宴を堪能するもの。ましてやこの日は、予て懇意にしていただ
      いている相手方との宴席であり極めて愉しいものであった。
       京都での宴席は(常にそうであるが)、情趣に溢れた歌舞はもちろん、芸妓さん
       ・舞妓さん方の姿や所作・会話からも普段接することのない雅な文化が伝わっ
      てくるのであって、超一流の京料理をいただきつつ杯を重ねる、という愉しみの
      みにとどまることのない「異空間体験」。
      この日が私にとって京都勤務最後の夜であることを知った彼女たちは、料理
       にあしらわれた紅葉の柿の葉に箸袋を貼り付けて寄書きを即座に作り、私に
       贈ってくれた。本当に一介の若輩に過ぎない私にまでこうした心配りがあるの
      は、芸妓さん・舞妓さん方が文字通り「一期一会」の精神に貫かれている証で
      あろう。(自分が「一介の若輩」であることを常に自覚の上で彼女たちと接して
       きた私への褒美であったのかも知れぬ。)

♪♪♪

Photo_2「パッサカリア」「哀歌」「交響的瞬間」「シンフォニック・ヴァリエイション」「日本民謡組曲」「交響的音頭」「バラード」…数多くの名作を遺した吹奏楽界の巨匠・兼田 敏の初期の大傑作。近時演奏機会が少なくなっているが、本邦吹奏楽に燦然と輝くレパートリーであることは疑いない。
1970年にヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により作曲、同団は翌1971年の全日本吹奏楽コンクールで本作を採上げ見事金賞を受賞した。これを出版したのは米国Ludwig社(現 Ludwig Masters Publications)である。当時の同社社長が初演を聴いて気に入り、すぐさま出版をオファーしたエピソードは有名だが、Ludwig社は他にも兼田作品を出版している。既に当時から、兼田 敏の楽曲は先駆けて洋の東西を超えた高い評価を得ていたのだ。

「この序曲は2つの断章から成る-即ちAndanteとAllegroである。Allegroの主題は四国にある村の秋祭りから着想されたもの。作曲者は幼少の頃、海に恵まれたこの四国の地で、2年ほどを過ごしている。」
                    (フルスコア所載のプログラム・ノートより)

特に日本的素材は用いていないにもかかわらず日本的な抒情が随所に感じられるAndanteと、それに続く活気に満ちたAllegroが繰り返される構成(緩-急-緩-急-コーダ)の楽曲である。
律動感に心躍らされるAllegroを含めて、打楽器の使用がTimpani、Sus.Cym.、Glockenのみであることには驚かされる。敢えてこれだけ打楽器を限定した上で、リズムの特徴やダイナミクスの変化を現出したところに作曲者の手腕の高さが感じられるし、またそれ故に一見地味とも思えるこの曲が個性的で、聴く者を惹きつけて已まないものになっていると感じられるのだ。

♪♪♪

3/4拍子 Andante Cantabile(♩=66)の情感のこもった導入部に始まる。ふくよかなバックハーモニーからクラリネットの歌で序奏が始まり、これに素朴なCup MutedのTrb.と清冽なGlockenの煌めきとが呼応する。澄み切った清流と鹿威しの情景がイメージされるのではあるまいか。(冒頭画像)
この序奏を従え、オーボエが歌いだす。
Oboe_solo何と日本的な美意識に満ちた、そして抒情溢れる旋律であろうか。まさに和装美人を彷彿とさせる名旋律である。この情緒と上品な美しさが紅葉に満ちた京都の黄昏の雰囲気に相応しい-私はそう感じたのだ。

途中Poco piu mosso 9/8拍子の“祭りのざわめき”(©秋山 紀夫)のような部分が現れて心を戦ぎ、一層情緒を深める。ここではGlockenの落ち着いた煌めきが効果的であり、またFagottoをはじめ各楽器の音色を巧みに組み合わせて魅力を掘下げている。
89ほどなく透明感のある木管アンサンブルで落ち着きを取戻し、序奏が呼び返されるのだが、ここで加えられたオブリガートがまた抒情を極める心憎さなのである。
Photo2/2拍子に転じ、Trp.+Trb.がファンファーレ風の旋律を伸びやかに奏してブリッジ.に入る。
Trp徐々にダイナミクスを上げ、シンコペーションのリズムを効かせてアッチェレランドした緊張感の頂点はG.P.!本楽曲ではたびたびこうした”間”を効果的に使用し、日本的な美意識を発揮しているのも見逃せない。

続くAllegro con brioでは、まずブリッジで提示された旋律が快活に奏され、次に変拍子的な第2の旋律が現れるが、ここではクラリネットの音色が魅力を放っている。
Allegroいずれも民謡風のこの2つの旋律が掛け合いながら進行するのだが、まさに”祭り”の活気が充満していることが感じられよう。旋律のバックで中低音が打込むビート(決して画一的でなく、微妙な変化を内包する)とコードも絶妙である。
Allegro_trbこの特徴的な打込みのリズムと、保続音的に刻まれる4分音符の緊迫感とをバックで入れ替えながら、スピード感のある音楽を展開していき、遂には舞うようにダイナミックなシンコペーションで高揚し鳴動するのだ。その息をつかせぬ見事さに感じ入ってしまう。

熱狂を一旦醒まして3/2拍子のブリッジとなり、金管中低音の柔らかな響きに導かれたAndante Cantabileの再現を経てAllegro con brioの快活な音楽に戻り、祭りの熱狂はいよいよクライマックスに向っていく。
再現されたAndanteでは玲瓏なFluteで歌い出される。これを初めとして、続くAllegroを含め単に同じことを繰返すのではなく、オーケストレーションを入れ替え楽曲全体の色彩を一層豊かなものとしているのがまた凄い!

最終盤ではクライマックスを予感させる中低音とTimp.の打込みを配する周到さだし、
Timp_hornそのクライマックスでは旋律をHornが奏し、その音色が効いて音楽のテンションを更に嵩ぶらせるのである。
そして豪快なバンドサウンドが鳴り響いて一瞬のG.P.を経るやAllegroのファンファーレ風旋律が拡大され堂々と奏されるコーダに突入、最後は全合奏による浮き上がるようなGsus4のモダンな響きに、和太鼓風のTimp.連打が轟いて鮮烈に締めくくられる。

♪♪♪

音源としては以下をお奨めしたい。
Photo_3汐澤安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

この演奏では、9/8拍子の“祭りのざわめき”の雰囲気が見事に表現されている。単にテンポが上がるということだけでない「ニュアンス」の表現は他の録音には見られないものである。一方でAllegroは速めのテンポによりダイナミックに演奏、楽曲の有する2つの要素の対比を明快に描いた好演。
(LP音源/残念ながらCD化はされていない)

Cd_corporonユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー

楽曲の内容を指揮者/奏者が理解・共感していることが感じられる好演。日本固有のものを使用せずに日本的情緒を表現しようとしたこの作品が、アメリカのバンドによってこれほどまでに現出されたことに感動した。明確・極端な対比より移ろう感じにウエイトがあるように感じられるのは、彼らなりの日本的情緒の解釈か。

     【その他の所有音源】
       山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団浜松
       木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
       Ludwig Masters社デモ音源(演奏者不詳)

♪♪♪

また別のエピソードがある。

この曲をコンクールの自由曲に選んだある大学、残念なことにこのバンドにはオーボエがなかった。しかしサックスの名手がいる!ソプラノ・サックスにソロを置き換えて演奏に臨んだ。僅かに及ばず全国大会出場はならなかったが見事支部大会金賞受賞、審査員の講評には
「この曲には、オーボエよりもソプラノ・サックスの音色が合いますね。」 (!)とあったそうだ。

作曲者は考え抜いて作品を生み出す。オーボエの音色に歌わせるのが相応しいとの意図だ。しかし恵まれない状況というのはある。代替で演奏せざるを得ない状況において一心に演奏し、かかる評価をしてもらえるなら、プレイヤー冥利に尽きるではないか!
演奏者たるもの、常にそうした気概で臨みたいものだ。

(Originally Issued on 2006.6.10./Overall Revised on 2015.5.14.)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年5月12日 (火)

聖歌と祭り

PhotoChant and Jubilo
W.F.マクベス (William Francis McBeth 1933-2012)

私も大好きな人気音楽コミック「BLUE GIANT」(石塚 真一)を読むと、主人公のテナーサックス奏者・宮本 大にしろ、後にドラムを始め共に活動するようになる高校の同級生・玉田にしろ、”初めてのライヴ”というものが彼らにとって極めて重要なものとして設定されている。
Blue_giantその”初めてのライヴ”は、二人それぞれに痛恨の蹉跌を与える舞台として描かれているのだが、これを乗り越える姿-それ以前に乗り越える決意を固めるさまが丹念に描かれていて、読む者の心を震わせる。

希望や期待が”不安”に勝ったからこそ臨んだはずの”初めてのライヴ”は、自身も想像し得ないほど、予想し得ないほど彼らを傷つけてしまった。愉しいドライブが一瞬にして事故の大惨事に変わるように、その反動の大きさが一層深く心を傷つけるのだ。それぞれにまた新たな歩みを始めようとする二人は、それを成し遂げ得るのは自分自身だけであること、傷を癒すためには楽器に(音楽に)対峙していくしかないことを悟り、再び挑戦していくのである。-そこに人間の真実の姿があるから、このコミックは感動を与えるのだろう。つくづく”音楽で受けた傷は音楽でしか癒せない”のだ。

はて、私にとっての”初めてのライヴは何だっただろう?
と思い返してみると、それは昭和52年(1977年)8月6日、大分文化会館大ホールにて開催された大分県吹奏楽コンクールのステージだった。
それまでの人生では音楽というものにほぼ興味がなく、4ケ月前に初めてTromboneを手にした中学1年生の私。そんな私が迎えた”初めてのライヴ”はいきなりコンクールの本番だったわけだ。入部してから一度たりとも行事などで”演奏”したことはない。(当時の”田舎”はそんなものだった。)
というより、それまで私は聴衆を意識したシチュエーションで音楽を演奏したこと自体がなかった。

その”初めてのライヴ”で演奏した曲こそは-課題曲そして自由曲の「聖歌と祭り」だったのである。

♪♪♪

Wmfrancismcbeth200「聖歌と祭り」1962年1月初演、おそらく前年に完成していたと推定される。フランシス・マクベスの作品の中でも、ごく初期の作品かつ、最も広く演奏された楽曲である。題名通り明確に性格の異なる2つの部分-厳かで敬虔な「聖歌」=Chantと、華やかでダイナミックな「祭り」=Jubiloから成っている。Jubiloも”キリスト教に於ける歓喜・歓声”を示す意味あいの濃い言葉であり、楽曲自体が宗教的なものからインスピレーションを得たものだろう。

Greogorian_chant若い世代ならサッカーの応援歌を思い浮かべるかもしれないが、あれは本来の意味になぞらえた洒落であり、Chant(チャント)とは教会で歌唱される聖歌を指している。そして何といってもグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)がその代表的なものである。

グレゴリオ聖歌とは、カトリック教会の典礼聖歌として中世以来継承されているもので、ローマ教皇グレゴリウスI世に因んで7-8世紀頃からグレゴリオ聖歌と呼ばれるようになったという。
古風な単旋律音楽にして、その旋律は明るく開かれた全音階的旋法性の上に繰り広げられ、そのリズムは拍子や小節の枠から全く自由なしなやかさを持つとされる。気品に満ちたこの聖歌はローマカトリック教会の典礼の格調高さに資しており、単声の音楽形式が到達しえた人類最高の偉業と呼ばれるにふさわしいものとも讃えられている。

  雄大な建築は、典礼を荘厳に挙行するための重要な役割を持って
  いる。高貴な彫刻や絵画は、我々に働きかけて祈りの心を高める。
  しかしそれらがいかに偉大であっても、典礼に直接的に参加する
  ことはできない。ただ1つ、音楽芸術のみ、それに参与しうる可能性
  を有する。そのための公式の音楽、それがグレゴリオ聖歌である。
                     -「グレゴリオ聖歌」(水嶋 良雄)より                                                        


グレゴリオ聖歌は、後世=特に中世及びルネサンス期の音楽に大きな影響を与え、また幻想交響曲(ベルリオーズ)第5楽章”ワルプルギスの夜の夢” や交響詩「ローマの松」(レスピーギ)の”カタコンベの松”をはじめとして名曲にたびたび引用もされている。更にそれに止まることなく、まさに現在に至るまであらゆるジャンルの音楽に影響を与え続けているのである。

Photo_2【出典・参考】
 「新音楽辞典」 執筆者:水嶋 良雄 (音楽之友社)
 「グレゴリオ聖歌」 水嶋 良雄 (音楽之友社)


♪♪♪


「聖歌と祭り」の冒頭に現れる「聖歌」の旋律は、9世紀のギリシャ聖歌が元になっているとのことである。作曲者マクベスは「冒頭の聖歌には決してヴィブラートをかけてはならない。バリトン(ユーフォニアム)が真っ直ぐな音で奏することは殊のほか重要である。」との指示を残している。素朴な美しさのある旋律であり、それをごくシンプルに提示して曲は開始される。(冒頭画像)

この聖歌が変奏されてFluteに移るが、幻想的なClarinetの和音と打楽器(グロッケン・トライアングル・サスペンションシンバル)の伴奏が印象的。ここでの打楽器の使い方には”ただのバックグラウンドではない”とコメントしているように、マクベスのこだわりが現れている。
Flほどなく低音と打楽器が寄せては返す波のようなリズムを加え、楽器が増えて徐々に高揚し遂に全合奏で聖歌が奏でられる。
ここでは木管楽器が息の長いスラーで奏する一方、金管楽器はアクセントの付された音符で逞しく、朗々と奏する構造となっている。
Photoこの2つを混然とさせるのがマクベスの意図であり、カウンターのリズムを奏する打楽器とともに大変印象的で、前半部にスケールの大きなクライマックスを創りだしている。

穏やかに鎮まった”聖歌”はTrb.ソリで締めくくられる。そしてppから幅広くクレシェンドしてくるサスペンション・シンバルに導かれ、その頂点に続きTrumpetのファンファーレが現れて”祭り”の開幕だ。華麗なTrumpetの音色とフレーズに、打楽器群の毅然としたカウンターが絶妙に映えている。
Photo_2鮮烈なTrumpetのコードが鳴り響くや、中低音の重厚なカウンターと木管高音の祝祭感に満ちた付点のリズムがこれに呼応し、それら全てが一体となって濃密なサウンドの音楽となる。繰返す低音と打楽器のフレーズは徐々に遠くなって静まって緩やかな楽想に移り、Fluteの清冽な旋律へと繋がりゆく。
少しずつ律動感を高めつつも落着きのある楽想で進行し、高音に低音が谺するその響きを更に豊かにしていくが、やがて煽情的にテンポを上げて(♩=112 → ♩=120)高揚し鮮烈なTrumpetのフレーズで緊迫のG.P.へ!最終盤のエネルギッシュなAllegro(♩=144)へと突入する。

16ビートの如くスピードと緊迫を醸す伴奏の上で、雄大な旋律がハーモナイズを濃くしつつまたダイナミクスを拡大しながら全曲のクライマックスへと向かう。Trb.の旋律に対峙し咆哮するHornのカウンターも聴き逃せない。
そしてマクベス得意の高音対低音によるアンティフォナルなクライマックスへと到達するが、遂にはそれも一体に転じて全合奏が荒ぶり、情念を爆発させるのである。(マクベスはテンポを緩めることなくG.P.へ突入せよ、と指示している。)
Photo再び劇的なG.P.が現れ、これを経てMaestoso(♩=84)で厳かな低音のサウンドが響き渡る。続いて運命的な打楽器のリズムとふくよかな中低音のコードに乗り、Trp.をはじめとする高音楽器が高らかに凱歌を奏するコーダとなるが、これこそは全曲最大の聴きどころである。
Photo_2ハーモナイズされた旋律の壮麗さだけでなく、印象的なリズム・伴奏全てが渾然となった感動的な音楽はsfzpからの息長いクレシェンドに集約し、fffの圧倒的なサウンドで締めくくられる。

    ※譜例は”2nd edition”を使用。これは1997年、マクベスがサザン音楽出版から
      最初の作品(第2組曲)を世に送り出してから35年目の節目であることを記念
      して改訂出版されたものとのこと。現在私にはコンデンススコアの1ページ目
      しか初版との比較ができないが、サスペンションシンバルの撥指定が変更に
      なっているのが読み取れる。全般に練られた演奏上の指定が細かく反映され
      るなど明確になり、改善が施されているようである。ただ、スコアに使用されて
      いるフォントだけは、初版の方が曲想に合致した風情があるように思う。^^)
      尚、本稿中の楽曲に関する情報はマクベスのコメントを含め、”2nd edition”
      フルスコア所載の解説に基いている。

♪♪♪

テクニック的にほぼ無理のない楽曲ながら、随所にマクベスの美点が散りばめられ、どの楽器にも印象的なフレーズが用意された洵に”カッコイイ”名曲である。
音源は以下をお奨めしたい。
Cd汐澤 安彦(飯吉 靖彦)cond.
フィルハーモニア・ウインドアンサンブル

「聖歌と祭り」の録音と云えばこの演奏、という定番。改めて聴き比べてみると明確な演奏コンセプトがあり、しかもそれが終始徹底されている好演であることがよく判る。本作の劇的性を最も表現した演奏である。

Cd_2ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー

非常に現代的な演奏で、アーティキュレーションもくっきり。指揮者の求めた明晰さは「祭り」冒頭のTrp.によるファンファーレの好演に端的に表れている。

Cd_3スティーヴン・スカイアーズcond.
ノーザン・イリノイ大学ウインドアンサンブル

プレイヤーのレベルにバラつきが大きく〝巧い”という演奏ではないが、この曲に共感しおもしろく演奏しようとする意思が確り伝わってくる。Piccoloの太い音色と積極的な演奏が印象に残る。

     【その他の所有音源】
      フランシス・マクベスcond. テキサス工科大学シンフォニックバンド
      木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
      丸谷 明夫cond. なにわオーケストラル・ウインズ(Live)
      スティーヴン・グリモcond. アメリカ空軍西部バンド(Live)


♪♪♪

あの時、課題曲「ディスコ・キッド」も難曲だったが、今思えば初めて経験する”本番”として、よりシビれるのは「聖歌と祭り」の方だったはずだ。
Trb_soli当時、メンバーは3人だけで1パート1人のTrb.セクションにとって、”聖歌”を締めくくる弱奏のSoli(左画像)は相当ヤバい!でも私にはビビった記憶がない。ミスして大変なことになった記憶もない(結果も金賞・県代表だった)…始めて4ケ月のど初心者がよくぞ平気で吹いたものだ。
「無知」はオソロシイ。”上手く吹きたい””キメるところはキメたい”といった思いが存在しない状態では良い演奏ができる可能性も乏しいのだが、一方でビビることもないのである。そんな中学1年生だった私の”初めてのライヴ”は劇的なことなど一切なく、何の気なしに過ぎ去っていった。

もちろんあの頃より今の方が遥かに吹けるようにはなったけれども、ミスをする可能性は「思い」のある今の方がきっと高いとも云えるだろう。それを乗り越えるにはいつだって「練習」しかない。”練習は裏切らない”のだと信じて。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧