2009年11月 7日 (土)

トリティコ

Belgium12460Trittico
I. Allegro maestoso II. Adagio III. Allegro marcato
V.ネリベル (Vacalav Nelhybel 1919-1996)


 ※冒頭画像 : ベルギー/アントウェルペン(アントワープ)のノートルダム大聖堂


”Trittico”とは普遍的に「三部作」を意味するものでもあるが、最も一般的にこの言葉が指すものは、キリスト教会に見られる「三連祭壇画」のことである。これは内容に関連性のある3枚のパネル(板絵)が組み合わさってできたもので、貴重な名作が数多く遺されている。キリスト教美術の初期から現れ、中世以降は祭壇画で最も標準的な形式となったとされ、題材としては祭壇に飾られるに相応しいもの -即ちイエス・キリストのエピソードを描いたものが多い。

Masaccio_012_trittico_san_giovenaleサン・ジョヴェナーレ
三連祭壇画
Trittico di San Giovenale
1422年


マサッチオ

Masaccio 1401-1428)




そうした「三連祭壇画」の中でも、最も有名なものとして
ルーベンス(Pieter Paul Rubens 1577-1640)の代表作「キリスト昇架」「キリスト降架」が挙げられる。
Photo1610-1614年の間に続けて製作されたこの傑作は、ベルギー/アントウェルペン(アントワープ)のノートルダム大聖堂に所蔵(冒頭画像参照)されている。祭壇画に従来にはない劇的さや感情の豊かさといったものを示したと評される。
Photo_2何より、児童文学の名作「フランダースの犬」において、主人公・ネロ少年が一目見たいと憧憬する絵として描かれていることで有名。
過酷で悲惨な運命を辿ったネロ少年だったが、最期にこの祭壇画を見るという夢だけは叶う。そして幸せな気持ちでパトラッシュと抱き合いつつ、ともに天に召されていくのである。

♪♪♪

Nelhybelヴァーツラフ・ネリベル(左画像)が1963年に作曲した「トリティコ」(別表記:トリチコ)も、まさに音楽による”三連画”。
中央に配置された第2楽章の規模が大きく、それを取り巻く第1・3楽章がコンパクトなのも、三連祭壇画の構成と同一となっているのだ。
ネリベルの吹奏楽作品としては3作目と初期のものであり、当時のシンフォニックバンドの雄・ミシガン大学シンフォニーバンドとその指揮者ウィリアム・レヴェリ博士のために作曲された。
複雑で現代的な印象に惹きつけられる一方、実に堅固な骨格が通されており、随所に現れる独特のネリベル・サウンドとも相俟って、壮麗極まりない音楽を形成している。個性的な魅力に溢れた傑作である。

「第1楽章と第3楽章は幾つかの点で互いに関連性を持っており、曲の性格はいずれも輝かしく前進力に満ち、そして精力的なものである。
第1楽章の主要主題は第3楽章のクライマックスで再び登場するし、この2つの楽章においては、個々の楽器の使われ方に至るまでオーケストレーションも同一である。
第2楽章は荒れ狂う叙唱(レシタティーヴォ)と木管楽器の表情に富んだソロ、そしてこれらに区切りをつける金管低音と打楽器とによって描かれる、強力なコントラストの劇的な情景となっている。
この楽章の要は木管楽器群と金管低音群にあり、コルネットとトランペットはごく終盤に登場するに過ぎないが、そのフレーズは楽章を完結せしめる極めて熱情的なものだ。
その劇的性は、2セットのティンパニやピアノ、チェレスタにまで拡大された打楽器群の強力な使用により、さらに強調されている。」

(ネリベルによるプログラム・ノート)


♪♪♪

それでは楽章ごとに見ていこう。
I.  Allegro maestoso
全合奏でズシリと楔を打ち込み、これにHornのファンファーレ風楽句が続いて曲はスタートする。旋律の断片が応酬される導入部を経て、きりりと引き締まったドラムの刻むリズムとともに主題がCor.+Trp.に現れるが、
11これはHorn、そして金管低音へと繰り返され、聴くものの耳に「刷り込まれて」いく。
続いて、テンポを速めた展開部へ。パッセージはどれも極めてリズミックな譜割りであり、これがセクションごとに対峙的に演奏されていくので非常に現代的な印象を受けるが、それぞれがちゃんと「歌」になっているのが凄い。
実際に演奏してみると、決して単なるリズムの打ち込みではなく、ひとまとまりの楽句として「歌える」ものであることが判り、実に説得力がある。この「メロディアスな無機質」こそがネリベルの特長だと思う。

一旦テンポを緩め、Oboeソリに始まる木管アンサンブルのファンタジックな部分を挟むが、
12ほどなく毅然とした表情に戻り、前進する生命感に満ちた強力な伴奏を従えて、主題が再提示される。この執拗な主題の繰り返しこそは、終楽章への伏線…。最後は重厚な足取りのコーダとなり、輝かしいサウンドを充満させて締めくくる。

II. Adagio
21木管低音の凄みのあるアウフタクトに続き、2セットのティンパニをはじめとする打楽器アンサンブルに始まる。これがダイナミックに高揚すると、強烈な金管低音の楽句が切り込んでくる。
楽章を通じモダンな即興性を感じさせる楽想で進行するが、実はキッチリと設計された音楽である。密やかな緊張が木管楽器のアジテートな動きをきっかけに増幅されていくさまには興奮を禁じ得ないし、またこれに続きカデンツァ風のAlto、Tenor、Baritoneのサックスソロが次々と現れるのが印象深い。
22終盤ではHornが吼えるレシタティーヴォと、
23木管楽器の陰鬱な歌とが交互に現れコントラストを成し、ネリベルが自ら”熱情的”と称したTrp.の緊迫したフレーズにより、遂にクライマックスとなる。
そこからほどなく、終始黒々としたイメージだったこの楽章は、低音楽器と打楽器の一撃で断ち切られる。

III. Allegro marcato
Hornのグリッサンドに続き金管群の快速で華やかな響きに始まる。
31これを受ける木管群にはネリベルらしい中空に浮いた、クリスタルなサウンドが宿っている。
快速さをそのままに、木管楽器にフガート風の旋律が現れると
32次々に楽器が加わっていき、音勢と華やかさを増してゆく。ベル・アップしたHorn(+Trp.)が第3楽章冒頭の主題を拡大して高らかに奏し、放射状に高揚していくさまは劇的極まりない。
 ※”Bells in the air”の指示がある

ブレイクに続いてめまぐるしく動き回る木管をバックに、4拍ごとに打ち込まれる金管群の8分音符のコード(81~85小節)は実にエキゾチック!こうした響きは、ネリベルの作品以外では聴くことができないものだ。
そして、金管低音に第1楽章の旋律が再現され、圧倒的な完結感をもたらすのである。

3打のティンパニ・ソロから後は、音楽は火の玉のようにエネルギーを発散しながら突き進み、興奮の坩堝と化していく。混み合ったようでいて各パートの動きは確りと噛み合っており、華麗で鮮やかな印象だけが残る。これもまたネリベルの真骨頂であろう。
最後は第1楽章と同様重厚なコーダとなり、ポリフォニックなコードが轟き昂まりきったその頂点で、全合奏によるC音ユニゾンが響きわたり、堂々の終幕を迎える。

♪♪♪

音源としては、
Photo_2フレデリック・フェネルcond.
ダラス・ウインド・シンフォニー

が圧倒的!テンポや演出が極めて適切であり、非常にエキサイティングでダイナミック、コントラストに優れた演奏。
何より、プレイヤー一人ひとりの音、バンド・サウンドともに密度が高く、それがネリベルの音楽が要求するものを満たしているということ。聴き応えと爽快さとを備えた名演。

【その他の所有音源】
Photoウイリアム・バーツcond. ラトガース・ウインド・アンサンブル
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
ハリー・バスcond. キルヒハイム・ウンター・テック市民吹奏楽団
近藤 久敦cond. 尚美ウインド・オーケストラ
ティモシー・マーcond. セイント・オラフ吹奏楽団


※上画像:祭壇三連画をフィーチャーしたラトガースWE盤のCDジャケット

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月27日 (日)

吹奏楽のための抒情的「祭」

Photo_2Festal Scenes  Jojoteki-"Matsuri"
伊藤 康英 (Yasuhide Ito 1960- )


「この曲を作曲しつつある日、私の友人から数年ぶりの手紙が届いた。それは上海からであった。突然東南アジアを放浪し始めたこの哲学的思索に耽りがちな友人は、
『…とまれ、長い航海を経て降りたった土地は、そこがどこであれ、金無垢の浄土に生けるものが、いっせいに花開いたように眼に映り、まさに人生は祭りですね。…』
と書き綴っていた。
民謡のにぎやかなモティーフの集まりであるこの作品に、私は一種の『祭』の縮図を見る思いがした。そして、聖と俗との混沌の中で、この『祭』は抒情性を極めるのであった。」

 
(作曲者コメント:出典/
伊藤 康英HP


♪♪♪

01_2「津軽じょんがら三味線」「津軽ホーハイ節」「津軽あいや節」「弘前ねぷた(囃子)」の青森県民謡を使用し、祭りのもつエネルギッシュな興奮と日本的抒情とを、6'30"ほどのコンパクトな楽曲に見事完結させた作品。1986年に作曲され、伊藤 康英(左画像)の名を広く知らしめることとなった名曲である。


海上自衛隊大湊音楽隊(青森県)が地元民謡を素材にと委嘱した作品であるから、題材は全く日本的なものなのだが、作曲者は当時シェーンベルクの初期作品に凝っており、その影響を強く受けた作品であるという。
素材を単につなぎ合わせた”メドレー”ではなく、それを生かしながらオリジナリティを追求する-。そのため、全曲に亘り素材のモティーフを互いに関連づけ、場合によっては曲のキャラクターまで変貌させるというコンセプトなのだ。
「日本的な情緒を十二音技法を使って表現する」ことで、日本の音楽を西洋の楽器編成に置き換えただけのレベルを超えた、真に”日本的な音楽”を目指すという明確な意図を持っていたのである。
   
   ※十二音技法 : 1オクターブの中に存在する12の異なった音(即ち半音階の
       12音)のおのおのを、ある中心音に関係付けることなく、平等の位置を与え
       つつ作曲を行う技法。無調音楽の一つの技法であって、組織的な無調性と
       もいわれる。
        (出典 : 「新音楽辞典」音楽之友社)


相反する西洋音楽と日本の音楽との接点を探っていた作曲者の音楽的興味は、後年”吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」”という、屈指の傑作に再び結実することとなり、また「北海変奏曲」「琉球幻想曲」といった作品へもつながっていく。
 ※参考・出典 :バンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」Vol.3
                            (1990年) 所載の伊藤 康英
自身による楽曲解説

♪♪♪

題材となった青森県民謡を整理しておこう。

「津軽じょんがら三味線」Photo_5




    明治から大正、昭和の初期にかけて「ボサマ」と蔑まれた、そ
    の日暮しの男盲芸人が、その日の糧を得るために一軒一軒
    門付けをして、厳しい風雪や社会の差別に耐えながら、まさに
    生きるために弾いた魂の曲。唄の伴奏曲ではなく独奏曲で、
    曲調は切なく哀愁があり、リズムと間が大変難しい曲とされる。
    原曲のほか旧節・中節・新節がある。Hg130



「津軽ホーハイ節」
Photo_6




       津軽民謡中もっとも特異なものとされる。”ホーハエ(ホーハイ)”
    は一種の囃子詞であるが、裏声を使うのが非常に特徴的。
             婆の腰
ア ホーハエ ホ-ハエ ホーハーエ
             曲
がったナーエ 稲の 穂がみのる
    盆踊り唄であるが、元々は共通の節に歌詞を即興で作りあい
    歌いあう”歌垣”の唄とのこと。これは相手の歌う間に、新たな
    歌詞を作り切れなかっ
た方が負けというゲームなのである。

「津軽あいや節」
Photo_7




      
   
津軽領の港町で、船乗り相手の女が酒席で歌ってきたお座敷
    唄で、全国の港町で流行した「ハイヤ節」の”ハイヤ”が”アイ
    ヤ”へ訛化したもの。
    「アイヤーナー」というたっぷりとした歌い出しと、後半の「ソレモ
    ヨイヤ」というリフレインは、「ハイヤ節」と共通の構造とされる。


「弘前ねぷた(囃子)」
Photo_8



  青森県の夏祭りとして有名な”ねぶた”の中でも”青森ねぶた”
     と並び称される。江戸元禄期後半、七夕祭りの松明流しや精
     霊流し、盆灯篭などから変化し華麗に発展したのが定説とさ
    れる。厳しい暑さに見舞われる夏の農作業に襲ってくる睡魔を
    払うための行事であり、”眠り流し”が転訛し”ねぶた(ねぷた)”
    となったという。
    組ねぶた(人形ねぶた)の多い青森ねぶたに対し、弘前ねぷた
    は勇壮な正面の”鏡絵”と、裏側に妖艶な美女を描く”見送り絵”
    からなる「扇ねぷた」が多いのが特徴の一つ。青森ねぶたは乱
    舞する踊り手(ハネト)で賑わう豪華絢爛な”凱旋ねぶた”、弘前
    ねぷたは勇壮華麗にして粛々と進む重厚な”出陣ねぷた”とも
    されている。
    したがって、囃子も弘前ねぷたは荘厳にして重々しく、より気品
   に満ちたものであり、テンポが早く躍動感に溢れる青森ねぶたと
   は対照を成すものである。
Photo_9


    ※出典・参考
         
「津軽三味線」 山本竹勇HP
         「日本民謡集」 町田嘉章・浅野建二 著 (岩波クラシックス38)
         「民謡手帖」 竹内 勉 著 (駸々堂出版)
         「津軽五大民謡」
線翔庵HP
          弘前市役所HP
          弘前ねぷた西地区ねぷた親交会HP

これら民謡をフィーチャーして、作曲者が描いたのは「祭り」。作曲者が言及(冒頭コメント参照)した”聖と俗との混沌”こそは「祭り」の本質を端的に捉えた言葉であり、ここからも知的考察に基く作曲意図が感じられ、楽曲はそれを体現するものだ。

♪♪♪

冒頭、ベースラインとTimp.の保続音に続いて聴こえてくる「津軽じょんがら三味線」のモティーフからして新鮮な驚きがある。(冒頭画像)
吹奏楽の奏でる津軽三味線の世界…!私は自分の中に、日本人としての音楽的興奮が静かにではあるが確実に湧き起こるのを感じてしまうのだ。
この序奏部は、本来ユニゾンで奏されるあの津軽三味線の音楽を題材としながら、意図的にモティーフを二つ重ね合わせていくことをはじめとして、モティーフの展開・拡大や反進行楽句の活用など、西洋の作曲技法で料理したという。「あの三味線の雰囲気を(吹奏楽で)出すために、西洋の手法を使った。」という作曲者の狙い通りとなっている。

序奏部のクライマックスでは鮮烈なTrp.の3連符が大変印象的であるが、曲終盤の(というより全曲の)クライマックスでもこの楽句を用いて呼応させている。こうして楽曲全体の完結感をもたらすなど設計も実に周到だ。このTrp.の3連符に絡ませたTrb.の4分音符がまた効果的でおもしろく、序奏部の締め括りを引き立たせている。
Photo_3
G.P.の後、憂いの色を示すブリッジに続きFluteの涼やかな音色でいよいよくっきりと「津軽ホーハイ節」が現れる。
Fl_soloここでは、幻想的な伴奏と透明感のあるソロによる涼やかな音楽となっている。
”ホーハイ、ホーハイ”とFluteが奏でるファルセットは、Euph.ソロによる「津軽あいや節」の伴奏へと姿を変えていく。この中間部では、元々2拍子の日本民謡を敢えて3拍子に置換えることで、西洋音楽への融合を図ったという。

   ※伊藤康英の解説より
      「日本のリズムは2拍子が基本である。3拍子はほとんど見られない。『ながさき』
      というコトバを日本人は『ながさき』と2拍子で読むが、外国人は『ながさーきー』
      と3拍子で読む。」


Photo_5Euph.ソロに伴奏を奏でていたFluteが合流し、文字通り抒情性を深めると、ダイナミックなアクセントに導かれた重厚なテュッティにより、さらに「津軽あいや節」は歌い上げられていく。このクライマックスはパーシー・グレインジャーの名作「リンカンシャーの花束」第2曲”ホークストウの農場”を彷彿とさせる現代的なサウンドで彩られ、洵に感動的である。
Fluteに帰ってきた「津軽ホーハイ節」で音楽は鎮まり、物悲しいFagottoソロが中間部を締めくくる。

Photo_6そして密やかに始まる特徴的なリズムを従え、BassCl.の歌が聴こえてくる。遠くからぐんぐん近づき、遂には鮮明な姿を見せる「弘前ねぷた」の情景である…!
この囃子には、「弘前ねぷた」らしい荘重さが必要だ。BassTrb.の音色を効かせた低音部とねぷた太鼓や手平鉦、そして賑やかな笛の音がエキゾティックな興奮を伝えてくれる。この「ねぷた」囃子の高揚は強い印象を与えるが、曲中ではあくまで最後の”祭り”への導火線と位置づけるべきものであろう。

いよいよ、終結部のエキサイティングな”祭り”へとなだれこみ、音楽はひたすらに駆け抜けていく。冒頭の再現に始まり、烈しいリズムとスピード感、音圧とが渾然一体となって描くのは、まさに昂ぶる祭りの興奮だ!
烈火の如きTrp.の3連符フレーズと吼えるHorn、エキサイティングなリズムはまさに手に汗握るもの。
Trp最後は全楽器の鋭い打ち込みを従えた、激烈で熱狂的なTimp.の乱れ打ちとなり、重厚に響きわたるD音ユニゾンの全合奏をバスドラムがズシリと締めて全曲を閉じる。

♪♪♪

音源は以下をお薦めしたい。

Photo増井 信貴cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

構成感に優れ、各楽器間のバランスのよい、統一感のあるアンサンブルでソロも見事。色々な意味で非常に"cool"な演奏である。


Photo_2汐澤 安彦cond.
東京シンフォニック・ウインドオーケストラ

スケールの大きな音楽の流れ。緻密さよりも骨太の熱狂にウエイトを置き、高潮する歌を堂々と聴かせる。音色の対比もクッキリした印象。


Photo_3川邊 一彦cond.
海上自衛隊大湊音楽隊

「ねぷた」の生命感はさすが地元/委嘱者というべきか、独特のニュアンスを伝える。
また終盤のHornは最も”男前”な好演で、グリッサンドもGood!

【その他の所有音源】
     木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
     武田 晃cond. 陸上自衛隊東北方面音楽隊
     ユージン・コーポロンcond. ノーステキサス・ウインド・シンフォニー


♪♪♪

以上述べてきたように(そもそも題名からしてそうであるが)、「抒情的『祭』」は相反するもの同士の融合がテーマとなっている楽曲である。
張り巡らされた”知性”によって作られたこの楽曲が表現するものは”祭”…すなわち、”知性”とは相反する人間の根源にある本能に訴え、爆発するものを表現しようというのである。

”知性で表現される本能”
演奏する側もこの「相反の融合」の妙を示さなければならない!

楽曲自体もモティーフが縦横無尽に顔を出し、絡みあい、さまざまな仕掛けが用意されている。これらを理解・把握した上で、一方では熱狂と抒情の太いうねりを、がっしりと大掴みにせねばならないのだ。…これもまた「相反の融合」に違いない!

-ああ私はもう、無性にこの曲を演奏してみたくなっている。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年7月29日 (水)

中世のフレスコ画

ScrovegniMedieval Fresco
J.J.モリセイ
(John Jacob
  Morrissey
1906-1993)


※左画像:
    スクロヴェーニ礼拝堂
    のフレスコ画





初級バンド、小編成バンドでも演奏可能で、演奏効果のあるレパートリーを提供し続けたジョン・モリセイの代表作。
華やかなファンファーレとどこか愛嬌のあるユーモラスな楽句、そしてそれとは対照的に哀愁を滲ませた旋律が彼の作品の特徴だが、この曲はまさにその典型である。
 ※おそらく実際には「モリセイ」という発音は不適切で、「モリッシー」あたりが適当
     と思うが、永くこの表記が定着しているため、本稿でも「モリセイ」を採用している。


「式典のための音楽」「百年祭組曲」「皇帝への頌歌」といった作品でも知られるが、どれも”モリセイ・スタイル”とでもいうべき似通った曲想を持っている。録音が残されている中でやや違ったイメージを与えるのは「ヴィヴァ!メキシコ」くらいか。アレンジ作品としては「ジャングルドラム(レクオーナ)」、そして大変愛らしい「おもちゃの兵隊の行進(イエッセル)」が高名である。

Morrissey2モリセイはコロンビア大学で音楽教育の学位を修め、同大学で5年間教鞭を執った後、1938年から1968年に亘ってチュレーン大学(モリセイの出身地=ルイジアナ州ニューオリンズ)で音楽教育に携わる。
同大学バンドや管弦楽団の指揮者も務め、一貫して音楽教育の現場にいた彼は、作曲家生活20周年の節目に次のようなコメントを寄せている。

「今日では、アメリカの吹奏楽団のために作品を書くこと以上に有意義なことは思いつかない。吹奏楽に参加することで音楽を知り、音楽的な成長を得る-この国ではそうした学生たちが、小学校から中学・高校、そして大学に至るまで非常にたくさんいるのだから。
自分自身の経験を通じ、私は吹奏楽が柔軟性に富み、また質感と音色の多様さが無限な演奏形態だということを発見している。更に言えば、吹奏楽がその無類のポテンシャルを発揮したときには、多様に異なる好みを持つ聴衆に対し、直接的かつ強力にアピールできると信じている。
吹奏楽はアメリカの作曲家にとって、聴衆に雄弁で力強く語りかける機会を提供しているのだ。しかもそのアピールは、アメリカのみならず世界中の聴衆に対してのものなのである。」


 ※出典:チュレーン大学HP

モリセイは単純明快にしてよく鳴り、ごく若い世代でも容易に理解し演奏できることを念頭に楽曲を書いていた作曲家だけれども、「吹奏楽」という音楽ジャンルがもつ意義や役割は的確に認識していたし、「吹奏楽」に明確な期待を持っていたのだった。しかもそれは現在にも通ずる、実に普遍的で共感できるものだと思う。
コメントから感じられるモリセイの信念は強い。彼は作曲においても一貫したスタンスで、吹奏楽を通じて音楽に接する幅広い年代の人たちのために作品を提供し続けたのだ。
”ファンファーレ”を好んでフィーチャーするのも、「吹奏楽はこうでなくちゃ!」という信念によるものと思えてならない。

♪♪♪

「中世のフレスコ画」は必ずしも描写的な音楽ではないが、モリセイが目にした壁画からインスピレーションを得たことは事実だろう。

   フレスコ画とは、砂と石灰を混ぜて作ったモルタルで壁を
   塗り、その上に水だけで溶いた顔料で描画したもの。
   濡れた石灰の上に水溶きの顔料を載せてやることで、顔料
   を覆った石灰水は空気中の二酸化炭素と反応して透明な
   結晶となる-これを利用して顔料をこの結晶に閉じ込め、
   その美しさを保ち続けさせる手法である。
   独特の画面の表情を持ち、石灰が作る結晶の中に顔料の
   一粒一粒が閉じ込められるため、色が大変美しく耐久性に
   も優れており、数千年単位の長期間に亘り、美しさを保つと
   のことである。


     ※出典:フレスコ画の歴史と技法/壁画LABO GRAZIE HP

中世におけるフレスコ画の代表的なものとしては、ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)作による「フランチェスコ伝」(聖フランチェスコ大聖堂/13世紀末)や「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」(イタリア北部パドヴァ/14世紀)が挙げられよう。これ以外にもフレスコ画はキリスト教などの宗教画が非常に多い。
Giottovangelo2(上画像:ジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画)

♪♪♪

「中世のフレスコ画」は3つの部分から成っている。曲自体が3枚のフレスコ画といった感じだろうか。
華々しいファンファーレで幕を開けるのが、まさにモリセイらしい!
1_2続く緩やかでノスタルジックな旋律がこれもモリセイの真骨頂である。
2_2これを挟んで再びファンファーレが吹き鳴らされ、第一部を閉じる。

Fluteのたおやかな旋律に始まる第二部は、さらにノスタルジックな楽想となる。
3_2さらに憂いを含めて存分に歌いあげると、やがて全曲を支配しているファンファーレのモチーフが遠くから聴こえ、音楽は一旦静まっていく。

再びTrp.に華々しいファンファーレが戻ってきてブレイク、いよいよ中世の舞曲風の第三部に入る。
4Picc.の音色とシンプルなドラムのリズムが活かされて中世の雰囲気を強め、徐々に音楽は活気を増してゆき、Trp.が鮮やかに彩る堂々たるエンディングを迎える。

♪♪♪

音源はたった一つしかない。

Dies_natalis兼田 敏cond.
東京佼成吹奏楽団

古い録音だが確りとした曲作りで、この曲の良さをストレートに伝えてくれる。今聴くと、とにかく懐かしい…。



現在、モリセイの遺した楽曲の多くは音源も乏しく、新たに楽譜を入手することも困難。中学生の頃にはコンクールでもしばしば耳にしたし、吹奏楽祭での演奏や合同練習会の練習曲としても慣れ親しんだ、愛すべきレパートリーなのでとても淋しい。思えばハロルド・ワルタースやポール・ヨーダー、フランク・コフィールドにジョセフ・オリヴァドゥティの作品も、多くが同様の状態である。

…所詮私の世代のノスタルジーに過ぎないのかもしれないが、これらの作品を完全に埋もれさせてしまうのは、どうにも惜しい気がしてならないのだ。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2009年7月27日 (月)

古  祀

Okitu_2KOSHI - An Ancient Festival
保科 洋
Hiroshi Hoshina (1936- )


   ※冒頭画像:古代祭祀遺跡で知られる「沖ノ島」 に祀られた浜津宮


「曲は題名が示すごとく、古い祀のイメージを作品にしたもので、厳かな祈りの部分に始まり、狂信的な踊りへと続く。一転して、艶やかな女性の踊りが始まり、儀式はたけなわとなる。やがて女性が退場し、又もや全員の踊りが始まる。踊りはますます激しさを増し、クライマックスへとなだれこむ。踊りつかれた人々は最後の祈りを捧げ、儀式は静かに終わる。
以上の様な想定のもとに、曲は進行して行く。
曲の性格上、音素材としては古い教会調を使用し、和音も比較的単純な和音を多用しているので、分かりやすい曲になっていると思う。」

(作曲者によるプログラム・ノートより)

1980年に自身の管弦楽曲「祀(まつり)」を吹奏楽に改編する形でこの「古祀」は誕生した。ヤマハ吹奏楽団(浜松)の創立20周年を記念して委嘱されたもので、ヤマハ吹奏楽団(浜松)は同年の全日本吹奏楽コンクール招待演奏で披露したほか、1984年には自由曲としても採上げ全国大会金賞を受賞している。
また、作曲・初演後直ちに秋山 和慶cond. 東京佼成ウインドオーケストラによる優れた録音が発売されたことが、楽曲自体の素晴らしさとともに相乗的に人気を高め、非常に多くのバンドで演奏されることとなった。
(尚、”演奏技術の進歩に合わせオーケストレーションを改訂”した「1998年改訂版」が存在する。)

♪♪♪

保科 洋(下画像)といえば「風紋」(1987年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)が圧倒的な人気を誇るが、1960年代から兼田 敏とともに本邦吹奏楽界を代表する作曲家として非常に優れた作品を提供し、永く活躍を続けている。

 ※兼田 敏(1935-2002)とは非常に親密であり、兼田 敏の生前より予めお互いの
     ”葬送曲”を贈りあうほどであったというエピソードは有名。
      兼田 敏が保科 洋に贈っ
たのが「嗚呼!」(…保科洋君!と続くらしい)であり、こ
      れに応えて保科 洋が兼田 敏に贈ったのが「Lamentation to - 」とのことである。


Hoshina002se_2「交響的断章」「カタストロフィー」「カプリス」「カンティレーナ」「愁映」など素晴らしい作品が多数上梓されており、「風紋」ばかりがクローズアップされるのが不思議なほどだ。
そして「古祀」こそは、それら保科作品の中でも、最高傑作の一つと云えるだろう。スケールの大きさ、判り易くも陳腐さがないという凄さ、そして完結感の充実ぶり…近時この曲の演奏機会が減少しているのも疑問に思えてしまう。

♪♪♪

作曲者は、自身が持つ”古い祀のイメージ”から生まれたこの作品の演奏について、
「各部分の対比、および各部分内での表現を、いかに曲名のようなイメージに合わせるか、が大切である。非常に抽象的な言い方であるが、この曲を演奏して何を表現したいのか、を明確に把握しておいて欲しいと思う。」
とコメントしている。
その「祀のイメージ」がどのようにもたらされたのか、或いはごく具体的に何の「祀」なのかを語った文献は見当たらない。ただ、未明から夜明けにかけての古代的祭祀であることは示されており、またごく日本的なものであると推定される。
そこで「日本の古代祭祀」について調べてみた。

”まつり”の原義について折口 信夫は、「神慮・神命の現れるまで
の心を守つ(まつ)」ことと述べている。”まつ”とは強く、焦心を示す
ほど期す
ることだと…従って、”まつり”とは呪詞・詔旨を唱誦す
る儀式に始まった
という。それが神意を具象するために呪詞の意
を体して奉仕し、更には神意の現実化したことを覆奏する(=祀る
・祭る)ように転じていったとしている。

  【出典:「古代研究 I 祭りの発生」 折口 信夫 著/中央公論新社】

「古祀」には酒宴での女性の踊りも登場するが、古代祭祀と女性、
そして酒と
の関わりについてはどうだろうか?
基層信仰にみられる「女の霊力」は、その実態が男女の性的結
合の持つ根源的力への信仰に支えられた豊穣の祈り
に他なら
ない、とされている。その祈りに欠かせない共同体レベルでの集団
の男女の(模擬的)性結合が、後の専業神職者の男女ペアの基礎

であるとの分析だ。
また常陸国風土記に記述された、”男女悉集”して行われる祀りの
場での飲食は「飲食物を供えて…神魂のいきわたった飲食物を
神のもとで共同飲食し、そして歌舞し、神を『賀』した
もので
あり、…その延長の性的解放の場も神との一体化により、神の
持つ豊穣力を期待する予祝行事」であることが窺えるという。
また「酒」こそはまさに神と人との共食を具体的に媒介するもの
であり、それゆえに神事には酒が欠かせないのだ。

    【出典:「日本古代の祭祀と女性」 義江 明子 著/吉川弘文館】

具体的な古代祭祀の遺跡としては、福岡県沖玄界灘に浮かぶ「沖
ノ島」
があげられる。そこで執り行われた祭祀のうち、最も古い形
態は玄界灘を望む地にある巨岩の上に祭壇を置く、”岩上祭祀”で
あった。
001_2













人の魂も、動植物の魂も同次元に捉えて丁重に弔い、再生を
願う祈り
がその儀礼の始まりという。祀られるものは死者の霊魂
ではなく神であり、その神とは常在するものでなく”降臨”するもの。
巫(めかんなぎ・女性)とか覡(おかんなぎ・男性)と呼ばれる宗教
者が”神懸り”して、その口から神の言葉を得るものであったという。
宗像大社の浜津宮が祀られたこの「沖ノ島」は現在でも女人
禁制、上陸にあたっては例外なく全裸で海に漬かる”禊”が必要
な、それ自体が聖域とされる島である。
「その身に抱えている俗世が、水に入ったその一瞬、たちまちにし
て反転する。身ひとつの個となって、何ものかに対して平等の
存在となってしまう
のである。…なるほど、禊というものにはこうい
った効果があるのか。」

    【出典:「宗像大社・古代祭祀の現風景」 正木 晃 著/日本放送出版協会】

    ※他の参考文献
       「日本の神々の事典」/学研
   「古代の神社と祭り」 三宅 和朗 著/吉川弘文館


Photo_3
以上のように研究文献に触れてみると、”古代祭祀”のイメージが膨らんでくる-。
同時に、「古祀」が描いた”古い祀のイメージ”も、必ずしも単に解明された史実を辿るものではなく、作曲者がもっと自由に想いを巡らせたものであることが判るであろう。

♪♪♪

楽曲は、明確な5つの部分から成る。
作曲者による解説「」)とともに、内容をご紹介する。
   
      ※佼成出版社 刊の原典版スコア、並びにBRAIN社発売のCD「風紋-
          保科洋作品集」リーフレット所載の解説による。
          また、楽曲の内容については佼成出版社刊の原典版をもとに記述。


第I部 ”祈り I ” (1-45小節)
「まだ薄暗い祭壇の前、民衆は祭壇への行列をしずしずと繰り返しながら、神への敬虔な祈りを捧げる。
-静かな祈りの部分である。この曲全体に言えることであるが、主旋律のフレーズの中心点が、そのフレーズの中で比較的低い音に与えられている。このようなフレーズは、一般的に内攻的な、又は抑制されたパッション等の表現を意図しているが、この曲でも、そのような表現を意図している。」

  ※原文ママ:”内向的”が正しい可能性あり
1密やかで深遠なオープニング。沈み込んでいく旋律に続いて登場する、玲瓏なFluteソロが大変印象的である。各楽器の応答により息の長いフレーズが奏でられ、祭祀の神聖さや敬虔な精神性が感じられる。

第II部 ”民衆の踊り I ”(46-103小節)
「祈り終わった民衆は野生的な踊りを始める。踊りの輪は徐々に膨らみ、熱狂的な全員舞踊に発展する。
-リズムが主体の部分であるから、タテのメリハリ、アクセント、テヌートとスタッカート、等、指示された記号を大切に扱って欲しい。」

210/8(2+3+2+3)や9/8(2+2+2+3)による変拍子のリズムが野性味豊かな曲調を演出する、エネルギッシュな音楽。瑞々しい響きのハーモニーを持つ弾けるような伴奏も素晴らしいし、激しいリズムの躍動と幅広いフレーズとがクロスオーバーしているのが面白い。途切れることのない緊張とスピード感が民衆の熱狂を見事に表現している。
しかしながら、リズムが甘くなると直ちに音楽は輝きを失う。その落差の大きさたるや…非常にシャープな演奏が求められる部分である。

第III部 ”巫女の踊り” (104-136小節)
「民衆の踊りが一段落すると艶やかな巫女がしずしずと現れ、幻想的な踊りを舞い始める。民衆は車座になって巫女の踊る様を目で追っている。
-音楽的な表現としては、この曲の中で、おそらく最も難しいのではないかと思う。楽譜には書き表せないようなテンポルバートが、この部分では不可欠である。このようなことは楽譜にも記入しなかったのだから、まして文字で書く気はないが、一つだけ、フレーズの終わりを大切に、余韻を丁寧に、ということに留意して欲しい。各部分のソロは音色を大切にしてよく歌って欲しい。」

3緩やかで美しい女性の踊り。たおやかで清流のような煌きのある序奏に続き、コールアングレが落ち着いた美しさの旋律を、朗々と吟じる。そして、夢見るようなサウンドに包まれて、穢れなき女性の幻想的な踊りが自由自在に揺れながら続いていく…。
ClarinetとHornがソロで掛け合う部分などは、古代への郷愁を強く感じさせるものである。

第IV部 ”民衆の踊り II ”(137-176小節)
「巫女が祭壇から姿を消すと、再び民衆は踊り始める。踊りは前にも増して陶酔状態となり興奮の極致に至る。
-導入部と終わりは全曲のクライマックスを持つ部分である。最初の導入は非常に難しいが、いつ入ったか分からないような感じで急速に盛り上がっていくように。その後は第II部と同じだが、途中から踊りはより狂信的になり、より激しく、盛り上がって、クライマックスへと突入していく。そのため、あまり落ち着いた演奏より、熱っぽい盛り上がりが適しているように思う。」

遠く消えていった女性の踊りに続き、民衆のざわめきが始まる。急激に高揚したところでTrb.の鮮烈なグリッサンドが咆哮し、野生が呼び返されて再び全員の踊りとなる。
増嵩した熱狂は華々しい金管の楽句と、激しく下降していくパッセージの応酬で雄大な楽想となり、Horn(+Sax)が高らかに祀りの最高潮を告げる。

第V部 ”祈り II ”(177-最終小節)
「踊り疲れた民衆は再度祭壇の前に集まり、祈りを捧げながら三々五々散っていく。朝日が漸く昇り始める。
-この部分の冒頭は全曲のクライマックスを形成するが、177小節がクライマックスではなく、177-184小節全体がクライマックスであることを忘れないように。あとは、第I部と同じ静かな祈りの部分が続く。205小節以降はコーダであるが、全体への回想と全曲の余韻を大切に、特に最後の金管のコラールは丁寧さが欲しい。」

打楽器と低音による、劇的な長いクレッシェンドに導かれ、全合奏で”祈り”が唱えられる。重厚なサウンドにより、単なる華々しさとは異なる高揚を示す実にスケールの大きな音楽である。
徐々に収まると、敬虔さに溢れる金管のコラールがしみじみと響きわたって祀りの余韻を湛えつつ、やがて音楽は遠く彼方へ消えていく。

♪♪♪

音源は以下の通り。

Photo秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

圧倒的な名演。緊張と優美、躍動が全て高次元でシャープな演奏。5つの部分の対比を活かしながらも、違和感ない全曲の纏まり。


Photo_2木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
1998年改訂版を収録。
第IV部最後のベースライン変更が特に印象的。




【他の所有音源】
  原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団(浜松)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月21日 (火)

アルヴァマー序曲

LpAlvamar Overture
J.C.バーンズ
(
James Charles
Barnes 
1949-





本邦吹奏楽界で最大の人気曲の一つであるが、有名かつちょっと変わったエピソードを持つ。
作曲者ジェームズ・バーンズが日本においてこの曲の演奏を聴くたびに、「テンポが速すぎる!」と驚きと嘆きを繰り返すことになった、というのだ


なぜそんなことになったのか、というと理由は明白である。
「アルヴァマー序曲」が日本に紹介されたのは、CBSソニーから「吹奏楽コンクール自由曲集’82」というLP(冒頭画像)の発売によってであった。
(このアルバムは「春の猟犬」「第3組曲」(A.リード)、「インヴィクタ序曲」(J.スウェアリンジェン)、フォール・リヴァー序曲(R.シェルドン)といった名曲を多数同時収録し、演奏自体も屈指のレベルという名盤なのだ。)

そして、このアルバムに収録された
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏した「アルヴァマー序曲」のテンポこそが、鬼のように速いのである!

冒頭(Allegro Vivo)、バーンズの指定テンポはM.M.=132。これに対し、その演奏はM.M.=160前後というの快速さ!新曲の情報はCBSソニーのレコードだけが頼みだった時代でもあり、この演奏は何の違和感もなく受容れられた。

それどころか、その”快速さ”は楽曲のエネルギーを格段に高め、コントラストを鮮烈に描いてカッコイイことこの上なく、日本の吹奏楽ファンをあっという間に席捲してしまった。「アルヴァマー序曲」とはこういう快速な曲だ、と完全にイメージが出来上がってしまったのだ。これは、作曲者バーンズが想像もし得なかった事態と云えよう。

かくして、「アルヴァマー序曲」は日本で完全に独り歩きし、”バーンズ=アルヴァマー”と、彼の代名詞として受け取られたほどの人気となった。
だから、彼の名作「呪文とトッカータ」が登場した時には、「へぇーっ、バーンズってこんなシリアスで先進的な曲も書く人なんだー。」などと、今思えばお門違いな感慨を持たれた方が、私以外にも多くいらしたのではないだろうか?

Photo_8そして、日本中の吹奏楽ファンに刷り込まれたこの
”汐澤快速アルヴァマー”
は、多くのバンドを”ハメる”ことにもなった。あの快速さに憧れ”ぶっ飛ばした”バンドは、その多くが終盤のポリリズムで爆死することにもなったのである。^^)

それでも悔いなし、と思えるほど、”快速アルヴァマー”はカッコ良かった!「あんな風に演奏したい」と思わせるだけの抗し難い魅力が、確かに存在するのだ。

バーンズに対しては些か失礼な話だが、あの快速演奏がなかったら「アルヴァマー序曲」はここまでの人気曲になり得ただろうか?
その意味でも”汐澤快速アルヴァマー”はアリだし、改めてBRAVO!の歓声を贈りたいと思う。

♪♪♪


(以下の楽曲内容についても”汐澤快速アルヴァマー”のイメージに基いて述べる。)

「アルヴァマー序曲」1981年の委嘱初演。題名はバーンズの住むカンザス州にあるゴルフ場の名前なんだとか。標題音楽の要素はあまりなさそうだ。
 ※ Alvamar Country Club : HPはこちら

急-緩-急の典型的な序曲形式。親しみやすい旋律と、モダンなリズム・サウンドを持っており、それが人気の源であろう。
Photo快活な序奏部に続いて、Tromboneの8分音符シンコペーションによる伴奏が、流麗な第一主題を導き出す。
(この伴奏がハーモニーとリズムを延々と支え続けるため、Trombone奏者は前半で著しくスタミナを失うのであった。^^)
Photo_2これを受けたTrp.の第二主題は2拍3連符が印象的で、仄かな憂愁が込められている。
Photo_3快速部では、大きなフレーズの2つの旋律とリズミックな伴奏との対比が、楽曲の魅力を途切れさせることなく推進していくのである。

密やかに始まって徐々に緊迫を解き放ち、ついには豊かなサウンドを轟かせるブリッジを経て、ロマンティックな中間部となる。ここでは実に美しく、暖かい旋律が聴かれる。
Photo_4それが各楽器の音色を活かして受継がれて行き、やがて大きく押し寄せる波のように、高揚して聴くものの心を攫うのだ。

パーカッションのリズムがどんどん近づいてきて、コンパクトな再現部。そして全曲のクライマックスであるポリリズムへ!
Photo_5ここでは快活に、そして目まぐるしく動き回る木管群をバックに、中間部の旋律が高らかに奏される。
途切れないスピード感・緊迫感と、スケールの大きな旋律が渾然一体となった、感動的なクライマックスだ。

ファンファーレ風の楽句に続き、木管群のリズミックな伴奏とともにコーダに突入、鮮烈なサウンドの輝きに包まれて全曲を終う。

♪♪♪

音源は以下2つを対比的にお聴きいただきたい。

Photo_6汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

これが伝説の”汐澤快速”!大胆に、そして鮮やかにぶっ飛ばす必聴の演奏には、理屈抜きに感じる快感があるだろう。
演奏から発散される音楽のエネルギーが凄いし、中間部の作りも丁寧。
            [演奏時間:6’45”]

Photo_7ジェームズ・バーンズcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

作曲者自作自演、作曲者意図本来のテンポ(指定より遅め?)で演奏される演奏。受けるイメージの違いが大変興味深い。
[演奏時間:8’30”]


【他の所有音源】
 フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
 木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
 WARNER BROS.社 デモンストレーションCD(演奏者不明)
  おけいはんウインドオーケストラ (指揮者不明)


♪♪♪

作曲者の意図を確りと汲み取り、基本を楽譜に忠実なスタンスに置く-その上でセンスよく演出、ニュアンスを加えていくのが、演奏者としての王道なのは当然だ。
しかし、大胆な解釈が思いがけない音楽の魅力を覚醒させることもある。”汐澤快速アルヴァマー”はそれが成功した稀有な例である。高いセンスと的確な判断が必要で、誰にでもできるものではない。

作曲者バーンズの嘆きは真摯に受け止めるとして、「まあ、これはこれでいいじゃないですか。」と申上げるほかない-と私は思う。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2009年6月 9日 (火)

壮麗なる序曲

P6040015Pageantry Overture
J.エドモンソン
(John Edmondson 1933- )






1970年の出版、CBSソニーによる「吹奏楽コンクール自由曲集」の第1弾”ダイナミック・バンド・コンサート”Vol.1(冒頭画像)に収録、紹介されたことから、1970年代には非常に数多く演奏された作品である。
別邦題「ページェントリー序曲」

Edmondson作曲者ジョン・エドモンソンはフロリダ大学を卒業後、ケンタッキー大学で作曲を修めた人物で、プロ・トランペット奏者としてのキャリアも持つ。母校ケンタッキー大学の”ワイルドキャッツ・マーチング・バンド”のスタッフ・アレンジャーを務めていたことからマーチングの分野にも明るく、ポップスのジャンルも含めコンサートバンド・マーチングバンドの双方に、多くの作編曲作品を提供している。

♪♪♪

「壮麗なる序曲」は判りやすい構成と美しく親しみやすい旋律を持ち、技術的にも易しい作品でありながら、同時にモダンな響きも有していることが、その人気の理由であっただろう。洵に愛すべき小品である。

短い序奏に続き、Trp.が全曲を支配する主題を提示する。
1この旋律がさまざまな楽器に受け継がれていく楽曲であるが、終始しっとりとして抒情的な印象である。Allegroで始まった楽曲が、Meno mossoとなって幅広く、暖かく歌われるとその抒情性が一層際立ってくる。

木管のトリルでテンポと快活さを取戻してAllegroを再奏したのち、さらにロマンチックな3/4拍子・Moderatoの中間部となる。
2木管群の歌うこの美しい旋律は、明らかにサティの「ジムノペディ第1番」の影響を受けたものであるが、とても幻想的で味わいがあり、この雰囲気を吹奏楽に持ち込もうとした作曲者の意図がよく伝わってくる。

3素敵な旋律を、ちょっと気のきいた伴奏とサウンドで聴かせるこの曲は、古くささとは無縁の普遍的な魅力があると云えよう。

Trb.が堂々と中間部の旋律を提示してブレイク、カノン風の主題応答と打楽器のソリが交互に現れて快活さを取戻す。
そして音楽はさらにスケールを拡げてゆき、エキゾティックなハーモニーによってモダンなアクセントが加えられ、雄大さを増したクライマックスとなって終結へ向かう。

♪♪♪

Photo音源は
飯吉 靖彦(汐澤 安彦)cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

発音にやや荒さが感じられる部分もあるが、この曲の良さを確りと押さえた演奏である。

また、他の音源を聴いてもそれぞれに個性がありながら、いずれもしっとりとよく歌う演奏となっている。楽曲に”歌心”が備わっているのだと思う。

【他の所有音源】
 山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
 木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
 エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ


※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら

♪♪♪

演奏Grade2.5という平易さながら、この曲には確かな魅力がある。当時の演奏機会の多さはその証明であろう。
やはり、”いい旋律”のある曲は強い-
つくづくそう思わされる。
難易度はもちろんのこと、手法が保守的あるいは前衛的だとか、内容が単純か複雑かとか、そんなことを超越して力のある音楽には確りと作られた旋律が存在する。何といっても音楽の魅力の最大要素は、旋律なのである。

(Revised on 2009.6.18.)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009年6月 8日 (月)

想い出をきつく抱きしめて、永遠に

Forever Holding Close the Memories
R.L.ソーシード
(Richard L. Saucedo 生年不詳)




大切な人を亡くしてしまった-。

その悲しみと喪失感に、音楽に救いを求めiPodのホイールを回し続けた私の目に偶然飛び込んできたのがこの標題であった。
”Forever Holding Close the Memories”

…早世されたその人のことは、悼んでも悼みきれない。無念さ以外何も感じられぬ、残された私たちはこの事実をどう捉えたらいいのだろうか。今、一体何を考えたらいいのだろうか。悲しみをどう整理したらいいのだろうか。
せめて、もっともっと会っておけばよかった。…今となって、何ができるというのだろうか-。

そんな混乱した私の心に、この標題は優しく、すぅーっと語りかけてきたのである。
-そうだ、その通りだ。彼との想い出をぎゅうっと、ぎゅうっと大切に抱きしめるしか…それしかないじゃないか。永遠に、決して離さないように抱きしめていくしか…。

Forever_001そして、その音楽は私に大きな共感をもたらした。
美しく感傷に溢れているのに、さりげない。旋律やサウンドはモダンなのに決して軽くない。作曲者の深い、永遠を誓う思いが確りと感じられる。

静かで穏かであればあるほどに、また高揚がどこか抑制されたものであるが故に、却ってその思いの強さがわかるのだ。


つくづく、音楽って素晴らしいと思う。言葉にすれば却って空しくなることも、こうした高次元の精神性に昇華することができる。言葉で語れないものがあるから、音楽があるのだろう。

この曲は決して”大レクイエム”ではない。しかし今を生きる我々が、現代の感覚の中で真心を尽くすとしたら-そんな真摯な思いが込められた音楽であることは間違いない。だから、さりげなくても深く共感できるのだ。

▼▼▼

この曲にソーシードの如何なる意図が込められているのか、詳細は判らなかった。ただ、”Composed as a celebration of life in memory of a beloved teacher,…”との楽曲紹介があったので、もしかしたら、今回の私の経験と重なるものがあるのかもしれないと思っていた。

今、フルスコアが手許に届き、ソーシードの記したプログラム・ノートを読む。…果たしてそうであった。

この曲は、自動車事故によって夭折した、ある高校教師に捧げられた曲だったのである。亡くなった彼は、その高校のバンドでアシスタント・ディレクターを務めていた。
彼の教え子たちから手紙を受け取ったソーシードは、子供たちにとって良い教師が如何に大切なものであるか、そして人生が如何に貴重なものであるかということを、再認識したという。

「曲中に使用された不協和音には、喘鳴音では決してなく、”苦悶”を感じさせる響きを」「メロディ・ラインは終わりまでたっぷりと、絶対に急がないで」「リタルダンドは充分な時間をかけて、”自由”を感じて」
と、ソーシードの演奏指示はとても感傷的だ。
「作品中、たとえ一番大きな音のする瞬間であっても、常に音質をコントロールし、音程を確りと定めてほしい」
とのことである。”どうか大切に演奏してほしい”という強い願いが伝わってくるではないか。

Forever_cd001音源は出版元 Hal Leonard のデモ音源がある。
CDも発売されている(左画像)が、同社のサイトでも全曲を聴くことができるので、ぜひお聴きいただければと思う。


作曲者リチャード・ソーシードはモダンでハイセンスな作品を次々と送り出しており、また”To This Heartbeat There Is No End”など思いの込められたユニークな標題作品があることで知られている。



▼▼▼


故人は高名な「銘酒処」の経営者にして、日本酒のオーソリティだった。
(2009年5月逝去 享年52才…)

仕事を通じて出遭ったわけだが、そんなものは遥かに超えた、20年来のお付き合いだった。幾晩幾度酒を酌み交わし、語り合っただろうか。美味い酒だけでなく、そもそも「酒を飲むこと」の意味を教えてくれた。旅行にご一緒したり、ともにコンサートに出掛けたりも…何より無鉄砲で世間知らずの若造だった私にとって、何でも話すことができる頼りになる兄貴分であり、その後もずっと人生における精神的支柱だった。
諭してくれた「みんな同じ人間なんですよ。」という教えは、これからも絶対に忘れない。
その店に行けば彼がいてくれて、いつでも私は自分を取り戻せる-そう思っていたし、しかもそれはずーっと変わらない、と信じきってしまっていた…。

亡くなられる直前、最後にお会いした時には「一緒に酒飲んで、話をするあの愉しさは何物にも代えられないじゃない?もう(店を閉めるので、それを提供する)宴会はしてもらえなくなっちゃったけど…。」と本当に残念そうで…想いがわかるだけに、私は言いようもなく哀しかった。
そして病室から暇乞いをする時には、「ありがとう。こんなにいい付き合いができるとは思わなかったよ。ありがとう。」って、元気な頃のちょっとはにかんだあの表情に戻って手を握り締めてくれたのだ。
今もあの声、感触がよみがえってしまう…。


周治さん、どうか、どうか安らかに。
僕はあなたとの想い出を、ずっーと、大切に抱きしめていきます。
本当にありがとうございました…。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス

David_gillingham_condWith Heart and Voice
D.R.ギリングハム
(David R. Gillingham
1947- )







デヴィッド・ギリングハム
(冒頭画像)は「黙示録による幻想」「創世記」の2つの交響曲、「エアロダイナミクス」「ギャラクティック・エンパイア」などで知られ、今や吹奏楽界で最も人気のあるアメリカの作曲家。ダイナミックなサウンドと、現代感覚のある曲想がその魅力である。
「ベトナムの回顧」「アンド・キャン・イット・ビー?」「目覚める天使たち」といった時事問題をテーマにしたシリアスな作品もあるが、これらを含めた多くが標題音楽であり、内容がインスピレーションの対象に直結しているという”判りやすさ”も、人気を集めている要因だろう。

本稿で採り上げる「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」(2000年)も標題音楽の例外でなく、かつ祝典音楽としての”華やぎ”も有していることから、ギリングハム作品の中でも際立って人気が高い。
2003年全日本吹奏楽コンクールでは樽町中と広島大がこの曲を採り上げて見事金賞を受賞、人気は一気にブレイクした。

♪♪♪

「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」は、ミネソタ州のアップル・ヴァレー高校の創立25周年を記念してギリングハムへ委嘱された作品。
ギリングハムは同校を訪問した際にその芸術への傾倒ぶりに感銘を受け、大きなインスピレーションを得たとのことである。加えて同校の校歌がギリングハムが特に好んだ聖歌("Come Christians, Join to Sing")と同一であったことに、運命を感じたという。
かくしてギリングハムは委嘱を快諾し、
"Come Christians, Join to Sing"の主題をフィーチャーした楽曲を完成、創立時の不安から学校としての使命への傾倒、そしてその使命を忘れることなく達成へと進む同校の未来を描いて、アップル・ヴァレー高校を祝うものとしたのである。

「聖歌”Come Christians, Join to Sing”の最初の一節には”Let all, with heart and voice, before his throne rejoice”というくだりがあり、これに基いて標題は”With Heart and Voice”となった。素晴らしいアップル・ヴァレー高校の25年間を祝福するに、我々の「心」と「声」を以ってするに勝ることはあるまい。ここでの「声」とは音楽であり、そして「心」とは祝典において音楽が与えてくれる感動のことである。」
(ギリングハムのコメント)


♪♪♪

Come_christians_join_to_sing「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」にフィーチャーされた聖歌
”Come Christians, Join to Sing”(来たれ教徒よ、ともに歌わん)
は古くからスペインに伝承されていた旋律とのことだが、これは元々”Come Children, Join to Sing”という題名で、子供たちの日曜学校の歌であった。これを現在の歌詞の作者であるC.H.ベイトマン(Christian H. Bateman)が「この聖歌があらゆる人々に愛唱されるように」と改めたものである。ベイトマンによる作詞は1843年で、スコットランドにおける子供向けの聖歌集に初出している。

     歌詞の各連に現れる「アレルヤ(Alleluia)」「アーメン(Amen)」という言葉は
     意味深い聖書用語とされる。
     「アレルヤ」は英語の「ハレルヤ」と同義のラテン語で”主を讃えよ”を意味す
     るもの。一方、祈りの締めくくりとなることが多い「アーメン」は”真実””確信を
     もって””そうあれかし”といったことを意味するもの。
     従って、讃美の「アレルヤ」と喜びを確信する「アーメン」とを組み合わせた歌
     詞を持つこの聖歌は、主キリストを讃える音楽で満たされている。現在、そし
     て今後永久に主への讃歌を歌おう、とキリスト教徒に呼びかけるものであり、
     老若男女を問わず全ての人々に受容れられる聖歌と位置づけられている。


※出典:The Center for Church Music

♪♪♪

楽曲としては、
1. アップル・ヴァレー高校の校歌でもある聖歌
   ”Come Christians, Join to Sing”の主題
2. 同高校の芸術への傾倒(commitment)という
    ”使命”(mission)を表すオリジナルの主題
の2つの旋律を用いたコラージュというべき作品。

密やかで緊張感の高い導入部に始まり、美しくたおやかな歌があり、荘厳で輝かしい歌があり、激しい打楽器群の鳴動があり、16ビートの現代的でエネルギッシュな場面もある。そして変拍子でアクセントをつけたかと思うと、2つの旋律が一つになって高揚するクライマックス!
最後は快速・迫力・華麗を備えた終結部と、極めて多彩な楽曲となっている。

一方、ギリングハムのオリジナルである”使命の主題”は”聖歌”からの派生的なものであり、当初から”聖歌”と一つとなって歌われることが想定されていただろう。楽曲の設計と作曲意図が非常に明確であり、2つの主題が密接な関係を有していることが、全曲に亘り統一感を与えている。

以上のように、約9分弱の音楽の中で”多彩さ”と”統一感”とが見事に両立しているものであり、ギリングハムの最高傑作の一つと評価できよう。

詳細は、ギリングハム自身の解説(「」)に沿ってご紹介する。

1_3「曲のもつ性格としてはまずもって祝典の楽曲なのだが、この曲は遠慮がち且つ不安気に始まる。おそらくアップル・ヴァレー高校の創立時がそうだったように…。
同校の校歌の小さな断片が冒頭に聴こえてきて、この最初の4音が徐々に勢いを増し、重なり合い、音量を増して、導入部は劇的なクライマックスを迎える。」

「これが静まって、抒情的なFluteソロが現れる。この新要素は、優れた学園たることと芸術への傾倒とに根ざしていくべく創立されたアップル・ヴァレー高校の”使命”のユニークさを表現するものだ。」
Fluteeuph「EuphoniumがFluteに谺し、ほどなく他の楽器も加わってきて、劇的なファンファーレとともに高揚していく。」
F_horn
「次いで、不協和音と活発なリズムを伴った移行部となるが、これこそは新設校に命を吹き込もうとした挑戦を示すもの。さらに校歌(聖歌)が輝かしく提示され、25年前のアップル・ヴァレー高校の献身を表している。」
3_2
5_2「目まぐるしい打楽器群の動きをバックに展開するフーガは、同校の目標ならびに使命に対する、たゆみない挑戦そのものである。熱狂的であり、鬼気迫らんばかりに昂ぶるが、それもやがて落ち着いてゆく。
”校歌の旋律”と
”使命の旋律”とが一つになって大いなる安寧を描写するのだ。」


6「…アップル・ヴァレー高校は存立し続けるために、自らの”使命”を決して忘れてはならないのである。
拡張された終結部では、陽気で楽しげに、そして劇的さをもった祝典のムードに溢れて2つの主題が奏され、全曲を締めくくる。」












それまで自由に、さまざまな表情を見せていた音楽が、2つの主題の一体となったクライマックスへ集約していくさまは(ある意味”お約束”とはいえ)、洵に感動的!
そして終結部に現れる金管群の重厚で輝かしいサウンドや、鮮烈なドラ(Tam-tam)の響きは理屈抜きにエキサイティングであり、熱情的なエンディングに心躍らされる。

尚、全編に亘りさまざまな打楽器群が登場し、その演奏には優れた音色・精密さと積極的な表現が求められる。優秀なパーカッション・パートの存在が好演の前提となることは、疑いないだろう。
※ timpani, crotales(antique cymbals), xylophone, temple blocks,
    bells, crash cymbal, tam-tam, vibraphone, chimes, hi-hat,
    snare drum, tom-toms, bass drum, brake drum,
    suspended cymbal, marimba


Ws001音源としては
ユージン・コーポロンcond.
昭和ウインド・シンフォニー

のLive録音が素晴らしい出来映え。
積極的でメリハリのある表現は、個々のプレイヤーの自発性の高さゆえ。全曲をよく見透した構成力のある演奏であり、ここぞという場面で開華する鮮やかなサウンドも見事!

【他の所有音源】
  デヴィッド・ギリングハムcond. フィルハーモニックウインズ大阪 [Live/自作自演]
  デニス・フィッシャーcond. ノーステキサス大学シンフォニックバンド
  井上 道義cond. 大阪市音楽団 [Live]

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

ジュビラーテ

3Jubirate
R.E.ジェイガー
(Robert E. Jager 1939- )


ふと無意識に出てしまう口笛や鼻歌-それは人それぞれに違っていると思うが、私の場合は相当の確率で冒頭譜例のフレーズが現れる。1978年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲A「ジュビラーテ」練習番号Eのピッコロ・ソロ(A.Sax.とのソリ)である。
-何で「ジュビラーテ」?自分でも判然としない…。

♪♪♪

1978年の吹奏楽コンクール課題曲は
A ジュビラーテ (R.E.ジェイガー)
B カント (W.F.マクベス)
C ポップス変奏曲「かぞえうた」 (岩井 直溥)
D 行進曲「砂丘の曙」 (上岡 洋一)

であり、私が演奏したのは「かぞえうた」。コンクールの想い出が「ジュビラーテ」にあるわけではない。

吹連は40周年記念事業として、この年の課題曲をジェイガー、マクベスという二大巨匠に委嘱していた。ところが、マクベスは日本のコンクールを当時のアメリカのコンクール(初見演奏審査が中心と聞いた)と同様と想定してしまったようだ。そのためか、全国大会で「カント」を演奏したバンドはなし、という結果になってしまった。

また、前年の課題曲D=行進曲(「若人の心」)がBの部以下を対象としていたことから、1978年も「課題曲DはAの部では使えない」という思い込みがかなりの広範囲で発生していたと思う。大分県予選では選択したバンドはゼロ、西部(現九州)大会でも「砂丘の曙」を選んでいたのは全部門で石田中(沖縄)だけだったと記憶している。
ただ、石田中は「砂丘の曙」を”行進曲の枠組を超えて”歌いまくり、自由曲も伝説の名演となった「パッサカリア」を揃えて全国大会に進む。そして、金賞までも射止めてしまったのだが…。

そのような1978年課題曲の中で、「ジュビラーテ」が圧倒的な支持を集めていたことは間違いない。旋律はどれも魅力に溢れており、それがこの短い作品の中で次々に繰り出されて聴くものを惹きつけるのだ。自由曲もジェイガー作品で揃えるバンドもあり、”ジェイガー大好き”な私は羨ましくて仕方がなかった。
思えば、冒頭譜例のフレーズが私に刷り込まれたのも、そんな渇望ゆえだったのだろうか…。

♪♪♪

ロバート・ジェイガーは自作の特に緩舒部分が日本人に大変人気があることを知っており、「ジュビラーテ」を書くにあたってもこの”期待”に応えようとしたとのことである。そして、まさにその期待通りの作品となっている。

ジェイガー自身が解説したように、冒頭はホルストの「木星」(組曲「惑星」第4曲)にインスピレーションを得たもので、最初の主題提示もHorn(+ Sax)で行われる。
1_3急-緩-急の典型的な序曲形式であり、表題は”歓喜の小楽曲”といったニュアンスか。吹連の40周年を祝う意図もあったであろう。
「木星」よろしくシンコペーションを効かせた主題の展開が特徴的。後年この「ジュビラーテ」を演奏した際、トレーナーの方から「シンコペーションは音を抜かないで(=音の保持を充分に)!じゃないとリズムやテンポが判らなくなる。」と指導され、なるほどと得心したものである。

視界が開けて、Clarinet低音に現れる歌は実に幅広く暖かい。
2続いておどけたような木管セクションの応酬がある(冒頭譜例もその中のワンフレーズ)が、突如目覚めてエキサイティングさを取戻し、あっという間にクライマックスへ!

熱を冷ますようにTubaに導かれて音量とテンポを鎮め、Cantabile となる。ひらりひらりと舞うようなFluteの伴奏にのって、再び優美な旋律をClarinetが歌う。
4この中間部はロマンティックで、何より幻想的である。高揚した旋律に絡んでくるEuph.(+ Sax)の対旋律がまた素晴らしい!
5(実は私、主旋律よりこの対旋律の方が好みである♪しかも…音色はEuph.だけでいい!)

Hornのソロがますます幻想性を深めたのに続き、中間部冒頭が戻ってきてAllegro con brio の再現部へ。旋律が大きなうねりのようにセクション間を受け渡されて循環し昂ぶるさまが聴きもの。最後は短いコーダに突入し、スネアのリムショットとベル・トーンで鮮やかなエンディングとなる。

♪♪♪

課題曲としての役目を終えて「ジュビラーテ」は改訂され、Southern Music Companyより出版された。

※中間部に入る前=練習番号Gの3小節前の低音(Tuba,Fagotto)の動き:
    4分音符スタッカート → 休符なしの長い音符のスラーに


非常にコンパクトにかつ確りとまとまった佳曲であり、何より中間部の夢想的な幻想性は、永く愛される価値のあるものである。

音源は1975年以降のデモ・テープ音源がついにCD化されたものがある。2008年までの全て(1979年課題曲E「朝をたたえて」を除く)が4CD×2セットにて網羅されたのである。
1_2「ジュビラーテ」は
アントニン・キューネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

による演奏。完璧、とはいえないし当時多かった「如何にもスタヂヲ録音」な音源だが、真摯で情熱的な演奏であり、私はやはりこれをお薦めしておきたい。

※他の所有音源<いずれも課題曲版>
    渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
    山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ


♪♪♪

演奏参加型の音楽である吹奏楽において、「課題曲」は特別な存在。なにしろ見事なまでに各世代ごとの”共通体験”なのである。「○○○(課題曲名)の年に中3で…。」なんていうだけで、歳まで判ってしまう。^^)

課題曲であろうがなかろうが、良い曲は良いし、良くない曲は良くない。ただ、否が応にも”演奏体験”が付加されるために、課題曲は過大評価されがちだと思う。本来、楽曲に対する評価は”演奏体験”を除いた客観性によって下されるべきなのに。もちろん如何なる課題曲であっても”想い出”としての価値は十二分に認めるところではあるのだが…。

いずれにしても、日本中のバンド(しかも多くは若い生徒たち)が長い時間と多大な労力、思い入れを投入するのであるから、提供する側にも、「課題曲」を音楽的魅力や内容を備えたものとする責務があるはずだ。
「(オーケストレーションを含めて)”良くない音楽”を何とか良いものになるよう演奏することこそが、課題曲への取組である」
などという馬鹿げた考えは、まさかないだろうと信じたい。しかし近年、その様相がいよいよ強まっているようにも感じられて仕方がないのだが…。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

オセロ -シェイクスピアに基く5つの場面による交響的描写

Pf_1951462scenefromothellobywilliamOthello
Symphonic Portrait for
Concert Band / Wind Ensemble
in Five Scenes after Shakespeare

I.   Prelude (Venice)
II.  Aubade (Cypros)
III. Othello and Desdemona
IV. Entrance of the Court
V.  Epilogue
  - the Death of Desdemona


A.リード
(Alfred Reed  1921-2005)




冒頭画像 :”Scene from Othello” by Hubert Gravelot


数多くの名曲を遺したアルフレッド・リードが、「ハムレットのための音楽(1971)」に続いて1977年に作曲した”シェイクスピア・シリーズ”の第二弾。リードはさらに「魔法の島(1979)」「十二夜(2003)」「アーデンの森のロザリンド(2004)」とシェイクスピア戯曲にインスパイアされた作品を書いたが、「オセロ」はそれらの頂点に位置すると称するにふさわしい、洵に魅力的な楽曲である。

「各楽章は、それぞれ戯曲のある場面が醸成する雰囲気や情感を音楽的に描写したもので、いずれも台詞の引用が冒頭に掲げられている。」
とのコメント通り、リードは重要な科白から指し示される情景をイメージしつつ、「オセロ」の世界を描写的な音楽としてまとめあげた。

元々は1974年にマイアミ大学リング劇場による「オセロ」の劇付随音楽(金管楽器16+打楽器3の編成/全14曲から成る)として作曲された経緯にある。また吹奏楽版と同様の5楽章から成る金管合奏+打楽器による”Music from Othello”という作品も編まれており、こちらは録音(後掲)も残されている。

♪♪♪

1981年の全日本吹奏楽コンクールで天理高校がこの「オセロ」を快演し金賞受賞。大変レベルの高かったこの年の中でも天理らしい魅力的なこの演奏が、一気に「オセロ」を吹奏楽界に知りわたらせた。
張り詰めた緊張感の”プレリュード”、美しく切ない”オセロとデズデモーナ”、壮麗な”宮廷への入場”と続いて描かれた世界は、制限の多いコンクールの中でも抜群に輝き、以降「オセロ」は吹奏楽コンクール自由曲の定番となっていく。
Photo_8実は全国大会初演はこの天理の演奏ではないのだが、かつて効果的な抜粋によりリードの「ハムレットのための音楽」を構成してみせた天理の面目躍如たる選曲と演奏であることは間違いない。
特に”宮廷への入場”は圧巻で、終盤のアッチェランドから一音ごとに輝きを増していくサウンド、続く高らかなTromboneのハーモニーの鮮やかさ、クライマックスに放たれるシンバルの劇的さなど、あまりに感動的な演奏には思わず涙が頬を伝ったものだ。

また、1986年の関東大会(於:横浜県民ホール)高校の部では、野庭・市立川口・市立柏(代表・代表・金)が同じこの「オセロ」で激突!幸運なことに、これをライヴで聴くことができたのだが、その聴き応えたるや・・・。今でも大変印象深く、忘れることのできない競演である。

♪♪♪

Shakespeare_2ウイリアム・シェイクスピア
(左画像/William Shakespear
1564-1616)
の作品を題材にした音楽は本当に数多い。リードも
「シェイクスピアほど音楽作品に影響しているものは、例をみない。それは国籍や個性を問わず、あらゆる作曲家がシェイクスピア作品の豊かさや創造性に魅了されてきたからだ。」
と評している。


「オセロ」(Othello)
は「ハムレット」「マクベス」「リア王」とともに、シェイクスピアの所謂”4大悲劇”の一つとして高名であり、中でも明快な構造の作品といわれる。1604年初演と伝わるこの悲劇のあらすじは次の通りである。

  ヴェニスのムーア人、オセロ(Othello)は勇猛果敢で鳴らし、
    数多の戦功を挙げた名将にして、高潔な人物である。
    彼は黒人
※1であったが、人種の違いを超えてヴェニス貴族
    ブラバ
ンショー(Brabantio)の若く美しい娘デズデモーナ
   (Desdemona)
と恋に落ち、ブラバンショーの反対を押し切っ
    て結婚の契りを交わす。
    一方時を同じくして、オセロはヴェニス公爵
※2から名誉ある
    キプロス
島総督に任じられ、蜜月のデズデモーナを伴って
    かの地に赴くのであった。

    かくして公私ともに順風満帆と思われたオセロであったが、
    その彼に部下の旗手・イアーゴー(Iago)のどす黒い企みが
    迫る。イアーゴーは同僚キャシオー(Cassio)の副官昇進を
    嫉んで復讐を誓い、オセロを破滅に陥れようとしていた。

    イアーゴーは表面では忠誠を尽くすフリをして信頼を得ながら、
    巧みにオセロがデズデモーナとキャシオーの不貞を疑うよう
    仕向けていく。疑心暗鬼となりイアーゴーの奸計にまんまと嵌
    ったオセロは、徐々に激しく嫉妬に狂い、遂には自らの手で
    デズデモーナを刺し殺してしまう!
    この惨劇を見たイアーゴーの妻エミリア(Emilia)が真実を
    告白し、デズデモーナの潔白を知ったオセロは、デズデモーナ
    の亡骸に口づけしつつ、自らの命も絶つのだった。


     ※1  ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒を指すもので、
            本来「黒人」とは異なる。シェイクスピアがこの「オセロ」で
             ムーア人=黒人という設定を施したものとされている。

     ※2  「オセロ」の舞台は16世紀のヴェネツィア共和国と推定され、
            ”ヴェニス公爵”とはその国家元首である。当時のヴェネツィ
            ア共和国にはオスマン帝国の脅威が迫っており、その防衛
            は最大の国家課題であった。かかる
時代背景の下に、「オ
            セロ」は描かれている。

  ※3 「オセロ」は後世に強い影響を与え、その科白も数多く引用
            されている。エルガーの行進曲「威風堂々」の原題 "Pump
            and Circumstances"も、第3幕第3場のオセロの科白に由来
            するものである。       
                  Farewell the neighing steed, and the shrill trump,
                  The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,
                  The royal banner, and all quality,
                  Pride, pomp, and circumstance of glorious war !
           また同じく第3幕第3場に現れる「嫉妬 は緑色の眼をした怪物」
           という科白なども印象深い。嫉妬に狂うと眼が緑色に… その
           表現は面白く、妙に納得的だ。


「オセロ」には、その元となった物語が存在する。
ジラルディ・チンツィオ(Giovanni Battista Giraldi Cinthio 1504-1573)作の「百物語」(1565)第3日第7話である。
設定や大筋は同一であるものの、登場人物中デズデモーナ以外は名前が明らかでないことをはじめ、シェイクスピアの「オセロ」とは以下のように大きな相違点がある。

・嫉妬に狂ったムーア人の主人公は、デズデモーナを殴り殺すと
  いう残忍性を帯びており、加えてその殺害を事故死に見せかけ
  る姑息な人物となっている。また、デズデモーナの潔白は最後
  まで知ることがない。
  さらにこのムーア人の主人公は、自決するどころか拷問に耐え
 流刑に処されるにとどまるが、最期は流刑地でデズデモーナの
 
一族の手にかかって殺されることとなる。

・(「オセロ」におけるイアーゴーに該当する)部下が主人公のム
  ーア人総督を陥れたのは、冷遇を恨んだことだけではなく、デ
  ズデモーナに横恋慕し、それが叶わぬことが大きな動機となっ
  ている。(「オセロ」でもデズデモーナに横恋慕する男は登場す
  るが、それはイアーゴー自身ではなく、イアーゴーはその男を
  利用するに過ぎない。)


「百物語」にあるこの”原典”は、実在した16世紀のキプロス総督をモデルにしたといわれるが、一言で云えば”奇譚”の域を出ないもの。
美しき白人の令嬢と逞しきムーア人の勇士-こうした異人種男女の恋や秘事は、現代でも下衆な好奇に晒されている。そう、殺害場面の猟奇性も含めて、この原典譚はまさに”好奇”の視点へのアピールが強すぎるのだ。
    ※註:キプロス司直で裁かれた犯罪者がモデルという説もあり

一方、シェイクスピアはこの原典譚を題材に、高貴な精神性と悲劇性とを限界まで高めたとは言えまいか?
嫉妬に狂い、妻を殺す-それがあまりに真っ直ぐで高潔な人物の惑った結果であるゆえに、悲しい。信じたくて已まない妻を殺害した直後に、その潔白という事実が迫ることが悲しい。ほかに途のないオセロの自決という必然が、悲しい…。
そして、それを仕組んだイアーゴーの邪心が(恋慕などという情念的なものでなく)純粋に名誉欲、或いは権力欲に過ぎないことが、また悲しい。

原典は相応な時間の経過の中で展開するのに対し、「オセロ」ではごく短い時間に圧縮されて展開する。オセロとデズデモーナの幸せな時間もごく僅かでしかない。
「時間の短縮」によって緊迫と転変の効果を増し、悲劇性を高めるのがシェイクスピア得意の手法とのことだが、それも含めてシェイクスピアは原典である”奇譚”を「オセロ」という”大悲劇”へ昇華させたのである。

Photo※参考・引用文献 :
「オセロー」  
小田島 雄志 訳 渡辺 喜之 解説 (白水社)
「百物語 抄」 望月 紀子 訳
  (ルネサンスの箱 澁澤 龍彦 / 筑摩書房)
三神  勲 によるオセロー解説 


♪♪♪


作曲者リードは詳細なプログラム・ノートを遺している。これ(「」)も引用しつつ楽曲の内容を楽章ごとにご紹介する。3連符のリズムが悲劇的要素のモチーフとして強弱変化しつつも全編を貫いており、統一感と劇的な感動を演出しているのは印象的である。

I.前奏曲(ヴェニス)
   
”習慣とは恐ろしきもの。戦の庭にあって石を枕に鋼を床に
     して参りました我が身には、今や戦場こそこよなき羽毛の
     寝床でございます。”

「冒頭から戯曲全体に漲る緊張感と戦いの雰囲気を醸し出しているが、これは第1幕第3場でオセロがヴェニス公爵に行った演説(台詞上掲)に象徴される。」


1打楽器のショットで堰を切るTrp.・Trb.の楽句によって、決然と開始。その表情は険しく、緊張感が全合奏にそのまま引き継がれていく。壮大なサウンドは一旦静まって、(第3楽章に登場する)美しくも物憂げな旋律へ-。やがて遠くからファンファーレが聴こえると、鮮烈な応酬を積み重ねてスケールの大きな音楽となる。ここからは冒頭が再現されるや直ちに落雷の如くHornの楽句が下り、息つくまもなく重厚な音塊が押し寄せる-と、実に精力的でパワフルだ。
音楽は放射状に高揚し、緊張の頂点で終止符を打つ。ここでの執拗な3連符の鋭い打ち込みは、逃れることのできない哀しき運命を暗示しているのではないだろうか-。

II.朝の歌(キプロス)
     ”おはようございます、将軍”
「オーバード(Aubade)は朝の歌即ちセレナードで、(赴いたキプロスにて)オセロとデズデモーナの居所の窓の下で演奏する旅回りの楽隊によって奏されるもの。(第3幕第1場)この楽章は少人数で奏されることにより、荘厳な第1楽章や、豊潤で深遠な第3楽章と最高のコントラストを生み出すことができる。」


Photo古風で軽快な音楽。悲劇の中でも安寧な雰囲気にある場面を描いたものであり、16世紀の街中にある些細な楽隊がそのままイメージできよう。
その軽快で爽やかな楽想を活かすため、リードは「Cl.・Euph.・Tubaを各パート2名とする以外は全パート1名ずつで演奏すること」と指示している。

III.オセロとデズデモーナ
    ”あれは私が冒した艱難ゆえに私を愛したのであり、また
     そうした我が身上を哀れんでくれたゆえに、私もあれを
     愛したのでございます。”

「オセロとデズデモーナの間の情熱的だが優しく深い情感を描写している。副題には、デズデモーナに求愛したことに関して、オセロがヴェニスの議官たちの前で行った弁明(台詞上掲)を引用している。」


ファンタジックなサウンドに包まれて、木管群が甘美な歌を歌う。デズデモーナの美しさや、二人の愛の純粋さをイメージさせる清々しさだ。
1_2穏かで優しい音楽は、幸せな時間が夢の中でたゆたうように過ぎていくことを表す。-なのに、続くHornのソロにはもう既に”悲しみ”が潜んでいる。
さらに音の束を厚くして歌い上げられていく旋律は、確かに美しい。
Photo_2しかし、それは煽情的なオブリガートを伴いながら高揚するにつれて、胸をかきむしるような不安に包まれていくのだ。特に咽ぶようなHornのオブリガートには心が激しく揺すぶられてしまう…。
Photo_6この劇的なクライマックスの後、二人の運命と愛の行方を暗示する音楽は、やがてぼんやりと遠く、遠く消えていく。

IV.廷臣たちの入場
     ”見よ、ヴェニスの獅子を!”
「(この楽章で描写したのは)シェイクスピア原典の第4幕第1場と、ヴェルディの歌劇のためにボーイト(Arrigo Boito 1842-1918)が脚色した台本に登場する同様の場面との合成である。激怒と嫉妬のために半狂乱に陥ったオセロが、オセロを英雄として讃えようと訪れた廷臣たちの前でデズデモーナを罵り、殴るという忌まわしい場面の後、イアーゴーは(痛烈な皮肉を込めて)オセロを嘲笑するのである。」


全曲の白眉といえる楽章。喨々たるファンファーレに始まり、絢爛豪華で”颯爽”としたフレーズが随所に現れる。添えられたリードのコメントに違和感を覚えるほど、威風堂々として気品と輝きに満ちているのだ。
主部は悠然たるグランドマーチだが、これに緊迫したHornや炸裂するシンバルとTrb.などが豊かな色彩を加え、重厚さも増していよいよクライマックスに向かう。(轟くBassTrb.の音色が冴える!)
1_3気忙しく駆け上がる木管をきっかけにサウンドはさらに煌き、その頂点(Poco piu mosso)でバンド全体が大きく鳴動すると、これにTrb.ソリが呼応する…その華麗さといったら言葉に尽くせない。
Photo_5高らかなファンファーレに続きシンバルが劇的に響きわたると、ドラムロールを従え最後まで華々しい楽句で曲を結ぶ。

V.エピローグ -デズデモーナの死
  ”お前を殺す前に口づけをしてやったな。
      こうするよりほかは…”

「第5幕第2場が戯曲を集約し、人間性を切り裂き人間性よりも優位に立ってしまった誤解の全てを集約しているのと同じく、この終楽章は全曲を総括し、これまでに生じた不協和音を最終的に解決させている。その副題には、デズデモーナの屍にオセロが語りかける最後の有名な台詞を引用している。」


前楽章の華々しい印象は、序奏で瞬時に漆黒の暗鬱な雰囲気に変貌してしまう。空しさの漂う中、沈痛なMuted Hornのソロが挽歌を歌う。
5続く第2楽章の旋律の再現。愛情に満ちた日々のオセロとデズデモーナを回想させるが、その旋律は高揚しながら形相を変え、この上なく悲劇的なものとなって分厚いサウンドが聴くものを圧迫する。クライマックスで打ち放たれるスネアのリズム(悲劇の3連符)は、やはり逃れられなかった哀しい運命を象徴するものであろう。
やがて声にならぬ祈りのような密やかな音楽となって、それは徐々に生命力を失い、悲劇の終幕にふさわしいダウン・エンディングとなる。

Reed_2※参考・引用文献 :
「アルフレッド・リードの世界」
                     村上 泰裕  訳・編著 (佼成出版社)

吹奏楽界の巨匠アルフレッド・リードがその遺した楽曲について
書き記した解説や演奏上のアドバイスを網羅的かつ詳密にまと
めた名著。何よりその真摯な翻訳・編集スタンスが素晴らしい。
リード作品の鑑賞・演奏上、最も重要な参考文献と断言する。
1998年の出版であり、今後ぜひリード最晩年の作品も収録した
「改訂完全版」が上梓されることを心から望みたい。


♪♪♪

「オセロ」は美しい旋律やカラフルな色彩感、各楽章のコントラスト、輝かしく豊潤なサウンドといったリードの美点が散りばめられた作品であり、これらをぜひ存分に堪能したい。音源としては以下をお薦めする。

Tkwo005アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

最も安定し、オーソドックスな自作自演盤。気品と落着きがあり「オセロ」の王道ともいうべき演奏だが、メリハリもあって丹念な曲作りが窺える。発売当時、漸く登場した市販初の全曲録音であり、ファンには歓喜をもって迎えられた。

Image_2jpegウイリアム・シルヴェスターcond.
イースタン・ウインド・シンフォニー

前述した金管+打楽器による編成版。構成等ほぼ吹奏楽版と同じであり、「オセロ」の原典を垣間見させるもので参考になる。その一方でこの版を聴くと、リードが木管楽器を実に効果的に使用したオーケストレーションを施していることが再認識できる。

※その他の所有音源
   金 聖響cond. シエナウインドオーケストラ
   野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊
   アルフレッド・リードcond. イースタン・ウインド・シンフォニー
   アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウインドアンサンブル
   鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー
   アルフレッド・リードcond. アメリカ空軍ミッド・アメリカ・バンド

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月27日 (火)

シンフォニア・ノビリッシマ

Cd001Sinfonia Nobilissima
for Band
R.E.ジェイガー
Robert E. Jager 1939
-)








「カッコイーッ!」


木造平屋建の部室でこの曲のレコードを聴いていた、当時中学1年生の私の口を突いて出た感想である。堂々たるイントロはもちろん、「ばばばばばばばば」とD♭スケールで駆け上がり、高らかにメロディを執るTrombone・・・
うーん、いい!

キラキラ輝くOboeソロ!(というより、この頃は
ただただ「これがOboeかー、すげー。」という感想だったが・・・。^^;)に続いてまたもバリバリ鳴らすTrombone、次いで耳慣れない太鼓の音色(「トコトコトン」)が印象的だ。部室に楽譜があったから見てみると、1st Tromboneの最高音はHi-H!(高ぇ!)。あの太鼓の音は”スネア・オフ”という奏法らしい。確かに、部室のスネアのレバーを”オフ”にして叩いてみると、同じ音色がした。面白い!

それに、最後の打込みは何度聴いてても”ズレ”についていけない。絶対飛び出しそうだなぁって先輩達と笑った。自分の担当楽器であるTromboneは全編に亘って大活躍だし、聴けば聴くほど演ってみたいなーって思いが、ぐぅぅぅーっと募ったことを思い出す-。

♪♪♪

1960-70年代を代表する吹奏楽オリジナル屈指の名曲。邦訳タイトルとして「吹奏楽のための高貴なる楽章」もある。音楽之友社から日本版の譜面が発売されたこともあり、当該年代に吹奏楽に触れた方々には想い出深い作品であり、また憧れの楽曲でもあっただろう。私自身にとっても前述のように、強い憧憬の対象であった。

この時期、吹奏楽界では未だOboeの存在は希少であり、Oboeが極めて重要な役割を果たすこの曲は、敷居の高いものでもあった。それでも圧倒的な人気を誇ったことは、その魅力のほどを如実に物語る。全日本吹奏楽コンクールでも1969年の阪急百貨店に始まり、12回採り上げられているが、1977年の天理中を最後に姿を消した。
(譜面づら以上に演奏はなかなか難しく、必ずしもコンクール向きの曲ともいえないのである。)

♪♪♪

作曲者ロバート・ジェイガー公式HPには、1965年の作曲と記録されている。しかしながら、当時の事情に詳しい秋山 紀夫氏の解説によれば1962-1963年にかけて作曲されたとされる。当時婚約中であったルシル夫人に捧げられた作品であり、中間部のロマンティックで優美な旋律は、ルシル夫人も大変なお気に入りであるという。

そう、この「シンフォニア・ノビリッシマ」は、さまざまなアイディアが次々と現れ、ジェイガーの才能が随所に閃く作品なのだが、何といってもこの”渾身の”名旋律こそが、その白眉である!-婚約者に捧げられたとあれば、それも納得できるというものだ。

この後、ジェイガーは「交響曲(第1番)」「ダイアモンド・ヴァリエーション」「シンフォニエッタ」によりABAオストワルド作曲賞を3度受賞するなど、吹奏楽界に燦然と輝く作曲家として活躍していく。

♪♪♪

1Andante fieramente(fieramente:熱烈に、激しく)の序奏部で始まる。重厚なサウンドで主要旋律が堂々と、そして標題通り高い品格をもって奏されるその瞬間から、楽曲に惹きこまれてしまう。ありがちな前奏などは敢えて排し、”いきなり”主題をガツンと提示するアイディアは、却って大変斬新に感じられるものである。その主題の頂点で Allegro con brio に転じ、華々しい響きで主部に突入、急-緩-急-コーダの典型的な序曲形式で楽曲は展開していく。

冒頭に提示された旋律が今度はクラリネットの美しい音色で朗々と奏される。
2以降、ソロも散りばめ各楽器の特質・音色を活かした非常に多彩な音楽となっていくのだ。


特に、クラリネット群のシンコペーション伴奏を従え、ダイアモンドのようにキラキラ輝くOboeソロ、
4そしてそれを受けて凛々しく豪放にぶっ放す金管低音群とスネア・オフのカウンター、さらに鮮烈さを極めたTromboneソリと、息をつく間もなく聴かせていくさまは、ジェイガーの溢れる才能を強烈に認識させられる。
5この上、さらに堂々たるフーガを配してさらに音楽を深化させていくのだから、舌を巻くしかない。

突然の場面転換で中間部 Andante となる。ここでは音楽が全く違う表情を見せていく。
3清らかさ、気高さ、暖かさ、ロマンティックさ、感傷、想い出・・・現れた一つの旋律から与えられるイメージは本当に多様であり、それこそは如何に力のある旋律であるかの証左であろう。こんな旋律が生み出せただけでも、本当に素晴らしい。

続くOboeソロは、さらに切なさをプラスしてくる。
6もう胸がいっぱいになってしまって、とても涙なしには聴けない!
そして再び中間部冒頭の旋律が高らかに歌い上げられると、今度はHorn(+ A.Sax, Euph.)の劇的な対旋律が・・・。
7ああー、何てことをしてくれるのか。ここまでやるか!

高揚した音楽は幅広い感動的な”絶唱”となるが、そのまさに頂点で突然の Tempo I という大胆さ。コンパクトな再現部となり、最初のスネアのリズムからして緊張感を張り巡らせた音楽は、テンションを高めたまま終結部へと向かう。
曲の最後は、打楽器のロールの上で前出楽句とはわざとパターンをずらした打ち込み。きりりとした表情で、躊躇なく決然と締めくくる。

♪♪♪

シンフォニア・ノビリッシマの演奏にあたっては、テンポの変更を伴う場面転換がことごとく急であることを意識すべきである。決して躊躇うことなく、小気味よく転換していくことが肝要となる。特に、中間部 Andante の前では、Hornソリに”non rit.”という明確な指示もあり、ベタな繋ぎは禁物である。
また、中間部 Andante から Tempo I に戻るのも唐突でなければならない。絶唱を極め、それでもまだ歌いたい、まだ言い足りないと心を残したまま、敢えて断ち切るようにして再現部へ -その”残心”が聴きたい。それを際立たせるためにも、続く再現部はデジタルでストイックにコントロールされた、引き締まった演奏が求められるだろう。

そして各楽器の動きも、ある時は表、それが瞬時に裏に回るなどこれも転換が実に早い。甘美な旋律を存分に聴かせる一方で、全編を通じシャープな感性による敏捷な”切換”が重要となる楽曲なのである。

上記観点から、私のお奨めする音源は以下2つ。

Cd003佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ

大変メリハリを効かせているのに、隆々とした一本の音楽の流れが一瞬たりとも損なわれることのない名演。その小気味良さはあまりに快感。
特に、序奏部はこれぞ fieramente というべき演奏で、他の追随を許さない。唯一、中間部終わりの”残心”がもう少しだけ欲しかった!(音楽的なまとまりへの配慮が行き届いたゆえのことだと判っているのだが・・・。)

Cd002秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

オーケストラ的な明確な発奏とスッキリしたサウンド・・・。知性を感じさせる曲作りとともに、何といっても全編に漲る”拮抗感”-そのテンションが素晴らしい。
高潔なその演奏は”Nobilissima”の語感を体現したともいえよう。

<他の所有音源>
服部 省二cond. 海上自衛隊東京音楽隊
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
加養 浩幸cond. 航空自衛隊西部航空音楽隊
上原 紘一cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウィンドアンサンブル [1977 Live]
ロバート・ジェイガーcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
ウイリアム・ビンcond. カリフォルニア・ステート大学ウインドアンサンブル

| | コメント (13) | トラックバック (1)

2008年12月28日 (日)

セドナ

Steven_reinekeSedona
S.ライニキー
(Steven Reineke 1970- )








作曲者スティーヴン・ライニキー(冒頭画像)はシンシナティ・ポップス・オーケストラの副指揮者兼アレンジャーとして高名。
もともとトランペット奏者として音楽家のキャリアをスタートさせたこともあってか、吹奏楽界にも「ホープタウンの休日」「神々の運命」といったオリジナル曲を、数多く提供している。2007年には大作「吹奏楽のための交響曲第1番”New Day Rising”」を発表し、一層の注目を集めた。

そんな彼の作品の中でも、「セドナ」(2000年)は特に人気が高い。明快な構成と印象的な旋律 -一つの旋律を展開・変奏していくのだが、旋律の魅力と豊かな色彩感とで、決して飽きさせることのない佳曲となっているのである。

♪♪♪

Photo_3”セドナ”とはアメリカ・アリゾナ州にある景勝地。突き抜けるように青い空と、低木の緑とに囲まれた赤色の巨岩(レッドロック:鉄分を多く含む)のパノラマが名高い。

※本稿で採上げた「セドナ」のスコア表紙(左画像)も
  この「レッドロック」をフィーチャーしている。



その壮観と、美しい水辺の光景が見られるオーククリーク・キャニオンの入口にもあたることから、セドナには年間約400万人もの観光客が訪れるとのことである。
Sedonaまた、セドナにはヴォルテックス(Vortex)という所謂”パワースポット”がいくつも存在しており、スピリチュアル・リゾートとしての人気も持つ。この”ヴォルテックス”では、大地から磁場が渦を巻いて湧き起こっているといい、「日常の疲れが癒された」「普段夢を見ない人も毎晩夢を見る」「身体の痛みがとれる」「自然に悩みが消えていく」など、”癒しのパワー”が得られると紹介されている。

古来ネイティブ・アメリカンの聖地として扱われていたというこの地には、自然の不思議な力が備わっているということだろうか-。

※参考サイト
   アリゾナ州セドナ商工会議所観光局公式ウェブサイト
   クラブワールドのセドナ&Mt.シャスタツアー


♪♪♪

1短く、しかし鮮烈にクレッシェンドするスネア・ソロで曲を開始、非常に斬新なオープニングである。楽曲は急-緩-急の典型的な序曲形式にして、前述の通り明快な旋律線の音楽であり、大変親しみやすい。

しかしながら、その旋律の素晴らしさと展開に見せる音色の彩りが見事で、充分な音楽的魅力も備えている。これこそを作曲家の”手腕”というのだろう。

ソロを数多くかつ効果的にフィーチャーしているのも特長で、優れたプレーヤーを揃えた実力のあるバンドであれば、それだけ高次元の音楽になることは疑いない作品である。

♪♪♪

快速部は Allegro con brio 4/4拍子、意外感のあるスネア・ソロでスタートし、モチーフの提示。続いて快活なリズムに乗り、クラリネットが歌いだす旋律がのびのびと躍動する。
2各楽器の音色対比もオーソドックスに確りと活かされているし、フレーズの終わりには効果的なHornのgliss-upを聴かせるなど、実に気が利いている。

静まってテンポを緩め、抒情的なTromboneソロが現れる。
3これに導かれて Andante cantabile 3/4拍子の中間部となり、ファンタジックな伴奏を従え、Flute ソロが美しく歌う。楽曲は楽器の特性・音色を存分に発揮させながら高揚し、同じ旋律がまた違った味わいで歌い上げられていくのである。
その頂点で音楽は幅広い、雄大なクライマックスとなり、聴いているものに確かな満足感、そして不思議にほっとした安寧を与えるのだ。

静まって名残惜しげなFluteの余韻の中、スネアのリズムが快活さを呼び戻し、カノン風のブリッジへ。ここでもクラリネット、ファゴットのソロが掛け合い、さらに音色の多彩さを印象付けている。
4コンパクトな再現部を経て、生命感とスピード感を増すコーダへ突入し、ほとばしる清流をイメージさせる爽やかなエンディングを迎える。

♪♪♪

これほどキャッチーな旋律が生み出せた段階で楽曲の成功は約束されたともいえるが、これを活かす”余計な重量感のない(=爽やかな軽さの)”サウンドが特徴的な作品だと思う。曲全体のシンプルな完結感・統一感の高さが、却ってこの曲の魅力を充実させていると感じられるのだ。

Cd_ww音源はその魅力を端的に伝える
エドワード・ピーターセンcond.
ワシントン・ウインズ

をお奨めしたい。
おなじみ”デモ音源職人”の「職人芸」。この演奏はその中でも屈指の好演と思う。
「如何にもスタヂヲ録音」なのを差引いても、素晴らしい。

Cd「如何にもスタヂヲ録音」がどうしても嫌という方には
山下 一史cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

の演奏を。自然な響きの演奏で手堅いが、伴奏と旋律のグルーヴにやや一体感を欠くのは残念。

※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月29日 (土)

神の恵みを受けて

Elijah_fed_by_the_ravens"Elijah Fed by the Ravens" by Paolo Frammingo (1540-1596)

To be Fed by Ravens
W.F.マクベス
(William Francis McBeth 1933- )


原題は「烏(カラス)によって養われる」の意。旧約聖書/列王記 上 第17章~ 下 第2章に登場する
預言者エリヤ(別称:エリヤフ)のエピソードを指すものである。

Fmcbethウイリアム・フランシス・マクベスは、自身をテキサス州のバンド指導者たちの支持と精神的な支えによって育てられた作曲家であると認識しており、そのことに対する感謝を込め、旧約聖書のエピソードになぞらえてこの曲を作曲した。
それゆえ、後半部に現れる旋律はテキサスのフォークソングを元にしているという。

※ 「テキサス・レインジャー・ソング」(Texas Rangers Song)
    「メキシカン・デグエラ」(英文題名不詳)
    「グリーン・グロー・ザ・ライラックス」(Green Grow the Lilacs)


♪♪♪

エリヤ(Elijah)は旧約聖書において、モーゼと並び称される偉大な預言者とされている。
「第七の封印」「カディッシュ」をはじめとして、宗教的な題材による作品を多く発表しているマクベス。直接的な作曲動機はともあれ、彼が預言者エリヤの苦難とそれを超えた後の活躍を描く意図で、この「神の恵みを受けて」を書いたことは、これもまた間違いのないところであろう。

※尚、この「神の恵みを受けて」という邦題は原題の直截さを和らげつつ内容的にも納得できる、大変ふさわしいものだと思う。


♪♪♪

預言者エリヤの登場する列王記は、ダビデ王の晩年に始まりこれを継承したソロモン王の治世(吹奏楽でも高名な「シバの女王ベルキス(レスピーギ)」の題材)、イスラエルの分裂とユダ王国の様子を描く。旧約聖書に収められた歴史書の一つであり、どのエピソードも大変興味深い内容だが、その中でもエリヤの苦難と活躍、そして栄光は神秘的かつ印象の際立ったものといえよう。
(かのメンデルスゾーンも「エリヤ」を題材にしたオラトリオを遺している。)

エリヤという預言者が如何に描かれているかを端的に云うならば、
「異教と対決し、為政者を糾す真の”神の人”」
ということになる。
エリヤは預言者として立ったのち、異教に惑っていることを批判して災い(=旱魃)の予言を行ったことが疎まれ、北イスラエル外に逃亡を余儀なくされる。そのエリヤに対しヤーウェ神は涸れ谷に隠れ住むよう指示し、烏(カラス)によってエリヤを養うことを約すのである。

ヤハウェの言葉がエリヤ(エリヤフ)に臨んだ。
「ここを去って、東へ向かい、ヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に身を隠し、その涸れ谷の水を飲め。わたしは烏に命じて、そこでお前を養わせる。」
彼は去って、ヤハウェの言葉通りにした。彼はヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に住んだ。烏が朝にパンと肉を、夕べにもパンと肉を彼のもとに運んできた。彼は涸れ谷の水を飲んだ。

(列王記 上 第17章1-6 )


旱魃が続いて水が完全に涸れた後は、再びヤーウェ神の啓示によって居を移し、極貧の寡婦に養われるようになる。そこでその寡婦の亡くなった息子を甦らせるという奇蹟を示し、”神の人”と称されるようになるのである。
そしていよいよ、異教(バアル、アシェラ)の何百人という預言者に、たった一人で立ち向かう”カルメル山での対決”に臨む。エリヤは”神の火”を下らせてこの対決に勝利し、「何が”真の神”たるか」を人々に覚醒させるのだ。さらにエリヤは、ナボトの葡萄畑を奪おうとしたアハブ王を「ヤーウェ神の教えに反する」と厳しく糾弾し、革命が起こると予言する。

このように苦難を受けながらも、ヤーウェ神の真の預言者として活躍したエリヤは、後継をエリシャに頼んだ後、炎に包まれた馬と戦車に迎えられ、つむじ風に乗って天へと召されていくのであった。

Photo-あの”烏によって養われた”エリヤが、である。
最期にエリヤが浴した輝かしい栄光と、忌避されるものに養われたというエピソードとのギャップが、ますます物語を印象深いものとしている。

※上記出典:「列王記」 池田 裕
    (旧約聖書翻訳委員会)訳/岩波書店
 

♪♪♪

「神の恵みを受けて」はマクベスの特徴である「劇的さ」を極めた楽曲となっている。緩やかで厳かな第1の楽章と、スピード感のあるエキサイティングな第2の楽章から成り、これらが続けて演奏される。
底辺とも云うべき苦難の日々から、それらを超えて栄光の瞬間へ-まさにエリヤ伝を端的に表す楽曲であろう。
マクベスの楽曲の中でも、最も打楽器が活躍する作品であり、打楽器奏者の優れた技量と表現力が要求されている。

♪♪♪

1_2第1の楽章(Drammatico 4/4 M.M.=56-60)は、ドラとチャイムを伴った低音群の重々しく荘厳なサウンドで開始する。続いて木管が歌いだす旋律が醸しだす雰囲気は神秘的で、幻想的だ。如何に音楽が高揚しても、全曲がこの雰囲気に支配されている。

やがてじりじりと昂ぶっていく音楽-上昇音型の高音楽器群と、下降音型の低音楽器群が応答を重ねながら頂点に向かい、まさに絶唱となる。マクベス・サウンドの劇的さの真骨頂である。
それがすうっと静まって、音楽はさらに幻想的となり、遠く遠く消えてこの楽章を終う。

第2の楽章(Suspensefully but with drive 12/8 M.M.=94-96)は、密やかだがスピード感のあるオープニング。ややくぐもったような低音群の響きと蠢く打楽器群によって、緊張感が高まる。徐々に楽器の数を増やし、放射状にダイナミクスとヴォルテージを上げ、遂には鬼気迫るチャイムの乱れ打ちが鳴り響いて、とどめとばかりに急激なクレッシェンド!
そして頂点で、3群のトランペットによる壮麗なファンファーレが・・・!
2その鮮烈さは”これぞ圧巻”-アンティフォナルに響きあうラッパの音は、聴くものの心を否応なく興奮させるだろう。

続いて扇情的なクラリネットのトリルに導かれてHornとBaritoneに凛とした旋律が現れ、さらに引き締まった表情の音楽が展開する。
3ここでも打楽器は縦横無尽の活躍だ。

再びトランペット群によるファンファーレが奏され、最大のクライマックスへ。炸裂する高音がテンションをギリギリまで引上げ、バンド全体が変拍子で豪快に鳴動する、そのダイナミックさ!・・・あまりに劇的だ。
打楽器群の壮絶なソリと木管のサウンド・クラスターに導かれて終結部となり、最後の瞬間までエネルギーを漲らせていく。

♪♪♪

「神の恵みを受けて」は、マクベスの特長を存分に発揮しているのはもちろんのこと、構成面の完成度が非常に高いと思う。楽曲全体を俯瞰してみて、各部分の色彩やダイナミクス、コントラストの配置が洵にバランスよく、絶妙に一つの音楽としてまとまっている。
このことが楽曲に深みを与え、題材である旧約聖書にふさわしい世界を表現しきったといえよう。

♪♪♪

収録音源は以下。
Lp大橋 幸夫cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

構成感に優れ、細部のニュアンスまで行き届いた名演。終盤クライマックスのトランペットが(無理からぬも)もはや悲鳴なのはやや残念だが、「第2の楽章」冒頭のコントロールされた放射状の盛り上がりは見事で、抜群の出来映え。
(洵に残念ながらCD化されていない!)

Cdフランシス・マクベスcond.
テキサス工科大学シンフォニックバンド

作曲者マクベスの自作自演盤、実演としてはこちらの方が現実的か。大変熱情的な演奏で、粗もあるが意思の感じられる好演。

Sbテキサス
工科大学
シンフォニックバンド

(LP版ジャケットより)

♪♪♪


マクベス作品の中では、必要とされるテクニックやスタミナからして一番の難曲か?スコアをみると想像以上にスッキリと書かれているが、一つの楽曲として聴かせる俯瞰力が必要となる。

全日本吹奏楽コンクールでは1980年に市立川口高校が演奏し、見事金賞を受賞。しかし全国大会での演奏はこれ一回のみであり、演奏時間が12分とかなりカットを要することもあってか、コンクールではあまり採り上げられない。元々音源が乏しいうえに、このこともこの曲の認知度を下げてしまっている。
マクベス作品の中でも屈指のものであるから、もっともっと演奏されて然るべきと思う。ぜひ再評価・新録音を期待したい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

ジュビラント序曲

We※アルフレッド・リードcond.マイアミ大学ウインドアンサンブル(1980年)

思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、
サンダル、あじさいの花
              ~俵 万智「サラダ記念日」より


♪♪♪

A Jubilant Overture
A.リード
(Alfred Reed 1921-2005)


「春の猟犬」 「パンチネロ」とともにアルフレッド・リードの3大序曲というべき名作。1969年の作曲で、リードの作品としては初期のものにあたる。

1_3”Jubilant”は”歓喜”を意味する。思わず歓声をあげ、或いはそのうれしさに酔ってしまうような、爆発的な喜びを指す言葉とされる。曲想は冒頭からして、まさにそのイメージ通りの音楽である。

リードは「春」という季節の華やいだ喜びをイメージしたとのことだが、この曲から感じる”瑞々しさ”は随一のもの。とにかく若い活力に満ち溢れている。
青春という人生における季節を、そのままそっくり切り出して音楽にした-そうした若々しい一途さ、ストレートさが何より最大の魅力であろう。
急-緩-急のオーソドックスな形式の中に、素敵な旋律と輝かしく豊かなサウンド、爽快感が散りばめられている。

♪♪♪

鮮やかなスネアのリムショットで華々しくスタート、これぞ”Allegro con brio”という音楽が流れ出す。金管中低音による生命力溢れるモチーフ提示に続いて、クラリネットがキラキラと旋律を歌いだす。
2スピード感と突き進む推進力は聴くものの心を弾ませ、金管群の轟く原色のコントラストがまた見事である。かと思うとカップミュートのTrp.+Trb.がパステルカラーの楽句を描くなど変幻自在、これが中間部へのブリッジに導いていく。
3
中間部 Molto moderato e espressivo ではミュートを外したTrb.の伴奏からして、実に暖かいサウンドが聴かれる。ファンタジックでもあり、ロマンティックでもあるこの音楽から得られるイメージは、スィートな”優しさ”だ。

やがて木管群に抒情をきわめた旋律がやってくる-。
4そして、徐々に高揚する旋律を柔らかに後押しするTimp.のロールが、決定的な感動を与えるのだ。泣ける!

静まって中間部冒頭の旋律が戻り、遠く遠く消えていくと、突如として凛然と快速なテンポが戻る。遠くから迫ってくるスピード感は遂に炸裂して再現部、まるで花火の如き壮麗さである。
静まって軽やかな木管アンサンブルとなり、ここではファゴットの対旋律が洵に味わい深い。
リードの音色配置の巧みさには舌を巻くばかりだ。
5
あとは一気呵成の終結部。スネアのリムショットで鞭の入った音楽は、ますます興奮を高めて緩むことなく、再びリムショットの一撃が入り最後の最後までスピードとエネルギーを漲らせていく。
曲中、都合3度のリムショットはこの曲に鮮烈な印象と個性を与えており、まさに聴き所となっている。

♪♪♪

この曲の演奏には熱気が欲しい。妙に醒めた演奏では、はち切れんばかりの若きエネルギーが感じられることはないだろう。

Photoその意味で音源としては、
1976年全日本吹奏楽コンクールでの
牟田 久壽cond.
瑞穂青少年吹奏楽団

の演奏が素晴らしい。良くも悪くも”若々しい”演奏だが、この曲にとって一番大切なものを確りと捉えた快演である。サウンドの輝きとダイナミックな溌剌さ、そしてハートのある歌…まさに”Jubilant”であり、BRAVO!の歓声を贈りたい。

Photo_2作曲者リードの指揮による演奏もある。
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

こちらは重厚なサウンドで骨太な演奏、やや”大人”な「ジュビラント」だ。


※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら


♪♪♪

「パンチネロ」はノスタルジックで甘美な”過去”、「春の猟犬」は今、間違いなくそこにある”現在”の喜び・・・、そして「ジュビラント」は一心に見つめる”未来”。
冒頭の一首の如く、未来を信じ前だけを見て駆け出す若々しさを一枚の写真にした-そんな世界が「ジュビラント」にはあるのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月25日 (土)

ライド

RideRide
S.R.ヘイゾ
(Samuel R. Hazo 1966- )


鮮烈さと高いスピード感、ジャズの要素も取り入れた現代感覚-。僅か3分強の作品だが、文字通り息もつかせぬカッコ良さ!あたかも華々しいレーザー・ショウを見ているかのようである。演奏会のオープナーとして、吹奏楽にまた新しい”色”を与えた作品として特筆できよう。

♪♪♪

「ライド」(2002年)はアメリカの作曲家/指揮者ジャック・スタンプ(Jack Stamp)に捧げられている。作曲者ヘイゾのスタンプに対する感謝が込められた作品であるとともに、作曲のインスピレーションそのものも、スタンプからもたらされたものなのだ。

Srhazoサミュエル・R・ヘイゾは映像・舞台音楽の世界でも活躍してきたキャリアの持ち主で、ポピュラーミュージックの要素も取り込んだ現代的な作風がその特徴である。
スタンプはそんなヘイゾの才能と作品を高く評価し、2001年頃から吹奏楽界にヘイゾの作品を積極的に紹介していった。しかもスタンプはヘイゾから一切のお礼を(菓子折りすらも)受け取らず、「君の音楽を僕らに届け続けてくれれば、それだけでいいんだよ。」とヘイゾを励まし続けたという。

「”ライド”はジャック・スタンプが私にしてくれた全てのこと-即ち作曲に関することはもちろん、それにとどまらないさまざまなことに心からのアドバイスをしてくれた、そうしたゆるぎない友情に感謝を表した作品である。」
(ヘイゾのコメント)

♪♪♪

直接の作曲にあたっては、インディアナ州の田舎道を爽快にかっ飛ばすドライブと、その高速の車窓から見える美しい風景の残像がイメージとなっている。
(冒頭画像:ヘイゾ自身のHPより)

1この日、ヘイゾはスタンプの尽力によりマーク・キャンプハウスなど4人の高名な作曲家とともに、インディアナ大学での作曲家フォーラムに参加していた。
フォーラムの初日日程終了後、スタンプは4人の作曲家たちとヘイゾを自宅のディナーに招待したのである。

※ Joseph Wilcox Jenkins
     Mark Camphouse
     Bruce Yurko,
     Aldo Forte






錚々たるメンバーの中で充実した時間を過ごすヘイゾの気分は、否が応にも高揚したことだろう。

そして、件のドライブはインディアナ大学からスタンプの居宅(ガボルクナ・ハウス)に向かう間のこと。スタンプの後について車を走らせたヘイゾだが・・・
何とそれは限界のトップスピード!

スタンプの驚くべき「飛ばし屋」(lead foot)ぶりと、つくづく感じられるスタンプという人物の器の大きさ-さまざまなヘイゾの思いと前述のスピード感、そしてすっ飛んでいく美しい風景とがあいまって、彼を更なる精神的高揚に導き、鮮やかな「ライド」という楽曲は生み出されたようだ。

従って「ライド」にはまずもって失速することのないスピード感が要求される。(ヘイゾはテンポM.M.=167を確実に守るよう注記している。)
音色を含めて高いスピードをキープする必要がある上、コントラストを鮮やかに演出することや音域の幅広さからしても、短い曲ながら難易度はなかなかのものと言えよう。そして、そもそも”鳴らない”バンドでは話にもなるまい。

♪♪♪

スピードと緊迫感に満ちたオープニング、短いその序奏に続き、セットドラムのようなパーカッションの伴奏に乗って、木管楽器に変拍子の旋律が現れる。
2_2如何に頻繁に拍子が変わっても、根底にスピード感のあるビートを感じることができよう。

一方、金管群は実に鮮烈!Trp.と対峙する低音群の中でも、特にBassTromboneの音色が冴える。
3_3譜例のLow E♭あたりは、まさに”ぶっ放し”てイイところだろう。

また、Timp.やPiccolo Snareを素手で叩いてBongoのような効果を狙っているのも面白い。
4後半の転調後にもこの装飾音符のついたリズムの繰返しが再現されるのだが、これはあたかも作曲者ヘイゾの高まる胸の鼓動のようではないか。こうしたところにも、徐々に拡大する高揚感が表現されている。

アドリブ的なAlto Saxのソロも織り込まれ、音楽は自在にその表情を変える。
5しかし、快速さと手に汗握る緊張、密やかな興奮といったものは決して失うことなく、一点を目指して疾走していくのだ.。

♪♪♪

Photo_2音源は、本作を献呈されたスタンプによる録音をお薦めしておきたい。
ジャック・スタンプcond.
IUP ウインド・アンサンブル

さすがは作曲者ヘイゾの最大の理解者といったところか、見事な出来映えである。

出版社提供のサンプル音源はこちら。少し”ワル”さが足りないが^^)、音楽の流れは実に滑らかであり、こちらもなかなかの好演。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年9月25日 (木)

吹奏楽のための民話

2

Folklore for Band
J.A.コーディル
(Jim Andy Caudill 1932- )


アメリカの大手出版社ハル・レナード社が、2008年に再販新譜としてこの「吹奏楽のための民話」をリリースしたのだが、これは日本市場を睨んでの再販なのだという。それもそのはず、この曲は日本で1960-1970年代には圧倒的な頻度で演奏された吹奏楽曲である。「民話」「バン民(”バンドのための民話”の略)」の通称で広く親しまれ、当時吹奏楽に係った人なら誰もが知っているはずだ。

※Hal Leonard 社HP:「吹奏楽のための民話」デモ音源の無料DL可能


”技術的には易しく、演奏効果が高い”ゆえに評価された楽曲だと思うが、何といっても最初に現れるクラリネットの低音域で歌われる旋律(冒頭画像)-これが魅力だったのではあるまいか。

♪♪♪

Photo_2コーディルは「ランドマーク序曲」「ヘリテージ序曲」「オデッセイ序曲」など、一貫してスクールバンド向けの技術的にも内容的にも平易な吹奏楽曲を提供してきた作曲家だが、「吹奏楽のための民話」はその中でも群を抜いて支持を集めた。
旋律は教会旋法を用いて中世風のムードを感じさせるとされ、ノスタルジックなのだが、一方でこれを彩る伴奏は大変リズミックであり、その対比が興味深い。
題名の”Folklore”は民話のみならず広く”民間伝承されたもの”を指す言葉であり、コーディルは作品を受け容れ易い音楽としつつも、その意図を確りと伝えることに成功したといえよう。

♪♪♪

堰を切ったように始まる序奏部-。
1曲中でも場面展開に使用されるエキサイティングな楽想である。
これがスネアドラムに導かれて一旦静まると、引続きスネアドラムの大変リズミックな伴奏に乗ってクラリネットが歌いだす。このリズムこそが音楽に生き生きとした生命感を与えていることは見逃せない。
4Tenor Sax.+Baritone(Euph.)も旋律を担当しているのだがあくまで支えに回ってもらい、ここでは何といってもクラリネットのシャリュモー音域の黒々とした音色を存分に聴きたい。

中間部は木管による美しい旋律が提示され、後に金管群に引き継がれる。そのしみじみとした味わいもこれまた日本人好みなのかも知れない。
3コンパクトな再現部を経て、エキサイティングなコーダへ。音圧とスピード感を高揚させ一気呵成に曲を締めくくる。

♪♪♪

広く人口に膾炙した作品の割に録音は少なかったが、中高時代にで吹奏楽に親しんだ世代の回帰/回顧のムードや、前述の通り楽譜が再販されたことを受けて音源は一気に増えた。私としては最初の旋律でクラリネットの音色を存分に聴かせていることを重視しつつ、以下をお奨めしたい。

Photo_3汐澤 安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

Picc.をはじめとして粗さも目立つ演奏ではあるが、テンポやコントラスト、ダイナミクスの変化など楽曲の演出面は積極的で一つの理想を示す。どうしたら面白く聴かせられるか?への腐心が看てとれる。

Photo_4兼田 敏cond. 東京佼成吹奏楽団

冒頭と終結部の重厚なサウンドは充実感にあふれており、全体にも非常に骨太な「民話」を聴かせている。



Photo_5北原 幸男cond. 大阪市音楽団

たいへん綺麗に整った演奏。旋律の美しさやノスタルジー、この曲のシンプルな良さは充分に伝わる好演。


♪♪♪

歴史の中で不朽のものと評価されるクラシックの名曲とは異なり、吹奏楽オリジナル曲の多くは、「正しく」「美しく」演奏されるだけで輝きを放つのは難しい。残念ながら吹奏楽曲の太宗は、そこまでの音楽的内容は備えていないと言えるだろう。
(楽曲は自分で演奏することで”特別なもの”になる。演奏参加型の音楽である吹奏楽の曲においては、「演奏したことがある」という体験が聴き手=演奏者に”感動”効果をもたらすのも事実ではあるが・・・。)

しかし、音楽は「演りよう」である。
楽曲の魅力を如何に捉えるか-それが掘り下げられセンス良く演出されたとき、そして指揮者を含めた奏者の情熱が篤く向けられたときに、音楽は想像以上の輝きを示す。それが「感動」である。

「民話」も、正しい音程・美しい音色・揃ったリズム・適正なバランスといったプリミティブな音楽的要素を超えた、”プラスアルファ”が加わることなしには、輝くことなどない楽曲だと思う。
「楽譜を音にした」-その先こそが見たい、聴きたいのだ。

それは、実は如何なる名曲であっても同じである!
「”プラスアルファ”=演奏者の想いに基く音楽への味付け・個性といったものが感じられない演奏」は、「音程・音色・縦の線・バランスなどが整わない演奏」と同等に良くないのだ。つまらない、罪深いとさえ言ってもよいと思う。
そのような演奏を、決して良しとしてはならぬのである。

※もちろん確固たる意思の下、敢えて「何もしない、素で」を貫くという演出はありうる、為念。

このことは演奏者としてはもちろん、聴き手としても常に意識してシビアに追求すべきことなのだと思う。(久しぶりに「民話」を聴きこみ、多くの音源を聴き比べてみて、このことを改めて痛感させられた。)

| | コメント (21) | トラックバック (0)

2008年8月 4日 (月)

ポップス描写曲「メインストリートで」

Photo_4On Main Street, Pop Image
岩井 直溥
(Naohiro Iwai 1923-)





作曲者岩井 直溥は誰もが知る吹奏楽ポップス界の巨匠にしてニューサウンズ・イン・ブラスの生みの親。本邦吹奏楽の特色である「ポップス・ステージ」をまさに創出した方であり、その功績は筆舌に尽くし難い。
(吹奏楽界と直接関係のない一般聴衆にとっては「ポップス・ステージだけが楽しみ」と言っても過言ではないくらいだから。)

この曲は1976年全日本吹奏楽コンクールの課題曲
1972年「シンコペーテッド・マーチ”明日に向かって”」、1975年「ポップスオーバーチュア”未来への展開”」に続く岩井氏の手による課題曲である。さらに1978年「ポップス変奏曲”かぞえうた”」、1989年「ポップス・マーチ”すてきな日々”」と続くのであるが、この「メインストリートで」は、これら岩井課題曲の頂点に位置づけられる作品である。
(「明日に向かって」なども、今聴いてもハッとさせられるが・・・。最初のテーマを導き出すリズム・パターンなどは出色!)

♪♪♪

内容は、読んで字の如し。メインストリートの夜明けからラッシュアワー、そして夜の帳が下りるまでをポップスの手法で「描写」している。

「今回私が書きました課題曲はポップス的な描写曲とでもいうもので、曲の表現法やリズムのノリ方、バランス等は、かなり色々な方法があると思いますので、(コンクール課題曲参考演奏の)テープに吹き込まれた演奏はあくまで参考として考えられ、ポップスの特長である個性的な演奏を心掛けてください。
但し、ポップスにはポップスの約束事がありますので、その範囲内で上品な演奏をされることが大切です。」
(岩井 直溥氏コメント)


圧巻は活気溢れるラッシュ・アワーの部分であろう。ベースラインのリズムに呼び起こされるわけだが、もうその時点で誰もが胸を躍らす。
内容的に難解なものは何もないが、手法は適切にして高度。課題曲でブラスに”shake”が出てくるなんて!曲想は「岩井節」の象徴だが、取組み甲斐のある課題曲だ。

因みに、この1976年の課題曲は凄い!
A:即興曲 (後藤 洋)
B:吹奏楽のための協奏的序曲 (藤掛 廣幸)
C:カンティレーナ (保科 洋)
D:ポップス描写曲「メインストリートで」 (岩井 直溥)

こういうラインナップである。どの曲も個性のある堂々たるものであり、課題曲のラインナップが毎年このレベルだったら、皆納得だ。「自分のバンドの個性を生かす」、また「好み」という観点から、どの曲を選ぼうかとワクワクしてしまうだろう。
長期間各バンドが真摯に取り組むこととなる課題曲であるならば、かくあって欲しいものである。

♪♪♪

ところで現在、吹連はポップス課題曲の復活を全く考えていないそうだ。

技術レベルの割に、ポップス演奏のレベルが未だ低すぎるというのは吹奏楽界の課題の一つ。ポップス演奏法の伝播も未だ立ち遅れている。
音楽はボーダレスとなっており、吹奏楽の世界でもポップスやジャズの要素を取り入れたオリジナル曲も増えているから、ポップスを「らしく」演奏できることは重要になっている。そして何よりポップスが上手に演奏できるバンドは「もう一つの表情を持つ」ことになる。人間も、多彩な表情をもつ人ほど魅力があるものだ。

レベルの底上げがなされた現在の吹奏楽界においては、情報をいきわたらせることが可能な環境でもあり、ここでポップス課題曲を導入すれば、ポップス演奏の一層のレベルアップ → ポップス・ステージの聴衆満足ラインへの到達 → 吹奏楽の一層の興隆、と連鎖すると期待されるのだが・・・。

吹奏楽の中で私はさまざまなポップス曲にも触れた。それがきっかけで「原曲はどんなんだろう?」と興味を持ち、聴いた。自分が演奏して直に触れているのだから、すーっと自分の中に入ってくる。
大好きな秋吉敏子なんかもその延長線上で知ったわけであり、吹奏楽をやってなかったら一生知ることがなかったかも知れない。
音楽はどのジャンルでも素晴らしいものがいっぱいあるのであって、そうした音楽を愛する人々の「きっかけ」に吹奏楽はなれる、そのことはとても意味のあることだと思う。

♪♪♪

色々なジャンルの音楽が、夫々違った表情で日々私に喜びや元気をくれる。私にとっての、その「きっかけ」も吹奏楽に他ならない。

だから私は岩井先生に感謝、感謝なのである。

♪♪♪

音源としては、高橋 良雄cond. 陸上自衛隊中央音楽隊による1976年度コンクール参考演奏を収録したLPを挙げたい。
(冒頭画像/他稿で述べた1979年課題曲「朝をたたえて」も収録)

Sadosiena20062006年のコンサート・ライヴを収録した
佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ

の演奏も素晴らしい!(DVD:左画像)
最近、立続けにこの「メインストリートで」が録音されているが、良い演奏には出遭えない。その中で、このLive演奏は出色のものである。作品への愛情と、”これぞプロ”というべき整い方の両立した、ハートのある演奏であった。
曲の最後にはサプライズも・・・。
(ご自身の目でお確かめいただきたい。^^)

(Revised on 2009.5.17. [初出:2005.4.21.] )

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2008年7月23日 (水)

序奏とファンタジア

Rex_mitchellIntroduction and Fantasia
R.ミッチェル
(Rex Mitchell 1929- )




明快にしてモダンな作風で知られるレックス・ミッチェル(冒頭画像)がその名を知らしめ、文字通り吹奏楽オリジナルのスタンダードとなった名作。
この後、「コンサート・ミニアチュア」「海の歌」「大草原の歌」「スターフライト序曲」などでミッチェルは多くの吹奏楽ファンに愛される作曲家となった。特に本邦での人気が高い。
これまでミッチェルの経歴等は詳細が不明であったが、最近ミッチェルのHPが立ち上がり、作品の紹介とともにポートレートとプロフィールが公開されている。

レックス・ミッチェルは1929年米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ、高校時代はオーボエのソロイストとして活躍していたという。
多くの学校で音楽教育に携わった一方で、ジャズやポップミュージックの分野ではクラリネット・サックス・キーボードのプレーヤーとして活躍。今でも作曲や指揮活動の傍らプレーヤーとしての活動は続けているそうで、手掛ける音楽ジャンルは幅広い。
作曲も吹奏楽作品が中心ではあるが、管弦楽や合唱、ジャズアンサンブルにも亘っており、またミッチェルのモダンな作風は、前述のプレーヤー経験が反映されているものといえよう。
現在はクラリオン大学の音楽教育名誉教授であり、5人の子供と9人の孫に恵まれ、ペンシルヴァニア州オイルシティに居住しているとのことである。

♪♪♪

「序奏とファンタジア」は1970年の出版。幻想的な序奏に続いて、急-緩-急の主部が展開する単一楽章の楽曲である。全編にシンコペーションを効かせた生命感の溢れる曲想が大変魅力的な音楽だ。

序奏は穏かな低音のシンコペーションにのって、Marimbaのソロが主題を歌い出す。吹奏楽曲として大変斬新なオープニングである。
001「海の歌」のVibraphoneといい、こうした鍵盤楽器の活躍にはミッチェルの豊かなアイディアを感じさせる。

「序奏」が終わった途端にテンポが上がる。静かにシンコペーション楽句が応酬され徐々に音圧を拡大、さらにエキサイティングなパーカッション・ソリによるブリッジを経て、高らかな主題がTrp.に現われる。
002この快速な主部でサウンドはクリスタルのような質感と透明さを持ち、主題は時に快活に、或いはまた流麗にと表情を変えながら奏されていく。
そして中低音群の力強い旋律となって、迫力のある音風景を描く。ここでは一心に打ち込むXylophoneのアクセントも大変印象的である。
003
宙を切り裂いて急上昇するTrp.の楽句でクライマックスとなり、ブリッジが再現されて緩やかな中間部へ。中間部はミッチェル得意の夢見るような、抒情性を極めた楽想となる。
Photo_2AltoSax、Oboe、Hornと艶やかで美しいソロが奏されるが、さらにRubatoとなってからは、まるで宇宙空間を漂うよう。美しさにミステリアスさが加わって高揚し、感動的な音楽となっている。

再びAltoSaxのソロが還ってきて静かに中間部を終うと、あのMarimbaのソロが聴こえてくる。再度ブリッジを経て快速な主部を短く再現、ややテンポを落とした鮮烈なコーダに突入して、興奮のうちに全曲を閉じる。

♪♪♪

既にスタンダードとなった楽曲だが古くささはなく、中間部でのBassClarinetなども実に効果的に使用されており、作曲者の確かな手腕が感じられる作品。末永く演奏されて然るべきレパートリーである。

Cd音源は
汐澤 安彦cond.
東京シンフォニック・バンド

を推したい。メリハリのある演奏で、この曲の魅力を端的に伝えている。

♪♪♪

ミッチェルのHPに紹介された楽曲を見ると、改めて未知のものがたくさんあることに気づく。
カプリス(Caprice for Band)、コラールとプロセッショナル(Chorale and Processional)、パスラーレとアレグロ(Pastrale and Allegro)、アルトサックスと吹奏楽のためのロマンス(Romance for A.Sax and Band)、管打楽器のための狂詩曲(Rhapsody for Winds and Percussion)、風の聖堂(Wind Cathedral)・・・。
重ね重ねも、優れた録音の「ミッチェル作品集」登場が待ち遠しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月13日 (日)

ミュージカル「マイ・フェア・レディ」セレクション

Myfairlady_poster"My Fair Lady" Selection
フレデリック・ロウ 作曲
(Frederic Loewe 1901-1988)
杉本 幸一 編曲
(Koichi Sugimoto 1958- )



「マイ・フェア・レディ」1956年にブロードウェーで初演され、大ヒットとなったミュージカル。オリジナルの舞台版では「サウンド・オブ・ミュージック」「メリー・ポピンズ」などで高名なジュリー・アンドリュース(Julie Andrews 1935- )が主演を務めたが、1964年にはオードリー・ヘプバーン(Audley Hepburn 1929-1993)の主演で映画化され、これも大ヒット。不朽のミュージカル名作として、現在も広く愛されている。

1900年代前半のロンドンが舞台となった物語。下町の花売り娘イライザが、偏屈だが優れた言語学者であるヒギンズ教授に徹底的に鍛え上げられ、僅か6ケ月で華麗なレディに変身する物語である。

※映画版あらすじの詳細 「my_fair_lady_synopsis.doc」をダウンロード

Loewelerner脚本と作詞を担当したアラン・ジェイ・ラーナー(Alan Jay Lerner 1918-1986/右)と作曲のフレデリック・ロウ(Frederic Loewe 1901-1988/左)による楽曲は、全てが素晴らしい!文字通り、名曲の宝石箱というべきミュージカルとなっている。

♪♪♪

Shaw_2原作はジョージ・バーナード・ショー(Gerorge Bernard Shaw 1856-1950/左画像)の戯曲、「ピグマリオン(Pygmalion)」である。

※ピグマリオンという標題はギリシャ神話に登場するキプロス王の名に因るものである。彼は現実の女性には目もくれず、理想の女性を思い描いて自ら石像を製作する。彼はガラテアと名付けたこの石像に恋焦がれるが、それを見ていた女神アフロディーテが石像に命を与えて、ガラテアは人間の女性となり、ピグマリオン王と結ばれる -というエピソードが伝えられている。戯曲の内容からすれば、ショーがその標題を「ピグマリオン」としたのは、相当な皮肉であるといえよう。


Photo「マイ・フェア・レディ」とその原作「ピグマリオン」(左画像:倉橋 健による邦訳版)との決定的な違いは、物語の結末部分である。

即ち、「ピグマリオン」では花売り娘からレディに変身したイライザと、ヒギンズ教授とが結ばれることはない。「ピグマリオン」には後日譚が付されており、イライザはフレディと結婚し、ヒギンズとは対等の友人関係を続けたとある。
ヒギンズはイライザに失恋するのではなく、最後まで女性というもの(というより恋愛というもの自体)を必要としない男であり、イライザに恋愛感情を抱くこともないまま終わってしまう。原作におけるヒギンズは、まるっきり性格欠陥者といったニュアンスで描かれている。

これに対し「マイ・フェア・レディ」では、変わり者のヒギンズ教授も、最後は自らがイライザを愛していることに気づき、イライザは彼の全てを受入れてヒギンズのもとに戻ってくるシーンを描く。二人が結ばれることを暗示したハッピー・エンディングとなっているのである。

♪♪♪

Audley_in_my_fair_lady_4私にとっての「マイ・フェア・レディ」は、大好きなオードリー・ヘプバーンが主演する映画版である。既に高い評価を得ていたこのミュージカルを映画化するにあたり、監督のジョージ・キューカー(George Cukor)は「完璧」を期したとされる。
スタッフは、衣装=セシル・ビートン、音楽監督=アンドレ・プレヴィンを初めとする超豪華布陣。主演をオードリー・ヘプバーンにシフトした上で、劇中の歌唱はマーニー・ニクソンによる吹き替え。同様にフレディ役/ジェレミー・ブレットの歌う「君住む街で」も吹き替えである。

※近年発売された「マイ・フェア・レディ【特別版】」のDVDには、特典映像としてオードリー自身が歌った”素敵じゃない?””証拠を見せて”の2曲が収録されている。オードリー・ファンの私としては、これもこれで悪くはないと思うが、純粋に音楽として見れば、歌唱力のみならず声質からしてもマーニー・ニクソンの歌の方が遥かに次元が高い。キューカー監督の選択も、「あり」だと改めて認めざるを得ないところだ。ありとあらゆる手段を尽くして、エンターテインメントとしての完成度を志向した時代でもあったということだろう。


1全てのシーンが甲乙つけ難いのだが、私が特に大好きなのはヒギンズの優しさにふれたことをきっかけに苦手な発音を克服し、イライザが喜びを爆発させる「スペインの雨」-「踊り明かそう」と続く場面。
希望に輝き生き生きとしたオードリーの表情と楽曲の魅力とが相まって、大きな感動を与えてくれる。
…また、ラストシーンのオードリーの表情の変化の絶妙なこと!


何といってもレディに変身したイライザの”美しさ”のイメージに合致するのは、オードリーをおいて他にないと思うけれど、この映画でオードリーの果たしたことは、当然それだけではない。全編に亘りニュアンスを細やかに表現した演技が、実に素晴らしいのだ。
歌が吹き替えだからといって、この映画のオードリーが輝きを失うことは断じてない。

♪♪♪

Sugimoto_2杉本 幸一(左画像)編曲による、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」セレクションは、NEC玉川吹奏楽団のコンクール自由曲として編まれたもので、同楽団は2005年全国大会で銀賞を受賞した。
杉本 幸一=NEC玉川による”ミュージカル3部作”の掉尾を飾る作品であり、従来にない「マイ・フェア・レディ」を!という意気込みで書かれたアレンジ。編曲者は「妥協はしていない」とコメントしており、演奏難易度は高いが、演奏効果も高く、感動的で聴き応えがある。

JcdPhoto_2有名な映画版だけでなく、ジュリー・アンドリュース主演の舞台版にも着目し、大編成を生かしたゴージャスでダイナミックなアレンジである。

出版はウインドギャラリー
(左:ジュリー・アンドリュースによる「マイ・フェア・レディ組曲」の収録CD/右:映画版「マイ・フェア・レディ」サウンドトラック盤)

珠玉の名曲揃いのこのミュージカルから、どの曲を選んで構成するかが重大なポイントであったが、最終的には
序曲
市場の男たちのコーラス(「素敵じゃない?」前奏部分)
アスコット・ガヴォット
君住む街で
証拠を見せて

忘れられない彼女の顔
踊り明かそう

というメドレーとなった。

金管群の”鐘の音”に続き”でかしたぞ!(You did it !)”の主題をフィーチャーした快活な「序曲」に始まる。ファンファーレが高らかに響いて一旦静まり、「市場の男たちのコーラス」がしみじみと歌われて導入部を形成する。続く木管群主体の「アスコット・ガヴォット」は、クラシカルで典雅な楽想が印象的である。

My_fair_lady_scoreワルツ風の「君住む街で」を優雅に聴かせたかと思うと、突如熱情とスピード感に溢れた「証拠を見せて」(画像参照)へ。鮮烈な音色と、セットドラムも入った生命感に満ちたリズムを聴かせるこの曲のエネルギッシュさは、全曲の白眉といえよう。殊に、テンポとヴォルテージをガンガン上げていく終結部は見事!

エキサイティングなブリッジを挟んで、EuphoniumとOboeのソロがリリカルに歌う「忘れられない彼女の顔」
センチメンタルでファンタジックな曲想が、前後と見事なコントラストを成す。編曲者得意のマンシーニ風サウンドや、効果的に使われたフィンガーシンバルなども心憎い。

さあ、そして最後はこの曲しかない。
「踊り明かそう」が賑やかに、時にはお茶目に、そして幅広い音楽の束となって最後のクライマックスに向かう。音符を拡大して迎えたクライマックスでは、運命的なスネアドラムのリズムとホルンのオブリガートがあまりに劇的!これが更にスケールの大きなダイナミック・シネラマサウンドのエンディングとなり、冒頭のファンファーレを呼び返したあと、重厚なサウンドで全曲を終う。

♪♪♪

Photo_3音源は
稲垣 征夫cond. NEC玉川吹奏楽団
のコンサート・ライヴ。
同バンドの全日本吹奏楽コンクール本番の演奏の方が優れているが、惜しくも銀賞に止まったため、こちらは市販音源となっていないのが残念。

♪♪♪

尚、杉本 幸一版以外の「マイ・フェア・レディ」吹奏楽版も紹介しておこう。どれもそれなりに工夫を凝らしたものではあるが、これらを聴けば、杉本版が実に多彩な音色と充実したサウンドを持った”渾身のアレンジ”であることを、理解いただけるとも思う。

My_fair_ladyR.R.ベネット 編曲
運が向いてきたぞ - 君住む街で - 素敵じゃない?- 時間通りに教会へ -忘れられない彼女の顔 - 踊り明かそう
「シンフォニック・ソング」「アメリカ古舞踊組曲」で吹奏楽界にも知られたベネットは、実はオリジナルの舞台版「マイ・フェア・レディ」の編曲者でもある。当時彼がイメージしていたであろう吹奏楽サウンドで書かれており、響きは古風なモノトーン。
演奏:野中 図洋和cond.陸上自衛隊中央音楽隊

My_fair_lady_2岩井 直溥 編曲
イントロダクション(忘れられない彼女の顔) - 運が向いてきたぞ - 踊り明かそう - 忘れられない彼女の顔 - 素敵じゃない?- 君住む街で
ニュー・サウンズ・イン・ブラスの一曲として発表されたもので、さまざまなリズムパターンを使用し、どこまでもポップな「マイ・フェア・レディ」。
演奏:岩井 直溥cond.東京佼成ウィンドオーケストラ

My_fair_lady_3J.カカヴァス 編曲
序曲(でかしたぞ!)- 君住む街で - スペインの雨 - 素敵じゃない?- 舞踏会のワルツ - アスコット・ガヴォット - 忘れられない彼女の顔 - 証拠を見せて - 踊り明かそう
収めた曲は多岐に亘るが、少々細切れか?サウンドは相当薄い印象を受ける。
演奏:P.ネヴィルcond.ロイヤル・マリーンズ・バンド

♪♪♪

「マイ・フェア・レディ」は、本当にどれも”力”がある素晴らしい楽曲ばかり。音楽の力というのは実に不思議で、ジャンルだとかそういうものを超えて心に訴えかけてくる。感動はクラシックの名曲にだけあるものではない。
”いいものは、いい”
-これが真実だと、つくづく思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月21日 (水)

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

Lp_2Myth for Symphonic Band
- on the Story of
"AMANO-IWAYADO"
大栗 裕
(Hiroshi Oguri 1918-1982)





Photo_3大栗 裕
(右画像)は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。自身、吹奏楽の名門・天王寺商高出身であったこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。
吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は、1973年に伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンド大阪市音楽団の創立50周年を記念して作曲された。吹奏楽の邦人オリジナル曲としては最も多く採り上げられている作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも秀演多数。吹奏楽史上に燦然と輝く名曲であることは間違いない。

Photo_4私は、1975年全日本吹奏楽コンクール実況録音盤(左画像)でこの曲を知った。今津中・豊島十中の両巨頭が招待演奏のこの年、おそらく心に期するものがあったはずの四国の雄・富田中の演奏(金賞受賞)である。
その演奏を聴いて、冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じた。続く前奏部も、実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど。同バンドは翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田”の名を轟かせることとなる。

♪♪♪

作曲者・大栗 裕は「吹奏楽のための神話」について、次のように語っている。
「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。
音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」


Photo_5「天岩屋戸(天の岩戸)」の神話は、古事記日本書紀に所載されている。
弟スサノヲの乱暴狼藉を恐れた太陽神アマテラスが天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語は、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。しかし物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものである。

※古事記(上画像 :福永 武彦 現代語訳)
「kojiki_excerpt.jpg」をダウンロード

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は、この”天岩屋戸伝説”に基く交響詩的作品。即ち、物語を極めて描写的に音楽にしている。

構成は以下のようなイメージとなろう。
I. Adagio
アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声
II. Allegro molto
アメノウズメ(天宇受売)の狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑
III.  Andante
天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情
IV.Allegro molto
再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂
V. Andante
鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景

1_2冒頭の木管群の鋭いフレーズとTimp.の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す。暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。

Trb.のグリッサンドが絡んできて更に高揚し、緊張感漲る木管群のトリル。これをバックに長鳴鳥を表すMuted Trp.が登場し、2_2
アマノウズメの踊りが始まる。賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲は、各楽器が楽句を応酬し、その音色を含めた対比が聴きものである。
4_2ここではTimp.やSnare Drum(snare off) はもちろんのこと、BongoやCongaも大活躍。ラテンパーカションは”古代の野性”を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが素晴らしい!

やがて重厚なドラの一撃とスネア・オフのドラムに続いて、荘厳な音楽となり、場面は岩屋戸の中へと転換する。
不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。
この場面では木管が存分に聴かせる。Flute、Clarinetと移り行くソロ、挿入される不安気な木管のアンサンブル、密やかに蠢く打楽器たちが映し出す情景の神秘さは、筆舌に尽くし難い。
3
岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。エキサイティングな舞曲は徐々に昂ぶりを強め、遂にその時がやってくる。頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!
待望していた神々の歓声の如く、高らかにTromboneが雄叫びを挙げる。
5



重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円。
最後は冒頭が再現され、潔くそしてキレのいいエンディングが遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。

♪♪♪

この「神話」という曲は魅力に満ちている。前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。
殊に、ともすれば”落ち着き”が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。

(またTromboneが極めて重用されており、Trombone奏者にとっては吹奏楽曲の中でも屈指の「オイシイ曲」である。^^)

多くの演奏を聴いたが、音源としては
Cd朝比奈 隆cond.大阪市音楽団
(1975年録音/
冒頭画像は同演奏の初収録LP)

を推したい。ふさわしい”雰囲気”が充満しており、総合的に見てやはりこの委嘱者による演奏が、大栗ワールドを最も体現していると私は思う。

【他の所有音源】
  ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
  小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
  木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
  朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


※尚、この1975年録音では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)
同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。

果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。
カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。
よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この”1975年録音版”の演奏をお奨めする次第である。
(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年4月18日 (金)

序曲 ハ調

Charles_simon_catel_2Gossec_3Overture in C
C.S.カテル
(Charles Simon Catel
1773-1830)







シャルル・シモン・カテル(冒頭画像左)は、ベートーヴェンと全く同時代に活躍した、古典派に属する作曲家。
カテルは、師事していたゴセック(Francois Joseph Gossec 1734-1829/冒頭画像右)とともに、フランス革命直後に創設されたパリ防衛軍軍楽隊創設に関与し、同団の指揮者であったゴセックの下、弱冠17才にして同軍楽隊の副指揮者に就任している。
こうした経緯からこの「序曲 ハ調」は、1792年にパリ防衛軍軍楽隊のために作曲されたものである。
ゴセックが同じくパリ防衛軍軍楽隊のために作曲した「古典序曲」とともに、吹奏楽オリジナル古典中の古典として、重要なレパートリーである。

パリ防衛軍軍楽隊は1795年に解散した(その後、ゴセックとカテルは共にパリ・コンセルヴァトワールで教鞭を執った)が、その源流は現在も名門パリ警視庁音楽隊に受け継がれており、同音楽隊自身もゴセックとカテルが創立者であると認識している。

※パリ警視庁音楽隊
(The Musique des Gardiens de la Paix)
001_5
ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団とともに、伝統と実力を備えたフランスの誇る名門バンド。特に1954-1979年に隊長を務めたデジレ・ドンディーヌ(Desire Dondeyne 1921- )の時代に長足の進歩を遂げ、幾多の名演を遺している。


♪♪♪

その後、この「序曲 ハ調」は忘れ去られていたが、ゴールドマン・バンドの指揮者R.F.ゴールドマン(Richard Franco Goldman 1910-1980)とその助手R.スミス(Roger Smith)によって発掘される。
そしてこの両名が現代の編成に改訂し、1953年にゴールドマン・バンドにてアメリカ初演。これ以降、広く知られることとなった。

※ゴールドマン・バンド(The Goldman Band)Goldman1939
E.F.ゴールドマン(Edwin Franco Goldman 1878-1956)によって1918年に創設されたアメリカのプロフェッショナル・バンド。そのルーツは1911年のニューヨーク・ミリタリーバンドに遡る。
創設者にして指揮者であったエドウィンの死後は、これを息子リチャードが引継ぎ、ゴールドマン・バンドは1980年まで活躍を続けた。優れた演奏で知られた同バンドだが、その最大の功績は何といっても吹奏楽界に素晴らしいレパートリーを数多く遺したことであろう。
O.レスピーギ、M.グールドやP.クレストンといった著名な作曲家たちへの委嘱作品は多く、これらがオリジナル曲の極めて重要なレパートリーとなっているとともに、E.ライゼン(Eric Leidzen)など名アレンジャーも擁し、クラシック曲のトランスクリプション・レパートリーも次々と開拓した。
さらに「序曲 ハ調」「古典序曲」「トロンボーン協奏曲(リムスキー=コルサコフ)」などの埋もれた吹奏楽レパートリーの発掘・再評価も実施。そしてもちろん、ゴールドマン親子自身は作・編曲家としても活躍し、マーチを中心に(「木陰の散歩道」など)素晴らしい作品を多数遺している。
吹奏楽界への貢献は、本当に測り知れない。


♪♪♪

このように「序曲 ハ調」は、二つの歴史的バンドに深い縁のある作品。「序奏をもつソナタ形式」の典型であるこの曲は、モーツァルトの影響が色濃いとされる。こうした曲想は吹奏楽のレパートリーの中でも大変貴重である。

Largettoの”序奏”はハ短調の和音に始まり、緊迫した表情である。堂々と全合奏のコードを響かせていく。
1主部は Allegro Vivace 、木管群の軽やかな第一主題で静かに幕を開ける。透明感があり、終始気品を失わない音楽である。
2Oboeに現われる第二主題がまた可愛らしい!
3
確りとした形式を辿っていくのだが、暗鬱な短調部分と軽快な長調部分の落差が印象的。テンションの高揚するクライマックスもきっちり用意されており、飽きさせることがない。
古風ではあっても、音楽的な説得力も充分に備えたかけがえのないオリジナル曲の一つである。

♪♪♪

前述した同時代(1795年作曲)のゴセック作品「古典序曲(Classic Overture in C)」にも触れておきたい。
この作品もR.F.ゴールドマンとR.スミスに発掘・編曲され広く知られるようになっている。「ガヴォット」で有名なゴセックであるが、こと吹奏楽人にとってはこの「古典序曲」の方が馴染み深いかも知れない。
こちらも確りとした古典的構成を持ち、品があってシンプルな音楽であり、その実直さに大きな魅力がある。
序奏
1_2第一主題
2_2第二主題
3_2演奏面で困難なものはなく、古典的な曲想が存分に楽しめる。こちらも大事にしていきたいレパートリーである。

※尚、「古典序曲」原典版の編成はピッコロ・フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン・トランペット・セルパン(TubaやEuph.以前の低音管楽器)とのことである。「序曲 ハ調」の原典編成も同様と推定される。


♪♪♪

音源は以下の通り。

Photo_2ジョン・R・ブージェワーcond.
アメリカ海兵隊バンド

伝統ある実力派バンドの快演。緩急のメリハリをくっきりつけた明解な演奏で、活気に溢れた音楽となっている。充実した低音群のサウンドも抜群!

Photoフレデリック・フェネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

主部(Allegro Vivace)も落ち着いたテンポ。各楽器の音色は卓越しており、よく歌う演奏。


Photo_3汐澤 安彦cond. フィルハーモニア・
ウインドアンサンブル

発奏がこの曲に関しては硬質過ぎ、サウンドも纏まりを欠くところがあり残念だが、テンポや解釈はオーソドックスで手堅い。ゴセックの「古典序曲」も収録。

※尚、この曲を改訂初演したR.F.ゴールドマンcond. ゴールドマン・バンドによる録音も遺されている。”The Sound of the Goldman Band”というLPがそれである。残念ながら廃盤になって久しく、入手は困難。私自身ぜひ聴いてみたいアルバムであり、CD化を切に望む。

♪♪♪

私が「序曲 ハ調」を知ったのは、この曲が好きになるずっと以前。中高生の頃は刺激の強い現代的手法の曲に興味をそそられていたから、当初はこの曲に物足りなさを感じていたことも事実である。
しかし、1981年の全日本吹奏楽コンクール実況録音で聴いた基町高校(下画像)の演奏に驚かされ、以後「序曲 ハ調」は大好きな曲になった。
005中国支部の名門である同校は一貫してクラシカルな作品を自由曲に採り上げてきていたが、この年は更に古風極まる「序曲 ハ調」で全国大会に進出、見事金賞を射止めたのだ。
このタイプの楽曲でコンクールに挑むのは今も当時も大変勇気が必要だと思うし、ましてや結果を残すのは難しい。洵に畏れ入るばかりであり、同校の気持ちのこもった丁寧な演奏が楽曲の魅力を引出し、常識や思い込みを覆した瞬間であったと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月11日 (金)

アリランと赤とんぼ

Photo_2Arirang and Aka-Tonbo
高 昌帥
(Chan Su Koh 1970- )






「この作品は、東大阪朝鮮中学校吹奏楽部顧問の尹忠新先生より、先生が ご指導されている吹奏楽部をはじめとする大阪府下の朝鮮学校の各吹奏楽部が大阪府吹奏楽連盟に加盟して20年となる記念として、親善の意味も兼ねて、朝鮮半島の代表的民謡「アリラン」と山田耕筰作曲の童謡 「赤とんぼ」を使って吹奏楽曲に編曲できないかとの提案を受けて書かれたものです。
大阪は日本で最も多くの在日コリアンの住む都市でもあります。この作品が日本社会と在日コリアンとの、ひいては朝鮮半島とのほんの小さな掛け橋にでも成れば幸いです。」

(高 昌帥のコメント)

高 昌帥は、2002年度全日本吹奏楽コンクール課題曲「吹奏楽のためのラメント」で一躍その名を知らしめた作曲家。「コリアン・ダンス」「吹奏楽のための風景詩”陽が昇るとき”」など吹奏楽作品は多い。
この「アリランと赤とんぼ」(2003)は、有名な二つの旋律を題材に作られているが、構成感に優れ一つの楽曲として実によく纏まっている。変奏曲あるいは幻想曲としての「作曲」作品として捉えてもよいであろう。およそ5'30"の演奏時間の中で、サウンドや一つ一つの楽句、周到な設計に確かな手腕が感じられる。

♪♪♪

「アリラン」は朝鮮を代表する民謡の一つ。吹奏楽オリジナルの傑作である「朝鮮民謡の主題による変奏曲」(J.B.チャンス)の”主題”も「アリラン」である。

Photo_5宮塚 利雄 著 「アリランの誕生 -歌に刻まれた朝鮮民族の魂」(創知社)によれば、この歌の発祥には多くの説があることがわかる。研究者の調査により、50種類以上もの「アリラン」が存在し、歌詞に至っては2,000を超える種類が伝わっていることが判明しているそうだ。また「アリラン」という言葉自体の解釈もさまざまなのである。

一方、「赤とんぼ」は三木 露風(1889-1964)が1921年の童謡集「真珠島」で発表した歌詞に、本邦音楽史の巨人・山田 耕筰(1886-1965)が1927年に曲をつけたものである。詞の内容は、露風の幼少時代の風景(兵庫県龍野町)によるものとされる。

アリラン                    赤とんぼ

アリラン アリラン アラリヨ        夕焼小焼の 赤とんぼ
アリラン峠を越えて行く          負われて見たのは いつの日か

私を捨てて行かれる方は
十里も行けずに足が痛む         山の畑の桑の実を
                        小籠に摘んだは まぼろしか
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く             十五で姐やは 嫁に行き
晴れ晴れとした空には星も多く      お里のたよりも 絶えはてた
我々の胸には夢も多い
                        夕焼小焼の 赤とんぼ
アリラン アリラン アラリヨ         とまっているよ 竿の先
アリラン峠を越えて行く
あそこ あの山が白頭山だが
冬至師走でも花ばかり咲く

上記に「アリラン」の代表的な歌詞、ならびに三木 露風による「赤とんぼ」の歌詞を掲載した。いずれも抒情的で美しく、そしてノスタルジーに溢れる歌。この二つが巧みに組み合わされている。

楽曲の内容は、高 昌帥自身の解説が端的に表している。
「曲は、”赤とんぼ”の旋律による前奏に始まり、チュンモリチャンダン (9拍目にアクセントがあるのが特徴の、遅い12/8拍子のリズムパターン-この作品では3/4拍子×4小節としてあります) の伴奏による”アリラン”が歌われ、移行部を経た後、パンサルプリチャンダン(速い3拍子のリズムパターン、2拍目の裏にアクセントがあります)を、吹奏楽でよく使われるシンコペーションのリズムにアレンジしたリズムに乗って、再び”赤とんぼ”が出てきます。
この”赤とんぼ”の諸モティーフを変奏・展開させながら、金管楽器によるコラールでクライマックスを迎えた後、最後は”アリラン”と”赤とんぼ”を同時に奏でながら静かに終えます。」

冒頭のOboeソロ、それに続くSaxophoneセクションの奏でる旋律からして、しみじみと美しい。この二つの「歌」自体が持っている力の大きさを、改めて感じさせられてしまう。
中間の「赤とんぼ」による展開部は、快活な子供たちのイメージで大変愛らしく、微笑ましい。やがてそれがテンションを高め、輝かしい色彩を放ちつつ金管中低音のエキサイティングな楽句に導かれて、スケールの大きなポリリズムとなってゆく。
2洵に鮮やか!曲中最大の聴き処である。

♪♪♪

楽譜は大阪府吹奏楽連盟から頒布されていたが、2008年春にBRAIN社から本格出版。愛すべきレパートリーとして、いよいよ全国的に演奏される機会が増えるであろう。
これに先立って、待望の初音源も発売となっている。

Photo_3齊藤 一郎cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

本作の魅力が溢れる好演。「レッド・ライン・タンゴ」「伝説のアイルランド」など他の収録作品も興味深く、必聴の1枚といえよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

フェスティーヴォ

Lp_2Festivo
V.ネリベル
Vaclav Nelhybel
1919
1996







冒頭、
打楽器群の16分音符の活気溢れるリズムからして、思わず心躍らされる-。

「交響的断章」「二つの交響的断章」「トリティコ」など、現代的な作風で個性を放つヴァーツラフ・ネリベル1967
に作曲。急-緩-急のオーソドックスでシンプルな序曲形式の作品だが、随所にネリベルらしさが窺える。
演奏難度の割にその音楽的効果は高く、前述のように賑やかに、そしてエネルギッシュに活躍するパーカッション・パートには特に注目である。

♪♪♪

前述の通り、快速で活気に満ちた打楽器群の16分音符のビートにのり、全合奏による8分音符の打込みが作り出すリズム・パターンにより、曲は開始される。
Festivo001やや静まってTrp.に最初の旋律が現われ、続いて木管群と金管群が対峙する楽句で高揚、前奏部を終える。この間、ずっと打楽器群のビートは刻まれ続けるのだ。

スネアの小気味よい8分音符でさらにテンポを上げ、Trp.が輝かしく軽やかなフレーズで登場する。これに応ずる低音群と打楽器のユニークな動き、そして長いフレーズの木管群・・・これらが対比的に応答し発展していく。
Festivo002華々しい前半のクライマックスでも、高らかな高音楽器群と強力に下降する低音楽器群との対比が鮮烈である。ダイナミクスの変化も含めて、さまざまな「対比」がこの曲をとても面白くしている。

テンポを落とした中間部は、日本の夏の夕暮れ時をイメージさせるムード。Muted HornとXylophoneの動きはヒグラシの鳴声みたいだし、幻想的なフルートのソリ、続くノスタルジックなクラリネットの旋律も、どこか東洋的なのだ。
Festivo003淵となって流れを止めた川が再び進んでいくように、チャイムとグロッケンが歩みを始め、徐々に楽器が増えて進んでくる。ベースライン、そしてスネアのリズムが加わって、音楽はエネルギーをさらに充填し、強力な中低音のスケールが上行しブレイク、快速さを取り戻す。

さらに生命力とスピード感を増した再現部を経て、勢いもそのままに華麗で伸びやかな金管群の楽句が響きわたる。この間も打楽器、低音、木管群が入れ替り立ち代り対比的な動きを見せる。シンプルだが確かなネリベルの手腕が感じられよう。
重厚なテンポ(Grave)のコーダはサウンドも濃厚!拡大された旋律が、うねる打楽器群とともに、ff の分厚い音塊で聴くものに迫り来る。押し寄せた音の波は、鮮烈な全合奏のsffz でさえぎられ、曲を閉じる。

♪♪♪

この曲を広く知らしめることになったのは、1969年全日本吹奏楽コンクールで準優勝を収めたヤマハ浜松※の快演である。この演奏がCBSソニーが発売した「全日本吹奏楽コンクール名演集 1964-1969」(LP/冒頭画像)に収録され、有名となったのである。

※このLPは全日本吹奏楽コンクールが最も熱く燃えていた時代の名演を集めた貴重なもの。中でも福岡電波高校の「アッピア街道の松」や阪急百貨店の「軽業師の踊り」などは、このLPでしか聴くことのできない録音。時代を超えて、感嘆させられる名演である。尚、ヤマハ吹奏楽団は当時”ヤマハ浜松”の略称で親しまれていた。


この年の優勝は阪急百貨店であったが、ヤマハ浜松は翌年の金・銀・銅表彰制度移行後、全国大会金賞を連続受賞。意欲的な邦人作品への取組みでも知られるアマチュアのトップバンドとなった。
「フェスティーヴォ」の快演をきっかけに、ヤマハ浜松はネリベルに「ヤマハ・コンチェルト」を委嘱。翌1970年の全日本吹奏楽コンクールで演奏して、見事金賞を射止めたエピソードも有名である。


※尚、現在この「フェスティーヴォ」の演奏はBRAIN社のダウンロードサイトにて購入することができる。(但し、録音があまり良くないのは残念。)

一時期、大変よく演奏された曲だが、録音は驚くほど少ない!ヤマハ浜松以外の音源としては

Festivo汐澤 安彦cond.
東京アンサンブル・アカデミー

の演奏を推しておきたい。もっとスピードは欲しいのだが、快速部分の直線的な旋律をキチンと歌にするなど、音楽的なまとまりのある好演である。

【他の所有音源】
  井町 昭cond. 大阪府音楽団
  木村 吉宏cond. 広島ウインド・オーケストラ


♪♪♪

とにかく「快速さ」が欲しい。充分快速に始まったのに、主部に入って限界まで快速にギア・チェンジ!さまざまな「対比」を描くこの曲、中間部の穏かさも、コーダの濃厚さも存分に効かせたい。そのためにも、速い部分は”ぶっ飛ばして”ほしいのだ。
その上で、濃密な「ネリベル・サウンド」が聴けたなら・・・まさにBRAVO!

テンポの快速さ以上に、聴く者の心を煽って、さらに煽っていく-。「フェスティーヴォ」の持つエネルギー、熱狂を存分に示す演奏は、なかなか現われない。この曲も”決定的名演”の録音が待望される一曲である。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

いたずらなポルターガイスト

1The Puckish Poltergeist
C.サレルノ
(Christfer James Salerno 1968- )




非常にインパクトのある標題。1995年の全日本吹奏楽コンクールで東海第一高(当時)が演奏し広く知られたが、逆にそれっきりになってしまった感がある。
演奏時間5’30”程度の短い曲だが、音楽自体も大変ユニークなもの。万人受けする楽想ではないし、変拍子の嵐で演奏難度も高いことが、この曲をとっつき難いものにしているのだろう。しかし確たる個性があって興味深い作品であり、もっと演奏されてよいと思う。

♪♪♪

001作曲者クリストファー・サレルノ(左画像)は、吹奏楽や管楽器アンサンブル(室内楽)に多くの作品を書いているアメリカの作曲家。ラドフォード大学でマーク・キャンプハウス(Mark Camphouse)に師事、この「いたずらなポルターガイスト」1991年に作曲されたサレルノの代表作である。



ポルターガイスト(Poltergeist)
とは、物品が宙を舞ったり、激しい物音がしたり、電灯の点滅や電話の着信などの機械的・電気的変化も起きたりする特異現象のこと。元々ドイツ語で”騒がしい霊”の意味。時には幽霊が目撃されたり、寒気が感じられることもあるという。
ポルターガイストは”ある特定の人物の周りで生じる”もので、”ある特定の場所に於いて生じる”ホーンティング”
(Haunting)とは異なるとされている。
※出典・参考:明治大学/石川幹人教授「超心理学講座」

「恐ろしさとコミカルさという対照的なものを同時に持ち合わせ、無茶苦茶に動き回るポルターガイスト。
”いたずらなポルターガイスト”は、そのいたずらを題材とした標題音楽である。
作曲者は、急速な拍子の変更や二重三重に重なり合うリズムパターン、コントラストを効かせた楽曲構造を駆使している。これによって、気味の悪い城の住人たち(ポルターガイスト)がさまざまな家具や台所用品を宙に浮かせて走り回り、またちょっとしたいたずらのつもりで少し変な叩く音を出したりするさまを、鮮烈に思い描かせる。」

-スコアにあるプログラム・ノートより

♪♪♪

いきなり激烈なシンコペーションのfff(冒頭画像参照)で始まる。家中の家具が浮き上がり、ダイナミックに飛び回っている感じであり、このポルターガイストのいたずらはのっけから実にキツい。
鋭い打ち込みを伴奏に、引き攣った表情で強烈なトリルが印象的なHornの主題が現われる。
2全編に現れる変拍子のエキサイティングなリズムは非常にシビア!これだけでも高い緊張感を持っている。更にアクセントと強弱の対比、楽器間の応酬が加わって、音楽に異様な生命感が吹き込まれているのだ。Timp.をはじめとする打楽器群、そしてピアノは特に鋭い感性を要求されよう。

ポルターガイストのいたずらは時にユーモラス。諧謔味あふれるTrumpetのソロはその象徴である。
3
しかし、それに騙されてはいけない。
一旦静かになって動きを止めた(G.P.)かと思うと、ポルターガイストはその恐ろしい本性を現す!充分にテンポを落とし、木管と打楽器のおどろおどろしいトリルをバックに、迫りくる恐怖を表す低音群の重厚なフレーズは、圧倒的な威圧感だ。
4
そこにチャイムの音が聴こえ、荘厳にコラール風の楽句が奏される。夜明けが近づき、漸くポルターガイストのいたずらも終わるのか-。
するとラチェットが鳴り響き、それを合図にポルターガイストは前にも増してスピードを上げ、家の中をめちゃくちゃにする。猛烈な最後のひと暴れだ。
最初の旋律がTrumpet+Hornで激しく再現('Bells Up'の指示!)され、さらにテンポを上げて一気にPrestoのエンディング。スリリングで鮮烈な印象を残し、曲を閉じる。

前半のポルターガイストの描写部分は、リピートして二度奏されるのだが、快速かつ、そしてリズム・音色・アクセント等のめまぐるしい変化で飽きさせることがない。なかなかにクールな楽曲といえよう。

♪♪♪

Cd001音源は、前述の全日本吹奏楽コンクールLive録音を除くと、本作の出版元
Neil A. Kjos のデモCD
(左画像/指揮者・演奏者特定不能)
しかない。
しかしこの音源、レベルが高い!鋭い感性でリズムやニュアンスを捉えた快演である。アクセントや強弱の対比など正確にスコアを再現しているし、終始スピード感のある音色も見事、デモ音源には珍しく実に満足の行く出来映えとなっている。

※Neil A. Kjos は自社の殆ど全ての出版譜について、HP上にそのデモ音源を開放
   しているのだが、現在この曲については残念ながらデモ音源はアップされていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

パンチネロ -ロマンティック喜劇のための序曲

CdPunchinello,
Overture to a Romantic Comedy
A.リード
(Alfred Reed  1921-2005)




何より自分を落ち着かせるために、一つ息をついてメンバーの顔を見渡し、わざと深くうなづいて、指揮棒を挙げる。予備拍1拍に続いて、直ちに音のエネルギーが溢れ出す「パンチネロ」の始まりだ。前奏部で最も大きなダイナミクスとなるところ、我がバンドは実に伸び伸びとよく鳴っている-。
今思えば、優れた演奏とは言い難い。しかし、所与の環境で懸命にやってきた。1985年5月、母校の講堂で開催された演奏会のオープニングで、学生指揮者として初めて本番のステージに立った私であった。
-あの瞬間の高揚感、充実感は忘れることができない。

♪♪♪

Punchinello「パンチネロ」(邦題としては「パンチネルロ」も根強い)は、世界中の吹奏楽人に深く愛されたアルフレッド・リード1973年に作曲した傑作。「ジュビラント序曲」 「春の猟犬」に並ぶ”リード序曲”の人気作である。

「パンチネロ」(左画像)とは、元々16-18世紀にかけてヨーロッパで盛んであったイタリアの仮面道化芝居「コメディア・デラルテ(Commedia dell'Arte)」に登場するキャラクターのこと。イタリア語ではプルチネッラ(Pulcinella)といい、これがイギリスでパンチネロ、フランスでピエロに転化したという。また、これを起源とする「パンチとジュディ(Punch & Judy)」という人形芝居によってこのキャラクターは更にポピュラーなものとなった。
パンチネロは道化の中でも、少々お馬鹿さんで人にだまされることが多いのだが、純真な夢想家というイメージとされる。

このリードによる「パンチネロ」序曲がどこか懐かしくレトロで、夢見るような曲想を持っているのは、まさに作曲者の意図通りなのだと思う。

♪♪♪

鮮烈な楽句で音がほとばしり、快速で華やかにこの曲はスタートする。
Photo高揚感のある輝かしい前奏部に続いて、クラリネットに愛嬌のあるメロディが現れ、各楽器の応酬へと発展。
Photo_2やがてぐんっと高揚して、得意げに胸をはる道化師をイメージさせる最初のクライマックスへ。かと思うと次のクラリネット・ソロは落ち着きを与える美しさ。
Photo_3音色とダイナミクス・拍子の変化、効果的なシンコペーションの使用が音楽に絶妙なアクセントをつけていく。

さあ、そして夢見る中間部。ブリッジのやや野性味のあるサウンドは徐々に優しく穏やかな響きに変わり、ゆっくりとしたテンポでHornとコールアングレが優美な旋律を奏でていく。
Photo_4これに高音を活かしたクラリネットの対旋律が応え曲想はロマンティックさを深める。さらにVibraphoneの音色が幻想的なサウンドを醸し、甘美だがなぜか”遠い”音楽は徐々にスケールを拡大、ついには厚く暖かい音が充満して、聴くものを包み込むのだ。

名残惜しげなFagottoの音色で中間部を終え、再び快速な再現部。ダイナミックで力強い楽想に続いて短調も顔を出し、緊張感が走る。
-しかし直ぐに転換するここからが、楽しくって仕方ない!シンコペーションの伴奏に導かれて Muted Trumpetにポップス風のフレーズが現われ、洒落たスネアのリズムも加わって音楽はまさにノリノリ!誰もが頬を緩ますことであろう。

それから息もつかせず、リズミックな前半部分の旋律にのり、Trumpetが中間部の旋律を高らかに歌い上げるポリリズムに突入する。ビートとハーモニーを支える誇らしげなTromboneの伴奏が、また実にカッコいい!
Photo_5冒頭のビートを取り戻してコーダ。畳みかけるような全合奏の2拍3連に続いて、天まで届けといわんばかりのTrumpet+Tromboneの鮮烈なファンファーレ風楽句が響きわたり、エキサイティングに曲を閉じる。
Photo_6
♪♪♪

ああ、どうしたらこんな素敵な音楽が書けるんだろう!
リードが遺してくれた宝珠のようなこの曲、ずっと大事にしていきたい。

音源は、リード自身の指揮による東京佼成ウインドオーケストラLive盤(冒頭画像)が実に素敵な演奏でありお薦めしたい。理屈抜きに、音楽に活力が満ち溢れキラキラと輝いていることが判るはずだ。

※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら

♪♪♪

「パンチネロ」は私にとって文字通り”青春の一曲”。
ただ単に、学生時代の楽しい或いは哀しい、さまざまな想い出が甦るだけではない。前述の通り、私が学生指揮者としてスタートを切ったこの曲は、現在に連なる私の吹奏楽、いや音楽に対する”欲”の象徴でもある。
何の才能はなくとも、努力はしたし情熱だけは人並み外れていた。その情熱だけをバックボーンに”欲”を掻いて、音楽活動に接した。それが結果として多くの方々にご迷惑を掛けたこともあったし、思い出すと死にたくなるほど恥ずかしいこともやらかしてきた。「パンチネロ」を聴き、こうした回想がもたらされるたびに、私は煩悶する。

しかしその苦しみの奥底で、この期に及んで未だに”欲”の炎がチラチラと揺らめいていることに自分でも驚く。自分の美学とは正反対なのに、頭や理性では判っているのに。ああ、何と業が深いのか!私は・・・。
音楽とは、私にとって最大の悦びであるとともに、最も深い苦しみの根源でもあり続けている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

紅色娘子軍 -番外編

1_2中学生の頃は、私もとにかく吹奏楽コンクールで良い成績を収めることが目標だった。普門館に駒を進めることこそがそのまま夢だったし、他団体がコンクールでどのような曲を選び、どのような演奏をし、如何なる成績を収めるかといったことが最大の関心事であった。
(結果としては、3年連続して大分県代表は射止めたものの、次の西部(現九州)大会では銅・銀・銅。特に中3時の銅は痛く、結果発表後は声をあげて泣いた。今となっては、何であそこまでコンクールに夢中になっていたのかとも思うが・・・。)

♪♪♪

自由曲に何を選ぶか、は極めて重大事である。中3の時は事実上自分が課題曲・自由曲ともに決められる立場だった(先生は吹奏楽に詳しくなかった)から、色々と研究した。全国大会の結果が掲載されたバンドジャーナルはもちろんのこと、過去の西部大会のプログラムなども、燃えるように熱い気持ちで見ていたものだ。

先輩方が遺した1974年の西部吹奏楽コンクールのプログラム、その中にひときわ眼を引く自由曲があった。

革命現代舞劇「紅色娘子軍」  中国舞劇団 創作

まず第一に、「作曲」ではなく「創作」・・・?一体これはどういうことなのだろうか。その後、この楽曲は私にとって長い間「謎」であった。どんな曲なのか?中国にも吹奏楽曲があったのか?う”ーむ、聴いてみたい!
しかも演奏した筑紫丘高校(福岡)は全国大会出場は逃したものの、金賞を受賞している。凄い!

因みに前年(1973年)の筑紫丘高校の自由曲(西部大会金賞)は

世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 C.オルフ 作曲

であった。今でこそ人気曲だが、1973年当時にこの曲を演奏したというのは、明らかに突き抜けている。音楽的素養のない私は「”世俗”かんたーたって何?おるふぅぅ?」で思考停止だった。

この学校はおそろしくチャレンジングだったのだと思う。著作権問題も取り沙汰されない時代ではあったが、一体誰がこうした曲を見つけ、吹奏楽でやろうと思い、編曲したのだろうか???
(因みに同高校は、その後1977年「アッピア街道の松(レスピーギ)」1978年「海(ドビュッシー)」で全国大会に出場している。)

♪♪♪

紅色娘子軍 (Red Detachment of Women) -”こうしょくじょうしぐん”と読む。
(当時はこの読み方さえも判らなかった・・・。^^;)

”文化大革命”のうねりが始まらんとする1964年に中国で作られたバレエであり、音楽は呉 祖強(Wu Zuquiang 1927- )と杜 鳴心(Du Mingxin 1928- )を中心とした複数作曲家の共作。このバレエの完成に向けては江青女史が直接関わっていたとも言われる。
(また、「紅色娘子軍」は幾度か映画化もされており、1970年にはバレエそのものをフィルムに収めたものも製作されている。)

内容は時代背景を色濃く反映し、当時の中国に於ける国家・共産党賛美的なもの。
「悪辣な地主に虐待されていた少女(呉清華)が共産党将校(洪常青)に救われ、紅軍女性部隊(紅色娘子軍)に入隊する。この女性部隊を含む紅軍は、かの地主から村人を解放し、呉清華は復讐を果たす。この戦いの中で彼女は想いを寄せていた洪常青を失うこととなったが、自ら共産党に入党し、洪常青の意志を継ぐ。」
といった筋書きである。

2_2近年になって漸く私は「紅色娘子軍」のVCD(冒頭及び左画像)を入手し、バレエの映像とともに、初めてこの音楽を聴くことができた。
音楽は如何にも当時の中国をイメージさせる。作曲陣の中心人物は2人ともモスクワに留学して西洋音楽を身につけた作曲家とのことであるが・・・。
煌きのない音楽では決してない。しかし、頗る魅力的とも言い難いのが正直なところ。

Photo実際に聴いてみると新たな疑問が。 -筑紫丘高校は、この特異なバレエ音楽の、一体どの部分を演奏したのだろうか?
現在では管弦楽組曲版スコアも出版されている(左画像)が、当時から「管弦楽組曲版」が存在していたのかは不明であるし、何より未知の現代中国音楽に挑むからには相当の決意や思い入れがあったはずである。そこに、今なお私の興味は尽きない。

♪♪♪

時代は変わっても、コンクールの自由曲じゃなくっても、演奏者にとって「どんな曲を演奏するか」は重大な事項であり続けているだろう。自分たちがやりたいこと、伝えたいことをその楽曲に載せて表現するのだから、当然である。

だからこそ、本当に自分たちに合った楽曲、自分たちが聴衆に聴かせたい楽曲を充分に吟味したいものだ。今はまだ知らないものも含めて、数多ある楽曲の中から何を選ぶべきか?本来もっと拘るべきだと思う。
単に「昔やったことがあって、良かったから」「先生が決めたから」「あの学校が演ってたから」ではなく・・・。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

カンタベリー・コラール

Canterbury_cathedral Canterbury Chorale
J.ヴァン=デル=ロースト
(Jan Van der Roost  1956- )


作曲者がイギリス南東部にある世界遺産、カンタベリー大聖堂(Canterbury Cathedral/冒頭画像)を訪れた際の印象をもとに、ブラスバンド作品として1990年に作曲したもの。1993年には吹奏楽版も編まれ、大変優美な旋律と、壮大かつ壮麗な建築物を表す堂々たる骨格を持つ名曲として、広く愛されている。

♪♪♪

Canterbury_cathedral_4カンタベリー大聖堂はイギリス国教会の総本山。教会としては7世紀に建立されたものであるが、火災による焼失等もあり、現在の建物は1379年から1503年にかけて建造されたもの。イギリス初のゴシック様式(フランス式)の歴史的建造物である。

Canterbury_cathedral_7_21527年の国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発し、イギリス教会はカトリックとの政諍状態に陥った。そしてメアリー1世(Bloody Mary)によるカトリック回帰運動を経て、続く国王エリザベス1世が1558年にイギリス国教会をスタートさせるのである。以降、イギリス国教会は”カトリック教会と袂を分かち、プロテスタントとも一線を画す”とされ、現在に至る。

Canterbury_cathedral_2カンタベリー大聖堂は、かような歴史的事実の舞台となった由緒ある建造物なのである。重厚な垂直性を特徴とするゴシック建築の威容が、その歴史的深みを一層強く感じさせる。



Canterbury_cathedral_3私自身実際に訪れたことはないが、写真からも外観の圧倒的なスケール、そして内部が気品と神聖さに満ちていることが窺い知れる。作曲者が強いインスピレーションを受けたのも然り、であろう。

♪♪♪

終始ゆっくり(M.M.=63のテンポ指定)とした非常に幅広い音楽で、そこには美しさ、暖かさ、敬虔さといった高次元の精神性を感じ取ることができよう。それが端的に現れているのが、冒頭から提示される旋律である。
Photo全編がこのムードに統一されており、高揚しても品位を失うことはない。

続いてまずHorn+Euph.、そしてSop.&Alt.Saxのアンサンブルで二度繰り返される変奏が大変印象的。各楽器の音色を生かして深遠さや雅さといったものを、夫々に描き出している。
2_3
そして最初のクライマックスは、Timp.のロールに導かれた輝かしいTrb.のソリで迎える。Trb.という楽器の高貴で神聖な側面を捉えた見事なものである。
3
音楽はさらに壮大なクライマックスに向って、緩やかにテンションを上げていく。その様はまさに天に向ってひたすらに伸びていく大聖堂の建物そのものだ。
重厚でスケールの大きな堂々たるオルガン・サウンドに包まれたとき、脱俗の悦びにも包まれることであろう。

最後はEuph.のふくよかなSoliに見送られ、静かで深い響きが遠く消えてゆく。

♪♪♪

Jan_van_der_roost作曲者ヤン・ヴァン=デル=ローストベルギー生まれ。現在のヨーロッパを代表する吹奏楽作曲家のひとりで、本邦の音大で教鞭を執るなど日本とも馴染みは深い。「スパルタクス」「プスタ」「モンタニャールの詩」「アルセナール」など、ダイナミックな作風でヒット曲は数知れず。
彼の作品は構成力に優れており、現在のヨーロッパ作曲家がどうも冗長さに陥る傾向のある中で、そうした欠点を感じさせない貴重な存在である。

♪♪♪

推薦する音源は以下3つ。この曲の魅力を生かす、たっぷりとしたテンポと息の長いフレーズ感が好演の大前提となる。

Photo_2ノルベルト・ノジcond.
ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団

安定したサウンドと音色がスケールの大きな音楽を構築しており、多少の不揃いなど吹き飛ばす。特にTrp.のハイ・ノートの音色が気高い輝きを備えており、感動的。

Photo_3イーヴォ・ハデルマンcond.
シェーレ聖セシーリア吹奏楽団

非常に丁寧な演奏。丹念に歌い上げ、また確りと構成を捉えている。Euph.の”黒い”音色は絶品であり、またエンディングの響きは最も本作品に相応しいものだと思う。

Photo_4ヤン・ヴァン=デル=ローストcond.
大阪市音楽団

自作自演Live盤。バスサックスとオルガンを加えた超豪華版であり、作曲者の意図・イメージを端的に伝える。但し表現が積極的な一方、この曲が要求するストイックさにはやや欠けるか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年2月 1日 (金)

朝鮮民謡の主題による変奏曲

PhotoVariations on a Korean Folk Song
J.B.チャンス
(John Barnes Chance
1932-1972)




その題名から「面白そうな曲だなぁ」と-。

1977年8月、佐賀県武雄市の西部吹奏楽コンクールに出場した中学1年生の私は、ほんの4ケ月前に初めて楽器を持ったばかり。幼い頃から音楽に特段の興味もなく、当時まだ残っていた軍隊的シゴキのおかげでコンクールのステージに上がってはいたが、「音楽を聴く」ということの意味すら解っていない子供であった。

先輩に「聴いときなさい」って薦められた沖縄の学校の出演順、広い会場が通路まで立見でいっぱい。演奏が終わると「やっぱり上手いねー」という声しきりなのだが、さっぱり判らない。
ウチとそんなに違うのかなあ?ウチだって県大会では金賞だったんだから-。

なんて思いながら、プログラムを見て次はどれ聴こうかなと見ていると・・・↑冒頭の曲目が眼に入った。うん、これ聴こうっと。沖縄の学校の時と違って会場は空いていて、席に座ることもできた。
アナウンスに続き演奏が始まる。課題曲はウチと同じディスコ・キッド。これも上手いのかどうか、さっぱり判らない。

この自由曲、どんな曲なんだろう?そう思った次の瞬間だった。美しいクラリネットのシャリュモー音域による旋律が歌い出す。
Photo_2



冒頭のF音からして既に、首の後ろの毛が逆立ってくるのをハッキリと認識した。そしてそれは旋律の高揚とともに激しさを増し、3小節目冒頭のD音で早くも頂点に達したのだ。何という快感!眼前の映像が歪むかのような恍惚感!
そう、私は音楽によるエクスタシーを初めて知ったのだった・・・!

その日から、私の音楽狂いがスタートする。寝ても醒めても音楽のことばかり考え、隙あらば?音楽を聴きまくる日々。
以後、30年以上も楽器を続けいろんな音楽を聴きまくっている私だが、どうしても吹奏楽に心惹かれるのは仕方のないことだろう。何しろ初めて音楽の快感を私にもたらしたのは「吹奏楽」なのだから・・・。

因みに、僅か3小節で私をイカせたこのバンド、見事全国大会初出場!凄い演奏は何にも知らないガキにも判る。そういうことである。

♪♪♪

1965年に作曲されたジョン・バーンズ・チャンスの代表作にして、1966年ABAオストワルド作曲賞受賞作。有名な朝鮮民謡「アリラン」の主題とその5つの変奏曲から成る。チャンスは朝鮮戦争従軍時代にこの旋律に触れたとされている。

※関連記事:「アリランと赤とんぼ」


クラリネットの美しいシャリュモーが歌いだす「主題」は、素朴な美しさを湛えたアンサンブルへ発展。Theme


木魚や銅鑼の活躍する快活な第1変奏Var1

反進行の主題をオーボエが奏でる優美な第2変奏では暖かいサウンドをバックにトランペットのソロも現れる。
Var2
一転して勇壮な行進曲調の第3変奏では金管群の煌きが聴きもの。Var3_2


ティンパニの密やかなビートを従えたコラール風の第4変奏
Var4

そして最後に打楽器群が繰り返すリズム・パターンに導かれてフーガ形式の第5変奏に突入する。
クライマックスではチャンス得意のポリリズムとなり、アリランが金管群によって高らかに鳴り響き、熱狂のうちに曲を閉じる。

♪♪♪

変奏曲であり全編に亘る統一感に包まれているが、一方で非常にコントラストに富んでおり、クライマックスへの運びも見事という他はない。また、多彩なパーカッションが登場し大活躍するさまは、打楽器奏者でもあったチャンスのまさに面目躍如といえよう。

予てからコンクールや演奏会で数多く取り上げられて来たが、作曲されてから30年以上が経過した時点で、また改めて評価が高まった感がある。

♪♪♪

録音は割と多く、それぞれに魅力のある演奏を聴かせてくれるが、私としては
ハリー・ピンチンcond.
エドモントン・ウインドアンサンブル

(冒頭画像参照)を推したい。
このバンドの透明感のあるサウンドに魅力があり、音楽作りに何ともいえない「品」を感じるのである。


※その他の所有音源
汐澤 安彦cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラ
ユージン・コーポロンcond. ノーステキサス大学ウインドシンフォニー
スティーヴン・スカイアーズcond. ノーザンイリノイ大学ウインドアンサンブル
木村 吉宏cond.広島ウインドオーケストラ
渡辺 光正cond.航空自衛隊航空中央音楽隊
スティーヴン・スティールcond. イリノイ州立大学ウインドシンフォニー



( First Issued 2006.6.13. / 二つの旧記事を統合改訂 )

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2008年1月 6日 (日)

ハリソンの夢

Peter_grahamHarrison's Dream
P.グレイアム
(Peter Graham 1958- )








私がピーター・グレイアム(冒頭画像)の名を初めて知ったのは「ディメンションズ(Dimentions)」という作品を耳にした時であった。シンプルで親しみやすい明快な音楽であり、またブラスバンドから吹奏楽に編曲されたものであるためかややぎこちない部分もあるのだが、主部に入ってからのファゴットの伴奏楽句や中間部のオーボエ・ソロの部分など、個性的な響きと旋律が間違いなく存在すると感じられた。

今や、グレイアムは吹奏楽・ブラスバンド界に作品を提供する作曲家として、圧倒的な存在感である。「ザ・レッドマシーン」「ゲールフォース」「地底旅行」「モンタージュ」といった優れた作品を数多く生み出しているが、何と言っても世界的に名声を不動のものとしたのが、2000年に作曲され、2002年のABAオストワルド作曲賞を受賞した「ハリソンの夢」である。

Usafconcertband_2ブラスバンド版と吹奏楽版がほぼ同時進行で作られた経緯にあるが、吹奏楽版は屈指の華麗なる技術を誇る
アメリカ空軍ワシントン
DCバンド
(The United States
Air Force Band,
Washington D.C.)

からの委嘱によるもので、演奏難度はずば抜けて高い。

快速なテンポで、実にめまぐるしく木管群がうごめく冒頭からして圧倒される。まさに超絶難度のパッセージが連続し演奏は困難を極めるが、作曲の背景からすればその「困難さ」は、この曲にとって”必然”なのだと思う。

♪♪♪

「デーヴァ・ソベルの輝かしい著作『経度』が、この作品の背後にあるインスピレーションを与えてくれました。
これは“経度問題”を解決する18世紀の英国の時計技師ジョン・ハリソンの苦闘のさまを表現した作品です。(経度測定のため)船上の現在時刻と母港の時刻を同時に正確に知ることを必要とする海。その海において経度を計算できなかったがために、結果として多くの船が失われました。

音楽は、機械的な展開すなわち正しく数学的であり、韻律のように計算されたラインに沿って構築され、同時に新ロマン主義的です。
時計技師の仕事場の耳にこだまするようなさまざまな音が、悪夢の中の情景-(失われた)無数の命が解決を願っていた、という現実的認識にハリソンが取り憑かれているさまと交錯します。」

(作曲者グレイアムのコメント/樋口 幸弘氏の訳による)

PhotoPhoto_2グレイアムがインスピレーションを得たというデーヴァ・ソベル著
『経度』
(原題 ”Longitude”
/Dava Sobel)
は、
「経度への挑戦
一秒にかけた四百年

という題名で邦訳も出版されている
(藤井 留美 訳 ・翔泳社 刊)


そこには18世紀のイギリスで、さまざまな苦難に苛まれながらも、国家的・人類的な課題であった「航海時の経度特定」の解決に生涯を賭した、一人の時計職人の姿が描かれている。

既に概念的には「緯度・経度」ともに確立して久しかったものの、天体観測から比較的容易に測定できる「緯度」に対し、「経度」に関しては、太洋上にあって自身の船が如何なる位置にあるかを特定することが困難な時代であった。
航海中の経度が特定できないために、座礁による難破や航海の長期化、ルートが限定されるゆえの掠奪船・海賊船の横行が生じ、国家的な問題となっていたのである。
1707年には経度測定を誤ったイギリス海軍艦隊が座礁・難破して旗艦アソシエーション号をはじめ4隻が沈没、2,000名もの船員の命を失うという極めて痛ましい事態となる。

かかる状況を打開すべく、1714年にイギリス議会は”経度法”を制定、「航海中の船舶が正確な精度で現在位置の経度を測定できる方法」に関し、その開発者に2万ポンドの懸賞金を与えることとした。この懸賞金は現在の数百万ドルにあたる巨額であったという。

この難題の解決方法は大きく二つ。一つは天体観測に基くもの(主に月距法)、そしてもう一つは出港地(イギリス)時間の特定による方法である。

※洋上船舶における現地時間は太陽の観測によって把握可能であったため、問題は出港地(イギリス)時間を把握することであった。現在地点と出港地の時間が1時間ズレるごとに15度移動している計算である。従って、航海中でも出港地の現在時間が正確に把握できれば、現在位置の経度特定が可能になるのである。

前者は算出方法が複雑で正確性にブレがある上、悪天候などにより月が観測できない状態ではお手上げとなる。
これに対し、出港地の時間を特定する方法は天候の影響がなく、算出も比較的容易であった。しかし、航海中の洋上で正確に稼動する時計がない!

John_harrison揺れる船上では振り子時計はお手上げだし、長い航海期間中も停止することなく稼動し、現地の気温・湿度変化などにも耐え得る機械時計でなければならない。
-そんな”洋上時計”の開発に、敢然と挑んだのがジョン・ハリソン(John Harrison 1693-1776
/左画像)
であった。




ハリソンの最初の洋上時計「H1」の完成は、製作着手から7年が経った1735年。しかし驚いたことに、ハリソンは懸賞金獲得の前提となる航海試験を望まず、自らサイズダウンを含めた改良を申し出るのだった。性能自体は要件を満たし得るものであったにもかかわらず、である。
そして、自身が目指す洋上時計を探求するハリソンの格闘は続き、懐中時計の大きさまでサイズダウンされた「H4」が1761年に完成、遂に航海実験でその正確さを実証した。

しかし、ここに至ってもネヴィル・マスケリンをはじめとする「月距法」推進派の天文学者たちから妨害を受けるなど、ハリソンの苦難は終わらない。ハリソンが最後に作成した洋上時計「H5」によって、ハリソンが漸く完全なる栄光に浴したのは1773年のことである。実に40年以上に亘る歳月と労苦を費やしたのであった。

John_harrisons_h3_chronometerJohn_harrisons_h4_2(左)造形も魅力的なH3
(右)驚くべきサイズダウンを実現したH4








洋上時計の完成は人類に莫大な貢献を果したし、製作者ハリソンに絶大なる賞賛と栄光を与えた。
それは、ハリソンがあくまで自らの理想と美意識に基き、生涯を通じて探求を続け、困難を乗り越えたことによるものだ。これは芸術にも通じるものであり、だからこそグレイアムに深い共感を与えたのではないだろうか。
(尚、当時ハリソンの支援者に「グレイアム」という人物がいたそうで、これも面白い偶然である。)

※「ハリソンの夢」を演奏・鑑賞されるなら「経度への挑戦」はぜひご一読いただきたいところであるが、「そこまでは」と仰る方は”絵本”は如何?
Photo_2「海時計職人ジョン・ハリソン」
Louise Borden 著/Erik Blegvad 画
/片岡しのぶ 訳
(あすなろ書房 刊)
素朴な絵と、端的なストーリーで描かれており、当然非常に判りやすい。またこの絵本によれば、ジョン・ハリソンは大変優れた音感の持ち主でもあったとのことである。



♪♪♪

「ハリソンの夢」のスコアを開いて眼を引くのは、冒頭からして(一般に使用されることの多い)4/4拍子ではなく、4/8拍子で記譜されていることだ。
音符が細かくなるので、スコアのヴィジュアル的に高いスピード感を伝える意図もあるかもしれないが、何といっても作曲者コメント通り、全編に亘って非常に数学的に作られていることが、そこにも端的に現れているのだと思う。このことは充分に意識しなければならない。
具体的な例を挙げれば、

・4拍5連符をしばしば使用したり、後半のクライマックスでは徐々にビートを速めていくウッドブロックが数学的に指定されているほか、各楽句の噛み合いも細かく示されるなど、記譜の厳密さは研ぎ澄まされている。それらを確実に奏することで、細やかな対比やニュアンスを表現することが求められている。

・テンポ転換も前後の”位置関係”がはっきりするように指定されている。
Photo_3


例えば上画像のように、それこそ経度の特定によって洋上船舶の位置を特定したハリソンの如く、明確に標を示しているのだ。

「楽譜に作曲者の意図を全て示すことには限界がある」とは言い古されてきたことだが、その限界に”挑戦”することも、ハリソンの生き様に共感したグレイアムの作曲意図の一つではなかっただろうか。「数学的」であることの意味はそれだと私は考えている。
(必ずしも作曲者意図通りの演奏が、その音楽の魅力を最大限引き出すこととイコールではないが、ここまで明確に作曲者の意思がある以上、それを確りと理解することは重要なはずである。)

そして、この曲が素晴らしいのは単に「数学的」に極められたストラクチャー(=作曲家の職人芸)ゆえでなく、それを備えた上でなお、魅力的な旋律と充分な音楽的高揚が情緒的にもアピールし、一体となって感動をもたらすからに他ならない。

♪♪♪

構成は大きく3部形式。描写的な要素もあるが、ストーリーを追って展開するのではなく、あくまでもインスピレーションをもとに、純粋に音楽として構成された作品といえる。

1冒頭Allegroは4/8拍子、♪=168の快速なテンポで32分音符の激しい打楽器のビートに始まる。様々な機械音の交錯するハリソンの作業所を描写するとされるこの部分の木管群のアンサンブルは、まさに壮絶!
荒れ狂う波のようなその木管と重厚な低音をバックに、金管群が荘厳で息の長い旋律を提示する。この快速部分ではTimp.も大活躍で、殊に効果的なグリッサンドはエキサイティング!

一旦静まってゆったりとした4/2拍子、ファゴットの陰鬱なソロを挟み、再び冒頭の楽句が戻ってきて、各楽器のソリをフィーチャーした展開部へ。
それまで断片的だった旋律が徐々に完全な姿となり、114小節目からその全容を現す。
2この旋律は、途中に諧謔的なファゴットやアルトサックスのソロが印象的である”グロテスクなワルツ”を挿入しつつも、執拗に繰り返されるが、それはあたかも飽くなきハリソンの挑戦を表すかのようである。
音楽はこのあと徐々に遠く静まって、哀しげで緊張感の高いブリッジを経て中間部に入る。

中間部はエレジー。(この部分のみが抽出され、一つの作品として出版もされている。)ここに現れる旋律は、海難で命を落とした人々への鎮魂歌であるとともに、後にハリソンが漸く手にした”栄光”のテーマとしても使用される。
3美しいHornのソロが大変印象的で、抒情的でロマンティックな楽想は快速部分と見事なコントラストを成すものである。

Water_gong8度打ち鳴らされる鎮魂のチャイムと、サックス+金管の奏者が打ち重ねていくハンドベル(トライアングル・サウンドとの指定)、それにウォーターゴングの響きが織り成す幻想的なサウンドがブリッジとなり、冒頭の熱狂へ戻っていく。

第1部をコンパクトにした再現部の後、時計を刻み続けるウッドブロックにのって、スネアのリムショット+バスドラムの打込みが(312小節)、"その瞬間"を予感させてくる。

4輝かしいチャイムと、Trp.をはじめとする高音群の躍動するリズム、重厚さを増すベース・ライン、そして高らかなHornの歌が折り重なって放射状に高揚。ウッドブロックの刻む時計がスピードを増す頂点で、遂に歓喜に溢れた栄光の瞬間はおとずれるのだ!

4/2拍子で表記されたポリリズムとなって、雄大なエレジーの旋律と8分音符の分散和音の律動感が交錯し、立体的な音楽となるクライマックスは、洵に感動的である。
エレジーの旋律はほどなく静まり、音符を拡大して遠く弱くぼやけて、幻想的な情景に溶けていく。最後はどこまでもクレッシェンドしていくB♭音に、全楽器が徐々に一つになって、永遠のエネルギーを湛え堂々と全曲を閉じる。

♪♪♪

音源は以下をお薦めしたい。

Photo_4秋山 和慶cond. 大阪市音楽団
快速部分における金管の音色など、スピード感がやや不足しているのは残念だが、アナリーゼの充実した秀演で、フレーズも大きく捉えられており、大変音楽的。
特筆すべきは終盤のクライマックス(338~341小節)のアンサンブルの絶妙さ。重厚なサウンドとポリリズムの中、絡み合う各パートのバランスが洵に見事!旋律が埋没することなく大きな流れとしてくっきり示されており、「ああ、こういう音楽なんだ!」と認識させられる。

Usafローウェル・グレイアムcond.
アメリカ空軍ワシントンDCバンド

委嘱者による演奏。快速部分のポジティブさ、鮮烈さは並ぶものなしで、このバンドの面目躍如。このバンドは曲のメカニックが難しければ難しいほど”燃える”感じがある。

Corporanユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス大学ウインドシンフォニー

各楽器とも清廉な音色で、非常にスッキリと聴かせる演奏。但し、快速部分のTimp.の音色には疑問が残る。


Royal_mクリス・デイヴィスcond.
ロイヤル・マリーンズ・バンド

私はこのバンドのオーソドックスなサウンドが大好き。やや切れ味を欠く印象であるが、情熱的な演奏。「ハリソンの夢」はイギリス海軍に縁の深い作品であり、H1をフィーチャーしたCDジャケットにも思い入れが感じられる。

【その他の所有音源】
  ドナルド・ハンスバーガーcond. 東京佼成ウインドオーケストラ(Live)
  リチャード・ワイマンcond. アメリカ沿岸警備隊バンド(Live)


♪♪♪

私の「ハリソンの夢」の第一印象は「すげー曲!だけど・・・」と何となくピンとこないものではあった。
しかし「経度への挑戦」を読んで作品の背景にあるジョン・ハリソンの人生を知り、興味を深めてから改めて聴いてみると、大きな感動が得られたのである。楽団ごとの演奏の個性もハッキリと見えてくる。

つくづく、”理解”するということの重要性を痛感させられた。
音楽を演奏・鑑賞する立場として、理解にむけた努力はゆめゆめ怠ってはならないのだと思う。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年12月15日 (土)

ディエス・ナタリス

Photo_5
Dies Natalis
ハワード・ハンソン
(Howard Hanson  1896-1981)

12月を迎えると、世の中はクリスマス・ムードに染まる。
(冒頭画像:クリスマス・ミサの情景)
吹奏楽のオリジナル曲にもクリスマスに因んだものがあるわけだが、その中でも屈指の名作はハワード・ハンソンの「ディエス・ナタリス」であろう。
題名はラテン語で「誕生の日」の意。キリスト教圏にとってそれはイエス・キリストの降誕祭=即ちクリスマスを指すものだ。

この「ディエス・ナタリス」はキリストの誕生を祝う、歴史ある美しいルーテル教会の聖歌の旋律に基く作品で、序奏、聖歌、5つの変奏曲、そして終曲から成る。
1967年に作曲された管弦楽曲から1970年に改作されたもので、この吹奏楽版初演は1972年4月7日。イーストマン音楽学校の50回目の創立記念日を祝い、イーストマン劇場にてドナルド・ハンスバーガーcond. イーストマン・ウインドアンサンブルが行っている。

♪♪♪

ルーテル教会とは、宗教改革の中心人物にしてプロテスタント教会の源流を作ったマルティン・ルター(Martin Luther 1483-1546)が創始したもの。ルター自身が賛美歌を奨励し、作詞作曲も手掛けるなど音楽に造詣を有していたこと、J.S.バッハやG.ヘンデルも信仰していたことから、特に音楽との関係が深いキリスト教派とされる。

ドイツ、そして北欧で篤く信仰されたルーテル教会であるが、19世紀には北欧系ルーテル派教徒が多数アメリカに移住。作曲者ハンソンもこうしたスウェーデン系移民の両親のもとに生まれている。
ハンソンにとって、幼少の頃から親しんだこのルーテル教会の聖歌は極めて重要な「音楽」であったようだ。

「私は少年時代、このコラールをネブラスカ州ワフーのスウェーデン系ルーテル教会で歌ったものです。作曲家としての私の人生において、このコラールが最大の音楽的影響を与えたものであることは疑いありません。
このコラールは、私が作曲した初期の管弦楽作品-例えば「ルクス・エテルナ」や歌劇「メリー・マウント」にその痕跡を刻んでいますし、吹奏楽作品である「コラールとアレルヤ」、そして管弦楽のための交響曲第4番および第5番にも影響を与えております。」

(プログラム・ノートにあるハンソン自身のコメント)

「ディエス・ナタリス」は、ハンソンが愛したこの優美なコラールを、荘厳にそして大きなスケールで大切に歌い上げている音楽。まさに聖夜に相応しい作品といえよう。

♪♪♪

厳かなTimp.ソロによる序奏に続き、トロンボーンのハーモニーによる鐘の音が聴こえ、聖歌が始まる。
Dies_natalis_1聖歌はユーフォニアムとクラリネットの低音による、朗々とした音色で歌い出される。
Photo_2これが徐々に厚みを増して、聖歌が更にスケールの大きな音楽となっていく最初のクライマックス。劇的だが神聖さと高潔さを失わない曲想が全曲のムードを支配することを宣言する。

続いて、ややテンポを上げて5つの変奏曲へ入る。
第1変奏:幻想的な響きと揺らぎが交錯、最後はテンポを早めて律動感を増し、更に大きく揺らぐが、ほどなく静かにそして遠くなっていく。
第2変奏:木管のオスシナートの上で展開する、打楽器と金管群の激しい応酬。
第3変奏:静まって、ゆっくりとした変拍子(2/4 , 3/8)。各木管楽器の音色の個性を際立たせている。
第4変奏:急転して不安げな木管楽器の細かい音符に始まり、緊張感の高い強烈な楽句とサウンド、激しい感情の昂ぶり。
第5変奏:音楽は落着きを取り戻し、安寧なクラリネットの音色が感情を鎮めていく。

テンポやダイナミクス、色彩を次々に転換させるのが見事。

そして終曲。冒頭のTimp.が再び現れ、ファゴットとオーボエによる鐘の音が遠くから聴こえてくる。だんだんと熱を帯びてきた音楽は大きな火の玉のように高揚し、やがて全合奏が炸裂して、鳴り響く鐘の音が壮大に表現される。
かと思うと、すぅーっと穏やかに、そして伸びやかに冒頭のコラールが帰ってきたのに続き、さらに劇的な旋律が高らかに歌われる。
-その変幻ぶりが実に心憎い。
Dies_natalis_2最大のクライマックスへは、二つの主要旋律、そして「鐘の音」とが夫々呼び合うように鳴り響き、重厚さや荘厳さを極めていくのだが、これがこの上なく感動的!ハンソンの作曲手腕はもちろん、彼の強い思い入れを感じさせるものである。
コーダでは鮮烈な”間”に続き、金管の「鐘」に導かれて豊潤なコードを轟かせ、最後まで劇的に終幕を迎える。

♪♪♪

さて音源だが、私としては以下を推したい。神秘性が強く、緊張感に包まれる音楽であるが、クリスマスの厳かな側面に存分に浸れること請合いであり、お聴きでない方はぜひ一聴を。

Dies_natalis汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

大変丹念な演奏にして、メリハリのあるテンポとダイナミクスの設定によるコントラストが素晴らしい。終盤の重厚さは随一のもの。
(最後のコードは記譜とは異なる解釈。)

Dies_natalis_eweドナルド・ハンスバーガーcond.
イーストマン・ウインドアンサンブル

この曲の初演者による録音。涼やかなサウンドが、この楽曲により一層神聖さを与えている。


♪♪♪

Howard_hanson作曲者ハワード・ハンソン(左画像)はアメリカのクラシック音楽界の重鎮であった人物であり、イーストマン音楽学校校長を40年の永きに亘り務めた。作風は保守的でネオ・ロマンティックに属し、また北欧の色彩が濃いことで知られる。1944年には、交響曲第4番「レクイエム」でピューリッツァー賞を受賞。

吹奏楽では本作のほか、「コラールとアレルヤ」「ラウデ」「センテニアル・マーチ」といったオリジナル曲があり、また「歌劇”メリーマウント”組曲」「交響曲第2番”ロマンティック”」も編曲されて演奏されている。

♪♪♪

最後に、クリスマスに因んだ吹奏楽のオリジナル曲をもう少し紹介しておきたい。

2ロシアのクリスマス音楽    A.リード
Russian Christmas Music
Alfed Reed

リード初期の大傑作。静かに降積む雪のムードに始まり、素朴な聖歌が歌われていく。
中間部はコール・アングレのソロが大変味わい深く、またストリング・ベースの伴奏により、木管楽器が愛らしい聖歌をしみじみと歌う。
一転、終結部に向かって放射状に高揚するクライマックスは、劇的なTimp.や濃密なサウンドとも相俟って、もはや”壮絶”と形容すべきもの。息の長い旋律がパワフルに歌われるさまは、洵に感動的である。
音源は作曲者A.リードcond. 東京佼成ウインドオーケストラの秀演を。

Photo_3クリスマス組曲    D.バーカー
A Christmas Suite    David Barker

こちらはイギリスで歌われた古いクリスマス・キャロルを3楽章( I. Chaconne  II. Scherzo Variation  III. Fanfare and Fugue )にまとめたものだが、これも素朴さに溢れており、古きよき時代を感じさせる音楽。
緊迫感をもってダイナミックに聴かせる第2楽章が見事なコントラストを演出するなど、楽曲そのものもなかなか良くできている。
音源はR.ウィッフィンcond. イギリス空軍ウエスタン・バンドの演奏で。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年11月26日 (月)

サンタフェ物語

PhotoSanta Fe Saga
M.グールド
(Morton Gould 1913-1996)





この曲は、吹奏楽音源の淋しさを象徴する作品である。古くは1964年に天理高校が全日本吹奏楽コンクールで演奏し優勝して以来、コンクール自由曲としてもたびたび採り上げられているにもかかわらず、全曲収録の国内盤はなく、輸入盤もごく僅か・・・。私にとって憧れの曲の一つであるから、この現状は如何にも淋しい。

♪♪♪

Morton_gould作曲者モートン・グールド(左画像)は、現代アメリカ音楽界の重鎮であった。クラシックのコンピレーション盤でも収録されることの多い「アメリカン・サリュート」をはじめ、「フォールリヴァーの伝説」「フォスター・ギャラリー」等の作品で知られ、最晩年の1995年にはStringmusicでピューリッツァー賞も受賞している。
「狂詩曲ジェリコ」「バラード」「ウエストポイント交響曲」などの吹奏楽曲も有名。

彼の作風はクラシック音楽のフォルムと、ジャズや民謡とを巧みに融合したと評されており、この「サンタフェ物語」(1955)もその典型である。かのE.F.ゴールドマンの委嘱により、ゴールドマン・バンドのために作曲されたもので、オーソドックスだが、バンドの実力が厳しく問われる難曲となっている。

♪♪♪

「サンタフェ」とはアメリカ/ニューメキシコ州の州都。その歴史の変遷に起因して、サンタフェはネイティヴ・アメリカン、スパニッシュ、そして西部開拓者というそれぞれ異なった3つの文化が混在する特異な街となった。
1そうした文化の象徴であるアドビ(日干し煉瓦)造りや、スパニッシュ風などの歴史的な建築物も数多く、それらが産み出す景観がアメリカでも人気観光スポットとなっている。

2聖フランシス大聖堂(上左)やロレット礼拝堂(上右)は特に高名であり、その代表的な存在である。

※詳しくは Santa Fe Convention & Visitors Bureau

♪♪♪

「サンタフェ物語」は、そうした異文化の坩堝であるこの街を表す、非常に多彩な描写曲というべき作品である。
「リオ・グランデ」(Rio Grande)
「ラウンド・アップ」(Round-up)
「ワゴン・トレイン」(Wagon Train)
「フィエスタ」(Fiesta)

の4つの部分から成り、これらが続けて演奏される。

001「リオ・グランデ」
は”ゆっくりと、ラプソディックに”との指示通り、Fluteの民謡風のソロで始まる。
この序奏部分は神秘的なムードが大変印象的で、それはHornやFagottoなどの中音楽器群が、雄大でどこか懐かしい旋律を歌いだしたのちも続いている。やがて3/8拍子の軽やかな舞曲で踊りだすが、ここでもサウンドは独特の透明さを見せる。

G.P.のあと、一転して快活な2/4拍子、エキサイティングな「ラウンド・アップ」が遠くから近づいてくる。金管群のベル・トーンを効果的に使ったリズミックなフレーズと、中低音の鮮烈なカウンターの対比が聴きもの。
002再び3拍子の舞曲が帰ってきて、ややゆっくりと、今度はバンド全体が大きく踊りだす。

続いて、一旦静まったと思う間もなく、Trb.の明快なアタックが場面転換を告げ、アッチェランドして豪快な「ワゴン・トレイン」へ。ここでは長いフレーズの狂詩的な旋律と、金管群・打楽器の荒げた音色が打込むリズムの対比。
003殊に、Trb.のグリッサンドや鞭(Whip)が大変効果的に音楽に息吹きを与えており、見事である。また、スレイ・ベルの響きも印象的。
高まった昂奮は徐々に沈静化し、冒頭の旋律をうっとりと再現するPicc.のソロへ -。
004目まぐるしい場面・色彩の転換を見せながら、一気に聴かせてしまう音楽の流れ。
やはりグールドは只者ではない!

そして、Muted Trp.のスピード感漲るフレーズが鳴り響き、「フィエスタ」=お祭りの始まりだ。快速でエキサイティングに祭典の様子を描くこの場面、何といってもTrp.の息の長いハイトーン・ソロが凄い!005

スピードのある音色で張って、張って(テヌートの指示!)、挙句に最後はHi B♭の吹きのばし15拍半!
”これぞトランペット”という華麗さ、その「男前」ぶりがビンビンに発揮されるフレーズだが・・・!

曲は3/4拍子で祭りの賑やかな踊りの場面に移り、今度は重厚なサウンドを聴かせたのち、「リオ・グランデ」の雄大な旋律を高らかに再現。これが「フィエスタ」の楽句と渾然一体となってテンポを速め、5/4拍子と3/4拍子の混在するコーダへなだれこむ。スケールの大きな音楽となって、スネアのリムショットが映え、エキサイティングなリズムと音の坩堝を切り裂くようにHornが雄叫びを挙げる。
※ここはHornの音色を効かせるしかない!(同奏のTrp.はおまけ!)
007最後はHornのGliss-downとともに、鮮やかなテュッティの一撃で曲を閉じる。

♪♪♪

とにかくキツイ。が、とにかくカッコイイ!
演奏するには「男前」なTrp.を擁することが大前提となるが、コントラストに富んだ感動的な作品であり、もっと演奏を聴きたい名曲だ。

音源は
R.M.ギャンボーンcond.
アメリカ海軍ワシントンバンド

の演奏(冒頭画像)が素晴らしい。
漸くこの曲の真価を捉えた全曲版録音の登場である。ストレートにこの曲の良さを表した演奏であり、中でもFlute、Picc.のソロは特筆すべき出来映え。

Americanlandscapesそして、もう一つの秀演が
K.W.ミーガンcond.
アメリカ沿岸警備隊バンド

の演奏。大変丁寧で細やかなニュアンスまで行き届きつつ、メリハリの効いた演奏。市販譜にはないHarpを加えているが、これが大変効果的!Harpを加えたことの意味が確りと伝わるほどに、全曲がハイセンスで貫かれているのだ。
※この演奏が無料ダウンロードできるサイトが復活!こちらへ。

Photo_2また、貴重な音源として作曲者グールド自身の指揮によるナイツブリッジ交響吹奏楽団の演奏したLPもある。
しかし、残念ながら演奏は満足の行くものとはとても言えない。作曲者の意図を垣間見ることは出来るかもしれないが・・・。指揮者としても活躍していたグールドだけに、些か残念である。

※他の所有音源
ハワード・ダンcond. ダラス・ウインド・シンフォニー


( First Issued 2007.2.5. / 新音源入手を機に改訂 )

| | コメント (12) | トラックバック (1)

2007年11月22日 (木)

トロンボーン協奏曲/N.リムスキー=コルサコフ

PhotoConcerto for Trombone and Military Band
N.リムスキー=コルサコフ
(Nikolay Andreyevich
Rimsky-Korsakov 1844-1908)
I.  Allegro vivace
II. Andante cantabile
III. Allegro - Allegretto



「シェエラザード」「スペイン綺想曲」「序曲ロシアの復活祭」等で有名なロシアの大作曲家リムスキー=コルサコフ。ロシア国民楽派”5人組”の一人であり、自作にとどまらずムソルグスキーの「禿山の一夜」、ボロディンの「イーゴリ公」等を補作し世に出した功績も大きく、その名声を一層高めている。これらのレパートリーは吹奏楽界でも愛され、そして重要なものとなっていることはご存知の通り。

そのリムスキー=コルサコフだが、吹奏楽伴奏による”協奏曲”を3曲遺している。
「グリンカの主題によるオーボエのための変奏曲」(1878)
「クラリネットのための小協奏曲」(1878)
「トロンボーン協奏曲」(1877)
である。

♪♪♪

リムスキー=コルサコフは貴族の家系に生まれ、実は音楽家である以前に海軍軍人であった。ペテルブルグの海軍兵学校に入学したのが12歳(1856)、その後4年に亘る遠洋航海なども経ながら、作曲活動を続けたという。その作品が評価され、1871年には海軍大尉に在職のまま、ペテルブルグ音楽院の作曲法・管弦楽法の教授に任命されている。

そして1873-1884年の間、海軍軍楽隊監督を務めたことから、吹奏楽との接点が生まれた。この軍楽隊指導経験はリムスキー=コルサコフの管楽器用法に更に磨きをかけたとされ、これによって彼は初期作品のオーケストレーションを見直すことになったという。

尤も、この海軍軍楽隊時代に作曲された3つの”協奏曲”作品は、長い間忘れ去られていた。
リムスキー=コルサコフ自身、初演時の様子について
「独奏者は喝采を得たけれども、作品自体が顧みられることはなかった。聴衆たちときたら、音楽演奏の場において未だに作曲者の名前にも、作品自体のいずれにも興味がなかったんだよ。」
と自嘲気味なコメントを残しているという。

本稿で採上げた「トロンボーン協奏曲」も1951年に再発見後、W.ナリーンとD.シューマンがアメリカ式吹奏楽編成に改め、これが1952年にゴールドマンバンドで改訂初演されてから、漸く広く知られるようになったものである。

※参考文献
新音楽辞典/音楽之友社(執筆:井上 和男)
David Cannata による本作品に関する解説


♪♪♪

当時の評価はともあれ、この「トロンボーン協奏曲」は傑作である。リムスキー=コルサコフがかような作品を吹奏楽界に(或いはトロンボーンに)遺してくれたことは、洵に幸運と言うほかない。

まず第一に、旋律が素晴らしい!そして簡潔な構成にして、実に明快な音楽であり、トロンボーンという楽器の魅力を素朴に、実直に伝えてくれる。
ある時は「堂々と」「力強く」、またある時は「懐深く」「暖かく」、或いはまた「軽妙に」「剽軽に」と表情を変えるこの楽器の特性を、実に巧みに引き出しているのだ。

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
1一斉に駆出していくような序奏に続き、すぐさまトロンボーンのソロが始まる。本作品中、最も有名な旋律であり(吹奏楽界のトロンボーン奏者がよく「吹いてみては堂に入る」フレーズ^^)、素朴だが品格がある。
この楽章は、力強く爽快な音楽で一気に走り抜けてゆく。

※尚、上掲した譜例の冒頭は、オクターブ下で演奏されているもの
    しか聴いたことがない。


第2楽章 アンダンテ・カンタービレ
2トロンボーンの柔らかな音色を存分に生かしている。抒情的なバラードでありながら決して眼を伏せるようなムードではなく、実にスケールが大きく、その暖かさに抱かれ、包み込まれていくよう。
終盤、毅然としたフレーズを響かせてカデンツァ、そのままアタッカで第3楽章に突入する。

第3楽章 アレグロ-アレグレット
3トランペットのファンファーレ風の楽句に続いて、トロンボーン・ソロのリップ・トリルにより”マーチ”が始まる。ここは大変リズミックで軽妙な楽想である。
そして最後の見せ場、規模の大きなトロンボーンのカデンツァがやってくる!ソロイストが存分に自らの音を聴かせる”男前”ぶりが聴きもの。
一旦静まって伴奏が入り、徐々に力感を漲らせるトロンボーン・ソロが冒頭のファンファーレ再現を呼び込んで、堂々たるフルバンドのサウンドで締めくくる。

♪♪♪

音源は以下を推したい。

Photo_2ミシェル・ベッケ(Michel Becquet)
+ ノルベルト・ノジ cond.
ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団

素朴で暖かいこの協奏曲の魅力を端的に伝える演奏。


Michelbecquet_2名手ベッケ(左画像)は近時フランス空軍バンドとの録音もリリースしているが、このギィデ盤の方がより素朴で私の好みに合う。

☆☆☆




現代屈指のヴィルトゥオーゾ、クリスチャン・リンドベルイの演奏も紹介しておこう。

Photoクリスチャン・リンドベルイ
(Christian Lindberg)
+今村 能 cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

巧い!確かに巧いし表現は実に積極的。しかし”やり過ぎ”感は否めない。
(特に最後のカデンツァで全楽章を総括するなど、ややあざと過ぎではないか?)
技巧も協奏曲の楽しみのうちであるから、”アリ”だとは思うが・・・この曲の場合、素朴な魅力をストレートに伝える演奏の方が私の好みである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月 5日 (水)

アウェイデー

Adam_gorbAwayday
A.ゴーブ
(Adam Gorb 1958- )







作曲者アダム・ゴーブ(冒頭画像)はイギリス/ウェールズのカージフ生まれ。10歳から作曲を始め、ケンブリッジ大学やロンドン王立アカデミーで研鑽を積み、現在はロイヤル・ノーザン音楽大学で教鞭を執っている。
この「アウェイデー」1996年、同音楽大学のシンフォニック・ウインド・アンサンブルとその指揮者ティモシー・レイニッシュの委嘱により作曲されたものである。

ゴーブの作風は大変モダンで都会的なムードを持つ。吹奏楽での代表作として「メトロポリス」(Metropolis/1994年ウォルター・ビーラー作曲賞受賞)が挙げられるが、これをはじめとする彼の作品群の中で、際立って明快な音楽なのが「アウェイデー」である。そしてそれゆえに、最も広く親しまれている。

♪♪♪

Awayday_ticket「アウェイデー」とは、もともとイギリス/British Rail社が発売している、行楽旅行者用の日帰切符のこと。

右画像: Awayday Ticket の例


これから転じて、イギリスでは通常の職場を離れた会合などを指して”Awayday”という言葉を使うらしい。

※アメリカに長く育った友人によれば、Awaydayと聞いて、「お出掛けで不在の日」というニュアンスは判るものの、アメリカでは使わない言葉だそうだ。発祥からしてもイギリス固有の言葉なのであろう。

作曲者ゴーブ自身のコメント。
「この6分ほどの演奏会の幕開けにふさわしい楽曲の作曲にあたり、インスピレーションはアメリカのミュージカル・コメディが栄華を極めた時代からもたらされた。
私はこの短いソナタ形式の楽曲の中で、しばし日常の全てから解き放たれた、休日の楽しい気分を表現しようとしたのである。
音楽的に言えばこの作品は、はちきれんばかりの活気と、抑えきれない気炎とに溢れていた、かつてのブロードウェー・ミュージカルへのオマージュ。
ジョージ・ガーシュウィンやレナード・バーンスタイン、イゴール・ストラヴィンスキーにジェームズ・ボンドがみんな一緒にオープン・トップのスポーツカーに乗り、時速100マイルの猛スピードでぶっ飛ばしている様子をご想像できるなら、この曲のことは判っていただけるのではないだろうか。」


※作曲者HP

♪♪♪

冒頭は3/2拍子(2小節目から2/2拍子)、Presto (Tempo:144)。サクソフォーン・セクションを除く全合奏の鋭い打ち込みに始まる。

(記譜上ドラムセットの使用は明記されていないが)リズムはドラムセットが刻んでいく楽曲であり、カウベルなどのラテン・パーカッションも含む多彩なパーカッション群が大活躍するほか、ピアノも重要な役割を果たす。リズムのみならずサウンドや和音も、まさにジャズの世界そのもの。そして変拍子の使用によりテンションを高めつつ、終始 Presto でグルーヴしていくのだ。
ビートが前面に出たかと思うと、サブリミナルになり、また前面に出て- とその変幻ぶりも聴きどころである。

序奏部を終えると直ぐ、全曲を通じて奏されるリズムパターンがTrb.ソリに現れる。
Awayday001
この伴奏に載って、木管群が快活な第1主題を歌いだす。リズミックでスピード感のあるフレーズは、非常に開放的なイメージを齎す。
Awayday003
続いてサクソフォーンに現れる第2主題はたおやかで夢見心地。Presto のスピードを保ちつつ、快活な第1主題と絶妙の対比を成す。
Awayday002_2
この2つの主題を、自在に展開させながら疾駆して行くのだが、中でも特に Tenor Sax の8分音符音型に始まる部分(182小節~)は圧巻!
Awayday004
ここは”あざとい”ほどの達者さが要求されるが、それを見せることが出来たら、聴衆の眼前にはゴーブの描いた情景がありありと浮かぶだろう。そう、ハイウェーを高速のスポーツカーがかっ飛んで行くさまが・・・。

そして、頂点でエキサイティングなパーカッション・ソリ。
その鮮烈さに呼び戻されて再現部となる。一旦静まるものの、各声部は徐々に激しく絡み合って、抑制されていたエネルギーもぐんぐん高揚、遂には炸裂するクライマックスへ!

コーダは冒頭序奏部の再現から、熱狂を緩めることなく終幕へと突き進んで行く。

♪♪♪

Awayday_cd音源は5種類保有しているが、私としては何といっても
ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス大学
ウインドシンフォニー

の演奏を推す。
作曲者意図通りのスピード感を持ち、”あざとい”メカニックを存分に示している点で圧倒的であり、他の追随を許さぬ快演である。
より立体的な演奏が望まれる部分(356~358小節のHornとTrp.の応酬など)も若干あるが、件のパーカッション・ソリも実にカッコ良く仕上がっており、楽曲の魅力を充分引き出していると云えよう。

<その他の所有音源>

ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
トーマス・フォリーcond. アメリカ海兵隊バンド
レイ・クレーマーcond. 武蔵野音楽大学ウインドアンサンブル
クラーク・ランデルcond. ローヤル・ノーザン音楽大学ウインドオーケストラ

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年8月11日 (土)

祝典序曲/D.ショスタコーヴィチ

Shostakovich_2Festive Overture
D.ショスタコーヴィチ
(Dmitri Dmitriyevich Shostakovich 1906-1975)





ドミトリ・ショスタコーヴィチ(冒頭画像)は、ロシ