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2016年8月 2日 (火)

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

2Myth for Symphonic Band
- on the Story of
"AMANO-IWAYADO"
大栗 裕
(Hiroshi Oguri 1918-1982)

「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。
音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」

                        (作曲者 大栗 裕によるコメント)

Photo_5作曲者自身のコメントにある通り、「吹奏楽のための神話」 「天岩屋戸(天岩戸)」の物語に基く交響詩的作品である。
この神話は古事記日本書紀に所載されており、弟である素戔嗚尊(スサノヲ)の乱暴狼藉を恐れた太陽神・天照大神(アマテラス)が天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語で、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。しかし何より物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものである。

    ※古事記(左上画像 :福永 武彦 現代語訳)
       
「kojiki_excerpt.jpg」をダウンロード

そもそも太陽神がひきこもることで天上界も地上も真っ暗闇になり、それがさまざまな禍を引き起こすという設定が面白いし、八百萬の神々が集合してアマテラスにお出ましいただくよう対策を練るというのも実にユニークである。そして芸能の女神・天宇受賣命(アメノウズメ)のエロティックな踊りに神々の笑いが湧き起こるさまや、剛力の神・天手力男神(タヂカラオ)が岩戸に手をかけアマテラスを引き出すさまなど、ヴィジュアライズされた情景を想い描かせるのだ。神聖で神秘的な-しかしどこか世俗的な親しみとがない混ぜになったその世界観にぐっと惹きつけられてしまう。

この「天岩戸」の日本神話にまつわる神社・史跡は日本全国に存在している。それはこの神話が古から日本中で深い興味を以って伝承され、「天岩戸はどこにあるのだろう」「まるで天岩戸のような風景だ」といった想いを人々に紡がせてきた証左であろう。
Photo_4中でも有名な宮崎・高千穂の「天岩戸神社」には天岩戸(撮影禁止とのこと)の他、八百萬神が集まり神議を行ったと伝わる天安河原という大洞窟も存在している。
そこに伝承される神事も含めこの神社と「天岩屋戸神話」とは、尋常ならざる深い関わりを感じさせるのである。

♪♪♪

Photo_2大栗 裕は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。自身、吹奏楽の名門・天王寺商高出身でプロフェッショナルのホルン奏者として活躍していたこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。
吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。

♪♪♪

この「吹奏楽のための神話」(1973年)は伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンド大阪市音楽団(現 オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ)の創立50周年を記念して作曲されている。
50197309261973年9月26日、大阪市中央体育館で開催された「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」において永野慶作指揮の同団により初演。キャパシティの関係で選ばれたこの体育館はコンサート会場としては広すぎ、また折悪く激しい雨に見舞われその雨音の影響もあり、残念ながら本初演は演奏効果を充分に発揮することはできなかったようだ。

     ※出典:バンドジャーナル掲載の鈴木竹男氏レポート(写真も同誌)
            上掲右画像:初演指揮・永野慶作と作曲者・大栗裕


しかしながら本作品の素晴らしさはクチコミでも各地に広まっていった。吹奏楽連盟講習会の講師を通じてこの曲の存在を知ったというのが、四国の雄・徳島県富田中を率いる糸谷安雄先生である。「神話」に惚れ込んだ富田中は本作を自由曲に選び、1975年の全日本吹奏楽コンクールにて見事金賞を受賞した。
1975_2今津中・豊島十中が5年連続金賞で招待演奏に回ったこの年、名門・富田中は心に期するものもあったと思うが、実に表現豊かな秀演で文句なしの金賞を手にしたのである。

     ※出典:バンドジャーナル1976年1月号
         「特集・第23回全日本吹奏楽コンクール」
      尚、当該記事中で糸谷先生は次のようにコメントされている。
       「練習が進むにつれ、この曲の持つ魅力にすっかりとりつかれ、
            今年の自由曲に決定させてもらった。しかし13分30秒という大
      曲のため、半分近くもカットせざるを得なかったのは、たいへん
      に残念であった。特に美しい笙の響きを思わせるクラリネットの
      重奏の部分をもカットしてしまったのは、今でも心残りである。」
      -ああ、やっぱりなと思う。こういう感覚、想いで楽曲に接しな
      ければ人に感銘を与える演奏は生まれないのだと思う。
      ”却って効果的”などとコンクールの勝敗だけに頭を巡らして心
      ないカットを施し、楽曲不在となっているケースはないだろうか。
      繰り返し言うが、もうそんな演奏は聴きたくもないのである。


Photo_3私が「吹奏楽のための神話」を知ったのも全日本吹奏楽コンクールLive盤で聴いた富田中の演奏が最初である。冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じたし、続く前奏部も実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど…。それほどまで強い印象を与える、優れた表現力の演奏だった。富田中は翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田”の名を轟かせることとなる。

今や吹奏楽の邦人オリジナル曲として最も多く演奏される作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも多くの秀演が生まれた「吹奏楽のための神話」は、間違いなく吹奏楽史上に燦然と輝く名曲なのである。

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は前述の通り、”天岩屋戸伝説”を極めて描写的に音楽にした交響詩的作品であり、鑑賞や演奏においては描かれた情景に想いを巡らさねばならない。
全曲の構成としては、Adagio - Allgro molto - Andante - Allegro molto - Andante の5つの部分から成っているとみることができる。

I. Adagio
アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声


Photo_7冒頭の木管群の鋭いフレーズとTimp.の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す-。暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。
Adagio_trb暗闇に蠢くのは神か、物の怪か-。Tromboneのグリッサンドがとても効果的に、その密やかなざわつきを表すのだ。
続いて木管群にミステリアスな旋律が現れ徐々に高揚、
Adagioこれが繰り返されたその頂点で緊張感漲る木管のトリルに導かれ、Muted Trumpetが長鳴鳥の鳴き声を奏する。
Photo_8これに続いて、いよいよアメノウズメの踊りが始まるのである。

II.Allegro molto
アメノウズメの狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑


アメノウズメが踊る情景を現すのは、賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲。各楽器が楽句を応酬し、その音色も含めた”対比”が聴きものである。
Allegro
ここではTimp.やSnare Drum(snare off) はもちろんのこと、BongoやCongaも大活躍。ラテンパーカションは”古代の野性”を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが洵に素晴らしい!
Allegro_2このリズムに乗った土俗的な舞曲の熱狂が、この曲独特の個性を決定づけている。
ますますスケールアップした音楽は締太鼓のリズムと下降するベースラインに導かれて一層生命感とエナジティックさを極め高潮していく。
Allegro_3一旦静まったのちに楽句が重なり合って放射状に高揚し頂点を迎え、重厚なドラの一撃とスネア・オフのドラムに続いて、荘厳なサウンドが響きわたって場面は岩屋戸の中へと転換する。

III. Andante
天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情


不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。
この場面では木管が存分に聴かせる。まずTimp.のソロイスティックな伴奏を従えたFluteのソロ。
Andante_fl_solo_2これに続いてClarinetが重なり合いまさに笙の如き不思議な美しさの世界を見せる。大変印象的な音響である。
Andante続いてClarinetへとソロが移り行く。
Andante_cl_solo_3このAndanteの全編に亘って現れる幻想的な木管のアンサンブルと密やかに蠢く打楽器たちとが映し出す情景の神秘さは、洵に筆舌に尽くし難い。

IV.Allegro molto
再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂、高天原を揺るがす神々の囃し声


Photo_6岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。踊りに熱狂するアメノウズメの衣服がはだけ、遂にはあられもない姿となって更に踊り狂い、神々にどっと笑いが起こり、高天原がその笑いで揺れる情景が描かれるのだ。



エキサイティングな舞曲はオスティナート風に反復される木管群の旋律に、遁走するTrumpetとTromboneのモチーフ、4拍3連のビートを打ち込むベースライン、更に打楽器群のリズムも渾然一体となって、じりじりと昂ぶりを強める。
Zそして、遂にその時がやってきた。頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!

V. Andante
岩屋戸を僅かに開き外を覗くアマテラスを写す鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景


Muted Trumpetに曲頭Adagioの旋律が再び現れ、岩屋戸から洩れ出す光が徐々に強まっていくさまが、高揚していく音楽によって劇的に描かれる。
Trbそしてアマテラスが引き出され、これを待望していた神々の歓声の如く、高らかにTromboneが雄叫びを挙げるのだ!

再びAdagioの旋律が重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円となる
Aa最後は冒頭が逆モーションで再現(Timp.→木管7連符)され、潔くそしてキレのいいエンディングが、遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。

     ※参考画像(アメノウズメの踊り)出典:
      「アマテラス」 舟崎 克彦 著 / 東 逸子 画  (ほるぷ出版)


♪♪♪

この「神話」という曲は魅力に満ちている。前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。
殊に、ともすれば”落ち着き”が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。
また、吹奏楽オリジナル曲としては屈指のTromboneが大活躍する楽曲であり、Tromboneセクションの好演が求められるのは云うまでもない。

多くの演奏を聴いたが、音源としては
Cd朝比奈 隆cond.大阪市音楽団
(1975年録音)
を推したい。ふさわしい”雰囲気”が充満しており、総合的に見てやはりこの委嘱者である大阪市音楽団と、作曲者の盟友であるマエストロ・朝比奈 隆による演奏が、大栗ワールドを最も体現していると私は思うのである。

     【他の所有音源】
       ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
       朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


Lp尚、この1975年録音(左画像:初出のLP盤)では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)
同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。
果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。
カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この”1975年録音版”の演奏をお奨めする次第である。
(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)


(Originally Issued on 2008.5.21./Overall Revised on 2016.8.2.)

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コメント

お久しぶりです。
神話、いいですねえ。コンクールの実況録音盤しか聴いたことがありませんでした。カットなしの演奏だとどうなるんでしょうか、興味わいてきました。
Tromboneは確かに大活躍ですね。いつか、貴殿とパァーン、パァ、パァーンと合わせてみたいものです。
と思って、某楽団のサイトを久々でのぞいて見たら、Contrabassは団の楽器なくなったんですね。でもって、Tubaは募集停止中。が~ん。

投稿: くっしぃ@サウジ | 2008年6月 6日 (金) 08時48分

ご無沙汰です!
いやー、Contrabassは先日正式メンバーが入団されて、あの楽器を使ってらっしゃるんですよ。だからです。Tubaは引続き3人いらっしゃるので・・・。でも、貴兄が復帰されることに限っては問題ないと思いますよ。^^)

♪♪♪

この曲のスコアを見て感心したのですが、技巧的にはそう難しいわけではないですし、無用な音符が一切なくて、実にスッキリしているんです。なのに、とっても凝っているように聴こえ、個性はクッキリ!これはなかなかのモノだなあと、改めて感じ入った次第です。
一度演奏してみたいのですが、S先生の趣味じゃなさそうですなぁ、こういう曲想は・・・。

投稿: 音源堂 | 2008年6月 6日 (金) 11時33分

おお!Contrabass入ったんですか、すばらしい!
しかし、全員そろったら狭そう。。。

この曲は聴くと独特なんですが意外ですね。確かに極端な高音とかはなさそうですが。技術的には我々向き?
でも、邦人作品。。。

投稿: くっしぃ@サウジ | 2008年6月 7日 (土) 06時25分

いや、ところが団員は不足気味(Fluteが現在1名しかいないほか、我がTrb.パートも年嵩の高い順にオジサン3名のみが残ったという危機的状況です。^^;)のうえ、閑散期?で「揃ったら狭い」という実感を未だ得ていません。かく言う私も母に会いに田舎に帰ったり、取引先社長のご子息結婚披露宴に出席したりと、外せない公私所要で練習に参加できず、淋しい思いをしているという近況です。

「神話」は聴き映えの割に難しさは見事にほどほど。しかしながら再々になりますが、S先生の趣味ではなさそうなのは、ご想像通りだと思います。残念ながら・・・。

投稿: 音源堂 | 2008年6月 9日 (月) 09時29分

今 自分の中学の吹奏楽部では、コンクールに向けて練習に
励んでいます
課題曲、自由曲があり 自由曲がこの
「吹奏楽のための神話 天岩屋戸の物語による」を
演奏させていただきます。

この曲の物語が知れてとても嬉しいです
この物語を参考にし、精一杯演奏させていただきます

投稿: Hr. 中2 | 2010年7月28日 (水) 17時27分

Hr. 中2さん、ようこそいらっしゃいました。
「神話」は素晴らしい曲ですよね。そして、非常に描写的な内容ですので、作曲者が描こうとした物語を識ることはとても意味があると思います。そんな思いで本稿を書きました。
演奏する曲に興味を持って、どんな曲なのか知りたい、調べてみようというスタンスは素晴らしいですね。これからもそれを忘れずに、音楽をとことん楽しんで下さいね。

コンクールで良い演奏ができることを祈念致します☆

投稿: 音源堂 | 2010年7月29日 (木) 07時40分

「神話」。この曲は大好きな曲というだけではなく、おそらく
私自身の本番演奏回数が最も多い曲でもあります。

記録によれば、三か所の楽団で計五回も演奏しています。
うち二回は郷里の熊本の同じ楽団で、演奏会とコンクールで。
上京後は、音源堂さまも在籍されていたあの楽団で一回、
残り二回はまた別の楽団で演奏会とコンクールで。

しかも毎回毎回担当楽器が異なり、この曲のほとんどの
打楽器パートを経験することができました。

この曲がこれだけ人気があるのは、そのシリアスな
曲想の割に、とても「わかりやすい」点だと思います。
物語の場面場面が次々と目に浮かぶ曲の造りは、
初めて聴く時にはなんとなくとっつきづらく感じても、
聴いていくうちにその世界にのめりこまされてしまう…、
そんな作品だと思います。

打楽器奏者的にも面白い作品です。
例えば「アマノウズメの踊り」のBongoパートは、

HLL HLL HLHL | HLL HLL HLHL (H=高音/L=低音)

となっていますが、二小節だけ、

HLH LHL HLHL | HLH LHL HLHL

となっている箇所があります。

これは恐らくこの箇所の金管の音色の違いに合わせて
手順を変えたのだと思いますが、ここでわざわざ別に
楽器を用意するのではなく、叩く手順を変えるだけで
音色の違いを作っている(のだろう)と気づいた時、
そのアイデアにただただ目から鱗の思いでした。
("LHL"のアタマの"L"にアクセントをつけるだけで、
なんとなくBongoのピッチ全体が低くなったような錯覚を
引き起こさせている気がします)

長文になってしまいました。
この曲については色々と書きたいことがありますが、
今回はこのへんで…。

投稿: HARA-P | 2010年10月31日 (日) 14時37分

HARA-Pさま、打楽器奏者らしいコメントを有難うございます。さすがですね!
単にBongoのことを題材にしてらっしゃることを指しているのではありませんよ。

>恐らくこの箇所の金管の音色の違いに合わせて
>手順を変えたのだと思います

>ここでわざわざ別に楽器を用意するのではなく
>叩く手順を変えるだけで音色の違いを作って
>いる(のだろう)と気づいた

>なんとなくBongoのピッチ全体が低くなった
>ような錯覚を引き起こさせている

こうした「洞察」、自分のパートだけでなく楽曲全体をモニターする感覚を持ち合わせてプレイすることこそが、特に打楽器奏者においては醍醐味だと思っておりますので、そのことを申し上げております。素晴らしいですね!

もちろん私も自分自身を振返り、今後もこうした考察・洞察を深め、演奏と鑑賞との両面で更に充実させて行きたいと思っています。

♪♪♪

しかしこうした「作曲家の工夫」はその力量によって有意なものとそうでもないものとがありますよね…。そこも見極めるのがまた大変です。^^;)
ただ私の基本スタンスは、とにかく作曲者の意図を尊重しその実現を図ることです。(その分、明らかに力量のない作編曲家の作品は”やりたくない”わけですが。)
このスタンス、「当然じゃん」と謂われそうですが、意外にそうでもないです。吹奏楽界では、練習のごく初期段階から楽譜を変更したり、譜面の表示を無視するよう指示したりっていったことが横行していますから。

こうした「楽譜いじり」自体も、それが有意か無意味かよく見極めなくてはいけませんね。

投稿: 音源堂 | 2010年10月31日 (日) 23時54分

この曲 去年のコンクールでやりました。
そのとき2年生だった私は技術的に追いついていないことがあったりで先輩や同じ学年の子にもひどいことを言われたりしました。
当時は毎日が嫌で仕方がなかったのですが、悔しさをバネにして今までやってこれたので、私にとってこの曲はいちばん大切な曲です。
今の私を支えてくれているこの曲に、ありがとう。

投稿: ほるん | 2011年5月29日 (日) 22時18分

ほるんさん、コメントを有難うございます!
「神話」に懸命に取組まれたことが、ご自身の音楽面での成長を導いたようですね。良かったです!
これからもそういう曲、そういう音楽との出遇いがたくさんたくさんありますように、お祈りしています。
またぜひいらして下さい!

投稿: 音源堂 | 2011年5月29日 (日) 23時50分

今年、この曲を吹いて28年ぶりに私の通う中学校は県代表に選ばれ、県トップの座をとることができました。
この曲には感謝してます
この曲だから、代表になれたと思います。

この曲が大好きです

これからこの曲を吹くみなさん、大変な曲ですががんばってください!
そして、この曲をけなさないでください

投稿: ゆぅ | 2011年9月24日 (土) 19時51分

ゆぅさん、この曲に真剣に向き合いそして素晴らしい演奏ができたことで「神話」はあなたにとって”特別なもの”となったようですね。素敵なことだと思います!

まだ中学生でいらっしゃるとのことですので、これからもまた「神話」のように素晴らしい楽曲との出遇いがたくさんあると思います。どうかこれからも末永く音楽を楽しまれますよう願って已みません。

投稿: 音源堂 | 2011年9月24日 (土) 23時57分

富田中の「神話」私も音源持っております。
また、当時小学校6年生でしたが、四国大会で富田中の演奏を生で聴きました。
もちろん翌年、翌々年の演奏も、こちらは出場者として、またライバルとして聴かせていただきました。

糸谷先生といえば、中学時代に何度かウチの中学校に指導に来られ、当時菊間中におられた鈴木先生とともにご指導を賜ったことがあります。

その後一度他の学校に転任されてから、今度は富田中の校長先生として再赴任され、一時低迷していた富田中を復活させられたことも印象に残っています。

投稿: なおりパパ | 2016年8月15日 (月) 18時09分

なおりパパさん、暫くです!コメントいただき有難うございます。当時の中学生の演奏、とても深く掘り下げたものがあって今聴いても大人顔負けですよね。指導された先生方の音楽性が素晴らしく、そしてメンバーの音楽性を引き出す指導をされていたんだと思います。
「神話」を出稿してから8年、充実した改訂ができて自分でも満足しております。新たな楽曲の出稿ももちろんですが、改訂稿の出稿も進めて参りますので、引続きどうぞ宜しくお願い致します。

投稿: 音源堂 | 2016年8月16日 (火) 09時22分

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