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2015年2月25日 (水)

ザノーニ (ザノニ)

PhotoZanoni  op.40
P.クレストン
(Paul Creston
1906-1985)


エキゾチックなサウンドと、巧みで個性的なリズムの使用- そうした作風で根強いファンを持つアメリカの作曲家ポール・クレストンが吹奏楽界に遺した傑作。1947年に作曲されたこの「ザノーニ」は「プレリュードとダンス」「セレブレーション序曲(式典序曲)」「アルトサクソフォン協奏曲」と併せ、クレストン吹奏楽四大名作と呼んで差支えないであろう。
作中の随所に現れる独特の楽句とその”音響”は思わず息を飲むような驚きを与えずにはいない。また印象的な個性をもつリズムパターンが執拗に繰返されるその凄味もまた固有のものであり、そうしたクレストンの音楽に私も強く惹きつけられるのだ。

    ※この曲の表記は永らく「ザノニ」とされていた。しかしながら本稿では後述す
            る私の推定に基き、本標題の元と見ている小説の一般的邦題に合わせ、
      敢えて「ザノーニ」と表記することとしている。


♪♪♪

「『ザノーニ』という標題を掲げてはいるものの、この作品は標題が示唆するものが一切ない抽象的な音詩である。標題がブルワー=リットン卿の著した物語或いはその主人公と同じなのは、純粋に偶然の一致である。」

Crestonクレストンのコメントは斯様ににべもない。確かにクレストンの作品に標題音楽はほとんど見当たらない。
しかし、ならば「ザノーニ」という標題は何に由来するのか?クレストンはわざわざ「関係ない」と言及した一方で、では何に?について一切コメントしていない。この言葉の持つ語感が何となく気に入ったとでも云うのだろうか?手を尽くして調べ得た限り(少なくとも1947年の作曲当時に於いて)「ザノーニ」という言葉はクレストンも触れているブルワー=リットン作の小説の題名以外にほぼ使用されることのないものである。
これに鑑みれば次の三つが推定し得るところではあるまいか。

 1.クレストンの念頭にはやはり小説「ザノーニ」があって、そこから
  
この曲は生まれた。クレストンのコメントは「標題に囚われること
     なく、純粋に音楽として作品を捉えてほしい」という趣旨が色濃く
     表れたもの、ということではないか?
    楽曲の各部分について-例えば「トランペットのソロはザノーニと
     ヴィオーラの愛を表現しているのですか?」といった類の、この楽
   曲をあたかも同小説の情景描写的な作品であるかのように解釈
     をしようとする向きに接し、それをすっかり嫌気したのかもしれな
     い。

 2.「ザノーニ」は後述の通り”小説として”大変興味深いものである
     が、錬金術・魔術をはじめとするオカルティズムや、秘密結社=
     薔薇十字団との関係が深い。小説「ザノーニ」にインスパイアされ
     て曲を書いたのは事実としても、クレストンとしてはそうしたものと
     は一定の距離を置いている旨、表明したかったということか?
 
 3.本作はミシガン大学の吹奏楽曲委嘱シリーズの1曲なのだが、
     例えば委嘱者側が完成したこの曲の印象から小説「ザノーニ」を
     想起して、標題を付した。或いは小説「ザノーニ」を題材にした楽
     曲を委嘱されたが、実際には必ずしも内容が委嘱趣旨とリンクし
     ない楽曲が完成してしまった。


情景描写的音楽では全くないとしても、上記推定に基きこの楽曲と”無関係”とはどうしても思えない小説「ザノーニ」について、やはり触れておくことにしたい。

♪♪♪

Zanoniillustration「『ザノーニ』(1843年)は、ひとことで言うならば、壮大なメロドラマ的小説ということになるだろうか。それは「カルディアに始まり、のちの薔薇十字会へと流れてゆくすべての輝かしい友愛団の奥義」をふまえた神秘的な作品であるとともに、フランス革命の時代の史実をふまえた歴史小説でもある。それは神秘主義の教説と歴史とを二つの極として、その間でくりひろげられてゆく愛と死の物語である。あるいは比喩を変えて、ナポリ、ヴェネチア、イタリアの山奥の城、ギリシャの島、恐怖政治下のパリ、そしてロンドンをつなぐ空間を横糸とし、西洋の長い歴史を縦糸として、そこに神秘の糸をまじえて織りあげられた愛と知と陰謀の絢爛たる絵巻きと言ってもよいだろう。」
                                            -富山 太佳夫による解説より

 【ザノーニ : あらすじ】

 美しく信心深いナポリの歌姫ヴィオーラには、その芸術家として
 の成功と女性としての安寧を庇護する不思議な存在があった。
 それが超人ザノーニである。秀麗の美男にして富裕なザノーニは
 神出鬼没、舞台にあるヴィオーラには客席から魔法のように力を
 与え、また彼女に危機が迫れば察知してこれを救う。ザノーニこ
 そは、耐えうる者の稀な修行を経て永遠の若さと超能力を手にし
 た幻視者であった。未来を見透し、遠く離れた場所の情景や会話
 を幻視し、いかなる病魔からも救い出す秘薬を操る彼はまさに驚
 
異の存在である

 ヴィオーラのザノーニに対する尊敬はやがて思慕へ、そして愛情
 へと変わる。ザノーニのヴィオーラに対する庇護者の想いもまた、
 愛情へと変化していった。
  しかし時空を超えて存在する超人ザノーニと、永遠たり得ないヴ
 ィオーラとは本来交わり得ない運命にある。ましてやヴィオーラ
 との愛に身を投じた瞬間から、彼女を庇護する超能力はザノーニ
 から喪失されていくのだ。激しい葛藤の末、ザノーニは師メイナ
 ーの忠告も振り切り、ヴィオーラとの愛を選択する。

 二人は愛らしい子供にも恵まれ、ひととき幸せな時間を過ごす中
 で、ザノーニは自身の超能力が完全に消失する前にヴィオーラと
 子供とを自分と同じ境地に引き上げようと試みた。しかし、信心
 深さゆえ迷信に惑うヴィオーラにそれはできず、ザノーニへの深
 い愛情とはうらはらに、彼の不思議さに対する畏れと疑いとをど
 うしても拭いきれない。

 そして幻視者への修行に挫折したグリンドンの言葉を信じて迷信
 に塗れたヴィオーラはザノーニを恐怖し、子供を守りたい一心か
 ら愛情を押殺しパリへと出奔してしまう。折しもフランス革命に
 おけるロベスピエールの恐怖政治下である。その嵐に巻き込まれ
 たヴィオーラは、幼子とともに死刑囚として投獄されてしまった。
 ほぼ超能力を失ってしまっているザノーニは、生身の人間として
 妻子の救出に向かうが、もはやそれを実現するにはヴィオーラの
 身代わりに自らの命を賭するほかなかった。
 それでも、断頭台に向かうザノーニは愛に生きた確信に満ち、最
 期の瞬間まで笑顔を失わない。

 ザノーニが
”永遠”を棄ててまでも守りたかったヴィオーラ。

 -ザノーニの最期を眼にし、これに耐えることのできなかった彼

 女もまた、この上なく美しい姿をとどめたまま天に召されて行っ

 たのだった。

   ※ザノーニの詳密なあらすじ:「zanoni_synopsis.docx」をダウンロード


Siredwardbulwerlytton_2「ザノーニ」の作者エドワード・ブルワー=リットン(Edward Bulwer-Lytton 1803-1873)はイギリスの小説家・政治家で「ペンは剣よりも強し」の名言で有名。またあのリットン調査団の団長は孫にあたる。「ザノーニ」の各章冒頭にはさまざまな小説や戯曲からの引用がアフォリズムの如く掲げられており、作者の幅広い教養が強く感じられる。
作品としては「屋敷と呪いの脳髄(幽霊屋敷)」もあるが、何といっても「ポンペイ最後の日」が汎く知られているだろう。

Photo※ポンペイ最後の日(1834年)
紀元79年にベスヴィオ火山の噴火により壊滅した南イタリアの古代都市ポンペイを舞台とし、これもまた愛と陰謀の物語に魔術の要素を絡めた物語である。原著は長編小説とのことだが邦訳は専ら少年少女向け文学となっている。登場人物は善と悪とで明確に分かれ、劇的で判りやすいストーリーの傑作であるが、圧巻は盲目の美少女ニディアのキャラクターとその生き様の描写であろう。
ニディアは三角関係の妬けつくような愛憎にかられ葛藤に苦しみながらも、決してダークサイドに転落することなく、自らの純愛は密やかな自決によって貫く。その”善”が、あまりにも潔くもの哀しいのである。 (画像 : 岡田 好恵 訳/講談社青い鳥文庫)

一説によれば自身が薔薇十字会の会員であったともいわれるブルワー=リットンは「ザノーニ」において神秘的なもの、オカルト的なものをふんだんに織り込んだ。このような”ゴシック小説”は恐怖の仕掛けと幻想性が売りものの大衆文学と受け取られがちとされるが、もちろんそうした側面に「ザノーニ」の真の魅力があるわけではない。
「超越した知性を持ったザノーニが人間の不安定な心情に共感し、それに同体化してゆくこと、更にはヴィオーラに対するまさに”人間的な”愛のためにその超能力を棄ててしまうこと、そして遂には愛のために自らの命をも犠牲にするということを超人たるザノーニに実践させることで、現代の人間をも貫く強烈な愛のイデオロギーを提示している」(富山 多佳夫 評)さまが、読者に劇的な共感を与えているのに相違ないのだ。

しかも、それが激動の史実とオカルティズムの交錯する、刺激的な舞台で演じられているわけで、ブルワー=リットンの構想力と表現力には脱帽するほかない。そして、悲劇極まる中に不思議な穏やかさを湛えているラストシーンは、まさに本小説のテーマを総括し象徴するものであろう。

Photo_2【参考・出典】
「ザノーニ」I・II
富山 多佳夫・村田 靖子 訳
(図書刊行会)

「薔薇十字団」
クリストファー・マッキントッシュ 著 吉村 正和 訳
(平凡社)


♪♪♪

私見に拠り長々と小説「ザノーニ」について述べさせていただいたが、前掲の通り、作曲者クレストン自身はあくまで本作品とは”無関係”としている。
従って楽曲の詳細についてはあくまで標題音楽としての要素を排し、クレストンのコメント(「 」)を引きながら紹介することとしたい。

「この作品は大きな三部形式(A-B-A)に成っており、荘厳な序奏の後に”A”セクションが始まる。」
Slow and majestic (4/4拍子、♩=48) と記された通り雄大で荘厳な序奏に始まる。堰き止められた水が溢れだすかの如くTrp.(+A.Sax., Horn)によって力強く奏される骨太な旋律と、これに呼応する中低音のカウンターのエキゾチックな響きが初手から痛烈なインパクトを与えている。(冒頭画像)
ミステリアスなFluteソロで静まった後、序奏部は再び繰り返され今度はClarinetの即興的なソロに続きOboeの敬虔な響きで締めくくられる。

「そしてテューバによって繰返し演奏される低音の旋律=グラウンド・ベース※1の上に流麗なコルネット・ソロが現れるのである。このグラウンド・ベースはほどなく音域を上げ、ハーモナイズされて奏されていくが、後に楽曲のテクスチュアに於ける中心的な位置を占めることとなっていく。」
ややテンポを上げ(♩=60)抒情的なTrp. ソロへ。
Cornet_solo美しくも哀切な旋律が、反復される低音部の伴奏の上で流麗に奏され、幻想的な曲想となる。
Ground_bassこれが清冽なFlute+Oboeに移ると、あたかも澄み切った清流が淵で緩むような安寧が訪れる。グラウンド・ベースを優美に奏するClarinetに導かれ、今度はEuph.の暖かで大らかなソロが現れるのだが、ここではまさに優しく抱擁されている感覚に包まれるだろう。
Euph_solo







「短調のクライマックスを経て、短いブリッジが”B”セクション(Moderately fast)へと導く。ここでは3/8拍子のフィギュレーション※2による伴奏とともに2/4拍子の旋律が歌われる。3/8拍子×4と4/8(または2/4)×3がオーバーラップする”定期的な細分化の重複”※3が用いられている。」

穏やかな旋律が継承される一方で、グラウンド・ベースはTrp.のスタッカートの楽句に移り、アジテートな雰囲気を徐々に濃くして高揚、強力な低音群と高音楽器の附点のある3連符のリズムのコントラストとが緊迫のクライマックスを形成する。
全合奏のffの残響から突然静まるブリッジを経て、ポリリズムのModerately fast (♩=104)へ入るが、この部分こそクレストンの真骨頂である。息の長いフレーズで伸びやかに奏される2/4拍子の旋律と対照的に、小節を跨いで刻まれていくリズムが密やかだが実にヴィヴィッドであり、静かにしかし確実な興奮を誘う。
Moderately_fast拡大と縮小を繰返したこの展開部は、金管中低音に始まる拡大した旋律がほどなく鮮やかな金管の全合奏となって頂点を迎え、木管セクションの下降楽句によるブリッジを挟んで怒濤の終結部へとなだれ込んでいく。

「”A”セクションへと戻ると、あのグラウンド・ベースがハーモナイズされ且つ拡大され、強大にまた威厳をもって現れるのである。」
slightly slower の終結部は、重厚で弛みない歩みを示すTimp.と、Trb.+Euph.+Tubaの奏するハーモナイズされたグラウンド・ベースとが推進していく。
Gb執拗に反復され続けるこのグラウンド・ベースに、あのTrp.ソロで奏された抒情的な旋律がクロスオーバーしてきて、終幕に向かって放射状に高揚しながらひたすらに突き進むのだ。
Photo音量とともに音楽はスケールと決然とした強靭さとをじわじわと拡大し、遂には打楽器群が激しく畳み掛けてこの上なくドラマティックな、感動のエンディングに到達するのである。

     ※1 グラウンド・ベース : ground bass
       =バッソ・オスティナート(執拗なバス)。同一音型を同一音高で連続反
         復する最低音部を指す。その際、上声部は独自の運動を展開すること
        によって、下部構造の固定化というこのバスの静止状態と対照をなす
        のが普通である。13世紀から既にみられる手法で、古典派ロマン派か
       
ら現代の作品に至るまで用いられている。
                判りやすい例としてよく「コジラのテーマ」が挙げられる。

 

         ※2 フィギュレーション : figuration
               音階や分散和音などの音型を用いて旋律や和声を修飾すること

         ※3 ”定期的な細分化の重複”: regular-subdivision-overlapping
       
クレストンは作曲技法におけるリズムの権威書「リズムの原理」を著し、
       
さまざまな楽曲に使用されたリズム手法を分析・整理しているが、ここで
        使用された手法はこのように名付けている。そしてこれをはじめとして、
       さまざまな手法を自作に使用しているのである。       


Photo【出典・参考】

 ・LP”The Authenticated Composers Series : Paul Creston”
    (後掲)所載のクレストンによる解説

 ・「新音楽辞典」 (音楽之友社)
 ・「リズムの原理」 ポール・クレストン 著 / 中川 弘一郎 訳
   (音楽之友社)


♪♪♪

全編を通じ深みのある”黒”の色合いが感じられ、また濃厚でパワフルなサウンドと随所に現れる各楽器のソロを配したソリステッィクな楽想とが対比しつつ一体となって迫るさまは、まさに見るものを圧倒する美しい織物のよう。独特の個性が魅力を放つ傑作である。

1972年の全日本吹奏楽コンクールでは関西学院大学が本作を演奏し見事金賞を受賞した。
1972楽曲の勘所を押さえダイナミックかつドラマティックに演出したなかなかの好演である。「ザノーニ」という曲は一般にこの演奏のLive録音でしか知られていない。ところが残念なことに、このコンクールでの演奏は極めて重要な前半のトランペット(コルネット)・ソロがカットされているのだ!

全曲を収録した商業録音はたった一つしか存在しない。
Creston_lpロバート・レヴィーcond.
ローレンス大学ウインドアンサンブル

作曲者クレストンの監修のもと録音されたもので、楽曲の素顔の魅力を端的に伝えている。トランペットやユーフォニアムのソロも好演。掲載されたプログラム・ノートも貴重であり、クレストンの吹奏楽曲に関する資料として価値の高いアルバムである。
しかしCD化はされていない…!

近時クレストンの作品では「プレリュードとダンス」の録音が増えてきており大変喜ばしいが、この「ザノーニ」においてはノーカットのCD音源が存在しないという極めて残念な状況である。
ぜひクレストン作品の再評価がなされ、活発に演奏されるよう願うとともに、優れた演奏の録音が待望される。

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コメント

堂主より追加情報です。
本作は昨秋、東京佼成WOによって新たな録音が成されたようです。無事発売となれば間もなくノーカットのCD音源がお目見えすることでしょう♪期待しております!

投稿: 音源堂 | 2015年2月25日 (水) 01時06分

はじめまして。クレストンファンの一人ですが佼成でZANONIの録音がなされたのですか!?
2年位前にTpの久保さんと飲んだ時にZANONIのフルスコア、コルネットのパート譜を見ていただき佼成でのCD化、もしくは定演での演奏をお願いしたことがあったのですが、多少効果があったのでしょうか(笑)
当時久保さんはZANONIについてはあまり強い印象は持っておられず「このソロは昔吹いたことがあるよう「な…?」とおっしゃっていました。
とにかく生きているうちに(笑)ノーカットのすばらしい音源が出てきそうでうれしいです。ほとんど諦めていましたので。
近いうちに久保さんに連絡し録音時の様子を聞いてみたいと思います。

投稿: かむい | 2015年4月26日 (日) 01時33分

かむいさん、拙Blogにお越しいただき有難うございます。
TKWOピッコロ奏者の方のBlogに2014/9月この「ザノーニ」を録音したとの情報があり、それを拝見した次第です。
http://blogs.yahoo.co.jp/fuefuki_yuta_lanevo4g63turbo/16821252.html
おそらく「吹奏楽燦選」シリーズのものかと推定しています。素晴らしいノーカット音源の発売を、私も今か今かと待っております。

投稿: 音源堂 | 2015年4月26日 (日) 02時56分

情報ありがとうございます。本当に録音されていますね!

久保さんに連絡したところ「相当量の録音があるので残念ながら覚えていません。」とのことでした。いずれにせよCD販売が楽しみです。

ところでミュゼ・ダール吹奏楽団が6月6日の定演でZANONIを演奏するようです。生演奏など本当に一生聴けない、と確信していたのでこちらも驚きです。

http://www.musse.org/concert/regular_18.html

投稿: かむい | 2015年4月27日 (月) 22時26分

はい、ミュゼダール吹奏楽団が演奏されることもネットで発見してちょっとブームかな?なんて思っておりました。この魅力ある曲が、こうして再評価されていくのはとても嬉しいことですね!

投稿: 音源堂 | 2015年4月27日 (月) 22時35分

こんばんは。先日ミュゼ・ダール吹奏楽団の練習を見学してきましたよ。

残念ながら私が訪問した時はZANONIの練習はなかったのですが「うーんこのパートのこの音がZANONIではこういう音楽になるに違いない!」と妄想をふくらませながら聴くのもかなり面白かったです。

投稿: かむい | 2015年6月 5日 (金) 00時24分

かむいさん、コメントを有難うございます。
こうしてこの曲が再び愛好されるようになって、演奏や録音がどんどん増えて、楽しませてくれることを祈って已みません。

投稿: 音源堂 | 2015年6月 5日 (金) 08時28分

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