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2013年7月 3日 (水)

たなばた

Photo_6The Seventh Night of July ”TANABATA”
酒井 格 (Itaru Sakai 1970- )


稀代のメロディー・メーカーであり数々の優れた楽曲を吹奏楽界に提供している酒井 格のデビュー作にして最大のヒット作。「おおみそか」「七五三」と続く年中行事三部作の篇首であり、作曲者17歳(1988年)での作曲である。

「この曲は「当時演奏した」又は「憧れていた数々の作品」の影響を受けています。バーンズや、スウェアリンジェン、リード、ジェイガー、など吹奏楽では馴染みの作曲家からメンデルスゾーン、ラヴェル、ドビュッシーなどのクラシック界の大作曲家、それから当時人気のあった斎藤由貴や渡辺美里のポップス歌手まで、意図的に引用したフレーズもあれば、偶然そっくりになってしまったメロディーなど、数々の発見があると思います。」
                            (作曲者コメント

   ※作曲者酒井氏のHPより。同HPには詳細な解説があり、そこにも酒井
      氏の瑞々しい感性が感じられる。「たなばた」を演奏されるなら必見!


実に爽やかな魅力のある傑作である。
初めて聴いた時には、野球でど真ん中のボールを見送った-そんな感覚を覚えた。あまりにも「真っ直ぐ」で…。日本人にとって親しみやすい旋律、モダンなリズムとハーモニー、そして吹奏楽の”お約束”が随所にちりばめられている。全ての楽器に聴かせどころがあり、作曲者の奏者に対する並々ならぬ愛情が感じられるのである。私などは中間部を終うグロッケン・ソロに、その愛くるしい女性奏者の姿まで想起させられてしまう。

♪♪♪

突然のスネアのリムショットに導かれ、金管中低音のハーモニーにてモチーフがゆったりと大らかに提示される序奏部(冒頭画像)- これが瞬時に弾けるようなAllegroに転じ、シンコペーションを効かせた快活な主部となる。
浮き立つようなスネアのリズムに乗って、爽快な第1主題が全容を現す。
Photo_7一つの旋律の中で歌い出しから4小節目に向って自然な高揚があり、アウフタクトに続いてリズミックに転じるコントラストに、抜群のセンスを感じる。
この旋律の展開、そしてより奥行きを増す第2主題へと移ろうのだが、その根底にスピード感のあるリズムを失わないところが素敵だし、フレーズのブレイクも小気味良く決まっている。流れ出した音楽が淀まず健やかに進む楽曲は、かくも心地よいものなのだ。

シンコペーション楽句の応答に続いて、より幅広い音楽への展開を示唆してテンポを緩め、Saxophone Soliによるブリッジを経て夢見る中間部へ。
優美なAlto Sax.のソロにEuph.のオブリガートが加わりロマンチックなデュエットとなる。
Saxeuphここは作曲者高校時代の吹奏楽部に在籍した仲のよいカップルをイメージして書かれたそうで、「たなばた」という楽曲の代名詞ともなっている部分である。これに続いて、ただ甘美に音楽を流していくのではなく、ジャズ風のフレーズを挟んでアクセントを配すあたり作曲者の創意工夫が感じられ、またそこに必然性があるのがセンスの良さだ。
さらに、あたかも蝋燭の灯りをともすかのように浮き上がってくるTrp.のリリカルなソロがまた素敵!私の大好きなところである。
Trpここからは楽曲のスケールを徐々に大きくし、それこそ満天に広がる星空のように雄大なクライマックスへ向かう。美しい旋律が存分に、力強く歌われるさまは実に感動的であり、また喜びの感情を開放された気分になれるのだ。
その余韻の中から遠くグロッケンが旋律を呼び戻し、Oboeソロによって名残惜しく中間部を終える。

一転快速なテンポが戻る-。静かだがエキサイティングなスネアのリズムに始まり、ベルトーン風の楽句とパーカッション・ソリ、吹き抜けるTimp.のロールが応酬してブリッジを形成し、再現部へと入っていく。
前半とは伴奏も変え、またCastanets、Whip、Wood Blockなどの打楽器も効果的に使って、ユニークで色彩豊かな音楽を形成している。
PhotoEuph.のソリとそれに絡むPiccolo、またTrb.とTrp.のファンファーレ風ソロなどで各楽器の音色を対比させたことにも、より多彩な音楽へと向かった作曲者の意図が感じられよう。

Photo_2そして曲初での主部への導入と呼応したシンコペーションの楽句に続いて、いよいよ最大のクライマックスである”Brillante”ポリリズムへ。ここではスピード感をキープしたまま中間部の旋律が高らかに奏され、歓喜に満ちた楽想となりこの上ない感動に包まれる。
そこに第1主題も交錯して帰結感を高め、遂に付点のリズムが特徴的なコーダに突入するのだが、そこで現れるTrb.のグリッサンドを効かせたフレーズなども意を得たもので、嬉しくなってしまう。

Trb_2後はStringendoで一気にエキサイティングなエンディングとなるが、ここで前打ちビートに転じてスピード感を高める効果も見事である。(松任谷正隆が「恋人がサンタクロース」のエンディングで用いた手法を彷彿とさせる。)

♪♪♪

前述の通り、作曲者がごく若い頃の作品である。ありがちな、という評価もあるであろう。鈍い響きのする部分もある。
しかし、この曲の聴後に満ち満ちる爽やかさとハッピーな感覚は”圧倒的”と云えるのではないだろうか。

現在の吹奏楽界には旋律、リズム、コントラスト、そして構成感など、当然備えてあるはずの「魅力」に乏しい楽曲が多すぎる。それに対し、この「たなばた」は吹奏楽が本来持っている楽しさを存分に保有し、何の衒いもなくそれを伝えている。

吹奏楽は現代音楽の墓場ではない!
もっと理屈抜きに、音楽の楽しみや喜びに満たされるべきである。(現代音楽・先鋭楽曲を否定しているのではなく、自己満足的現代音楽「風」の曲が多いと指摘しているのである。)

Photo_2作曲者酒井氏は次々と快作を上梓しまさにヒット・メーカーとなっているが、非常に構成感に優れた作品を書く人だと思う。そもそも旋律自体に確りとした構成感が存在している。だから、魅力があり説得力がある。
近時発表される吹奏楽曲には魅力や新鮮さを感じさせる「一瞬の閃き」がある楽曲は多い。しかし、「それだけ」というものが実に多い気がしてならない。酒井氏の親しみやすい作風に秘められた「構成感」の鋭さにこそ、刮目すべきである。

♪♪♪

音源は以下をお奨めしたい。
Photo近藤 久敦cond. 尚美ウインドオーケストラ
溌剌として淀みない演奏、神経が細部まで行き届き、コントラスト鮮やかな好演。この曲はポップスと共通するリズム感を要求しているが、その点でこの演奏が最も優れていると思う。中間部のトランペット・ソロも秀逸で、まさに夢見心地にさせられる。

Cdヤン・デ=ハーンcond.オランダ空軍軍楽隊
「思いきりロマンチックな演奏」とは作曲者の評。終盤クライマックスのポリリズムではテンポを落とし、たっぷりと存分に歌う。スネアがややパタつくが、この曲の魅力を世界中に伝えた演奏であることは間違いない。何より、リズミックだがふくよかで、実に”歌心”あふれたベースラインが魅力を放っている。

   【その他の所有音源】
          
渡邊 一正cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
            吉延 勝也cond. おけいはんウインドオーケストラ[Live]
     
イーヴォ・ハデルマンcond. ゼーレ聖セシーリア吹奏楽団
       加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
            木村 吉宏cond. フィルハーモニックウインズ大阪
            

♪♪♪

作曲者自身のコメントを参照すると、本作品が直接的に「七夕」を題材とし表現するものではないことが判るが、「七夕」をはじめとする日本の文化が酒井氏や我々を育み、その中で形成された「七夕」のイメージが本作品のバックボーンにあることは間違いないだろう。そこで改めて「七夕」についても触れておきたい。

「七夕」はその伝説と、これに因んで起こった年中行事との二つの側面がある。

■七夕伝説

Photo_5七夕伝説は、旧暦七月七日ごろ天の川を挟んで天頂に一際輝く一等星=わし座のアルタイル(彦星/牽牛星)とこと座のヴェガ(織姫星/織女星)にまつわるもので、元々は古代中国で発祥したものである。それが奈良時代に日本に伝わったとされている。

「天帝のため化粧する暇もなく一心に美しい織物を織り続けていた織女だが、天帝のはからいにより天の川の対岸に住む牽牛に嫁いだ。しかしそのとたん、織女は幸せな日々にかまけて機織りを怠けてしまう。これが天帝の怒りを招き、織女は対岸へと連れ戻されてしまう。そして牽牛との逢瀬は年にただ一度だけ、七月七日にのみ許されることとなった。」

ごく概略を述べればこのようになるが、この伝説には多くのヴァリエーションがあり、例えばその日牽牛は天の川を”鵲が羽を広げて架けた橋を渡る”とも”七日の半月を舟にして渡る”とも”紅葉の橋を渡っていく”とも諸話言い伝えられているようである。
鵲の登場エピソードとしては「七夕が雨になると天の川の水かさが増えて、年にたった一度の逢瀬もままならない。その時には二人を哀れんでどこからか無数の鵲が飛来しその体をつないで、二人のために橋を架ける。」という実に心温まる、救いのある話も伝わっている。

    ※伝説の詳細として、最も一般的な伝承たるこちらを挙げておく
      : 「Legend.doc」をダウンロード


愛し合う男女に許された逢瀬は、年にたった一度だけ -何と切ないことか。その切なさ故に星の瞬く美しい夏の夜空を舞台としたこのエピソードは一層ロマンチックさを深めており、人々の心を捉えるのであろう。

■年中行事としての七夕

日本には古来「棚機女(たなばたつめ)」の信仰があり、日本における「七夕祭」はこの信仰と、前述のように中国から伝来した伝説ならびに付随した祭礼(乞功奠/詳細後述)が融合し出来上がっていったもの。
「たなばた」の語源ともなった棚機女とは、旧暦の七月七日に水辺の仮小屋(=棚)で機を織る乙女のことで、これによって祖霊を迎えるための禊を行っていたと云われている。

    ※棚機女は「棚」で神が訪れるのを待ち、一夜を共にする。翌朝、神は常世
      の国に帰っていくが、その時村人たちの穢れを持ち帰ってくれる、という
      ことらしい。


このように七夕は、古来穢れを祓う意味を持ち、お盆に飾る草花や精霊棚を準備する日でもあったが、江戸時代に幕府によって五節供の一つとして公的な祝日に定められたことにより、公家社会以外にも祭礼行事として広まることになった。こうした節供には労働を休む慣わしである。また各季節のもたらす海の幸・山の幸による供物とご馳走が欠かせないのであり、これは皆で分配して滋養とするという実利的な面もあったという。

     ※五節供とは、人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)。
       これに年始(1/1)・八朔(8/1)とを併せて公的な祝日とする旨、「徳川禁
       令考」の”年始嘉節大小名諸士参加式統令”に記載されている。


そして織女が機織りに巧みなことから、七夕においては機織りはもちろんのこと、裁縫・手芸・琴などの上達を祈願し、牽牛が農事に巧みなことから。豊作を祈願して初物や御馳走を供えるようになったが、これはまさに中国伝来行事の影響である。
18561858現代にも継承されている、「笹飾り」に願い事の書いた五色の短冊や、裁縫の上達を願う紙衣、長寿を願う吹流しや鶴、豊漁豊作を願う投網、富を願う巾着袋などの紙飾りを吊るす慣わしは、これに由来するもの。

この「笹飾り」もやはり江戸の町から流行したとのことで、歌川 広重(1797-1858)による浮世絵の傑作「名所江戸百景」”市中繁栄七夕祭”(1856年)という作品がある。
画像の通り、旧暦七月七日に遠く富士を望む江戸の町に、屋根より高く天に届かんばかりに家々が笹飾りを掲げ、西瓜・算盤・大福帳・鯛など色とりどりの七夕飾りが風になびくさまである。安政大地震(1855年)の翌年に発表された作品だが、画面から感じさせる江戸の繁栄と溢れんばかりの人々のパワーは、思わず頬を緩ませ元気をくれる。

こうして江戸の町から始まった七夕の行事は、明治以降の学校教育を経て地方へと広まったとのことである。
Photo_4七夕に因む音楽として最も有名な童謡「たなばたさま」は昭和16年3月に当時の文部省発行「うたのほん 下」に収録され、愛唱歌として流布したもの。この「たなばたさま」はどうにも日本人の郷愁を誘って已まぬ楽曲の一つとなっている。



最後に、前述の通り奈良時代に七夕伝説とともに中国から伝わり、日本の七夕行事に大きな影響を与えた「乞功奠(きっこうてん)」という七夕の祭事について述べておきたい。

その奈良時代には孝謙天皇在位の頃、宮中で盛大に行われていたそうであるが、この行事を藤原定家の子孫にして鎌倉時代中期より隆々たる公家の系譜を誇る京都の冷泉家が近代になって復活し、現在も伝えている。
冷泉家住宅そのものが重要文化財であり、国宝を含む極めて貴重な文化遺産の数々を守り継承してきたこの名家は、こうした無形の日本文化遺産も現代に伝えているのである。

旧暦七月七日に執り行われる、冷泉家の「乞功奠」は次のようなもので、伝統と格調、また風雅を感じさせて已まぬ行事である。
(午後、陽の高いうちにニ星(牽牛と織女)へ手向ける蹴鞠から始めるのが正式だが、現在は場所の都合上行っていないとのこと。)
Photo_31.庭にニ星に手向ける祭壇「星の座」を設ける。
   ここには土器に盛った二組の海の幸・山の幸、五色の布、五色
    の糸、秋の七草などを供える。星を映して見るための水を容れ
    た角盥(つのだらい)も重要であり、水には一枚の梶の葉を浮か
    べる。更に雅楽の楽器を並べ、中央にはこの夕べのために詠ま
    れた和歌の短冊が並べられる。九本の燭台で祭壇を取囲んで、
    「星の座」の完成となる。古式ゆかしく、実に美しい。

2.雅楽
    笙・篳篥・箏・琵琶・龍笛などにより「越天楽」「陪臚」などが奏さ
    れて乞功奠は始まる。やがて七夕の夜にふさわしい朗詠「二星」
    の哀愁を帯びた歌声が聴こえてくる。
      二星適逢(じせいたまたまあえり)
      未だ別緒依々の恨を叙べざるに
      五夜将に明けなむとす
      頻りに涼風颯々の声に驚く

       (意 ) 牽牛と織女が久しぶりで逢った。
                        逢えなかった淋しさをいくらも語り合わないうちに、
                        もう夜が明けてしまった。涼しい風がしきりに吹く
                        ので、朝だと気付いた。
        この頃には夜の帳が降り、燭台に明かりが入れられ、炎揺らめ
     く中に朗詠の声が響く。

3.和歌の朗詠(披講)
        冷泉流の独特の節回しによる和歌の朗詠。
4.流れの座
        参会者が天の川に見立てた白布を隔てて座り、牽牛と織女にな
        って恋歌を交し合う。かつては鶏鳴を聞くまでその贈答を繰り返
        したという。


    ※尚、現在では新暦7月7日に東京・杉並区の大宮八幡宮でも「乞功奠」を再現
      する七夕行事が行われている。

    【出典・参考】
     「しきたりの日本文化」 神埼 宣武 著 (角川ソフィア文庫)
     「図解 日本のしきたりがよくわかる本」 日本の暮らし研究会 著 (PHP研究所)
     「日本を楽しむ年中行事」 三越 著 (かんき出版)
     「こどもとはじめる季節の行事」 織田 忍 著 (自由国民社)
     「和ごよみで楽しむ四季暮らし」 岩崎 眞美子 (学習研究社)
     「別冊太陽 雅楽」 遠藤 徹 著 (平凡社)
     「雅楽1300年のクラシック 」 上野 慶夫 著 (富山新聞社)
     「五節供の楽しみ」 冷泉 為人 著 (淡交社)


♪♪♪

七夕は古より、奏楽を含めた芸事の上達を織女星に願う行事でもあったのだ。曲がりなりにも音楽演奏に関わる者として、我々にとって無縁ではない。
七夕には上達に向けた自身の想いを新たにしつつ、その上達が叶うよう星空を仰いで一心に願いをかけてみては如何だろうか。

(Originally Issued on 2006.6.13./Overall Revised on 2013.7.3.)

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コメント

こんにちは、「たなばた」の曲の生い立ちを探していてたどり着きました。
好きな曲の上位にあるのでどんな曲なのかと、聞いて気に入りました。

「吹奏楽は現代音楽の墓場ではない!
もっと理屈抜きに、音楽の楽しみや喜びに満たされるべきである。」

同感です。
高校生の時、「現代音楽」風や「民謡」風の曲が嫌で、部活を辞めたことを思い出しました。

一番好きな曲?
「シンフォニア・ノビリッシマ」でしょうか。

また覗かせてください。
ありがとうございました。

(Originally Contributed on 2009.11.9. 17:05)

投稿: 根無し草 | 2013年7月 3日 (水) 23時07分

ようこそお越し下さいました!そしてコメントを有難うございます。

本稿は拙Blogの初期に書いたものであり、ちょうど全面的なReviseを準備していたところです。大筋の内容は変わるべくもありませんが、もっとこの曲については語っておきたいと思っておりまして…。

今後とも我が「音源堂」を宜しくお願い致します!

(Originally Contributed on 2009.11.9. 22:50)

投稿: 音源堂 | 2013年7月 3日 (水) 23時08分

はじめまして。ラルフと申します。恐れながらヴォーン・ウィリアムズのファーストネームを拝借しています、管弦楽・ブラスバンド及び吹奏楽好きの者です。全面的にヴォーン・ウィリアムズとフィリップ・スパーク推しです(笑)
今年亡くなられた小松一彦さんのフェスティバル・バリエーションについて検索していましたら、たどり着きました。その演奏ほどスマートでクレバーなフェスティバル・バリエーションは無く、(語弊があるかもしれませんが)アメリカ音楽も捨てたものではないな(笑)とライブ会場で感動したのをハッキリと覚えています。
さて、酒井氏のたなばたについてはほとんど存じあげてませんが、やはり若さ故の粗さが目立つので、(申し訳ありませんが)敬遠しておりました。ただ、数年前に書かれた「月明かりと渦潮」は大好きだったりします。

投稿: ラルフ | 2013年8月13日 (火) 19時57分

ラルフさん、コメントを有難うございます。
「たなばた」は作曲者の若き作曲当時の感性や時代そのものを反映している作品だと思います。

「今、改めてスコアを広げてみると、確かに未熟な部分が多く、恥ずかしくもあるのですが、今の私が失いかけている物も見つけることが出来ます。」

今や作曲家として道を成された酒井氏の述懐です。
人それぞれではありますが「クリエイター」である作曲家の方々は「こう直したらもっと良くなる」と延々と自作品を改訂し続けるといったことは、敢えてしないのが殆どのように思います。

それは音楽というものが、その生み出された瞬間の気分・衝動・価値観を捉え、完結するという性格を有しているものだからなのかなと私は思っています。

投稿: 音源堂 | 2013年8月13日 (火) 22時45分

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