映画Mr. Holland's Opus (邦題『陽のあたる教室』)でホランド先生がこう言ってます。”Playing music is supposed to be fun. It's about heart, it's about feelings, moving people, and something beautiful, and it's not about notes on a page. I can teach you notes on a page, I can't teach you that other stuff.”「音楽は本来楽しいものだよ。音楽は心、感情、人を感動させるもの、そして美しいもの。音符なんかじゃないんだ。君に音符を巧く吹くのは教えられるけれども、僕にはそれ以外の音楽の本来を君に教える事は出来ない。」
アメリカのでかれこれ20年上級のから初級の市民バンドで吹いています。バンドの仲間は、プロ並み、習い始めの小学生、学生以来20年吹いていなかった、定年してから生まれて初めて楽器を手にした、まで多種多様ですが、皆に共通するのは音楽をするのが楽しい事。勿論、バンドの質の向上に努力し、一流の演奏を目指す事は大切だが、市民に音楽に携わる機会を提供する事、皆と一緒に吹く事が楽しいバンドである事が重要だと思います。
日本の吹奏楽教育が単にコンクールで優勝する事で終わってしまうなら、とても寂しい。
「BLOW UP !」のこのひとコマは私の音楽に対する価値観と一致し、端的に表してくれているので引用させていただきました。
岩井先生の追悼記事でも触れさせていただきましたが、岩井先生は吹奏楽を愛し、吹奏楽の可能性を信じ、吹奏楽の未来を案じておられました。当時岩井先生が発せられたご指摘を吹奏楽界はまだ解決できていません。
そんな中でも心打つ演奏は、今でもコンクールでもあるものです。そんな演奏への賞賛も諦めることなく拙Blogで発信して参りたいと思っています。
コメント
同感です。プロにも、また吹奏楽以外のジャンルの人にも読んで欲しい記事です。
投稿: くっしぃ | 2013年4月25日 (木) 20時06分
くっしぃ殿、有難うございます。
本記事に、貴兄からこのようなコメントをいただけて本当に嬉しく思います。
・喜怒哀楽如何なる場面でも、緊張も弛緩も、勇猛も卑屈も、イメージが如何に変わろうとも変化がなく(或いは乏しく)表現が一本調子
・音楽の流れをより大きく捉えるフレージングの欠如
・狭小化したダイナミクスレンジ
・場面転換の稚拙さ、全体を俯瞰した設計の不足
・吹奏楽でしか聴かれない過剰に柔らかな発奏(=時に明晰さとスピード感を欠いて聴こえる)
・「個性的に」と意識するあまりか、妙ちきりんな”吹奏楽節”の陥穽に嵌ってしまっている
等々…
今、吹奏楽界では(プロを含めて)こんな状態の演奏が蔓延しています。要は「表現力」の欠如、楽曲の「俯瞰(による構成)力」の欠如、に収斂しようかと思います。
テクニック面も含め「完璧」な理想を求めれば文字通りキリがありませんが、それだけのテクニックがあるのならば、仮に若干の瑕はあろうとも、骨太でスケールの大きい、感動のスィートスポットをバシっと捉える演奏を聴かせてほしいものですね。
投稿: 音源堂 | 2013年4月25日 (木) 23時04分
コンクールでの評価に最大の価値を見出すという病は僕自身十代の頃に相当侵されていました。でも、こう言うのも何ですが、やってる自分たちですら自分たちの演奏が良いとちっとも思えませんでした(少なくとも僕はそうでした)。当時いた学校にはプロの偉い先生が指導に来てくれてもいましたが、何しろその指導の結果出来上がった音楽が既に全然感動できないんですから、何だかという感じです。
投稿: くっしぃ | 2013年4月27日 (土) 22時49分
私は何の因果かそこそこ伝統があり西部(九州)大会まで出られるバンドにいながら、先鋭化はされていない環境で音楽(吹奏楽)と出会ったため、色んな意味で”自由”でした。それはとても恵まれていたことだと思っています。
中1の夏、当時の西部大会でまだ無名の中学校による「朝鮮民謡の主題による変奏曲」が与えてくれた、全くの予見なしに音楽に感動できた原体験以来、その楽曲・演奏が深い感動を与えてくれるかどうかは、我が”たてがみ”が感知してくれます。
頭で理解する(?)感動もあるにはあるのですが、深い感動、決定的な感動は私の後頭部=首近くの生え際が逆立ちゾクゾクすることで感じるのです。理屈なしです。(鬼太郎の妖怪アンテナみたいなモノ?)
そういう演奏を、もっと聴きたいなあ…。
♪
本稿、そして付随のコメントでは「演奏」のことを述べていますが、「演奏」を「楽曲」とほぼ置き換えることができます。優れた作品=感動のある作品が吹奏楽界にもたらされること-これも私の切なる願いです。
投稿: 音源堂 | 2013年4月28日 (日) 10時23分
映画Mr. Holland's Opus (邦題『陽のあたる教室』)でホランド先生がこう言ってます。”Playing music is supposed to be fun. It's about heart, it's about feelings, moving people, and something beautiful, and it's not about notes on a page. I can teach you notes on a page, I can't teach you that other stuff.”「音楽は本来楽しいものだよ。音楽は心、感情、人を感動させるもの、そして美しいもの。音符なんかじゃないんだ。君に音符を巧く吹くのは教えられるけれども、僕にはそれ以外の音楽の本来を君に教える事は出来ない。」
アメリカのでかれこれ20年上級のから初級の市民バンドで吹いています。バンドの仲間は、プロ並み、習い始めの小学生、学生以来20年吹いていなかった、定年してから生まれて初めて楽器を手にした、まで多種多様ですが、皆に共通するのは音楽をするのが楽しい事。勿論、バンドの質の向上に努力し、一流の演奏を目指す事は大切だが、市民に音楽に携わる機会を提供する事、皆と一緒に吹く事が楽しいバンドである事が重要だと思います。
日本の吹奏楽教育が単にコンクールで優勝する事で終わってしまうなら、とても寂しい。
投稿: Hamachan | 2013年5月 5日 (日) 15時14分
Hamachanさん、お越しいただき有難うございます。いただいたコメントの内容、然りと存じます。
(同趣旨ですが途中で終わられていた方のコメントは投稿作業上のミスと拝察しましたので削除致しました。ご諒解下さいませ。)
例えば中高の吹奏楽部で音楽に触れた方々に、音楽を一生の友人として親しく付き合ってほしいと私は願うのです。各個人ごとに一番好きなジャンル- 管弦楽でもJazzでも構いません。エレキギターに持ち替えてRockでも…。その中では吹奏楽も比較的気軽に幅広く、またスケール感のある音楽演奏が味わえるイイモノの一つだと思っております。
そして音楽を演奏する以上は、感動を与える演奏をしてほしい。少なくともそれを真摯に目指してほしい。そう願うのです。そのためには各個人がそれぞれに感じる音楽の感動を掘り下げることも必要だと思っています。
音楽はとてつもなく楽しいもの、そしてとてつもなく幅広く深いもの-。
勝った負けたとかの話でなく、それを追求し、またわかちあう喜び=音楽の魔力に魅せられて、あなた方は音楽をやっているのではないのですか !? と叫びたくなる、そんな場面がもうなくなるといいのにと願ってやみません。
投稿: 音源堂 | 2013年5月 5日 (日) 21時40分
こんばんは。初コメント失礼致します。本文との関連性がやや薄いのですが、一ファンとして、以前から音源堂様に伝えたかったことを記させて下さい。
こちらのブログに出会ったのは自分が吹奏楽を始めてすぐの頃で、音源堂様のおかげでたくさんの名曲と出会うことができ、吹奏楽の魅力にますます憑りつかれました。それだけに少し前から突然閲覧できなくなったために、閉鎖したのではないかと非常に不安になっていました。
私が中高時代を過ごした吹奏楽部は、コンクールで上位の成績を残すことを主眼に置いていたのですが、私自身は無機質で無感動な近年のコンクール音楽への抵抗感を強く抱いていました。
自分たちの努力が、感動の無い音楽を目指しているのではないかと悩む日も多く、聴衆に何も伝わらないような自己満足の音楽を続けることに、自分の中で意義が見出せなくなり、何度も音楽から離れようかと思いました。
それでも、苦悩の日々の中から自分なりの答えを導き出せるきっかけになったのは、やはり感動できる音楽でした。今や決して多くはないコンクールでの想いの伝わる演奏、そしてこちらで紹介されている名曲や名演奏に幾度となく救われ、涙しました。そのおかげて今もこうして吹奏楽を続けています。本当に音源堂様には感謝しております。
音源堂様が以前書かれていた、"————————演奏活動の中で受けた傷心は、演奏活動でしか癒せない。————————"という言葉、本当に共感致します。
実は私も大分県出身で、現在は都内の大学に通っています。母校の中学校の吹奏楽部は1977年に県代表となっているのですが、音源堂様も77年に西部大会に出場されているようなので、もしかすると遥か上の先輩にあたるのかもしれません。それだけに勝手な親近感を抱いています^^;いつの日かどこかでお会いできると良いですね。
今後とも楽しみにしております。
投稿: tuba3054 | 2014年4月 4日 (金) 22時36分
tuba3054さん、ようこそお越しいただきました。コメントを下さり洵に有難うございます。
音楽というものは、他の何物からも得られない悦びを与えてくれますね。聴くだけでなく演奏参加型の吹奏楽に接している以上は、演奏活動にも夢を持ち続けて活動していきたいと思っております。叶う叶わないではなく…。
そしてどんな場面であっても、音楽には常に胸躍る楽しさや感動というものを期待したいものです。
>実は私も大分県出身
そうですか!私は県南の中学出身です。tuba3054さんは当時のライバル校の卒業生でいらっしゃるのでしょうね。1977年そのライバル校はサン=サーンスの「オルガン」を自由曲に採り上げていました。良かったですよ、演奏。
またぜひお越し下さい。コメントもお気軽にお寄せ下さいね。
投稿: 音源堂 | 2014年4月 5日 (土) 07時33分
マンガの画像は「BLOW UP!」の一場面ですね。
中学・高校時代によく読み返しては、音源堂様の採りあげた一コマの言葉の意味を考えたものでした。
(※あと『3曲ローテーション』に不覚にも笑ってしまいました)
コンクールでもそれ以外でも、「心を揺さぶる・震わす演奏」に出会いたいなと常々考えています。
音源堂様の文章にも、そしてコメント欄に書かれてある来訪者の方々の言葉にも、深く頷く次第です。
投稿: 寒風亭双魚 | 2018年1月 4日 (木) 23時52分
「BLOW UP !」のこのひとコマは私の音楽に対する価値観と一致し、端的に表してくれているので引用させていただきました。
岩井先生の追悼記事でも触れさせていただきましたが、岩井先生は吹奏楽を愛し、吹奏楽の可能性を信じ、吹奏楽の未来を案じておられました。当時岩井先生が発せられたご指摘を吹奏楽界はまだ解決できていません。
そんな中でも心打つ演奏は、今でもコンクールでもあるものです。そんな演奏への賞賛も諦めることなく拙Blogで発信して参りたいと思っています。
投稿: 音源堂 | 2018年1月 5日 (金) 12時06分