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2013年4月19日 (金)

シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」

Photo_2Syncopated March ”Toward Tomorrow”
岩井 直溥 (Naohiro Iwai 1923-2014 )


Photo「吹奏楽ポップスの父」「ニュー・サウンズ・イン・ブラスの生みの親」-そう称され、広く敬愛された超人気作・編曲家にして、吹奏楽界の重鎮中の重鎮であった岩井 直溥1972年度全日本吹奏楽コンクール・中学の部課題曲として上梓した”モダン・マーチ”の傑作である。


1970年度より全日本吹奏楽コンクール全国大会は順位制から金・銀・銅のグループ表彰制に移行していた。全国大会はフェスティヴァル的な色彩を強めたとも評され、当時のバンドジャーナル誌を読むと吹奏楽へ”より音楽的に、より個性的に”との要請が高まっていたように感じられる。
技術的なレベルも向上して自由曲も一層幅広くさまざまな楽曲が演奏されるようになり、その難度も急激に上昇してきた頃である。この年はまさに本土復帰が成ったばかりの沖縄から、真和志中(指揮:屋比久 勲)が本作「明日に向って」と「トッカータとフーガ ニ短調」を引っ提げて全国大会に初出場。豊かな”沖縄サウンド”で聴く者を魅了し、見事金賞を射止めて話題をさらっている。

Nsib_72この1972年は吹奏楽界にとってさらにエポック・メイキングな年であった。今となっては本邦吹奏楽の最大の特徴の一つである”本格的なポップス演奏”をスタートさせた”ニュー・サウンズ・イン・ブラス”シリーズが登場したのだ。一流アレンジャーによる本格的なスコアと音源(LPレコード)のセットという画期的なこの企画は徐々に広がりを見せ、ほどなく吹奏楽界を席巻したのである。

折しも1960-1970年代は洋楽の名曲に溢れ、それが怒濤の如く流れ込んできた豊かな”歌”の時代。伴奏も器楽をふんだんに用いたゴージャスなものが多く、歌詞のないアレンジを施しても褪せない魅力を放つ楽曲が多かった。加えて”インストゥルメンタル”のジャンル自体も、ポール・モーリア楽団をはじめとして高い人気を誇っていたのだから、タイミングは絶好である。かくして吹奏楽界はプレーヤーを楽しませることはもちろん、「お堅いクラシックはよくわからん!」という聴衆に対しても演奏を楽しんでもらえる”ナウいポップス”(死語^^;)という武器を得たのだった。この意義の大きさたるや…測り知れない!

この年のコンクール全国大会でも岩井 直溥cond. 東京佼成吹奏楽団が審査結果発表までの時間を利用して”賛助出演”のステージに上り、リリース間もない”ニュー・サウンズ”のナンバーを含めた数曲のポップス曲を演奏した模様である。
Bj19731_004未だ保守的な時代であり、この演奏を聴いたコンクール出演者は「神聖なコンクールの場に果たしてふさわしいのか…?」と戸惑っている。しかし同時に、吹奏楽が奏でるポップスの愉しさも理屈抜きに伝わったようだ。
そしてこのステージでは何と「”明日に向って”ポップス・バージョン」も披露されたとのことである。聴衆はさぞや目を丸くしたことだろうし、そして大いにウケたことだろう。凄い!

    ※バンドジャーナル1973年1月号記事 : 「bj19731.jpg」をダウンロード

この後、吹奏楽コンクールにはポップス課題曲が次々と登場することとなるが、岩井 直溥はその立役者となって「未来への展開」「メインストリートで」「かぞえうた」などの秀作を送り出していくのである。

♪♪♪

「まずこの曲は”明るくて楽しい”を主眼に置いて作りましたので、全体によくリズムに乗って、明るい音色で演奏してください。全般的な注意としては『シンコペーション』が多く使われていますので、このリズムの乗り方を研究し、また『ハーモニー』はMaj 7あるいはMaj 9が主体になっていますので、このハーモニーのバランスには気をつけてください。(中略)またタイトルの『明日に向って』ということからも、従来の『マーチ』のイメージからはかなり異なった『コンサート・マーチ』ですので、新しい感覚で躍動的に、そしてあまり堅くならないように。」

上記コメントにも”ニュー・サウンズ”の生まれたこの年に、”より音楽的に、より個性的に”と吹奏楽に新風・新機軸を吹き込もうとする岩井 直溥の並々ならぬ気炎が感じられる。その結果、標題からは意外なほど、最高にポップでイカしたマーチが登場したのである。

金管+Saxのリズミックなユニゾンに始まる序奏部、これを受けるシンコペーションを効かせた木管群が曲の特徴を端的に提示している。(冒頭画像)豊かに鳴り響く全合奏のファンファーレ風楽句に続き木管群の16分音符がキラキラと輝き、これをTimp.が”ズドドン”と”キメ”る。-実にカッコ良い序奏部を形成しているのだ。
ベルトーン風に上昇する音型で頂点を迎えたのち、モダンなハーモニーを響かせて躍動する伴奏が現れるのが、大変に印象的である。
Aリズミックに、そしてバランスよくハモれたなら、この部分の斬新さ、カッコ良さにゾクゾクさせられること請合いだ。
主部は上向系の湧き上がるような主題にEuph.のふくよかな対旋律と木管のカウンターが絡んで立体的な音楽に始まる。
Photoこれに続くシンコペーションを効かせ”コードで動く”楽句の応酬にも心躍らされてしまう。
スネアとXylophoneのギャロップに導かれて主題が再現され、ポップスの輝きを示す分厚いサウンドを響かせると、エキサイティングな3/8+3/8+2/8のリズムで前半を仕舞い、Trioに入る。
Trioはビギンのリズム-。これに乗ってHorn(+Sax.,Euph.)に旋律を奏でさせるくだりはまさに岩井節の真骨頂!優雅で、どこかセンチメンタルな旋律がとても素敵だ。
Trioリピートして木管楽器のシンコペーション伴奏に華やぐと、鮮烈なファンファーレが鳴り響き、G.P.に続くフル・テュッティによる劇的な二分音符フェルマータ3発に導かれ、終結部へ。
コーダは大きなビートを示すシンコペーションのアクセントに続いて爽快な打楽器ソリ、そして冒頭のユニゾン再現から、Trio前の3/8+3/8+2/8のリズムを再び打ち込んで、帰結感を充満させつつ曲を閉じる。
Ending

♪♪♪

まだ私が九州に居た時分、コンサートの幕開けにこの曲を演奏したバンドがあった。緞帳を上げると同時に曲を始めるオープニング(九州に多いスタイル)だったのだが、オープニングでのこの曲は想像以上にカッコ良かった!「時代」(=当時の流行)を感じさせる楽曲であることも事実だろうが、単に古臭い楽曲ではない。その輝きと躍動とを確りと捉えた好演をもっと聴きたいものだ。

「テンポは♩=144位としてありますが、(中略)あまり遅すぎたり、速すぎたりすると明るさや楽しさが出ませんので、その点にはよく注意してください。」
との作曲者指摘があるが、音源を聴き比べるとその意味がよく判る。
Cdポップスの第一人者らしい、そしてのみならずオール・ジャンルの音楽演奏においてテンポ設定が如何に重要かということを端的に示唆する一言だ。この観点から音源としては
高橋 良雄cond.
陸上自衛隊中央音楽隊

の演奏を推したい。

     【その他の所有音源】
        野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊
        岩井 直溥cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
        汐澤 安彦cond. 東京アカデミック・ウインドオーケストラ
        加藤 良幸cond. 陸上自衛隊北部方面音楽隊
        鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー(Live)


♪♪♪

「明日に向って」から41年後の2013年は、再び岩井先生のポップス作品が全日本吹奏楽コンクール課題曲として登場するという画期的な年となった。
「明日に向って」を作曲された頃から、岩井先生の吹奏楽コンクール(というより吹奏楽そのもの)に対する期待、想いというものは、ずっと一貫していると感じられる。中でも、岩井先生がそれを最もハッキリと述べられたのは1977年の課題曲C「ディスコ・キッド」のバンドジャーナル誌における解説文だと思う。
岩井先生はそこで「演奏者の皆さんへ」「審査員諸氏へのお願い」「私の希望」の3つに分けて、吹奏楽とコンクールの抱える問題点を的確に指摘され、「音楽」活動としての吹奏楽に指針を与えておられる。

「もっと若々しい個性的なバンドのカラーを打ち出すような演奏を思いきってやってください。(中略)多くのバンドが全部、ぶら下がりの既製服的演奏をするのでは、せっかくの青春がつまらないではありませんか。音楽は、ある限られた人の考えや意識的理念によって評価されるべきものではなく、それがクラシックであれポップスであれ、数多くの聴衆の判断によるものが尊重されるべきではないでしょうか。」

「寸分の隙もない演奏をしてはいるが、そこに人間としての味わいのない音楽よりも、多少とも荒削りではあるが感動性をもった音楽を作り、一人でも多くの人に喜んでもらえる演奏が音楽の本質ではないでしょうか。」


    ※岩井先生コメント詳細:「iwai_comments.jpg」をダウンロード

これももう40年ほども前のコメントだが、今でも本質を突いていると思う。また岩井先生は常々「個性的で上品な演奏を」と仰っているのだが、これも私の大好きな言葉だ。いくら”個性的”といっても、一方でその個性が広く認められ得るものでなければ意味がない。それを「上品」という言葉で見事に言い表しているのである。「感動性のある音楽を!」というコメントとともに、岩井先生の真剣極まりない”願い”には、深い共感を覚えてしまう。

♪♪♪

ここからは完全な私の私見となる。

吹奏楽コンクールは「コンクール」と名のつくものとしては、そもそもかなり異質で、本来”音楽としての総合的な感動”を競うコンセプトにあるはずのもの、と思う。即ち決して各種技量を競うことに偏重したものではない。課題曲ですら傾向の異なる(かつ、オーケストレーションをはじめ楽曲の質は必ずしも担保されていない)4-5曲があり、自由曲に至っては文字通り多様多岐に亘り、審査員が初めて耳にする曲も数多いという前提からして、吹奏楽コンクールはあくまで「”感動”を競い合うもの」であるはずなのだ。
(そうではないと云うのなら、例えば「課題曲は版指定のスーザのマーチ」「自由曲はこれも版指定の上、全てのバンドへ一律にホルストの1組・2組とメンデルスゾーンの序曲op.24による”3曲ローテーション”(笑)を課す」といった運営に何故しないのか。その方がバンドの”腕前”自体は遥かに如実に、かつ厳密に測定できるだろうに…。)

吹奏楽コンクールというものが吹奏楽界全体にこれほど支持され隆盛を誇ってきたのは、演奏者にとって目に見える成果を手に入れられるという側面だけでなく、実際にコンクールという場を通じて、毎年毎年”新鮮”な、そして中には”奇跡”ともいうべき感動の演奏が提示され、聴衆にアピールしてきたからに他ならないだろう。

しかし近年のコンクールでは「音楽的な感動」の側面が後退しているように思えてならない。コンクールを勝ち抜く、或いはいい賞をとるための演奏というものが蔓延していないか?個人のレベルが相当に上がり、これほどまでに整った演奏をする能力を有する割には、楽曲の魅力に肉薄する感動が乏しいバンドが少なくない-そんな思いを感じているのは私だけなのだろうか?
そしてコンクールで上位の成績を収めるそんな演奏イコール、あるべき音楽、良い音楽、魅力ある音楽なのだと盲目的に信じられているような、そんな風潮が生まれていないだろうか?
加えて、一人一人の「音楽の喜び」に深みを与え、真に音楽を一生の友とする子供たちを増やすことに通じる活動ではなく、コンクールでの好成績を到達点として音楽をあっさり”卒業”するか、或いは大人になってもコンクールでの好成績という到達点を求め続けずにいられないプレイヤーばかりを育てることになってはいないだろうか?

Blow_up巧いこと、美しいことはいい音楽の前提条件の一つではある。しかし”感動”はそれだけでは成り立ち得ないものだ。そもそもアマチュアは所詮プロより巧くはないのだから、巧いことが音楽的価値に等しいなら、アマチュアの演奏活動は全てマスターベーションで価値のないことになってしまう。
そして逆に言えば、巧いことが音楽的価値に等しいなら、世の中に数多存在する「プロ」の録音や演奏にすら、感動の乏しい駄演が少なからず存在することの説明もつかなくなる。

プロ・アマ問わず演奏者の真摯な努力をないがしろにしたり、冒涜するつもりは毛頭ない。しかし、そもそも音楽はそこに感動がなければ「無価値」である。我々聴衆はそこはシビアでいいのだ。私は”名門オケだから””有名な演奏家だから””評論家が褒めていたから”なんて理由で感動することなど当然ない。ましてや「吹奏楽コンクールで良い賞をとった」なんて事実だけで、感動できるはずなんて単純に思えるものか!「好み」の問題はあるが、「感動」は実際に音楽(演奏)を聴いた”自分”の中にこそ生じるか、否かなのだから。

演奏するからには(コンクールだろうが何だろうが)音楽の感動を与えてほしい。演奏者の個性を込めつつ、さまざまな音楽の表情を、それぞれの音楽の持つ魅力を、どこまでも掘下げて伝えてほしい。この努力は「良い賞が獲れたら終わる」という性質のものではなく、本質的には果てしなく追い求めていかねばならないものである。
「感動の乏しい演奏」は「音程・音色・縦の線・バランスなどが整わない演奏」と同等に良くないのだ。同等に罪深いと云ってもよいとも思う。

♪♪♪

吹奏楽コンクールで審査員を務められる方々には、このコンクールがあくまで良い音楽を評価する、感動のあるパフォーマンスを評価するものであることを、ハッキリご認識いただきたいと思う。
ましてや2013年の課題曲IIIはポップス曲、クラシックの物差しでは測りきれない音楽の魅力を審査することとなった。ポップスは単に巧い下手だけで評価のできないジャンルだ。近年の技量偏重の(と私には感じられる)審査傾向からすれば、改めてポップス曲を課題曲に据えた吹連は「大きな(しかも然るべき)舵を切った」のだと私は捉えている。

少々荒削りでも、ポップス特有の楽しさを極めた演奏が登場したとして、それを「良い音楽」として、正当に評価できるか-?
それ以前に(ポップスかクラシックかの問題ではなく)、コンクールの審査はそれを通じて行くべき道を照らし、吹奏楽を「感動性のある音楽」を志向する豊かな音楽形態として、健全に発展せしめていくことはできるのだろうか?

吹奏楽が音楽の感動を与えてくれる、ごく身近な存在であり続けてくれることを、私はこれからも期待して已まない。

(Revised on 2017.10.15.)

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コメント

同感です。プロにも、また吹奏楽以外のジャンルの人にも読んで欲しい記事です。

投稿: くっしぃ | 2013年4月25日 (木) 20時06分

くっしぃ殿、有難うございます。
本記事に、貴兄からこのようなコメントをいただけて本当に嬉しく思います。

・喜怒哀楽如何なる場面でも、緊張も弛緩も、勇猛も卑屈も、イメージが如何に変わろうとも変化がなく(或いは乏しく)表現が一本調子
・音楽の流れをより大きく捉えるフレージングの欠如
・狭小化したダイナミクスレンジ
・場面転換の稚拙さ、全体を俯瞰した設計の不足
・吹奏楽でしか聴かれない過剰に柔らかな発奏(=時に明晰さとスピード感を欠いて聴こえる)
・「個性的に」と意識するあまりか、妙ちきりんな”吹奏楽節”の陥穽に嵌ってしまっている
等々…

今、吹奏楽界では(プロを含めて)こんな状態の演奏が蔓延しています。要は「表現力」の欠如、楽曲の「俯瞰(による構成)力」の欠如、に収斂しようかと思います。
テクニック面も含め「完璧」な理想を求めれば文字通りキリがありませんが、それだけのテクニックがあるのならば、仮に若干の瑕はあろうとも、骨太でスケールの大きい、感動のスィートスポットをバシっと捉える演奏を聴かせてほしいものですね。

投稿: 音源堂 | 2013年4月25日 (木) 23時04分

コンクールでの評価に最大の価値を見出すという病は僕自身十代の頃に相当侵されていました。でも、こう言うのも何ですが、やってる自分たちですら自分たちの演奏が良いとちっとも思えませんでした(少なくとも僕はそうでした)。当時いた学校にはプロの偉い先生が指導に来てくれてもいましたが、何しろその指導の結果出来上がった音楽が既に全然感動できないんですから、何だかという感じです。

投稿: くっしぃ | 2013年4月27日 (土) 22時49分

私は何の因果かそこそこ伝統があり西部(九州)大会まで出られるバンドにいながら、先鋭化はされていない環境で音楽(吹奏楽)と出会ったため、色んな意味で”自由”でした。それはとても恵まれていたことだと思っています。

中1の夏、当時の西部大会でまだ無名の中学校による「朝鮮民謡の主題による変奏曲」が与えてくれた、全くの予見なしに音楽に感動できた原体験以来、その楽曲・演奏が深い感動を与えてくれるかどうかは、我が”たてがみ”が感知してくれます。
頭で理解する(?)感動もあるにはあるのですが、深い感動、決定的な感動は私の後頭部=首近くの生え際が逆立ちゾクゾクすることで感じるのです。理屈なしです。(鬼太郎の妖怪アンテナみたいなモノ?)
そういう演奏を、もっと聴きたいなあ…。

本稿、そして付随のコメントでは「演奏」のことを述べていますが、「演奏」を「楽曲」とほぼ置き換えることができます。優れた作品=感動のある作品が吹奏楽界にもたらされること-これも私の切なる願いです。

投稿: 音源堂 | 2013年4月28日 (日) 10時23分

映画Mr. Holland's Opus (邦題『陽のあたる教室』)でホランド先生がこう言ってます。”Playing music is supposed to be fun. It's about heart, it's about feelings, moving people, and something beautiful, and it's not about notes on a page. I can teach you notes on a page, I can't teach you that other stuff.”「音楽は本来楽しいものだよ。音楽は心、感情、人を感動させるもの、そして美しいもの。音符なんかじゃないんだ。君に音符を巧く吹くのは教えられるけれども、僕にはそれ以外の音楽の本来を君に教える事は出来ない。」
アメリカのでかれこれ20年上級のから初級の市民バンドで吹いています。バンドの仲間は、プロ並み、習い始めの小学生、学生以来20年吹いていなかった、定年してから生まれて初めて楽器を手にした、まで多種多様ですが、皆に共通するのは音楽をするのが楽しい事。勿論、バンドの質の向上に努力し、一流の演奏を目指す事は大切だが、市民に音楽に携わる機会を提供する事、皆と一緒に吹く事が楽しいバンドである事が重要だと思います。
日本の吹奏楽教育が単にコンクールで優勝する事で終わってしまうなら、とても寂しい。

投稿: Hamachan | 2013年5月 5日 (日) 15時14分

Hamachanさん、お越しいただき有難うございます。いただいたコメントの内容、然りと存じます。
(同趣旨ですが途中で終わられていた方のコメントは投稿作業上のミスと拝察しましたので削除致しました。ご諒解下さいませ。)

例えば中高の吹奏楽部で音楽に触れた方々に、音楽を一生の友人として親しく付き合ってほしいと私は願うのです。各個人ごとに一番好きなジャンル- 管弦楽でもJazzでも構いません。エレキギターに持ち替えてRockでも…。その中では吹奏楽も比較的気軽に幅広く、またスケール感のある音楽演奏が味わえるイイモノの一つだと思っております。

そして音楽を演奏する以上は、感動を与える演奏をしてほしい。少なくともそれを真摯に目指してほしい。そう願うのです。そのためには各個人がそれぞれに感じる音楽の感動を掘り下げることも必要だと思っています。

音楽はとてつもなく楽しいもの、そしてとてつもなく幅広く深いもの-。

勝った負けたとかの話でなく、それを追求し、またわかちあう喜び=音楽の魔力に魅せられて、あなた方は音楽をやっているのではないのですか !? と叫びたくなる、そんな場面がもうなくなるといいのにと願ってやみません。

投稿: 音源堂 | 2013年5月 5日 (日) 21時40分

こんばんは。初コメント失礼致します。本文との関連性がやや薄いのですが、一ファンとして、以前から音源堂様に伝えたかったことを記させて下さい。

こちらのブログに出会ったのは自分が吹奏楽を始めてすぐの頃で、音源堂様のおかげでたくさんの名曲と出会うことができ、吹奏楽の魅力にますます憑りつかれました。それだけに少し前から突然閲覧できなくなったために、閉鎖したのではないかと非常に不安になっていました。

私が中高時代を過ごした吹奏楽部は、コンクールで上位の成績を残すことを主眼に置いていたのですが、私自身は無機質で無感動な近年のコンクール音楽への抵抗感を強く抱いていました。
自分たちの努力が、感動の無い音楽を目指しているのではないかと悩む日も多く、聴衆に何も伝わらないような自己満足の音楽を続けることに、自分の中で意義が見出せなくなり、何度も音楽から離れようかと思いました。
それでも、苦悩の日々の中から自分なりの答えを導き出せるきっかけになったのは、やはり感動できる音楽でした。今や決して多くはないコンクールでの想いの伝わる演奏、そしてこちらで紹介されている名曲や名演奏に幾度となく救われ、涙しました。そのおかげて今もこうして吹奏楽を続けています。本当に音源堂様には感謝しております。
音源堂様が以前書かれていた、"————————演奏活動の中で受けた傷心は、演奏活動でしか癒せない。————————"という言葉、本当に共感致します。

実は私も大分県出身で、現在は都内の大学に通っています。母校の中学校の吹奏楽部は1977年に県代表となっているのですが、音源堂様も77年に西部大会に出場されているようなので、もしかすると遥か上の先輩にあたるのかもしれません。それだけに勝手な親近感を抱いています^^;いつの日かどこかでお会いできると良いですね。

今後とも楽しみにしております。

投稿: tuba3054 | 2014年4月 4日 (金) 22時36分

tuba3054さん、ようこそお越しいただきました。コメントを下さり洵に有難うございます。
音楽というものは、他の何物からも得られない悦びを与えてくれますね。聴くだけでなく演奏参加型の吹奏楽に接している以上は、演奏活動にも夢を持ち続けて活動していきたいと思っております。叶う叶わないではなく…。
そしてどんな場面であっても、音楽には常に胸躍る楽しさや感動というものを期待したいものです。

>実は私も大分県出身
そうですか!私は県南の中学出身です。tuba3054さんは当時のライバル校の卒業生でいらっしゃるのでしょうね。1977年そのライバル校はサン=サーンスの「オルガン」を自由曲に採り上げていました。良かったですよ、演奏。

またぜひお越し下さい。コメントもお気軽にお寄せ下さいね。

投稿: 音源堂 | 2014年4月 5日 (土) 07時33分

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