吹奏楽のための抒情的「祭」
Festal Scenes Jojoteki-"Matsuri"
伊藤 康英 (Yasuhide Ito 1960- )
「この曲を作曲しつつある日、私の友人から数年ぶりの手紙が届いた。それは上海からであった。突然東南アジアを放浪し始めたこの哲学的思索に耽りがちな友人は、
『…とまれ、長い航海を経て降りたった土地は、そこがどこであれ、金無垢の浄土に生けるものが、いっせいに花開いたように眼に映り、まさに人生は祭りですね。…』
と書き綴っていた。
民謡のにぎやかなモティーフの集まりであるこの作品に、私は一種の『祭』の縮図を見る思いがした。そして、聖と俗との混沌の中で、この『祭』は抒情性を極めるのであった。」
(作曲者コメント:出典/伊藤 康英HP)
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「津軽じょんがら三味線」「津軽ホーハイ節」「津軽あいや節」「弘前ねぷた(囃子)」の青森県民謡を使用し、祭りのもつエネルギッシュな興奮と日本的抒情とを、6'30"ほどのコンパクトな楽曲に見事完結させた作品。1986年に作曲され、伊藤 康英(左画像)の名を広く知らしめることとなった名曲である。
海上自衛隊大湊音楽隊(青森県)が地元民謡を素材にと委嘱した作品であるから、題材は全く日本的なものなのだが、作曲者は当時シェーンベルクの初期作品に凝っており、その影響を強く受けた作品であるという。
素材を単につなぎ合わせた”メドレー”ではなく、それを生かしながらオリジナリティを追求する-。そのため、全曲に亘り素材のモティーフを互いに関連づけ、場合によっては曲のキャラクターまで変貌させるというコンセプトなのだ。
「日本的な情緒を十二音技法※を使って表現する」ことで、日本の音楽を西洋の楽器編成に置き換えただけのレベルを超えた、真に”日本的な音楽”を目指すという明確な意図を持っていたのである。
※十二音技法 : 1オクターブの中に存在する12の異なった音(即ち半音階の
12音)のおのおのを、ある中心音に関係付けることなく、平等の位置を与え
つつ作曲を行う技法。無調音楽の一つの技法であって、組織的な無調性と
もいわれる。
(出典 : 「新音楽辞典」音楽之友社)
相反する西洋音楽と日本の音楽との接点を探っていた作曲者の音楽的興味は、後年”吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」”という、屈指の傑作に再び結実することとなり、また「北海変奏曲」「琉球幻想曲」といった作品へもつながっていく。
※参考・出典 :バンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」Vol.3
(1990年) 所載の伊藤 康英自身による楽曲解説
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題材となった青森県民謡を整理しておこう。
「津軽じょんがら三味線」
明治から大正、昭和の初期にかけて「ボサマ」と蔑まれた、そ
の日暮しの男盲芸人が、その日の糧を得るために一軒一軒
門付けをして、厳しい風雪や社会の差別に耐えながら、まさに
生きるために弾いた魂の曲。唄の伴奏曲ではなく独奏曲で、
曲調は切なく哀愁があり、リズムと間が大変難しい曲とされる。
原曲のほか旧節・中節・新節がある。
「津軽ホーハイ節」
津軽民謡中もっとも特異なものとされる。”ホーハエ(ホーハイ)”
は一種の囃子詞であるが、裏声を使うのが非常に特徴的。
婆の腰ア ホーハエ ホ-ハエ ホーハーエ
曲アがったナーエ 稲のホ 穂がみのる
盆踊り唄であるが、元々は共通の節に歌詞を即興で作りあい
歌いあう”歌垣”の唄とのこと。これは相手の歌う間に、新たな
歌詞を作り切れなかった方が負けというゲームなのである。
「津軽あいや節」
津軽領の港町で、船乗り相手の女が酒席で歌ってきたお座敷
唄で、全国の港町で流行した「ハイヤ節」の”ハイヤ”が”アイ
ヤ”へ訛化したもの。
「アイヤーナー」というたっぷりとした歌い出しと、後半の「ソレモ
ヨイヤ」というリフレインは、「ハイヤ節」と共通の構造とされる。
「弘前ねぷた(囃子)」
青森県の夏祭りとして有名な”ねぶた”の中でも”青森ねぶた”
と並び称される。江戸元禄期後半、七夕祭りの松明流しや精
霊流し、盆灯篭などから変化し華麗に発展したのが定説とさ
れる。厳しい暑さに見舞われる夏の農作業に襲ってくる睡魔を
払うための行事であり、”眠り流し”が転訛し”ねぶた(ねぷた)”
となったという。
組ねぶた(人形ねぶた)の多い青森ねぶたに対し、弘前ねぷた
は勇壮な正面の”鏡絵”と、裏側に妖艶な美女を描く”見送り絵”
からなる「扇ねぷた」が多いのが特徴の一つ。青森ねぶたは乱
舞する踊り手(ハネト)で賑わう豪華絢爛な”凱旋ねぶた”、弘前
ねぷたは勇壮華麗にして粛々と進む重厚な”出陣ねぷた”とも
されている。
したがって、囃子も弘前ねぷたは荘厳にして重々しく、より気品
に満ちたものであり、テンポが早く躍動感に溢れる青森ねぶたと
は対照を成すものである。
※出典・参考
「津軽三味線」 山本竹勇HP
「日本民謡集」 町田嘉章・浅野建二 著 (岩波クラシックス38)
「民謡手帖」 竹内 勉 著 (駸々堂出版)
「津軽五大民謡」 線翔庵HP
弘前市役所HP
弘前ねぷた西地区ねぷた親交会HP
これら民謡をフィーチャーして、作曲者が描いたのは「祭り」。作曲者が言及(冒頭コメント参照)した”聖と俗との混沌”こそは「祭り」の本質を端的に捉えた言葉であり、ここからも知的考察に基く作曲意図が感じられ、楽曲はそれを体現するものだ。
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冒頭、ベースラインとTimp.の保続音に続いて聴こえてくる「津軽じょんがら三味線」のモティーフからして新鮮な驚きがある。(冒頭画像)
吹奏楽の奏でる津軽三味線の世界…!私は自分の中に、日本人としての音楽的興奮が静かにではあるが確実に湧き起こるのを感じてしまうのだ。
この序奏部は、本来ユニゾンで奏されるあの津軽三味線の音楽を題材としながら、意図的にモティーフを二つ重ね合わせていくことをはじめとして、モティーフの展開・拡大や反進行楽句の活用など、西洋の作曲技法で料理したという。「あの三味線の雰囲気を(吹奏楽で)出すために、西洋の手法を使った。」という作曲者の狙い通りとなっている。
序奏部のクライマックスでは鮮烈なTrp.の3連符が大変印象的であるが、曲終盤の(というより全曲の)クライマックスでもこの楽句を用いて呼応させている。こうして楽曲全体の完結感をもたらすなど設計も実に周到だ。このTrp.の3連符に絡ませたTrb.の4分音符がまた効果的でおもしろく、序奏部の締め括りを引き立たせている。
G.P.の後、憂いの色を示すブリッジに続きFluteの涼やかな音色でいよいよくっきりと「津軽ホーハイ節」が現れる。
ここでは、幻想的な伴奏と透明感のあるソロによる涼やかな音楽となっている。
”ホーハイ、ホーハイ”とFluteが奏でるファルセットは、Euph.ソロによる「津軽あいや節」の伴奏へと姿を変えていく。この中間部では、元々2拍子の日本民謡を敢えて3拍子に置換える※ことで、西洋音楽への融合を図ったという。
※伊藤康英の解説より
「日本のリズムは2拍子が基本である。3拍子はほとんど見られない。『ながさき』
というコトバを日本人は『ながさき』と2拍子で読むが、外国人は『ながさーきー』
と3拍子で読む。」
Euph.ソロに伴奏を奏でていたFluteが合流し、文字通り抒情性を深めると、ダイナミックなアクセントに導かれた重厚なテュッティにより、さらに「津軽あいや節」は歌い上げられていく。このクライマックスはパーシー・グレインジャーの名作「リンカンシャーの花束」第2曲”ホークストウの農場”を彷彿とさせる現代的なサウンドで彩られ、洵に感動的である。
Fluteに帰ってきた「津軽ホーハイ節」で音楽は鎮まり、物悲しいFagottoソロが中間部を締めくくる。
そして密やかに始まる特徴的なリズムを従え、BassCl.の歌が聴こえてくる。遠くからぐんぐん近づき、遂には鮮明な姿を見せる「弘前ねぷた」の情景である…!
この囃子には、「弘前ねぷた」らしい荘重さが必要だ。BassTrb.の音色を効かせた低音部とねぷた太鼓や手平鉦、そして賑やかな笛の音がエキゾティックな興奮を伝えてくれる。この「ねぷた」囃子の高揚は強い印象を与えるが、曲中ではあくまで最後の”祭り”への導火線と位置づけるべきものであろう。
いよいよ、終結部のエキサイティングな”祭り”へとなだれこみ、音楽はひたすらに駆け抜けていく。冒頭の再現に始まり、烈しいリズムとスピード感、音圧とが渾然一体となって描くのは、まさに昂ぶる祭りの興奮だ!
烈火の如きTrp.の3連符フレーズと吼えるHorn、エキサイティングなリズムはまさに手に汗握るもの。
最後は全楽器の鋭い打ち込みを従えた、激烈で熱狂的なTimp.の乱れ打ちとなり、重厚に響きわたるD音ユニゾンの全合奏をバスドラムがズシリと締めて全曲を閉じる。
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音源は以下をお薦めしたい。
増井 信貴cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
構成感に優れ、各楽器間のバランスのよい、統一感のあるアンサンブルでソロも見事。色々な意味で非常に"cool"な演奏である。
汐澤 安彦cond.
東京シンフォニック・ウインドオーケストラ
スケールの大きな音楽の流れ。緻密さよりも骨太の熱狂にウエイトを置き、高潮する歌を堂々と聴かせる。音色の対比もクッキリした印象。
川邊 一彦cond.
海上自衛隊大湊音楽隊
「ねぷた」の生命感はさすが地元/委嘱者というべきか、独特のニュアンスを伝える。
また終盤のHornは最も”男前”な好演で、グリッサンドもGood!
【その他の所有音源】
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
武田 晃cond. 陸上自衛隊東北方面音楽隊
ユージン・コーポロンcond. ノーステキサス・ウインド・シンフォニー
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以上述べてきたように(そもそも題名からしてそうであるが)、「抒情的『祭』」は相反するもの同士の融合がテーマとなっている楽曲である。
張り巡らされた”知性”によって作られたこの楽曲が表現するものは”祭”…すなわち、”知性”とは相反する人間の根源にある本能に訴え、爆発するものを表現しようというのである。
”知性で表現される本能”
演奏する側もこの「相反の融合」の妙を示さなければならない!
楽曲自体もモティーフが縦横無尽に顔を出し、絡みあい、さまざまな仕掛けが用意されている。これらを理解・把握した上で、一方では熱狂と抒情の太いうねりを、がっしりと大掴みにせねばならないのだ。…これもまた「相反の融合」に違いない!
-ああ私はもう、無性にこの曲を演奏してみたくなっている。
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コメント
きわめて浅いコメントですがご容赦ください。
この曲は、実はこちらで初めて知ったのですが、“相反する融合”に対し記事の内容だけで妙に納得した次第です。
音楽作品とは面白いもので、人の感情に比較的容易に作用する一方で、その成り立ちはかなり論理的だったりしますが、この曲の「ねらい」も、そんなことを十二分に感じさせるものがあると思いました。
それから余談ですが、津軽じょんがら節の躍動的な楽句を(一部かつ恐らくは一例だとは思いますが)楽譜で見られたことは、自分でも不思議なほど嬉しかったです。ありがとうございました。
投稿: 長谷部 | 2009年11月 7日 (土) 01時26分
長谷部さん、こちらにもコメントを有難うございます!
>きわめて浅いコメント
そんなことはございません。自分の性格からか堅苦しい文章になってしまっている拙ブログですが、要は「こんないい曲(演奏)があって、感動した!良かった!」と書き綴っているに過ぎません。ですから「私もこの曲好き!」「興味持ったよ!」という具合にコメントいただければ、幸甚なのです。今後ともお気軽にコメントを頂戴したいと思っております。
「抒情的”祭”」は非常によく計算された作品です。計算ばかりでいい音楽になるとはいえませんが、よく考えられていることが重要なことは疑いありません。難易度の高低や、現代的か否か、判り易いか複雑か、或いはジャンルといったことにかかわらず、良い音楽はそれぞれによく「考えられて」いるなあーと、最近つくづく思わされるのです。
投稿: h-ongendo1964 | 2009年11月 7日 (土) 15時50分