古 祀
KOSHI - An Ancient Festival
保科 洋
Hiroshi Hoshina (1936- )
※冒頭画像:古代祭祀遺跡で知られる「沖ノ島」 に祀られた浜津宮
「曲は題名が示すごとく、古い祀のイメージを作品にしたもので、厳かな祈りの部分に始まり、狂信的な踊りへと続く。一転して、艶やかな女性の踊りが始まり、儀式はたけなわとなる。やがて女性が退場し、又もや全員の踊りが始まる。踊りはますます激しさを増し、クライマックスへとなだれこむ。踊りつかれた人々は最後の祈りを捧げ、儀式は静かに終わる。
以上の様な想定のもとに、曲は進行して行く。
曲の性格上、音素材としては古い教会調を使用し、和音も比較的単純な和音を多用しているので、分かりやすい曲になっていると思う。」
(作曲者によるプログラム・ノートより)
1980年に自身の管弦楽曲「祀(まつり)」を吹奏楽に改編する形でこの「古祀」は誕生した。ヤマハ吹奏楽団(浜松)の創立20周年を記念して委嘱されたもので、ヤマハ吹奏楽団(浜松)は同年の全日本吹奏楽コンクール招待演奏で披露したほか、1984年には自由曲としても採上げ全国大会金賞を受賞している。
また、作曲・初演後直ちに秋山 和慶cond. 東京佼成ウインドオーケストラによる優れた録音が発売されたことが、楽曲自体の素晴らしさとともに相乗的に人気を高め、非常に多くのバンドで演奏されることとなった。
(尚、”演奏技術の進歩に合わせオーケストレーションを改訂”した「1998年改訂版」が存在する。)
♪♪♪
保科 洋(下画像)といえば「風紋」(1987年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)が圧倒的な人気を誇るが、1960年代から兼田 敏※とともに本邦吹奏楽界を代表する作曲家として非常に優れた作品を提供し、永く活躍を続けている。
※兼田 敏(1935-2002)とは非常に親密であり、兼田 敏の生前より予めお互いの
”葬送曲”を贈りあうほどであったというエピソードは有名。
兼田 敏が保科 洋に贈ったのが「嗚呼!」(…保科洋君!と続くらしい)であり、こ
れに応えて保科 洋が兼田 敏に贈ったのが「Lamentation to - 」とのことである。
「交響的断章」「カタストロフィー」「カプリス」「カンティレーナ」「愁映」など素晴らしい作品が多数上梓されており、「風紋」ばかりがクローズアップされるのが不思議なほどだ。
そして「古祀」こそは、それら保科作品の中でも、最高傑作の一つと云えるだろう。スケールの大きさ、判り易くも陳腐さがないという凄さ、そして完結感の充実ぶり…近時この曲の演奏機会が減少しているのも疑問に思えてしまう。
♪♪♪
作曲者は、自身が持つ”古い祀のイメージ”から生まれたこの作品の演奏について、
「各部分の対比、および各部分内での表現を、いかに曲名のようなイメージに合わせるか、が大切である。非常に抽象的な言い方であるが、この曲を演奏して何を表現したいのか、を明確に把握しておいて欲しいと思う。」
とコメントしている。
その「祀のイメージ」がどのようにもたらされたのか、或いはごく具体的に何の「祀」なのかを語った文献は見当たらない。ただ、未明から夜明けにかけての古代的祭祀であることは示されており、またごく日本的なものであると推定される。
そこで「日本の古代祭祀」について調べてみた。
”まつり”の原義について折口 信夫は、「神慮・神命の現れるまで
の心を守つ(まつ)」ことと述べている。”まつ”とは強く、焦心を示す
ほど期することだと…従って、”まつり”とは呪詞・詔旨を唱誦す
る儀式に始まったという。それが神意を具象するために呪詞の意
を体して奉仕し、更には神意の現実化したことを覆奏する(=祀る
・祭る)ように転じていったとしている。
【出典:「古代研究 I 祭りの発生」 折口 信夫 著/中央公論新社】
「古祀」には酒宴での女性の踊りも登場するが、古代祭祀と女性、
そして酒との関わりについてはどうだろうか?
基層信仰にみられる「女の霊力」は、その実態が男女の性的結
合の持つ根源的力への信仰に支えられた豊穣の祈りに他なら
ない、とされている。その祈りに欠かせない共同体レベルでの集団
の男女の(模擬的)性結合が、後の専業神職者の男女ペアの基礎
であるとの分析だ。
また常陸国風土記に記述された、”男女悉集”して行われる祀りの
場での飲食は「飲食物を供えて…神魂のいきわたった飲食物を
神のもとで共同飲食し、そして歌舞し、神を『賀』したもので
あり、…その延長の性的解放の場も神との一体化により、神の
持つ豊穣力を期待する予祝行事」であることが窺えるという。
また「酒」こそはまさに神と人との共食を具体的に媒介するもの
であり、それゆえに神事には酒が欠かせないのだ。
【出典:「日本古代の祭祀と女性」 義江 明子 著/吉川弘文館】
具体的な古代祭祀の遺跡としては、福岡県沖玄界灘に浮かぶ「沖
ノ島」があげられる。そこで執り行われた祭祀のうち、最も古い形
態は玄界灘を望む地にある巨岩の上に祭壇を置く、”岩上祭祀”で
あった。
人の魂も、動植物の魂も同次元に捉えて丁重に弔い、再生を
願う祈りがその儀礼の始まりという。祀られるものは死者の霊魂
ではなく神であり、その神とは常在するものでなく”降臨”するもの。
巫(めかんなぎ・女性)とか覡(おかんなぎ・男性)と呼ばれる宗教
者が”神懸り”して、その口から神の言葉を得るものであったという。
宗像大社の浜津宮が祀られたこの「沖ノ島」は現在でも女人
禁制、上陸にあたっては例外なく全裸で海に漬かる”禊”が必要
な、それ自体が聖域とされる島である。
「その身に抱えている俗世が、水に入ったその一瞬、たちまちにし
て反転する。身ひとつの個となって、何ものかに対して平等の
存在となってしまうのである。…なるほど、禊というものにはこうい
った効果があるのか。」
【出典:「宗像大社・古代祭祀の現風景」 正木 晃 著/日本放送出版協会】
※他の参考文献
「日本の神々の事典」/学研
「古代の神社と祭り」 三宅 和朗 著/吉川弘文館
以上のように研究文献に触れてみると、”古代祭祀”のイメージが膨らんでくる-。
同時に、「古祀」が描いた”古い祀のイメージ”も、必ずしも単に解明された史実を辿るものではなく、作曲者がもっと自由に想いを巡らせたものであることが判るであろう。
♪♪♪
楽曲は、明確な5つの部分から成る。
作曲者による解説※(「」)とともに、内容をご紹介する。
※佼成出版社 刊の原典版スコア、並びにBRAIN社発売のCD「風紋-
保科洋作品集」リーフレット所載の解説による。
また、楽曲の内容については佼成出版社刊の原典版をもとに記述。
第I部 ”祈り I ” (1-45小節)
「まだ薄暗い祭壇の前、民衆は祭壇への行列をしずしずと繰り返しながら、神への敬虔な祈りを捧げる。
-静かな祈りの部分である。この曲全体に言えることであるが、主旋律のフレーズの中心点が、そのフレーズの中で比較的低い音に与えられている。このようなフレーズは、一般的に内攻的※な、又は抑制されたパッション等の表現を意図しているが、この曲でも、そのような表現を意図している。」
※原文ママ:”内向的”が正しい可能性あり
密やかで深遠なオープニング。沈み込んでいく旋律に続いて登場する、玲瓏なFluteソロが大変印象的である。各楽器の応答により息の長いフレーズが奏でられ、祭祀の神聖さや敬虔な精神性が感じられる。
第II部 ”民衆の踊り I ”(46-103小節)
「祈り終わった民衆は野生的な踊りを始める。踊りの輪は徐々に膨らみ、熱狂的な全員舞踊に発展する。
-リズムが主体の部分であるから、タテのメリハリ、アクセント、テヌートとスタッカート、等、指示された記号を大切に扱って欲しい。」
10/8(2+3+2+3)や9/8(2+2+2+3)による変拍子のリズムが野性味豊かな曲調を演出する、エネルギッシュな音楽。瑞々しい響きのハーモニーを持つ弾けるような伴奏も素晴らしいし、激しいリズムの躍動と幅広いフレーズとがクロスオーバーしているのが面白い。途切れることのない緊張とスピード感が民衆の熱狂を見事に表現している。
しかしながら、リズムが甘くなると直ちに音楽は輝きを失う。その落差の大きさたるや…非常にシャープな演奏が求められる部分である。
第III部 ”巫女の踊り” (104-136小節)
「民衆の踊りが一段落すると艶やかな巫女がしずしずと現れ、幻想的な踊りを舞い始める。民衆は車座になって巫女の踊る様を目で追っている。
-音楽的な表現としては、この曲の中で、おそらく最も難しいのではないかと思う。楽譜には書き表せないようなテンポルバートが、この部分では不可欠である。このようなことは楽譜にも記入しなかったのだから、まして文字で書く気はないが、一つだけ、フレーズの終わりを大切に、余韻を丁寧に、ということに留意して欲しい。各部分のソロは音色を大切にしてよく歌って欲しい。」
緩やかで美しい女性の踊り。たおやかで清流のような煌きのある序奏に続き、コールアングレが落ち着いた美しさの旋律を、朗々と吟じる。そして、夢見るようなサウンドに包まれて、穢れなき女性の幻想的な踊りが自由自在に揺れながら続いていく…。
ClarinetとHornがソロで掛け合う部分などは、古代への郷愁を強く感じさせるものである。
第IV部 ”民衆の踊り II ”(137-176小節)
「巫女が祭壇から姿を消すと、再び民衆は踊り始める。踊りは前にも増して陶酔状態となり興奮の極致に至る。
-導入部と終わりは全曲のクライマックスを持つ部分である。最初の導入は非常に難しいが、いつ入ったか分からないような感じで急速に盛り上がっていくように。その後は第II部と同じだが、途中から踊りはより狂信的になり、より激しく、盛り上がって、クライマックスへと突入していく。そのため、あまり落ち着いた演奏より、熱っぽい盛り上がりが適しているように思う。」
遠く消えていった女性の踊りに続き、民衆のざわめきが始まる。急激に高揚したところでTrb.の鮮烈なグリッサンドが咆哮し、野生が呼び返されて再び全員の踊りとなる。
増嵩した熱狂は華々しい金管の楽句と、激しく下降していくパッセージの応酬で雄大な楽想となり、Horn(+Sax)が高らかに祀りの最高潮を告げる。
第V部 ”祈り II ”(177-最終小節)
「踊り疲れた民衆は再度祭壇の前に集まり、祈りを捧げながら三々五々散っていく。朝日が漸く昇り始める。
-この部分の冒頭は全曲のクライマックスを形成するが、177小節がクライマックスではなく、177-184小節全体がクライマックスであることを忘れないように。あとは、第I部と同じ静かな祈りの部分が続く。205小節以降はコーダであるが、全体への回想と全曲の余韻を大切に、特に最後の金管のコラールは丁寧さが欲しい。」
打楽器と低音による、劇的な長いクレッシェンドに導かれ、全合奏で”祈り”が唱えられる。重厚なサウンドにより、単なる華々しさとは異なる高揚を示す実にスケールの大きな音楽である。
徐々に収まると、敬虔さに溢れる金管のコラールがしみじみと響きわたって祀りの余韻を湛えつつ、やがて音楽は遠く彼方へ消えていく。
♪♪♪
音源は以下の通り。
秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
圧倒的な名演。緊張と優美、躍動が全て高次元でシャープな演奏。5つの部分の対比を活かしながらも、違和感ない全曲の纏まり。
木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
1998年改訂版を収録。
第IV部最後のベースライン変更が特に印象的。
【他の所有音源】
原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団(浜松)
| 固定リンク

コメント
おひさしぶりです。アメリカからです。
私も80年代にコンクールで聴いて、さっそく緑色のスコアを買って、ピアノで弾き弾き、読みふけりました。
和風の和音が素敵で、我が高校のバンドでも自由曲候補に推挙しましたが、「カットするにはもったいない」と気付き、自ら取り下げたのを覚えています。
投稿: きみ | 2009年8月 2日 (日) 13時40分
きみさん、暫くです!
米国での実に素敵な釣り体験の日々につきましては度々HPを拝見し、お元気そうなお姿に何よりと感じますとともに、とても羨ましく思っておりましたよ!^^;)渓流には未だ手を出していない私ですが、その魅力はよく判ります。
さて、私の「古祀」の演奏体験は大学1年でした。これも(アルヴァマーと同様に)4年生の1アシで、中間部は「休み」との指令、吹かせてもらえませんでした。演奏自体もエキストラのコールアングレ・ソロ以外に聴き所なし、と聴衆から酷評を受ける始末でした。個人的にもぜひ再演したい楽曲の一つです。
投稿: h-ongendo1964 | 2009年8月 2日 (日) 20時38分
僕もこの曲好きです。初めて聴いた時は長いし、そんなにピンと来なかったのですが、民衆の踊りのバスとトロンボーンのかけ合い、トランペットのソロ、巫女の踊りクライマックスの幽玄な雰囲気など、少しずつ保科ワールドに引き込まれ、いったんはまったら抜けられなくなりました。
彼の作風にもいくつかパターンがあると思うのですが、正直、同系統と思える風紋が課題曲で出た時は、巫女の踊りの冒頭と出だしが同じに聞こえました。それで、あれ聴くんだったら古祀聴いた方が彼の魅力がいろいろ盛りだくさんでいいなと思ったりして。。。
ご紹介の中では、あと愁映も好きな曲の1つです。古い音源を引っ張り出して聴きたくなってしまいました。
投稿: くっしぃ | 2009年8月 2日 (日) 21時55分
くっしぃ殿、いつもコメントを有難うございます。同感です。この曲はやっぱり保科作品の最高傑作だと思うんですよね…。
次は「カプリス」。中間部の切ないセピア色の旋律と、終結部の決然とした感じが特に好きなんですよ。
でも音源なし楽譜なし。いや、全くないわけじゃないですが、一般に演奏/鑑賞機会を作ろうとはしていない感じ。(嘆)
オカシな話ですよ、これも…。
投稿: h-ongendo1964 | 2009年8月 2日 (日) 23時03分