春になって、王たちが戦いに出るに及んで
In the Spring, at the Time
When Kings Go off to War
D.R.ホルシンガー
(David R. Holsinger 1945- )
春になって王たちが戦いに出る頃、ダビデ軍の司令官ヨアブはその軍勢を率いて、アンモン人の地を荒らし、ラバ(アンモン人の首都)に到達してこれを包囲した。しかし、ダビデはエルサレムに留まっていた。
ヨアブはラバを攻撃して、これを壊滅させた。ダビデはアンモン王の頭から冠を取った。その重さは金1キカル分(=約34kg)あり、中には宝石が嵌め込まれているのが判った。それはダビデの頭に置かれた。彼はラバの町から非常に多くの戦利品を持ち去った。
ダビデはそこの住民を外に出して、鋸・鉄の鶴嘴・斧を使用する労働に就かせた。ダビデはアンモン人の全ての町々に対してこのようにした。こうして、ダビデと民の全ては、エルサレムへ凱旋した。
(旧約聖書 歴代誌 上 20章 第1-3節)
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デイヴィッド・ホルシンガー(左画像)の代表作である
「春になって、王たちが戦いに出るに及んで」(1986年)
は、上記の旧約聖書/歴代誌の記述を題材とし、それを描写した音楽。
11分ほどの演奏時間の中で、実に目まぐるしく曲想が転換し、また多彩な打楽器群と人声(スキャット)を大変効果的に使用、サウンドクラスターなどの現代的な手法も駆使して、独特の世界を構築している一大傑作である。スコアをご覧いただくと、何といっても線や図形を使用した現代的な記譜に目を奪われることだろう。
ホルシンガーは1982年の「偏在する軍隊(Armies of the Omnipresent Otserf)」に続き、この曲で1986年に2度目のABAオストワルド作曲賞を受賞している。
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この曲が描くものを改めて一言で言えば、
「旧約聖書に登場するダビデ王(紀元前1000-961年頃)によるアンモンの征圧と、勝利したダビデ軍の凱旋」
ということになる。
「歴代誌」上18章以降には、イスラエルを解放したダビデが続いて周囲諸国を征服していく様が描かれている。そのダビデを恐れたアンモン人の王は敵意を顕わにし、ダビデから送られた使者を辱めてしまうのだが、これが上記20章に記述されたダビデ対アンモンの戦いの引き鉄となった。
尚、「春になって・・・」というのは、「冬の雨季が終わり春になると、地は乾いて固まり、戦車を使用する王たちにとっては戦いに最も適した時期となる。」ということを意味する。ダビデ王こそは、聖書の物語において初めて登場した「神の御心に適う指導者」であり、神が契約を結び、その王朝が永遠に続くことを約束した人物とされる。
ダビデに関する聖書の物語の記述には混乱があり、はっきりとした矛盾が生じている部分(有名な「ダビデとゴリアト」のエピソード中にその矛盾が端的に現れているとの指摘がある)もあるが、これはダビデに関して少なくとも2つ以上の伝承があり、それらをまとめたものであるためだろうと言われている。
また一方で、聖書はダビデを決して超人としてではなく、優れた戦士ながらも、人間的には放縦・自己欺瞞・優柔不断な側面を持つ「生身の人間」として描いていることにも、注目すべきである。
上画像:14世紀末、クラウス・スリューテル作 「老練な王としての」ダビデ像
いずれにしても、ダビデは僅か数年のうちにイスラエルを敵の手から解放し、近隣の小国にも勢力を伸ばした上、その築き上げた王朝が長く継承された偉大な王であることは間違いない。ダビデは、その死から約400年後に王朝が崩壊した後も、人々が再来を待望し続ける「理想の王」とされたのである。
※参考/引用図書
「歴代誌」 (池田 裕 訳 /岩波書店)
「旧約聖書の王歴代誌」
(J.ロジャーソン 著 月森 左知 訳 /創元社)
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紀元前時代の野蛮さをも含むエピソードを元にしており、奔放であるがそれゆえに壮大なスペクタクルを擁する音楽である。スピード感を喪失することなく、次々と場面が転換するさまはまさに小気味良いカット割のアメリカン・ムービーの世界。或いは、ジェット・コースターのように、激しい刺激をノン・ストップで与え続けてくる音楽と言えよう。ホルシンガーならではの個性である。
したがって、演奏に於いては高いテンションの”演技”が要求される。「美しい音色、正しい音程とリズム、キチンと揃った縦の線」だけではこの曲の面白さは伝わってこないだろう。まさに奏者の”思い入れ”が要求されるタイプの音楽である。激しくも短い楽句に続いて、早速幻想的なスキャットが聴こえて曲は始まる。それが繰り返されると徐々にリズムが動き出し、楽器が増えて混乱した大きな音塊となっていく。それがピタっと止まったG.P.の後、全合奏が一つになってぶっ放す高らかな旋律と、堂々たる打楽器群のカウンターは、まさにカタルシス!!
この序奏部を経て主部に入るのだが、主部に入る直前の低音のシンコペーションには、今まさに蠢き始めた大軍隊の雰囲気が・・・。
快速な変拍子による特徴的なリズムが鮮烈な高音の旋律と、雄大な低音の旋律は、これから始まる野蛮な戦いを暗示。突如としてTimp.をはじめとする打楽器のロールが轟いて暗雲が立ち込め、逃げ惑う群集を表すかの如き悲鳴のスキャット、野太い低音の旋律にバンドの各声部が激しく絡み合ってクライマックス!
かと思うと高音楽器の楽句でブレイク、ややテンポを落として堂々たる行軍の描写。再びエキサイティングな曲想が戻ったかと思うと、緩やかで神秘的な道行の部分へ・・・。まさにクルクルと目まぐるしく表情を変えるのだが、なぜか確りした一貫性があるのが不思議で、この曲の魅力となっている。
全曲を通じて、大変ダイナミックかつドラマティックなのだが、中でも鮮烈な終結部には圧倒される。(・・・Hornの悲鳴って、なんでこんなにソソるんだろう?)
これでもか、これでもかと迫りくる怒涛の音楽が聴くものを別世界へと運ぶのだ。スピン、ループ、急降下・・・まさにジェット・コースター気分を存分に味わっていただきたい。
前述の通りスキャットを多用しているのだが、これが実に効果的、適切である。人声は人間への訴求力が抜群に高い!(ホラー映画のクライマックスでもここぞという場面は人声がBGMを務めている。)
潤沢な打楽器群の投入も含め、やれることは全て盛り込んだという感があり、吹奏楽の機能をとことん発揮しつくした作品であることは間違いあるまい。
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とにかく聴けばわかる!作品なので、
フランク・ベンクリシュートーcond.
武蔵野音楽大学ウインドアンサンブル
(冒頭画像)の演奏でどうぞ。
良くも悪くも”若い”が、この曲が一番要求しているもの=「熱狂」を体現した演奏である。
【その他の所有音源】
リチャード・フィッシャーcond. コンコーディア大学ウインドシンフォニー
マイルス・ジョンソンcond. 聖オラフ吹奏楽団
(ナレーション、およびポストルードの合唱入り)
ダグラス・ニモcond. グスタヴス吹奏楽団
(Revised on 2011.11.27.)
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