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2007年3月 6日 (火)

カディッシュ

PweKaddish
W.F.マクベス
William Francis McBeth
 1933
-2012)




「カディッシュ」
とは”ユダヤ人の死者への祈り”のことであり、作曲者フランシス・マクベスの師=クリフトン・ウイリアムズの死を悼んで作曲された。この作品は、ウイリアムズの遺作となった「カッチアとコラール」と密接な関係にある。
「カディッシュ」を全編に亘り支配する、心臓の鼓動のような打楽器のリズムからして「カッチアとコラール」の終盤に登場するリズムから採られているのである。

曲想は、マクベスの深い悲しみを感じさせるもので、「沈痛」という以外に適切な言葉が見つからない。1976年に発表された直後から、この感動的な作品は大変な反響を呼び、マクベスの最高傑作とされている。

♪♪♪

001_3冒頭からして、静かなチャイムとドラの響きの沈痛さが心に残る。




「この曲冒頭の鐘の音に、どんなイメージを持ちますか?」
ある演奏会の曲間、「カディッシュ」の演奏の前に指揮者の先生がステージからこう問いかけられた。

「-この鐘は、ただただ広大な平原に決して反響することなく打ち鳴らされ、遠く消えていくんです。
日本のお寺の鐘は山々にこだましますが、ドイツの平原には山がありません。私達日本人の抱くイメージとは全く違う風景であり、音響です。その広大な平原の中で、教会の鐘の音は反響することなしに、ひたすら遠く、遠く、減衰していくのです。」

ご自身のドイツ留学時代に、あのユダヤ人迫害の舞台となったアウシュビッツの収容所跡を訪れた経験にも触れられた。そうしたお話を伺っている聴衆にも、”ユダヤ人の死”に関わる史実のイメージが去来する。
「そして、これから演奏するこの曲の鐘の音は、ひたすら遠く、遠く、減衰していく、そんなイメージを込めています。」

-そう仰って始まった「カディッシュ」の演奏は・・・実に感動的なものだった。

♪♪♪

チャイムとドラの残響が遠く消えると、Hornと木管楽器が深く沈み込んでいく悲しみの歌を歌いだし、これを「鼓動」のリズムが受け止める。
003これが繰り返されてスケールの大きなテュッティ。この序奏部を終え、やや煽情的な木管楽器そして対照的な低音による祈りの歌。各楽器による祈りの歌と静寂とを繰り返しながら、ついには木管高音の悲鳴的なフレーズと、低音のぶ厚いサウンドでクライマックスを迎える。

002ドラが打ち鳴らされ、Horn(Trp.、Bar.)の壮大なフレーズからレシタティーヴォが唱されるが、ここでカウンターの
Timp.とバスドラムの重低音が心底まで重く響くのだ。

声を押し殺して続くレシタティーヴォに前半の旋律がクロスオーヴァーし、
Trp.の緊迫したハイトーンとともに「鼓動」のリズムが押し寄せて、哀悼のフレーズが放射状に高揚していく。全合奏のfpクレッシェンドと、これを受けるHornの慟哭が極めて感動的であり、マクベスの心の痛みがストレートに伝わってくる。

最後は、天上に昇ったウイリアムズの魂を讃えるかのように、分散和音が上向型で奏され、「鼓動」のリズムとともに
、緊張感と厳粛さをもったTrp.のハイトーンが凛と曲を閉じる。

♪♪♪

「カッチアとコラール」の”コラール”の導入部では、C音のチャイムが穏やかに、清らかに三度鳴り響く。「死」と対峙したウイリアムズの”コラール”は、この鐘の音に続いて上向型の旋律となり、救いと安寧を求めているかのようである。

しかし、これに対し「カディッシュ」の冒頭では
C音とD♭音の不協和な、濁ったチャイムの音が三度鳴り響く。さらに続く旋律は、ウイリアムズの”コラール”の冒頭を反映したものだが、旋律はその反進行的に深く沈み込んでいくのだ・・・!

「カディッシュ」でこの冒頭を書いた、マクベスの心情は推して知るべしである。師の遺作を前に、マクベスの悲しみ、無念さはどればかりであったことだろう。
そしてマクベスの祈りは、「カディッシュ」の最後に象徴的に現れる。冒頭で悲しく濁っていたあのC音は昇華して、栄光に満ち、透き通った
Trp.HiC音となって、曲が締めくくられるのである-。
004
音楽家はそれでしか伝えられないから、音楽で表現する。その意味でこんな解説めいた駄文など、本来何の意味もない。「カディッシュ」が実に感動的な音楽であることこそが、マクベスの深い心情の証左であるので、ぜひ聴いてみていただきたい。

♪♪♪

Ewe_1音源は来日公演で大きな感動を呼び起こした、
ドナルド・ハンスバーガー
cond.
イーストマン・ウインド・アンサンブル
Live録音(左画像)が支持を集めている。確かにこちらも大変素晴らしい演奏であるが、私としては

市岡
史郎cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
の演奏(冒頭画像)を推したい。
如何にもスタヂオ録音というサウンドはやや気になるが、その分コントロールされた美しさ、構成感の確かさといった完成度は特筆すべきものである。

♪♪♪

こうした「暗い曲」は当世の流行りではないのかもしれない。しかし、極めて感動的な屈指の名曲であり、ぜひ忘れ去られることなく演奏されるべきもの。そして、この曲の演奏にあたっては、ぜひC.ウイリアムズの「カッチアとコラール」も一聴すべきである。

(Revised on 2012.1.25.)

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コメント

この曲を最初に聴いたのは、1978年全国大会の東邦高校のLPでした。当時、地元の高校(後の私の母校)が、全国大会に出場したこともあり、そのLPに同時収録されていたものです。そして前後して、ハンスバーガー/EWEの来日演奏ライブ盤が発売され、その演奏に身震いしたのを憶えています。この1枚と、フェネル/TKWOの演奏が、積極的に迫ってくる感があります。でも雰囲気といいサウンド、イメージはハンスバーガー盤のほうが、この曲の本質をついているのかな。いずれにせよ、もう30年近くも経つんですね。今でも、時々聴いている愛好曲です。

投稿: ブラバンKISS | 2007年8月24日 (金) 22時50分

「カディッシュ」に対する私の思いの丈は本稿の通りなのですが、ウイリアムズの「カッチアとコラール」を聴きますと、この曲の「凄味」が本当にぐんと増して感じられます。もし未だでいらっしゃいましたら、ぜひぜひ!

投稿: 音源堂 | 2007年8月25日 (土) 22時51分

造詣深いお話を拝読し、たくさんの気づきをいただいております。ありがとうございます。

つかぬことをお尋ねいたします。カディッシュを聴かれた際の指揮者の先生のお話のエピソードですが、これは1980年の九大か1981年の福教大のどちらかの演奏会のことであったりしますでしょうか。

1980年の九大の定期演奏会で先生がお話なさった(ドイツ留学のことも含め)内容が思い起こされ、思わずおうかがいしたくなった次第です。ご教示いただければ幸いです。

投稿: エボニー | 2018年7月28日 (土) 23時10分

エボニーさん、ようこそお越しいただきました。またコメントをありがとうございます。
はい、お察しの通り1980年の九州大学吹奏楽団定期演奏会における三好隆三先生のお話に他なりません。実兄が当時大学4回生で同団のメンバーでしたので。
当時高校生でした私も、深く感じ入った次第です。
音楽というのはテクニックのみでは決して成り立たず、音にそして演奏表現に込められたイメージによってこそ音楽に聴こえるのだということを、強く認識した瞬間でした。

投稿: 音源堂 | 2018年7月28日 (土) 23時32分

橋本音源堂 主宰者様

早速のご返信をいただきありがとうございます! 

そうでしたか。もう何年も前にこの章を拝読し、もしやと思いつつお尋ねははばかられ時を過ごしておりました。思い切ってお尋ねして合点がいき幸せです。

名乗りが遅くなり失礼いたしました。1980年の九大吹奏第16回定期演奏会に3年生クラリネットであの曲を演奏した者です。
(お兄様があの‥‥! お兄様には何年かに一度 三好先生を囲む会など福岡でお会いして今もお世話になっております。東京で毎年定例で会合をもちお世話になっている後輩たちも多くおります。感謝です)

16回定演のカディッシュは思い出深い特別な曲です。曲前の三好隆三先生のお話でホールの空気が変わり、ステージと客席間に風が吹き(最前列中央近くの私は実際そう感じました)、特別な時間・特別な演奏となりました。学生だけの力で実現できなかったのは残念ですが、三好先生のお力と、聴衆の皆さん・演奏メンバーの集中力が、あの演奏を作り上げました。長く強く思い続けている曲・演奏です。

ありがとうございました。今後も愛読させていただきます。末永くお書き続けください。よろしくお願いいたします。

投稿: エボニー | 2018年7月29日 (日) 00時12分

「奏者を休ませなくてはなりませんのでね…」と笑顔で語り始められる三好先生のお話は、どれも興味深いものでしたが、この時はまた一段と素晴らしいお話でしたですね。

人間は自らが経験したことでしかイメージを持てない。例えば「日の出」といってもそれぞれが経験し心に印象付けられたイメージを持っているもの。しかし音楽演奏では、そこに込められたイメージをまず奏者が共有し、その「経験」を持っていない聴衆にも音楽で伝えなければならない-そんな趣旨のお話もされていたと思います。
冒頭、たった3度打ち鳴らされるチャイムの音…そこからして既に深い想いを込めて表現するんだ。それが音楽なんだなって感じ入りました。音楽ってなんて素晴らしいんだろう、と改めて気づかせていただいた瞬間でした。
それが高じて、この年になっても私は音楽に夢中であり、練習に打ち込む現役プレイヤーでもいられているのです。
心から感謝です。

投稿: 音源堂 | 2018年7月29日 (日) 08時27分

ご無沙汰しております。コロナ禍の収束の気配がなかなか見えませんがお元気でお過ごしでしょうか。

最近、ふとこの曲のことを思い出して聴き直してみました。思えばはるか昔、中3の頃に初めて打楽器にチャレンジした時の一曲がこの「カディッシュ」でした。

私は銅鑼を担当。当時、私の地元では銅鑼は決してポピュラーな楽器ではなく、近隣の高校が持っていたちっちゃな銅鑼を借りて本番に臨みました。チャイムなんて高価なものも当然無く、ヴィブラフォンでの代用でした。

そんな状況でこの曲を初めて演奏しましたがすごく深く印象に残ったのを記憶しています。マクベスの曲はどれも好きですが、この曲はずば抜けて完成度が高く洗練されていて、現代でも演奏会のレパートリーとして十分に通用すると思います。

C.ウィリアムズの「カッチアとコラール」との関係は、音源堂さんの記事で初めて知りました。きっと両氏は素敵な師弟関係だったのかなと思いました…。

投稿: はらぴー | 2021年2月 6日 (土) 14時28分

はらぴーさん、レス遅くなり失礼しました。
3日前が所属楽団定演本番(無観客です)でありバタバタしてましたのと、何より実に1年7ケ月振りの新規記事投稿にかかっていましたので…その投稿が完了したらレスを、と思っておった次第です。

-もちろん「カディッシュ」は名作中の名作です!
何としても一度演りたいのですが「暗い」とかって却下されることばかりです。まだチャンスあると思いますのでどうにかやってみたいです。でもこの曲、フレーズ長くてシンドそうですよねー(汗)

投稿: 音源堂 | 2021年2月10日 (水) 12時57分

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