カッチアとコラール
Caccia and Chorale
C.ウイリアムズ
(James Clifton Williams
1923-1976)
クリフトン・ウイリアムズの遺作にして、前稿でご紹介したW.F.マクベスの傑作「カディッシュ」に深く関係した作品である。
「カッチア」とは”狩り””追跡”といった意味を持つ音楽。もともと単一楽章の「カッチア」という楽曲として構想されていたが、作曲途上で「コラール」が書き加えられた経緯にある。フルスコアに記載されたウイリアムズのコメントによれば、性格の異なる2つの楽曲の対比を表現するとの意図とのことだが、どうもそれだけではないようだ。
1976年に肺癌のため世を去ったウイリアムズは、その外科手術を受けたのちに、この「コラール」を書き加えたという。細かいことは詳らかでないが、どうも彼は自らの死期を認知していたようなのだ。
♪♪♪
前半の「カッチア」は実にウイリアムズらしく重厚で、エキサイティングな音楽である。金管群のファンファーレ風楽句に始まり、木管楽器の細かい音符による応答。
一瞬のG.P.を置いて、華々しいサウンドが開け、快速な主部に入る。確りとした足取りで音楽によるチェイス(Chase)が始まり、打楽器を活かしたダイナミックなコントラスト、Trb.のグリッサンドを効果的に使用した伴奏型、木管群に表れるリズミックな楽句などが印象的であり、いつものウイリアムズらしい手腕が発揮された、華麗な音楽が展開されていく。
やがて冒頭の楽句を拡大した幅広い音楽が現れ、それがだんだんと断片的になって「カッチア」は終結、チャイムの音が響いて「コラール」が始まる。対比的といえばそうとも言えるかもしれないが、正直やや唐突な印象である。「コラール」は金管楽器で高らかに奏され、性急なほどたちまち壮大なサウンドとなる。分厚い音塊が圧倒的であるが、それがすぅっと鎮まってFlute、Horn、コールアングレのソロを交え、柔らかで安寧な音楽が奏されていく。
しかし、である。不安げなコードに導かれ、突如早鐘のような心臓の鼓動のリズムが近づいてくる。そしてこのリズムとともに、壮大だがどこか悲痛なコラールが、緊張感を高める木管群のトリルを伴って、嵐のように押し寄せるのだ!
ここでは、ウイリアムズの尋常でない不安と畏れが感じられて仕方がない。早まる自分の鼓動を聞きながら、「俺は、今こうして生きている、生きているじゃないか!」というウイリアムズの悲壮な心の叫びが聞こえてくる -と言っては言い過ぎだろうか。
嵐は収まり、再び時間が止まったかのように穏やかな音楽が戻り、静かに曲は閉じられる。そこに一抹の切なさを感じ取ってしまうのは、単なる私の思い込みか・・・。
でも、私にはこの「コラール」に、ウイリアムズが安寧と救いを求めているような気がしてならないのだ。
♪♪♪
特に「カッチア」ではまだ若いウイリアムズの健在ぶりが、意欲が存分に感じられるだけに、「コラール」は一層切ない。
前稿で触れたがおそらく、この曲に接した弟子マクベスの衝撃は、ただならぬものではなかったかと推定する。異色の吹奏楽曲であるが、音楽自体も評価できる出来映えなので、もっと演奏されて良いと思う。
音源は以下をお薦めしたい。トム・オニールcond.
アーカンサス州立大学
ウインドアンサンブル
嵐のように押し寄せる「不安」の表現が見事。表現したい部分をクローズアップさせた構成の、感動的な演奏。ユージン・コーポロンcond.
ノース・テキサス・ウインドシンフォニー
やや淡々としているが、好演。輸入盤の中では入手しやすい音源でもある。加養 浩幸cond.
航空自衛隊航空中央音楽隊
待望の本邦国内盤音源。各部分の対比を効かせ、楽曲の備えた面白さを示した演奏。暗鬱さからくる精神的な深みは敢えて排したか。
ぜひ、マクベスの「カディッシュ」と併せて聴いていただきたい。
※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら
(Revised on 2009.3.22.)
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