【広告】ヤマハ吉祥寺吹奏楽団第27回定期演奏会
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The Puckish Poltergeist
C.サレルノ
(Christfer James Salerno 1968- )
非常にインパクトのある標題。1995年の全日本吹奏楽コンクールで東海第一高(当時)が演奏し広く知られたが、逆にそれっきりになってしまった感がある。
演奏時間5’30”程度の短い曲だが、音楽自体も大変ユニークなもの。万人受けする楽想ではないし、変拍子の嵐で演奏難度も高いことが、この曲をとっつき難いものにしているのだろう。しかし確たる個性があって興味深い作品であり、もっと演奏されてよいと思う。
♪♪♪
作曲者クリストファー・サレルノ(左画像)は、吹奏楽や管楽器アンサンブル(室内楽)に多くの作品を書いているアメリカの作曲家。ラドフォード大学でマーク・キャンプハウス(Mark Camphouse)に師事、この「いたずらなポルターガイスト」は1991年に作曲されたサレルノの代表作である。
ポルターガイスト(Poltergeist)とは、物品が宙を舞ったり、激しい物音がしたり、電灯の点滅や電話の着信などの機械的・電気的変化も起きたりする特異現象のこと。元々ドイツ語で”騒がしい霊”の意味。時には幽霊が目撃されたり、寒気が感じられることもあるという。
ポルターガイストは”ある特定の人物の周りで生じる”もので、”ある特定の場所に於いて生じる”ホーンティング”
(Haunting)とは異なるとされている。
※出典・参考:明治大学/石川幹人教授「超心理学講座」
「恐ろしさとコミカルさという対照的なものを同時に持ち合わせ、無茶苦茶に動き回るポルターガイスト。
”いたずらなポルターガイスト”は、そのいたずらを題材とした標題音楽である。
作曲者は、急速な拍子の変更や二重三重に重なり合うリズムパターン、コントラストを効かせた楽曲構造を駆使している。これによって、気味の悪い城の住人たち(ポルターガイスト)がさまざまな家具や台所用品を宙に浮かせて走り回り、またちょっとしたいたずらのつもりで少し変な叩く音を出したりするさまを、鮮烈に思い描かせる。」
-スコアにあるプログラム・ノートより
♪♪♪
いきなり激烈なシンコペーションのfff(冒頭画像参照)で始まる。家中の家具が浮き上がり、ダイナミックに飛び回っている感じであり、このポルターガイストのいたずらはのっけから実にキツい。
鋭い打ち込みを伴奏に、引き攣った表情で強烈なトリルが印象的なHornの主題が現われる。
全編に現れる変拍子のエキサイティングなリズムは非常にシビア!これだけでも高い緊張感を持っている。更にアクセントと強弱の対比、楽器間の応酬が加わって、音楽に異様な生命感が吹き込まれているのだ。Timp.をはじめとする打楽器群、そしてピアノは特に鋭い感性を要求されよう。
ポルターガイストのいたずらは時にユーモラス。諧謔味あふれるTrumpetのソロはその象徴である。![]()
しかし、それに騙されてはいけない。
一旦静かになって動きを止めた(G.P.)かと思うと、ポルターガイストはその恐ろしい本性を現す!充分にテンポを落とし、木管と打楽器のおどろおどろしいトリルをバックに、迫りくる恐怖を表す低音群の重厚なフレーズは、圧倒的な威圧感だ。
そこにチャイムの音が聴こえ、荘厳にコラール風の楽句が奏される。夜明けが近づき、漸くポルターガイストのいたずらも終わるのか-。
するとラチェットが鳴り響き、それを合図にポルターガイストは前にも増してスピードを上げ、家の中をめちゃくちゃにする。猛烈な最後のひと暴れだ。
最初の旋律がTrumpet+Hornで激しく再現('Bells Up'の指示!)され、さらにテンポを上げて一気にPrestoのエンディング。スリリングで鮮烈な印象を残し、曲を閉じる。
前半のポルターガイストの描写部分は、リピートして二度奏されるのだが、快速かつ、そしてリズム・音色・アクセント等のめまぐるしい変化で飽きさせることがない。なかなかにクールな楽曲といえよう。
♪♪♪
音源は、前述の全日本吹奏楽コンクールLive録音を除くと、本作の出版元
Neil A. Kjos のデモCD
(左画像/指揮者・演奏者特定不能)
しかない。
しかしこの音源、レベルが高い!鋭い感性でリズムやニュアンスを捉えた快演である。アクセントや強弱の対比など正確にスコアを再現しているし、終始スピード感のある音色も見事、デモ音源には珍しく実に満足の行く出来映えとなっている。
※Neil A. Kjos は自社の殆ど全ての出版譜について、HP上にそのデモ音源
を開放しているのだが、現在この曲については残念ながらデモ音源はアッ
プされていない。
♪♪♪
作曲者クリストファー・サレルノ氏が、自身のHPで本稿にリンクを貼って下さいました! → HPはこちら
"Checkout the analysis of The Puckish Poltergeist
on this Japanese Website ! Very cool !"
とのコメントをいただき、感無量です!海の向こうの作曲者ご本人から認めていただけるなんて、思ってもいませんでした…。
尚、同HPによれば Neil A. Kjos のデモは Westpoint Military Academy Band による1992年の演奏のようです。試聴音源もありますので、ぜひ彼のサイトを訪れて見て下さい!
(初出稿:2008.2.27. / 改訂追記:2009.12.9.)
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Trittico
I. Allegro maestoso II. Adagio III. Allegro marcato
V.ネリベル (Vacalav Nelhybel 1919-1996)
※冒頭画像 : ベルギー/アントウェルペン(アントワープ)のノートルダム大聖堂
”Trittico”とは普遍的に「三部作」を意味するものでもあるが、最も一般的にこの言葉が指すものは、キリスト教会に見られる「三連祭壇画」のことである。これは内容に関連性のある3枚のパネル(板絵)が組み合わさってできたもので、貴重な名作が数多く遺されている。キリスト教美術の初期から現れ、中世以降は祭壇画で最も標準的な形式となったとされ、題材としては祭壇に飾られるに相応しいもの -即ちイエス・キリストのエピソードを描いたものが多い。
サン・ジョヴェナーレ
三連祭壇画
Trittico di San Giovenale
1422年
マサッチオ
(Masaccio 1401-1428)
そうした「三連祭壇画」の中でも、最も有名なものとして
ルーベンス(Pieter Paul Rubens 1577-1640)の代表作「キリスト昇架」「キリスト降架」が挙げられる。
1610-1614年の間に続けて製作されたこの傑作は、ベルギー/アントウェルペン(アントワープ)のノートルダム大聖堂に所蔵(冒頭画像参照)されている。祭壇画に従来にはない劇的さや感情の豊かさといったものを示したと評される。
何より、児童文学の名作「フランダースの犬」において、主人公・ネロ少年が一目見たいと憧憬する絵として描かれていることで有名。
過酷で悲惨な運命を辿ったネロ少年だったが、最期にこの祭壇画を見るという夢だけは叶う。そして幸せな気持ちでパトラッシュと抱き合いつつ、ともに天に召されていくのである。
♪♪♪
ヴァーツラフ・ネリベル(左画像)が1963年に作曲した「トリティコ」(別表記:トリチコ)も、まさに音楽による”三連画”。
中央に配置された第2楽章の規模が大きく、それを取り巻く第1・3楽章がコンパクトなのも、三連祭壇画の構成と同一となっているのだ。
ネリベルの吹奏楽作品としては3作目と初期のものであり、当時のシンフォニックバンドの雄・ミシガン大学シンフォニーバンドとその指揮者ウィリアム・レヴェリ博士のために作曲された。
複雑で現代的な印象に惹きつけられる一方、実に堅固な骨格が通されており、随所に現れる独特のネリベル・サウンドとも相俟って、壮麗極まりない音楽を形成している。個性的な魅力に溢れた傑作である。
「第1楽章と第3楽章は幾つかの点で互いに関連性を持っており、曲の性格はいずれも輝かしく前進力に満ち、そして精力的なものである。
第1楽章の主要主題は第3楽章のクライマックスで再び登場するし、この2つの楽章においては、個々の楽器の使われ方に至るまでオーケストレーションも同一である。
第2楽章は荒れ狂う叙唱(レシタティーヴォ)と木管楽器の表情に富んだソロ、そしてこれらに区切りをつける金管低音と打楽器とによって描かれる、強力なコントラストの劇的な情景となっている。
この楽章の要は木管楽器群と金管低音群にあり、コルネットとトランペットはごく終盤に登場するに過ぎないが、そのフレーズは楽章を完結せしめる極めて熱情的なものだ。
その劇的性は、2セットのティンパニやピアノ、チェレスタにまで拡大された打楽器群の強力な使用により、さらに強調されている。」
(ネリベルによるプログラム・ノート)
♪♪♪
それでは楽章ごとに見ていこう。
I. Allegro maestoso
全合奏でズシリと楔を打ち込み、これにHornのファンファーレ風楽句が続いて曲はスタートする。旋律の断片が応酬される導入部を経て、きりりと引き締まったドラムの刻むリズムとともに主題がCor.+Trp.に現れるが、
これはHorn、そして金管低音へと繰り返され、聴くものの耳に「刷り込まれて」いく。
続いて、テンポを速めた展開部へ。パッセージはどれも極めてリズミックな譜割りであり、これがセクションごとに対峙的に演奏されていくので非常に現代的な印象を受けるが、それぞれがちゃんと「歌」になっているのが凄い。
実際に演奏してみると、決して単なるリズムの打ち込みではなく、ひとまとまりの楽句として「歌える」ものであることが判り、実に説得力がある。この「メロディアスな無機質」こそがネリベルの特長だと思う。
一旦テンポを緩め、Oboeソリに始まる木管アンサンブルのファンタジックな部分を挟むが、
ほどなく毅然とした表情に戻り、前進する生命感に満ちた強力な伴奏を従えて、主題が再提示される。この執拗な主題の繰り返しこそは、終楽章への伏線…。最後は重厚な足取りのコーダとなり、輝かしいサウンドを充満させて締めくくる。
II. Adagio
木管低音の凄みのあるアウフタクトに続き、2セットのティンパニをはじめとする打楽器アンサンブルに始まる。これがダイナミックに高揚すると、強烈な金管低音の楽句が切り込んでくる。
楽章を通じモダンな即興性を感じさせる楽想で進行するが、実はキッチリと設計された音楽である。密やかな緊張が木管楽器のアジテートな動きをきっかけに増幅されていくさまには興奮を禁じ得ないし、またこれに続きカデンツァ風のAlto、Tenor、Baritoneのサックスソロが次々と現れるのが印象深い。
終盤ではHornが吼えるレシタティーヴォと、
木管楽器の陰鬱な歌とが交互に現れコントラストを成し、ネリベルが自ら”熱情的”と称したTrp.の緊迫したフレーズにより、遂にクライマックスとなる。
そこからほどなく、終始黒々としたイメージだったこの楽章は、低音楽器と打楽器の一撃で断ち切られる。
III. Allegro marcato
Hornのグリッサンドに続き金管群の快速で華やかな響きに始まる。
これを受ける木管群にはネリベルらしい中空に浮いた、クリスタルなサウンドが宿っている。
快速さをそのままに、木管楽器にフガート風の旋律が現れると
次々に楽器が加わっていき、音勢と華やかさを増してゆく。ベル・アップ※したHorn(+Trp.)が第3楽章冒頭の主題を拡大して高らかに奏し、放射状に高揚していくさまは劇的極まりない。
※”Bells in the air”の指示がある
ブレイクに続いてめまぐるしく動き回る木管をバックに、4拍ごとに打ち込まれる金管群の8分音符のコード(81~85小節)は実にエキゾチック!こうした響きは、ネリベルの作品以外では聴くことができないものだ。
そして、金管低音に第1楽章の旋律が再現され、圧倒的な完結感をもたらすのである。
3打のティンパニ・ソロから後は、音楽は火の玉のようにエネルギーを発散しながら突き進み、興奮の坩堝と化していく。混み合ったようでいて各パートの動きは確りと噛み合っており、華麗で鮮やかな印象だけが残る。これもまたネリベルの真骨頂であろう。
最後は第1楽章と同様重厚なコーダとなり、ポリフォニックなコードが轟き昂まりきったその頂点で、全合奏によるC音ユニゾンが響きわたり、堂々の終幕を迎える。
♪♪♪
音源としては、
フレデリック・フェネルcond.
ダラス・ウインド・シンフォニー
が圧倒的!テンポや演出が極めて適切であり、非常にエキサイティングでダイナミック、コントラストに優れた演奏。
何より、プレイヤー一人ひとりの音、バンド・サウンドともに密度が高く、それがネリベルの音楽が要求するものを満たしているということ。聴き応えと爽快さとを備えた名演。
【その他の所有音源】
ウイリアム・バーツcond. ラトガース・ウインド・アンサンブル
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
ハリー・バスcond. キルヒハイム・ウンター・テック市民吹奏楽団
近藤 久敦cond. 尚美ウインド・オーケストラ
ティモシー・マーcond. セイント・オラフ吹奏楽団
※上画像:祭壇三連画をフィーチャーしたラトガースWE盤のCDジャケット
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Festal Scenes Jojoteki-"Matsuri"
伊藤 康英 (Yasuhide Ito 1960- )
「この曲を作曲しつつある日、私の友人から数年ぶりの手紙が届いた。それは上海からであった。突然東南アジアを放浪し始めたこの哲学的思索に耽りがちな友人は、
『…とまれ、長い航海を経て降りたった土地は、そこがどこであれ、金無垢の浄土に生けるものが、いっせいに花開いたように眼に映り、まさに人生は祭りですね。…』
と書き綴っていた。
民謡のにぎやかなモティーフの集まりであるこの作品に、私は一種の『祭』の縮図を見る思いがした。そして、聖と俗との混沌の中で、この『祭』は抒情性を極めるのであった。」
(作曲者コメント:出典/伊藤 康英HP)
♪♪♪
「津軽じょんがら三味線」「津軽ホーハイ節」「津軽あいや節」「弘前ねぷた(囃子)」の青森県民謡を使用し、祭りのもつエネルギッシュな興奮と日本的抒情とを、6'30"ほどのコンパクトな楽曲に見事完結させた作品。1986年に作曲され、伊藤 康英(左画像)の名を広く知らしめることとなった名曲である。
海上自衛隊大湊音楽隊(青森県)が地元民謡を素材にと委嘱した作品であるから、題材は全く日本的なものなのだが、作曲者は当時シェーンベルクの初期作品に凝っており、その影響を強く受けた作品であるという。
素材を単につなぎ合わせた”メドレー”ではなく、それを生かしながらオリジナリティを追求する-。そのため、全曲に亘り素材のモティーフを互いに関連づけ、場合によっては曲のキャラクターまで変貌させるというコンセプトなのだ。
「日本的な情緒を十二音技法※を使って表現する」ことで、日本の音楽を西洋の楽器編成に置き換えただけのレベルを超えた、真に”日本的な音楽”を目指すという明確な意図を持っていたのである。
※十二音技法 : 1オクターブの中に存在する12の異なった音(即ち半音階の
12音)のおのおのを、ある中心音に関係付けることなく、平等の位置を与え
つつ作曲を行う技法。無調音楽の一つの技法であって、組織的な無調性と
もいわれる。
(出典 : 「新音楽辞典」音楽之友社)
相反する西洋音楽と日本の音楽との接点を探っていた作曲者の音楽的興味は、後年”吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」”という、屈指の傑作に再び結実することとなり、また「北海変奏曲」「琉球幻想曲」といった作品へもつながっていく。
※参考・出典 :バンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」Vol.3
(1990年) 所載の伊藤 康英自身による楽曲解説
♪♪♪
題材となった青森県民謡を整理しておこう。
「津軽じょんがら三味線」
明治から大正、昭和の初期にかけて「ボサマ」と蔑まれた、そ
の日暮しの男盲芸人が、その日の糧を得るために一軒一軒
門付けをして、厳しい風雪や社会の差別に耐えながら、まさに
生きるために弾いた魂の曲。唄の伴奏曲ではなく独奏曲で、
曲調は切なく哀愁があり、リズムと間が大変難しい曲とされる。
原曲のほか旧節・中節・新節がある。
「津軽ホーハイ節」
津軽民謡中もっとも特異なものとされる。”ホーハエ(ホーハイ)”
は一種の囃子詞であるが、裏声を使うのが非常に特徴的。
婆の腰ア ホーハエ ホ-ハエ ホーハーエ
曲アがったナーエ 稲のホ 穂がみのる
盆踊り唄であるが、元々は共通の節に歌詞を即興で作りあい
歌いあう”歌垣”の唄とのこと。これは相手の歌う間に、新たな
歌詞を作り切れなかった方が負けというゲームなのである。
「津軽あいや節」
津軽領の港町で、船乗り相手の女が酒席で歌ってきたお座敷
唄で、全国の港町で流行した「ハイヤ節」の”ハイヤ”が”アイ
ヤ”へ訛化したもの。
「アイヤーナー」というたっぷりとした歌い出しと、後半の「ソレモ
ヨイヤ」というリフレインは、「ハイヤ節」と共通の構造とされる。
「弘前ねぷた(囃子)」
青森県の夏祭りとして有名な”ねぶた”の中でも”青森ねぶた”
と並び称される。江戸元禄期後半、七夕祭りの松明流しや精
霊流し、盆灯篭などから変化し華麗に発展したのが定説とさ
れる。厳しい暑さに見舞われる夏の農作業に襲ってくる睡魔を
払うための行事であり、”眠り流し”が転訛し”ねぶた(ねぷた)”
となったという。
組ねぶた(人形ねぶた)の多い青森ねぶたに対し、弘前ねぷた
は勇壮な正面の”鏡絵”と、裏側に妖艶な美女を描く”見送り絵”
からなる「扇ねぷた」が多いのが特徴の一つ。青森ねぶたは乱
舞する踊り手(ハネト)で賑わう豪華絢爛な”凱旋ねぶた”、弘前
ねぷたは勇壮華麗にして粛々と進む重厚な”出陣ねぷた”とも
されている。
したがって、囃子も弘前ねぷたは荘厳にして重々しく、より気品
に満ちたものであり、テンポが早く躍動感に溢れる青森ねぶたと
は対照を成すものである。
※出典・参考
「津軽三味線」 山本竹勇HP
「日本民謡集」 町田嘉章・浅野建二 著 (岩波クラシックス38)
「民謡手帖」 竹内 勉 著 (駸々堂出版)
「津軽五大民謡」 線翔庵HP
弘前市役所HP
弘前ねぷた西地区ねぷた親交会HP
これら民謡をフィーチャーして、作曲者が描いたのは「祭り」。作曲者が言及(冒頭コメント参照)した”聖と俗との混沌”こそは「祭り」の本質を端的に捉えた言葉であり、ここからも知的考察に基く作曲意図が感じられ、楽曲はそれを体現するものだ。
♪♪♪
冒頭、ベースラインとTimp.の保続音に続いて聴こえてくる「津軽じょんがら三味線」のモティーフからして新鮮な驚きがある。(冒頭画像)
吹奏楽の奏でる津軽三味線の世界…!私は自分の中に、日本人としての音楽的興奮が静かにではあるが確実に湧き起こるのを感じてしまうのだ。
この序奏部は、本来ユニゾンで奏されるあの津軽三味線の音楽を題材としながら、意図的にモティーフを二つ重ね合わせていくことをはじめとして、モティーフの展開・拡大や反進行楽句の活用など、西洋の作曲技法で料理したという。「あの三味線の雰囲気を(吹奏楽で)出すために、西洋の手法を使った。」という作曲者の狙い通りとなっている。
序奏部のクライマックスでは鮮烈なTrp.の3連符が大変印象的であるが、曲終盤の(というより全曲の)クライマックスでもこの楽句を用いて呼応させている。こうして楽曲全体の完結感をもたらすなど設計も実に周到だ。このTrp.の3連符に絡ませたTrb.の4分音符がまた効果的でおもしろく、序奏部の締め括りを引き立たせている。
G.P.の後、憂いの色を示すブリッジに続きFluteの涼やかな音色でいよいよくっきりと「津軽ホーハイ節」が現れる。
ここでは、幻想的な伴奏と透明感のあるソロによる涼やかな音楽となっている。
”ホーハイ、ホーハイ”とFluteが奏でるファルセットは、Euph.ソロによる「津軽あいや節」の伴奏へと姿を変えていく。この中間部では、元々2拍子の日本民謡を敢えて3拍子に置換える※ことで、西洋音楽への融合を図ったという。
※伊藤康英の解説より
「日本のリズムは2拍子が基本である。3拍子はほとんど見られない。『ながさき』
というコトバを日本人は『ながさき』と2拍子で読むが、外国人は『ながさーきー』
と3拍子で読む。」
Euph.ソロに伴奏を奏でていたFluteが合流し、文字通り抒情性を深めると、ダイナミックなアクセントに導かれた重厚なテュッティにより、さらに「津軽あいや節」は歌い上げられていく。このクライマックスはパーシー・グレインジャーの名作「リンカンシャーの花束」第2曲”ホークストウの農場”を彷彿とさせる現代的なサウンドで彩られ、洵に感動的である。
Fluteに帰ってきた「津軽ホーハイ節」で音楽は鎮まり、物悲しいFagottoソロが中間部を締めくくる。
そして密やかに始まる特徴的なリズムを従え、BassCl.の歌が聴こえてくる。遠くからぐんぐん近づき、遂には鮮明な姿を見せる「弘前ねぷた」の情景である…!
この囃子には、「弘前ねぷた」らしい荘重さが必要だ。BassTrb.の音色を効かせた低音部とねぷた太鼓や手平鉦、そして賑やかな笛の音がエキゾティックな興奮を伝えてくれる。この「ねぷた」囃子の高揚は強い印象を与えるが、曲中ではあくまで最後の”祭り”への導火線と位置づけるべきものであろう。
いよいよ、終結部のエキサイティングな”祭り”へとなだれこみ、音楽はひたすらに駆け抜けていく。冒頭の再現に始まり、烈しいリズムとスピード感、音圧とが渾然一体となって描くのは、まさに昂ぶる祭りの興奮だ!
烈火の如きTrp.の3連符フレーズと吼えるHorn、エキサイティングなリズムはまさに手に汗握るもの。
最後は全楽器の鋭い打ち込みを従えた、激烈で熱狂的なTimp.の乱れ打ちとなり、重厚に響きわたるD音ユニゾンの全合奏をバスドラムがズシリと締めて全曲を閉じる。
♪♪♪
音源は以下をお薦めしたい。
増井 信貴cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
構成感に優れ、各楽器間のバランスのよい、統一感のあるアンサンブルでソロも見事。色々な意味で非常に"cool"な演奏である。
汐澤 安彦cond.
東京シンフォニック・ウインドオーケストラ
スケールの大きな音楽の流れ。緻密さよりも骨太の熱狂にウエイトを置き、高潮する歌を堂々と聴かせる。音色の対比もクッキリした印象。
川邊 一彦cond.
海上自衛隊大湊音楽隊
「ねぷた」の生命感はさすが地元/委嘱者というべきか、独特のニュアンスを伝える。
また終盤のHornは最も”男前”な好演で、グリッサンドもGood!
【その他の所有音源】
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
武田 晃cond. 陸上自衛隊東北方面音楽隊
ユージン・コーポロンcond. ノーステキサス・ウインド・シンフォニー
♪♪♪
以上述べてきたように(そもそも題名からしてそうであるが)、「抒情的『祭』」は相反するもの同士の融合がテーマとなっている楽曲である。
張り巡らされた”知性”によって作られたこの楽曲が表現するものは”祭”…すなわち、”知性”とは相反する人間の根源にある本能に訴え、爆発するものを表現しようというのである。
”知性で表現される本能”
演奏する側もこの「相反の融合」の妙を示さなければならない!
楽曲自体もモティーフが縦横無尽に顔を出し、絡みあい、さまざまな仕掛けが用意されている。これらを理解・把握した上で、一方では熱狂と抒情の太いうねりを、がっしりと大掴みにせねばならないのだ。…これもまた「相反の融合」に違いない!
-ああ私はもう、無性にこの曲を演奏してみたくなっている。
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ここ数年、ネットオークションで欲しかったアナログレコードの音源をあれこれ落札・入手していたのですが、「入手しただけ」で放置を余儀なくされていました。
これらを聴くには「デジタル化」が必須なのですが、なかなか手間が掛かりますので…。
今年の夏休みには
絶対作業するぞ!
と決めていましたので、頑張りました。
この日のために、
往年の名機
DENON DP-80L
(アナログレコードプレーヤー)とフォノイコライザ(YAMAHA HA-5)もネットオークションで入手してあったのです!
これを非常に使い勝手の良いデジタルレコーダー
Roland/EDIROL R-09HRに接続して取り込み、PCへコンバート。
最後に音楽編集ソフト
”Sound it !”でトラック分割やノイズリダクションを施して音楽ファイルを仕上げ、iTunesに取り込めば完了です!
結構、いやかなり面倒クサイ…。
好きじゃなければ到底できないですね。アナログレコードというのは盤面のクリーニング、針先のクリーニングもこまめに行わなければなりませんし、スタビライザーなんかもセットして、振動を与えないように…とヒジョーに気を遣います。
こんな苦労も、今では入手不能な音源を求めてのこと。
久し振りに聴く音源、初めて聴く音源ばかりですから、ワクワクします♪
☆☆☆
それでは、本日デジタル化した音源の中から幾つか。
カール・フィッシャーの出版譜デモLPでしょう。カカヴァスの指揮による演奏はなかなか小気味良いもの。「式典のための音楽」(モリセイ)、「バンドロジー」「サンダークレスト」(オスタリング)、「交響的序曲」(カーター)といった佳曲の貴重な音源であり、カカヴァスやハーマンの小洒落た作品も収録されている、素敵な盤です。
久し振りに粗削りなるも若々しい
「スターフライト序曲」(ミッチェル)
を聴くことができました。
やはり、この曲はこの盤の演奏でないとね!
往年の名盤
「華麗なるロシアン・ブラス」!
ヴィクトル・バタショフの独奏による「トロンボーン協奏曲」(リムスキー=コルサコフ)の名演で有名。
いやー、聴いたのは中学生の時以来でした。
カンザス大学による
ジェームズ・バーンズ作品集。
「呪文とトッカータ」も、永らくこの演奏しか全曲版の録音がありませんでした。
決して飛び抜けて上手ではありませんが、バーンズ作品の素顔が見えるような演奏だと思います。
渡辺 浦人の「必勝祈願太鼓」、一度聴いてみたかったんですぅ!
汐澤 安彦cond. 東京音大シンフォニック・ウインド・アンサンブルの演奏で収録されています。
このほかにも、ロイヤル・マリーンズ・バンドによる「バンドロジー」とか、全国警察音楽隊演奏会での「台所用品による変奏曲」(ドン・ギリス)の音源とか…まだまださまざま貴重な録音がいっぱい聴けました。
(「台所用品- 」はやっぱり”観る”曲なので、聴いただけでは今一つあの愉快さが伝わってきませんでしたね。当たり前か…^^;)
☆☆☆
いやー、手間は掛かったけれど嬉しい再会や出遭いの連続でした!
またコツコツ音源を集めて、2-3年に1回はこんな感じで楽しみたいと思っております。
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Medieval Fresco
J.J.モリセイ
(John Jacob
Morrissey
1906-1993)
※左画像:
スクロヴェーニ礼拝堂
のフレスコ画
初級バンド、小編成バンドでも演奏可能で、演奏効果のあるレパートリーを提供し続けたジョン・モリセイ※の代表作。
華やかなファンファーレとどこか愛嬌のあるユーモラスな楽句、そしてそれとは対照的に哀愁を滲ませた旋律が彼の作品の特徴だが、この曲はまさにその典型である。
※おそらく実際には「モリセイ」という発音は不適切で、「モリッシー」あたりが適当
と思うが、永くこの表記が定着しているため、本稿でも「モリセイ」を採用している。
「式典のための音楽」「百年祭組曲」「皇帝への頌歌」といった作品でも知られるが、どれも”モリセイ・スタイル”とでもいうべき似通った曲想を持っている。録音が残されている中でやや違ったイメージを与えるのは「ヴィヴァ!メキシコ」くらいか。アレンジ作品としては「ジャングルドラム(レクオーナ)」、そして大変愛らしい「おもちゃの兵隊の行進(イエッセル)」が高名である。
モリセイはコロンビア大学で音楽教育の学位を修め、同大学で5年間教鞭を執った後、1938年から1968年に亘ってチュレーン大学(モリセイの出身地=ルイジアナ州ニューオリンズ)で音楽教育に携わる。
同大学バンドや管弦楽団の指揮者も務め、一貫して音楽教育の現場にいた彼は、作曲家生活20周年の節目に次のようなコメントを寄せている。
「今日では、アメリカの吹奏楽団のために作品を書くこと以上に有意義なことは思いつかない。吹奏楽に参加することで音楽を知り、音楽的な成長を得る-この国ではそうした学生たちが、小学校から中学・高校、そして大学に至るまで非常にたくさんいるのだから。
自分自身の経験を通じ、私は吹奏楽が柔軟性に富み、また質感と音色の多様さが無限な演奏形態だということを発見している。更に言えば、吹奏楽がその無類のポテンシャルを発揮したときには、多様に異なる好みを持つ聴衆に対し、直接的かつ強力にアピールできると信じている。
吹奏楽はアメリカの作曲家にとって、聴衆に雄弁で力強く語りかける機会を提供しているのだ。しかもそのアピールは、アメリカのみならず世界中の聴衆に対してのものなのである。」
※出典:チュレーン大学HP
モリセイは単純明快にしてよく鳴り、ごく若い世代でも容易に理解し演奏できることを念頭に楽曲を書いていた作曲家だけれども、「吹奏楽」という音楽ジャンルがもつ意義や役割は的確に認識していたし、「吹奏楽」に明確な期待を持っていたのだった。しかもそれは現在にも通ずる、実に普遍的で共感できるものだと思う。
コメントから感じられるモリセイの信念は強い。彼は作曲においても一貫したスタンスで、吹奏楽を通じて音楽に接する幅広い年代の人たちのために作品を提供し続けたのだ。
”ファンファーレ”を好んでフィーチャーするのも、「吹奏楽はこうでなくちゃ!」という信念によるものと思えてならない。
♪♪♪
「中世のフレスコ画」は必ずしも描写的な音楽ではないが、モリセイが目にした壁画からインスピレーションを得たことは事実だろう。
フレスコ画とは、砂と石灰を混ぜて作ったモルタルで壁を
塗り、その上に水だけで溶いた顔料で描画したもの。
濡れた石灰の上に水溶きの顔料を載せてやることで、顔料
を覆った石灰水は空気中の二酸化炭素と反応して透明な
結晶となる-これを利用して顔料をこの結晶に閉じ込め、
その美しさを保ち続けさせる手法である。
独特の画面の表情を持ち、石灰が作る結晶の中に顔料の
一粒一粒が閉じ込められるため、色が大変美しく耐久性に
も優れており、数千年単位の長期間に亘り、美しさを保つと
のことである。
※出典:フレスコ画の歴史と技法/壁画LABO GRAZIE HP
中世におけるフレスコ画の代表的なものとしては、ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)作による「フランチェスコ伝」(聖フランチェスコ大聖堂/13世紀末)や「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」(イタリア北部パドヴァ/14世紀)が挙げられよう。これ以外にもフレスコ画はキリスト教などの宗教画が非常に多い。
(上画像:ジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画)
♪♪♪
「中世のフレスコ画」は3つの部分から成っている。曲自体が3枚のフレスコ画といった感じだろうか。
華々しいファンファーレで幕を開けるのが、まさにモリセイらしい!
続く緩やかでノスタルジックな旋律がこれもモリセイの真骨頂である。
これを挟んで再びファンファーレが吹き鳴らされ、第一部を閉じる。
Fluteのたおやかな旋律に始まる第二部は、さらにノスタルジックな楽想となる。
さらに憂いを含めて存分に歌いあげると、やがて全曲を支配しているファンファーレのモチーフが遠くから聴こえ、音楽は一旦静まっていく。
再びTrp.に華々しいファンファーレが戻ってきてブレイク、いよいよ中世の舞曲風の第三部に入る。
Picc.の音色とシンプルなドラムのリズムが活かされて中世の雰囲気を強め、徐々に音楽は活気を増してゆき、Trp.が鮮やかに彩る堂々たるエンディングを迎える。
♪♪♪
音源はたった一つしかない。
兼田 敏cond.
東京佼成吹奏楽団
古い録音だが確りとした曲作りで、この曲の良さをストレートに伝えてくれる。今聴くと、とにかく懐かしい…。
現在、モリセイの遺した楽曲の多くは音源も乏しく、新たに楽譜を入手することも困難。中学生の頃にはコンクールでもしばしば耳にしたし、吹奏楽祭での演奏や合同練習会の練習曲としても慣れ親しんだ、愛すべきレパートリーなのでとても淋しい。思えばハロルド・ワルタースやポール・ヨーダー、フランク・コフィールドにジョセフ・オリヴァドゥティの作品も、多くが同様の状態である。
…所詮私の世代のノスタルジーに過ぎないのかもしれないが、これらの作品を完全に埋もれさせてしまうのは、どうにも惜しい気がしてならないのだ。
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KOSHI - An Ancient Festival
保科 洋
Hiroshi Hoshina (1936- )
※冒頭画像:古代祭祀遺跡で知られる「沖ノ島」 に祀られた浜津宮
「曲は題名が示すごとく、古い祀のイメージを作品にしたもので、厳かな祈りの部分に始まり、狂信的な踊りへと続く。一転して、艶やかな女性の踊りが始まり、儀式はたけなわとなる。やがて女性が退場し、又もや全員の踊りが始まる。踊りはますます激しさを増し、クライマックスへとなだれこむ。踊りつかれた人々は最後の祈りを捧げ、儀式は静かに終わる。
以上の様な想定のもとに、曲は進行して行く。
曲の性格上、音素材としては古い教会調を使用し、和音も比較的単純な和音を多用しているので、分かりやすい曲になっていると思う。」
(作曲者によるプログラム・ノートより)
1980年に自身の管弦楽曲「祀(まつり)」を吹奏楽に改編する形でこの「古祀」は誕生した。ヤマハ吹奏楽団(浜松)の創立20周年を記念して委嘱されたもので、ヤマハ吹奏楽団(浜松)は同年の全日本吹奏楽コンクール招待演奏で披露したほか、1984年には自由曲としても採上げ全国大会金賞を受賞している。
また、作曲・初演後直ちに秋山 和慶cond. 東京佼成ウインドオーケストラによる優れた録音が発売されたことが、楽曲自体の素晴らしさとともに相乗的に人気を高め、非常に多くのバンドで演奏されることとなった。
(尚、”演奏技術の進歩に合わせオーケストレーションを改訂”した「1998年改訂版」が存在する。)
♪♪♪
保科 洋(下画像)といえば「風紋」(1987年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)が圧倒的な人気を誇るが、1960年代から兼田 敏※とともに本邦吹奏楽界を代表する作曲家として非常に優れた作品を提供し、永く活躍を続けている。
※兼田 敏(1935-2002)とは非常に親密であり、兼田 敏の生前より予めお互いの
”葬送曲”を贈りあうほどであったというエピソードは有名。
兼田 敏が保科 洋に贈ったのが「嗚呼!」(…保科洋君!と続くらしい)であり、こ
れに応えて保科 洋が兼田 敏に贈ったのが「Lamentation to - 」とのことである。
「交響的断章」「カタストロフィー」「カプリス」「カンティレーナ」「愁映」など素晴らしい作品が多数上梓されており、「風紋」ばかりがクローズアップされるのが不思議なほどだ。
そして「古祀」こそは、それら保科作品の中でも、最高傑作の一つと云えるだろう。スケールの大きさ、判り易くも陳腐さがないという凄さ、そして完結感の充実ぶり…近時この曲の演奏機会が減少しているのも疑問に思えてしまう。
♪♪♪
作曲者は、自身が持つ”古い祀のイメージ”から生まれたこの作品の演奏について、
「各部分の対比、および各部分内での表現を、いかに曲名のようなイメージに合わせるか、が大切である。非常に抽象的な言い方であるが、この曲を演奏して何を表現したいのか、を明確に把握しておいて欲しいと思う。」
とコメントしている。
その「祀のイメージ」がどのようにもたらされたのか、或いはごく具体的に何の「祀」なのかを語った文献は見当たらない。ただ、未明から夜明けにかけての古代的祭祀であることは示されており、またごく日本的なものであると推定される。
そこで「日本の古代祭祀」について調べてみた。
”まつり”の原義について折口 信夫は、「神慮・神命の現れるまで
の心を守つ(まつ)」ことと述べている。”まつ”とは強く、焦心を示す
ほど期することだと…従って、”まつり”とは呪詞・詔旨を唱誦す
る儀式に始まったという。それが神意を具象するために呪詞の意
を体して奉仕し、更には神意の現実化したことを覆奏する(=祀る
・祭る)ように転じていったとしている。
【出典:「古代研究 I 祭りの発生」 折口 信夫 著/中央公論新社】
「古祀」には酒宴での女性の踊りも登場するが、古代祭祀と女性、
そして酒との関わりについてはどうだろうか?
基層信仰にみられる「女の霊力」は、その実態が男女の性的結
合の持つ根源的力への信仰に支えられた豊穣の祈りに他なら
ない、とされている。その祈りに欠かせない共同体レベルでの集団
の男女の(模擬的)性結合が、後の専業神職者の男女ペアの基礎
であるとの分析だ。
また常陸国風土記に記述された、”男女悉集”して行われる祀りの
場での飲食は「飲食物を供えて…神魂のいきわたった飲食物を
神のもとで共同飲食し、そして歌舞し、神を『賀』したもので
あり、…その延長の性的解放の場も神との一体化により、神の
持つ豊穣力を期待する予祝行事」であることが窺えるという。
また「酒」こそはまさに神と人との共食を具体的に媒介するもの
であり、それゆえに神事には酒が欠かせないのだ。
【出典:「日本古代の祭祀と女性」 義江 明子 著/吉川弘文館】
具体的な古代祭祀の遺跡としては、福岡県沖玄界灘に浮かぶ「沖
ノ島」があげられる。そこで執り行われた祭祀のうち、最も古い形
態は玄界灘を望む地にある巨岩の上に祭壇を置く、”岩上祭祀”で
あった。
人の魂も、動植物の魂も同次元に捉えて丁重に弔い、再生を
願う祈りがその儀礼の始まりという。祀られるものは死者の霊魂
ではなく神であり、その神とは常在するものでなく”降臨”するもの。
巫(めかんなぎ・女性)とか覡(おかんなぎ・男性)と呼ばれる宗教
者が”神懸り”して、その口から神の言葉を得るものであったという。
宗像大社の浜津宮が祀られたこの「沖ノ島」は現在でも女人
禁制、上陸にあたっては例外なく全裸で海に漬かる”禊”が必要
な、それ自体が聖域とされる島である。
「その身に抱えている俗世が、水に入ったその一瞬、たちまちにし
て反転する。身ひとつの個となって、何ものかに対して平等の
存在となってしまうのである。…なるほど、禊というものにはこうい
った効果があるのか。」
【出典:「宗像大社・古代祭祀の現風景」 正木 晃 著/日本放送出版協会】
※他の参考文献
「日本の神々の事典」/学研
「古代の神社と祭り」 三宅 和朗 著/吉川弘文館
以上のように研究文献に触れてみると、”古代祭祀”のイメージが膨らんでくる-。
同時に、「古祀」が描いた”古い祀のイメージ”も、必ずしも単に解明された史実を辿るものではなく、作曲者がもっと自由に想いを巡らせたものであることが判るであろう。
♪♪♪
楽曲は、明確な5つの部分から成る。
作曲者による解説※(「」)とともに、内容をご紹介する。
※佼成出版社 刊の原典版スコア、並びにBRAIN社発売のCD「風紋-
保科洋作品集」リーフレット所載の解説による。
また、楽曲の内容については佼成出版社刊の原典版をもとに記述。
第I部 ”祈り I ” (1-45小節)
「まだ薄暗い祭壇の前、民衆は祭壇への行列をしずしずと繰り返しながら、神への敬虔な祈りを捧げる。
-静かな祈りの部分である。この曲全体に言えることであるが、主旋律のフレーズの中心点が、そのフレーズの中で比較的低い音に与えられている。このようなフレーズは、一般的に内攻的※な、又は抑制されたパッション等の表現を意図しているが、この曲でも、そのような表現を意図している。」
※原文ママ:”内向的”が正しい可能性あり
密やかで深遠なオープニング。沈み込んでいく旋律に続いて登場する、玲瓏なFluteソロが大変印象的である。各楽器の応答により息の長いフレーズが奏でられ、祭祀の神聖さや敬虔な精神性が感じられる。
第II部 ”民衆の踊り I ”(46-103小節)
「祈り終わった民衆は野生的な踊りを始める。踊りの輪は徐々に膨らみ、熱狂的な全員舞踊に発展する。
-リズムが主体の部分であるから、タテのメリハリ、アクセント、テヌートとスタッカート、等、指示された記号を大切に扱って欲しい。」
10/8(2+3+2+3)や9/8(2+2+2+3)による変拍子のリズムが野性味豊かな曲調を演出する、エネルギッシュな音楽。瑞々しい響きのハーモニーを持つ弾けるような伴奏も素晴らしいし、激しいリズムの躍動と幅広いフレーズとがクロスオーバーしているのが面白い。途切れることのない緊張とスピード感が民衆の熱狂を見事に表現している。
しかしながら、リズムが甘くなると直ちに音楽は輝きを失う。その落差の大きさたるや…非常にシャープな演奏が求められる部分である。
第III部 ”巫女の踊り” (104-136小節)
「民衆の踊りが一段落すると艶やかな巫女がしずしずと現れ、幻想的な踊りを舞い始める。民衆は車座になって巫女の踊る様を目で追っている。
-音楽的な表現としては、この曲の中で、おそらく最も難しいのではないかと思う。楽譜には書き表せないようなテンポルバートが、この部分では不可欠である。このようなことは楽譜にも記入しなかったのだから、まして文字で書く気はないが、一つだけ、フレーズの終わりを大切に、余韻を丁寧に、ということに留意して欲しい。各部分のソロは音色を大切にしてよく歌って欲しい。」
緩やかで美しい女性の踊り。たおやかで清流のような煌きのある序奏に続き、コールアングレが落ち着いた美しさの旋律を、朗々と吟じる。そして、夢見るようなサウンドに包まれて、穢れなき女性の幻想的な踊りが自由自在に揺れながら続いていく…。
ClarinetとHornがソロで掛け合う部分などは、古代への郷愁を強く感じさせるものである。
第IV部 ”民衆の踊り II ”(137-176小節)
「巫女が祭壇から姿を消すと、再び民衆は踊り始める。踊りは前にも増して陶酔状態となり興奮の極致に至る。
-導入部と終わりは全曲のクライマックスを持つ部分である。最初の導入は非常に難しいが、いつ入ったか分からないような感じで急速に盛り上がっていくように。その後は第II部と同じだが、途中から踊りはより狂信的になり、より激しく、盛り上がって、クライマックスへと突入していく。そのため、あまり落ち着いた演奏より、熱っぽい盛り上がりが適しているように思う。」
遠く消えていった女性の踊りに続き、民衆のざわめきが始まる。急激に高揚したところでTrb.の鮮烈なグリッサンドが咆哮し、野生が呼び返されて再び全員の踊りとなる。
増嵩した熱狂は華々しい金管の楽句と、激しく下降していくパッセージの応酬で雄大な楽想となり、Horn(+Sax)が高らかに祀りの最高潮を告げる。
第V部 ”祈り II ”(177-最終小節)
「踊り疲れた民衆は再度祭壇の前に集まり、祈りを捧げながら三々五々散っていく。朝日が漸く昇り始める。
-この部分の冒頭は全曲のクライマックスを形成するが、177小節がクライマックスではなく、177-184小節全体がクライマックスであることを忘れないように。あとは、第I部と同じ静かな祈りの部分が続く。205小節以降はコーダであるが、全体への回想と全曲の余韻を大切に、特に最後の金管のコラールは丁寧さが欲しい。」
打楽器と低音による、劇的な長いクレッシェンドに導かれ、全合奏で”祈り”が唱えられる。重厚なサウンドにより、単なる華々しさとは異なる高揚を示す実にスケールの大きな音楽である。
徐々に収まると、敬虔さに溢れる金管のコラールがしみじみと響きわたって祀りの余韻を湛えつつ、やがて音楽は遠く彼方へ消えていく。
♪♪♪
音源は以下の通り。
秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
圧倒的な名演。緊張と優美、躍動が全て高次元でシャープな演奏。5つの部分の対比を活かしながらも、違和感ない全曲の纏まり。
木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
1998年改訂版を収録。
第IV部最後のベースライン変更が特に印象的。
【他の所有音源】
原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団(浜松)
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Alvamar Overture
J.C.バーンズ
(James Charles
Barnes 1949- )
本邦吹奏楽界で最大の人気曲の一つであるが、有名かつちょっと変わったエピソードを持つ。
作曲者ジェームズ・バーンズが日本においてこの曲の演奏を聴くたびに、「テンポが速すぎる!」と驚きと嘆きを繰り返すことになった、というのだ。
なぜそんなことになったのか、というと理由は明白である。
「アルヴァマー序曲」が日本に紹介されたのは、CBSソニーから「吹奏楽コンクール自由曲集’82」というLP(冒頭画像)の発売によってであった。
(このアルバムは「春の猟犬」「第3組曲」(A.リード)、「インヴィクタ序曲」(J.スウェアリンジェン)、フォール・リヴァー序曲(R.シェルドン)といった名曲を多数同時収録し、演奏自体も屈指のレベルという名盤なのだ。)
そして、このアルバムに収録された
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏した「アルヴァマー序曲」のテンポこそが、鬼のように速いのである!
冒頭(Allegro Vivo)、バーンズの指定テンポはM.M.=132。これに対し、その演奏はM.M.=160前後というの快速さ!新曲の情報はCBSソニーのレコードだけが頼みだった時代でもあり、この演奏は何の違和感もなく受容れられた。
それどころか、その”快速さ”は楽曲のエネルギーを格段に高め、コントラストを鮮烈に描いてカッコイイことこの上なく、日本の吹奏楽ファンをあっという間に席捲してしまった。「アルヴァマー序曲」とはこういう快速な曲だ、と完全にイメージが出来上がってしまったのだ。これは、作曲者バーンズが想像もし得なかった事態と云えよう。
かくして、「アルヴァマー序曲」は日本で完全に独り歩きし、”バーンズ=アルヴァマー”と、彼の代名詞として受け取られたほどの人気となった。
だから、彼の名作「呪文とトッカータ」が登場した時には、「へぇーっ、バーンズってこんなシリアスで先進的な曲も書く人なんだー。」などと、今思えばお門違いな感慨を持たれた方が、私以外にも多くいらしたのではないだろうか?
そして、日本中の吹奏楽ファンに刷り込まれたこの
”汐澤快速アルヴァマー”
は、多くのバンドを”ハメる”ことにもなった。あの快速さに憧れ”ぶっ飛ばした”バンドは、その多くが終盤のポリリズムで爆死することにもなったのである。^^)
それでも悔いなし、と思えるほど、”快速アルヴァマー”はカッコ良かった!「あんな風に演奏したい」と思わせるだけの抗し難い魅力が、確かに存在するのだ。
バーンズに対しては些か失礼な話だが、あの快速演奏がなかったら「アルヴァマー序曲」はここまでの人気曲になり得ただろうか?
その意味でも”汐澤快速アルヴァマー”はアリだし、改めてBRAVO!の歓声を贈りたいと思う。
♪♪♪
(以下の楽曲内容についても”汐澤快速アルヴァマー”のイメージに基いて述べる。)
「アルヴァマー序曲」は1981年の委嘱初演。題名はバーンズの住むカンザス州にあるゴルフ場※の名前なんだとか。標題音楽の要素はあまりなさそうだ。
※ Alvamar Country Club : HPはこちら
急-緩-急の典型的な序曲形式。親しみやすい旋律と、モダンなリズム・サウンドを持っており、それが人気の源であろう。
快活な序奏部に続いて、Tromboneの8分音符シンコペーションによる伴奏が、流麗な第一主題を導き出す。
(この伴奏がハーモニーとリズムを延々と支え続けるため、Trombone奏者は前半で著しくスタミナを失うのであった。^^)
これを受けたTrp.の第二主題は2拍3連符が印象的で、仄かな憂愁が込められている。
快速部では、大きなフレーズの2つの旋律とリズミックな伴奏との対比が、楽曲の魅力を途切れさせることなく推進していくのである。
密やかに始まって徐々に緊迫を解き放ち、ついには豊かなサウンドを轟かせるブリッジを経て、ロマンティックな中間部となる。ここでは実に美しく、暖かい旋律が聴かれる。
それが各楽器の音色を活かして受継がれて行き、やがて大きく押し寄せる波のように、高揚して聴くものの心を攫うのだ。
パーカッションのリズムがどんどん近づいてきて、コンパクトな再現部。そして全曲のクライマックスであるポリリズムへ!
ここでは快活に、そして目まぐるしく動き回る木管群をバックに、中間部の旋律が高らかに奏される。
途切れないスピード感・緊迫感と、スケールの大きな旋律が渾然一体となった、感動的なクライマックスだ。
ファンファーレ風の楽句に続き、木管群のリズミックな伴奏とともにコーダに突入、鮮烈なサウンドの輝きに包まれて全曲を終う。
♪♪♪
音源は以下2つを対比的にお聴きいただきたい。
汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
これが伝説の”汐澤快速”!大胆に、そして鮮やかにぶっ飛ばす必聴の演奏には、理屈抜きに感じる快感があるだろう。
演奏から発散される音楽のエネルギーが凄いし、中間部の作りも丁寧。
[演奏時間:6’45”]
ジェームズ・バーンズcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
作曲者自作自演、作曲者意図本来のテンポ(指定より遅め?)で演奏される演奏。受けるイメージの違いが大変興味深い。
[演奏時間:8’30”]
【他の所有音源】
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
WARNER BROS.社 デモンストレーションCD(演奏者不明)
おけいはんウインドオーケストラ (指揮者不明)
♪♪♪
作曲者の意図を確りと汲み取り、基本を楽譜に忠実なスタンスに置く-その上でセンスよく演出、ニュアンスを加えていくのが、演奏者としての王道なのは当然だ。
しかし、大胆な解釈が思いがけない音楽の魅力を覚醒させることもある。”汐澤快速アルヴァマー”はそれが成功した稀有な例である。高いセンスと的確な判断が必要で、誰にでもできるものではない。
作曲者バーンズの嘆きは真摯に受け止めるとして、「まあ、これはこれでいいじゃないですか。」と申上げるほかない-と私は思う。
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Pageantry Overture
J.エドモンソン
(John Edmondson 1933- )
1970年の出版、CBSソニーによる「吹奏楽コンクール自由曲集」の第1弾”ダイナミック・バンド・コンサート”Vol.1(冒頭画像)に収録、紹介されたことから、1970年代には非常に数多く演奏された作品である。
別邦題「ページェントリー序曲」。
作曲者ジョン・エドモンソンはフロリダ大学を卒業後、ケンタッキー大学で作曲を修めた人物で、プロ・トランペット奏者としてのキャリアも持つ。母校ケンタッキー大学の”ワイルドキャッツ・マーチング・バンド”のスタッフ・アレンジャーを務めていたことからマーチングの分野にも明るく、ポップスのジャンルも含めコンサートバンド・マーチングバンドの双方に、多くの作編曲作品を提供している。
♪♪♪
「壮麗なる序曲」は判りやすい構成と美しく親しみやすい旋律を持ち、技術的にも易しい作品でありながら、同時にモダンな響きも有していることが、その人気の理由であっただろう。洵に愛すべき小品である。
短い序奏に続き、Trp.が全曲を支配する主題を提示する。
この旋律がさまざまな楽器に受け継がれていく楽曲であるが、終始しっとりとして抒情的な印象である。Allegroで始まった楽曲が、Meno mossoとなって幅広く、暖かく歌われるとその抒情性が一層際立ってくる。
木管のトリルでテンポと快活さを取戻してAllegroを再奏したのち、さらにロマンチックな3/4拍子・Moderatoの中間部となる。
木管群の歌うこの美しい旋律は、明らかにサティの「ジムノペディ第1番」の影響を受けたものであるが、とても幻想的で味わいがあり、この雰囲気を吹奏楽に持ち込もうとした作曲者の意図がよく伝わってくる。
素敵な旋律を、ちょっと気のきいた伴奏とサウンドで聴かせるこの曲は、古くささとは無縁の普遍的な魅力があると云えよう。
Trb.が堂々と中間部の旋律を提示してブレイク、カノン風の主題応答と打楽器のソリが交互に現れて快活さを取戻す。
そして音楽はさらにスケールを拡げてゆき、エキゾティックなハーモニーによってモダンなアクセントが加えられ、雄大さを増したクライマックスとなって終結へ向かう。
♪♪♪
音源は
飯吉 靖彦(汐澤 安彦)cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
発音にやや荒さが感じられる部分もあるが、この曲の良さを確りと押さえた演奏である。
また、他の音源を聴いてもそれぞれに個性がありながら、いずれもしっとりとよく歌う演奏となっている。楽曲に”歌心”が備わっているのだと思う。
【他の所有音源】
山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら
♪♪♪
演奏Grade2.5という平易さながら、この曲には確かな魅力がある。当時の演奏機会の多さはその証明であろう。
やはり、”いい旋律”のある曲は強い-
つくづくそう思わされる。
難易度はもちろんのこと、手法が保守的あるいは前衛的だとか、内容が単純か複雑かとか、そんなことを超越して力のある音楽には確りと作られた旋律が存在する。何といっても音楽の魅力の最大要素は、旋律なのである。
(Revised on 2009.6.18.)
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Forever Holding Close the Memories
R.L.ソーシード
(Richard L. Saucedo 生年不詳)
大切な人を亡くしてしまった-。
その悲しみと喪失感に、音楽に救いを求めiPodのホイールを回し続けた私の目に偶然飛び込んできたのがこの標題であった。
”Forever Holding Close the Memories”
…早世されたその人のことは、悼んでも悼みきれない。無念さ以外何も感じられぬ、残された私たちはこの事実をどう捉えたらいいのだろうか。今、一体何を考えたらいいのだろうか。悲しみをどう整理したらいいのだろうか。
せめて、もっともっと会っておけばよかった。…今となって、何ができるというのだろうか-。
そんな混乱した私の心に、この標題は優しく、すぅーっと語りかけてきたのである。
-そうだ、その通りだ。彼との想い出をぎゅうっと、ぎゅうっと大切に抱きしめるしか…それしかないじゃないか。永遠に、決して離さないように抱きしめていくしか…。
そして、その音楽は私に大きな共感をもたらした。
美しく感傷に溢れているのに、さりげない。旋律やサウンドはモダンなのに決して軽くない。作曲者の深い、永遠を誓う思いが確りと感じられる。
静かで穏かであればあるほどに、また高揚がどこか抑制されたものであるが故に、却ってその思いの強さがわかるのだ。
つくづく、音楽って素晴らしいと思う。言葉にすれば却って空しくなることも、こうした高次元の精神性に昇華することができる。言葉で語れないものがあるから、音楽があるのだろう。
この曲は決して”大レクイエム”ではない。しかし今を生きる我々が、現代の感覚の中で真心を尽くすとしたら-そんな真摯な思いが込められた音楽であることは間違いない。だから、さりげなくても深く共感できるのだ。
▼▼▼
この曲にソーシードの如何なる意図が込められているのか、詳細は判らなかった。ただ、”Composed as a celebration of life in memory of a beloved teacher,…”との楽曲紹介があったので、もしかしたら、今回の私の経験と重なるものがあるのかもしれないと思っていた。
今、フルスコアが手許に届き、ソーシードの記したプログラム・ノートを読む。…果たしてそうであった。
この曲は、自動車事故によって夭折した、ある高校教師に捧げられた曲だったのである。亡くなった彼は、その高校のバンドでアシスタント・ディレクターを務めていた。
彼の教え子たちから手紙を受け取ったソーシードは、子供たちにとって良い教師が如何に大切なものであるか、そして人生が如何に貴重なものであるかということを、再認識したという。
「曲中に使用された不協和音には、喘鳴音では決してなく、”苦悶”を感じさせる響きを」「メロディ・ラインは終わりまでたっぷりと、絶対に急がないで」「リタルダンドは充分な時間をかけて、”自由”を感じて」
と、ソーシードの演奏指示はとても感傷的だ。
「作品中、たとえ一番大きな音のする瞬間であっても、常に音質をコントロールし、音程を確りと定めてほしい」
とのことである。”どうか大切に演奏してほしい”という強い願いが伝わってくるではないか。
音源は出版元 Hal Leonard のデモ音源がある。
CDも発売されている(左画像)が、同社のサイトでも全曲を聴くことができるので、ぜひお聴きいただければと思う。
作曲者リチャード・ソーシードはモダンでハイセンスな作品を次々と送り出しており、また”To This Heartbeat There Is No End”など思いの込められたユニークな標題作品があることで知られている。
▼▼▼
故人は高名な「銘酒処」の経営者にして、日本酒のオーソリティだった。
(2009年5月逝去 享年52才…)
仕事を通じて出遭ったわけだが、そんなものは遥かに超えた、20年来のお付き合いだった。幾晩幾度酒を酌み交わし、語り合っただろうか。美味い酒だけでなく、そもそも「酒を飲むこと」の意味を教えてくれた。旅行にご一緒したり、ともにコンサートに出掛けたりも…何より無鉄砲で世間知らずの若造だった私にとって、何でも話すことができる頼りになる兄貴分であり、その後もずっと人生における精神的支柱だった。
諭してくれた「みんな同じ人間なんですよ。」という教えは、これからも絶対に忘れない。
その店に行けば彼がいてくれて、いつでも私は自分を取り戻せる-そう思っていたし、しかもそれはずーっと変わらない、と信じきってしまっていた…。
亡くなられる直前、最後にお会いした時には「一緒に酒飲んで、話をするあの愉しさは何物にも代えられないじゃない?もう(店を閉めるので、それを提供する)宴会はしてもらえなくなっちゃったけど…。」と本当に残念そうで…想いがわかるだけに、私は言いようもなく哀しかった。
そして病室から暇乞いをする時には、「ありがとう。こんなにいい付き合いができるとは思わなかったよ。ありがとう。」って、元気な頃のちょっとはにかんだあの表情に戻って手を握り締めてくれたのだ。
今もあの声、感触がよみがえってしまう…。
周治さん、どうか、どうか安らかに。
僕はあなたとの想い出を、ずっーと、大切に抱きしめていきます。
本当にありがとうございました…。
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With Heart and Voice
D.R.ギリングハム
(David R. Gillingham
1947- )
デヴィッド・ギリングハム(冒頭画像)は「黙示録による幻想」「創世記」の2つの交響曲、「エアロダイナミクス」「ギャラクティック・エンパイア」などで知られ、今や吹奏楽界で最も人気のあるアメリカの作曲家。ダイナミックなサウンドと、現代感覚のある曲想がその魅力である。
「ベトナムの回顧」「アンド・キャン・イット・ビー?」「目覚める天使たち」といった時事問題をテーマにしたシリアスな作品もあるが、これらを含めた多くが標題音楽であり、内容がインスピレーションの対象に直結しているという”判りやすさ”も、人気を集めている要因だろう。
本稿で採り上げる「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」(2000年)も標題音楽の例外でなく、かつ祝典音楽としての”華やぎ”も有していることから、ギリングハム作品の中でも際立って人気が高い。
2003年全日本吹奏楽コンクールでは樽町中と広島大がこの曲を採り上げて見事金賞を受賞、人気は一気にブレイクした。
♪♪♪
「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」は、ミネソタ州のアップル・ヴァレー高校の創立25周年を記念してギリングハムへ委嘱された作品。
ギリングハムは同校を訪問した際にその芸術への傾倒ぶりに感銘を受け、大きなインスピレーションを得たとのことである。加えて同校の校歌がギリングハムが特に好んだ聖歌("Come Christians, Join to Sing")と同一であったことに、運命を感じたという。
かくしてギリングハムは委嘱を快諾し、
"Come Christians, Join to Sing"の主題をフィーチャーした楽曲を完成、創立時の不安から学校としての使命への傾倒、そしてその使命を忘れることなく達成へと進む同校の未来を描いて、アップル・ヴァレー高校を祝うものとしたのである。
「聖歌”Come Christians, Join to Sing”の最初の一節には”Let all, with heart and voice, before his throne rejoice”というくだりがあり、これに基いて標題は”With Heart and Voice”となった。素晴らしいアップル・ヴァレー高校の25年間を祝福するに、我々の「心」と「声」を以ってするに勝ることはあるまい。ここでの「声」とは音楽であり、そして「心」とは祝典において音楽が与えてくれる感動のことである。」
(ギリングハムのコメント)
♪♪♪
「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」にフィーチャーされた聖歌
”Come Christians, Join to Sing”(来たれ教徒よ、ともに歌わん)
は古くからスペインに伝承されていた旋律とのことだが、これは元々”Come Children, Join to Sing”という題名で、子供たちの日曜学校の歌であった。これを現在の歌詞の作者であるC.H.ベイトマン(Christian H. Bateman)が「この聖歌があらゆる人々に愛唱されるように」と改めたものである。ベイトマンによる作詞は1843年で、スコットランドにおける子供向けの聖歌集に初出している。
歌詞の各連に現れる「アレルヤ(Alleluia)」「アーメン(Amen)」という言葉は
意味深い聖書用語とされる。
「アレルヤ」は英語の「ハレルヤ」と同義のラテン語で”主を讃えよ”を意味す
るもの。一方、祈りの締めくくりとなることが多い「アーメン」は”真実””確信を
もって””そうあれかし”といったことを意味するもの。
従って、讃美の「アレルヤ」と喜びを確信する「アーメン」とを組み合わせた歌
詞を持つこの聖歌は、主キリストを讃える音楽で満たされている。現在、そし
て今後永久に主への讃歌を歌おう、とキリスト教徒に呼びかけるものであり、
老若男女を問わず全ての人々に受容れられる聖歌と位置づけられている。
※出典:The Center for Church Music
♪♪♪
楽曲としては、
1. アップル・ヴァレー高校の校歌でもある聖歌
”Come Christians, Join to Sing”の主題
2. 同高校の芸術への傾倒(commitment)という
”使命”(mission)を表すオリジナルの主題
の2つの旋律を用いたコラージュというべき作品。
密やかで緊張感の高い導入部に始まり、美しくたおやかな歌があり、荘厳で輝かしい歌があり、激しい打楽器群の鳴動があり、16ビートの現代的でエネルギッシュな場面もある。そして変拍子でアクセントをつけたかと思うと、2つの旋律が一つになって高揚するクライマックス!
最後は快速・迫力・華麗を備えた終結部と、極めて多彩な楽曲となっている。
一方、ギリングハムのオリジナルである”使命の主題”は”聖歌”からの派生的なものであり、当初から”聖歌”と一つとなって歌われることが想定されていただろう。楽曲の設計と作曲意図が非常に明確であり、2つの主題が密接な関係を有していることが、全曲に亘り統一感を与えている。
以上のように、約9分弱の音楽の中で”多彩さ”と”統一感”とが見事に両立しているものであり、ギリングハムの最高傑作の一つと評価できよう。
詳細は、ギリングハム自身の解説(「」)に沿ってご紹介する。
「曲のもつ性格としてはまずもって祝典の楽曲なのだが、この曲は遠慮がち且つ不安気に始まる。おそらくアップル・ヴァレー高校の創立時がそうだったように…。
同校の校歌の小さな断片が冒頭に聴こえてきて、この最初の4音が徐々に勢いを増し、重なり合い、音量を増して、導入部は劇的なクライマックスを迎える。」
「これが静まって、抒情的なFluteソロが現れる。この新要素は、優れた学園たることと芸術への傾倒とに根ざしていくべく創立されたアップル・ヴァレー高校の”使命”のユニークさを表現するものだ。」
「EuphoniumがFluteに谺し、ほどなく他の楽器も加わってきて、劇的なファンファーレとともに高揚していく。」
「次いで、不協和音と活発なリズムを伴った移行部となるが、これこそは新設校に命を吹き込もうとした挑戦を示すもの。さらに校歌(聖歌)が輝かしく提示され、25年前のアップル・ヴァレー高校の献身を表している。」
「目まぐるしい打楽器群の動きをバックに展開するフーガは、同校の目標ならびに使命に対する、たゆみない挑戦そのものである。熱狂的であり、鬼気迫らんばかりに昂ぶるが、それもやがて落ち着いてゆく。
”校歌の旋律”と
”使命の旋律”とが一つになって大いなる安寧を描写するのだ。」
「…アップル・ヴァレー高校は存立し続けるために、自らの”使命”を決して忘れてはならないのである。
拡張された終結部では、陽気で楽しげに、そして劇的さをもった祝典のムードに溢れて2つの主題が奏され、全曲を締めくくる。」
それまで自由に、さまざまな表情を見せていた音楽が、2つの主題の一体となったクライマックスへ集約していくさまは(ある意味”お約束”とはいえ)、洵に感動的!
そして終結部に現れる金管群の重厚で輝かしいサウンドや、鮮烈なドラ(Tam-tam)の響きは理屈抜きにエキサイティングであり、熱情的なエンディングに心躍らされる。
尚、全編に亘りさまざまな打楽器群※が登場し、その演奏には優れた音色・精密さと積極的な表現が求められる。優秀なパーカッション・パートの存在が好演の前提となることは、疑いないだろう。
※ timpani, crotales(antique cymbals), xylophone, temple blocks,
bells, crash cymbal, tam-tam, vibraphone, chimes, hi-hat,
snare drum, tom-toms, bass drum, brake drum,
suspended cymbal, marimba
音源としては
ユージン・コーポロンcond.
昭和ウインド・シンフォニー
のLive録音が素晴らしい出来映え。
積極的でメリハリのある表現は、個々のプレイヤーの自発性の高さゆえ。全曲をよく見透した構成力のある演奏であり、ここぞという場面で開華する鮮やかなサウンドも見事!
【他の所有音源】
デヴィッド・ギリングハムcond. フィルハーモニックウインズ大阪 [Live/自作自演]
デニス・フィッシャーcond. ノーステキサス大学シンフォニックバンド
井上 道義cond. 大阪市音楽団 [Live]
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Jubirate
R.E.ジェイガー
(Robert E. Jager 1939- )
ふと無意識に出てしまう口笛や鼻歌-それは人それぞれに違っていると思うが、私の場合は相当の確率で冒頭譜例のフレーズが現れる。1978年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲A「ジュビラーテ」練習番号Eのピッコロ・ソロ(A.Sax.とのソリ)である。
-何で「ジュビラーテ」?自分でも判然としない…。
♪♪♪
1978年の吹奏楽コンクール課題曲は
A ジュビラーテ (R.E.ジェイガー)
B カント (W.F.マクベス)
C ポップス変奏曲「かぞえうた」 (岩井 直溥)
D 行進曲「砂丘の曙」 (上岡 洋一)
であり、私が演奏したのは「かぞえうた」。コンクールの想い出が「ジュビラーテ」にあるわけではない。
吹連は40周年記念事業として、この年の課題曲をジェイガー、マクベスという二大巨匠に委嘱していた。ところが、マクベスは日本のコンクールを当時のアメリカのコンクール(初見演奏審査が中心と聞いた)と同様と想定してしまったようだ。そのためか、全国大会で「カント」を演奏したバンドはなし、という結果になってしまった。
また、前年の課題曲D=行進曲(「若人の心」)がBの部以下を対象としていたことから、1978年も「課題曲DはAの部では使えない」という思い込みがかなりの広範囲で発生していたと思う。大分県予選では選択したバンドはゼロ、西部(現九州)大会でも「砂丘の曙」を選んでいたのは全部門で石田中(沖縄)だけだったと記憶している。
ただ、石田中は「砂丘の曙」を”行進曲の枠組を超えて”歌いまくり、自由曲も伝説の名演となった「パッサカリア」を揃えて全国大会に進む。そして、金賞までも射止めてしまったのだが…。
そのような1978年課題曲の中で、「ジュビラーテ」が圧倒的な支持を集めていたことは間違いない。旋律はどれも魅力に溢れており、それがこの短い作品の中で次々に繰り出されて聴くものを惹きつけるのだ。自由曲もジェイガー作品で揃えるバンドもあり、”ジェイガー大好き”な私は羨ましくて仕方がなかった。
思えば、冒頭譜例のフレーズが私に刷り込まれたのも、そんな渇望ゆえだったのだろうか…。
♪♪♪
ロバート・ジェイガーは自作の特に緩舒部分が日本人に大変人気があることを知っており、「ジュビラーテ」を書くにあたってもこの”期待”に応えようとしたとのことである。そして、まさにその期待通りの作品となっている。
ジェイガー自身が解説したように、冒頭はホルストの「木星」(組曲「惑星」第4曲)にインスピレーションを得たもので、最初の主題提示もHorn(+ Sax)で行われる。
急-緩-急の典型的な序曲形式であり、表題は”歓喜の小楽曲”といったニュアンスか。吹連の40周年を祝う意図もあったであろう。
「木星」よろしくシンコペーションを効かせた主題の展開が特徴的。後年この「ジュビラーテ」を演奏した際、トレーナーの方から「シンコペーションは音を抜かないで(=音の保持を充分に)!じゃないとリズムやテンポが判らなくなる。」と指導され、なるほどと得心したものである。
視界が開けて、Clarinet低音に現れる歌は実に幅広く暖かい。
続いておどけたような木管セクションの応酬がある(冒頭譜例もその中のワンフレーズ)が、突如目覚めてエキサイティングさを取戻し、あっという間にクライマックスへ!
熱を冷ますようにTubaに導かれて音量とテンポを鎮め、Cantabile となる。ひらりひらりと舞うようなFluteの伴奏にのって、再び優美な旋律をClarinetが歌う。
この中間部はロマンティックで、何より幻想的である。高揚した旋律に絡んでくるEuph.(+ Sax)の対旋律がまた素晴らしい!
(実は私、主旋律よりこの対旋律の方が好みである♪しかも…音色はEuph.だけでいい!)
Hornのソロがますます幻想性を深めたのに続き、中間部冒頭が戻ってきてAllegro con brio の再現部へ。旋律が大きなうねりのようにセクション間を受け渡されて循環し昂ぶるさまが聴きもの。最後は短いコーダに突入し、スネアのリムショットとベル・トーンで鮮やかなエンディングとなる。
♪♪♪
課題曲としての役目を終えて「ジュビラーテ」は改訂※され、Southern Music Companyより出版された。
※中間部に入る前=練習番号Gの3小節前の低音(Tuba,Fagotto)の動き:
4分音符スタッカート → 休符なしの長い音符のスラーに
非常にコンパクトにかつ確りとまとまった佳曲であり、何より中間部の夢想的な幻想性は、永く愛される価値のあるものである。
音源は1975年以降のデモ・テープ音源がついにCD化されたものがある。2008年までの全て(1979年課題曲E「朝をたたえて」を除く)が4CD×2セットにて網羅されたのである。
「ジュビラーテ」は
アントニン・キューネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
による演奏。完璧、とはいえないし当時多かった「如何にもスタヂヲ録音」な音源だが、真摯で情熱的な演奏であり、私はやはりこれをお薦めしておきたい。
※他の所有音源<いずれも課題曲版>
渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
♪♪♪
演奏参加型の音楽である吹奏楽において、「課題曲」は特別な存在。なにしろ見事なまでに各世代ごとの”共通体験”なのである。「○○○(課題曲名)の年に中3で…。」なんていうだけで、歳まで判ってしまう。^^)
課題曲であろうがなかろうが、良い曲は良いし、良くない曲は良くない。ただ、否が応にも”演奏体験”が付加されるために、課題曲は過大評価されがちだと思う。本来、楽曲に対する評価は”演奏体験”を除いた客観性によって下されるべきなのに。もちろん如何なる課題曲であっても”想い出”としての価値は十二分に認めるところではあるのだが…。
いずれにしても、日本中のバンド(しかも多くは若い生徒たち)が長い時間と多大な労力、思い入れを投入するのであるから、提供する側にも、「課題曲」を音楽的魅力や内容を備えたものとする責務があるはずだ。
「(オーケストレーションを含めて)”良くない音楽”を何とか良いものになるよう演奏することこそが、課題曲への取組である」
などという馬鹿げた考えは、まさかないだろうと信じたい。しかし近年、その様相がいよいよ強まっているようにも感じられて仕方がないのだが…。
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Othello
Symphonic Portrait for
Concert Band / Wind Ensemble
in Five Scenes after Shakespeare
I. Prelude (Venice)
II. Aubade (Cypros)
III. Othello and Desdemona
IV. Entrance of the Court
V. Epilogue
- the Death of Desdemona
A.リード
(Alfred Reed 1921-2005)
冒頭画像 :”Scene from Othello” by Hubert Gravelot
数多くの名曲を遺したアルフレッド・リードが、「ハムレットのための音楽(1971)」に続いて1977年に作曲した”シェイクスピア・シリーズ”の第二弾。リードはさらに「魔法の島(1979)」「十二夜(2003)」「アーデンの森のロザリンド(2004)」とシェイクスピア戯曲にインスパイアされた作品を書いたが、「オセロ」はそれらの頂点に位置すると称するにふさわしい、洵に魅力的な楽曲である。
「各楽章は、それぞれ戯曲のある場面が醸成する雰囲気や情感を音楽的に描写したもので、いずれも台詞の引用が冒頭に掲げられている。」
とのコメント通り、リードは重要な科白から指し示される情景をイメージしつつ、「オセロ」の世界を描写的な音楽としてまとめあげた。
元々は1974年にマイアミ大学リング劇場による「オセロ」の劇付随音楽(金管楽器16+打楽器3の編成/全14曲から成る)として作曲された経緯にある。また吹奏楽版と同様の5楽章から成る金管合奏+打楽器による”Music from Othello”という作品も編まれており、こちらは録音(後掲)も残されている。
♪♪♪
1981年の全日本吹奏楽コンクールで天理高校がこの「オセロ」を快演し金賞受賞。大変レベルの高かったこの年の中でも天理らしい魅力的なこの演奏が、一気に「オセロ」を吹奏楽界に知りわたらせた。
張り詰めた緊張感の”プレリュード”、美しく切ない”オセロとデズデモーナ”、壮麗な”宮廷への入場”と続いて描かれた世界は、制限の多いコンクールの中でも抜群に輝き、以降「オセロ」は吹奏楽コンクール自由曲の定番となっていく。
実は全国大会初演はこの天理の演奏ではないのだが、かつて効果的な抜粋によりリードの「ハムレットのための音楽」を構成してみせた天理の面目躍如たる選曲と演奏であることは間違いない。
特に”宮廷への入場”は圧巻で、終盤のアッチェランドから一音ごとに輝きを増していくサウンド、続く高らかなTromboneのハーモニーの鮮やかさ、クライマックスに放たれるシンバルの劇的さなど、あまりに感動的な演奏には思わず涙が頬を伝ったものだ。
また、1986年の関東大会(於:横浜県民ホール)高校の部では、野庭・市立川口・市立柏(代表・代表・金)が同じこの「オセロ」で激突!幸運なことに、これをライヴで聴くことができたのだが、その聴き応えたるや・・・。今でも大変印象深く、忘れることのできない競演である。
♪♪♪
ウイリアム・シェイクスピア
(左画像/William Shakespear
1564-1616)の作品を題材にした音楽は本当に数多い。リードも
「シェイクスピアほど音楽作品に影響しているものは、例をみない。それは国籍や個性を問わず、あらゆる作曲家がシェイクスピア作品の豊かさや創造性に魅了されてきたからだ。」
と評している。
「オセロ」(Othello)は「ハムレット」「マクベス」「リア王」とともに、シェイクスピアの所謂”4大悲劇”の一つとして高名であり、中でも明快な構造の作品といわれる。1604年初演と伝わるこの悲劇のあらすじは次の通りである。
ヴェニスのムーア人、オセロ(Othello)は勇猛果敢で鳴らし、
数多の戦功を挙げた名将にして、高潔な人物である。
彼は黒人※1であったが、人種の違いを超えてヴェニス貴族
ブラバンショー(Brabantio)の若く美しい娘デズデモーナ
(Desdemona)と恋に落ち、ブラバンショーの反対を押し切っ
て結婚の契りを交わす。
一方時を同じくして、オセロはヴェニス公爵※2から名誉ある
キプロス島総督に任じられ、蜜月のデズデモーナを伴って
かの地に赴くのであった。
かくして公私ともに順風満帆と思われたオセロであったが、
その彼に部下の旗手・イアーゴー(Iago)のどす黒い企みが
迫る。イアーゴーは同僚キャシオー(Cassio)の副官昇進を
嫉んで復讐を誓い、オセロを破滅に陥れようとしていた。
イアーゴーは表面では忠誠を尽くすフリをして信頼を得ながら、
巧みにオセロがデズデモーナとキャシオーの不貞を疑うよう
仕向けていく。疑心暗鬼となりイアーゴーの奸計にまんまと嵌
ったオセロは、徐々に激しく嫉妬に狂い、遂には自らの手で
デズデモーナを刺し殺してしまう!
この惨劇を見たイアーゴーの妻エミリア(Emilia)が真実を
告白し、デズデモーナの潔白を知ったオセロは、デズデモーナ
の亡骸に口づけしつつ、自らの命も絶つのだった。
※1 ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒を指すもので、
本来「黒人」とは異なる。シェイクスピアがこの「オセロ」で
ムーア人=黒人という設定を施したものとされている。
※2 「オセロ」の舞台は16世紀のヴェネツィア共和国と推定され、
”ヴェニス公爵”とはその国家元首である。当時のヴェネツィ
ア共和国にはオスマン帝国の脅威が迫っており、その防衛
は最大の国家課題であった。かかる時代背景の下に、「オ
セロ」は描かれている。
※3 「オセロ」は後世に強い影響を与え、その科白も数多く引用
されている。エルガーの行進曲「威風堂々」の原題 "Pump
and Circumstances"も、第3幕第3場のオセロの科白に由来
するものである。
Farewell the neighing steed, and the shrill trump,
The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,
The royal banner, and all quality,
Pride, pomp, and circumstance of glorious war !
また同じく第3幕第3場に現れる「嫉妬 は緑色の眼をした怪物」
という科白なども印象深い。嫉妬に狂うと眼が緑色に… その
表現は面白く、妙に納得的だ。
「オセロ」には、その元となった物語が存在する。
ジラルディ・チンツィオ(Giovanni Battista Giraldi Cinthio 1504-1573)作の「百物語」(1565)第3日第7話である。
設定や大筋は同一であるものの、登場人物中デズデモーナ以外は名前が明らかでないことをはじめ、シェイクスピアの「オセロ」とは以下のように大きな相違点がある。
・嫉妬に狂ったムーア人の主人公は、デズデモーナを殴り殺すと
いう残忍性を帯びており、加えてその殺害を事故死に見せかけ
る姑息な人物となっている。また、デズデモーナの潔白は最後
まで知ることがない。
さらにこのムーア人の主人公は、自決するどころか拷問に耐え
流刑に処されるにとどまるが、最期は流刑地でデズデモーナの
一族の手にかかって殺されることとなる。
・(「オセロ」におけるイアーゴーに該当する)部下が主人公のム
ーア人総督を陥れたのは、冷遇を恨んだことだけではなく、デ
ズデモーナに横恋慕し、それが叶わぬことが大きな動機となっ
ている。(「オセロ」でもデズデモーナに横恋慕する男は登場す
るが、それはイアーゴー自身ではなく、イアーゴーはその男を
利用するに過ぎない。)
「百物語」にあるこの”原典”は、実在した16世紀のキプロス総督※をモデルにしたといわれるが、一言で云えば”奇譚”の域を出ないもの。
美しき白人の令嬢と逞しきムーア人の勇士-こうした異人種男女の恋や秘事は、現代でも下衆な好奇に晒されている。そう、殺害場面の猟奇性も含めて、この原典譚はまさに”好奇”の視点へのアピールが強すぎるのだ。
※註:キプロス司直で裁かれた犯罪者がモデルという説もあり
一方、シェイクスピアはこの原典譚を題材に、高貴な精神性と悲劇性とを限界まで高めたとは言えまいか?
嫉妬に狂い、妻を殺す-それがあまりに真っ直ぐで高潔な人物の惑った結果であるゆえに、悲しい。信じたくて已まない妻を殺害した直後に、その潔白という事実が迫ることが悲しい。ほかに途のないオセロの自決という必然が、悲しい…。
そして、それを仕組んだイアーゴーの邪心が(恋慕などという情念的なものでなく)純粋に名誉欲、或いは権力欲に過ぎないことが、また悲しい。
原典は相応な時間の経過の中で展開するのに対し、「オセロ」ではごく短い時間に圧縮されて展開する。オセロとデズデモーナの幸せな時間もごく僅かでしかない。
「時間の短縮」によって緊迫と転変の効果を増し、悲劇性を高めるのがシェイクスピア得意の手法とのことだが、それも含めてシェイクスピアは原典である”奇譚”を「オセロ」という”大悲劇”へ昇華させたのである。
※参考・引用文献 :
「オセロー」
小田島 雄志 訳 渡辺 喜之 解説 (白水社)
「百物語 抄」 望月 紀子 訳
(ルネサンスの箱 澁澤 龍彦 / 筑摩書房)
三神 勲 によるオセロー解説
♪♪♪
作曲者リードは詳細なプログラム・ノートを遺している。これ(「」)も引用しつつ楽曲の内容を楽章ごとにご紹介する。3連符のリズムが悲劇的要素のモチーフとして強弱変化しつつも全編を貫いており、統一感と劇的な感動を演出しているのは印象的である。
I.前奏曲(ヴェニス)
”習慣とは恐ろしきもの。戦の庭にあって石を枕に鋼を床に
して参りました我が身には、今や戦場こそこよなき羽毛の
寝床でございます。”
「冒頭から戯曲全体に漲る緊張感と戦いの雰囲気を醸し出しているが、これは第1幕第3場でオセロがヴェニス公爵に行った演説(台詞上掲)に象徴される。」
打楽器のショットで堰を切るTrp.・Trb.の楽句によって、決然と開始。その表情は険しく、緊張感が全合奏にそのまま引き継がれていく。壮大なサウンドは一旦静まって、(第3楽章に登場する)美しくも物憂げな旋律へ-。やがて遠くからファンファーレが聴こえると、鮮烈な応酬を積み重ねてスケールの大きな音楽となる。ここからは冒頭が再現されるや直ちに落雷の如くHornの楽句が下り、息つくまもなく重厚な音塊が押し寄せる-と、実に精力的でパワフルだ。
音楽は放射状に高揚し、緊張の頂点で終止符を打つ。ここでの執拗な3連符の鋭い打ち込みは、逃れることのできない哀しき運命を暗示しているのではないだろうか-。
II.朝の歌(キプロス)
”おはようございます、将軍”
「オーバード(Aubade)は朝の歌即ちセレナードで、(赴いたキプロスにて)オセロとデズデモーナの居所の窓の下で演奏する旅回りの楽隊によって奏されるもの。(第3幕第1場)この楽章は少人数で奏されることにより、荘厳な第1楽章や、豊潤で深遠な第3楽章と最高のコントラストを生み出すことができる。」
古風で軽快な音楽。悲劇の中でも安寧な雰囲気にある場面を描いたものであり、16世紀の街中にある些細な楽隊がそのままイメージできよう。
その軽快で爽やかな楽想を活かすため、リードは「Cl.・Euph.・Tubaを各パート2名とする以外は全パート1名ずつで演奏すること」と指示している。
III.オセロとデズデモーナ
”あれは私が冒した艱難ゆえに私を愛したのであり、また
そうした我が身上を哀れんでくれたゆえに、私もあれを
愛したのでございます。”
「オセロとデズデモーナの間の情熱的だが優しく深い情感を描写している。副題には、デズデモーナに求愛したことに関して、オセロがヴェニスの議官たちの前で行った弁明(台詞上掲)を引用している。」
ファンタジックなサウンドに包まれて、木管群が甘美な歌を歌う。デズデモーナの美しさや、二人の愛の純粋さをイメージさせる清々しさだ。
穏かで優しい音楽は、幸せな時間が夢の中でたゆたうように過ぎていくことを表す。-なのに、続くHornのソロにはもう既に”悲しみ”が潜んでいる。
さらに音の束を厚くして歌い上げられていく旋律は、確かに美しい。
しかし、それは煽情的なオブリガートを伴いながら高揚するにつれて、胸をかきむしるような不安に包まれていくのだ。特に咽ぶようなHornのオブリガートには心が激しく揺すぶられてしまう…。
この劇的なクライマックスの後、二人の運命と愛の行方を暗示する音楽は、やがてぼんやりと遠く、遠く消えていく。
IV.廷臣たちの入場
”見よ、ヴェニスの獅子を!”
「(この楽章で描写したのは)シェイクスピア原典の第4幕第1場と、ヴェルディの歌劇のためにボーイト(Arrigo Boito 1842-1918)が脚色した台本に登場する同様の場面との合成である。激怒と嫉妬のために半狂乱に陥ったオセロが、オセロを英雄として讃えようと訪れた廷臣たちの前でデズデモーナを罵り、殴るという忌まわしい場面の後、イアーゴーは(痛烈な皮肉を込めて)オセロを嘲笑するのである。」
全曲の白眉といえる楽章。喨々たるファンファーレに始まり、絢爛豪華で”颯爽”としたフレーズが随所に現れる。添えられたリードのコメントに違和感を覚えるほど、威風堂々として気品と輝きに満ちているのだ。
主部は悠然たるグランドマーチだが、これに緊迫したHornや炸裂するシンバルとTrb.などが豊かな色彩を加え、重厚さも増していよいよクライマックスに向かう。(轟くBassTrb.の音色が冴える!)
気忙しく駆け上がる木管をきっかけにサウンドはさらに煌き、その頂点(Poco piu mosso)でバンド全体が大きく鳴動すると、これにTrb.ソリが呼応する…その華麗さといったら言葉に尽くせない。
高らかなファンファーレに続きシンバルが劇的に響きわたると、ドラムロールを従え最後まで華々しい楽句で曲を結ぶ。
V.エピローグ -デズデモーナの死
”お前を殺す前に口づけをしてやったな。
こうするよりほかは…”
「第5幕第2場が戯曲を集約し、人間性を切り裂き人間性よりも優位に立ってしまった誤解の全てを集約しているのと同じく、この終楽章は全曲を総括し、これまでに生じた不協和音を最終的に解決させている。その副題には、デズデモーナの屍にオセロが語りかける最後の有名な台詞を引用している。」
前楽章の華々しい印象は、序奏で瞬時に漆黒の暗鬱な雰囲気に変貌してしまう。空しさの漂う中、沈痛なMuted Hornのソロが挽歌を歌う。
続く第2楽章の旋律の再現。愛情に満ちた日々のオセロとデズデモーナを回想させるが、その旋律は高揚しながら形相を変え、この上なく悲劇的なものとなって分厚いサウンドが聴くものを圧迫する。クライマックスで打ち放たれるスネアのリズム(悲劇の3連符)は、やはり逃れられなかった哀しい運命を象徴するものであろう。
やがて声にならぬ祈りのような密やかな音楽となって、それは徐々に生命力を失い、悲劇の終幕にふさわしいダウン・エンディングとなる。
※参考・引用文献 :
「アルフレッド・リードの世界」
村上 泰裕 訳・編著 (佼成出版社)
吹奏楽界の巨匠アルフレッド・リードがその遺した楽曲について
書き記した解説や演奏上のアドバイスを網羅的かつ詳密にまと
めた名著。何よりその真摯な翻訳・編集スタンスが素晴らしい。
リード作品の鑑賞・演奏上、最も重要な参考文献と断言する。
1998年の出版であり、今後ぜひリード最晩年の作品も収録した
「改訂完全版」が上梓されることを心から望みたい。
♪♪♪
「オセロ」は美しい旋律やカラフルな色彩感、各楽章のコントラスト、輝かしく豊潤なサウンドといったリードの美点が散りばめられた作品であり、これらをぜひ存分に堪能したい。音源としては以下をお薦めする。
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
最も安定し、オーソドックスな自作自演盤。気品と落着きがあり「オセロ」の王道ともいうべき演奏だが、メリハリもあって丹念な曲作りが窺える。発売当時、漸く登場した市販初の全曲録音であり、ファンには歓喜をもって迎えられた。
ウイリアム・シルヴェスターcond.
イースタン・ウインド・シンフォニー
前述した金管+打楽器による編成版。構成等ほぼ吹奏楽版と同じであり、「オセロ」の原典を垣間見させるもので参考になる。その一方でこの版を聴くと、リードが木管楽器を実に効果的に使用したオーケストレーションを施していることが再認識できる。
※その他の所有音源
金 聖響cond. シエナウインドオーケストラ
野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊
アルフレッド・リードcond. イースタン・ウインド・シンフォニー
アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウインドアンサンブル
鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー
アルフレッド・リードcond. アメリカ空軍ミッド・アメリカ・バンド
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昨年9月にダイエットを敢行した際、主たる運動増加は負荷ウォーキングであった。膝などを痛める可能性も低いとして勧められたエクセサイズだが、「最低40分間は歩かないと」と言われて悩ましかった。
健康のため運動は大切だが、限られた自由時間は有効に使いたい-。そうなると、音楽ファンなら”聴きながら”は当然の選択。
そこで私は iPod nano(第4世代/8GB)を購入した。とりあえずはiPod付属のイヤホンを使っていたのだが、ウォーキング時の装着安定性や音質には満足をしておらず、「これは」というイヤホンはないかと、ずっと物色していたのである。
※運動以外の普段には、iPod Classic 160GB + SHURE SCL4 の組合せを使用
しており、相応満足している。しかし、このセットによる遮音性の高さはウォー
キングには不向きかつ危険である!
♪♪♪
そして、遂に見つかった!
スポーツイヤホン・イヤーフックリバース
サウンドシステム・RSイヤフォン
(RSEP02W / Micro Solutions社 )
である!
安定しているが軽快な装着感と、シンプルで爽やかな音質。まさにウォーキング向き!またこれが2,205円で買えるというのは、コストパフォーマンス最高というしかない!特にポピュラー音楽では、このイヤホンの長所が存分に活かされると思われる。
私同様に「ウォーキング中も音楽!」という方にはぜひオススメします!
ちょっとコードが長いので、
Smartwrap コードマネージャー
(SUMSWWT / Pleiades Sumajin社)
も購入して好みの長さにコントロールしたら良いと思う。このアイテムはとにかく軽く、コードを巻く表面のすべすべで滑らかな感触がまた素晴らしい。併せてオススメ!
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Sinfonia Nobilissima
for Band
R.E.ジェイガー
(Robert E. Jager 1939-)
「カッコイーッ!」
木造平屋建の部室でこの曲のレコードを聴いていた、当時中学1年生の私の口を突いて出た感想である。堂々たるイントロはもちろん、「ばばばばばばばば」とD♭スケールで駆け上がり、高らかにメロディを執るTrombone・・・
うーん、いい!
キラキラ輝くOboeソロ!(というより、この頃は
ただただ「これがOboeかー、すげー。」という感想だったが・・・。^^;)に続いてまたもバリバリ鳴らすTrombone、次いで耳慣れない太鼓の音色(「トコトコトン」)が印象的だ。部室に楽譜があったから見てみると、1st Tromboneの最高音はHi-H!(高ぇ!)。あの太鼓の音は”スネア・オフ”という奏法らしい。確かに、部室のスネアのレバーを”オフ”にして叩いてみると、同じ音色がした。面白い!
それに、最後の打込みは何度聴いてても”ズレ”についていけない。絶対飛び出しそうだなぁって先輩達と笑った。自分の担当楽器であるTromboneは全編に亘って大活躍だし、聴けば聴くほど演ってみたいなーって思いが、ぐぅぅぅーっと募ったことを思い出す-。
♪♪♪
1960-70年代を代表する吹奏楽オリジナル屈指の名曲。邦訳タイトルとして「吹奏楽のための高貴なる楽章」もある。音楽之友社から日本版の譜面が発売されたこともあり、当該年代に吹奏楽に触れた方々には想い出深い作品であり、また憧れの楽曲でもあっただろう。私自身にとっても前述のように、強い憧憬の対象であった。
この時期、吹奏楽界では未だOboeの存在は希少であり、Oboeが極めて重要な役割を果たすこの曲は、敷居の高いものでもあった。それでも圧倒的な人気を誇ったことは、その魅力のほどを如実に物語る。全日本吹奏楽コンクールでも1969年の阪急百貨店に始まり、12回採り上げられているが、1977年の天理中を最後に姿を消した。
(譜面づら以上に演奏はなかなか難しく、必ずしもコンクール向きの曲ともいえないのである。)
♪♪♪
作曲者ロバート・ジェイガーの公式HPには、1965年の作曲と記録されている。しかしながら、当時の事情に詳しい秋山 紀夫氏の解説によれば1962-1963年にかけて作曲されたとされる。当時婚約中であったルシル夫人に捧げられた作品であり、中間部のロマンティックで優美な旋律は、ルシル夫人も大変なお気に入りであるという。
そう、この「シンフォニア・ノビリッシマ」は、さまざまなアイディアが次々と現れ、ジェイガーの才能が随所に閃く作品なのだが、何といってもこの”渾身の”名旋律こそが、その白眉である!-婚約者に捧げられたとあれば、それも納得できるというものだ。
この後、ジェイガーは「交響曲(第1番)」「ダイアモンド・ヴァリエーション」「シンフォニエッタ」によりABAオストワルド作曲賞を3度受賞するなど、吹奏楽界に燦然と輝く作曲家として活躍していく。
♪♪♪
Andante fieramente(fieramente:熱烈に、激しく)の序奏部で始まる。重厚なサウンドで主要旋律が堂々と、そして標題通り高い品格をもって奏されるその瞬間から、楽曲に惹きこまれてしまう。ありがちな前奏などは敢えて排し、”いきなり”主題をガツンと提示するアイディアは、却って大変斬新に感じられるものである。その主題の頂点で Allegro con brio に転じ、華々しい響きで主部に突入、急-緩-急-コーダの典型的な序曲形式で楽曲は展開していく。
冒頭に提示された旋律が今度はクラリネットの美しい音色で朗々と奏される。
以降、ソロも散りばめ各楽器の特質・音色を活かした非常に多彩な音楽となっていくのだ。
特に、クラリネット群のシンコペーション伴奏を従え、ダイアモンドのようにキラキラ輝くOboeソロ、
そしてそれを受けて凛々しく豪放にぶっ放す金管低音群とスネア・オフのカウンター、さらに鮮烈さを極めたTromboneソリと、息をつく間もなく聴かせていくさまは、ジェイガーの溢れる才能を強烈に認識させられる。
この上、さらに堂々たるフーガを配してさらに音楽を深化させていくのだから、舌を巻くしかない。
突然の場面転換で中間部 Andante となる。ここでは音楽が全く違う表情を見せていく。
清らかさ、気高さ、暖かさ、ロマンティックさ、感傷、想い出・・・現れた一つの旋律から与えられるイメージは本当に多様であり、それこそは如何に力のある旋律であるかの証左であろう。こんな旋律が生み出せただけでも、本当に素晴らしい。
続くOboeソロは、さらに切なさをプラスしてくる。
もう胸がいっぱいになってしまって、とても涙なしには聴けない!
そして再び中間部冒頭の旋律が高らかに歌い上げられると、今度はHorn(+ A.Sax, Euph.)の劇的な対旋律が・・・。
ああー、何てことをしてくれるのか。ここまでやるか!
高揚した音楽は幅広い感動的な”絶唱”となるが、そのまさに頂点で突然の Tempo I という大胆さ。コンパクトな再現部となり、最初のスネアのリズムからして緊張感を張り巡らせた音楽は、テンションを高めたまま終結部へと向かう。
曲の最後は、打楽器のロールの上で前出楽句とはわざとパターンをずらした打ち込み。きりりとした表情で、躊躇なく決然と締めくくる。
♪♪♪
シンフォニア・ノビリッシマの演奏にあたっては、テンポの変更を伴う場面転換がことごとく急であることを意識すべきである。決して躊躇うことなく、小気味よく転換していくことが肝要となる。特に、中間部 Andante の前では、Hornソリに”non rit.”という明確な指示もあり、ベタな繋ぎは禁物である。
また、中間部 Andante から Tempo I に戻るのも唐突でなければならない。絶唱を極め、それでもまだ歌いたい、まだ言い足りないと心を残したまま、敢えて断ち切るようにして再現部へ -その”残心”が聴きたい。それを際立たせるためにも、続く再現部はデジタルでストイックにコントロールされた、引き締まった演奏が求められるだろう。
そして各楽器の動きも、ある時は表、それが瞬時に裏に回るなどこれも転換が実に早い。甘美な旋律を存分に聴かせる一方で、全編を通じシャープな感性による敏捷な”切換”が重要となる楽曲なのである。
上記観点から、私のお奨めする音源は以下2つ。
佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ
大変メリハリを効かせているのに、隆々とした一本の音楽の流れが一瞬たりとも損なわれることのない名演。その小気味良さはあまりに快感。
特に、序奏部はこれぞ fieramente というべき演奏で、他の追随を許さない。唯一、中間部終わりの”残心”がもう少しだけ欲しかった!(音楽的なまとまりへの配慮が行き届いたゆえのことだと判っているのだが・・・。)
秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
オーケストラ的な明確な発奏とスッキリしたサウンド・・・。知性を感じさせる曲作りとともに、何といっても全編に漲る”拮抗感”-そのテンションが素晴らしい。
高潔なその演奏は”Nobilissima”の語感を体現したともいえよう。
<他の所有音源>
服部 省二cond. 海上自衛隊東京音楽隊
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
加養 浩幸cond. 航空自衛隊西部航空音楽隊
上原 紘一cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウィンドアンサンブル [1977 Live]
ロバート・ジェイガーcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
ウイリアム・ビンcond. カリフォルニア・ステート大学ウインドアンサンブル
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Cuban Overture
G.ガーシュウィン
(George Gershwin 1898-1937)
ガーシュウィンが大好きだ。
ボーダレスに”いい音楽”を求めている私は、それを体現し自己完結させた作曲家であるガーシュウィンの作品に、強い魅力を感じる。それこそ「パリのアメリカ人」などは、今でも演奏してみたい曲の最右翼である。
彼の伝記映画「アメリカ交響楽」も学生時代に名画座で観た。その中に演奏のワンシーンが挿入されていた聴きなれない曲-それが「キューバ序曲」との出遭いであった。ラテンパーカッションが活躍しているその映像に惹かれ、早速音源を入手したのは言うまでもない。
しかし、当時は何故か”ピン”とこなかったのだ。
”忘れていた”私にこの曲を思い出させたのは、やはり吹奏楽。1995年全日本吹奏楽コンクール/就実高校の演奏である。惜しくも銀賞であったが、その底抜けに楽しい、活気に満ちた演奏は”音楽”の喜びが溢れていた。「キューバ序曲」の魅力を充分に伝えてくれる、記憶に残る好演であり、これによって私は「キューバ序曲」に惚れ直し、再び音源探求・・・そして実演へと向かっていったのである。
♪♪♪
20世紀アメリカ最大の作曲家ジョージ・ガーシュウィン(冒頭画像)。1919年の「スワニー(Swanny)」を皮切りに、現在でも愛唱・愛奏される数々のヒット・ナンバーを世に送り出し、時代の寵児となっていた彼が「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)」でクラシック界に衝撃を与えたのが1924年。その後も1920年代のうちに、ミュージカル・ナンバーの名作を生み出す傍らで、「ピアノ協奏曲ヘ調(Piano Concerto in F, 1925)」「パリのアメリカ人(An American in Paris, 1928)」と、次々に斬新なクラシック音楽を創り出していった。
夭折したガーシュウィンが遺したクラシック楽曲は多くはない。そのいずれもが従来のクラシックの枠組みを超越した作品ばかりなのだが、中でも
「キューバ序曲」(1932)は一際異彩を放っている。
1932年2月にキューバのハバナで休暇を過ごしたガーシュウィンが、現地の楽器(クラヴェス、ボンゴ、ギロ、マラカス)を持帰り、これらをフィーチャーした作品である。初演時(1932年8月)の題名は
「ルンバ(Rumba)」というものであったが、同年11月の再演時に「キューバ序曲」と改題されている。
※ガーシュウィンの自筆譜に記載された標題も”Rumba”。
絵心があったことでも知られるガーシュウィンは、
ラテン・パーカッションのイラストも遺している。(上画像)
「この作品において、私はキューバのリズムと私自身が創作した旋律的な素材とを融合しようと努めた。その結果が、キューバ舞曲を体現する交響的序曲となったわけである。」
(ガーシュウィンによるプログラム・ノートより)
この「キューバ序曲」の誕生に関しては、大きく2つの背景があることを認識しておくべきであろう。
♪♪♪
第一に、「キューバ序曲」はガーシュウィンが交響的クラシック作品のジャンルにおいて、完成度を大きく向上させようと試みた作品であるということ。
既に音楽家として大きな成功を収めていたガーシュウィン。しかし賞賛してくれる批評家でさえ、自分の管弦楽作品にある幾つかのぶざまな構造には満足していない-。そのことを彼自身がハッキリ認識していた。1928年の渡欧の際に、モーリス・ラヴェルに師事しようとしたエピソードなどは、それが端的に現れたものである。
一方でガーシュウィンは、バッハの「フーガの技法」やシューベルト、ベートーヴェン、ブラームスの作品の研究を進めていたし、さらに彼の研究は親しくしていたベルクやシェーンベルクの前衛作品にまで及んでいた。永らく”異端児”であったはずのガーシュウィンのクラシック音楽に対する深い造詣は、いつのまにか友人たちを驚かせるほどになっていたという。
そんなガーシュウィンは「キューバ序曲」を作曲した1932年、遂にジョセフ・シリンガー(Joseph Schillinger)という作曲理論家に師事するのであった。
※ジョセフ・シリンガー (左画像)
スクリャービンの弟子であったロシア系ユダヤ人。
バークリー音楽院の前身となった”シリンガー・ハウス”の
創始者。後にジャズ界を席捲する”バークリー・メソッド”は、
彼の考案した”シリンガー・システム”を元にしている。
グレン・ミラーやベニー・グッドマンもシリンガーに教えを受
けており、また電子楽器テルミンの開発に関係し、そのレ
パートリー提供を手掛けたことでも知られる。
シリンガーは「私こそが(作曲に行き詰った)ガーシュウィンの危機を救った。」と主張しているとのことだが、そこまでのことであったかどうかは後年の研究でも意見が分かれているらしい。
しかしながら少なくとも、「キューバ序曲」に転調の妙や新しいハーモニー、対位法上の新しいアイディア、流麗さというものが盛り込まれたのは、シリンガーに師事したことで生じた”変化”であるとされている。
それまで、作曲にあたってまず2台のピアノのためのスコアを作成し、音を鳴らしながらオーケストレーションを進めたとか、実際にオーケストラでの試奏を重ねたといわれるガーシュウィン。シリンガーがガーシュウィンに影響したものは何だったのか?残念ながら「キューバ序曲」の作曲に関して具体的な研究を施した文献は、見つけることができなかった。
コード進行法的な作曲理論なのか、或いは所謂”4度の和音”の使用といったことなのか。”横”の構築という視点が、対位法を中心とした”縦”の構築を中心とするといわれる伝統的なクラシックのアプローチの呪縛から、彼を解放したということなのか-。
シリンガー理論が、ガーシュウィンに”たちこめた霧を晴らす”ような啓示を与えたことは間違いないと思われるのだが・・・。
事実として(その人気のほどは別としても)、「キューバ序曲」はガーシュウィンの音楽的な成熟において、大きな飛躍を示した作品と位置づけられているのである。
<主な参考文献・出典>
・ガーシュウィン(大作曲家)
Hanspeter Krellmann / 渋谷 和邦 訳
音楽之友社
・「キューバ序曲」オーケストラ・スコア /
解説「キューバ序曲のバックグラウンド」
Alfred Publishing
♪♪♪
第二に「キューバ序曲」は、当時最先端の流行音楽にして異質な音楽文化の象徴であった”キューバ音楽”と、クラシック音楽とが初めて融合した作品であるということ。
「”ルンバ”というと、たいていの人は「南京豆売り」かその類の音楽を期待する。この曲はそうした音楽をうんと性格的に仕上げるアイディアの下に作られた。」
(ガーシュウィンのコメント)
ラテンのスタンダード・ナンバーとして有名な「南京豆売り」(El Manicero / The Peanut Vender)が発表されたのは1928年。
ドン・アスピアズ楽団(Don Azpiazu/左画像)がニューヨークで録音したレコードは、1930年11月に発売されるやミリオンセラーを記録し、全米で大ヒットとなった。しかもその人気はアメリカだけに止まらず、ヨーロッパやアジアへと広がって全世界的なものとなったのである。
「キューバ序曲」が作曲されたのはまさにその直後・・・。そして確かに、「キューバ序曲」には「南京豆売り」を髣髴とさせる楽句とリズムがちりばめられている!
折りしも禁酒法(1920-1933)の時代であり、ガーシュウィンが1932年に休暇をキューバで過ごそうと思い至ったのは、酒を楽しむことのできるリゾートとしての魅力もきっと誘因ではあっただろう。
しかし、当時世界を席巻していた異文化の流行音楽と、それを生みだしたキューバそのものこそがガーシュウィンの最大の興味であったことは、想像に難くない。
「ラプソディー・イン・ブルー」で(本人は、そもそもジャズだクラシックだという区別などなかったかもしれないが)ジャズとクラシックとを融合したと評されたガーシュウィンは、今度は「キューバ序曲」でラテン(キューバ音楽)とクラシックの融合に挑んだともいえる。
自ら生み出したオリジナルの主題を、最先端の流行であるキューバのリズムと色彩にのせたシンフォニックな音楽-
”ラテンとクラシックの融合”がこれもまた後付の称号だったとしても、ガーシュウィンが心躍らせた純粋な音楽的興味が、「キューバ序曲」からは感じられはしないだろうか?
♪♪♪
これほどまでにガーシュウィンの音楽的興味をかき立てたキューバ音楽。そして、それを生み出したキューバそのものについても触れておきたい。
<キューバ>
キューバはアメリカ南東端/フロリダ半島のさらに南、カリブ海に浮かぶ国である。本州(日本)の半分ほどのこの島国は、15世紀から永くスペインの植民地であった。名産の葉巻も有名だが、何といっても19世紀に大規模なプランテーションにより、世界最大の砂糖生産地となったことで知られる。
当時奴隷としてアフリカ系人民が多く導入された経緯にあり、これが現在ムラート(スペイン系白人と黒人の混血)が人種上かなりの割合を占める所以であるとともに、後述の通りキューバ音楽の形成にも大きな影響を与えているのである。
1902年にはスペインから独立を果たすも、1959年のキューバ革命まで、事実上傀儡政権によるアメリカの支配下にあった。(ガーシュウィンの時代は、まさにこの時期にあたる。)カストロやチェ・ゲバラに主導された同革命によって社会主義体制に移行し、現在も独自路線を歩む国家となっていることはご存知のことと思う。
欧州と中南米の中継地点として交易が栄えたキューバは、美しい海や多彩な自然、そして豊かな資源にも恵まれ、”カリブ海の真珠”と称される。植民地時代の歴史的建造物も観光客の人気を集めているようだ。
※外務省HP「キューバ共和国」
<キューバ音楽>
近年ますます高まるその人気を背景に、キューバ音楽を語る書物・サイトは多い。あれこれ目を通したが、その中でも
「キューバ音楽」
(八木 啓代・吉田 憲司 著 青土社 / 左画像)
が最も明快かつ適切なものであろう。キューバ音楽の成立と背景が理解できるのはもちろん、”クラーベ”を採り上げた後半の「理論編」の判りやすさがまた素晴らしい。
私は「キューバ序曲」を”ラテンとクラシックの融合”と敢えて呼んだ。
しかし同書を読めば、キューバ音楽自体がそもそも”さまざまな音楽文化の融合”であることが判る。実はガーシュウィンが(というより世界が)キューバ音楽と出遭った時、それは既に濃密な”融合”の賜物だったのである。
キューバ音楽の源流の一つは、フランスの貴族社会で18世紀に流行したイギリスの田舎風舞曲=「コントルダンス」であった。植民地時代、宗主国のあるヨーロッパの社交界で流行した踊りは「フランス渡来の貴族的でオシャレな音楽」として、キューバに受け容れられたという。
これはキューバ現地でほどなく揺れるリズム感のあるエキゾチックさを加え、ダンサという舞曲となる。そして逆に国外に持ち出され、ヨーロッパで大流行※となるのである。それが、「ハバネラ」である。ハバネラとは”ダンサ・アバネーラ”即ちハバナ風舞曲の略だったのだ。
※ヨーロッパでの流行を受けて、大作曲家たちもこぞってハバネラを書いた。
ビゼーの歌劇「カルメン」のハバネラに至っては、実は当時キューバの
イラディエルが作った「エル・アレグリート」という歌曲をそのままアダプトし
たものだそうだ。
(コントル)ダンサはハバネラへと変貌し上流社会で流行したが、キューバの庶民階級でも管楽器を主体とした楽団で演奏された。より野生的なベースラインを持つ、よりリズミックな音楽である「ダンソン」となって熱狂的に流行したのである。
一方、プランテーションに大量に導入されたアフリカ系民族の音楽=所謂黒人音楽は、多彩な打楽器を用いてリズミックさを極めたものであり、”コール&レスポンス”(ソロの問いかけにコーラスがその繰返しで応える)という特徴的な形式を持っていた。これも、ヨーロッパ文化(賛美歌など)の影響を受け、キューバで独自の発展を遂げる。コルンビア・ワワンコ・ヤンブーの3種がある「ルンバ」※である。
※1930年代にアメリカはじめ世界的に流行、社交ダンスのジャンルとも
なった「ルンバ」は後述する「ソン」(含むソン・モントゥーノ)のことであり、
キューバ本来の「ルンバ」とは異なる。
大ヒットとなった「南京豆売り」が発売された際に、英語の”Song”との
混同を避けるため「ソン」ではなく「ルンバ」というジャンルとして紹介され
たため、誤解と混乱が生じる結果になったとのこと。
こうして白人音楽と黒人音楽が、キューバで他文化の影響を受けて独自の変貌を遂げ、さらに融合しあったもの- それが「ソン」である。
一般的に「メロディックな歌曲形式の前半部+ソロ歌手とコーラスの掛け合いとなる後半部」という形をとる。後半の掛け合い部分(=モントゥーノ)を強調したものが「ソン・モントゥーノ」と呼ばれる。ソンこそは最もキューバ音楽の特徴的なジャンルとされ、ダンソンと融合して「チャチャチャ」や「マンボ」誕生への布石となっていったし、その後は当然のようにジャズとも融合して、現在も愛好される音楽であり続けている。
このように、20世紀前半までにキューバはまさに最先端の、これまでにない流行音楽を生み出していた。それは、禁酒法の時代に文字通り不夜城の繁栄を誇ったキューバの首都ハバナが求め、そして育てたものだっただろう。
「白から淡いグレーへの系譜でも、黒から濃いグレーの系譜でもなく、まさに、美しいカフェオーレ色の、生まれながらに混血のキューバ音楽の系譜である。」
(「キューバ音楽」p59より)
♪♪♪
以上のような背景をもち、色々な意味で”試行”であったといわれる「キューバ序曲」の出来映えには、ガーシュウィンも自信或いは確信を持っていた節がある。初演時の演奏には「この会場(野外)での演奏は向かない。」と不満を口にし、僅か3ケ月後の再演時には自ら指揮をしているのである。
(その後5年足らずで急逝したこの天才がもう少し生きてくれていたなら、”試行”を超えたラテンとクラシックの融合がより本格的な作品として結実を見たかもしれない。)
楽曲自体は急-緩-急-コーダの形式による、非常に明快な音楽。
”明快”であって”単純”とは異なる。美しくエキゾチックな旋律、多彩な表情とラテンパーカッションの活躍する活力あるリズム、そして豊かなサウンドに富む「キューバ序曲」は、私にとって大変魅力的な音楽である。
当然ながら、「ソン」を代表するキューバ音楽の決定的特徴である
”クラーベ”(Clave)のリズムをフィーチャーしている。クラーベとはわずか5個の音符で演奏されるリズムパターン。これを刻む拍子木こそが、クラヴェス(Claves/左画像)というわけだ。
上譜例にある通り、3個の音符(=緊張側:スリー・サイド)と2個の音符(=弛緩側:ツー・サイド)から成るリズムパターンであり、スリー・サイドから始まる”Three-Two(3-2)”とツー・サイドから始まる”Two-Three(2-3)”とがあり、「キューバ序曲」は”Three-Two(3-2)”である。
※参考文献・出典:「キューバ音楽」(八木 啓代・吉田 憲司 著/詳細前述)
♪♪♪
それでは、ガーシュウィン自身のコメント(「」)も引いて、楽曲の内容をご紹介する。
「この作品は3つの主要部分から成っている。最初の部分(Moderato e Molto Ritmato)は主題の素材の幾つかをフィーチャーしたf の序奏で推進されていく。続いて3部から成るポリフォニックな楽句に導き出される第2主題。この最初の部分は、第2主題の断片と複合した第1主題の再現によって締めくくられる。」
木管楽器のリズミックな楽句で突如として幕を空けると、あっという間にキューバ音楽のムードが充満した華やかな音楽となる。
冒頭から独特のベース・ラインが現れ、これがリズムのみならずサウンドに関しても、この曲の個性的な印象を決定付けている。もちろん、ラテン・パーカッションが縦横無尽に活躍し、一層強烈な個性を与えているのは言うまでもない。
流麗な主題は実にエキゾチックで艶があり、リズミックな楽句と対比し或いは重なり合って、立体的な音楽に編み上げられてゆく。
そしてモチーフを絡み合わせた経過句に続いて、旋律が天高く駆け上がるさまは、まさに圧巻!
「ソロ・クラリネットのカデンツァに導かれて、哀愁に満ちた中間部となる。徐々に多調手法によるカノンを発展させていき、そのカノンの中で主題によるオスティナートをベースとしたクライマックスとなって中間部を終える。そののち急なテンポ変更により、ルンバ舞曲のリズムへと戻るのである。」
中間部はクラリネット・ソロの音色に支配されている。
異国の熱帯夜がもたらすセンチメンタルなムードだろうか-。リズミックさは残しながらも、静かで幅広い音楽の与える印象の”温度”は高い。
やがて歩みだすカノンは着実に足取りを進め、徐々に高まる緊張とともにぶ厚いサウンドの構築物となってその威容を示し、クライマックスを形成していく。
「フィナーレは(主題と応答が重なり合って緊迫する)ストレッタ的な手法による、推進力のある楽句の展開となる。これが我々をもう一度この曲のメイン・テーマへと引き戻していく。
そして楽曲の最後は、キューバ打楽器群をフィーチャーしたコーダで締めくくる。」
快速さを取り戻すと、オーケストラが持つあらゆる音色を駆使した応答楽句が繰り広げられる。徐々にスピード感とテンションを上げ、前半のクライマックスの再現へ!高らかに、鮮やかに奏される豊潤な旋律は、さらにスケールを拡大した印象を与え、コーダへとなだれ込む。
簡潔なコーダは、この楽曲の”主役”であるラテン・パーカッションのリズムで放射状に高揚、最後にテュッティの強奏でもう一度特徴的なリズムが刻まれ、重厚な響きで全曲を締めくくる。 
♪♪♪
「キューバ序曲」に関しては、音源の選択は非常に重要である。
まず、録音はかなり少ないといえる。そして、楽曲の魅力を存分に発揮した演奏となると極めて限られるということをハッキリと申上げておきたい。中にはラテンパーカッションがただうるさく感じられるだけの演奏で、この曲を単なる「色物」としか見ていないのでは?と思わされるものもある。
(とにかく触れた演奏によって、この曲の印象は大きく異なると思われるのだ。)
私の推薦盤は以下2つ。
いずれも、特徴的なベース・ラインをしっかりと聴かせ(しかも要所でTubaの音色が効いている!)、それによってこの曲の持つ充実したサウンドをひき出していることが特筆できよう。まずこれだけでも、他の演奏とは完全に一線を画すものである。
ジェイムズ・レヴァインcond.
シカゴ交響楽団
活力漲る、抜群の推進力。メリハリがあるのに全曲の構成も確りと俯瞰されており、楽曲の内容把握は深い。中間部のクラリネット・ソロが実に秀逸で、どこまでも暖かい音色と表現が楽想にピタリと合致している。また、再現部のクライマックスで示されたテンポの”ため”は絶妙、BRAVO!
ロリン・マゼールcond.
クリーヴランド管弦楽団
これも秀演!実に生き生きとした演奏で、感じさせる”生命感”の力強さは屈指のものである。全曲に亘り、質感が損なわれることのないサウンドの充実ぶりも素晴らしい。
また、Hornの演奏が実に”男前!”であり聴きどころである。楽曲に包含されたHornの効果的な楽句が、見事に活かされているのだ。
※他の所有音源
アンドレ・プレヴィンcond. ロンドン交響楽団
リッカルド・シャイーcond. クリーヴランド管弦楽団
シャルル・デュトワcond. モントリオール交響楽団
ハワード・ハンソンcond. イーストマン=ロチェスター管弦楽団
クルト・マズアcond. ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ズービン・メータcond. ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団
ウェイン・マーシャルcond. オールボルイ交響楽団
ジェイムズ・ジャッドcond. ニュージーランド交響楽団
ダニエル・バレンボイムcond. シカゴ交響楽団
ご参考までに、
「南京豆売り」の私の愛聴盤は
Nick Morales & Su Orquestra
こちらもぜひ一聴を。実にゴキゲンな音楽である!
♪♪♪
尚、「キューバ序曲」の吹奏楽編曲譜は、現在”平石 博一版””マーク・ロジャース版””真島 俊夫版”の3つがあり、録音も発売されている。
スコアの細部を表現し切るには難しさもあると思うが、絶対的に吹奏楽向きの楽曲ではあるし、もっと吹奏楽でも採り上げられてよいはずだ。
ともかくまずは、管弦楽原曲の秀演をお聴きいただければと願う。
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Sedona
S.ライニキー
(Steven Reineke 1970- )
作曲者スティーヴン・ライニキー(冒頭画像)はシンシナティ・ポップス・オーケストラの副指揮者兼アレンジャーとして高名。
もともとトランペット奏者として音楽家のキャリアをスタートさせたこともあってか、吹奏楽界にも「ホープタウンの休日」「神々の運命」といったオリジナル曲を、数多く提供している。2007年には大作「吹奏楽のための交響曲第1番”New Day Rising”」を発表し、一層の注目を集めた。
そんな彼の作品の中でも、「セドナ」(2000年)は特に人気が高い。明快な構成と印象的な旋律 -一つの旋律を展開・変奏していくのだが、旋律の魅力と豊かな色彩感とで、決して飽きさせることのない佳曲となっているのである。
♪♪♪
”セドナ”とはアメリカ・アリゾナ州にある景勝地。突き抜けるように青い空と、低木の緑とに囲まれた赤色の巨岩(レッドロック:鉄分を多く含む)のパノラマが名高い。
※本稿で採上げた「セドナ」のスコア表紙(左画像)も
この「レッドロック」をフィーチャーしている。
その壮観と、美しい水辺の光景が見られるオーククリーク・キャニオンの入口にもあたることから、セドナには年間約400万人もの観光客が訪れるとのことである。
また、セドナにはヴォルテックス(Vortex)という所謂”パワースポット”がいくつも存在しており、スピリチュアル・リゾートとしての人気も持つ。この”ヴォルテックス”では、大地から磁場が渦を巻いて湧き起こっているといい、「日常の疲れが癒された」「普段夢を見ない人も毎晩夢を見る」「身体の痛みがとれる」「自然に悩みが消えていく」など、”癒しのパワー”が得られると紹介されている。
古来ネイティブ・アメリカンの聖地として扱われていたというこの地には、自然の不思議な力が備わっているということだろうか-。
※参考サイト
アリゾナ州セドナ商工会議所観光局公式ウェブサイト
クラブワールドのセドナ&Mt.シャスタツアー
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短く、しかし鮮烈にクレッシェンドするスネア・ソロで曲を開始、非常に斬新なオープニングである。楽曲は急-緩-急の典型的な序曲形式にして、前述の通り明快な旋律線の音楽であり、大変親しみやすい。
しかしながら、その旋律の素晴らしさと展開に見せる音色の彩りが見事で、充分な音楽的魅力も備えている。これこそを作曲家の”手腕”というのだろう。
ソロを数多くかつ効果的にフィーチャーしているのも特長で、優れたプレーヤーを揃えた実力のあるバンドであれば、それだけ高次元の音楽になることは疑いない作品である。
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快速部は Allegro con brio 4/4拍子、意外感のあるスネア・ソロでスタートし、モチーフの提示。続いて快活なリズムに乗り、クラリネットが歌いだす旋律がのびのびと躍動する。
各楽器の音色対比もオーソドックスに確りと活かされているし、フレーズの終わりには効果的なHornのgliss-upを聴かせるなど、実に気が利いている。
静まってテンポを緩め、抒情的なTromboneソロが現れる。
これに導かれて Andante cantabile 3/4拍子の中間部となり、ファンタジックな伴奏を従え、Flute ソロが美しく歌う。楽曲は楽器の特性・音色を存分に発揮させながら高揚し、同じ旋律がまた違った味わいで歌い上げられていくのである。
その頂点で音楽は幅広い、雄大なクライマックスとなり、聴いているものに確かな満足感、そして不思議にほっとした安寧を与えるのだ。
静まって名残惜しげなFluteの余韻の中、スネアのリズムが快活さを呼び戻し、カノン風のブリッジへ。ここでもクラリネット、ファゴットのソロが掛け合い、さらに音色の多彩さを印象付けている。
コンパクトな再現部を経て、生命感とスピード感を増すコーダへ突入し、ほとばしる清流をイメージさせる爽やかなエンディングを迎える。
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これほどキャッチーな旋律が生み出せた段階で楽曲の成功は約束されたともいえるが、これを活かす”余計な重量感のない(=爽やかな軽さの)”サウンドが特徴的な作品だと思う。曲全体のシンプルな完結感・統一感の高さが、却ってこの曲の魅力を充実させていると感じられるのだ。
音源はその魅力を端的に伝える
エドワード・ピーターセンcond.
ワシントン・ウインズ
をお奨めしたい。
おなじみ”デモ音源職人”の「職人芸」。この演奏はその中でも屈指の好演と思う。
「如何にもスタヂヲ録音」なのを差引いても、素晴らしい。
「如何にもスタヂヲ録音」がどうしても嫌という方には
山下 一史cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏を。自然な響きの演奏で手堅いが、伴奏と旋律のグルーヴにやや一体感を欠くのは残念。
※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら。
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"Elijah Fed by the Ravens" by Paolo Frammingo (1540-1596)
To be Fed by Ravens
W.F.マクベス
(William Francis McBeth 1933- )
原題は「烏(カラス)によって養われる」の意。旧約聖書/列王記 上 第17章~ 下 第2章に登場する
預言者エリヤ(別称:エリヤフ)のエピソードを指すものである。
ウイリアム・フランシス・マクベスは、自身をテキサス州のバンド指導者たちの支持と精神的な支えによって育てられた作曲家であると認識しており、そのことに対する感謝を込め、旧約聖書のエピソードになぞらえてこの曲を作曲した。
それゆえ、後半部に現れる旋律はテキサスのフォークソング※を元にしているという。
※ 「テキサス・レインジャー・ソング」(Texas Rangers Song)
「メキシカン・デグエラ」(英文題名不詳)
「グリーン・グロー・ザ・ライラックス」(Green Grow the Lilacs)
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エリヤ(Elijah)は旧約聖書において、モーゼと並び称される偉大な預言者とされている。
「第七の封印」「カディッシュ」をはじめとして、宗教的な題材による作品を多く発表しているマクベス。直接的な作曲動機はともあれ、彼が預言者エリヤの苦難とそれを超えた後の活躍を描く意図で、この「神の恵みを受けて」を書いたことは、これもまた間違いのないところであろう。
※尚、この「神の恵みを受けて」という邦題は原題の直截さを和らげつつ内容的にも納得できる、大変ふさわしいものだと思う。
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預言者エリヤの登場する列王記は、ダビデ王の晩年に始まりこれを継承したソロモン王の治世(吹奏楽でも高名な「シバの女王ベルキス(レスピーギ)」の題材)、イスラエルの分裂とユダ王国の様子を描く。旧約聖書に収められた歴史書の一つであり、どのエピソードも大変興味深い内容だが、その中でもエリヤの苦難と活躍、そして栄光は神秘的かつ印象の際立ったものといえよう。
(かのメンデルスゾーンも「エリヤ」を題材にしたオラトリオを遺している。)
エリヤという預言者が如何に描かれているかを端的に云うならば、
「異教と対決し、為政者を糾す真の”神の人”」
ということになる。
エリヤは預言者として立ったのち、異教に惑っていることを批判して災い(=旱魃)の予言を行ったことが疎まれ、北イスラエル外に逃亡を余儀なくされる。そのエリヤに対しヤーウェ神は涸れ谷に隠れ住むよう指示し、烏(カラス)によってエリヤを養うことを約すのである。
ヤハウェの言葉がエリヤ(エリヤフ)に臨んだ。
「ここを去って、東へ向かい、ヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に身を隠し、その涸れ谷の水を飲め。わたしは烏に命じて、そこでお前を養わせる。」
彼は去って、ヤハウェの言葉通りにした。彼はヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に住んだ。烏が朝にパンと肉を、夕べにもパンと肉を彼のもとに運んできた。彼は涸れ谷の水を飲んだ。
(列王記 上 第17章1-6 )
旱魃が続いて水が完全に涸れた後は、再びヤーウェ神の啓示によって居を移し、極貧の寡婦に養われるようになる。そこでその寡婦の亡くなった息子を甦らせるという奇蹟を示し、”神の人”と称されるようになるのである。
そしていよいよ、異教(バアル、アシェラ)の何百人という預言者に、たった一人で立ち向かう”カルメル山での対決”に臨む。エリヤは”神の火”を下らせてこの対決に勝利し、「何が”真の神”たるか」を人々に覚醒させるのだ。さらにエリヤは、ナボトの葡萄畑を奪おうとしたアハブ王を「ヤーウェ神の教えに反する」と厳しく糾弾し、革命が起こると予言する。
このように苦難を受けながらも、ヤーウェ神の真の預言者として活躍したエリヤは、後継をエリシャに頼んだ後、炎に包まれた馬と戦車に迎えられ、つむじ風に乗って天へと召されていくのであった。
-あの”烏によって養われた”エリヤが、である。
最期にエリヤが浴した輝かしい栄光と、忌避されるものに養われたというエピソードとのギャップが、ますます物語を印象深いものとしている。
※上記出典:「列王記」 池田 裕
(旧約聖書翻訳委員会)訳/岩波書店
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「神の恵みを受けて」はマクベスの特徴である「劇的さ」を極めた楽曲となっている。緩やかで厳かな第1の楽章と、スピード感のあるエキサイティングな第2の楽章から成り、これらが続けて演奏される。
底辺とも云うべき苦難の日々から、それらを超えて栄光の瞬間へ-まさにエリヤ伝を端的に表す楽曲であろう。
マクベスの楽曲の中でも、最も打楽器が活躍する作品であり、打楽器奏者の優れた技量と表現力が要求されている。
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第1の楽章(Drammatico 4/4 M.M.=56-60)は、ドラとチャイムを伴った低音群の重々しく荘厳なサウンドで開始する。続いて木管が歌いだす旋律が醸しだす雰囲気は神秘的で、幻想的だ。如何に音楽が高揚しても、全曲がこの雰囲気に支配されている。
やがてじりじりと昂ぶっていく音楽-上昇音型の高音楽器群と、下降音型の低音楽器群が応答を重ねながら頂点に向かい、まさに絶唱となる。マクベス・サウンドの劇的さの真骨頂である。
それがすうっと静まって、音楽はさらに幻想的となり、遠く遠く消えてこの楽章を終う。
第2の楽章(Suspensefully but with drive 12/8 M.M.=94-96)は、密やかだがスピード感のあるオープニング。ややくぐもったような低音群の響きと蠢く打楽器群によって、緊張感が高まる。徐々に楽器の数を増やし、放射状にダイナミクスとヴォルテージを上げ、遂には鬼気迫るチャイムの乱れ打ちが鳴り響いて、とどめとばかりに急激なクレッシェンド!
そして頂点で、3群のトランペットによる壮麗なファンファーレが・・・!
その鮮烈さは”これぞ圧巻”-アンティフォナルに響きあうラッパの音は、聴くものの心を否応なく興奮させるだろう。
続いて扇情的なクラリネットのトリルに導かれてHornとBaritoneに凛とした旋律が現れ、さらに引き締まった表情の音楽が展開する。
ここでも打楽器は縦横無尽の活躍だ。
再びトランペット群によるファンファーレが奏され、最大のクライマックスへ。炸裂する高音がテンションをギリギリまで引上げ、バンド全体が変拍子で豪快に鳴動する、そのダイナミックさ!・・・あまりに劇的だ。
打楽器群の壮絶なソリと木管のサウンド・クラスターに導かれて終結部となり、最後の瞬間までエネルギーを漲らせていく。
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「神の恵みを受けて」は、マクベスの特長を存分に発揮しているのはもちろんのこと、構成面の完成度が非常に高いと思う。楽曲全体を俯瞰してみて、各部分の色彩やダイナミクス、コントラストの配置が洵にバランスよく、絶妙に一つの音楽としてまとまっている。
このことが楽曲に深みを与え、題材である旧約聖書にふさわしい世界を表現しきったといえよう。
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収録音源は以下。
大橋 幸夫cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
構成感に優れ、細部のニュアンスまで行き届いた名演。終盤クライマックスのトランペットが(無理からぬも)もはや悲鳴なのはやや残念だが、「第2の楽章」冒頭のコントロールされた放射状の盛り上がりは見事で、抜群の出来映え。
(洵に残念ながらCD化されていない!)
フランシス・マクベスcond.
テキサス工科大学シンフォニックバンド
作曲者マクベスの自作自演盤、実演としてはこちらの方が現実的か。大変熱情的な演奏で、粗もあるが意思の感じられる好演。
テキサス
工科大学
シンフォニックバンド
(LP版ジャケットより)
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マクベス作品の中では、必要とされるテクニックやスタミナからして一番の難曲か?スコアをみると想像以上にスッキリと書かれているが、一つの楽曲として聴かせる俯瞰力が必要となる。
全日本吹奏楽コンクールでは1980年に市立川口高校が演奏し、見事金賞を受賞。しかし全国大会での演奏はこれ一回のみであり、演奏時間が12分とかなりカットを要することもあってか、コンクールではあまり採り上げられない。元々音源が乏しいうえに、このこともこの曲の認知度を下げてしまっている。
マクベス作品の中でも屈指のものであるから、もっともっと演奏されて然るべきと思う。ぜひ再評価・新録音を期待したい。
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※アルフレッド・リードcond.マイアミ大学ウインドアンサンブル(1980年)
思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、
サンダル、あじさいの花
~俵 万智「サラダ記念日」より
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A Jubilant Overture
A.リード
(Alfred Reed 1921-2005)
「春の猟犬」 「パンチネロ」とともにアルフレッド・リードの3大序曲というべき名作。1969年の作曲で、リードの作品としては初期のものにあたる。
”Jubilant”は”歓喜”を意味する。思わず歓声をあげ、或いはそのうれしさに酔ってしまうような、爆発的な喜びを指す言葉とされる。曲想は冒頭からして、まさにそのイメージ通りの音楽である。
リードは「春」という季節の華やいだ喜びをイメージしたとのことだが、この曲から感じる”瑞々しさ”は随一のもの。とにかく若い活力に満ち溢れている。
青春という人生における季節を、そのままそっくり切り出して音楽にした-そうした若々しい一途さ、ストレートさが何より最大の魅力であろう。
急-緩-急のオーソドックスな形式の中に、素敵な旋律と輝かしく豊かなサウンド、爽快感が散りばめられている。
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鮮やかなスネアのリムショットで華々しくスタート、これぞ”Allegro con brio”という音楽が流れ出す。金管中低音による生命力溢れるモチーフ提示に続いて、クラリネットがキラキラと旋律を歌いだす。
スピード感と突き進む推進力は聴くものの心を弾ませ、金管群の轟く原色のコントラストがまた見事である。かと思うとカップミュートのTrp.+Trb.がパステルカラーの楽句を描くなど変幻自在、これが中間部へのブリッジに導いていく。
中間部 Molto moderato e espressivo ではミュートを外したTrb.の伴奏からして、実に暖かいサウンドが聴かれる。ファンタジックでもあり、ロマンティックでもあるこの音楽から得られるイメージは、スィートな”優しさ”だ。
やがて木管群に抒情をきわめた旋律がやってくる-。
そして、徐々に高揚する旋律を柔らかに後押しするTimp.のロールが、決定的な感動を与えるのだ。泣ける!
静まって中間部冒頭の旋律が戻り、遠く遠く消えていくと、突如として凛然と快速なテンポが戻る。遠くから迫ってくるスピード感は遂に炸裂して再現部、まるで花火の如き壮麗さである。
静まって軽やかな木管アンサンブルとなり、ここではファゴットの対旋律が洵に味わい深い。
リードの音色配置の巧みさには舌を巻くばかりだ。![]()
あとは一気呵成の終結部。スネアのリムショットで鞭の入った音楽は、ますます興奮を高めて緩むことなく、再びリムショットの一撃が入り最後の最後までスピードとエネルギーを漲らせていく。
曲中、都合3度のリムショットはこの曲に鮮烈な印象と個性を与えており、まさに聴き所となっている。
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この曲の演奏には熱気が欲しい。妙に醒めた演奏では、はち切れんばかりの若きエネルギーが感じられることはないだろう。
その意味で音源としては、
1976年全日本吹奏楽コンクールでの
牟田 久壽cond.
瑞穂青少年吹奏楽団
の演奏が素晴らしい。良くも悪くも”若々しい”演奏だが、この曲にとって一番大切なものを確りと捉えた快演である。サウンドの輝きとダイナミックな溌剌さ、そしてハートのある歌…まさに”Jubilant”であり、BRAVO!の歓声を贈りたい。
作曲者リードの指揮による演奏もある。
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
こちらは重厚なサウンドで骨太な演奏、やや”大人”な「ジュビラント」だ。
※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら
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「パンチネロ」はノスタルジックで甘美な”過去”、「春の猟犬」は今、間違いなくそこにある”現在”の喜び・・・、そして「ジュビラント」は一心に見つめる”未来”。
冒頭の一首の如く、未来を信じ前だけを見て駆け出す若々しさを一枚の写真にした-そんな世界が「ジュビラント」にはあるのである。
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