2009年6月 9日 (火)

壮麗なる序曲

P6040015Pageantry Overture
J.エドモンソン
(John Edmondson 1933- )






1970年の出版、CBSソニーによる「吹奏楽コンクール自由曲集」の第1弾”ダイナミック・バンド・コンサート”Vol.1(冒頭画像)に収録、紹介されたことから、1970年代には非常に数多く演奏された作品である。
別邦題「ページェントリー序曲」

Edmondson作曲者ジョン・エドモンソンはフロリダ大学を卒業後、ケンタッキー大学で作曲を修めた人物で、プロ・トランペット奏者としてのキャリアも持つ。母校ケンタッキー大学の”ワイルドキャッツ・マーチング・バンド”のスタッフ・アレンジャーを務めていたことからマーチングの分野にも明るく、ポップスのジャンルも含めコンサートバンド・マーチングバンドの双方に、多くの作編曲作品を提供している。

♪♪♪

「壮麗なる序曲」は判りやすい構成と美しく親しみやすい旋律を持ち、技術的にも易しい作品でありながら、同時にモダンな響きも有していることが、その人気の理由であっただろう。洵に愛すべき小品である。

短い序奏に続き、Trp.が全曲を支配する主題を提示する。
1この旋律がさまざまな楽器に受け継がれていく楽曲であるが、終始しっとりとして抒情的な印象である。Allegroで始まった楽曲が、Meno mossoとなって幅広く、暖かく歌われるとその抒情性が一層際立ってくる。

木管のトリルでテンポと快活さを取戻してAllegroを再奏したのち、さらにロマンチックな3/4拍子・Moderatoの中間部となる。
2木管群の歌うこの美しい旋律は、明らかにサティの「ジムノペディ第1番」の影響を受けたものであるが、とても幻想的で味わいがあり、この雰囲気を吹奏楽に持ち込もうとした作曲者の意図がよく伝わってくる。

3素敵な旋律を、ちょっと気のきいた伴奏とサウンドで聴かせるこの曲は、古くささとは無縁の普遍的な魅力があると云えよう。

Trb.が堂々と中間部の旋律を提示してブレイク、カノン風の主題応答と打楽器のソリが交互に現れて快活さを取戻す。
そして音楽はさらにスケールを拡げてゆき、エキゾティックなハーモニーによってモダンなアクセントが加えられ、雄大さを増したクライマックスとなって終結へ向かう。

♪♪♪

Photo音源は
飯吉 靖彦(汐澤 安彦)cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

発音にやや荒さが感じられる部分もあるが、この曲の良さを確りと押さえた演奏である。

また、他の音源を聴いてもそれぞれに個性がありながら、いずれもしっとりとよく歌う演奏となっている。楽曲に”歌心”が備わっているのだと思う。

【他の所有音源】
 山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
 木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
 エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ


※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら

♪♪♪

演奏Grade2.5という平易さながら、この曲には確かな魅力がある。当時の演奏機会の多さはその証明であろう。
やはり、”いい旋律”のある曲は強い-
つくづくそう思わされる。
難易度はもちろんのこと、手法が保守的あるいは前衛的だとか、内容が単純か複雑かとか、そんなことを超越して力のある音楽には確りと作られた旋律が存在する。何といっても音楽の魅力の最大要素は、旋律なのである。

(Revised on 2009.6.18.)

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2009年6月 8日 (月)

想い出をきつく抱きしめて、永遠に

Forever Holding Close the Memories
R.L.ソーシード
(Richard L. Saucedo 生年不詳)




大切な人を亡くしてしまった-。

その悲しみと喪失感に、音楽に救いを求めiPodのホイールを回し続けた私の目に偶然飛び込んできたのがこの標題であった。
”Forever Holding Close the Memories”

…早世されたその人のことは、悼んでも悼みきれない。無念さ以外何も感じられぬ、残された私たちはこの事実をどう捉えたらいいのだろうか。今、一体何を考えたらいいのだろうか。悲しみをどう整理したらいいのだろうか。
せめて、もっともっと会っておけばよかった。…今となって、何ができるというのだろうか-。

そんな混乱した私の心に、この標題は優しく、すぅーっと語りかけてきたのである。
-そうだ、その通りだ。彼との想い出をぎゅうっと、ぎゅうっと大切に抱きしめるしか…それしかないじゃないか。永遠に、決して離さないように抱きしめていくしか…。

Forever_001そして、その音楽は私に大きな共感をもたらした。
美しく感傷に溢れているのに、さりげない。旋律やサウンドはモダンなのに決して軽くない。作曲者の深い、永遠を誓う思いが確りと感じられる。

静かで穏かであればあるほどに、また高揚がどこか抑制されたものであるが故に、却ってその思いの強さがわかるのだ。


つくづく、音楽って素晴らしいと思う。言葉にすれば却って空しくなることも、こうした高次元の精神性に昇華することができる。言葉で語れないものがあるから、音楽があるのだろう。

この曲は決して”大レクイエム”ではない。しかし今を生きる我々が、現代の感覚の中で真心を尽くすとしたら-そんな真摯な思いが込められた音楽であることは間違いない。だから、さりげなくても深く共感できるのだ。

▼▼▼

この曲にソーシードの如何なる意図が込められているのか、詳細は判らなかった。ただ、”Composed as a celebration of life in memory of a beloved teacher,…”との楽曲紹介があったので、もしかしたら、今回の私の経験と重なるものがあるのかもしれないと思っていた。

今、フルスコアが手許に届き、ソーシードの記したプログラム・ノートを読む。…果たしてそうであった。

この曲は、自動車事故によって夭折した、ある高校教師に捧げられた曲だったのである。亡くなった彼は、その高校のバンドでアシスタント・ディレクターを務めていた。
彼の教え子たちから手紙を受け取ったソーシードは、子供たちにとって良い教師が如何に大切なものであるか、そして人生が如何に貴重なものであるかということを、再認識したという。

「曲中に使用された不協和音には、喘鳴音では決してなく、”苦悶”を感じさせる響きを」「メロディ・ラインは終わりまでたっぷりと、絶対に急がないで」「リタルダンドは充分な時間をかけて、”自由”を感じて」
と、ソーシードの演奏指示はとても感傷的だ。
「作品中、たとえ一番大きな音のする瞬間であっても、常に音質をコントロールし、音程を確りと定めてほしい」
とのことである。”どうか大切に演奏してほしい”という強い願いが伝わってくるではないか。

Forever_cd001音源は出版元 Hal Leonard のデモ音源がある。
CDも発売されている(左画像)が、同社のサイトでも全曲を聴くことができるので、ぜひお聴きいただければと思う。


作曲者リチャード・ソーシードはモダンでハイセンスな作品を次々と送り出しており、また”To This Heartbeat There Is No End”など思いの込められたユニークな標題作品があることで知られている。



▼▼▼


故人は高名な「銘酒処」の経営者にして、日本酒のオーソリティだった。
(2009年5月逝去 享年52才…)

仕事を通じて出遭ったわけだが、そんなものは遥かに超えた、20年来のお付き合いだった。幾晩幾度酒を酌み交わし、語り合っただろうか。美味い酒だけでなく、そもそも「酒を飲むこと」の意味を教えてくれた。旅行にご一緒したり、ともにコンサートに出掛けたりも…何より無鉄砲で世間知らずの若造だった私にとって、何でも話すことができる頼りになる兄貴分であり、その後もずっと人生における精神的支柱だった。
諭してくれた「みんな同じ人間なんですよ。」という教えは、これからも絶対に忘れない。
その店に行けば彼がいてくれて、いつでも私は自分を取り戻せる-そう思っていたし、しかもそれはずーっと変わらない、と信じきってしまっていた…。

亡くなられる直前、最後にお会いした時には「一緒に酒飲んで、話をするあの愉しさは何物にも代えられないじゃない?もう(店を閉めるので、それを提供する)宴会はしてもらえなくなっちゃったけど…。」と本当に残念そうで…想いがわかるだけに、私は言いようもなく哀しかった。
そして病室から暇乞いをする時には、「ありがとう。こんなにいい付き合いができるとは思わなかったよ。ありがとう。」って、元気な頃のちょっとはにかんだあの表情に戻って手を握り締めてくれたのだ。
今もあの声、感触がよみがえってしまう…。


周治さん、どうか、どうか安らかに。
僕はあなたとの想い出を、ずっーと、大切に抱きしめていきます。
本当にありがとうございました…。

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2009年5月29日 (金)

ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス

David_gillingham_condWith Heart and Voice
D.R.ギリングハム
(David R. Gillingham
1947- )







デヴィッド・ギリングハム
(冒頭画像)は「黙示録による幻想」「創世記」の2つの交響曲、「エアロダイナミクス」「ギャラクティック・エンパイア」などで知られ、今や吹奏楽界で最も人気のあるアメリカの作曲家。ダイナミックなサウンドと、現代感覚のある曲想がその魅力である。
「ベトナムの回顧」「アンド・キャン・イット・ビー?」「目覚める天使たち」といった時事問題をテーマにしたシリアスな作品もあるが、これらを含めた多くが標題音楽であり、内容がインスピレーションの対象に直結しているという”判りやすさ”も、人気を集めている要因だろう。

本稿で採り上げる「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」(2000年)も標題音楽の例外でなく、かつ祝典音楽としての”華やぎ”も有していることから、ギリングハム作品の中でも際立って人気が高い。
2003年全日本吹奏楽コンクールでは樽町中と広島大がこの曲を採り上げて見事金賞を受賞、人気は一気にブレイクした。

♪♪♪

「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」は、ミネソタ州のアップル・ヴァレー高校の創立25周年を記念してギリングハムへ委嘱された作品。
ギリングハムは同校を訪問した際にその芸術への傾倒ぶりに感銘を受け、大きなインスピレーションを得たとのことである。加えて同校の校歌がギリングハムが特に好んだ聖歌("Come Christians, Join to Sing")と同一であったことに、運命を感じたという。
かくしてギリングハムは委嘱を快諾し、
"Come Christians, Join to Sing"の主題をフィーチャーした楽曲を完成、創立時の不安から学校としての使命への傾倒、そしてその使命を忘れることなく達成へと進む同校の未来を描いて、アップル・ヴァレー高校を祝うものとしたのである。

「聖歌”Come Christians, Join to Sing”の最初の一節には”Let all, with heart and voice, before his throne rejoice”というくだりがあり、これに基いて標題は”With Heart and Voice”となった。素晴らしいアップル・ヴァレー高校の25年間を祝福するに、我々の「心」と「声」を以ってするに勝ることはあるまい。ここでの「声」とは音楽であり、そして「心」とは祝典において音楽が与えてくれる感動のことである。」
(ギリングハムのコメント)


♪♪♪

Come_christians_join_to_sing「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」にフィーチャーされた聖歌
”Come Christians, Join to Sing”(来たれ教徒よ、ともに歌わん)
は古くからスペインに伝承されていた旋律とのことだが、これは元々”Come Children, Join to Sing”という題名で、子供たちの日曜学校の歌であった。これを現在の歌詞の作者であるC.H.ベイトマン(Christian H. Bateman)が「この聖歌があらゆる人々に愛唱されるように」と改めたものである。ベイトマンによる作詞は1843年で、スコットランドにおける子供向けの聖歌集に初出している。

     歌詞の各連に現れる「アレルヤ(Alleluia)」「アーメン(Amen)」という言葉は
     意味深い聖書用語とされる。
     「アレルヤ」は英語の「ハレルヤ」と同義のラテン語で”主を讃えよ”を意味す
     るもの。一方、祈りの締めくくりとなることが多い「アーメン」は”真実””確信を
     もって””そうあれかし”といったことを意味するもの。
     従って、讃美の「アレルヤ」と喜びを確信する「アーメン」とを組み合わせた歌
     詞を持つこの聖歌は、主キリストを讃える音楽で満たされている。現在、そし
     て今後永久に主への讃歌を歌おう、とキリスト教徒に呼びかけるものであり、
     老若男女を問わず全ての人々に受容れられる聖歌と位置づけられている。


※出典:The Center for Church Music

♪♪♪

楽曲としては、
1. アップル・ヴァレー高校の校歌でもある聖歌
   ”Come Christians, Join to Sing”の主題
2. 同高校の芸術への傾倒(commitment)という
    ”使命”(mission)を表すオリジナルの主題
の2つの旋律を用いたコラージュというべき作品。

密やかで緊張感の高い導入部に始まり、美しくたおやかな歌があり、荘厳で輝かしい歌があり、激しい打楽器群の鳴動があり、16ビートの現代的でエネルギッシュな場面もある。そして変拍子でアクセントをつけたかと思うと、2つの旋律が一つになって高揚するクライマックス!
最後は快速・迫力・華麗を備えた終結部と、極めて多彩な楽曲となっている。

一方、ギリングハムのオリジナルである”使命の主題”は”聖歌”からの派生的なものであり、当初から”聖歌”と一つとなって歌われることが想定されていただろう。楽曲の設計と作曲意図が非常に明確であり、2つの主題が密接な関係を有していることが、全曲に亘り統一感を与えている。

以上のように、約9分弱の音楽の中で”多彩さ”と”統一感”とが見事に両立しているものであり、ギリングハムの最高傑作の一つと評価できよう。

詳細は、ギリングハム自身の解説(「」)に沿ってご紹介する。

1_3「曲のもつ性格としてはまずもって祝典の楽曲なのだが、この曲は遠慮がち且つ不安気に始まる。おそらくアップル・ヴァレー高校の創立時がそうだったように…。
同校の校歌の小さな断片が冒頭に聴こえてきて、この最初の4音が徐々に勢いを増し、重なり合い、音量を増して、導入部は劇的なクライマックスを迎える。」

「これが静まって、抒情的なFluteソロが現れる。この新要素は、優れた学園たることと芸術への傾倒とに根ざしていくべく創立されたアップル・ヴァレー高校の”使命”のユニークさを表現するものだ。」
Fluteeuph「EuphoniumがFluteに谺し、ほどなく他の楽器も加わってきて、劇的なファンファーレとともに高揚していく。」
F_horn
「次いで、不協和音と活発なリズムを伴った移行部となるが、これこそは新設校に命を吹き込もうとした挑戦を示すもの。さらに校歌(聖歌)が輝かしく提示され、25年前のアップル・ヴァレー高校の献身を表している。」
3_2
5_2「目まぐるしい打楽器群の動きをバックに展開するフーガは、同校の目標ならびに使命に対する、たゆみない挑戦そのものである。熱狂的であり、鬼気迫らんばかりに昂ぶるが、それもやがて落ち着いてゆく。
”校歌の旋律”と
”使命の旋律”とが一つになって大いなる安寧を描写するのだ。」


6「…アップル・ヴァレー高校は存立し続けるために、自らの”使命”を決して忘れてはならないのである。
拡張された終結部では、陽気で楽しげに、そして劇的さをもった祝典のムードに溢れて2つの主題が奏され、全曲を締めくくる。」












それまで自由に、さまざまな表情を見せていた音楽が、2つの主題の一体となったクライマックスへ集約していくさまは(ある意味”お約束”とはいえ)、洵に感動的!
そして終結部に現れる金管群の重厚で輝かしいサウンドや、鮮烈なドラ(Tam-tam)の響きは理屈抜きにエキサイティングであり、熱情的なエンディングに心躍らされる。

尚、全編に亘りさまざまな打楽器群※が登場し、その演奏には優れた音色・精密さと積極的な表現が求められる。優秀なパーカッション・パートの存在が好演の前提となることは、疑いないだろう。
※ timpani, crotales(antique cymbals), xylophone, temple blocks,
    bells, crash cymbal, tam-tam, vibraphone, chimes, hi-hat,
    snare drum, tom-toms, bass drum, brake drum,
    suspended cymbal, marimba


Ws001音源としては
ユージン・コーポロンcond.
昭和ウインド・シンフォニー

のLive録音が素晴らしい出来映え。
積極的でメリハリのある表現は、個々のプレイヤーの自発性の高さゆえ。全曲をよく見透した構成力のある演奏であり、ここぞという場面で開華する鮮やかなサウンドも見事!

【他の所有音源】
  デヴィッド・ギリングハムcond. フィルハーモニックウインズ大阪 [Live/自作自演]
  デニス・フィッシャーcond. ノーステキサス大学シンフォニックバンド
  井上 道義cond. 大阪市音楽団 [Live]

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2009年5月 5日 (火)

ジュビラーテ

3Jubirate
R.E.ジェイガー
(Robert E. Jager 1939- )


ふと無意識に出てしまう口笛や鼻歌-それは人それぞれに違っていると思うが、私の場合は相当の確率で冒頭譜例のフレーズが現れる。1978年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲A「ジュビラーテ」練習番号Eのピッコロ・ソロ(A.Sax.とのソリ)である。
-何で「ジュビラーテ」?自分でも判然としない…。

♪♪♪

1978年の吹奏楽コンクール課題曲は
A ジュビラーテ (R.E.ジェイガー)
B カント (W.F.マクベス)
C ポップス変奏曲「かぞえうた」 (岩井 直溥)
D 行進曲「砂丘の曙」 (上岡 洋一)

であり、私が演奏したのは「かぞえうた」。コンクールの想い出が「ジュビラーテ」にあるわけではない。

吹連は40周年記念事業として、この年の課題曲をジェイガー、マクベスという二大巨匠に委嘱していた。ところが、マクベスは日本のコンクールを当時のアメリカのコンクール(初見演奏審査が中心と聞いた)と同様と想定してしまったようだ。そのためか、全国大会で「カント」を演奏したバンドはなし、という結果になってしまった。

また、前年の課題曲D=行進曲(「若人の心」)がBの部以下を対象としていたことから、1978年も「課題曲DはAの部では使えない」という思い込みがかなりの広範囲で発生していたと思う。大分県予選では選択したバンドはゼロ、西部(現九州)大会でも「砂丘の曙」を選んでいたのは全部門で石田中(沖縄)だけだったと記憶している。
ただ、石田中は「砂丘の曙」を”行進曲の枠組を超えて”歌いまくり、自由曲も伝説の名演となった「パッサカリア」を揃えて全国大会に進む。そして、金賞までも射止めてしまったのだが…。

そのような1978年課題曲の中で、「ジュビラーテ」が圧倒的な支持を集めていたことは間違いない。旋律はどれも魅力に溢れており、それがこの短い作品の中で次々に繰り出されて聴くものを惹きつけるのだ。自由曲もジェイガー作品で揃えるバンドもあり、”ジェイガー大好き”な私は羨ましくて仕方がなかった。
思えば、冒頭譜例のフレーズが私に刷り込まれたのも、そんな渇望ゆえだったのだろうか…。

♪♪♪

ロバート・ジェイガーは自作の特に緩舒部分が日本人に大変人気があることを知っており、「ジュビラーテ」を書くにあたってもこの”期待”に応えようとしたとのことである。そして、まさにその期待通りの作品となっている。

ジェイガー自身が解説したように、冒頭はホルストの「木星」(組曲「惑星」第4曲)にインスピレーションを得たもので、最初の主題提示もHorn(+ Sax)で行われる。
1_3急-緩-急の典型的な序曲形式であり、表題は”歓喜の小楽曲”といったニュアンスか。吹連の40周年を祝う意図もあったであろう。
「木星」よろしくシンコペーションを効かせた主題の展開が特徴的。後年この「ジュビラーテ」を演奏した際、トレーナーの方から「シンコペーションは音を抜かないで(=音の保持を充分に)!じゃないとリズムやテンポが判らなくなる。」と指導され、なるほどと得心したものである。

視界が開けて、Clarinet低音に現れる歌は実に幅広く暖かい。
2続いておどけたような木管セクションの応酬がある(冒頭譜例もその中のワンフレーズ)が、突如目覚めてエキサイティングさを取戻し、あっという間にクライマックスへ!

熱を冷ますようにTubaに導かれて音量とテンポを鎮め、Cantabile となる。ひらりひらりと舞うようなFluteの伴奏にのって、再び優美な旋律をClarinetが歌う。
4この中間部はロマンティックで、何より幻想的である。高揚した旋律に絡んでくるEuph.(+ Sax)の対旋律がまた素晴らしい!
5(実は私、主旋律よりこの対旋律の方が好みである♪しかも…音色はEuph.だけでいい!)

Hornのソロがますます幻想性を深めたのに続き、中間部冒頭が戻ってきてAllegro con brio の再現部へ。旋律が大きなうねりのようにセクション間を受け渡されて循環し昂ぶるさまが聴きもの。最後は短いコーダに突入し、スネアのリムショットとベル・トーンで鮮やかなエンディングとなる。

♪♪♪

課題曲としての役目を終えて「ジュビラーテ」は改訂(*)され、Southern Music Companyより出版された。

*中間部に入る前=練習番号Gの3小節前の低音(Tuba,Fagotto)の動き:
    4分音符スタッカート → 休符なしの長い音符のスラーに


非常にコンパクトにかつ確りとまとまった佳曲であり、何より中間部の夢想的な幻想性は、永く愛される価値のあるものである。

音源は1975年以降のデモ・テープ音源がついにCD化されたものがある。2008年までの全て(1979年課題曲E「朝をたたえて」を除く)が4CD×2セットにて網羅されたのである。
1_2「ジュビラーテ」は
アントニン・キューネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

による演奏。完璧、とはいえないし当時多かった「如何にもスタヂヲ録音」な音源だが、真摯で情熱的な演奏であり、私はやはりこれをお薦めしておきたい。

※他の所有音源<いずれも課題曲版>
    渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
    山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ


♪♪♪

演奏参加型の音楽である吹奏楽において、「課題曲」は特別な存在。なにしろ見事なまでに各世代ごとの”共通体験”なのである。「○○○(課題曲名)の年に中3で…。」なんていうだけで、歳まで判ってしまう。^^)

課題曲であろうがなかろうが、良い曲は良いし、良くない曲は良くない。ただ、否が応にも”演奏体験”が付加されるために、課題曲は過大評価されがちだと思う。本来、楽曲に対する評価は”演奏体験”を除いた客観性によって下されるべきなのに。もちろん如何なる課題曲であっても”想い出”としての価値は十二分に認めるところではあるのだが…。

いずれにしても、日本中のバンド(しかも多くは若い生徒たち)が長い時間と多大な労力、思い入れを投入するのであるから、提供する側にも、「課題曲」を音楽的魅力や内容を備えたものとする責務があるはずだ。
「(オーケストレーションを含めて)”良くない音楽”を何とか良いものになるよう演奏することこそが、課題曲への取組である」
などという馬鹿げた考えは、まさかないだろうと信じたい。しかし近年、その様相がいよいよ強まっているようにも感じられて仕方がないのだが…。

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2009年4月25日 (土)

オセロ -シェイクスピアに基く5つの場面による交響的描写

Pf_1951462scenefromothellobywilliamOthello
Symphonic Portrait for
Concert Band / Wind Ensemble
in Five Scenes after Shakespeare

I.   Prelude (Venice)
II.  Aubade (Cypros)
III. Othello and Desdemona
IV. Entrance of the Court
V.  Epilogue
  - the Death of Desdemona


A.リード
(Alfred Reed  1921-2005)




冒頭画像 :”Scene from Othello” by Hubert Gravelot


数多くの名曲を遺したアルフレッド・リードが、「ハムレットのための音楽(1971)」に続いて1977年に作曲した”シェイクスピア・シリーズ”の第二弾。リードはさらに「魔法の島(1979)」「十二夜(2003)」「アーデンの森のロザリンド(2004)」とシェイクスピア戯曲にインスパイアされた作品を書いたが、「オセロ」はそれらの頂点に位置すると称するにふさわしい、洵に魅力的な楽曲である。

「各楽章は、それぞれ戯曲のある場面が醸成する雰囲気や情感を音楽的に描写したもので、いずれも台詞の引用が冒頭に掲げられている。」
とのコメント通り、リードは重要な科白から指し示される情景をイメージしつつ、「オセロ」の世界を描写的な音楽としてまとめあげた。

元々は1974年にマイアミ大学リング劇場による「オセロ」の劇付随音楽(金管楽器16+打楽器3の編成/全14曲から成る)として作曲された経緯にある。また吹奏楽版と同様の5楽章から成る金管合奏+打楽器による”Music from Othello”という作品も編まれており、こちらは録音(後掲)も残されている。

♪♪♪

1981年の全日本吹奏楽コンクールで天理高校がこの「オセロ」を快演し金賞受賞。大変レベルの高かったこの年の中でも天理らしい魅力的なこの演奏が、一気に「オセロ」を吹奏楽界に知りわたらせた。
張り詰めた緊張感の”プレリュード”、美しく切ない”オセロとデズデモーナ”、壮麗な”宮廷への入場”と続いて描かれた世界は、制限の多いコンクールの中でも抜群に輝き、以降「オセロ」は吹奏楽コンクール自由曲の定番となっていく。
Photo_8実は全国大会初演はこの天理の演奏ではないのだが、かつて効果的な抜粋によりリードの「ハムレットのための音楽」を構成してみせた天理の面目躍如たる選曲と演奏であることは間違いない。
特に”宮廷への入場”は圧巻で、終盤のアッチェランドから一音ごとに輝きを増していくサウンド、続く高らかなTromboneのハーモニーの鮮やかさ、クライマックスに放たれるシンバルの劇的さなど、あまりに感動的な演奏には思わず涙が頬を伝ったものだ。

また、1986年の関東大会(於:横浜県民ホール)高校の部では、野庭・市立川口・市立柏(代表・代表・金)が同じこの「オセロ」で激突!幸運なことに、これをライヴで聴くことができたのだが、その聴き応えたるや・・・。今でも大変印象深く、忘れることのできない競演である。

♪♪♪

Shakespeare_2ウイリアム・シェイクスピア
(左画像/William Shakespear
1564-1616)
の作品を題材にした音楽は本当に数多い。リードも
「シェイクスピアほど音楽作品に影響しているものは、例をみない。それは国籍や個性を問わず、あらゆる作曲家がシェイクスピア作品の豊かさや創造性に魅了されてきたからだ。」
と評している。


「オセロ」(Othello)
は「ハムレット」「マクベス」「リア王」とともに、シェイクスピアの所謂”4大悲劇”の一つとして高名であり、中でも明快な構造の作品といわれる。1604年初演と伝わるこの悲劇のあらすじは次の通りである。

  ヴェニスのムーア人、オセロ(Othello)は勇猛果敢で鳴らし、
    数多の戦功を挙げた名将にして、高潔な人物である。
    彼は黒人
※1であったが、人種の違いを超えてヴェニス貴族
    ブラバ
ンショー(Brabantio)の若く美しい娘デズデモーナ
   (Desdemona)
と恋に落ち、ブラバンショーの反対を押し切っ
    て結婚の契りを交わす。
    一方時を同じくして、オセロはヴェニス公爵
※2から名誉ある
    キプロス
島総督に任じられ、蜜月のデズデモーナを伴って
    かの地に赴くのであった。

    かくして公私ともに順風満帆と思われたオセロであったが、
    その彼に部下の旗手・イアーゴー(Iago)のどす黒い企みが
    迫る。イアーゴーは同僚キャシオー(Cassio)の副官昇進を
    嫉んで復讐を誓い、オセロを破滅に陥れようとしていた。

    イアーゴーは表面では忠誠を尽くすフリをして信頼を得ながら、
    巧みにオセロがデズデモーナとキャシオーの不貞を疑うよう
    仕向けていく。疑心暗鬼となりイアーゴーの奸計にまんまと嵌
    ったオセロは、徐々に激しく嫉妬に狂い、遂には自らの手で
    デズデモーナを刺し殺してしまう!
    この惨劇を見たイアーゴーの妻エミリア(Emilia)が真実を
    告白し、デズデモーナの潔白を知ったオセロは、デズデモーナ
    の亡骸に口づけしつつ、自らの命も絶つのだった。


     ※1  ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒を指すもので、
            本来「黒人」とは異なる。シェイクスピアがこの「オセロ」で
             ムーア人=黒人という設定を施したものとされている。

     ※2  「オセロ」の舞台は16世紀のヴェネツィア共和国と推定され、
            ”ヴェニス公爵”とはその国家元首である。当時のヴェネツィ
            ア共和国にはオスマン帝国の脅威が迫っており、その防衛
            は最大の国家課題であった。かかる
時代背景の下に、「オ
            セロ」は描かれている。

  ※3 「オセロ」は後世に強い影響を与え、その科白も数多く引用
            されている。エルガーの行進曲「威風堂々」の原題 "Pump
            and Circumstances"も、第3幕第3場のオセロの科白に由来
            するものである。       
                  Farewell the neighing steed, and the shrill trump,
                  The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,
                  The royal banner, and all quality,
                  Pride, pomp, and circumstance of glorious war !
           また同じく第3幕第3場に現れる「嫉妬 は緑色の眼をした怪物」
           という科白なども印象深い。嫉妬に狂うと眼が緑色に… その
           表現は面白く、妙に納得的だ。


「オセロ」には、その元となった物語が存在する。
ジラルディ・チンツィオ(Giovanni Battista Giraldi Cinthio 1504-1573)作の「百物語」(1565)第3日第7話である。
設定や大筋は同一であるものの、登場人物中デズデモーナ以外は名前が明らかでないことをはじめ、シェイクスピアの「オセロ」とは以下のように大きな相違点がある。

・嫉妬に狂ったムーア人の主人公は、デズデモーナを殴り殺すと
  いう残忍性を帯びており、加えてその殺害を事故死に見せかけ
  る姑息な人物となっている。また、デズデモーナの潔白は最後
  まで知ることがない。
  さらにこのムーア人の主人公は、自決するどころか拷問に耐え
 流刑に処されるにとどまるが、最期は流刑地でデズデモーナの
 
一族の手にかかって殺されることとなる。

・(「オセロ」におけるイアーゴーに該当する)部下が主人公のム
  ーア人総督を陥れたのは、冷遇を恨んだことだけではなく、デ
  ズデモーナに横恋慕し、それが叶わぬことが大きな動機となっ
  ている。(「オセロ」でもデズデモーナに横恋慕する男は登場す
  るが、それはイアーゴー自身ではなく、イアーゴーはその男を
  利用するに過ぎない。)


「百物語」にあるこの”原典”は、実在した16世紀のキプロス総督※をモデルにしたといわれるが、一言で云えば”奇譚”の域を出ないもの。
美しき白人の令嬢と逞しきムーア人の勇士-こうした異人種男女の恋や秘事は、現代でも下衆な好奇に晒されている。そう、殺害場面の猟奇性も含めて、この原典譚はまさに”好奇”の視点へのアピールが強すぎるのだ。
※註:キプロス司直で裁かれた犯罪者がモデルという説もあり

一方、シェイクスピアはこの原典譚を題材に、高貴な精神性と悲劇性とを限界まで高めたとは言えまいか?
嫉妬に狂い、妻を殺す-それがあまりに真っ直ぐで高潔な人物の惑った結果であるゆえに、悲しい。信じたくて已まない妻を殺害した直後に、その潔白という事実が迫ることが悲しい。ほかに途のないオセロの自決という必然が、悲しい…。
そして、それを仕組んだイアーゴーの邪心が(恋慕などという情念的なものでなく)純粋に名誉欲、或いは権力欲に過ぎないことが、また悲しい。

原典は相応な時間の経過の中で展開するのに対し、「オセロ」ではごく短い時間に圧縮されて展開する。オセロとデズデモーナの幸せな時間もごく僅かでしかない。
「時間の短縮」によって緊迫と転変の効果を増し、悲劇性を高めるのがシェイクスピア得意の手法とのことだが、それも含めてシェイクスピアは原典である”奇譚”を「オセロ」という”大悲劇”へ昇華させたのである。

Photo※参考・引用文献 :
「オセロー」  
小田島 雄志 訳 渡辺 喜之 解説 (白水社)
「百物語 抄」 望月 紀子 訳
  (ルネサンスの箱 澁澤 龍彦 / 筑摩書房)
三神  勲 によるオセロー解説 


♪♪♪


作曲者リードは詳細なプログラム・ノートを遺している。これ(「」)も引用しつつ楽曲の内容を楽章ごとにご紹介する。3連符のリズムが悲劇的要素のモチーフとして強弱変化しつつも全編を貫いており、統一感と劇的な感動を演出しているのは印象的である。

I.前奏曲(ヴェニス)
   
”習慣とは恐ろしきもの。戦の庭にあって石を枕に鋼を床に
     して参りました我が身には、今や戦場こそこよなき羽毛の
     寝床でございます。”

「冒頭から戯曲全体に漲る緊張感と戦いの雰囲気を醸し出しているが、これは第1幕第3場でオセロがヴェニス公爵に行った演説(台詞上掲)に象徴される。」


1打楽器のショットで堰を切るTrp.・Trb.の楽句によって、決然と開始。その表情は険しく、緊張感が全合奏にそのまま引き継がれていく。壮大なサウンドは一旦静まって、(第3楽章に登場する)美しくも物憂げな旋律へ-。やがて遠くからファンファーレが聴こえると、鮮烈な応酬を積み重ねてスケールの大きな音楽となる。ここからは冒頭が再現されるや直ちに落雷の如くHornの楽句が下り、息つくまもなく重厚な音塊が押し寄せる-と、実に精力的でパワフルだ。
音楽は放射状に高揚し、緊張の頂点で終止符を打つ。ここでの執拗な3連符の鋭い打ち込みは、逃れることのできない哀しき運命を暗示しているのではないだろうか-。

II.朝の歌(キプロス)
     ”おはようございます、将軍”
「オーバード(Aubade)は朝の歌即ちセレナードで、(赴いたキプロスにて)オセロとデズデモーナの居所の窓の下で演奏する旅回りの楽隊によって奏されるもの。(第3幕第1場)この楽章は少人数で奏されることにより、荘厳な第1楽章や、豊潤で深遠な第3楽章と最高のコントラストを生み出すことができる。」


Photo古風で軽快な音楽。悲劇の中でも安寧な雰囲気にある場面を描いたものであり、16世紀の街中にある些細な楽隊がそのままイメージできよう。
その軽快で爽やかな楽想を活かすため、リードは「Cl.・Euph.・Tubaを各パート2名とする以外は全パート1名ずつで演奏すること」と指示している。

III.オセロとデズデモーナ
    ”あれは私が冒した艱難ゆえに私を愛したのであり、また
     そうした我が身上を哀れんでくれたゆえに、私もあれを
     愛したのでございます。”

「オセロとデズデモーナの間の情熱的だが優しく深い情感を描写している。副題には、デズデモーナに求愛したことに関して、オセロがヴェニスの議官たちの前で行った弁明(台詞上掲)を引用している。」


ファンタジックなサウンドに包まれて、木管群が甘美な歌を歌う。デズデモーナの美しさや、二人の愛の純粋さをイメージさせる清々しさだ。
1_2穏かで優しい音楽は、幸せな時間が夢の中でたゆたうように過ぎていくことを表す。-なのに、続くHornのソロにはもう既に”悲しみ”が潜んでいる。
さらに音の束を厚くして歌い上げられていく旋律は、確かに美しい。
Photo_2しかし、それは煽情的なオブリガートを伴いながら高揚するにつれて、胸をかきむしるような不安に包まれていくのだ。特に咽ぶようなHornのオブリガートには心が激しく揺すぶられてしまう…。
Photo_6この劇的なクライマックスの後、二人の運命と愛の行方を暗示する音楽は、やがてぼんやりと遠く、遠く消えていく。

IV.廷臣たちの入場
     ”見よ、ヴェニスの獅子を!”
「(この楽章で描写したのは)シェイクスピア原典の第4幕第1場と、ヴェルディの歌劇のためにボーイト(Arrigo Boito 1842-1918)が脚色した台本に登場する同様の場面との合成である。激怒と嫉妬のために半狂乱に陥ったオセロが、オセロを英雄として讃えようと訪れた廷臣たちの前でデズデモーナを罵り、殴るという忌まわしい場面の後、イアーゴーは(痛烈な皮肉を込めて)オセロを嘲笑するのである。」


全曲の白眉といえる楽章。喨々たるファンファーレに始まり、絢爛豪華で”颯爽”としたフレーズが随所に現れる。添えられたリードのコメントに違和感を覚えるほど、威風堂々として気品と輝きに満ちているのだ。
主部は悠然たるグランドマーチだが、これに緊迫したHornや炸裂するシンバルとTrb.などが豊かな色彩を加え、重厚さも増していよいよクライマックスに向かう。(轟くBassTrb.の音色が冴える!)
1_3気忙しく駆け上がる木管をきっかけにサウンドはさらに煌き、その頂点(Poco piu mosso)でバンド全体が大きく鳴動すると、これにTrb.ソリが呼応する…その華麗さといったら言葉に尽くせない。
Photo_5高らかなファンファーレに続きシンバルが劇的に響きわたると、ドラムロールを従え最後まで華々しい楽句で曲を結ぶ。

V.エピローグ -デズデモーナの死
  ”お前を殺す前に口づけをしてやったな。
      こうするよりほかは…”

「第5幕第2場が戯曲を集約し、人間性を切り裂き人間性よりも優位に立ってしまった誤解の全てを集約しているのと同じく、この終楽章は全曲を総括し、これまでに生じた不協和音を最終的に解決させている。その副題には、デズデモーナの屍にオセロが語りかける最後の有名な台詞を引用している。」


前楽章の華々しい印象は、序奏で瞬時に漆黒の暗鬱な雰囲気に変貌してしまう。空しさの漂う中、沈痛なMuted Hornのソロが挽歌を歌う。
5続く第2楽章の旋律の再現。愛情に満ちた日々のオセロとデズデモーナを回想させるが、その旋律は高揚しながら形相を変え、この上なく悲劇的なものとなって分厚いサウンドが聴くものを圧迫する。クライマックスで打ち放たれるスネアのリズム(悲劇の3連符)は、やはり逃れられなかった哀しい運命を象徴するものであろう。
やがて声にならぬ祈りのような密やかな音楽となって、それは徐々に生命力を失い、悲劇の終幕にふさわしいダウン・エンディングとなる。

Reed_2※参考・引用文献 :
「アルフレッド・リードの世界」
                     村上 泰裕  訳・編著 (佼成出版社)

吹奏楽界の巨匠アルフレッド・リードがその遺した楽曲について
書き記した解説や演奏上のアドバイスを網羅的かつ詳密にまと
めた名著。何よりその真摯な翻訳・編集スタンスが素晴らしい。
リード作品の鑑賞・演奏上、最も重要な参考文献と断言する。
1998年の出版であり、今後ぜひリード最晩年の作品も収録した
「改訂完全版」が上梓されることを心から望みたい。


♪♪♪

「オセロ」は美しい旋律やカラフルな色彩感、各楽章のコントラスト、輝かしく豊潤なサウンドといったリードの美点が散りばめられた作品であり、これらをぜひ存分に堪能したい。音源としては以下をお薦めする。

Tkwo005アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

最も安定し、オーソドックスな自作自演盤。気品と落着きがあり「オセロ」の王道ともいうべき演奏だが、メリハリもあって丹念な曲作りが窺える。発売当時、漸く登場した市販初の全曲録音であり、ファンには歓喜をもって迎えられた。

Image_2jpegウイリアム・シルヴェスターcond.
イースタン・ウインド・シンフォニー

前述した金管+打楽器による編成版。構成等ほぼ吹奏楽版と同じであり、「オセロ」の原典を垣間見させるもので参考になる。その一方でこの版を聴くと、リードが木管楽器を実に効果的に使用したオーケストレーションを施していることが再認識できる。

※その他の所有音源
   金 聖響cond. シエナウインドオーケストラ
   野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊
   アルフレッド・リードcond. イースタン・ウインド・シンフォニー
   アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウインドアンサンブル
   鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー
   アルフレッド・リードcond. アメリカ空軍ミッド・アメリカ・バンド

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2009年4月 5日 (日)

ウォーキングの友・スポーツイヤホンRSEP02W (2009.4.5.)

P4040002昨年9月にダイエットを敢行した際、主たる運動増加は負荷ウォーキングであった。膝などを痛める可能性も低いとして勧められたエクセサイズだが、「最低40分間は歩かないと」と言われて悩ましかった。
健康のため運動は大切だが、限られた自由時間は有効に使いたい-。そうなると、音楽ファンなら”聴きながら”は当然の選択。

そこで私は iPod nano(第4世代/8GB)を購入した。とりあえずはiPod付属のイヤホンを使っていたのだが、ウォーキング時の装着安定性や音質には満足をしておらず、「これは」というイヤホンはないかと、ずっと物色していたのである。

※運動以外の普段には、iPod Classic 160GB + SHURE SCL4 の組合せを使用
    しており、相応満足している。しかし、このセットによる遮音性の高さはウォー
    キングには不向きかつ危険である!


♪♪♪

そして、遂に見つかった!
スポーツイヤホン・イヤーフックリバース
サウンドシステム・RSイヤフォン

(RSEP02W / Micro Solutions社

である!

安定しているが軽快な装着感と、シンプルで爽やかな音質。まさにウォーキング向き!またこれが2,205円で買えるというのは、コストパフォーマンス最高というしかない!特にポピュラー音楽では、このイヤホンの長所が存分に活かされると思われる。

私同様に「ウォーキング中も音楽!」という方にはぜひオススメします!

ちょっとコードが長いので、
Smartwrap コードマネージャー
(SUMSWWT / Pleiades Sumajin社)

も購入して好みの長さにコントロールしたら良いと思う。このアイテムはとにかく軽く、コードを巻く表面のすべすべで滑らかな感触がまた素晴らしい。併せてオススメ!

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2009年1月27日 (火)

シンフォニア・ノビリッシマ

Cd001Sinfonia Nobilissima
for Band
R.E.ジェイガー
Robert E. Jager 1939
-)







「カッコイーッ!」


木造平屋建の部室でこの曲のレコードを聴いていた、当時中学1年生の私の口を突いて出た感想である。堂々たるイントロはもちろん、「ばばばばばばばば」とD♭スケールで駆け上がり、高らかにメロディを執るTrombone・・・
うーん、いい!

キラキラ輝くOboeソロ!(というより、この頃は
ただただ「これがOboeかー、すげー。」という感想だったが・・・。^^;)に続いてまたもバリバリ鳴らすTrombone、次いで耳慣れない太鼓の音色(「トコトコトン」)が印象的だ。部室に楽譜があったから見てみると、1st Tromboneの最高音はHi-H!(高ぇ!)。あの太鼓の音は”スネア・オフ”という奏法らしい。確かに、部室のスネアのレバーを”オフ”にして叩いてみると、同じ音色がした。面白い!

それに、最後の打込みは何度聴いてても”ズレ”についていけない。絶対飛び出しそうだなぁって先輩達と笑った。自分の担当楽器であるTromboneは全編に亘って大活躍だし、聴けば聴くほど演ってみたいなーって思いが、ぐぅぅぅーっと募ったことを思い出す-。

♪♪♪

1960-70年代を代表する吹奏楽オリジナル屈指の名曲。邦訳タイトルとして「吹奏楽のための高貴なる楽章」もある。音楽之友社から日本版の譜面が発売されたこともあり、当該年代に吹奏楽に触れた方々には想い出深い作品であり、また憧れの楽曲でもあっただろう。私自身にとっても前述のように、強い憧憬の対象であった。

この時期、吹奏楽界では未だOboeの存在は希少であり、Oboeが極めて重要な役割を果たすこの曲は、敷居の高いものでもあった。それでも圧倒的な人気を誇ったことは、その魅力のほどを如実に物語る。全日本吹奏楽コンクールでも1969年の阪急百貨店に始まり、12回採り上げられているが、1977年の天理中を最後に姿を消した。
(譜面づら以上に演奏はなかなか難しく、必ずしもコンクール向きの曲ともいえないのである。)

♪♪♪

作曲者ロバート・ジェイガー公式HPには、1965年の作曲と記録されている。しかしながら、当時の事情に詳しい秋山 紀夫氏の解説によれば1962-1963年にかけて作曲されたとされる。当時婚約中であったルシル夫人に捧げられた作品であり、中間部のロマンティックで優美な旋律は、ルシル夫人も大変なお気に入りであるという。

そう、この「シンフォニア・ノビリッシマ」は、さまざまなアイディアが次々と現れ、ジェイガーの才能が随所に閃く作品なのだが、何といってもこの”渾身の”名旋律こそが、その白眉である!-婚約者に捧げられたとあれば、それも納得できるというものだ。

この後、ジェイガーは「交響曲(第1番)」「ダイアモンド・ヴァリエーション」「シンフォニエッタ」によりABAオストワルド作曲賞を3度受賞するなど、吹奏楽界に燦然と輝く作曲家として活躍していく。

♪♪♪

1Andante fieramente(fieramente:熱烈に、激しく)の序奏部で始まる。重厚なサウンドで主要旋律が堂々と、そして標題通り高い品格をもって奏されるその瞬間から、楽曲に惹きこまれてしまう。ありがちな前奏などは敢えて排し、”いきなり”主題をガツンと提示するアイディアは、却って大変斬新に感じられるものである。その主題の頂点で Allegro con brio に転じ、華々しい響きで主部に突入、急-緩-急-コーダの典型的な序曲形式で楽曲は展開していく。

冒頭に提示された旋律が今度はクラリネットの美しい音色で朗々と奏される。
2以降、ソロも散りばめ各楽器の特質・音色を活かした非常に多彩な音楽となっていくのだ。


特に、クラリネット群のシンコペーション伴奏を従え、ダイアモンドのようにキラキラ輝くOboeソロ、
4そしてそれを受けて凛々しく豪放にぶっ放す金管低音群とスネア・オフのカウンター、さらに鮮烈さを極めたTromboneソリと、息をつく間もなく聴かせていくさまは、ジェイガーの溢れる才能を強烈に認識させられる。
5この上、さらに堂々たるフーガを配してさらに音楽を深化させていくのだから、舌を巻くしかない。

突然の場面転換で中間部 Andante となる。ここでは音楽が全く違う表情を見せていく。
3清らかさ、気高さ、暖かさ、ロマンティックさ、感傷、想い出・・・現れた一つの旋律から与えられるイメージは本当に多様であり、それこそは如何に力のある旋律であるかの証左であろう。こんな旋律が生み出せただけでも、本当に素晴らしい。

続くOboeソロは、さらに切なさをプラスしてくる。
6もう胸がいっぱいになってしまって、とても涙なしには聴けない!
そして再び中間部冒頭の旋律が高らかに歌い上げられると、今度はHorn(+ A.Sax, Euph.)の劇的な対旋律が・・・。
7ああー、何てことをしてくれるのか。ここまでやるか!

高揚した音楽は幅広い感動的な”絶唱”となるが、そのまさに頂点で突然の Tempo I という大胆さ。コンパクトな再現部となり、最初のスネアのリズムからして緊張感を張り巡らせた音楽は、テンションを高めたまま終結部へと向かう。
曲の最後は、打楽器のロールの上で前出楽句とはわざとパターンをずらした打ち込み。きりりとした表情で、躊躇なく決然と締めくくる。

♪♪♪

シンフォニア・ノビリッシマの演奏にあたっては、テンポの変更を伴う場面転換がことごとく急であることを意識すべきである。決して躊躇うことなく、小気味よく転換していくことが肝要となる。特に、中間部 Andante の前では、Hornソリに”non rit.”という明確な指示もあり、ベタな繋ぎは禁物である。
また、中間部 Andante から Tempo I に戻るのも唐突でなければならない。絶唱を極め、それでもまだ歌いたい、まだ言い足りないと心を残したまま、敢えて断ち切るようにして再現部へ -その”残心”が聴きたい。それを際立たせるためにも、続く再現部はデジタルでストイックにコントロールされた、引き締まった演奏が求められるだろう。

そして各楽器の動きも、ある時は表、それが瞬時に裏に回るなどこれも転換が実に早い。甘美な旋律を存分に聴かせる一方で、全編を通じシャープな感性による敏捷な”切換”が重要となる楽曲なのである。

上記観点から、私のお奨めする音源は以下2つ。

Cd003佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ

大変メリハリを効かせているのに、隆々とした一本の音楽の流れが一瞬たりとも損なわれることのない名演。その小気味良さはあまりに快感。
特に、序奏部はこれぞ fieramente というべき演奏で、他の追随を許さない。唯一、中間部終わりの”残心”がもう少しだけ欲しかった!(音楽的なまとまりへの配慮が行き届いたゆえのことだと判っているのだが・・・。)

Cd002秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

オーケストラ的な明確な発奏とスッキリしたサウンド・・・。知性を感じさせる曲作りとともに、何といっても全編に漲る”拮抗感”-そのテンションが素晴らしい。
高潔なその演奏は”Nobilissima”の語感を体現したともいえよう。

<他の所有音源>

服部 省二cond. 海上自衛隊東京音楽隊
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
渡邊 一正cond. 大阪市音楽団
加養 浩幸cond. 航空自衛隊西部航空音楽隊
上原 紘一cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウィンドアンサンブル [1977 Live]
ロバート・ジェイガーcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
ウイリアム・ビンcond. カリフォルニア・ステート大学ウインドアンサンブル

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2009年1月10日 (土)

キューバ序曲

GershwinCuban Overture
G.ガーシュウィン
(George Gershwin 1898-1937)








ガーシュウィンが大好きだ。

ボーダレスに”いい音楽”を求めている私は、それを体現し自己完結させた作曲家であるガーシュウィンの作品に、強い魅力を感じる。それこそ「パリのアメリカ人」などは、今でも演奏してみたい曲の最右翼である。
彼の伝記映画「アメリカ交響楽」も学生時代に名画座で観た。その中に演奏のワンシーンが挿入されていた聴きなれない曲-それが「キューバ序曲」との出遭いであった。ラテンパーカッションが活躍しているその映像に惹かれ、早速音源を入手したのは言うまでもない。
しかし、当時は何故か”ピン”とこなかったのだ。

”忘れていた”私にこの曲を思い出させたのは、やはり吹奏楽。1995年全日本吹奏楽コンクール/就実高校の演奏である。惜しくも銀賞であったが、その底抜けに楽しい、活気に満ちた演奏は”音楽”の喜びが溢れていた。「キューバ序曲」の魅力を充分に伝えてくれる、記憶に残る好演であり、これによって私は「キューバ序曲」に惚れ直し、再び音源探求・・・そして実演へと向かっていったのである。

♪♪♪

20世紀アメリカ最大の作曲家ジョージ・ガーシュウィン(冒頭画像)。1919年の「スワニー(Swanny)」を皮切りに、現在でも愛唱・愛奏される数々のヒット・ナンバーを世に送り出し、時代の寵児となっていた彼が「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)」でクラシック界に衝撃を与えたのが1924年。その後も1920年代のうちに、ミュージカル・ナンバーの名作を生み出す傍らで、「ピアノ協奏曲ヘ調(Piano Concerto in F, 1925)」「パリのアメリカ人(An American in Paris, 1928)」と、次々に斬新なクラシック音楽を創り出していった。

Photo夭折したガーシュウィンが遺したクラシック楽曲は多くはない。そのいずれもが従来のクラシックの枠組みを超越した作品ばかりなのだが、中でも
「キューバ序曲」(1932)は一際異彩を放っている。
1932年2月にキューバのハバナで休暇を過ごしたガーシュウィンが、現地の楽器(クラヴェス、ボンゴ、ギロ、マラカス)を持帰り、これらをフィーチャーした作品である。初演時(1932年8月)の題名は
「ルンバ(Rumba)」というものであったが、同年11月の再演時に「キューバ序曲」と改題されている。

※ガーシュウィンの自筆譜に記載された標題も”Rumba”。
   絵心があったことでも知られるガーシュウィンは、
   ラテン・パーカッションのイラストも遺している。(上画像)


「この作品において、私はキューバのリズムと私自身が創作した旋律的な素材とを融合しようと努めた。その結果が、キューバ舞曲を体現する交響的序曲となったわけである。」
(ガーシュウィンによるプログラム・ノートより)


この「キューバ序曲」の誕生に関しては、大きく2つの背景があることを認識しておくべきであろう。

♪♪♪

第一に、「キューバ序曲」はガーシュウィンが交響的クラシック作品のジャンルにおいて、完成度を大きく向上させようと試みた作品であるということ。

既に音楽家として大きな成功を収めていたガーシュウィン。しかし賞賛してくれる批評家でさえ、自分の管弦楽作品にある幾つかのぶざまな構造には満足していない-。そのことを彼自身がハッキリ認識していた。1928年の渡欧の際に、モーリス・ラヴェルに師事しようとしたエピソードなどは、それが端的に現れたものである。

一方でガーシュウィンは、バッハの「フーガの技法」やシューベルト、ベートーヴェン、ブラームスの作品の研究を進めていたし、さらに彼の研究は親しくしていたベルクやシェーンベルクの前衛作品にまで及んでいた。永らく”異端児”であったはずのガーシュウィンのクラシック音楽に対する深い造詣は、いつのまにか友人たちを驚かせるほどになっていたという。
そんなガーシュウィンは「キューバ序曲」を作曲した1932年、遂にジョセフ・シリンガー(Joseph Schillinger)という作曲理論家に師事するのであった。

Photo_2※ジョセフ・シリンガー (左画像)
   スクリャービンの弟子であったロシア系ユダヤ人。
   バークリー音楽院の前身となった”シリンガー・ハウス”の
   創始者。後にジャズ界を席捲する”バークリー・メソッド”は、
   彼の考案した”シリンガー・システム”を元にしている。
   グレン・ミラーやベニー・グッドマンもシリンガーに教えを受
   けており、また電子楽器テルミンの開発に関係し、そのレ
   
パートリー提供を手掛けたことでも知られる。


シリンガーは「私こそが(作曲に行き詰った)ガーシュウィンの危機を救った。」と主張しているとのことだが、そこまでのことであったかどうかは後年の研究でも意見が分かれているらしい。
しかしながら少なくとも、「キューバ序曲」に転調の妙や新しいハーモニー、対位法上の新しいアイディア、流麗さというものが盛り込まれたのは、シリンガーに師事したことで生じた”変化”であるとされている。

それまで、作曲にあたってまず2台のピアノのためのスコアを作成し、音を鳴らしながらオーケストレーションを進めたとか、実際にオーケストラでの試奏を重ねたといわれるガーシュウィン。シリンガーがガーシュウィンに影響したものは何だったのか?残念ながら「キューバ序曲」の作曲に関して具体的な研究を施した文献は、見つけることができなかった。

コード進行法的な作曲理論なのか、或いは所謂”4度の和音”の使用といったことなのか。”横”の構築という視点が、対位法を中心とした”縦”の構築を中心とするといわれる伝統的なクラシックのアプローチの呪縛から、彼を解放したということなのか-。
シリンガー理論が、ガーシュウィンに”たちこめた霧を晴らす”ような啓示を与えたことは間違いないと思われるのだが・・・。

事実として(その人気のほどは別としても)、「キューバ序曲」はガーシュウィンの音楽的な成熟において、大きな飛躍を示した作品と位置づけられているのである。

001 <主な参考文献・出典>

・ガーシュウィン(大作曲家)
  Hanspeter Krellmann / 渋谷 和邦 訳
  音楽之友社

・「キューバ序曲」オーケストラ・スコア /
  解説「キューバ序曲のバックグラウンド」
  Alfred Publishing


♪♪♪

第二に「キューバ序曲」は、当時最先端の流行音楽にして異質な音楽文化の象徴であった”キューバ音楽”と、クラシック音楽とが初めて融合した作品であるということ。

「”ルンバ”というと、たいていの人は「南京豆売り」かその類の音楽を期待する。この曲はそうした音楽をうんと性格的に仕上げるアイディアの下に作られた。」
(ガーシュウィンのコメント)


Don_azpiazuラテンのスタンダード・ナンバーとして有名な「南京豆売り」(El Manicero / The Peanut Vender)が発表されたのは1928年。
ドン・アスピアズ楽団(Don Azpiazu/左画像)がニューヨークで録音したレコードは、1930年11月に発売されるやミリオンセラーを記録し、全米で大ヒットとなった。しかもその人気はアメリカだけに止まらず、ヨーロッパやアジアへと広がって全世界的なものとなったのである。

「キューバ序曲」が作曲されたのはまさにその直後・・・。そして確かに、「キューバ序曲」には「南京豆売り」を髣髴とさせる楽句とリズムがちりばめられている!

折りしも禁酒法(1920-1933)の時代であり、ガーシュウィンが1932年に休暇をキューバで過ごそうと思い至ったのは、酒を楽しむことのできるリゾートとしての魅力もきっと誘因ではあっただろう。

しかし、当時世界を席巻していた異文化の流行音楽と、それを生みだしたキューバそのものこそがガーシュウィンの最大の興味であったことは、想像に難くない。
「ラプソディー・イン・ブルー」で(本人は、そもそもジャズだクラシックだという区別などなかったかもしれないが)ジャズとクラシックとを融合したと評されたガーシュウィンは、今度は「キューバ序曲」でラテン(キューバ音楽)とクラシックの融合に挑んだともいえる。

自ら生み出したオリジナルの主題を、最先端の流行であるキューバのリズムと色彩にのせたシンフォニックな音楽-
”ラテンとクラシックの融合”がこれもまた後付の称号だったとしても、ガーシュウィンが心躍らせた純粋な音楽的興味が、「キューバ序曲」からは感じられはしないだろうか?

♪♪♪

これほどまでにガーシュウィンの音楽的興味をかき立てたキューバ音楽。そして、それを生み出したキューバそのものについても触れておきたい。

<キューバ>
Mapキューバはアメリカ南東端/フロリダ半島のさらに南、カリブ海に浮かぶ国である。本州(日本)の半分ほどのこの島国は、15世紀から永くスペインの植民地であった。名産の葉巻も有名だが、何といっても19世紀に大規模なプランテーションにより、世界最大の砂糖生産地となったことで知られる。
当時奴隷としてアフリカ系人民が多く導入された経緯にあり、これが現在ムラート(スペイン系白人と黒人の混血)が人種上かなりの割合を占める所以であるとともに、後述の通りキューバ音楽の形成にも大きな影響を与えているのである。

Cuba_11902年にはスペインから独立を果たすも、1959年のキューバ革命まで、事実上傀儡政権によるアメリカの支配下にあった。(ガーシュウィンの時代は、まさにこの時期にあたる。)カストロやチェ・ゲバラに主導された同革命によって社会主義体制に移行し、現在も独自路線を歩む国家となっていることはご存知のことと思う。
Cuba_2欧州と中南米の中継地点として交易が栄えたキューバは、美しい海や多彩な自然、そして豊かな資源にも恵まれ、”カリブ海の真珠”と称される。植民地時代の歴史的建造物も観光客の人気を集めているようだ。
Cuba_3外務省HP「キューバ共和国」

<キューバ音楽>
514jb47p12l__ss500_近年ますます高まるその人気を背景に、キューバ音楽を語る書物・サイトは多い。あれこれ目を通したが、その中でも
「キューバ音楽」
(八木 啓代・吉田 憲司 著 青土社 / 左画像)
が最も明快かつ適切なものであろう。キューバ音楽の成立と背景が理解できるのはもちろん、”クラーベ”を採り上げた後半の「理論編」の判りやすさがまた素晴らしい。

私は「キューバ序曲」を”ラテンとクラシックの融合”と敢えて呼んだ。
しかし同書を読めば、キューバ音楽自体がそもそも”さまざまな音楽文化の融合”であることが判る。実はガーシュウィンが(というより世界が)キューバ音楽と出遭った時、それは既に濃密な”融合”の賜物だったのである。

キューバ音楽の源流の一つは、フランスの貴族社会で18世紀に流行したイギリスの田舎風舞曲=「コントルダンス」であった。植民地時代、宗主国のあるヨーロッパの社交界で流行した踊りは「フランス渡来の貴族的でオシャレな音楽」として、キューバに受け容れられたという。
これはキューバ現地でほどなく揺れるリズム感のあるエキゾチックさを加え、ダンサという舞曲となる。そして逆に国外に持ち出され、ヨーロッパで大流行※となるのである。それが、「ハバネラ」である。ハバネラとは”ダンサ・アバネーラ”即ちハバナ風舞曲の略だったのだ。

※ヨーロッパでの流行を受けて、大作曲家たちもこぞってハバネラを書いた。
   ビゼーの歌劇「カルメン」のハバネラに至っては、実は当時キューバの
   イラディエルが作った「エル・アレグリート」という歌曲をそのままアダプトし
   たものだそうだ。


(コントル)ダンサはハバネラへと変貌し上流社会で流行したが、キューバの庶民階級でも管楽器を主体とした楽団で演奏された。より野生的なベースラインを持つ、よりリズミックな音楽である「ダンソン」となって熱狂的に流行したのである。

一方、プランテーションに大量に導入されたアフリカ系民族の音楽=所謂黒人音楽は、多彩な打楽器を用いてリズミックさを極めたものであり、”コール&レスポンス”(ソロの問いかけにコーラスがその繰返しで応える)という特徴的な形式を持っていた。これも、ヨーロッパ文化(賛美歌など)の影響を受け、キューバで独自の発展を遂げる。コルンビア・ワワンコ・ヤンブーの3種がある「ルンバ」※である。

※1930年代にアメリカはじめ世界的に流行、社交ダンスのジャンルとも
   なった「ルンバ」は後述する「ソン」(含むソン・モントゥーノ)のことであり、
   キューバ本来の「ルンバ」とは異なる。
   大ヒットとなった「南京豆売り」が発売された際に、英語の”Song”との
   混同を避けるため「ソン」ではなく「ルンバ」というジャンルとして紹介され
   たため、誤解と混乱が生じる結果になったとのこと。


こうして白人音楽と黒人音楽が、キューバで他文化の影響を受けて独自の変貌を遂げ、さらに融合しあったもの- それが「ソン」である。
一般的に「メロディックな歌曲形式の前半部+ソロ歌手とコーラスの掛け合いとなる後半部」という形をとる。後半の掛け合い部分(=モントゥーノ)を強調したものが「ソン・モントゥーノ」と呼ばれる。ソンこそは最もキューバ音楽の特徴的なジャンルとされ、ダンソンと融合して「チャチャチャ」や「マンボ」誕生への布石となっていったし、その後は当然のようにジャズとも融合して、現在も愛好される音楽であり続けている。

このように、20世紀前半までにキューバはまさに最先端の、これまでにない流行音楽を生み出していた。それは、禁酒法の時代に文字通り不夜城の繁栄を誇ったキューバの首都ハバナが求め、そして育てたものだっただろう。

「白から淡いグレーへの系譜でも、黒から濃いグレーの系譜でもなく、まさに、美しいカフェオーレ色の、生まれながらに混血のキューバ音楽の系譜である。」
(「キューバ音楽」p59より)

♪♪♪

以上のような背景をもち、色々な意味で”試行”であったといわれる「キューバ序曲」の出来映えには、ガーシュウィンも自信或いは確信を持っていた節がある。初演時の演奏には「この会場(野外)での演奏は向かない。」と不満を口にし、僅か3ケ月後の再演時には自ら指揮をしているのである。
(その後5年足らずで急逝したこの天才がもう少し生きてくれていたなら、”試行”を超えたラテンとクラシックの融合がより本格的な作品として結実を見たかもしれない。)

楽曲自体は急-緩-急-コーダの形式による、非常に明快な音楽。
”明快”であって”単純”とは異なる。美しくエキゾチックな旋律、多彩な表情とラテンパーカッションの活躍する活力あるリズム、そして豊かなサウンドに富む「キューバ序曲」は、私にとって大変魅力的な音楽である。

Photo_316当然ながら、「ソン」を代表するキューバ音楽の決定的特徴である
”クラーベ”(Clave)のリズムをフィーチャーしている。クラーベとはわずか5個の音符で演奏されるリズムパターン。これを刻む拍子木こそが、クラヴェス(Claves/左画像)というわけだ。
Photo上譜例にある通り、3個の音符(=緊張側:スリー・サイド)と2個の音符(=弛緩側:ツー・サイド)から成るリズムパターンであり、スリー・サイドから始まる”Three-Two(3-2)”とツー・サイドから始まる”Two-Three(2-3)”とがあり、「キューバ序曲」は”Three-Two(3-2)”である。

※参考文献・出典:「キューバ音楽」(八木 啓代・吉田 憲司 著/詳細前述)


♪♪♪

それでは、ガーシュウィン自身のコメント(「」)も引いて、楽曲の内容をご紹介する。

「この作品は3つの主要部分から成っている。最初の部分(Moderato e Molto Ritmato)は主題の素材の幾つかをフィーチャーしたf の序奏で推進されていく。続いて3部から成るポリフォニックな楽句に導き出される第2主題。この最初の部分は、第2主題の断片と複合した第1主題の再現によって締めくくられる。」

木管楽器のリズミックな楽句で突如として幕を空けると、あっという間にキューバ音楽のムードが充満した華やかな音楽となる。
1冒頭から独特のベース・ラインが現れ、これがリズムのみならずサウンドに関しても、この曲の個性的な印象を決定付けている。もちろん、ラテン・パーカッションが縦横無尽に活躍し、一層強烈な個性を与えているのは言うまでもない。
流麗な主題は実にエキゾチックで艶があり、リズミックな楽句と対比し或いは重なり合って、立体的な音楽に編み上げられてゆく。
2そしてモチーフを絡み合わせた経過句に続いて、旋律が天高く駆け上がるさまは、まさに圧巻!

「ソロ・クラリネットのカデンツァに導かれて、哀愁に満ちた中間部となる。徐々に多調手法によるカノンを発展させていき、そのカノンの中で主題によるオスティナートをベースとしたクライマックスとなって中間部を終える。そののち急なテンポ変更により、ルンバ舞曲のリズムへと戻るのである。」
3中間部はクラリネット・ソロの音色に支配されている。
異国の熱帯夜がもたらすセンチメンタルなムードだろうか-。リズミックさは残しながらも、静かで幅広い音楽の与える印象の”温度”は高い。
4_2やがて歩みだすカノンは着実に足取りを進め、徐々に高まる緊張とともにぶ厚いサウンドの構築物となってその威容を示し、クライマックスを形成していく。

「フィナーレは(主題と応答が重なり合って緊迫する)ストレッタ的な手法による、推進力のある楽句の展開となる。これが我々をもう一度この曲のメイン・テーマへと引き戻していく。
そして楽曲の最後は、キューバ打楽器群をフィーチャーしたコーダで締めくくる。」

快速さを取り戻すと、オーケストラが持つあらゆる音色を駆使した応答楽句が繰り広げられる。徐々にスピード感とテンションを上げ、前半のクライマックスの再現へ!高らかに、鮮やかに奏される豊潤な旋律は、さらにスケールを拡大した印象を与え、コーダへとなだれ込む。
簡潔なコーダは、この楽曲の”主役”であるラテン・パーカッションのリズムで放射状に高揚、最後にテュッティの強奏でもう一度特徴的なリズムが刻まれ、重厚な響きで全曲を締めくくる。
Photo_8
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「キューバ序曲」に関しては、音源の選択は非常に重要である。
まず、録音はかなり少ないといえる。そして、楽曲の魅力を存分に発揮した演奏となると極めて限られるということをハッキリと申上げておきたい。中にはラテンパーカッションがただうるさく感じられるだけの演奏で、この曲を単なる「色物」としか見ていないのでは?と思わされるものもある。
(とにかく触れた演奏によって、この曲の印象は大きく異なると思われるのだ。)

私の推薦盤は以下2つ。
いずれも、特徴的なベース・ラインをしっかりと聴かせ(しかも要所でTubaの音色が効いている!)、それによってこの曲の持つ充実したサウンドをひき出していることが特筆できよう。まずこれだけでも、他の演奏とは完全に一線を画すものである。

Photo_3ジェイムズ・レヴァインcond.
シカゴ交響楽団

活力漲る、抜群の推進力。メリハリがあるのに全曲の構成も確りと俯瞰されており、楽曲の内容把握は深い。中間部のクラリネット・ソロが実に秀逸で、どこまでも暖かい音色と表現が楽想にピタリと合致している。また、再現部のクライマックスで示されたテンポの”ため”は絶妙、BRAVO!

Photo_4ロリン・マゼールcond.
クリーヴランド管弦楽団

これも秀演!実に生き生きとした演奏で、感じさせる”生命感”の力強さは屈指のものである。全曲に亘り、質感が損なわれることのないサウンドの充実ぶりも素晴らしい。
また、Hornの演奏が実に”男前!”であり聴きどころである。楽曲に包含されたHornの効果的な楽句が、見事に活かされているのだ。

※他の所有音源
アンドレ・プレヴィンcond. ロンドン交響楽団
リッカルド・シャイーcond. クリーヴランド管弦楽団
シャルル・デュトワcond. モントリオール交響楽団
ハワード・ハンソンcond. イーストマン=ロチェスター管弦楽団
クルト・マズアcond. ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ズービン・メータcond. ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団
ウェイン・マーシャルcond. オールボルイ交響楽団
ジェイムズ・ジャッドcond. ニュージーランド交響楽団


001_2ご参考までに、
「南京豆売り」の私の愛聴盤は
Nick Morales & Su Orquestra
こちらもぜひ一聴を。実にゴキゲンな音楽である!


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尚、「キューバ序曲」の吹奏楽編曲譜は、現在”平石 博一版””マーク・ロジャース版””真島 俊夫版”の3つがあり、録音も発売されている。
スコアの細部を表現し切るには難しさもあると思うが、絶対的に吹奏楽向きの楽曲ではあるし、もっと吹奏楽でも採り上げられてよいはずだ。

ともかくまずは、管弦楽原曲の秀演をお聴きいただければと願う。

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2008年12月28日 (日)

セドナ

Steven_reinekeSedona
S.ライニキー
(Steven Reineke 1970- )








作曲者スティーヴン・ライニキー(冒頭画像)はシンシナティ・ポップス・オーケストラの副指揮者兼アレンジャーとして高名。
もともとトランペット奏者として音楽家のキャリアをスタートさせたこともあってか、吹奏楽界にも「ホープタウンの休日」「神々の運命」といったオリジナル曲を、数多く提供している。2007年には大作「吹奏楽のための交響曲第1番”New Day Rising”」を発表し、一層の注目を集めた。

そんな彼の作品の中でも、「セドナ」(2000年)は特に人気が高い。明快な構成と印象的な旋律 -一つの旋律を展開・変奏していくのだが、旋律の魅力と豊かな色彩感とで、決して飽きさせることのない佳曲となっているのである。

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Photo_3”セドナ”とはアメリカ・アリゾナ州にある景勝地。突き抜けるように青い空と、低木の緑とに囲まれた赤色の巨岩(レッドロック:鉄分を多く含む)のパノラマが名高い。

※本稿で採上げた「セドナ」のスコア表紙(左画像)も
  この「レッドロック」をフィーチャーしている。



その壮観と、美しい水辺の光景が見られるオーククリーク・キャニオンの入口にもあたることから、セドナには年間約400万人もの観光客が訪れるとのことである。
Sedonaまた、セドナにはヴォルテックス(Vortex)という所謂”パワースポット”がいくつも存在しており、スピリチュアル・リゾートとしての人気も持つ。この”ヴォルテックス”では、大地から磁場が渦を巻いて湧き起こっているといい、「日常の疲れが癒された」「普段夢を見ない人も毎晩夢を見る」「身体の痛みがとれる」「自然に悩みが消えていく」など、”癒しのパワー”が得られると紹介されている。

古来ネイティブ・アメリカンの聖地として扱われていたというこの地には、自然の不思議な力が備わっているということだろうか-。

※参考サイト
・アリゾナ州セドナ商工会議所観光局公式ウェブサイト
・クラブワールドのセドナ&Mt.シャスタツアー


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1短く、しかし鮮烈にクレッシェンドするスネア・ソロで曲を開始、非常に斬新なオープニングである。楽曲は急-緩-急の典型的な序曲形式にして、前述の通り明快な旋律線の音楽であり、大変親しみやすい。

しかしながら、その旋律の素晴らしさと展開に見せる音色の彩りが見事で、充分な音楽的魅力も備えている。これこそを作曲家の”手腕”というのだろう。

ソロを数多くかつ効果的にフィーチャーしているのも特長で、優れたプレーヤーを揃えた実力のあるバンドであれば、それだけ高次元の音楽になることは疑いない作品である。

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快速部は Allegro con brio 4/4拍子、意外感のあるスネア・ソロでスタートし、モチーフの提示。続いて快活なリズムに乗り、クラリネットが歌いだす旋律がのびのびと躍動する。
2各楽器の音色対比もオーソドックスに確りと活かされているし、フレーズの終わりには効果的なHornのgliss-upを聴かせるなど、実に気が利いている。

静まってテンポを緩め、抒情的なTromboneソロが現れる。
3これに導かれて Andante cantabile 3/4拍子の中間部となり、ファンタジックな伴奏を従え、Flute ソロが美しく歌う。楽曲は楽器の特性・音色を存分に発揮させながら高揚し、同じ旋律がまた違った味わいで歌い上げられていくのである。
その頂点で音楽は幅広い、雄大なクライマックスとなり、聴いているものに確かな満足感、そして不思議にほっとした安寧を与えるのだ。

静まって名残惜しげなFluteの余韻の中、スネアのリズムが快活さを呼び戻し、カノン風のブリッジへ。ここでもクラリネット、ファゴットのソロが掛け合い、さらに音色の多彩さを印象付けている。
4コンパクトな再現部を経て、生命感とスピード感を増すコーダへ突入し、ほとばしる清流をイメージさせる爽やかなエンディングを迎える。

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これほどキャッチーな旋律が生み出せた段階で楽曲の成功は約束されたともいえるが、これを活かす”余計な重量感のない(=爽やかな軽さの)”サウンドが特徴的な作品だと思う。曲全体のシンプルな完結感・統一感の高さが、却ってこの曲の魅力を充実させていると感じられるのだ。

Cd_ww音源はその魅力を端的に伝える
エドワード・ピーターセンcond.
ワシントン・ウインズ

をお奨めしたい。
おなじみ”デモ音源職人”の「職人芸」。この演奏はその中でも屈指の好演と思う。
「如何にもスタヂヲ録音」なのを差引いても、素晴らしい。

Cd「如何にもスタヂヲ録音」がどうしても嫌という方には
山下 一史cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

の演奏を。自然な響きの演奏で手堅いが、伴奏と旋律のグルーヴにやや一体感を欠くのは残念。

※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら

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2008年11月29日 (土)

神の恵みを受けて

Elijah_fed_by_the_ravens"Elijah Fed by the Ravens" by Paolo Frammingo (1540-1596)

To be Fed by Ravens
W.F.マクベス
(William Francis McBeth 1933- )


原題は「烏(カラス)によって養われる」の意。旧約聖書/列王記 上 第17章~ 下 第2章に登場する
預言者エリヤ(別称:エリヤフ)のエピソードを指すものである。

Fmcbethウイリアム・フランシス・マクベスは、自身をテキサス州のバンド指導者たちの支持と精神的な支えによって育てられた作曲家であると認識しており、そのことに対する感謝を込め、旧約聖書のエピソードになぞらえてこの曲を作曲した。
それゆえ、後半部に現れる旋律はテキサスのフォークソング※を元にしているという。

「テキサス・レインジャー・ソング」 (Texas Rangers Song)
    「メキシカン・デグエラ」 (英文題名不詳)
    「グリーン・グロー・ザ・ライラックス」 (Green Grow the Lilacs)


♪♪♪

エリヤ(Elijah)は旧約聖書において、モーゼと並び称される偉大な預言者とされている。
「第七の封印」「カディッシュ」をはじめとして、宗教的な題材による作品を多く発表しているマクベス。直接的な作曲動機はともあれ、彼が預言者エリヤの苦難とそれを超えた後の活躍を描く意図で、この「神の恵みを受けて」を書いたことは、これもまた間違いのないところであろう。

※尚、この「神の恵みを受けて」という邦題は原題の直截さを和らげつつ内容的にも納得できる、大変ふさわしいものだと思う。


♪♪♪

預言者エリヤの登場する列王記は、ダビデ王の晩年に始まりこれを継承したソロモン王の治世(吹奏楽でも高名な「シバの女王ベルキス(レスピーギ)」の題材)、イスラエルの分裂とユダ王国の様子を描く。旧約聖書に収められた歴史書の一つであり、どのエピソードも大変興味深い内容だが、その中でもエリヤの苦難と活躍、そして栄光は神秘的かつ印象の際立ったものといえよう。
(かのメンデルスゾーンも「エリヤ」を題材にしたオラトリオを遺している。)

エリヤという預言者が如何に描かれているかを端的に云うならば、
「異教と対決し、為政者を糾す真の”神の人”」
ということになる。
エリヤは預言者として立ったのち、異教に惑っていることを批判して災い(=旱魃)の予言を行ったことが疎まれ、北イスラエル外に逃亡を余儀なくされる。そのエリヤに対しヤーウェ神は涸れ谷に隠れ住むよう指示し、烏(カラス)によってエリヤを養うことを約すのである。

ヤハウェの言葉がエリヤ(エリヤフ)に臨んだ。
「ここを去って、東へ向かい、ヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に身を隠し、その涸れ谷の水を飲め。わたしは烏に命じて、そこでお前を養わせる。」
彼は去って、ヤハウェの言葉通りにした。彼はヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に住んだ。烏が朝にパンと肉を、夕べにもパンと肉を彼のもとに運んできた。彼は涸れ谷の水を飲んだ。

(列王記 上 第17章1-6 )


旱魃が続いて水が完全に涸れた後は、再びヤーウェ神の啓示によって居を移し、極貧の寡婦に養われるようになる。そこでその寡婦の亡くなった息子を甦らせるという奇蹟を示し、”神の人”と称されるようになるのである。
そしていよいよ、異教(バアル、アシェラ)の何百人という預言者に、たった一人で立ち向かう”カルメル山での対決”に臨む。エリヤは”神の火”を下らせてこの対決に勝利し、「何が”真の神”たるか」を人々に覚醒させるのだ。さらにエリヤは、ナボトの葡萄畑を奪おうとしたアハブ王を「ヤーウェ神の教えに反する」と厳しく糾弾し、革命が起こると予言する。

このように苦難を受けながらも、ヤーウェ神の真の預言者として活躍したエリヤは、後継をエリシャに頼んだ後、炎に包まれた馬と戦車に迎えられ、つむじ風に乗って天へと召されていくのであった。

Photo-あの”烏によって養われた”エリヤが、である。
最期にエリヤが浴した輝かしい栄光と、忌避されるものに養われたというエピソードとのギャップが、ますます物語を印象深いものとしている。

※上記出典:「列王記」 池田 裕
    (旧約聖書翻訳委員会)訳/岩波書店
 

♪♪♪

「神の恵みを受けて」はマクベスの特徴である「劇的さ」を極めた楽曲となっている。緩やかで厳かな第1の楽章と、スピード感のあるエキサイティングな第2の楽章から成り、これらが続けて演奏される。
底辺とも云うべき苦難の日々から、それらを超えて栄光の瞬間へ-まさにエリヤ伝を端的に表す楽曲であろう。
マクベスの楽曲の中でも、最も打楽器が活躍する作品であり、打楽器奏者の優れた技量と表現力が要求されている。

♪♪♪

1_2第1の楽章(Drammatico 4/4 M.M.=56-60)は、ドラとチャイムを伴った低音群の重々しく荘厳なサウンドで開始する。続いて木管が歌いだす旋律が醸しだす雰囲気は神秘的で、幻想的だ。如何に音楽が高揚しても、全曲がこの雰囲気に支配されている。

やがてじりじりと昂ぶっていく音楽-上昇音型の高音楽器群と、下降音型の低音楽器群が応答を重ねながら頂点に向かい、まさに絶唱となる。マクベス・サウンドの劇的さの真骨頂である。
それがすうっと静まって、音楽はさらに幻想的となり、遠く遠く消えてこの楽章を終う。

第2の楽章(Suspensefully but with drive 12/8 M.M.=94-96)は、密やかだがスピード感のあるオープニング。ややくぐもったような低音群の響きと蠢く打楽器群によって、緊張感が高まる。徐々に楽器の数を増やし、放射状にダイナミクスとヴォルテージを上げ、遂には鬼気迫るチャイムの乱れ打ちが鳴り響いて、とどめとばかりに急激なクレッシェンド!
そして頂点で、3群のトランペットによる壮麗なファンファーレが・・・!
2その鮮烈さは”これぞ圧巻”-アンティフォナルに響きあうラッパの音は、聴くものの心を否応なく興奮させるだろう。

続いて扇情的なクラリネットのトリルに導かれてHornとBaritoneに凛とした旋律が現れ、さらに引き締まった表情の音楽が展開する。
3ここでも打楽器は縦横無尽の活躍だ。

再びトランペット群によるファンファーレが奏され、最大のクライマックスへ。炸裂する高音がテンションをギリギリまで引上げ、バンド全体が変拍子で豪快に鳴動する、そのダイナミックさ!・・・あまりに劇的だ。
打楽器群の壮絶なソリと木管のサウンド・クラスターに導かれて終結部となり、最後の瞬間までエネルギーを漲らせていく。

♪♪♪

「神の恵みを受けて」は、マクベスの特長を存分に発揮しているのはもちろんのこと、構成面の完成度が非常に高いと思う。楽曲全体を俯瞰してみて、各部分の色彩やダイナミクス、コントラストの配置が洵にバランスよく、絶妙に一つの音楽としてまとまっている。
このことが楽曲に深みを与え、題材である旧約聖書にふさわしい世界を表現しきったといえよう。

♪♪♪

収録音源は以下。
Lp大橋 幸夫cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

構成感に優れ、細部のニュアンスまで行き届いた名演。終盤クライマックスのトランペットが(無理からぬも)もはや悲鳴なのはやや残念だが、「第2の楽章」冒頭のコントロールされた放射状の盛り上がりは見事で、抜群の出来映え。
(洵に残念ながらCD化されていない!)

Cdフランシス・マクベスcond.
テキサス工科大学シンフォニックバンド

作曲者マクベスの自作自演盤、実演としてはこちらの方が現実的か。大変熱情的な演奏で、粗もあるが意思の感じられる好演。

Sbテキサス
工科大学
シンフォニックバンド

(LP版ジャケットより)

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マクベス作品の中では、必要とされるテクニックやスタミナからして一番の難曲か?スコアをみると想像以上にスッキリと書かれているが、一つの楽曲として聴かせる俯瞰力が必要となる。

全日本吹奏楽コンクールでは1980年に市立川口高校が演奏し、見事金賞を受賞。しかし全国大会での演奏はこれ一回のみであり、演奏時間が12分とかなりカットを要することもあってか、コンクールではあまり採り上げられない。元々音源が乏しいうえに、このこともこの曲の認知度を下げてしまっている。
マクベス作品の中でも屈指のものであるから、もっともっと演奏されて然るべきと思う。ぜひ再評価・新録音を期待したい。

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2008年11月 1日 (土)

ジュビラント序曲

We※アルフレッド・リードcond.マイアミ大学ウインドアンサンブル(1980年)

思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、
サンダル、あじさいの花
              ~俵 万智「サラダ記念日」より


♪♪♪

A Jubilant Overture
A.リード
(Alfred Reed 1921-2005)


「春の猟犬」 「パンチネロ」とともにアルフレッド・リードの3大序曲というべき名作。1969年の作曲で、リードの作品としては初期のものにあたる。

1_3”Jubilant”は”歓喜”を意味する。思わず歓声をあげ、或いはそのうれしさに酔ってしまうような、爆発的な喜びを指す言葉とされる。曲想は冒頭からして、まさにそのイメージ通りの音楽である。

リードは「春」という季節の華やいだ喜びをイメージしたとのことだが、この曲から感じる”瑞々しさ”は随一のもの。とにかく若い活力に満ち溢れている。
青春という人生における季節を、そのままそっくり切り出して音楽にした-そうした若々しい一途さ、ストレートさが何より最大の魅力であろう。
急-緩-急のオーソドックスな形式の中に、素敵な旋律と輝かしく豊かなサウンド、爽快感が散りばめられている。

♪♪♪

鮮やかなスネアのリムショットで華々しくスタート、これぞ”Allegro con brio”という音楽が流れ出す。金管中低音による生命力溢れるモチーフ提示に続いて、クラリネットがキラキラと旋律を歌いだす。
2スピード感と突き進む推進力は聴くものの心を弾ませ、金管群の轟く原色のコントラストがまた見事である。かと思うとカップミュートのTrp.+Trb.がパステルカラーの楽句を描くなど変幻自在、これが中間部へのブリッジに導いていく。
3
中間部 Molto moderato e espressivo ではミュートを外したTrb.の伴奏からして、実に暖かいサウンドが聴かれる。ファンタジックでもあり、ロマンティックでもあるこの音楽から得られるイメージは、スィートな”優しさ”だ。

やがて木管群に抒情をきわめた旋律がやってくる-。
4そして、徐々に高揚する旋律を柔らかに後押しするTimp.のロールが、決定的な感動を与えるのだ。泣ける!

静まって中間部冒頭の旋律が戻り、遠く遠く消えていくと、突如として凛然と快速なテンポが戻る。遠くから迫ってくるスピード感は遂に炸裂して再現部、まるで花火の如き壮麗さである。
静まって軽やかな木管アンサンブルとなり、ここではファゴットの対旋律が洵に味わい深い。
リードの音色配置の巧みさには舌を巻くばかりだ。
5
あとは一気呵成の終結部。スネアのリムショットで鞭の入った音楽は、ますます興奮を高めて緩むことなく、再びリムショットの一撃が入り最後の最後までスピードとエネルギーを漲らせていく。
曲中、都合3度のリムショットはこの曲に鮮烈な印象と個性を与えており、まさに聴き所となっている。

♪♪♪

この曲の演奏には熱気が欲しい。妙に醒めた演奏では、はち切れんばかりの若きエネルギーが感じられることはないだろう。

Photoその意味で音源としては、
1976年全日本吹奏楽コンクールでの
牟田 久壽cond.
瑞穂青少年吹奏楽団

の演奏が素晴らしい。良くも悪くも”若々しい”演奏だが、この曲にとって一番大切なものを確りと捉えた快演である。サウンドの輝きとダイナミックな溌剌さ、そしてハートのある歌…まさに”Jubilant”であり、BRAVO!の歓声を贈りたい。

Photo_2作曲者リードの指揮による演奏もある。
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

こちらは重厚なサウンドで骨太な演奏、やや”大人”な「ジュビラント」だ。


※尚、試聴音源を含む出版社(C.L.Barnhouse)サイトはこちら


♪♪♪

「パンチネロ」はノスタルジックで甘美な”過去”、「春の猟犬」は今、間違いなくそこにある”現在”の喜び・・・、そして「ジュビラント」は一心に見つめる”未来”。
冒頭の一首の如く、未来を信じ前だけを見て駆け出す若々しさを一枚の写真にした-そんな世界が「ジュビラント」にはあるのである。

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2008年10月25日 (土)

ライド

RideRide
S.R.ヘイゾ
(Samuel R. Hazo 1966- )


鮮烈さと高いスピード感、ジャズの要素も取り入れた現代感覚-。僅か3分強の作品だが、文字通り息もつかせぬカッコ良さ!あたかも華々しいレーザー・ショウを見ているかのようである。演奏会のオープナーとして、吹奏楽にまた新しい”色”を与えた作品として特筆できよう。

♪♪♪

「ライド」(2002年)はアメリカの作曲家/指揮者ジャック・スタンプ(Jack Stamp)に捧げられている。作曲者ヘイゾのスタンプに対する感謝が込められた作品であるとともに、作曲のインスピレーションそのものも、スタンプからもたらされたものなのだ。

Srhazoサミュエル・R・ヘイゾは映像・舞台音楽の世界でも活躍してきたキャリアの持ち主で、ポピュラーミュージックの要素も取り込んだ現代的な作風がその特徴である。
スタンプはそんなヘイゾの才能と作品を高く評価し、2001年頃から吹奏楽界にヘイゾの作品を積極的に紹介していった。しかもスタンプはヘイゾから一切のお礼を(菓子折りすらも)受け取らず、「君の音楽を僕らに届け続けてくれれば、それだけでいいんだよ。」とヘイゾを励まし続けたという。

「”ライド”はジャック・スタンプが私にしてくれた全てのこと-即ち作曲に関することはもちろん、それにとどまらないさまざまなことに心からのアドバイスをしてくれた、そうしたゆるぎない友情に感謝を表した作品である。」
(ヘイゾのコメント)

♪♪♪

直接の作曲にあたっては、インディアナ州の田舎道を爽快にかっ飛ばすドライブと、その高速の車窓から見える美しい風景の残像がイメージとなっている。
(冒頭画像:ヘイゾ自身のHPより)

1この日、ヘイゾはスタンプの尽力によりマーク・キャンプハウスなど4人の高名な作曲家※とともに、インディアナ大学での作曲家フォーラムに参加していた。
フォーラムの初日日程終了後、スタンプは4人の作曲家たちとヘイゾを自宅のディナーに招待したのである。
※ Joseph Wilcox Jenkins
     Mark Camphouse
     Bruce Yurko,
     Aldo Forte






錚々たるメンバーの中で充実した時間を過ごすヘイゾの気分は、否が応にも高揚したことだろう。

そして、件のドライブはインディアナ大学からスタンプの居宅(ガボルクナ・ハウス)に向かう間のこと。スタンプの後について車を走らせたヘイゾだが・・・
何とそれは限界のトップスピード!

スタンプの驚くべき「飛ばし屋」(lead foot)ぶりと、つくづく感じられるスタンプという人物の器の大きさ-さまざまなヘイゾの思いと前述のスピード感、そしてすっ飛んでいく美しい風景とがあいまって、彼を更なる精神的高揚に導き、鮮やかな「ライド」という楽曲は生み出されたようだ。

従って「ライド」にはまずもって失速することのないスピード感が要求される。(ヘイゾはテンポM.M.=167を確実に守るよう注記している。)
音色を含めて高いスピードをキープする必要がある上、コントラストを鮮やかに演出することや音域の幅広さからしても、短い曲ながら難易度はなかなかのものと言えよう。そして、そもそも”鳴らない”バンドでは話にもなるまい。

♪♪♪

スピードと緊迫感に満ちたオープニング、短いその序奏に続き、セットドラムのようなパーカッションの伴奏に乗って、木管楽器に変拍子の旋律が現れる。
2_2如何に頻繁に拍子が変わっても、根底にスピード感のあるビートを感じることができよう。

一方、金管群は実に鮮烈!Trp.と対峙する低音群の中でも、特にBassTromboneの音色が冴える。
3_3譜例のLow E♭あたりは、まさに”ぶっ放し”てイイところだろう。

また、Timp.やPiccolo Snareを素手で叩いてBongoのような効果を狙っているのも面白い。
4後半の転調後にもこの装飾音符のついたリズムの繰返しが再現されるのだが、これはあたかも作曲者ヘイゾの高まる胸の鼓動のようではないか。こうしたところにも、徐々に拡大する高揚感が表現されている。

アドリブ的なAlto Saxのソロも織り込まれ、音楽は自在にその表情を変える。
5しかし、快速さと手に汗握る緊張、密やかな興奮といったものは決して失うことなく、一点を目指して疾走していくのだ.。

♪♪♪

Photo_2音源は、本作を献呈されたスタンプによる録音をお薦めしておきたい。
ジャック・スタンプcond.
IUP ウインド・アンサンブル
さすがは作曲者ヘイゾの最大の理解者といったところか、見事な出来映えである。

出版社提供のサンプル音源はこちら。少し”ワル”さが足りないが^^)、音楽の流れは実に滑らかであり、こちらもなかなかの好演。

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2008年10月22日 (水)

London Date / Benny Goodman

Benny_goodmanベニー・グッドマン(Benny Goodman 1909-1986)「スウィングの王様」と讃えられ、知らぬものはないクラリネットの名手。殊に、代表曲 ”シング・シング・シング”(Sing Sing Sing)はあまりにも有名である。

Benny_goodman_bestグッドマンのベスト・アルバムは、私が頻繁に聴く愛聴盤の一つ。
吹奏楽界においても彼のヒット曲はアレンジされて重要なレパートリーとなっているから、実演においてもその世界に多く触れることができた。
”クラリネットはバンドの主役です”は、かのビュッフェ・クランポン社の有名なキャッチコピーだが、クラリネットが主役のベニー・グッドマンの音楽が、吹奏楽にもマッチするのは当然なのだ。

♪♪♪

London_date”London Date”はそんなベニー・グッドマンがビッグバンドをバックに(またはオクテットで)1969年に録音した「歌モノ」アルバム。このたび、本邦限定で紙ジャケCDがリリースされたものである。
「イギリスのプレーヤーたちと演奏してみたい。」というグッドマンの希望で実現したセッションとのことだが、集められたプレーヤーはイギリスのベテラン・ジャズメンばかりであり、成熟した演奏を聴かせてくれる。

収録曲目は下記全11曲。
This Guy's in Love with You, Yesterday,
It's Easy to Remember,
 That My Love,
Octupus's Garden,  I Will Wait for You,
Liza, You Took Advantage of Me,
On a Clear Day,
(What I can Say) After I Say I'm Sorry,
I Talk to the Trees


バート・バカラックやビートルズといった当時流行のナンバーや、「シェルブールの雨傘」といった映画音楽、そしてガーシュウィンなどヒット・ソングの数々である -これにベニー・グッドマンが出遭ったらどうなるか?
そんなコンセプトのアルバムだが、これぞ正統というべきアレンジと、非常に美的感覚に優れた演奏とで、名旋律が存分に楽しめる。

もともとベニー・グッドマンの音楽は、自身のクラリネットをはじめとして”美しい音”で聴かせてくれる音楽である。
このアルバムも例外ではなく、クラシックにも通じそうなその美意識が徹底されている。例えば、Drums一つとっても音色やプレイ、アンサンブルにおけるバランスの良さといった”綺麗さ”が、極めてハイレベルなのである。
涼やかだが決して表面的でなく、音楽の愉しさや説得力を欠くことはない -実にカッコいい演奏がそこにはある。

♪♪♪

これもベニー・グッドマンのハイレベルな「余技」の一つというべきなのか・・・。聴き慣れた彼の世界とはちょっと異なるこのアルバムは、肩の力を抜いて、音楽の根源的な愉しみを与えてくれる。

もちろん、グッドマンのクラリネットが奏でる歌は文句なしにゴキゲン!私はこの”London Date”がとっても気に入ってしまったのだ。

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2008年9月25日 (木)

吹奏楽のための民話

2

Folklore for Band
J.A.コーディル
(Jim Andy Caudill 1932- )


アメリカの大手出版社ハル・レナード社が、2008年に再販新譜としてこの「吹奏楽のための民話」をリリースしたのだが、これは日本市場を睨んでの再販なのだという。それもそのはず、この曲は日本で1960-1970年代には圧倒的な頻度で演奏された吹奏楽曲である。「民話」「バン民(”バンドのための民話”の略)」の通称で広く親しまれ、当時吹奏楽に係った人なら誰もが知っているはずだ。

※Hal Leonard 社HP:「吹奏楽のための民話」デモ音源の無料DL可能


”技術的には易しく、演奏効果が高い”ゆえに評価された楽曲だと思うが、何といっても最初に現れるクラリネットの低音域で歌われる旋律(冒頭画像)-これが魅力だったのではあるまいか。

♪♪♪

Photo_2コーディルは「ランドマーク序曲」「ヘリテージ序曲」「オデッセイ序曲」など、一貫してスクールバンド向けの技術的にも内容的にも平易な吹奏楽曲を提供してきた作曲家だが、「吹奏楽のための民話」はその中でも群を抜いて支持を集めた。
旋律は教会旋法を用いて中世風のムードを感じさせるとされ、ノスタルジックなのだが、一方でこれを彩る伴奏は大変リズミックであり、その対比が興味深い。
題名の”Folklore”は民話のみならず広く”民間伝承されたもの”を指す言葉であり、コーディルは作品を受け容れ易い音楽としつつも、その意図を確りと伝えることに成功したといえよう。

♪♪♪

堰を切ったように始まる序奏部-。
1曲中でも場面展開に使用されるエキサイティングな楽想である。
これがスネアドラムに導かれて一旦静まると、引続きスネアドラムの大変リズミックな伴奏に乗ってクラリネットが歌いだす。このリズムこそが音楽に生き生きとした生命感を与えていることは見逃せない。
4Tenor Sax.+Baritone(Euph.)も旋律を担当しているのだがあくまで支えに回ってもらい、ここでは何といってもクラリネットのシャリュモー音域の黒々とした音色を存分に聴きたい。

中間部は木管による美しい旋律が提示され、後に金管群に引き継がれる。そのしみじみとした味わいもこれまた日本人好みなのかも知れない。
3コンパクトな再現部を経て、エキサイティングなコーダへ。音圧とスピード感を高揚させ一気呵成に曲を締めくくる。

♪♪♪

広く人口に膾炙した作品の割に録音は少なかったが、中高時代にで吹奏楽に親しんだ世代の回帰/回顧のムードや、前述の通り楽譜が再販されたことを受けて音源は一気に増えた。私としては最初の旋律でクラリネットの音色を存分に聴かせていることを重視しつつ、以下をお奨めしたい。

Photo_3汐澤 安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

Picc.をはじめとして粗さも目立つ演奏ではあるが、テンポやコントラスト、ダイナミクスの変化など楽曲の演出面は積極的で一つの理想を示す。どうしたら面白く聴かせられるか?への腐心が看てとれる。

Photo_4兼田 敏cond. 東京佼成吹奏楽団

冒頭と終結部の重厚なサウンドは充実感にあふれており、全体にも非常に骨太な「民話」を聴かせている。



Photo_5北原 幸男cond. 大阪市音楽団

たいへん綺麗に整った演奏。旋律の美しさやノスタルジー、この曲のシンプルな良さは充分に伝わる好演。


♪♪♪

歴史の中で不朽のものと評価されるクラシックの名曲とは異なり、吹奏楽オリジナル曲の多くは、「正しく」「美しく」演奏されるだけで輝きを放つのは難しい。残念ながら吹奏楽曲の太宗は、そこまでの音楽的内容は備えていないと言えるだろう。
(楽曲は自分で演奏することで”特別なもの”になる。演奏参加型の音楽である吹奏楽の曲においては、「演奏したことがある」という体験が聴き手=演奏者に”感動”効果をもたらすのも事実ではあるが・・・。)

しかし、音楽は「演りよう」である。
楽曲の魅力を如何に捉えるか-それが掘り下げられセンス良く演出されたとき、そして指揮者を含めた奏者の情熱が篤く向けられたときに、音楽は想像以上の輝きを示す。それが「感動」である。

「民話」も、正しい音程・美しい音色・揃ったリズム・適正なバランスといったプリミティブな音楽的要素を超えた、”プラスアルファ”が加わることなしには、輝くことなどない楽曲だと思う。
「楽譜を音にした」-その先こそが見たい、聴きたいのだ。

それは、実は如何なる名曲であっても同じである!
「”プラスアルファ”=演奏者の想いに基く音楽への味付け・個性といったものが感じられない演奏」は、「音程・音色・縦の線・バランスなどが整わない演奏」と同等に良くないのだ。つまらない、罪深いとさえ言ってもよいと思う。
そのような演奏を、決して良しとしてはならぬのである。

※もちろん確固たる意思の下、敢えて「何もしない、素で」を貫くという演出はありうる、為念。

このことは演奏者としてはもちろん、聴き手としても常に意識してシビアに追求すべきことなのだと思う。(久しぶりに「民話」を聴きこみ、多くの音源を聴き比べてみて、このことを改めて痛感させられた。)

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2008年9月 6日 (土)

ダッタン人の踊り -歌劇「イーゴリ公」より

Photo_11Dance of the Polovtsian Maidens,
Polovtsian Dances
from "Prince Igor"

A.ボロディン
(Alexander Porfir'evich Borodin
1833-1887)





その美しく魅力的な旋律とエキゾティックな曲想とで、聴くものを魅了する屈指の名曲。原曲のオペラのみならず単独の管弦楽曲として採り上げられ、またさまざまなポピュラー・ミュージックにもアレンジ、アダプトされて広く愛されている。
そして、この曲をめぐるエピソードは数多い。

12世紀の史実に基く「イーゴリ軍記」(成立不詳、1800年初版刊行)をウラジーミル・スターソフ(Vladimir Stasov 1824-1906)が脚本化、作曲者アレクサンドル・ボロディン(冒頭画像)自身がその脚本に手を入れて作られた歌劇。
ダッタン(ポロヴェッツ)の脅威に晒されたロシアを救うべく遠征に出た君主・イーゴリ公は戦いに敗れ捕虜となるが、ポロヴェッツの懐柔にも心動かされることなく、再び祖国を救うことを期して決死の脱出をはかり、ロシアに帰還を果たす-という物語である。

♪♪♪

Index【歌劇「イーゴリ公」あらすじ】
   マリンスキー劇場/ゲリギエフ版:
   マリーナ・マルキエル 編
   木村 博江 訳
   に基く抜粋


「時は1185年、ロシア中部(現在のウクライナ)を治めていたイーゴリ・スヴァトスラーヴィチ公は、ロシアを脅かす遊牧民族ポロヴェッツを倒すべく、遠征を決意する。
周囲の反対、とりわけ妻のヤロスラーヴナの嘆願をも振り切り「ロシアを守るのは自分の務めである。」と強い意志で出征したイーゴリ公であったが、戦いには敗れ、息子のウラージミルとともにポロヴェッツの捕虜となってしまう。

イーゴリ公は敗北と虜囚の屈辱に耐え難く、苦悩の日々を送っている。イーゴリ公は逃亡も潔しとせず、ポロヴェッツの頭目=コンチャーク汗に対してあくまでロシアの独立とその防衛を貫く姿勢を変えることはない。コンチャーク汗はロシア君主たるイーゴリ公の誇りと勇気に感銘を受け、貴賓として遇するのであった。
一方で、コンチャーク汗の娘=コンチャコーヴナとウラージミルは恋に落ち、将来を誓い合う仲となっている。

Photo_6その頃、ロシアではガーリツキイ公がイーゴリ公の不在の間に権力を手中に収めようと画策している。こうしてロシア内政が乱れる中、ポロヴェッツの脅威は勢いを増し、ロシアの首都プティーブルを襲う。プティーブル陥落はイーゴリ公に激しい衝撃を与えた。ロシアを救うため、遂にイーゴリ公は捲土重来を期し、逃亡を決意するのであった。

キリスト教徒のポロヴェッツ人であり、イーゴリ公の味方となったオブルールの協力を得て、いよいよイーゴリ公と息子ウラージミルは逃亡しようとしている。
そこに現われたコンチャコーブナはウラージミルと離れられないと取り乱す。ウラージミルのなかなか決断できない様子に絶望したコンチャコーブナが警報を鳴らし、ポロヴェッツ人が集ってくる。混乱の中、ウラージミルは捕えられてしまったが、イーゴリ公はオブルールとともに何とか脱出に成功する。

一方、焦土となったロシア/ドニエプル川のほとりには、夫と祖国の運命を嘆き悲しむヤロスラーヴナの姿があった。やがて、そのヤロスラーヴナの遠い視界に、二人の男の姿が入ってくる。
それこそは、脱出してきたイーゴリ公とオブルールだった!イーゴリ公とヤロスラーヴナは抱き合って再会を喜び合い、群集は駆け寄ってイーゴリ公の帰還を讃えるのであった。」

♪♪♪

この歌劇の作曲が着手されたのは1869年だが、1887年のボロディンの他界に至るまで作業は続くも、結局未完に終わっている。
18年を超える作業を経ても完成を見なかったのは、ボロディンが「ロシア民族楽派五人組」に名を連ねながらも、本職は化学者(その評価も相応に高い)であり「作曲」に充分な時間と労力が割けなかったことが主因といわれる。

歌劇「イーゴリ公」はボロディンの死後、盟友リムスキー=コルサコフ(1844-1908)とその弟子アレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)のオーケストレーションや補作により完成、1890年に漸く初演されている。
歌劇の冒頭「イーゴリ公」序曲に至っては、劇中に登場する主題とボロディンの残したスケッチ※に基いて、グラズノフが”作曲”したものなのである。

※グラズノフの言葉によれば、彼が探し出したボロディンの遺した「紙屑」^^)

こうしてボロディンの存命中に未完に終わった「イーゴリ公」の中でも、所謂「ダッタン人の踊り」の部分については、1879年に管弦楽曲として完成し同年に初演されたものである。

※尚、この遅々として進まない歌劇の創作の話題は、もはやボロディンにとって不愉快なものでもあったらしく、この話題に触れた途端に不機嫌になるボロディンの様子は、友人たちの回想録にも遺されている。
またリムスキー=コルサコフの「わが音楽生活の年代記」には、「ダッタン人の踊り」が歌劇の完成に先立ち、管弦楽曲として発表された時の様子が書き残されているが、その初版のオーケストレーションもボロディン + リムスキー=コルサコフ + リャードフ(Anatoly Lyadov 1855-1914)による3人がかりの突貫作業だったという。
【出典】
「ボロディンの管弦楽作品-記録による年代記」
(リチャード・タルースキン/森田 稔 訳)


※リムスキー=コルサコフとその弟子たちは、ボロディンだけでなくムソルグフスキーの作品なども補作・完成に注力し、その音楽を永遠のものとした。
現在では、作曲家のイメージした原典に回帰する志向も高まってはいる(ムソルグスキー「禿山の一夜」など)が、リムスキー=コルサコフたちの功績は些かも否定されるものではないし、後世の音楽ファンとしてはその尊い精神と努力に深く感謝するのみである。


♪♪♪

さて、「ダッタン人の踊り」とは歌劇「イーゴリ公」の中の、どの楽曲を指すのか-。

収録されたCDを見ても、歌劇「イーゴリ公」第2幕(マリンスキー劇場/ゲリギエフ版では第1幕)に登場する
”ポロヴェッツの娘たちの踊り”
”ポロヴェッツ人の踊りと合唱”の両方を併せて「ダッタン人の踊り」と称する場合と、後者のみを称する場合があって、必ずしも統一的でない。

また、邦題としては永く「ダッタン人の踊り(韃靼人の踊り)」として親しまれてきたが、正確でないという指摘が強い。
「ダッタン(韃靼)」が本来指すのは”タタール”(Tatar)であり、本作に登場する”ポロヴェッツ”(Polovtsy)とは異なるからである。
このため、現在では「ポロヴェッツ人の踊り」という表記も一般的になりつつある。

※そもそも「ダッタン(韃靼)」という言葉は、時代と場所によって示すものが異なるといわれており、大きくロシア南部を中心とした地域の異民族を総称してきたとの見方もあることから、本稿では私にとっても永く愛着のある「ダッタン人」を採用している。
尚、「ポロヴェッツ」はトルコ系遊牧民族で、11世紀中頃から13世紀初めまでさかんにロシアを襲撃しており、イーゴリ公遠征当時には、黒海・アゾフ海沿岸からヴォルガ川流域の大部分をその支配下に収めていたという。


1. ダッタン(ポロヴェッツ)の娘たちの踊り
1
6/8拍子・Presto、終始躍動感と流麗さに溢れる音楽であり、冒頭からClarinetソロがキラキラとほとばしる。この旋律が徐々に賑やかに、織り重ねられてゆき、さながら見事な織物のような音楽となっていく。しかしあくまでも軽やかさは失わず、爽快に踊りを終える。

2. ダッタン(ポロヴェッツ)人の踊りと合唱
優れた旋律と、個性の強い舞曲が次々と現われる非常に多彩な音楽。
冒頭のHornの音色を効かせたコードは、「イーゴリ公」の要所で使用されているもの。そして、Andantinoの前奏からして息を呑むほどに美しく、魅力的な旋律が現われる。
2緩やかなその旋律、たおやかさは並ぶものがない。
-それに心を奪われ、余韻に浸っているとほどなくOboeのソロ、最も有名な名旋律が歌われる。聴くものを魅了し、虜にしてしまう旋律がかくも立続けに提示されてはたまらない。ボロディンの天賦の才にはただ驚くばかりである。
3原曲に付された歌詞は捕虜となったイーゴリ公の望郷の念と、解放への切望を慰める内容で、以下のようなものである。

風の翼に乗って 故郷まで飛んでいけ、祖国の歌よ
自由にお前を口ずさんだあの故郷へ
気ままにお前と過ごしたあの故郷へ
そこでは、灼熱の空の下
大気は安らぎに満ち 海は楽しげにさざめき
山々は雲に包まれて微睡む
太陽はあくまで明るく輝き
故郷の山々は光をいっぱいに浴び
谷間には薔薇の花が華麗に咲き乱れ
緑なす森では鶯がさえずり 甘い葡萄が実を結ぶ
祖国の歌よ、そこではお前は自由気まま
飛んでいけ、祖国の歌よ


(一柳富美子 訳)


さらにコールアングレに引き継がれ、朗々と歌われたこの歌は弦楽器の音の束を重ねて一層豊かな音楽となる。伴奏の木管群がまたキラキラとして実に素敵であり、躍動感を与えている。

名残惜しげに静まると、続いて民族色の濃いシンコペーションの伴奏でAllegro vivoに転じ、小気味良いClarinetソロから”男たちの踊り”が始まる。
4快速で大変エネルギッシュ、かつ逞しい曲想の舞曲である。Hornソロに続いて更にスピード感を増し、鮮烈な区切りをつけて短い終止。

豪快で重厚なTimp.のリズムが遠くから近づいてきて、バーバリズムが炸裂する「全員の踊り」へ。
5ここはコンチャク汗の偉大さを讃える歌の場面であり、無骨でスケールの大きい音楽。小節頭の強拍低音、殊にBassTromboneの音色の豪放さは実に痛快である!

続いて、再びPresto 6/8拍子の速い舞曲となる。
6躍動感あるリズムに始まるが、旋律が野太く奏されるクライマックスは圧倒的な音圧であり、対比が映えている。

ここからは、これまでに登場した歌や舞曲のリプライズ。それぞれがクロスオーヴァーしながら再現され、いよいよエネルギッシュな民族色を強めた曲想となる。ここではTrp.が大活躍であり、またリズミックなベースラインが大変印象的である。音楽は華々しい最後のコードまで、まさに息をつかせることなく突き進んでいく。

♪♪♪

さて、もう一つ「ダッタン人の踊り」で特筆できることは、最も有名な合唱部分の旋律(前述の「風の翼に乗って・・・」)がポピュラー音楽にも多く採り上げられ、さらに幅広い人々に愛されていることであろう。
TVCMに使われたギタリスト・天野清継の"AZURE"を初めとして、洋の内外を問わずアダプトされている。

Kismet_musical_vhs_mvie_film_howardそして、その最大のものは
ミュージカル「キスメット」
(Kismet)
であろう。
1953年初演、1954年にトニー賞を受賞したこのミュージカルは「イーゴリ公」「中央アジアの草原にて」「交響曲第2番」など、全編に亘りボロディンの音楽をフィーチャーしたもので、10-11世紀のバクダッドを舞台としたラヴ・コメディといった内容。
その代表曲
「ストレンジャー・イン・パラダイス」
(Stranger in Paradise)
こそ、
「ダッタン人の踊り」をカヴァーしたものなのだ。
(R.ライト&G.フォレスト/Robert Wright & George Forrestによるアダプト。 )

Won't you answer the fervent prayer    天国にまぎれこんでしまった-
Of a stranger in paradise          そんなことを言うあの人のために     
Don't send me in dark despair       燃えるようなこの祈りを捧げます
From all that I hunger for          私が心から望むこととは全く違う
But open your angel's arms         暗い絶望をもたらすのはお赦し下さい
To the stranger in paradise         そうではなく、あなたの天使の腕を
And tell him                   天国の異邦人のために
That he need be                広げてやってください
A stranger no more              そしてあの人に、もうこれからは
                         異邦人でいなくてもいいのだと
                         伝えてあげてほしいのです


Photo_7「ストレンジャー・イン・パラダイス」
は吹奏楽にもアレンジされ、このスッキリとしたアレンジは、演奏会に一息つけさせる貴重なレパートリーとして愛されている。
編曲:小野崎 孝輔
演奏:岩井 直溥cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

※吹奏楽のコンサートでは、どうしてもインパクトの強い楽曲ばかりを並べがちだが、コンサートを一つのパッケージとしてみれば、こうした聴衆にも奏者にも優しい小品は絶対に必要なはずである。このような観点に欠けたプログラミングから早く卒業することは、吹奏楽界の課題の一つであろう。こうしたタイプの優れたアレンジがさらに登場することを、大いに期待したい。

※尚、さらにディープに「ダッタン人の踊り」を知りたい方には、下記サイトがオススメ。
「イーゴリ公をとことん楽しもう!」という管理人さんの言葉通り、充実した内容です!
「歌劇『イーゴリ公』の世界」


♪♪♪

「ダッタン人の踊り」は非常に多彩な楽曲である。極めて洗練された美しい旋律でしびれるような感銘を与えると思うと、また違う場面ではエネルギッシュなバーバリズムを炸裂させる-。演奏には、そのコントラストが確りと描かれつつ、一つの楽曲としてのまとまりも感じられるバランス感覚が求められる。ただ美しいだけでもダメ、ただエネルギッシュなだけでもダメなのだ。

その観点から、音源は以下をお奨めしたい。
本稿の執筆にあたり、合唱つきのものも含め多くの録音を聴いたが、今回も私の「好み」により、(コメントを付さないものも含め)合唱のないバージョンの演奏に限定してご紹介する。

Photo_8ヘルベルト・フォン・カラヤンcond.
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

カラヤンはピカピカのこのオケを縦横無尽に生かし、申し分のないバランスの良さでこの曲を演出している。


Photo_9小澤 征爾cond.シカゴ交響楽団
これもメリハリの効いた、存分に演出された演奏ながら、バランス良く全体が見透された好演。



※その他の所有音源

レナード・バーンスタインcond. ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団
アンドレ・クリュイタンスcond. パリ音楽院管弦楽団
ルイ・フレモーcond. モンテカルロ歌劇場管弦楽団
ダニエル・バレンボイムcond. シカゴ交響楽団
フェレンツ・フリッチャイcond. RIAS交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーcond. パリ管弦楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーcond.
           ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団
ジョージ・セルcond. クリーヴランド管弦楽団
ウラディーミル・フェドセーエフcond. モスクワ放送交響楽団


♪♪♪

この「ダッタン人の踊り」を私が初めて聴いたのは、やはり吹奏楽であり、1977年の全日本吹奏楽コンクール実況録音/北海道代表・紋別中の演奏だった。大変明快で実にのびのびとした魅力溢れる好演である。
翌1978年には、前年に堂々の雪辱を果たした今津中がこの曲を演奏、オーボエに続くコールアングレのソロがとても印象的だった。(紋別中はサックスで演奏していたから・・・。)
オーボエもファゴットもない田舎の吹奏楽部に所属していた私にとって、この演奏などは本当に眩しいばかりである。そんな私の、灼きつくようなオーボエへの憧れ- その象徴こそがこの「ダッタン人の踊り」だったのである。

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2008年8月 4日 (月)

ポップス描写曲「メインストリートで」

Photo_4On Main Street, Pop Image
岩井 直溥
(Naohiro Iwai 1923-)





作曲者岩井 直溥は誰もが知る吹奏楽ポップス界の巨匠にしてニューサウンズ・イン・ブラスの生みの親。本邦吹奏楽の特色である「ポップス・ステージ」をまさに創出した方であり、その功績は筆舌に尽くし難い。
(吹奏楽界と直接関係のない一般聴衆にとっては「ポップス・ステージだけが楽しみ」と言っても過言ではないくらいだから。)

この曲は1976年全日本吹奏楽コンクールの課題曲
1972年「シンコペーテッド・マーチ”明日に向かって”」、1975年「ポップスオーバーチュア”未来への展開”」に続く岩井氏の手による課題曲である。さらに1978年「ポップス変奏曲”かぞえうた”」、1989年「ポップス・マーチ”すてきな日々”」と続くのであるが、この「メインストリートで」は、これら岩井課題曲の頂点に位置づけられる作品である。
(「明日に向かって」なども、今聴いてもハッとさせられるが・・・。最初のテーマを導き出すリズム・パターンなどは出色!)

♪♪♪

内容は、読んで字の如し。メインストリートの夜明けからラッシュアワー、そして夜の帳が下りるまでをポップスの手法で「描写」している。

「今回私が書きました課題曲はポップス的な描写曲とでもいうもので、曲の表現法やリズムのノリ方、バランス等は、かなり色々な方法があると思いますので、(コンクール課題曲参考演奏の)テープに吹き込まれた演奏はあくまで参考として考えられ、ポップスの特長である個性的な演奏を心掛けてください。
但し、ポップスにはポップスの約束事がありますので、その範囲内で上品な演奏をされることが大切です。」
(岩井 直溥氏コメント)


圧巻は活気溢れるラッシュ・アワーの部分であろう。ベースラインのリズムに呼び起こされるわけだが、もうその時点で誰もが胸を躍らす。
内容的に難解なものは何もないが、手法は適切にして高度。課題曲でブラスに”shake”が出てくるなんて!曲想は「岩井節」の象徴だが、取組み甲斐のある課題曲だ。

因みに、この1976年の課題曲は凄い!
A:即興曲 (後藤 洋)
B:吹奏楽のための協奏的序曲 (藤掛 廣幸)
C:カンティレーナ (保科 洋)
D:ポップス描写曲「メインストリートで」 (岩井 直溥)

こういうラインナップである。どの曲も個性のある堂々たるものであり、課題曲のラインナップが毎年このレベルだったら、皆納得だ。「自分のバンドの個性を生かす」、また「好み」という観点から、どの曲を選ぼうかとワクワクしてしまうだろう。
長期間各バンドが真摯に取り組むこととなる課題曲であるならば、かくあって欲しいものである。

♪♪♪

ところで現在、吹連はポップス課題曲の復活を全く考えていないそうだ。

技術レベルの割に、ポップス演奏のレベルが未だ低すぎるというのは吹奏楽界の課題の一つ。ポップス演奏法の伝播も未だ立ち遅れている。
音楽はボーダレスとなっており、吹奏楽の世界でもポップスやジャズの要素を取り入れたオリジナル曲も増えているから、ポップスを「らしく」演奏できることは重要になっている。そして何よりポップスが上手に演奏できるバンドは「もう一つの表情を持つ」ことになる。人間も、多彩な表情をもつ人ほど魅力があるものだ。

レベルの底上げがなされた現在の吹奏楽界においては、情報をいきわたらせることが可能な環境でもあり、ここでポップス課題曲を導入すれば、ポップス演奏の一層のレベルアップ → ポップス・ステージの聴衆満足ラインへの到達 → 吹奏楽の一層の興隆、と連鎖すると期待されるのだが・・・。

吹奏楽の中で私はさまざまなポップス曲にも触れた。それがきっかけで「原曲はどんなんだろう?」と興味を持ち、聴いた。自分が演奏して直に触れているのだから、すーっと自分の中に入ってくる。
大好きな秋吉敏子なんかもその延長線上で知ったわけであり、吹奏楽をやってなかったら一生知ることがなかったかも知れない。
音楽はどのジャンルでも素晴らしいものがいっぱいあるのであって、そうした音楽を愛する人々の「きっかけ」に吹奏楽はなれる、そのことはとても意味のあることだと思う。

♪♪♪

色々なジャンルの音楽が、夫々違った表情で日々私に喜びや元気をくれる。私にとっての、その「きっかけ」も吹奏楽に他ならない。

だから私は岩井先生に感謝、感謝なのである。

♪♪♪

音源としては、高橋 良雄cond. 陸上自衛隊中央音楽隊による1976年度コンクール参考演奏を収録したLPを挙げたい。
(冒頭画像/他稿で述べた1979年課題曲「朝をたたえて」も収録)

Sadosiena20062006年のコンサート・ライヴを収録した
佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ

の演奏も素晴らしい!(DVD:左画像)
最近、立続けにこの「メインストリートで」が録音されているが、良い演奏には出遭えない。その中で、このLive演奏は出色のものである。作品への愛情と、”これぞプロ”というべき整い方の両立した、ハートのある演奏であった。
曲の最後にはサプライズも・・・。
(ご自身の目でお確かめいただきたい。^^)

(Revised on 2009.5.17. [初出:2005.4.21.] )

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2008年7月23日 (水)

序奏とファンタジア

Rex_mitchellIntroduction and Fantasia
R.ミッチェル
(Rex Mitchell 1929- )




明快にしてモダンな作風で知られるレックス・ミッチェル(冒頭画像)がその名を知らしめ、文字通り吹奏楽オリジナルのスタンダードとなった名作。
この後、「コンサート・ミニアチュア」「海の歌」「大草原の歌」「スターフライト序曲」などでミッチェルは多くの吹奏楽ファンに愛される作曲家となった。特に本邦での人気が高い。
これまでミッチェルの経歴等は詳細が不明であったが、最近ミッチェルのHPが立ち上がり、作品の紹介とともにポートレートとプロフィールが公開されている。

レックス・ミッチェルは1929年米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ、高校時代はオーボエのソロイストとして活躍していたという。
多くの学校で音楽教育に携わった一方で、ジャズやポップミュージックの分野ではクラリネット・サックス・キーボードのプレーヤーとして活躍。今でも作曲や指揮活動の傍らプレーヤーとしての活動は続けているそうで、手掛ける音楽ジャンルは幅広い。
作曲も吹奏楽作品が中心ではあるが、管弦楽や合唱、ジャズアンサンブルにも亘っており、またミッチェルのモダンな作風は、前述のプレーヤー経験が反映されているものといえよう。
現在はクラリオン大学の音楽教育名誉教授であり、5人の子供と9人の孫に恵まれ、ペンシルヴァニア州オイルシティに居住しているとのことである。

♪♪♪

「序奏とファンタジア」は1970年の出版。幻想的な序奏に続いて、急-緩-急の主部が展開する単一楽章の楽曲である。全編にシンコペーションを効かせた生命感の溢れる曲想が大変魅力的な音楽だ。

序奏は穏かな低音のシンコペーションにのって、Marimbaのソロが主題を歌い出す。吹奏楽曲として大変斬新なオープニングである。
001「海の歌」のVibraphoneといい、こうした鍵盤楽器の活躍にはミッチェルの豊かなアイディアを感じさせる。

「序奏」が終わった途端にテンポが上がる。静かにシンコペーション楽句が応酬され徐々に音圧を拡大、さらにエキサイティングなパーカッション・ソリによるブリッジを経て、高らかな主題がTrp.に現われる。
002この快速な主部でサウンドはクリスタルのような質感と透明さを持ち、主題は時に快活に、或いはまた流麗にと表情を変えながら奏されていく。
そして中低音群の力強い旋律となって、迫力のある音風景を描く。ここでは一心に打ち込むXylophoneのアクセントも大変印象的である。
003
宙を切り裂いて急上昇するTrp.の楽句でクライマックスとなり、ブリッジが再現されて緩やかな中間部へ。中間部はミッチェル得意の夢見るような、抒情性を極めた楽想となる。
Photo_2AltoSax、Oboe、Hornと艶やかで美しいソロが奏されるが、さらにRubatoとなってからは、まるで宇宙空間を漂うよう。美しさにミステリアスさが加わって高揚し、感動的な音楽となっている。

再びAltoSaxのソロが還ってきて静かに中間部を終うと、あのMarimbaのソロが聴こえてくる。再度ブリッジを経て快速な主部を短く再現、ややテンポを落とした鮮烈なコーダに突入して、興奮のうちに全曲を閉じる。

♪♪♪

既にスタンダードとなった楽曲だが古くささはなく、中間部でのBassClarinetなども実に効果的に使用されており、作曲者の確かな手腕が感じられる作品。末永く演奏されて然るべきレパートリーである。

Cd音源は
汐澤 安彦cond.
東京シンフォニック・バンド

を推したい。メリハリのある演奏で、この曲の魅力を端的に伝えている。

♪♪♪

ミッチェルのHPに紹介された楽曲を見ると、改めて未知のものがたくさんあることに気づく。
カプリス(Caprice for Band)、コラールとプロセッショナル(Chorale and Processional)、パスラーレとアレグロ(Pastrale and Allegro)、アルトサックスと吹奏楽のためのロマンス(Romance for A.Sax and Band)、管打楽器のための狂詩曲(Rhapsody for Winds and Percussion)、風の聖堂(Wind Cathedral)・・・。
重ね重ねも、優れた録音の「ミッチェル作品集」登場が待ち遠しい。

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2008年7月13日 (日)

ミュージカル「マイ・フェア・レディ」セレクション

Myfairlady_poster"My Fair Lady" Selection
フレデリック・ロウ 作曲
(Frederic Loewe 1901-1988)
杉本 幸一 編曲
(Koichi Sugimoto 1958- )



「マイ・フェア・レディ」1956年にブロードウェーで初演され、大ヒットとなったミュージカル。オリジナルの舞台版では「サウンド・オブ・ミュージック」「メリー・ポピンズ」などで高名なジュリー・アンドリュース(Julie Andrews 1935- )が主演を務めたが、1964年にはオードリー・ヘプバーン(Audley Hepburn 1929-1993)の主演で映画化され、これも大ヒット。不朽のミュージカル名作として、現在も広く愛されている。

1900年代前半のロンドンが舞台となった物語。下町の花売り娘イライザが、偏屈だが優れた言語学者であるヒギンズ教授に徹底的に鍛え上げられ、僅か6ケ月で華麗なレディに変身する物語である。

※映画版あらすじの詳細 「my_fair_lady_synopsis.doc」をダウンロード  

Loewelerner脚本と作詞を担当したアラン・ジェイ・ラーナー(Alan Jay Lerner 1918-1986/右)と作曲のフレデリック・ロウ(Frederic Loewe 1901-1988/左)による楽曲は、全てが素晴らしい!文字通り、名曲の宝石箱というべきミュージカルとなっている。

♪♪♪

Shaw_2原作はジョージ・バーナード・ショー(Gerorge Bernard Shaw 1856-1950/左画像)の戯曲、「ピグマリオン(Pygmalion)」である。

※ピグマリオンという標題はギリシャ神話に登場するキプロス王の名に因るものである。彼は現実の女性には目もくれず、理想の女性を思い描いて自ら石像を製作する。彼はガラテアと名付けたこの石像に恋焦がれるが、それを見ていた女神アフロディーテが石像に命を与えて、ガラテアは人間の女性となり、ピグマリオン王と結ばれる -というエピソードが伝えられている。戯曲の内容からすれば、ショーがその標題を「ピグマリオン」としたのは、相当な皮肉であるといえよう。


Photo「マイ・フェア・レディ」とその原作「ピグマリオン」(左画像:倉橋 健による邦訳版)との決定的な違いは、物語の結末部分である。

即ち、「ピグマリオン」では花売り娘からレディに変身したイライザと、ヒギンズ教授とが結ばれることはない。「ピグマリオン」には後日譚が付されており、イライザはフレディと結婚し、ヒギンズとは対等の友人関係を続けたとある。
ヒギンズはイライザに失恋するのではなく、最後まで女性というもの(というより恋愛というもの自体)を必要としない男であり、イライザに恋愛感情を抱くこともないまま終わってしまう。原作におけるヒギンズは、まるっきり性格欠陥者といったニュアンスで描かれている。

これに対し「マイ・フェア・レディ」では、変わり者のヒギンズ教授も、最後は自らがイライザを愛していることに気づき、イライザは彼の全てを受入れてヒギンズのもとに戻ってくるシーンを描く。二人が結ばれることを暗示したハッピー・エンディングとなっているのである。

♪♪♪

Audley_in_my_fair_lady_4私にとっての「マイ・フェア・レディ」は、大好きなオードリー・ヘプバーンが主演する映画版である。既に高い評価を得ていたこのミュージカルを映画化するにあたり、監督のジョージ・キューカー(George Cukor)は「完璧」を期したとされる。
スタッフは、衣装=セシル・ビートン、音楽監督=アンドレ・プレヴィンを初めとする超豪華布陣。主演をオードリー・ヘプバーンにシフトした上で、劇中の歌唱はマーニー・ニクソンによる吹き替え。同様にフレディ役/ジェレミー・ブレットの歌う「君住む街で」も吹き替えである。

※近年発売された「マイ・フェア・レディ【特別版】」のDVDには、特典映像としてオードリー自身が歌った”素敵じゃない?””証拠を見せて”の2曲が収録されている。オードリー・ファンの私としては、これもこれで悪くはないと思うが、純粋に音楽として見れば、歌唱力のみならず声質からしてもマーニー・ニクソンの歌の方が遥かに次元が高い。キューカー監督の選択も、「あり」だと改めて認めざるを得ないところだ。ありとあらゆる手段を尽くして、エンターテインメントとしての完成度を志向した時代でもあったということだろう。


1全てのシーンが甲乙つけ難いのだが、私が特に大好きなのはヒギンズの優しさにふれたことをきっかけに苦手な発音を克服し、イライザが喜びを爆発させる「スペインの雨」-「踊り明かそう」と続く場面。希望に輝き生き生きとしたオードリーの表情と楽曲の魅力とが相まって、大きな感動を与えてくれる。

また、ラストシーンのオードリーの表情の変化の絶妙なこと!
何といってもレディに変身したイライザの”美しさ”のイメージに合致するのは、オードリーをおいて他にないと思うけれど、この映画でオードリーの果たしたことは、当然それだけではない。全編に亘りニュアンスを細やかに表現した演技が、実に素晴らしいのだ。
歌が吹き替えだからといって、この映画のオードリーが輝きを失うことは断じてない。

♪♪♪

Sugimoto_2杉本 幸一(左画像)編曲による、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」セレクションは、NEC玉川吹奏楽団のコンクール自由曲として編まれたもので、同楽団は2005年全国大会で銀賞を受賞した。
杉本 幸一=NEC玉川による”ミュージカル3部作”の掉尾を飾る作品であり、従来にない「マイ・フェア・レディ」を!という意気込みで書かれたアレンジ。編曲者は「妥協はしていない」とコメントしており、演奏難易度は高いが、演奏効果も高く、感動的で聴き応えがある。

JcdPhoto_2有名な映画版だけでなく、ジュリー・アンドリュース主演の舞台版にも着目し、大編成を生かしたゴージャスでダイナミックなアレンジである。

出版はウインドギャラリー
(左:ジュリー・アンドリュースによる「マイ・フェア・レディ組曲」の収録CD/右:映画版「マイ・フェア・レディ」サウンドトラック盤)

珠玉の名曲揃いのこのミュージカルから、どの曲を選んで構成するかが重大なポイントであったが、最終的には
序曲
市場の男たちのコーラス(「素敵じゃない?」前奏部分)
アスコット・ガヴォット
君住む街で
証拠を見せて

忘れられない彼女の顔
踊り明かそう

というメドレーとなった。

金管群の”鐘の音”に続き”でかしたぞ!(You did it !)”の主題をフィーチャーした快活な「序曲」に始まる。ファンファーレが高らかに響いて一旦静まり、「市場の男たちのコーラス」がしみじみと歌われて導入部を形成する。続く木管群主体の「アスコット・ガヴォット」は、クラシカルで典雅な楽想が印象的である。

My_fair_lady_scoreワルツ風の「君住む街で」を優雅に聴かせたかと思うと、突如熱情とスピード感に溢れた「証拠を見せて」(画像参照)へ。鮮烈な音色と、セットドラムも入った生命感に満ちたリズムを聴かせるこの曲のエネルギッシュさは、全曲の白眉といえよう。殊に、テンポとヴォルテージをガンガン上げていく終結部は見事!

エキサイティングなブリッジを挟んで、EuphoniumとOboeのソロがリリカルに歌う「忘れられない彼女の顔」
センチメンタルでファンタジックな曲想が、前後と見事なコントラストを成す。編曲者得意のマンシーニ風サウンドや、効果的に使われたフィンガーシンバルなども心憎い。

さあ、そして最後はこの曲しかない。
「踊り明かそう」が賑やかに、時にはお茶目に、そして幅広い音楽の束となって最後のクライマックスに向かう。音符を拡大して迎えたクライマックスでは、運命的なスネアドラムのリズムとホルンのオブリガートがあまりに劇的!これが更にスケールの大きなダイナミック・シネラマサウンドのエンディングとなり、冒頭のファンファーレを呼び返したあと、重厚なサウンドで全曲を終う。

♪♪♪

Photo_3音源は
稲垣 征夫cond. NEC玉川吹奏楽団
のコンサート・ライヴ。
同バンドの全日本吹奏楽コンクール本番の演奏の方が優れているが、惜しくも銀賞に止まったため、こちらは市販音源となっていないのが残念。

♪♪♪

尚、杉本 幸一版以外の「マイ・フェア・レディ」吹奏楽版も紹介しておこう。どれもそれなりに工夫を凝らしたものではあるが、これらを聴けば、杉本版が実に多彩な音色と充実したサウンドを持った”渾身のアレンジ”であることを、理解いただけるとも思う。

My_fair_ladyR.R.ベネット 編曲
運が向いてきたぞ - 君住む街で - 素敵じゃない?- 時間通りに教会へ -忘れられない彼女の顔 - 踊り明かそう
「シンフォニック・ソング」「アメリカ古舞踊組曲」で吹奏楽界にも知られたベネットは、実はオリジナルの舞台版「マイ・フェア・レディ」の編曲者でもある。当時彼がイメージしていたであろう吹奏楽サウンドで書かれており、響きは古風なモノトーン。
演奏:野中 図洋和cond.陸上自衛隊中央音楽隊

My_fair_lady_2岩井 直溥 編曲
イントロダクション(忘れられない彼女の顔) - 運が向いてきたぞ - 踊り明かそう - 忘れられない彼女の顔 - 素敵じゃない?- 君住む街で
ニュー・サウンズ・イン・ブラスの一曲として発表されたもので、さまざまなリズムパターンを使用し、どこまでもポップな「マイ・フェア・レディ」。
演奏:岩井 直溥cond.東京佼成ウィンドオーケストラ

My_fair_lady_3J.カカヴァス 編曲
序曲(でかしたぞ!)- 君住む街で - スペインの雨 - 素敵じゃない?- 舞踏会のワルツ - アスコット・ガヴォット - 忘れられない彼女の顔 - 証拠を見せて - 踊り明かそう
収めた曲は多岐に亘るが、少々細切れか?サウンドは相当薄い印象を受ける。
演奏:P.ネヴィルcond.ロイヤル・マリーンズ・バンド

♪♪♪

「マイ・フェア・レディ」は、本当にどれも”力”がある素晴らしい楽曲ばかり。音楽の力というのは実に不思議で、ジャンルだとかそういうものを超えて心に訴えかけてくる。感動はクラシックの名曲にだけあるものではない。
”いいものは、いい”
-これが真実だと、つくづく思う。

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2008年5月21日 (水)

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

Lp_2Myth for Symphonic Band
- on the Story of
"AMANO-IWAYADO"
大栗 裕
(Hiroshi Oguri 1918-1982)





Photo_3大栗 裕
(右画像)は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。自身、吹奏楽の名門・天王寺商高出身であったこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。
吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は、1973年に伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンド大阪市音楽団の創立50周年を記念して作曲された。吹奏楽の邦人オリジナル曲としては最も多く採り上げられている作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも秀演多数。吹奏楽史上に燦然と輝く名曲であることは間違いない。

Photo_4私は、1975年全日本吹奏楽コンクール実況録音盤(左画像)でこの曲を知った。今津中・豊島十中の両巨頭が招待演奏のこの年、おそらく心に期するものがあったはずの四国の雄・富田中の演奏(金賞受賞)である。
その演奏を聴いて、冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じた。続く前奏部も、実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど。同バンドは翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田”の名を轟かせることとなる。

♪♪♪

作曲者・大栗 裕は「吹奏楽のための神話」について、次のように語っている。
「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。
音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」


Photo_5「天岩屋戸(天の岩戸)」の神話は、古事記日本書紀に所載されている。
弟スサノヲの乱暴狼藉を恐れた太陽神アマテラスが天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語は、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。しかし物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものである。

※古事記(上画像 :福永 武彦 現代語訳)
「kojiki_excerpt.jpg」をダウンロード

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は、この”天岩屋戸伝説”に基く交響詩的作品。即ち、物語を極めて描写的に音楽にしている。

構成は以下のようなイメージとなろう。
I. Adagio
アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声
II. Allegro molto
アメノウズメ(天宇受売)の狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑
III.  Andante
天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情
IV.Allegro molto
再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂
V. Andante
鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景

1_2冒頭の木管群の鋭いフレーズとTimp.の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す。暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。

Trb.のグリッサンドが絡んできて更に高揚し、緊張感漲る木管群のトリル。これをバックに長鳴鳥を表すMuted Trp.が登場し、2_2
アマノウズメの踊りが始まる。賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲は、各楽器が楽句を応酬し、その音色を含めた対比が聴きものである。
4_2ここではTimp.やSnare Drum(snare off) はもちろんのこと、BongoやCongaも大活躍。ラテンパーカションは”古代の野性”を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが素晴らしい!

やがて重厚なドラの一撃とスネア・オフのドラムに続いて、荘厳な音楽となり、場面は岩屋戸の中へと転換する。
不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。
この場面では木管が存分に聴かせる。Flute、Clarinetと移り行くソロ、挿入される不安気な木管のアンサンブル、密やかに蠢く打楽器たちが映し出す情景の神秘さは、筆舌に尽くし難い。
3
岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。エキサイティングな舞曲は徐々に昂ぶりを強め、遂にその時がやってくる。頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!
待望していた神々の歓声の如く、高らかにTromboneが雄叫びを挙げる。
5



重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円。
最後は冒頭が再現され、潔くそしてキレのいいエンディングが遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。

♪♪♪

この「神話」という曲は魅力に満ちている。前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。
殊に、ともすれば”落ち着き”が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。

(またTromboneが極めて重用されており、Trombone奏者にとっては吹奏楽曲の中でも屈指の「オイシイ曲」である。^^)

多くの演奏を聴いたが、音源としては
Cd朝比奈 隆cond.大阪市音楽団
(1975年録音/
冒頭画像は同演奏の初収録LP)

を推したい。ふさわしい”雰囲気”が充満しており、総合的に見てやはりこの委嘱者による演奏が、大栗ワールドを最も体現していると私は思う。

【他の所有音源】
  ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
  小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
  木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
  朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


※尚、この1975年録音では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)
同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。

果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。
カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。
よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この”1975年録音版”の演奏をお奨めする次第である。
(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)

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2008年4月20日 (日)

上野の森ブラス -2008.4.19. 上野の森コンサート@上野駅

1上野の森ブラス -東京芸大/管楽器専攻の「ほぼ同級生」(Tuba杉山氏談)で結成・活動しているブラス・アンサンブル。1973年に結成され、1979年に現在のメンバーに固まったとのことだが、現存するプロフェッショナルなブラス・アンサンブルとして35年の活動歴=世界最古?の団体である。

今回は、JR東日本による駅コン企画「上野の森コンサート」に同アンサンブルが出演。久し振りにその演奏を楽しんだ。

♪♪♪

上野の森ブラスのメンバーは
Trumpet   織田 準一、曽我部 清典
Horn     澤 敦
Trombone 花坂 義孝
Tuba     杉山 淳

の皆さんである。実は私の大学の吹奏楽団はこの先生方にまるごとトレーナーとしてご指導いただいていた。
P1020160特に、Tromboneの花坂氏(左画像:本日の師匠の熱いソロ)には私の代が幹部を務めた時にお迎えして以来、現在までずっと常任指揮者としてお世話になっている。
まあ私などは、(アマチュア)弟子で身内のようなものであり、当時も現在も「師匠」とお呼びしている。^^)

♪♪♪

学生の頃から、上野の森ブラスの演奏会はよく聴かせていただいた。いつも楽しくて、そして感動した!
プログラム全曲を暗譜立奏!というスタイルからして凄い。(「松田聖子だってできるのに、俺達がやらないのはオカシイ!」というわけで、暗譜立奏することになったとか。)
時には、予めプログラムを一切定めず、100曲以上のレパートリーの中から”本番中に観客が選んだ曲”を演奏するという、型破りなコンサートもあった。

織田 英子(Trp. 織田氏夫人)というスペシャル・アレンジャーの優れた作編曲作品、確かなテクニックと音楽性に支えられた妙技、実に息の合ったアンサンブル、杉山氏の軽妙なMCで進行する演奏会は、いつも堅苦しさを排したうえで、音楽の悦びを確実に伝えてくれるのだ。

♪♪♪

P1020159今日は「ルネサンスのマドリガルとキャロル」「ハンガリー舞曲第5番」「イエスタデイ」「上を向いて歩こう」「上野の森の動物園(動物に因んだ曲のメドレー)」など1時間のコンサート。アンコールは「聖者の行進」で盛り上がる!
おなじみのレパートリーで構成されており、何だか懐かしく、そしてやっぱり理屈抜きに楽しかった。・・・隣で一緒に聴いていた我が息子は、どう感じてくれただろう?

終演後、久し振りに先生方にご挨拶もでき、師匠とはお話もでき嬉しかった。
私個人としては、次回はぜひまた新しいレパートリーを聴かせていただきたいと思っている。楽しみにしておこう。

♪♪♪

Photo上野の森ブラスの音源も紹介しよう。
上野の森ブラスといえば、宮崎 駿アニメ主題曲を集めた「ブラスファンタジア」シリーズが有名だが、私の大好きな1枚は左画像。
”日本の歌組曲””南米のフォルクローレ”が特にお気に入り。

(しかしこのジャケット写真の皆さん、若いなぁー。)

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