2008年11月28日 (金)

K-20 怪人二十面相・伝 (試写会/2008.11.26.)

K20_2監督・脚本
佐藤 嗣麻子

出演
金城  武
松 たか子
仲村 トオル
國村  準
高島 礼子
本郷 奏多
益岡  徹
今井 悠貴
鹿賀 丈史





生まれて初めて「舞台挨拶つき」の試写会に行ってきた。「気に入っていただけたら宣伝して下さい!でも、ネタバレは勘弁して・・・。」を連呼する主演の金城 武をはじめとして、出席した役者さんたちのコメントは意外に?おもしろかった。^^)おそらく撮影現場は楽しいものであったことが、容易に窺えた。


時は1949年、舞台は第二次世界大戦を”回避”した日本の「帝都」。「帝都」は架空の設定だが、軍が警察も司っているなど、実際の戦前・戦後を折衷した世界にある”東京”のことである。
そこは”華族”が属する上流と、貧民層ともいえる下流が厳然と存在する、格差社会であった。
そんな世界を騒がし続ける怪盗が「怪人二十面相」。そしてヤツと対決する名探偵・明智小五郎こそは民衆のヒーローなのだ。

物語は、下流社会の象徴であるサーカスのスター・遠藤平吉が罠にかかり、怪人二十面相として逮捕されるところから始まる。平吉が無実を晴らし、彼の望む通りにまたあのサーカスでの生活に戻るためには、自ら真の怪人二十面相を捕らえるほかない。
果たして平吉の運命は?そして怪人二十面相の究極の目的は-。


♪♪♪

これ以上の内容に触れることはできない。
上映時間2時間17分の間、退屈させられることは全くない映画だということは申上げられる。

この映画はスター・ウォーズやインディ・ジョーンズといったルーカス&スピルバーグの世界、或いはマトリックス・・・そうしたアメリカン・エンターテインメント映画へのオマージュ。そしてその憧憬と日本の誇るキャラクター(=怪人二十面相+明智小五郎)との邂逅だ。
即ち、監督もコメントしている通り”エンターテインメント映画”以外の何物でもないのであり、そう捉えて観るべき作品である。
(=アメリカン・エンターテインメント映画がお好きでない方には、そもそも決してお奨めできない、ということ。)

♪♪♪

ストーリーは最低限の説明で進み、ガンガン突っ走らせる。粗くてもスピード感が命!と決めての編集には胸のすく思い。カット割りによる快速な画面展開がズバズバ決まり、現出したスピード感の高さは旧来の邦画の枠を完全に超えている。VFXをはじめとした特殊撮影も安っぽさや絵空事さのないレベルで、作品をがっちり下支えしていることも見逃せない。

織り込まれるユーモアはルーカス&スピルバーグ的であり、また一方で最新の日本の「笑い」の雰囲気も取り入れてある。こうした”お約束”も前述の通り「実際の戦前・戦後を折衷した世界」を舞台にして、映像で見せられるとなかなかにオモシロく感じられる。

また、キャラクターの「立ち」の強さは映画というより漫画的。そしてキャラクター一人ひとりに間違いなく愛情が注がれているその暖かさ・・・。(お嬢さまにはお嬢様の、からくり師にはからくり師の、詐欺師には詐欺師の見せ場がキッチリ用意されている!)
全般に漫画(アニメではない)の良さを積極的に取り入れているようだ。ここぞという場面では特殊撮影を駆使し”時間の経過”に自在に緩急をつけてアクションを見せるなど・・・。これなどは漫画が得意とする演出なのだ。

<主要キャラクター>
遠藤平吉    : 怪人二十面相に仕立上げられてしまったサーカス団の花形スター。
                  抜群の運動能力を持つ。
羽柴葉子    : 明智小五郎の婚約者。大財閥のお嬢さまで純粋にして行動的。
                   ”良家の子女の嗜み”多し。
明智小五郎 : 頭脳明晰で容姿端麗、運動能力も高い名探偵。怪人二十面相の
                   好敵手。
源  治       : サーカス団の天才からくり師。その驚異的なからくりの提供のみ
                   ならず、あらゆる面で平吉をサポート。
菊   子        :源治の美貌の妻。実は元天才詐欺師、情に厚い姉御肌。
小林少年     :年少ながら明智の優れた右腕。ストーリー終盤では”囮”の役割を
                   果たす。


おまけに、ヒロイン葉子の抱擁シーンでの仕草には、女性監督らしいニュアンスも垣間見た。なかなか多彩に見せてくれて嬉しくなる。

♪♪♪

ストーリーはお世辞にも深みがあるとはいえないし、完璧な整合性を担保しているようにも思えなかったが、許せる。端的に言えば「人間が求める幸せって・・・」とふと頭を過ぎる感じなわけだが、それだけでも骨格たるストーリーの”効果”は充分出ていたと思う。

この映画の終盤のシーンを見ていて、「インディージョーンズ/魔宮の伝説」で聖杯に眼が眩みそれを求めて死へと落ちていく、あの女性学者の姿が想い起こされるのは、私だけではないのではあるまいか?
また、スター・ウォーズのルークとベイダーの対決シーンを彷彿とさせる場面もあった。やっぱり”オマージュ”的作品なんだなあと思う。


♪♪♪

とにかく全編に亘り製作者の意図にブレが全くないので、爽快感があることは間違いない。難しく考えずに面白がれる映画・・・それがこの作品。
そう考えていただいて、”するっ”と楽しまれたら良いと思うが、如何?

<2008.12.20. 全国封切予定>

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2008年10月11日 (土)

インディ・ジョーンズ -クリスタル・スカルの王国

Indiana_jones1989年の前作「最後の聖戦」から20年あまり、2008年にインディ・ジョーンズが帰ってきた!

ずっと楽しみにしていたのだが、漸く観れたのは追加で1日だけ取得できた夏休み。家族揃って楽しんだ。思えば、家内と初めて一緒に観た映画がまさに「最後の聖戦」だった・・・。それから随分と時が流れ、気がつくと子供たちも揃ってインディ・ジョーンズのファンになっていたのだった。

☆☆☆

スティーヴン・スピルバーグ監督は、この4作目について「”インディ・ジョーンズ”は(主演の)ハリソン・フォードに合わせて作り上げていくことが強み」ということを意識して撮ったとコメントしている。
時の経過とともに微妙に変わる価値観、或いは齢を重ねた故に、シンプルにまた素直になれるといった側面を主人公にも投影した、ストレートな映画と言えるだろう。

だから「いつもの」インディの活躍を、妙にもったいぶることなくスイスイと描いていく。「お約束」もふんだんに・・・。確かにストーリー骨格は単純で奥行きに欠け、ひねりや意外感のない”インディ・ジョーンズ”になってしまっていることに不満な方も少なくないだろう。

しかし、それでも許せる。”娯楽”に徹した作品として、一気に楽しめば良いと思う。(「悪くないヨ!」って気楽にコメントしたい気分なのだ。)

☆☆☆

冒頭、流行りの音楽にのって陽気な若者が、ニヤつく兵士に気楽なカーレースを誘いかけるシーン。広大なアメリカの自然の風景を効かせながら、時代背景を一発でセットアップしてしまう。そして、映画館中に気楽なムードが行き亘ったのを確かめると、それを一瞬にして緊迫に変える検問突破のシーンへ・・・。
こういうところがキチンとできている映画は、強い。この映画が緩みそうで緩まず一気に見せるのは要所要所を外さないから。こういうのを「手腕」というのだろう。

☆☆☆

インディとマリオン(第1作「失われたアーク」のヒロイン)の再会、その二人の間に生まれた息子の登場・・・教会でのハッピーエンド。まさに「予定調和」であり、この作品が第1作からインディを熱く見つめてきたファンのためのものであることを改めて感じさせる。

今一度、スピルバーグ監督のコメントを引こう。
「インディというキャラクターがいつでもインディであり続けられることが大切」

ラストは、インディのトレードマークであるあの帽子。息子が拾おうとするのを父ジョーンズ(ハリソン・フォード)が制し、自分が被って教会を出て行くシーンで終わる。(「お前には、まだ早い!」ってニュアンスだろうか。)
父ジョーンズの活躍が更に続くのか、それとも今回のエピソードでその資質を充分に感じさせた、息子の新たな冒険が始まるのか?
或いは、それらを予感させることで永遠性を含ませたこのエピソードでインディ・ジョーンズは締めくくるのか-。

いずれになったとしても、このラストシーンによって”インディは永遠にインディで在り続ける”ことになったのだ。

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2007年9月30日 (日)

サッド ヴァケイション (2007.9.23.)

Photo監督・原作・脚本:
青山 真治

出演:
浅野忠信
石田えり
中村嘉葎雄
板谷由夏
宮崎あおい
オダギリジョー




映画に関しては「娯楽大作」「名画座」好きのミーハーである私。そんな私がこのような映画を観ること自体、珍しい。仕事上のご縁があって、ご招待いただいたのである。
果たして、このタイプの映画を、最後まで集中力を以って観られるだろうか-。
・・・が、予想外に惹き込まれてしまった。決して判りやすい映画ではないが、何とも言えない魅力のある映画でもある。

☆☆☆

”生けとし生きるもの”としての人間の本能、殊に「母性」というものの凄味。そして「縁(えん)」というものへの人間の執着と依存がテーマにあったように思う。何やら仏教的な世界観である。これを九州へのノスタルジーに包んで描く。行き交う九州弁は、九州に生まれ育った私のノスタルジーも当然激しく掻き立てた。

そして、主人公=健次(浅野忠信)とその家族、間宮運送の面々は誰もみなどこかエキセントリック。その「異常な人々の中にあるマトモな真実」と、「フツーの人間の中に狂気や異常性が潜んでいるコト」の両方を描き出していく。

☆☆☆

尋常ならぬ人生・生業を営んできた健次だが、彼は実に人間味豊かな側面を内包しており、それが周囲に愛されている。そんな彼を真の狂気に導いたのは、荒んだ生活や恵まれぬ境遇自体では決してなく、自分と父を捨てて出奔した母への復讐の念であった。
「どうすることが、復讐になるのか-。」
その答えに実態的には窮したまま、健次は再会した母の勧めるままに一つ屋根の下で生活を始める。そして、父違いの弟をその家から逃亡させてしまうことが、母への復讐になるという決断をしてしまう。これが、最終的に悲劇的結末へと達するのだ。皮肉にも、最後の最後で健次は母の出奔は母の不貞が原因ではなかったことを知らされることになるのだが・・・。

☆☆☆

何と言っても、この映画は「健次の母」(石田えり)に尽きる。
健次の想いなど一向に介することなく母性で迫り来る。その迫力たるや-。声も荒げず、過去はひょいと跨ぎ越し、淡々と本能で迫り来るあの感じは、怖い。石田えりの快演が光っている。
息子(健次の異父弟)の火葬の場で、現在の夫(間宮運送社長/中村嘉葎雄)にしたたかに殴打されても、「男んヒトは、好きにしたらいいんよー。」と笑ってみせる姿に確かに存在する狂気。「家族・血縁」に対する執着は、健次の子を宿した冴子(板谷由夏)が現れるや、それを直ぐさま取込もうとする。
この積極的な本能は動物的、怖い!

間宮運送社員・後藤(オダギリジョー)は借金取りに震えていた。中国マフィアは健次の許から中国人を攫っていった。確かにどちらも怖い。
でも、拘置所で健次と面会した際に「みんなで待っとるよ。」と言い放つ、健次の母の”決めつけた”表情が、一番怖い・・・。

☆☆☆

間宮運送の社長は、「縁」というものを呆れるほどにそのまま受け入れる。感情的な抗いさえもない。厭世的なのか、逆に前向きなのか、よく判らない。「縁」って一体何なんだ?

-そういえば、ぼんやりとこんなことを考えてる私がこの映画を観ることになったのも、「縁」という他ないものなのであった。

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2006年7月19日 (水)

ダ・ヴィンチ・コード  (2006.7.17.)

Photo_36 今年の「海の日」は、悲しいことに早朝から休日出勤。このため釣りはスッパリあきらめ(天気も悪かったし)、家族で映画に(家内が楽しみにしていたし)。子供たちは「ポケモン」、家内と私は遅ればせながら話題作「ダ・ヴィンチ・コード」へ。仕事終了後立ち寄って、”ワーナーマイカルシネマズ板橋”の席をゲットし、午後から出かけた。




原作本を読まずに臨んだが、一部に言われていた「判り難さ」は感じなかった。キリスト教の深層だとか史実といったものについて議論を齎す作品ではなく、あくまでエンターテインメントに徹したミステリーと捉えるべきなのは言うまでもないし、この作品はキリスト教を冒涜する内容では絶対にないと思う。
キリスト教に縁薄い私にとって、テーマ自体が純粋に脱日常感があって良かったし、暗号解読やクリプテックスといった知的好奇心に訴えるコンテンツも良い。

トム・ハンクスは今回もなかなかのもの。ヒロインは品があって知的、気丈なイメージもあって悪くはないが、ストーリーの結末的にも文字通り「ヒロイン」という割にはオーラが不足している気もする。
一方、映像は(最近の映画を見るたびに思うのだが)全くショボさがなくて感心する。ちょっと前まで、映像のショボさでまずゲンナリする作品が少なくなかったが・・・。全体として、相応楽しめる作品であったと総括しておきたい。

♪♪♪

前述の通り、原作を知らない私にとってストーリーはなかなか興味深かったが、結末は予想できるものでサプライズはない。またこの物語の重要人物の一人、リー・ティービング教授について全てを明らかにするタイミングはちょっと早かったのではないか?観衆は「ん?こうなんじゃないかな?」と思っていても、ハッキリ示されないうちはそれなりにドキドキしたり、或いは事実が判った時の優越感に浸れたりするものだ。

それにこの映画、謎解きのテンポが単調。せっかくキャラクターも良く、小道具も気がきいているのに、やや淡々としていて残念。
「詰め込み過ぎ」というよりは、ストーリーのテンポに緩急、あるいは終末に向けて加速度的な展開といった工夫があれば、エンターテインメントとして一クラス上のものになっただろう。

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2006年6月13日 (火)

ハリー・ポッターと炎のゴブレット (2005.11.26.)

Photo_21 映画版ハリー・ポッターの第4弾を、嫁さんと子供二人の家族全員でワーナーマイカルシネマ板橋にて観る(吹替版)。封切(死語?)当日に映画を見るなんて学生の時以来だと思うが、事前の座席指定サービスを提供してくれるこのシネコン方式の映画館のおかげである。このサービスは本当に快適だ。

さて映画の中身は・・・。映画ならではスケールの大きさを生かしており、映像は今回もゴージャス。決して退屈させられる類の映画ではない。
しかしながら(そもそも原作の問題であるが)、ハリー・ポッターの近くに刺客?が入り込み、それが最後に暴かれるというのはちょっとワン・パターンだ。何より限られた上映時間にエピソードが無理やり押し込められてせせこましく、ハリーに与えられた試練とその達成感も、シリーズ初となる友人の死さえも必要な重さを持ちえていない。テンポはいいが、一本調子でもあり、エンターテインメントとしてはもっと充分な高揚感のある瞬間が欲しい。

♪♪♪♪♪

帰りは家族全員で外食。映画でも何でもイイのだが、こうして家族揃って楽しみ、帰りは食事でもして・・・という機会自体に意味がある。息子たちは相変わらず騒々しいが、間違いなく得がたい幸せがそこには在った。

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