2016年8月27日 (土)

更新情報

このBlogの画像は左クリックで拡大します。
どうぞ大きな画像でご覧ください☆

■ 2016.8.2.  
吹奏楽のための神話    全面改訂upしました


当Blogでもアクセスの多い稿ですが、永年あたためていた改訂を
遂に実施することができました。

■ 2016.7.24.  友愛のファンファーレと讃歌  upしました

所属する楽団の次回(2017年1月)定期演奏会にて、オープニング
曲として演奏します。これもまた演奏していて実に愉しい曲です!

■ 2016.7.16. 
祝典序曲  三善 晃  upしました

もうほんとに大好きな曲で、早く出稿したかったのですが、執筆作業
には優に半年以上を要してしまいました…。
吹奏楽編曲も出版されています。演奏にあたってはテクニックもさる
ことながら、極めて鋭敏な感性と高い”演技力”が要求されるでしょう
   

■ 2016.6.28. 
「リボンの騎士」オープニングテーマ
  新音源入手を機に改訂upしました

改めて聴いてみて魅せ
られたこの素敵な曲、
私の大好きなバージ
ョンを収録したLPをコメントにて教えていただきましたので、Web
検索を駆使し、速攻で入手しました!
このLPの演奏を聴くことができる動画サイトもご紹介しておきます。
ぜひ聴いてみて下さい!
インストゥルメンタル版:
http://www.dailymotion.com/video/x2nmttr
歌つき(王子)版:http://www.dailymotion.com/video/x2lpnmd

■ 2016.4.2.  森の贈り物  upしました

また一つ素晴らしい演奏に出会うことができて幸せでした♪

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Superslick

SuperslickTrombone奏者のみなさん、あなたはスライドオイル派ですか、それともスライドクリーム派ですか?^^)

最近の若い人は「スライドクリーム」というものを知らないほどにスライドオイルを使うのが主流みたいです。現在所属している楽団の我々平均年齢還暦トリオも、同じパートの団内最年少である若き”姫”の「スライドオイルしか使ったことないです。」という言葉に愕然とするばかりでした…。これこそジェネレーション・ギャップというヤツでしょうか。ううう、齢はとりたくないものですね。(T_T)

♪♪♪

私はTromboneを始めて40年目ですし、マニアックな性格ですからそれはそれは色んなアイテム、さまざまなメーカーの製品に手を出しました。でも結局スライドクリーム+トリートメントを塗り、水をスプレーする”Superslick”以上にしっくりくるものがありませんでした。よく滑る!持続性が高い!私はそう感じているベストアイテムです。

Photo元々はデニス・ウィック御大の名著「トロンボーンのテクニック」で推奨されていた「ConnのSuperslick」に憧れて使い始めたのが最初でした。当時大分の片田舎に住んでいた私にとっては入手するのもなかなか大変でしたが、何としてもと思い込んで手に入れ、使い始めたのです。

時は経ち、Conn社はSuperslickの販売を止めてしまいました。Superslickは今でも製造販売されてはいますが、製品ロゴも真紅から青へと変わりました。そして何より、東京の著名な楽器店の店頭にすらSuperslickは見当たらず…海外通販でしか入手できなくなっています。
試行錯誤の末、「やっぱりSuperslick!」な私にとってこのスライドクリームとトリートメントが入手できなくなったら大問題なのです。
とりあえず使用中の2セット以外に、在庫としてクリーム3個、トリートメント5本を確保しました。(冒頭画像)当面は大丈夫かと思いますが、本当に入手できなくなったらどうしよう…。

♪♪♪

全く以って”好み”の問題ですが、私はやっぱりSuperslickじゃなきゃダメなんです。同じ思いの方々がたくさんいらして、この製品を私ともども”買い支え”て下さることを、ワールドワイドに祈念して已みません。いや、マジで…。

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2016年8月 4日 (木)

【公告】 団員募集

ヤマハ吉祥寺吹奏楽団 団員募集

東京都武蔵野市吉祥寺-”東京の住みたい街“で永年上位
の素敵な街を拠点とする吹奏楽団です!
Photo現在は2017年1月29日(日)開催の定期演奏会に向けた練
習に着手したところです。

【予定曲目】
1st Satge
オセロ (A.リード) 遥かなる大地へ(J.ウイリアムズ)
シンフォニック・オード(保科 洋) 他
2nd Stage
ポーギーとベス(G.ガーシュウィン) 他ポップス

もう一度演奏活動を再開したい!という方、ぜひご入団
いただき、定期演奏会をご一緒しませんか?

◎トロンボーン、テューバ、クラリネット、
   オーボエ
急募!
○バスーン、サックス、ホルン、弦バス、打楽器
 
 
熱烈募集中!
    ※テューバ、弦バスは団所有楽器あります


■JR中央線/京王井の頭線「吉祥寺駅」北口より徒歩5分
  の至便な練習場
■練習日 : 毎週土曜日18:00-20:45
■練習室は防音スタジオを確保、打楽器も備えてあります
■プロの指導者による合奏指導、本番演奏
■練習場所は吉祥寺市街の中心にあり、周囲は商業施設
  や飲食店も大変充実しています

幅広い年齢層のメンバーで毎週楽しく演奏しています!
詳しくは下記リンクからホームページをご覧の上、ぜひ一度
見学にいらして下さい♪

ヤマハ吉祥寺吹奏楽団ホームページ 

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2016年8月 2日 (火)

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

2Myth for Symphonic Band
- on the Story of
"AMANO-IWAYADO"
大栗 裕
(Hiroshi Oguri 1918-1982)

「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。
音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」

                        (作曲者 大栗 裕によるコメント)

Photo_5作曲者自身のコメントにある通り、「吹奏楽のための神話」 「天岩屋戸(天岩戸)」の物語に基く交響詩的作品である。
この神話は古事記日本書紀に所載されており、弟である素戔嗚尊(スサノヲ)の乱暴狼藉を恐れた太陽神・天照大神(アマテラス)が天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語で、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。しかし何より物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものである。

    ※古事記(左上画像 :福永 武彦 現代語訳)
       
「kojiki_excerpt.jpg」をダウンロード

そもそも太陽神がひきこもることで天上界も地上も真っ暗闇になり、それがさまざまな禍を引き起こすという設定が面白いし、八百萬の神々が集合してアマテラスにお出ましいただくよう対策を練るというのも実にユニークである。そして芸能の女神・天宇受賣命(アメノウズメ)のエロティックな踊りに神々の笑いが湧き起こるさまや、剛力の神・天手力男神(タヂカラオ)が岩戸に手をかけアマテラスを引き出すさまなど、ヴィジュアライズされた情景を想い描かせるのだ。神聖で神秘的な-しかしどこか世俗的な親しみとがない混ぜになったその世界観にぐっと惹きつけられてしまう。

この「天岩戸」の日本神話にまつわる神社・史跡は日本全国に存在している。それはこの神話が古から日本中で深い興味を以って伝承され、「天岩戸はどこにあるのだろう」「まるで天岩戸のような風景だ」といった想いを人々に紡がせてきた証左であろう。
Photo_4中でも有名な宮崎・高千穂の「天岩戸神社」には天岩戸(撮影禁止とのこと)の他、八百萬神が集まり神議を行ったと伝わる天安河原という大洞窟も存在している。
そこに伝承される神事も含めこの神社と「天岩屋戸神話」とは、尋常ならざる深い関わりを感じさせるのである。

♪♪♪

Photo_2大栗 裕は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。自身、吹奏楽の名門・天王寺商高出身でプロフェッショナルのホルン奏者として活躍していたこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。
吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。

♪♪♪

この「吹奏楽のための神話」(1973年)は伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンド大阪市音楽団(現 オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ)の創立50周年を記念して作曲されている。
50197309261973年9月26日、大阪市中央体育館で開催された「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」において永野慶作指揮の同団により初演。キャパシティの関係で選ばれたこの体育館はコンサート会場としては広すぎ、また折悪く激しい雨に見舞われその雨音の影響もあり、残念ながら本初演は演奏効果を充分に発揮することはできなかったようだ。

     ※出典:バンドジャーナル掲載の鈴木竹男氏レポート(写真も同誌)
            上掲右画像:初演指揮・永野慶作と作曲者・大栗裕


しかしながら本作品の素晴らしさはクチコミでも各地に広まっていった。吹奏楽連盟講習会の講師を通じてこの曲の存在を知ったというのが、四国の雄・徳島県富田中を率いる糸谷安雄先生である。「神話」に惚れ込んだ富田中は本作を自由曲に選び、1975年の全日本吹奏楽コンクールにて見事金賞を受賞した。
1975_2今津中・豊島十中が5年連続金賞で招待演奏に回ったこの年、名門・富田中は心に期するものもあったと思うが、実に表現豊かな秀演で文句なしの金賞を手にしたのである。

     ※出典:バンドジャーナル1976年1月号
         「特集・第23回全日本吹奏楽コンクール」
      尚、当該記事中で糸谷先生は次のようにコメントされている。
       「練習が進むにつれ、この曲の持つ魅力にすっかりとりつかれ、
            今年の自由曲に決定させてもらった。しかし13分30秒という大
      曲のため、半分近くもカットせざるを得なかったのは、たいへん
      に残念であった。特に美しい笙の響きを思わせるクラリネットの
      重奏の部分をもカットしてしまったのは、今でも心残りである。」
      -ああ、やっぱりなと思う。こういう感覚、想いで楽曲に接しな
      ければ人に感銘を与える演奏は生まれないのだと思う。
      ”却って効果的”などとコンクールの勝敗だけに頭を巡らして心
      ないカットを施し、楽曲不在となっているケースはないだろうか。
      繰り返し言うが、もうそんな演奏は聴きたくもないのである。


Photo_3私が「吹奏楽のための神話」を知ったのも全日本吹奏楽コンクールLive盤で聴いた富田中の演奏が最初である。冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じたし、続く前奏部も実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど…。それほどまで強い印象を与える、優れた表現力の演奏だった。富田中は翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田”の名を轟かせることとなる。

今や吹奏楽の邦人オリジナル曲として最も多く演奏される作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも多くの秀演が生まれた「吹奏楽のための神話」は、間違いなく吹奏楽史上に燦然と輝く名曲なのである。

♪♪♪

「吹奏楽のための神話」は前述の通り、”天岩屋戸伝説”を極めて描写的に音楽にした交響詩的作品であり、鑑賞や演奏においては描かれた情景に想いを巡らさねばならない。
全曲の構成としては、Adagio - Allgro molto - Andante - Allegro molto - Andante の5つの部分から成っているとみることができる。

I. Adagio
アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声


Photo_7冒頭の木管群の鋭いフレーズとTimp.の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す-。暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。
Adagio_trb暗闇に蠢くのは神か、物の怪か-。Tromboneのグリッサンドがとても効果的に、その密やかなざわつきを表すのだ。
続いて木管群にミステリアスな旋律が現れ徐々に高揚、
Adagioこれが繰り返されたその頂点で緊張感漲る木管のトリルに導かれ、Muted Trumpetが長鳴鳥の鳴き声を奏する。
Photo_8これに続いて、いよいよアメノウズメの踊りが始まるのである。

II.Allegro molto
アメノウズメの狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑


アメノウズメが踊る情景を現すのは、賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲。各楽器が楽句を応酬し、その音色も含めた”対比”が聴きものである。
Allegro
ここではTimp.やSnare Drum(snare off) はもちろんのこと、BongoやCongaも大活躍。ラテンパーカションは”古代の野性”を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが洵に素晴らしい!
Allegro_2このリズムに乗った土俗的な舞曲の熱狂が、この曲独特の個性を決定づけている。
ますますスケールアップした音楽は締太鼓のリズムと下降するベースラインに導かれて一層生命感とエナジティックさを極め高潮していく。
Allegro_3一旦静まったのちに楽句が重なり合って放射状に高揚し頂点を迎え、重厚なドラの一撃とスネア・オフのドラムに続いて、荘厳なサウンドが響きわたって場面は岩屋戸の中へと転換する。

III. Andante
天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情


不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。
この場面では木管が存分に聴かせる。まずTimp.のソロイスティックな伴奏を従えたFluteのソロ。
Andante_fl_solo_2これに続いてClarinetが重なり合いまさに笙の如き不思議な美しさの世界を見せる。大変印象的な音響である。
Andante続いてClarinetへとソロが移り行く。
Andante_cl_solo_3このAndanteの全編に亘って現れる幻想的な木管のアンサンブルと密やかに蠢く打楽器たちとが映し出す情景の神秘さは、洵に筆舌に尽くし難い。

IV.Allegro molto
再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂、高天原を揺るがす神々の囃し声


Photo_6岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。踊りに熱狂するアメノウズメの衣服がはだけ、遂にはあられもない姿となって更に踊り狂い、神々にどっと笑いが起こり、高天原がその笑いで揺れる情景が描かれるのだ。



エキサイティングな舞曲はオスティナート風に反復される木管群の旋律に、遁走するTrumpetとTromboneのモチーフ、4拍3連のビートを打ち込むベースライン、更に打楽器群のリズムも渾然一体となって、じりじりと昂ぶりを強める。
Zそして、遂にその時がやってきた。頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!

V. Andante
岩屋戸を僅かに開き外を覗くアマテラスを写す鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景


Muted Trumpetに曲頭Adagioの旋律が再び現れ、岩屋戸から洩れ出す光が徐々に強まっていくさまが、高揚していく音楽によって劇的に描かれる。
Trbそしてアマテラスが引き出され、これを待望していた神々の歓声の如く、高らかにTromboneが雄叫びを挙げるのだ!

再びAdagioの旋律が重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円となる
Aa最後は冒頭が逆モーションで再現(Timp.→木管7連符)され、潔くそしてキレのいいエンディングが、遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。

     ※参考画像(アメノウズメの踊り)出典:
      「アマテラス」 舟崎 克彦 著 / 東 逸子 画  (ほるぷ出版)


♪♪♪

この「神話」という曲は魅力に満ちている。前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。
殊に、ともすれば”落ち着き”が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。
また、吹奏楽オリジナル曲としては屈指のTromboneが大活躍する楽曲であり、Tromboneセクションの好演が求められるのは云うまでもない。

多くの演奏を聴いたが、音源としては
Cd朝比奈 隆cond.大阪市音楽団
(1975年録音)
を推したい。ふさわしい”雰囲気”が充満しており、総合的に見てやはりこの委嘱者である大阪市音楽団と、作曲者の盟友であるマエストロ・朝比奈 隆による演奏が、大栗ワールドを最も体現していると私は思うのである。

     【他の所有音源】
       ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       木村 吉宏cond. 大阪市音楽団
       朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


Lp尚、この1975年録音(左画像:初出のLP盤)では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)
同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。
果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。
カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この”1975年録音版”の演奏をお奨めする次第である。
(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)


(Originally Issued on 2008.5.21./Overall Revised on 2016.8.2.)

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2016年7月24日 (日)

友愛のファンファーレと讃歌

PhotoFanfare and Hymn of Brotherhood
J.ボクック (Jay Bocook 1953- )


   ※本邦には「友愛のファンファーレと聖歌」の訳題で紹介され、現
     在に至るが
、作曲の背景(後述)を勘案すると「聖歌」より「讃歌」
     の方が適切と思われるので、本稿では「友愛のファンファーレと
     讃歌」とした。


ファンファーレを伴った演奏会用オープナーとして出色の出来映えの傑作である。シンプルだが魅力的な旋律、終始安定したサウンド、佇まいの整った構成感の大変スマートな楽曲にして、陳腐さを感じさせぬモダンなムードを持っている。華麗さのみならず爽快さをも兼ね備える曲想は、洵に得難いものである。

Jay_bocook_2作曲者ジェイ・ボクックはアメリカの作編曲家で、マーチングを含めスクールバンドの指導経験も豊富であり、Jenson Publicationsから多くの作品を出版し後に同社の吹奏楽出版部門の責任者も務めた人物である。その作品からは手堅く高い手腕が感じられ、現在もバンド指導者として活躍の傍ら、Hal Leonard社の主筆作編曲者として作品を発表し続けている。

この「友愛のファンファーレと讃歌」は、アメリカ南部の名門リベラル・アーツ・カレッジとして高名なファーマン大学(Furman University)の音楽愛好者団体「ファイ・ミュー・アルファ・シンフォニア友愛会」からの委嘱によって作曲された。ボクックは1982年からの7年間及び2001年から現在に至るまで同大学にてバンド指導者を務めている。本作の作曲年は明記されていないが、ボクックが最初にファーマン大学と関わりを持った1982年が有力であろう。

”友愛=Brotherhood”とは同友愛会の設立趣意にある”brotherhood of musical students”という文言に由来するものと思われる。ボクック自身が同友愛会の全米組織の出身でもあり、その趣意に強い共感を有していたであろうことは想像に難くない。
      ※Furman University HP : Phi Mu Alpha Sinfonia - Gamma Eta

♪♪♪

本作の特徴であり楽曲に大きな魅力を加えているものとして、後半から登場する”Antiphonal Brass”の華麗さ、壮麗さを忘れるわけにはいかない。Trumpet×3&Trombone×2から成るこのバンダの効果は測り知れないのである。

バンダ(Banda)とは管弦楽団や吹奏楽団の”別働隊”を広く指し示すものである。オフ・ステージのTrumpet独奏や、歌劇においてオケピットから離れ舞台上にて”劇の一部”として奏楽する合奏体、或いは例えばO.リードの名作「メキシコの祭り」第1楽章に登場する祭楽隊なども、みな”バンダ”である。しかしながら、やはり何といってもバンダと云えばファンファーレ編成の金管合奏体が真っ先に思い起こされることだろう。

最も有名なものを挙げれば、管弦楽作品では
交響詩「ローマの松」”アッピア街道の松” (O. レスピーギ)
祝典序曲 (D. ショスタコーヴィチ)

Banda_3がいずれもバンダを極めて効果的に使用し、劇的で絢爛豪華、壮麗さに聴衆を酔わせる最終盤を現出している。

吹奏楽曲ではアンティフォナーレ (V. ネリベル)が傑作!
Banda最終盤で金管六重奏(Trp.&Trb. 各3)のバンダが示す鮮烈な音響は「これぞネリベル!」という圧倒的な印象を与え、実に感動的である。

バンダには舞台の”つくり”や、演出によってさまざまな配置がある。楽団本体と正面対峙するよう客席(特に2階客席)に配置する「対立配置型」もよく見られる。ステージ後方/中空のバルコニー席あるいはひな壇最上段に配置する「正面型」、またステージの花道など片方のサイドに配置したり、ステレオ効果を狙って左右サイドに分割配置する「サイド型」など、曲によって会場によって指揮者によって、バリエーションが存在するのである。

■佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラでのバンダ
   ステージ後方/中空のバルコニー席での配置
   祝典序曲(D. ショスタコーヴィチ)
   2006.12.22.@横浜みなとみらいホール

Banda_sienaバンダの登場は大変インパクトが強く、聴衆を興奮に導く。即ち、バンダは純粋な音楽の観点だけでなく、当然に視覚的アピールや演劇的な要素も狙って使用されるものなのだ。
Banda_siena_2しかしながら、バンダを使用した場合でもやはり音楽的な説得力は充分であってほしいと私は思っている。
特に「対立配置型」はサプライズ感に富み、また上手くいけば音響の立体感や、前後から響きが充満する状況に聴衆を浸すことが大いに期待できる一方で、演奏は難しくリスクも高い。どちらかと云えば”演出”重視の選択と感じられる。
カッコ良い演出が生きるのも良い演奏あってのこと-。海外オーケストラの動画を見ても、バンダにステージ後方/中空やひな壇の最上段の「正面型」配置が多いのは、その観点からすぐれて納得的と思う。

この「友愛のファンファーレと讃歌」は魅力的な内容を持ちながら難度も相応であり、大編成となる合同演奏会などで演奏するにはもってこいの楽曲ではなかろうか。大編成ゆえに可能となる充実したバンダは、きっとこの曲を一層輝かせ大輪の華をそえることであろう。

♪♪♪

「友愛のファンファーレと讃歌」は2つの主要な旋律と、そのモチーフによるファンファーレから成っている。
冒頭Allegro Maestoso(♩=108)はTrumpetとTromboneが高らかに第2主題のモチーフを奏で、これに第1主題のモチーフによるカウンターをHorn(+ A.Sax, A.Cl, Glocken)が奏する華やかなファンファーレ(冒頭画像参照)。華麗さはもちろん備えているが決して硬質でなく、美しく伸びやかでスケールの大きな音楽となっているのがとても素敵である。
これが静まって悠然としたProudly(♩=80)に移り、Hornが第1主題の全貌を提示する。
Photo_2これが木管楽器によって繰り返され、冒頭のファンファーレ再現を挟んでAndante con espressivo(♩=72-80)となり、今度は第2主題が木管アンサンブルに現れる。
2この2つの”讃歌”はとても美しく安寧で、加えて何とも爽やかな印象が心に刻まれるのである。
第2主題がMaestosoで一層朗々と歌われた後には、快活なAllegro(♩=144)の中間部に入る。16ビートで疾駆するスネアに木管高音+Glockenのリズミックな動きが加わったスピード感溢れる伴奏に導かれ、PiccoloとTuba(+ B.Cl, Fagotto)のソリで第1主題が歌いだす。
Allegroこの最高音と最低音の組合せは吹奏楽でしばしば用いられる手法であるが、ユーモラスでありながら心地よいテンションがあって耳が惹きつけられる。本作の聴かせどころの一つである。
Trombone(+ T.Sax)に旋律が移り反復すると転調し、鐘を打ち鳴らすような壮麗なサウンドの伴奏となりバンド全体が眩い輝きを発し、Maestosoとなって高揚していく。

その高揚の彼方、Antiphonal Brass(バンダ)の響きが天から降ってくるのだ。
Antiphonal_brass荘厳な金管の響きが気高く告げるのはクライマックスへの序章-。
Photoそして押し寄せるTriumphantly(♩=92)のクライマックスはまさに誇りに満ちた凱歌そのものだ。
Antiphonal Brassからバンドへと引継がれた第1主題が旗鼓堂々と奏されるのに対峙し、Antiphonal Brassの壮麗な第2主題がクロスオーバーしてここで一体となり、心に迫る感動的な音楽で満たされるのである。

冒頭のファンファーレを再現してコーダへと入り、重厚なサウンドを背景に華々しく鐘が打ち鳴らされ金管群の鮮烈な楽句とともに、最後まで緩むことなく輝きを放ち続けて曲を結ぶ。

♪♪♪

音源は
Lp汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ

の演奏(LPレコード)をお奨めする。
明確に設計されメリハリのきいた演奏で、この曲の魅力を存分に発揮している。美爽な印象の好演であるが、残念なことにCD化されていない…!


    【他の所有音源】
      井田 重芳cond. なにわオーケストラル・ウィンズ(Live)
     トーマス・レスリーcond. ネヴァダ大学ラスベガス校ウインドオーケストラ(Live)

     ※現在本作品の出版はJensonからHal Leonaradに移っている。
       Hal Leonardの提供している参考音源はこちら。(上記ネヴァダ大学の演奏) 

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2016年7月16日 (土)

祝典序曲  三善 晃

2Festival Overture
三善 晃 (Akira Miyoshi 1933-2013)

※Overture de Fete と
の欧文標題もあるが本稿はNHK出版のスコア表記に拠った

「今回の曲は、「祝典」という多くの人びとの、多様でありながら、共通かつ統一的な感情にこたえるように楽想を発展させていきたいと考えて作曲をはじめた。
具体的な曲の構成は、基本原理に基づいていくつかの動機を提示し、それを変奏曲形式で発展させるといったものになる。民族、宗教、政治にとらわれない万国博というお祭りには、地球にいる人間の一人として、一つの契機を期する気持ちがある。生の多義への讃歌。」

                                              (初演時作曲者コメント)

1970年
に開催された日本万国博覧会(通称:大阪万博/EXPO'70)の開会式(冒頭画像)のために委嘱され演奏された楽曲である。所謂”機会音楽”と捉えられるためか、或いは逆に「祝典序曲」という標題から一般に想起される音楽とは全く異なる趣を有することからか、現代音楽分野のみならず本邦作曲界の巨人たる三善 晃の手に成る作品としては、あまり評価されていない楽曲なのではあるまいか。しかしながら、短い中にも作曲者の美点と個性が随所に盛り込まれた傑作であると私は云いたい。

♪♪♪

Fukafukas_photo_blog_2”人類の進歩と調和”をテーマとした1970年の大阪万博は、文字通り日本にとってのナショナルプロジェクトだった。
同年3月14日から9月13日まで183日間に亘り大阪・千里丘で開催され、通算来場者数は6,421万人超となり大成功を収めた。第二次世界大戦後の高度経済成長の真っただ中にあった日本における国民的な祭典と位置付けられているのである。

この万博プロジェクトは東京オリンピックの翌年=1965年9月に開催決定するや当時の日本の英知を結集して急ピッチで準備が進められ、1967年3月には会場を大阪・千里丘陵に定めて造成に着手した。
Photo_2会場は「近未来都市のモデル」として設計されている。基本構想(チーフプロデューサー:丹下健三)は連日さまざまな催し物に賑わう”お祭り広場”や「太陽の塔」を中心としたテーマ展示館、劇場、美術館などを集めたシンボルゾーンを木の幹に、動く歩道を枝に、内外のパビリオンを花に見立てたという。
Ultrasonic_2アポロ12号が持ち帰った”月の石”が展示され圧倒的な人気を集めたアメリカ館をはじめ、「ウルトラソニックバス(人間洗濯機)」のサンヨー館などそれぞれに工夫を凝らしたパビリオン展示はもちろん、先端技術や芸術、果ては食文化まで世界中のさまざまな文化に触れる博覧会であり、世界的なスターも招かれるなどイベントも実に国際的であった。


しかし一方で、この万博のテーマ”人類の進歩と調和”は人類の進歩を讃えるだけでなく、科学技術の進歩がもたらすさまざまな負の側面にも目を向けようという主張であったとされる。従来「もの」を見せるイベントであった万博は、第二次世界大戦後「見せる万博」から「考える万博」へと既に性格を変えていたのである。
Photo_2開催にあたり理念が徹底的に議論されたが、それは「人類は直面する不調和といかにして対峙し、乗り越えていくか」というものだったという。これが岡本太郎がプロデュース/デザインした「太陽の塔」を中心とするテ-マ館に明確に示されている。
即ち地下・地上・空中の三層に亘る展示空間であるテーマ館では、それぞれ過去・現在・未来に関する展示が行われ、これは万博のシンボルたる「太陽の塔」が3つの顔(過去を象徴する背面の黒い太陽、現在を象徴する正面の太陽、金色に輝く未来を象徴する黄金の顔)を持つのと同期したものなのである。それゆえに
「テーマ館は、史上最大の万博の中でひとり逆を向いていた。「科学の進歩が社会を豊かに、人を幸せにする」ことを大衆社会に120年も啓蒙し続けてきた万博に単身乗り込み、そのありように「否(ノン)!」を突き付けた。」
                 (「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」編著者・平野暁臣)
と解されている。

     ※尚、テーマ館地下には太陽の塔第4の顔=「地底の太陽」も存在していた。


科学技術の祭典として記憶された大阪万博。-我々は当時の先人たちがそれに込めていた”深く鋭く明哲なる”メッセージに対し、あれから半世紀ほどが経過し実際に21世紀を迎えた今、いったいどんな顔で相対したら良いのだろうか-。

【出典・参考】
Photo「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」 平野 暁臣 編著
  (小学館クリエイティビビジュアル)
万博記念公園 公式HP
インターネットミュージアム 東京国立近代美術館
 「大阪万博1970 デザインプロジェクト」
産経ニュース 平野暁臣氏インタビュー 2014.3.27.


♪♪♪

Photo_2作曲者 三善 晃は第二次大戦後の本邦作曲界をリードした存在と評される。3歳の頃からピアノのみならず作曲をも学び、東京大学文学部仏文科在学中には日本音楽コンクール作曲部門第1位を受賞するなど、早くからその才能が認められてきた。
ピアノ作品から室内楽、大編成管弦楽と幅広いジャンルの作品があり、現代的でシリアス、緊張感漲る曲想に強靭な個性を感じさせるのだが、親しみやすい合唱曲も多い。

吹奏楽との関係も浅からぬものがあり、「交響三章」「バレエ音楽”竹取物語”」「変容抒情短詩」などの代表作がトランスクリプションされて演奏されるほか、「深層の祭」「クロス・バイ・マーチ」「スターズ・アトランピック’96」など吹奏楽オリジナル曲も多数遺している。
20年以上に亘り桐朋音大の学長を務め、また最先端のクラシック作曲家であり続けた一方で、映像関連の音楽も手掛け1979年にはアニメ「赤毛のアン」の主題歌・エンディング曲も担当するなど融通無碍に才を発揮し、実に幅広い聴衆を楽しませたのである。

※アニメ「赤毛のアン」(1979年)と三善晃
Cd「赤毛のアン」はフジテレビ系「世界名作劇場」で放映され、好評を博したアニメーションである。三善晃は高畑勲(演出・脚本)の要請を快諾し、主題歌「きこえるかしら」とエンディング曲「さめない夢」、そして劇中挿入歌「あしたはどんな日」「森のとびらをあけて」の計4曲(いずれも作詞は岸田衿子)を作曲した。聴いた瞬間に所謂”アニメ主題歌”を超越した音楽になっていることが感じられるので、当時のアニメファンも新鮮な驚きに包まれたことだろう。
抒情に満ちスケールの大きなこの”アニメ主題歌”は非常に凝ったオーケストレーションで、管楽器としてはサクソフォーンとトロンボーンのみを使用しているのも個性的。特にエンディング曲「さめない夢」の間奏部で雄大に奏でられるトロンボーン・ソリが大変印象的で素晴らしい。


「祝典序曲」は作曲者37歳時の作品。
楢崎洋子教授(武蔵野音大)は三善晃の創作活動を5つの時期に分類し、「祝典序曲」が作曲された第2期は「自身を異邦人と感じながらもソナタをモデルとし、自分なりのソナタを書こうとしていた」第1期を経て、「ソナタをモデルにすることから自身を解放した年代」にあたる、と分析している。この第2期は器楽・オーケストラと、独唱・合唱との複合作品を展望する一方で”交響曲”の構想に頭を悩ませていた時期でもあったそうだ。

同時期に先立って作曲された「変容抒情短詩」「マリンバと弦楽合奏のための協奏曲」に”ソナタの構想と変奏の同居”が認められ、対比的に提示されたその両者が次第に同調しあう関係になって一つのテクスチュアを形成するプロセスが見られる、と楢崎教授は指摘している。そしてこの時期のこうした手法、”基本原理に基いていくつかの動機を提示し、それを変奏曲形式で発展させる””断片的なテーマが旋律進行になり、さらに特徴的な性格が吹き込まれる”といった点が「祝典序曲」にも生かされていると読み解く。

同時にこの時期は管弦楽作品に標題的な傾向が芽吹いていったとし、「祝典序曲」は作曲者が前述のように器楽・オーケストラと、独唱・合唱との複合作品に進む作曲者第3期への過渡期に生み出されたもの、と位置付けているのである。

  【出典・参考】
   「三善 晃におけるオペラ構想のゆくえ」 楢崎 洋子(武蔵野音大教授)


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1970年3月14日(土)11:00に12,000人の招待客を集めて執り行われた大阪万博の開会式- 天皇皇后両陛下着席時の「越天楽」や、開会の辞に続く国歌演奏をはじめ、管弦楽による奏楽を担当したのは岩城 宏之指揮 NHK交響楽団(下画像)である。
Revisedもちろんこの「祝典序曲」の初演披露も彼らによって野外ステージである”お祭り広場”において初演披露された。
祝典音楽としては突き抜けた内容の本作が、万博会場の聴衆にどのように受け取られたかは判らないが、当時の様子は以下のように回顧されている

「大編成の吹奏楽団が演奏する「万国博マーチ」(川崎 優)にのって参加国国旗が入場、その掲揚と一連の式辞に続く天皇陛下の”開会のお言葉”を受けてファンファーレ吹奏、そしていよいよ「祝典序曲」が演奏された。その終演で皇太子殿下のスイッチオンによりくす玉が開き、中から無数の千羽鶴が舞い散って式典は”お祭り”へとムードを一変、華やかで賑やかなパレードが始まるのである。」
     (出典:「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」 : 小学館クリエイティビビジュアル)

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001_2この「祝典序曲」は初めから終わりまで変拍子の嵐なのだが、全編に亘り○/4拍子で表記され、3/8や5/8ではなく”1.5/4””2.5/4”といった拍子が使用されているのが特徴的である。
随所にLibramenteを挟みつつもPresto Vivoで進行する単一楽章のエキサイティングな音楽で、Horn×6、Trumpet×6と通常より拡大された金管群と多くの打楽器を使用する編成により、音量・音圧の面でもスケールの大きな楽曲となっている。


冒頭から36小節間が序奏部であり、エネルギッシュに上行するモチーフの提示に始まるが、”変拍子の嵐”は冒頭すら例外でない。
このモチーフ提示に続いて直ちにLibrament lentoとなり、柝(き)のリズムが刻まれて開幕を告げるのだが、まさにこれこそは日本固有の”始まり”のイディオムだ。日本の伝統芸術である歌舞伎の「柝に始まり、柝に終わる」のスタイルを踏襲することで、アイデンティを明確に示しているのである。
この序奏部では鋭い音色でリズムが応酬されるが、緊張感の高い「間(ま)」が大きな効果を挙げている。これもまた日本的な印象を聴衆に刻みつけるのだ。

※柝(き)
Photo_45cm角×長さ30cmの樫材2本から成る拍子木で、打面を丸く蒲鉾型に加工して
冴えた音を出す。
歌舞伎の舞台進行は全て拍子木の合図に従って行われる。例えば開幕までを例にとれば、以下のようになっている。
1. 開演30分前に奏される着到という囃子に続いて”チョン、チョン”と二つ打たれる柝を聞いて、序幕に出演する役者たちは化粧の準備にかかる
2. 開演時間がいよいよ迫ってくると再び二つ打つ”二丁”が響き、そこから長い間を置いて一つずつ柝を打ちながら楽屋近くや小道具、囃子の部屋などを廻って準備ができたか確かめる「廻り十一丁」(時間的には5-10分)が行われる
3. 準備の完了を見届けると更にもう一度”チョン、チョン”と二つ打つ=「柝を直す」のを合図に、下座の囃子が開幕の音楽を開始する
4. その音楽に合わせて次第に間隔を詰めて柝を打ち(これを「きざむ」という)、幕が開き終わると改めて一つ”チョン”と「止め柝」を打ち納める

Photo_5「きざむ」のも重々しい御殿などの場面で始まる場合にはゆっくりと大間に、逆に長屋などの市井の場面に始まる場合は軽く早く打つなど、柝は単なる合図ではなく、雰囲気を醸し出す役割も果たすのである。
「幕切れ(一幕の終わり)」にも柝が打たれるが、その最初(柝頭)は主役の台詞や動きに合わせて打たねばならない、また幕中でも浄瑠璃の出語り始め、迫りの上げ下げ、舞台一面に吊下げた浅黄幕の振落しなどのキッカケ全てが柝で行われる。
以上のように、柝はまさに舞台進行の全てを握っているので誰でもできるものではなく、これは歌舞伎の舞台に精通した「狂言作家」という歌舞伎界固有の職掌が担当することとされている。


【出典・参考】  「歌舞伎音楽入門」 (山田 庄一 著 / 音楽之友社)

激烈な序奏は一旦静まり、Prestissimoの主部に入る。
Photo_2低音群からストレッタで織り重なる主題に続き、弦楽器+Fl.+Cl.+Hornの旋律と、他金管群+打楽器の奏する激しいリズムとが対比的にfffで奏される。
2この部分は”キメ”のニュアンスも含めて、まさに和太鼓群による豪壮な奏楽と、その打ち手の乱舞をも想い描かせる大変エキサイティングな音風景である。
(左参考画像「鼓童」参照)
これに続いて打楽器ソリのみとなるブリッジの方が逆に西洋的な表情を見せることに、とても不思議な感じがする。
「柝」を素で使ったかと思うと、今度は和太鼓をそのままフィーチャーすることもなしに、和太鼓の世界観を表現してしまう-。なんて自由自在で、凄まじくカッコ良いのだろう!

ブリッジに続き、ダイナミクスを収めた抒情的な旋律が弦楽器と木管楽器、Hornのアンサンブルに現れるが、
2_2これに応答する金管群の猛りは全く変わることがない。複雑に入り組んだ動きに予想がつかず聴くものの手に汗を握らすが、旋律に激しく熱く対峙しながらもTromboneの楽句に連なるHornに象徴されるように、金管群の動きは連動し繋がりあっている。まさに「生きている」のだ。
Trbhornその有機的なありように、生命力の迸りが感じられて已まない。
さまざまな方向からたくさんの手が伸びて、一つの”求めるもの”を求めて騒然となっていく-そんな風景の幻想を私は抱く。複雑な楽句が絡み合う混沌が発するエネルギーはいよいよ高まって圧倒されるが、それが一つの方向へと流れ込んでいくような感覚をおぼえるのである。

スピード感やテンションはずっと張り詰めたままだが、明確な打楽器のリズムが現れて風景が変わる。動きが大きくまとまってより鮮烈な応酬となり、大きな振幅で心が揺すぶられるだろう。その心の早鐘もLento pesanteの多重和音の極めて現代的な激烈な響きによって決然と締めくくられる。

そして2/5拍の静寂に続いて、Trumpetが冒頭のモチーフを荘厳に吹き鳴らすLibramenteへ。
Trumpets祭りを司る者のレシタティーヴォに続いて、太鼓が打ち鳴らされ地鳴りのような群衆の声がこれに応答するさまであろうか-カウンターで濃厚なサウンドが響き亘る、劇的でスケールの大きなクライマックスだ。

Endingこれがもう一度繰り返されMolto allargandoとなって高揚し、Prestissimo con brioのコーダへと雪崩こんでいく。
コーダはオーケストラ全体がその巨体を揺するように鳴動し、壮大なスケールの終末へと突き進む。曲中最大にして最後のクライマックスとなるAdagio triomphante では大編成オーケストラの全合奏と打楽器によるffffの、文字通り圧倒的なサウンドに空間が支配されるが、そこではまるで大量の湯に包まれ押し流されていくが如き快感に襲われるのである。

作者の付した発想記号通り、勝ち誇り慶びに満ちて音価を拡大した音楽はTimpaniのソロで幕が下り、再び日本固有の”終わり”のイディオムである柝のリズムに導かれた壮絶なクレシェンドの果て、全合奏を従えた打楽器群の毅然とした激情のリズムに全曲を終える。

♪♪♪

音源は、まさに本作品の魅力を充満させている
Cd_2若杉 弘cond.
読売日本交響楽団(Live)

をお奨めしたい。
冒頭の柝のきざみとこれに呼応するシークエンス一つとっても「こんなもんだろう」ではなく「こうでなければダメ!」という確信が伝わってくる。拡がりがありスピード感溢れた響きで”祭り”の生命感を発散し続け、現代管弦楽の枠組にありつつ日本的熱狂を確実に表現している。
終盤のクライマックスでは全てが溶込み厖大な熱量の濃密極まるサウンドを放ち、圧倒的な感動に包みこむ-全編を通じ、この楽曲の中核である”祭りの熱狂”が余すことなく、且つ高次元で音楽的に表現された名演なのである。

     【その他の所有音源】
      沼尻 竜典cond. 東京フィルハーモニー交響楽団 (Live)


♪♪♪

前述のように”機会音楽””野外音楽”と色眼鏡で見られがちだが、三善 晃が万博を人類の「祭典」と捉えその心象を表現すれば、こうした楽曲になるのだ。「深層の祭」(1988年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)で生の三善作品と身近に接した吹奏楽経験者の方が、それを肌で感じることができるかも知れない。

吹奏楽界に激震を与えたあの「深層の祭」に共通する、或いはその原点とも云える圧倒的なエントロピーは、1970年の時点で既に存在し提示されていたのである。

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2016年6月13日 (月)

ブログ開設10周年 2016.6.13.

おかげさまで本日、「橋本音源堂」は開設から丸10年を迎えることができました。お越しいただきました皆さまに心から感謝を申し上げます。
一日あたり200~300人ほどの方々にお越しいただいていること、またコメントを頂戴したり、ご自身のSNSにリンクを貼っていただいたりといったことが励みとなって、10年にも亘り続けてこれたのだと思っております。重ねて御礼申し上げます。

この10年間に採り上げた楽曲は全部で188曲、その8割が吹奏楽ではありますがピアノや弦楽なども含めたクラシックや、ジャズだけでなくポップ・ヴォーカル、映画音楽などのポピュラー音楽にも亘っており、もちろんどれもみな私の愛する音楽ばかりです♪
その他に、音楽をめぐる私の想いや、大ファンだった方々への追悼・回想記事などもあり、総記事数は216となっております。そして約570件ものコメントを頂戴しました。

       ※また、これとは別に音楽以外の私の興味事に触れている
          ANNEXには400を超える記事があります。そちらの方がほぼ
          倍の本数を出稿してたんですねぇ…。^^)


♪♪♪

こちらで上梓した初めての記事は「朝鮮民謡の主題による変奏曲」です。
私が音楽から得た最初の感動…単なる感動に止まらず初めてエクスタシーを感じた経験を採り上げています。それが「原点」ですからBlogを始めるのに相応しいお題だろうと考えたのでした。
当初は語りたくても語る機会を得られない、いわば個人的なフラストレーションの捌け口として始めたBlogでした。楽曲の解説風には始めるものの、要するに思ったこと感じたことをそのまま書いていたに過ぎません。単なる気晴らしです。

そんなある日、学生時代にお世話になったトランペット奏者のS先生を囲む飲み会に参加します。私が生半可な知識で、ある国の民族音楽は日本の音楽に通じる気がする、などと口走った瞬間でした。
「橋本ぉ、お前小泉文夫先生の『民族音楽の世界』くらいは読んどるんか?それぐらいも知らんと、適当なこと言うんじゃない!」
と一喝されてしまいました。学生時代も「そういうのを、ヘーター(下手)っちゅうんじゃぁ!!」等々よくお叱りを受けた先生なのですが、またもやガツンと…です。

これにはグウの音も出ません- 心から反省しました。
自分が大好きでたまらないことを語るのに、そんなんで良いわけがない。
それでそれ以降はこのBlogの記事についても、自分の興味から湧く「この楽曲について知りたいこと」をとことん追究する、可能な限り調べ尽くし確固たる根拠を見つける、というスタンスを徹底することにしました。結果としてとても気楽には書けなくなり、出稿にはかなりの時間を要するようになってしまったわけです。

♪♪♪

そして、私は極めて熱くはあるが単なる音楽愛好家に過ぎません。
そんな私にできることは、知ったかぶった音楽理論を塗したペダンチックなお話をさせていただくことではなく、とにかく聴いて聴いて聴きまくった結果、心から沸き立った思いや叫びをお伝えすることのみです。

ただ、音楽は断じて専門家(プロ)だけのものではありません。このことも絶対に忘れてはいけません。

♪♪♪

一般的に「音源堂」は”吹奏楽オタク”と捉えられていることと思います。
吹奏楽は私に音楽愛を植え付け、また現在でも”演奏”との接点をもたらしてくれる重要な存在ではあるわけですが、言わせていただけるなら私は決して吹奏楽というジャンルに止まらない、”音楽マニア”です。
吹奏楽とか、そもそも音楽ジャンルとかに拘ることなく「良いものは良い」「好きなものは好き」のスタンスです。感動や楽しさが得られるならどんな音楽だって愛しちゃいます♪
だって、音楽ってそういうものではないですか?

♪♪♪

つい最近、敬愛して已まない某先生から「君の耳は音楽に対して非常に高い情報収集力を持っている。」というお言葉をいただきました。
そうか、音楽演奏や楽曲は膨大な情報量を持っているのであって、例えば音感だけで全てが把握できるわけではない。音感はプロに全く及ばなくとも、音楽の膨大な情報量をトータルではかなり聴き取れているということなんだなと得心し、とても嬉しく思った次第です。
(この「聴き手」としての立場からは演奏者としての自分に全く満足できない、という苦しみを日々味わっているわけですが…。)

これからも音楽からしか得られない感動や喜びを、私は死ぬまで求め続けていくでしょう。そして同時に、それを誰かに伝えたいという心の炎を燃やし続けることでしょう。
ですからこれからも大好きな音楽のことを、懸命に綴っていきます。どうぞ今後とも「橋本音源堂」をご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。

                                                                 音源堂 敬白

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2016年6月12日 (日)

愛器とダブルケース 2016.6.12.

現在私が所有するTromboneは3本です。
TenorBass : Courtois AC420MBOST
Tenor : King 2103 PLS
Bass : Besson "Sovereign" 943

というラインナップなのですが、2014年の春先に一念発起してBassから1stにパートチェンジしてますので、今はCourtoisとKingが主戦力です。昔からシルバーの楽器が好きで、大学入学とともにBoosey&Hawkes ”Sovereign”のF換管付モデルを中古購入したのに始まり、その後継モデルであるBessonも購入、シルバーの楽器を使い続けてきました。

Photo_10Courtois AC420MBOST
名手・ミシェル・ベッケの愛用モデルとして知られ、ベッケのファンである私にとってはまさに憧れの楽器でした。
スターリングシルバーのベルとマウスパイプの見た目も美しい楽器で、購入してから1年半ほどになりますが、とても満足しています。
吹きごたえがあり、この楽器を使っていることに誇りと幸福感を感じるのです。

2103pls_3bKing 2103 PLS
キングの名器3Bのややラージボアタイプ、所謂中細管に該当するモデルかと思います。私が使用するのは吹奏楽ですので、中細管がちょうどいいかなと思い購入を決めました。
これもスターリングシルバーベルの美しい楽器で、楽器店に展示されているのを見て惚れました。中古楽器なのに当初高音域の鳴りが今一つでしたが、購入してからの1年ほどで奏者である私とともに育ってこれたと思っています。

    ※因みに上掲の楽器画像は購入した楽器店HPに当時掲載
      されたもので、私の所有楽器実物の写真です。^^)


♪♪♪

この2本のスターリングシルバーベルの楽器がとっても気に入りまして、両方使いたいと思ったので、クラシックやオリジナルにはクルトワ、ポップスにはキングを使っています。そうすると2本同時に持ち歩く必要が生じる時も…。
そこで、Marcus Bonna社のダブルケースを購入しました!
P1000369上画像の通り、テナーバスとテナーの2本が1つのケースに収まります。
下側にテナーバスが収納されるわけです。
P1000370外装・内装ともに丁寧な仕上で、安心感がありこのケースにも満足!です。テナー2本のダブルケースを持ち歩く物好きもまあ私くらいでしょうが…^^;)

P1000371DAC社製キャリングケースと比較するともちろん一回り大きく、2本の楽器が入ると結構重いですが、付属のストラップで背負うこともでき、また縦に立てた時の安定度も高いので、使用してみて充分な実用性を感じました。
またファスナーでケースに装着する楽譜入れバッグも付属しており、デザインもなかなかです!

※所謂並行輸入で購入したのですが、最初の業者は本当にヒドい業者で、半年以上も発送が遅れた挙句、全く仕様の異なる製品を送り付けてくるというありさま。結構なトラブルでしたが、結果として泣き寝入りを余儀なくされたことを申し添えておきます。外国の業者に日本人の常識が通じないことは判っていたつもりでしたが、ここまで酷いとは…。
この無事入手できたケースは2軒めの業者から購入したものです。従ってケース2つ分のコストがかかっているわけで、それを考えるとずいぶん高くつきました…。(T T)

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2016年4月 5日 (火)

私の部屋、私の装備 2016.4.5.

P1000365この4月、長男が社会人となり独り暮らしを始めました。
次男は長男が使っていた部屋に移っていよいよ大学受験、一方次男と私の二人で使っていた部屋は、なんと私だけで使えることに…♪

長男の机を譲り受けたことで、スコアを広げるスペースもなかったパソコンラックを卒業でき、スコアを見ながら音楽を聴くのも、Blogを執筆するのもとってもラクになりましたぁ~^^)
壁には念願かなって”神様=JJさま”(!)のレコードジャケットと「リボンの騎士」複製原画ポスターを飾ってます。脇に鎮座するは随分前に懸賞で当てた大好きな「トドクロちゃん」のぬいぐるみ!置きたいもの、飾りたいもの、やっとセットできましたぁ♪

(JJさまのレコードは私が一番好きな彼の名演”Our Love is Here to Stay”を収録した盤で、「今度のソロ上手くいきますように!」って毎日手を合わせています。^^;)

♪♪♪

部屋はもらえても、相変わらずスピーカーから音を鳴らして音楽を聴くことは自由にならず(TT)、また時間が絶対的に足りなくて通勤時間が貴重な音楽鑑賞の時間となっている私…永年愛用してきたiPod Classic 160GBが遂にへたったこともあり、思い切って投資実行しました!
何たって音源堂の”商売道具”ですからね。
P1000366現在のラインナップは
プレーヤー : iPod Touch 128GB
ポータブルヘッドフォンアンプ : Fostex HP-P1
Lightningケーブル : Venture Craft 7NCLASS V7LJ2A
イヤフォン : SHURE SE846 Black

です。
家で聴くときはFostex HP-P1をDACとして使用し
真空管ポータブルヘッドフォンアンプ AXEL
を併用し聴いています。このAXELは真空管アンプゆえに振動に弱いので持ち歩きには不向きなのですが、とても柔らかで実に心地よい音を聴かせてくれるのです☆
気楽に聴きたい時には
SONYのヘッドフォンMDR-MA900
というフルオープン型も使用します。これがまた悪くないんですよ♪

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2016年4月 2日 (土)

森の贈り物

Yakushima_forest                                        (画像:屋久島の森)
Legacy of the Woods
酒井 格 (Itaru Sakai 1970- )


吹奏楽コンクールの演奏でここまで感動したのはかなり久し振りな気がする。
2014年全日本吹奏楽コンクールでの米田真一cond.玉名女子高校「森の贈り物」。その演奏は、楽曲を尊重し、真摯に向き合い寄り添う想いが感じられる秀演だった。
Photo_2この作品の代名詞ともなっている序盤のCornet(Trumpet)ソロだけでなく、Alto Sax、Flute、Clarinet、Baritone Saxに至るまでどのソロもよい音色で実によく歌う。というよりバンド全体がとにかくよく歌えるのだ。
Photo美しくまろやかなサウンドの魅力はもちろんとして、曲の持つ多彩さを表現する、コントラストを効かせた場面転換も見事であり、しかもそれがある時は移ろうように、またある時は決然と、楽曲にピタリと嵌ったニュアンスを示している。息の長いフレージング、そして”行くときは行く!”の躊躇なく堂々たる強奏と繊細で美しい弱奏とが織り成す幅広いダイナミクスで奏されるので、音楽のスケールが非常にデカい!場面ごとにふさわしい情緒が込められ、細心の注意を払ったフレーズの受渡しで形成する自然な音楽の流れは最後まで途切れることがなかった。
楽曲を大切にし、表現を尽くそうとする想い-それがこの曲のように愛らしい音楽で示されていることに、一層胸が熱くなり思わず涙がこぼれる。

…私はもうこの曲について書かずに居られなくなってしまっていた。

♪♪♪

Photo_2「森の贈り物」(2003年)は心に残る名旋律、名フレーズを数多く吹奏楽界に送り出している酒井 格龍谷大学の委嘱により作曲した作品。
龍谷大学は同年の全日本吹奏楽コンクールにて自由曲として演奏し、見事金賞を射止めている。龍谷大学は通算8回連続でコンクール自由曲に酒井作品を採上げ高い評価を受けているが、この「森の贈り物」はその2曲目にあたる。前述の通り序盤のCornetソロが印象的であり、その好演が大変話題となって人気を得た作品である。

Itarusakaithumbautox281580「日本の南西部、鹿児島県に屋久島という、深い森に覆われた島があります。
1993年にユネスコの世界遺産にも登録されたこの森には、樹齢7200年と云われる縄文杉をはじめ、樹齢1000年を超える巨木が数多くあり、その佇まいは神々しく、神秘的ですらあります。古代から、島に住む人たちに大きな恵みをもたらしてきたこの森も、数十年前には木材需要の高まりにより、数多くの樹木が伐採され、森が失われる危機に見舞われたこともありました。しかし、森の大切さを訴える人たちの、真摯な願いが叶い、現在では緑豊かな森が多くの人たちによって守られています。
目をつぶって耳を澄ませると、鳥の鳴き声、水のせせらぎが聞こえ、私たちが生きるのに必要な美しい空気を作り出してくれる森。
屋久島のような大森林ではなくとも、そんな豊かな恵みを残してきてくれた多くの森が、これからも私たちの手によって守られていくことを願って、この作品を書きました。」 

 (フルスコア所載:作曲者コメントより)

酒井作品の中でも一番ファンシーな要素を持つ作品である。長い年月をかけて森が作り出してくれた恵みに想いを巡らせ、そこから広がったイメージを表現した音楽ということだが、そのイメージの拡がりはとても自由であり、空想的で幻想性に満ちている。
従ってこの「森の贈り物」は”屋久島の自然を描写した音楽”ではないのだが、そうした空想をインスパイアしたのはまぐれもなく屋久島の情景、そして神々しい杉の古木から感じられる生命の力強さと、古代から続く悠久の時の流れであったのだろう。

■屋久島
Yakushimamap2_2本州最南端・鹿児島県佐多岬の南南西約60km海上に位置し、温暖多雨な気候に育まれた豊かな自然の魅力あふれる島。東にあるのは鉄砲伝来とロケットの打ち上げで有名な種子島である。
屋久島は1955年から国立公園指定されていたが、1993年にはユネスコ世界遺産に(法隆寺・姫路城・白神山地とともに)日本で最初に登録され、観光地として更に人気が高まり現在に至っている。
Photo_3もちろん美しい海にも恵まれており、見事な滝などもあって自然の見所満載な島であるが、やはり一番人気の観光は縄文杉、大王杉、翁杉、夫婦杉、ウィルソン株、太古杉などの巨杉群を擁する原生林を登る高塚山(たかつかやま・標高1,396m)トレッキングである。
Photo_2往復8-10時間を要し、急登400mを含む高低差700mを登るこのトレッキングでは巨杉だけでなく実にさまざまな畏敬に値する自然と接することができる。
屋久島の風景の中でも特徴的なのは、宮崎駿監督作品「もののけ姫」の世界をまさに想起させる、緑の光を醸す苔に覆われた木立の情景。洵に神秘的であった。
(冒頭参考画像参照)
観光客はうじゃうじゃいる。人間の手が入っている部分も確かにある。しかし、それがどうした?ってくらい懐深くスケールの大きい、まさに生きた自然がどーんと存在している-その雄大さ、深遠さこそが屋久島の森だったと思う。

     【出典・参考】
       サンシャインツアーHP 「屋久島縄文杉トレッキング」


■縄文杉
Photo_4決して縄文杉だけが名杉ではないと思うが、トレッキングの終着地に御座すその姿にはやはり圧倒的な存在感と神々しいオーラがある。
「樹齢7200年」というキャッチフレーズで有名になったのだが、これはさまざまな調査の結果現在では疑問視されている。それでも4000-5000年の樹齢と云われ、屋久島最大の杉に変わりはない。
私は当時人生最大の体重を抱えていて、縄文杉を目指す真夏の南国での過酷なトレッキングは相当堪えたのだが、漸くたどり着いた末の縄文杉との対面に尋常ならざる感動を覚えた。
奥深い自然のまたその奥所に、畏るべき存在というものは居るんだなぁと妙な納得感があったのである。


※私が屋久島を訪れたのは2008年8月。前日まで屋久島は強い雨に曝されていたとのことだったが、我々家族の在島中は天気に恵まれ、快適に過ごすことができた。
もちろんトレッキングは全ての行程で自然を満喫できたし、雨で増水した大川の滝(おおこのたき)は普段以上(らしい)の壮観であった。また春田浜の美しい海で泳げたこと、海岸の露天風呂(平内海中温泉)の風情、海の幸いっぱいの美味な民宿の料理など、短期間の滞在にもかかわらず素晴らしい想い出になっており、決して忘れることができない。

Photo_4
♪♪♪

「森の贈り物」は序奏部を伴うAndanteに始まり、行進曲風のAllegrettoから緊張感を高めて嵐を表すAllegro con fuocoへと展開し、Allegrettoが変奏されて再現された後、Andanteに戻ってクライマックスを形成しコーダで終う、というアーチ状の構成を俯瞰することができるだろう。全編に亘って酒井 格らしい素敵な旋律が鏤められている。

     ※以下、フルスコアならびに酒井格HP所載の作曲者コメント(” ”)も引用
       しつつ述べる。
 

Photo_5Andante con grazia 3/4拍子、柔らかなClarinetに始まる短い序奏に続いて、優しい鐘の音ともにCornetのソロが流れ出し、「森の贈り物」は始まる。
森の精が優しく語りかけるような”と表現されるこのCornetソロは全曲の生命線。
Cornet_solo柔らかな音色と自在なダイナミクスで、過剰なアゴーギグは排し大きなフレーズの歌を聴かせてほしい。
序奏部の再現に続いてUn poco piu mossoとなって新たな旋律がAlto Saxに現れ、これがFlute、Clarinetと受け継がれていく。
Soloさながらさまざまな精霊たちの歌声が聴こえるさまであろうか。ファンタジックなバックハーモニーによって音楽の雰囲気が移ろうさまも聴きどころである。
続いて序奏部旋律が拡大されて現れた後、温和で優しいBass Clarinetのソロが朗々と歌われる。これこそは、きっと作曲者コメントにある”森の長老の語り”なのだろう。
Bassclarinet_soloClarinet、Flute、Hornのキラキラした細かい楽句の応答の経過句が静まって、Alegretto 4/4拍子の行進曲が始まる。リズミックだがひそやかなスネアに導かれてHarpが鳴り、遠くから愛らしい”森の生き物たちの行進”が近付いてくるのだ。
Photo徐々に姿が大きくなって悠然とした行進となるが、どこかユーモラスで可愛らしい音楽の性格が失われることはない。scherzandoのHornソリとこれに応答するTubaとのおどけた表情には思わず口角が緩むことだろう。
行進は時にのんびりと、時に駈足に-ここからはテンポが速まったり緩んだりしながら、徐々にダイナミクスと緊張感を高めていくが、その移ろいが単純で幼稚だと幻滅である。ここにこそ細心のニュアンスがほしい。

そして高揚した音楽は遂にAllegro con fuocoに到達する-”森を襲う嵐”が吹き荒れる場面だ。
Climax_2際立ってエキサイティングな曲想となり、打楽器も交えた激しい応答は聴く者を紅潮させる。(122小節目の頂点を見透し、大きく音楽を捉えた演奏でなければそれは実現できない。)

静まって行進曲の再現部へ。ここではテクニカルな変奏となりスネアからCornetソロ、Xylophoneと6連符の楽句による流麗な曲想となる。ここでも特にCornetソロは奏者の腕の見せ所であり、同パートが「森の贈り物」の要諦であることは疑いない。
Cornet_6soloやがてHarpの調べとともにふと爽やかな風が吹くようなOboe(+A.Sax、Glocken)のフレーズが歌い出すのだが、その優しさには何とも癒される。ここからアッチェルランドしてAllegro con spiritoとなり放射状に高揚、遂に冒頭旋律が高らかに奏されるAndante maestosoのクライマックスを迎える。
ふくよかな音響に包まれて、まさに”嵐が過ぎ去って、また緑いっぱいの美しい森の景色が広がる”光景が感じられ、清々しい感動で満たされることであろう。

Soli音楽は静まりと高揚とを繰返し、旋律を拡大して奏する雄大で鮮烈なLentoを経ると、あのCornetソロのフレーズを今度はラッパ全員でファンファーレの如く奏してコーダに突入。最後は冒頭のモチーフに続き、全合奏のクレシェンドで豊かなサウンドを響き渡らせ、幸せな余韻とともに全曲を締めくくる。

♪♪♪

音源は既に挙げた全日本吹奏楽コンクールの実況録音をお奨めする。この曲に関してはプロフェッショナルな楽団よりも、玉名女子や龍谷大の楽曲への愛着の想い溢れる演奏の方が私の心を揺らしたと申し上げておきたい。
この「森の贈り物」は至って明快な音楽だけれども、どの演奏を聴いてもそれぞれの表情を持っていることにこの楽曲の奥行を感じる。その後もコンクールで演奏される機会も増えているようで、末永く愛奏されてほしい一曲である。

    【その他の所有音源】
     ノルベール・ノジーcond. オランダ陸軍軍楽隊ヨハン・ヴィレム・フリショー
     米田 真一cond. なにわオーケストラルウインズ (Live)


♪♪♪

演奏者が楽曲に愛着と畏敬を持って尊重し、さまざまな”表現”を込めることで、音楽は聴く者に感動を与える。今回はそのことを改めて深く感じさせられた。そもそも所詮アマチュアならば、演奏する楽曲を愛し尊重する想いがなければその曲を採り上げる意味があるまい。その想いからしかアマチュアに音楽の感動を生み出せる可能性はないからだ。
しかし実際にコンクール等で接する吹奏楽の演奏には、カットにしろ演奏の中身にしろ、楽曲に対する尊重があまりに不足していると感じることが少なくない。

磨いたテクニックやサウンドも、あくまで”表現”を尽くし感動的な音楽を生み出すためのもの。「テクニックがある」「揃ってる」「合っている」を「よい音楽(本当の意味で”うまい”演奏)」と同一視してはいけない。またたとえ演奏参加型の吹奏楽に携わっていたとしても、聴く側に立ったなら、アマチュアの演奏レベル視点から「自分たちと比べて良い」「水準が高い」という感覚に拠って過剰な評価をしてはいけない。本当に感動できたか、忘れられない演奏だったか? -理屈はいらないので率直に自分の心に問うてほしい。

演奏者は真摯にどこまでも音楽を深く掘り下げ、聴く側は音楽の感動こそをシビアに求めなければならないと思う。
「この曲をこのくらい仕上げたら、当然金賞、当然全国でしょ、え?」
「ウチは一人ひとりのレベルから違うから。どう?このサウンド文句ある?」
こんなドヤ顔をちらつかせながら、音楽の内容は幼稚で浅薄な演奏など、もう聴きたくもないのである。

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2016年3月16日 (水)

「リボンの騎士」オープニングテーマ

001”Princess Knight”
 Main Theme
冨田 勲
(Isao Tomita
  1932-2016 )


漫画の神様=手塚治虫(1928-1989)の代表作「リボンの騎士」のアニメ版(1967年4月ー1968年4月放送)オープニングに使用された楽曲である。即ち半世紀前の子供番組のテーマ音楽なのだが、この作品の出来映えはあまりにも高レベル!
日本人を超えた、というよりもう独特の突き抜けてハイセンスな楽曲である。魅力的な”ツンデレ”メロディーはもちろん、極めてオシャレなリズム、マリンバの音色が効いたサウンドなどなど、今でも色褪せることなく斬新で、聴く者を夢中にさせる要素に溢れている。

    ※ふとしたことをきっかけ(それが田中圭一の「はぁとふる売国奴」だっていう
      のはご愛嬌ということで…^^)に「リボンの騎士」を思い出し、あのオープニ
      ング・テーマをどうしても聴きたくなってしまったのである。そして聴いてみて
      改めて凄い名曲だ!と感じ入った次第。


Photoそれもそのはず、作曲したのはあの”世界のトミタ”なのだ!

冨田 勲は作曲家としてNHK大河ドラマの音楽や「きょうの料理」「新日本紀行」のテーマ音楽、「ジャングル大帝」「どろろ」のテーマなど、映像関連を中心にポピュラーソングや童謡に至るまで幅広い作品を手掛けていたが、ほどなく1970年代以降はシンセサイザー音楽の先駆者として活躍の場を世界へと広げた。彼のシンセサイザーによる最初の作品集(LP)「月の光-ドビュッシーによるメルヘンの世界」(1974年)は米国ビルボード誌クラシックチャート第1位を獲得し、グラミー賞4部門にノミネートされたのである。その後「展覧会の絵」「惑星」もビルボード誌クラシックチャート第1位となり”トミタ”の名はまさに世界的なものとなった。
Lpそんな冨田 勲の手腕は、「リボンの騎士」の世界観と見事なほどに合致した主題曲を生み出している。華麗にしてファンタジック、メルヘンチックでありながら実に上品で美意識の高い音楽であり、その中でくるくると変化する曲想は主人公サファイアのキャラクターを示唆するようでもある。

♪♪♪

123「リボンの騎士」は1963年から1966年に講談社の少女漫画誌「なかよし」に連載された作品で、手塚治虫が生んだ少女漫画の金字塔にして同ジャンルにおけるストーリー漫画の先駆けと評される傑作である。

     ※実はこれより10年遡る「少女クラブ」連載版(1953-1956)という「リボン

       の騎士」の原典があるが、アニメ化にあたっては「なかよし」版を中心と
       した原作エピソードを織り交ぜ、オリジナルの物語も加えられている。


<作品概要>
Happy_2天使チンクの悪戯により、男と女両方の心を持って生まれてきてしまったシルバーランドの王女サファイア。男しか王になれないという掟のあるシルバーランドでは、悪評高いジュラルミン大公が次の世継に自分の息子を据えようとしていた。ジュラルミン大公のシルバーランド支配を逃れるため、サファイアは表向きは王女でなく王子として育てられることとなったのである。かくしてサファイアは15才となり、極めて美麗で優しい王女にして、正義感が強く勇猛果敢な剣の達人たる王子へと成長していた。

謝肉祭の夜、亜麻色の髪の乙女に変装したサファイアは舞踏会で隣国ゴールドランドのフランツ王子と踊り、二人は瞬時に強く惹かれあう。
このサファイアとフランツの恋がストーリーの中心であり、王位を狙いサファイアを亡き者にしようとするジュラルミン大公一派の企みが迫ったり、フランツと娘を結婚させゴールドランドを我物にしようと狙う魔女、サファイアに嫉妬しフランツの心を得ようとする美神ビーナスなどが登場して、サファイアとフランツの運命を翻弄する。

しかしサファイアから男の心を抜き取り完全な女の子に戻そうと奮闘する天使チンク、忠節な家臣たちや漢気溢れる海賊ブラッド、魔女の娘ヘケートやビーナスの召使いエロース、女剣士フェリーベら善良なる者たちの文字通り献身的な支援を得て、波瀾万丈の展開の末にサファイアとフランツの恋は大団円へと向かう。


Photo_2原作「リボンの騎士」にはさまざまな魅力が散りばめられているが、それはやはりサファイア姫の魅力に尽きると云って良いのではないだろうか。巧みな設定のもとにストーリーが展開するにつれて、誰もがサファイアの幸福を願い、彼女を守りたいという思いに駆られ周りのキャラクターへ感情移入してしまう。鮮やかに剣を操る気丈なサファイアは、愛するフランツの前ではこの上なく愛らしく恥じらいを見せる-そのギャップは彼女を一層魅力的に映すのだ。
本作は所謂”少女漫画”なわけだが、サファイアは男の保護本能をかくも著しくくすぐるのであり、さすれば男性にとっても魅力的な作品であることは疑いないと思う。サファイアの外見の美しさだけでない人間としての、また女の子としてのさまざまな美点がエピソードのここかしこから滲み出しているのである。
(そんな女の子が次々に襲い掛かる苦難と健気に戦っていたら”守ってあげたい”じゃあないか!)

Sweetestお相手のフランツ王子もサファイアの魅力をトータルで捉えている。ビーナスを見て「ゾッとするほど美しい」と感じながらも、如何に言い寄られたって全くなびかない。挙句この美の女神に対して「サファイアはあなたの百倍も素晴らしい!!」とまで言い放つのである。この辺りも当時の少女たちには堪らなかっただろうと想像する。
(逆に男の立場からしても、そこまで言い切れる女性と出会えるなんてことはとてつもないロマンなんだけど…。)

そして私にとっても-
スラリと手足の伸びた華奢な美少女…子供心にも惹かれたサファイアは、外見的にもずーっと「どストライク」♪

    ※尚、現行単行本に収録された最終版は連載当時と比較してかなりの改訂
      が行われている。登場人物とエピソードの追加・変更があるほか、当時の
       漫画作品に多く見られたストーリーと関係性の薄い”笑いネタ”を排し、判
      りやすくまた話の辻褄をキチンと合わせるように直されて、今読んでも違
      和感なく読み応えのあるストーリー漫画へと完成度を格段に向上させてあ
      るのだ。キャラクターの人間像もよりクッキリと確立され、台詞も随所で改
       訂し研ぎ澄まさ
れている。

♪♪♪

アニメ版「リボンの騎士」のオープニングテーマには3つのバージョンが存在しているが、本稿で採り上げるのは「インストゥルメンタル版」である。

    ※放送初期のみにこのバージョンが流れていたとのことであるが、私には
      歌詞が入っているバージョンの記憶がなかった。(エンディングの「リボン
      のマーチ」には歌詞がある、という認識。)
      
      しかし実は他に歌(詞)入りの「王子版」「王女版」の2バージョンがあるこ
      とを大人になってから知った。歌っているのは「キューティーハニー」でも
       おなじみの前川 陽子(当時彼女はまだ高校生)。
      「王子版」は”ボク”で歌詞が始まり、「王女版」は”あたし”で始まる。より
      決定的な違いは「王子版」は「インストゥルメンタル版」と同じシャッフル
      (但し「王子版」は随所に女声コーラス&スキャットを入れるという凝りよ
      う!)なのだが、「王女版」は8ビートのアレンジで、ドラムソロなどもある。

      さらに「インストゥルメンタル版」の中にも幾つかのバージョンがあるよう
      で、オーケストレーションが微妙に違っている。現在入手可能な市販音
       源とは違う「インストゥルメンタル版」があり、私はネット上で偶然これを手
      に入れた。数あるバージョンの中で最もシンフォニックかつ美的であり、
      本稿はこのバージョン(後述の通り1978年発売のLPに収録されたもの)
       に基いて記述している。従って、過去にテレビでご覧になった皆さんのイ
            メージとはおそらく異なっていると思う。現在You Tubeなどで視聴可能な
      のも当時のテレビバージョンだからである。

      歌(詞)入りのヴァージョンは、当時の時代を感じさせるものではあるのだ
      が、悪くない。私などはおきゃんでスィートに歌われる
            「ボクのみる夢は ひ・み・つだよ♪ 誰にも言わない ひ・み・つだよ♪」
      あたりに、やっぱりグッと来てしまう…!^^)


Opening_animation_1華やかに打ち鳴らされるチャイムの音色が印象的な6/8拍子の序章部に続き、トランペットの壮麗なファンファーレ。最後のトランペットのハイトーンともに、ラッパのベルの中から天使チンクが華やかに飛び出してお城の中へ降りていくシーンに転じる。
おもちゃの山に落っこちたチンクは(本編に登場する)ぶなの木の笛を吹きながらおもちゃたちと行進を始めるのだが、その楽しげな様子が愛らしいピッコロ・ソロで描かれる。…ここでカウンターに入るロータムの気の利いていること!

シャッフルのリズムにのったピアノの印象的なイントロが奏でられ、主部のメロディが流れ出す。シンコペーションを効かせたこのメロディこそが、最高に魅力的!
Photo_3凄くシャレているし、とても現代的でかつ上品、可愛らしくて透明で-何と奥行きの深い旋律だろうか!バイオリンとグロッケンの奏するこの旋律のバックにはファンタジックなマリンバのトレモロ、カウンターは美しく軽やかなピアノ…音色配置も抜群である。

間奏部分はブラスの奏する快活なポップスマーチと、ピッコロ・ソロの小洒落たシャッフルとが2小節ごとに応答する。
Photo_4ドラムスが最高にカッコよく、この2つのリズムを行き来する小粋さには心躍らさずにいられない。

終盤に向かい息の長い旋律が甘美で艶やかに奏され、
Photo充分な高揚感を経て再び鐘の鳴り響く華やかなエンディングとなって締めくくられる。

2_2♪♪♪

リピートを含むフル・バージョンでも僅か2'50"ほどの小曲だが、この完成度の高さ、強く心に灼きつけられる感銘は何だろうか。
旋律やフレーズが頭から離れず、どうしてももう一度聴きたい、となってしまう。

-こういうものこそが、名曲である!

♪♪♪








Lp2音源は1978年に日本コロムビアから発売されたLP(CS-7083)をお奨めする。
このLPの演奏は
インストゥルメンタル版:
コロムビア・オーケストラ
歌入り(王子バージョン)版:
前川陽子&ルナ・ハルモニコ

とクレジットされているが、アレンジそして演奏のクオリティが極めて高い!
テレビ放映バージョン、およびそれを収録したCD「懐かしのミュージッククリップ29 リボンの騎士 」しかお聴きになっていない方には、ぜひこのLP収録の演奏を一度聴いていただき、この曲の真価を堪能してほしいと願わずにはいられない。

♪♪♪

私はあまりにもこの曲が好きになり過ぎて、思わず「リボンの騎士」原作を購入し改めて読み返してしまった。本当に面白い!その愉しみも実に大きく、私にはとってもうれしいことだった。

    ※ 関連記事 : リボンの騎士(原作) 橋本音源堂ANNEX

(Revised on 2016.7.12.)

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2015年12月28日 (月)

決意 2015.12.28.

12月26日、所属している楽団の2015年最後の練習を終え
ました。

自分でも進歩のあった1年だったとは思っています。
しかし、思い描く演奏にはまだ遠く…と強く認識しました。
過去、この思いからプレーヤーとして努力をあきらめてしま
ったことを記憶しています


でも、もうあきらめることはありません。既にこの年齢になっ
て何言ってんだという感じもありますが、それでも努力を止
めることはもう絶対にしません。まだできることがある。

もう一段化けてやろうと決意を新たにしました。
音楽を楽しみ尽くしてやる- そんな思いで挑んでいきたい
と思います。
頑張れ、俺!


♪♪♪

この1年間で2本のTromboneを新調しました。その楽器たちに挑む気持ちを奮い立たせてくれた至言を、自分の永遠の備忘としてここに再掲します。
これからも愛するスターリングシルバーの楽器たちとともに、努力を続けていこうと思います。

「よく新品は鳴りが悪いからffで無理やり吹き込むとか、牛乳やオイルを通すとかいう伝説があります。結論から言うと、吹きこみ、音抜きは必要ありません。たしかに楽器は新品の状態は鳴りが重く、倍音も少ないのですが、使っている音に反応してだんだん鳴りが良くなります。高い音ばかり吹く人は高い音が、低い音ばかり吹く人は低い音、大きな音は…というように、楽器は奏者が練習によって育っていくように育ちます。素直に大きく育つためには急がないで広い音域と広いダイナミクス、様々のパターンを吹いて下さい。そうすれば、奏者と楽器が一体となって育っていくでしょう。」
              -萩谷 克己 @TKWOホームページQ&A旧版より

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2015年8月 2日 (日)

イーストコーストの風景

SunsetovernewyorkcitydrkEast Coast Pictures 
N.ヘス (Nigel Hess 1953- )
I.Shelter Island  II.The Catskills  III.New York

(冒頭画像:ニューヨークの夕暮れ)

2nigel_hessイギリスの作曲家ナイジェル・ヘスによる1985年の作品である。
ヘスの代表的なキャリアとしてはロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(Royal Shakespeare Company)のホーム・コンポーザーを務めたことが挙げられるが、1875年創設の歴史を有しシェイクスピアの生誕地ストラットフォード・アポン・エイボンを本拠とするこの”世界で最も有名な劇団”のために、彼は20もの作品を書いた。ヘスはまたテレビ番組を中心に映像関連の音楽に多く携わり、手腕を発揮している作曲家としても高名だ。

吹奏楽作品も多く、「グローバル・ヴァリエーション」「スティーブンソンのロケット号」などモダンで多彩、かつ突き抜けたユーモアが個性的な楽曲で知られており、中でも「イーストコーストの風景」はヘスが最初に出版した吹奏楽曲にして代表作として高く評価されている。やはりモダンなサウンドとポピュラー音楽に通じる曲想でノリも良く理屈抜きに楽しいこの曲は、同時に壮大なクライマックスと色彩の豊かさも備え、まさに鮮やかな3枚の絵と云うべき作品となっている。

♪♪♪

「組曲『イーストコーストの風景』は3つのコンパクトな”絵”から成っているが、その着想は私がアメリカ東海岸のごく一部に数度訪れたことがあり、そこから閃いたもの。この地域はその地理や住民が実に極端なのである。」
                                   (ヘスのコメント)


題材は上記コメントにもあるように、ヘスが訪れたアメリカ東海岸に位置するアメリカ最大の都市ニューヨークとそのごく周辺のリゾート地であり、その情景と印象とを3楽章からなる組曲で描写するもの。
Photo各楽章はいずれも高揚感が高くそれぞれに完結したイメージを与えるもので、対比的なセッティングになっていると解されよう。
同じ題材の楽曲として「マンハッタン交響曲」(S.ランセン/吹奏楽)や「ニューヨークのロンドンっ子」(J.パーカー/ブラスアンサンブル)などが挙げられる。いずれもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」の向こうを張って、欧州の作曲家がニューヨークを描写しているわけだが、特に「マンハッタン交響曲」第4楽章”ブロードウェイ”のエネルギッシュでスピード感のある楽想が示す活気と喧噪の情景はヘスの描いたニューヨークと共通しており、それこそがこの大都会の強烈な印象となっているのだと感じられるのは興味深い。

【ニューヨーク (New York)】
Timessquareニューヨークは市街区のみでも8百万人、エリアでは2千万人を超える人口を擁する”人種の坩堝”であり、経済・政治・スポーツ・芸術・エンタテインメントなどあらゆる面に於いてアメリカのみならず世界の中心的な存在である。
Lincolncenter例えば国連本部もこの地に設置されており、またとりわけアメリカの生んだジャズやミュージカルなどのポピュラー芸術においては、まさに総本山と位置付けられるのがニューヨークという街である。

Central_parkこの大都市は、17世紀初めにオランダが入植して建てた「ニューアムステルダム」を起源とするがこれを1664年にイギリスが征服した際に当時のイングランド国王の弟君=ヨーク公に因み「ニューヨーク」と名付けられた。後の独立戦争直後の5年間はアメリカの首都でもあったのである。1825年にエリー運河が整備完成されてからは港湾都市機能を発揮、アメリカ屈指の貿易拠点として弛みなく発展を続け現在の繁栄へと至った。そうした発展の原動力は”移民”であり、”移民社会”ゆえに深まった多様性(diversity)が新たな価値創造を生んだこと-それこそがニューヨークの魅力と評されるところである。
Metropolitan_museumエンパイアステートビルをはじめアール・デコを取り入れた摩天楼のひしめく近代的な都市の風貌に自由の女神を配する景観、世界的な経済の中心地ミッドタウンで中核を成すウォール街、超一流の文化・芸術施設、繁栄する都市ならではの食事やエンタテインメントの豊富さなど、観光的にも随一の魅力を誇る。ベースボールのヤンキースとメッツなど多くのスポーツチームも本拠地をここに構えているし、
Broadwaytheatresignsカーネギーホールや舞台芸術の聖地であるリンカーンセンター、ミュージカルで有名なブロードウェー、メトロポリタン美術館(世界三大美術館)、Eleven Madison Park(世界的に高名なミシュラン三ツ星レストラン)、メガシティのオアシスたるセントラル・パーク、更にタイムズスクウェアにチャイナタウンなど枚挙に暇のない観光名所…これらはみなニューヨークにあるのである。

     ※画像(上より):Times Square、Lincoln Center、Central Park、
                 Metroplitan Museum、Broadway


Photo_2【出典・参考】
「ニューヨーク」 亀井 俊介 著 (岩波新書)
「図説 ニューヨーク都市物語」
 賀川 洋 / 桑子 学 著 (河出書房新社)




【シェルター・アイランド(Shelter Island)】
Photoニューヨークのあるアメリカ最大の島・ロングアイランドの東端に挟まれるように位置する30km2ほど(世界遺産で有名な広島の厳島と同じくらい)の島であり、マンハッタンからは車で2時間+フェリーで5分の距離にある。
Shelter_island_sunset_beachニューヨーカーにとっては日帰りも可能で気軽なリゾート地であり、夏期には大変賑わう。セレブの別荘やプライベートビーチも多いが、普通の人が普通に泳ぎに行きリラックスできる綺麗な海とSailboats2ビーチがあり、夏の穏やかな海でヨットやボート、カヤックや釣りなども楽しまれている。古くから富裕層の避暑地であったため、ニューマネーによる開発を逃れたことも特筆すべきである。
Kayak_2このため古き良き佇まいの建物が多く残り、また手つかずの自然-深い緑にも包まれたその景色はどこも美しいと評される。
更にオイスターやソフトシェルクラブなど美味なシーフードに恵まれ、また海を挟んですぐ北側にあるグリーンポートはワイナリーが集まっているエリアであるため、多彩なローカルワインも楽しめるとのこと。

「ニューヨークの都会の喧騒を離れて過ごす時間は貴重で、とてもリラックスできます。」との評価は多く、人気も頷けるものである。

        ※音楽関連では、世界的なヴァイオリニスト、イツァーク・パール
            マンが
主宰する後進教育プロフラムの開催拠点となっており、
            1994年以来毎夏12~18才の若き音楽学生がここシェルター・
      アイランドで7週間に亘るミュージックキャンプに参加している。

   
 【出典・参考】
     
Town of Shelter Island HP   The Perlman Music Program HP
           尚、リゾート地としてのShelter Island については多くの在NY邦人の方々の
     SNS、並びに旅行サイトの評価から情報を収集した
 
 
【キャッツキル山地(The Catskills)】
Catskills_4ニューヨーク市街から200kmほど北上したハドソン河の西側に位置する広大なキャッツキルパークの中心を成す山地である。
Ihoverlook0415_3キャッツキルパークは約3万km2に及ぶ自然保護区であり、ニューヨーク市の水源地として厳しい規制によりその美しい水と環境とが200年に亘り守られているという。
ニューヨーカーの感覚としては東京に於ける奥多摩や秩父に近いとも云われる。

    ※尚、killという言葉がその名についているが、これは”小川”
      ”水路”などを表すオランダ古語に由来するもので、水辺に
       近いところを表し物騒な意味はないとのことだ。実際、前述
      のようにオランダの入植が先行したこのニューヨーク周辺
      には-killという地名が多いのである。
      (Webster米語辞典に記述あり)


Bastion_falls_21960年代後半までは避暑地としての開拓も進み、富裕層の別荘や大規模なホテルなども多かったが、自動車と高速道路の発達によりニューヨーク市街から完全な日帰り圏内となったことで、避暑施設は不要となり現在では残っていない。しかし現在でも冬はスキー、夏はフライフィッシングや川下り、ハイキングにキャンプなどが楽しめる手近なリゾートとして親しまれている。
美しく聳えるキャッツキル山地に加え、山間各所に見られる沢から流れ落ちる滝はまさに一瞬息を呑むほどの美しさと評されており、秋の紅葉も見事である。こうした景観の素晴らしさに人気は高い。

    【出典・参考】
     キャッツキル オフィシャル・ガイド
     緑のgoo :
vol.8
     「アートとエデュケーションとアグリカルチャー、ロハスが息づくキャッツキル」
     

♪♪♪

前述の通り、いずれも情景描写的な3つの楽章で構成される組曲である。ヘスのコメント(「 」)も引きながら内容を見ていこう。

I. シェルター・アイランド
Shelter_island_winter_2「シェルター・アイランドはロング・アイランドの果てといったところに位置する小さな島で、ニューヨーク市街からはクルマで2-3時間だ。夏にはシェルター・アイランドに惹きつけられた旅行者でごったがえすのだが、冬には見事に人気(ひとけ)が無い。
この季節、荒れ狂う大西洋の襲撃に敢然と対峙するこの島は、海霧と横殴りの雨に覆われている。この曲の情景は、シェルター・アイランドで過ごす冬の週末の良き想い出である。」




既に述べたように、シェルター・アイランドはニューヨーク郊外の”夏の”リゾート地として人気である。だが、ヘスは実体験から”冬の”シェルター・アイランドを描いた。
(上画像:冬のシェルター・アイランドの情景)

Bright(♩=138)、12/8拍子
の冒頭は、やはり冷たい雨を乗せた風を表すFluteの素早い3連符のフレーズに始まる。
Shelter_island4拍3連のビートでブレイクすると、主要主題のモチーフがHorn、続いてこれにEnglishhornが加わって提示される。そしてこの伸びやかで暖かな旋律は朗々たるTrp.によって全容を表すのである。
Shelter_island_2第1楽章を通じ、海霧と横殴りの雨を表す木管の細かなフレーズに金管群の吹き下ろす大きな冷気が加わって表現される”情景”が、それとはうらはらに暖かく幸せに満ちた”心象”を示すこの主要旋律に絡みつつ描かれていく。

  現地アメリカの旅行サイトを見てみると、彼氏から冬のシェルター・
  アイランドで週末を過ごそう、と誘われ戸惑う女性の投稿があった。
  夏はリゾートとして賑わうのを知っているけど、冬には一体何をし
  に行くの???とややふくれっ面ですらある。
     これに対して「彼氏はただあなたと穏やかでロマンティックな週末
  を過ごしたいんじゃない?冬のシェルター・アイランドは本当に安寧
    で、ニューヨーク市街から行くなら素晴らしい気分転換になるわよ。」
  などのアドバイスが寄せられたこともあり、結局彼女は彼に従って
  出掛けた様子である。
  結果、この彼女は冬のシェルター・アイランドに大満足したと報告し
  ている。美しい風景、こじんまりとはしているが素敵な宿、シーズン
  オフであっても頻繁に行き来するフェリーで対岸へ渡ってのワイナ
  リー巡り -どこへ行っても混んでなくて、恋人二人いい時間が過
  ごせたようだ。一番美味しかったお店はシェルター・アイランドにあ
  る”The Vine Cafe”で、ここが一番混んでいたと。冬のシェルター・
  アイランドは静かだがとても素晴らしく、同じニューヨーク州で過ご
  したとは思えない”a great weekend”だったと結んでいる。
  他のコメントを見ても、冬のシェルター・アイランドがニューヨーカー
  にトップシーズンとはまた違った素晴らしい”癒し”を与えてくれるこ
  とは間違いないようだ。
Mash_3    この曲を”a fond memory”であると解説している作曲者ヘスの心に
  も、きっと
冬のシェルター・アイランドで過ごしたロマンティックで素
  敵な想い出が刻まれているのだろう。


これらが多様な楽器のとりどりの音色とダイナミクスの起伏に次々と移りゆき豊かな音楽となる。中でも、少しばかり顔を出した最終楽章「ニューヨーク」のモチーフを挟み、2度奏される抒情的なOboe+Englishhornのソリが殊のほか美しい。
Shelter_island_w_reedそして、徐々に雄大さを増しやがてあの美しい旋律が力強く高らかに奏され、Trp.のハイトーンとともに劇的なクライマックスへと到達するのである。力を込めて奏されるほどに、この旋律の素晴らしさ、豊かさが胸に迫ることだろう。
ほどなく鎮まるや再び風のフレーズが現れ、ファゴットのSoliに導かれたファンタジックな音風景に見送られて静かに曲は閉じる。

II.キャッツキルズ
1400woodstockcatskillswg_web_4「ニューヨーク州北部に鎮座するキャッツキル山地-そこでは静穏と力強さ、そして安寧と荘厳さとが絶妙に融合している。一度目にしたならば、その魅力に何度も何度も呼び戻され、再び訪れたくなってしまうのだ。」


The_catskillsSteady4(4/4拍子 ♩=72)と標され、Trb.を中心とした静謐で落着きのあるコラールにより厳かに開始され、やがてOboeのロマンティックな歌が聴こえてくる。この序奏部に続いて甘美極まるリリックなソロをコルネットが歌い出す。
The_catskills_cornet_soloトランペットとコルネットで実際に音質の差はないと云われるが、このソロこそは英国式ブラスバンドの擁するあの”コルネット”のまろやかな音色(ねいろ)こそがイメージされて已まない。ここでは伴奏のオルガンの如き厳かでファンタジックなサウンドも魅力的である。
続いて旋律がトロンボーンに移り、これをバックに木管群が美しくまた自在に歌う。コルネットのソロに戻って主題が変奏され高揚するが、クライマックスの手前で引き返し、鎮まって冒頭が呼び返されるのが心憎い。
再びコルネットのソロから始まる音楽の流れは一層雄大なものへと発展していく。気高い自然の威容を讃える堂々たるクライマックスとなり、スケールの大きなサウンドで締めくくられる。

III.ニューヨーク
Lowermanhattan「ニューヨーク…より厳密に云えばマンハッタンの情景だ。この奇矯で素敵な都市に慣れ親しんだ人にとっては、この曲が描いた情景に説明は要らない。まだニューヨークの虜になっていない方々には、ニューヨークを訪ねた折に目のあたりにするであろうものを、この曲でささやかながら味見してもらおうというわけさ!」


New_yorkマンハッタンとはウォール街に5番街、タイムズスクエアやブロードウェイに名だたるホールや美術館などを擁し、まさにニューヨークの中心たる或いはニューヨークそのものを指し示す地区である。前述のように政治も経済もスポーツも芸術も、最先端からアングラに至る文化や風俗も、それら全てが集約した街は良くも悪くもエネルギッシュさに満ち、魅力が満載だ。
当然そこには騒動や犯罪も起こるわけだが、それらが全部ごった煮になって噴きこぼれているさまが、スピード感溢れる音楽で表現されている。

冒頭(Bright4 4/4拍子 ♩=168)のモチーフ提示からして生命感に満ち溢れ、そのスピードと鮮烈さに惹きつけられる。ここで”立った”サウンドの低音のカウンターがドンピシャのタイミングで決まったら、それだけで鳥肌立つこと請合いだ。
主部に入ると元気なTom toms のお囃子に乗って第1主題が奏される。
New_york_2活気と浮き立つ感覚がとても愉しい音楽だ。途中7/8の変拍子による変奏を挟むが、ここではJaw Bone(Quijada キハーダ)やString Bassの音色と機能が効果的に使用され楽曲に魅力を加えているのも見逃せないし、かと思うと続くMuted Trp.(+Piccolo)の奏する経過句のバックにはクラベスやマラカスが躍るなど、まさに多様な文化の坩堝であるニューヨークを体現した曲想である。
更に金管楽器のgrowl奏法を絡めたり、ダイナミクスと各楽器を目まぐるしく入れ替え決して飽きさせることのないままエナジティックに高揚させていく。

Playingthequijada※Quijada キハーダ (正式名称 Quijada de Burro)
その名の通りロバや馬の顎を乾燥させて作られるラテンパーカッション。「歯の部分を撥で擦る」「顎の骨本体を手で打って震わせる」の組合せで演奏する。”カーッ””カラララララ”などと表現される個性の強い音が出る。入手できない場合はヴィブラ・スラップで代用されるのが一般的である。実際の演奏の様子はこちら


この高揚の頂点を越えて、すぅっと視界が開け美爽な第2主題がHorn(+Euph.)に現れる。
New_york_3この最終楽章ではずっとHornとEuph.が主題を奏していたのに、転調を絡めまたガラリと変わった感じを示すのが凄い!

    ※クッキリと姿を現わし、堂々と主役を務めるここのHornだが”ベルアップ”とい
       う感じでもない。あれこれ考えたが指示するなら”満面の笑みで!”といった
      ところか。


第2主題は木管へと移り、再び転調しさらに伸びやかで流麗なTrp.のフレーズになる。シンコペーションの賑やかな伴奏を従えて歌い上げると第1主題が戻ってきて、けたたましくホイッスルが鳴るや主題のモチーフの応答から6/8拍子の強いビートで鳴動するクライマックスを迎える。
このエキサイティングな曲想はG.P.で一転、Steady4となりFlute、次にダブルリード楽器のSoliが穏やかに第1主題のモチーフを奏でるのだ。
New_york_siren_2続いて描かれるのはニューヨークの黄昏時だろうか。(冒頭画像参照)想い出に浸り、思い切りセンチな気分になっていると- それをつんざくパトカーのサイレン!

Nypd_police_car…やれやれ、この街の騒々しさは旅人を感傷に浸らせてもくれない。
コーダ(Tempo primo)に突入し第1主題が一段とスピードを増して駆け出すや、まさにエネルギーの塊となって捲りに捲り(Presto)、一気呵成の鮮やかさで全曲を締めくくる。

    ※この”サイレン”の「けたたましさ」は極めて重要。音楽的に(演奏的に)最も
      コントロールしやすく表現しやすいのは「サイレン・ホイッスル」(下左)だと
      思うが、臨場感のある演出にはぜひ「サイレンそのもの」を使いたいところ。
      手動サイレンも演奏用(?)だと直ちに音をストップするスイッチが装備され
      ている(下中)とのことだが、音の出だしは?
      全くの電子サイレン(メガホン型/下右)では如何にも味気ないし…思案の
      しどころである。

Sirens_2♪♪♪

「イーストコーストの風景」は捉えやすい楽曲である。しかしながら各部分部分を対比させるべく、それぞれを”らしく”演奏する=演じ切ることが求められる楽曲でもある。譜面を無難に音にしただけではこの曲の魅力は発揮しきれないだろう。こういう曲こそイメージを豊かに膨らませ、それを表現したメリハリの効いた演奏が求められるのだ。
逆に云えば、素敵な旋律を持ちさまざまな”仕掛け”がなされているこの曲は、そうした表現ができたなら、この上なく愉しい音楽になる。
例えば”ニューヨーク”の最後、アッチェルランドを経て突入したPrestoの最終5小節で打楽器群が「楽譜に正確に」とばかりにマーチの如きフィーリングで演奏してしまうとエラく幼稚な音楽に聴こえてしまう。
Ending_percここはあたかも和太鼓の乱打ちに近いニュアンスで一気呵成さを表現することが求められよう。書いてある音符を追うのではなく、「どういう音楽にしたいか」を考えて楽譜を読み解くことこそが肝要なのである。

叙上の観点から、音源は下記の作曲者自作自演盤をお奨めする。
Cdナイジェル・ヘスcond.
ロンドン・シンフォニックウインド
オーケストラ

”完璧”とまではいかないが、さすがにこの曲の魅力を存分に語った名演。各ソロも名手の優れた音色と豊潤な”歌”で聴かせてくれる。テンポ設定・間の取り方・ダイナミクス設計も見事で、実にイメージ豊かな音楽となっている。
”ニューヨーク”に登場するサイレンにはサイレン・ホイッスルを使用し、音楽的なコントロールと表現を優先。全編に亘りこうした小物の”演技”も大変素晴らしい。

     【その他の所有音源】
       加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
       石津谷 治法cond. なにわオーケストラルウインズ(Live)


♪♪♪

本稿の執筆に際してあたった文献や資料、写真の多くに、あの「世界貿易センタービル」の姿があった。1985年に作曲されたこの「イーストコーストの風景」が音で表現するニューヨークの情景にも、もちろんあのモダンな摩天楼が描かれていたはずなのだ。
ご存知の通り、大都会ニューヨークを象徴していた「世界貿易センタービル」は、2001.9.11.のテロによって2,700人を超える尊い人命とともに消滅した。あの悲劇は、世界中の誰もが決して忘れることのできないものだ。

教条めいたことは言いたくないが、音楽が楽しめるのも平和であればこそ-ニューヨークを題材にした実に愉しいこの曲と接する時も、どこかで必ずそのことには想いをめぐらせねばならないであろう。

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2015年7月 9日 (木)

貴重な音源の復刻CD化!

51wghyciril_4漸く待望の復刻CD化が実現しました!

武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルによる音源は現在もリリースが継続していますが、最初に一般発売されたものというと「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブル ’79」に遡ります。
このVol.1に続くVol.5までの初期音源が、このたびCD5枚組Boxセットにまとめられ発売されたのです。私は発売のニュースを見つけた瞬間に予約して入手、楽しんでおります♪

Vol.1の「アルメニアンダンスPart I & II」、Vol.4の「第2組曲(A.リード)」とVol.5はCD化されているものの、他はどれも永きに亘って当時のアナログLP音源しか存在しなかったものであり、今回のCDリリースは大変画期的です。
このシリーズに収録された「アンティフォナーレ」「…そしてどこにも山の姿はない」「交響曲第2番(チャンス)」「シンフォニア・フェスティーヴァ」などは人気曲でありながら発売当時はもちろん、その後も長い間他に録音がない状態が続いたため、大変貴重な音源でした。

それどころか現在でも、序曲ヘ長調(E.H.メユール)ヴィヴァ・メキシコ(J.J.モリセイ)は他に入手可能な録音が存在しておらず、かつ今回が初のCD音源リリースということになります。
またスターフライト序曲(R.ミッチェル)は(良くも悪くも若い演奏ながら)この曲の人気を高め世に知らしめた好演です。この曲はこうでなくちゃ!と思わされるのです。

♪♪♪

リーフレット巻末には録音に参画したメンバーが掲載されていますが、錚々たるプレイヤー、そして”先生”方の名前があちこちに見つかることでしょう。それゆえでもありましょうが、本シリーズ初期の演奏はとても素晴らしいものが多いです。
我々世代が懐かしむだけではなく、ごく若い世代の吹奏楽ファンの皆さんにもぜひ聴いていただきたい、聴いていただく価値のあるものだと思います。

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2015年6月20日 (土)

筋トレ

筋トレ、と云っても管楽器奏者の筋トレですよ♪
もちろん(管楽器奏者としても)普通の筋トレもやるべきなんですけど、それとは違う管楽器奏者向け固有の筋トレのお話です。具体的には、以下の器具を使用し、毎日励んでいます。

■P.E.T.E.(Personal Embouchure Training Exerciser)
Pete_newsletter1「唇とその周りの筋肉を強化する器具」です。これを使ったトレーニングにより楽器を吹く唇の耐久力向上を図ります。
①唇だけで咥えたP.E.T.E.を引っ張って、抜けないように逆に歯に押し付けるように、口の中心に圧をかける意識で維持する。
(10秒間×10回)
②正しくアンブシュアを作った唇でP.E.T.E.を咥え、”中心に小さな円を作り、更にそれを狭める”イメージで強く圧力をかける。あくまでアンブシュアを維持、上唇上部からも左右均等に圧力をかけるようにして締め付ける。
(10秒間×5回)

寝る前に①②を交互に、2セットやります。楽器が吹けない日には更に昼休みにもやるので1日2回ですね。

   ※私はTrombone奏者・増井朗人さんのやり方を踏襲させていただ
     いてます。P.E.T.E.の使い方を具体的に、ヴィジュアルも使って丁
     寧に説明されているので、ぜひご参考に。


確かに耐久力がつき、また回復力も増したことを実感しています。また、これによって直接的な効果として高音が出るようになった、というわけでもないでしょうが、結果として高音の練習が何度もできるようになるためか、音域も拡がったと思います。

■パワーブリーズ(POWERbreathe Plus)
Plus3_pack「呼吸に於いて特に吸気に負荷をかけることで、呼吸に必要な腹筋・背筋・横隔膜を強化する器具」です。
①器具を咥えた口からのみ、素早く力強く息を吸い(=器具の中にある弁が開く感覚がある)、ゆっくりと息を吐く、を30回連続で行う。
②30回連続でこの呼吸ができるギリギリのところまで負荷を上げてトレーニングする。その負荷がこなせるようになったら、翌日はダイヤルを回して更に負荷を上げて行う。

これを1日2回、朝と夜に行っています。
呼吸筋のパワーや持久力を強化し、酸素効率を上げることで運動能力を上げ、プレイを向上させるのが狙いです。

この器具はかかる負荷によって軽・中・重の3種類がありますが、私は「重負荷」を使用しています。曲がりなりにも金管生活38年目の自分は全然平気だろうと実は高を括っていたのですが、やってみると相当キツいです!今現在(使用開始から3週間で)最高10まである負荷メモリのうち、3.5~4.0までしか到達できていません。

短時間にできるだけ多くの息を吸うという、管楽器奏者に絶対的に必要なことを強制的にやらせる(でないと息自体ができなくて苦しい)ものであり、正しく息を吸えている時のイメージ(喉・肺・横隔膜の感覚)がつかめることと、そのために必要な筋肉が鍛えられることは間違いありません。
フレージングの改善や息が足りないことによる音程悪化回避、スピードのある息或いはたっぷりした息を送ることによる上下音域拡大、そして何より音質や音色の改善を夢見てトレーニングを続けています。どのみち呼吸の重要性は絶対的なので、やる価値はあるはずです。最大負荷で呼吸がこなせるようになった頃には、演奏にも相応の進歩があるのでは!?

♪♪♪

この”筋トレ”は「楽器を吹く時間以外の努力で、奏者として向上できる可能性がある。」のがミソなんです。
例えば耐久力向上には広い音域に亘るリップスラーの反復練習しかない、というのが事実かも知れません。でも私にとって楽器を吹く時間は限られています。現在ほぼ毎日練習してはいますが、「大きな音」が出るものでもあるし、確保できる平日の練習時間は1時間~1時間半程度であり、ルーティンの基礎練習だけで終わってしまうのです。仕事の関係上、全く吹けない日だってどうしても発生します。

でも
今よりも少しでも上手くなりたい!
今よりも少しでもいい音で吹きたい!

これらの”筋トレ”はそんな私の、藁にもすがる想いの現れです。さまざまな制約はあるけれど、できるだけのことはする。そう心に決めていますから。

♪♪♪

…ところで先日、P.E.T.E.によるトレーニングの効用について、居酒屋で酒を呑みながら学生時代の友人(同期)に熱弁していた時の実話。

私「だからね、これを使うようになってから、持続力と回復力が全然違うんだよ!!」
友人「ばか、声が大きい!居酒屋で50過ぎのオッサンが二人でそんな会話してたら、絶対楽器の話だなんて思われねえよ!」

…そりゃそーだ。

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2015年5月14日 (木)

シンフォニックバンドのための序曲 兼田 敏

Photo_2Overture
for Symphonic Band
兼田 敏  
(Bin Kaneda
1935-2002)

私にとって京都勤務の日々は洵に良き想い出である。そしてとりわけ、その最終日に招かれた宴席は忘れ得ぬものだ。

幕開けは、本格的な会食の前に夕暮れの嵐山/保津川へ小舟を浮かべ軽くお酒をいただくという趣向であった。紅葉の季節にあって、全く以って京都らしい風情の遊びである。黄昏ゆく舟上の風景の中、芸妓さんが和笛を奏でてくれた。けして達人という域のものではなかったが、素敵だった。こうした宴席にごく自然に歌舞音曲が取り入れられている京都文化の深さには感じ入るほかない。
と、ほどなく曲がりなりにも楽器ができるということから「お前なら音が出るんじゃないか。吹いてみろ。」と周りから声がかかり、和笛を拝借して吹いては見たが…当然僅かに音がするばかり(お粗末)。

そんな私だが、自在に吹けたらこの状況で何を吹くかなぁと考えた頭に真っ先に浮かんだのは -この「シンフォニックバンドのための序曲」冒頭のオーボエ・ソロの旋律だった。

    ※夕暮れ前から日付が変わっても続いたこの宴席は、嵐山の高名な料亭に始ま
       って祇園の品格あるクラブに場所を移し、さらに高台寺へと足を延ばすという
      まさに京都流の宴を堪能するもの。ましてやこの日は、予て懇意にしていただ
      いている相手方との宴席であり極めて愉しいものであった。
       京都での宴席は(常にそうであるが)、情趣に溢れた歌舞はもちろん、芸妓さん
       ・舞妓さん方の姿や所作・会話からも普段接することのない雅な文化が伝わっ
      てくるのであって、超一流の京料理をいただきつつ杯を重ねる、という愉しみの
      みにとどまることのない「異空間体験」。
      この日が私にとって京都勤務最後の夜であることを知った彼女たちは、料理
       にあしらわれた紅葉の柿の葉に箸袋を貼り付けて寄書きを即座に作り、私に
       贈ってくれた。本当に一介の若輩に過ぎない私にまでこうした心配りがあるの
      は、芸妓さん・舞妓さん方が文字通り「一期一会」の精神に貫かれている証で
      あろう。(自分が「一介の若輩」であることを常に自覚の上で彼女たちと接して
       きた私への褒美であったのかも知れぬ。)

♪♪♪

Photo_2「パッサカリア」「哀歌」「交響的瞬間」「シンフォニック・ヴァリエイション」「日本民謡組曲」「交響的音頭」「バラード」…数多くの名作を遺した吹奏楽界の巨匠・兼田 敏の初期の大傑作。近時演奏機会が少なくなっているが、本邦吹奏楽に燦然と輝くレパートリーであることは疑いない。
1970年にヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により作曲、同団は翌1971年の全日本吹奏楽コンクールで本作を採上げ見事金賞を受賞した。これを出版したのは米国Ludwig社(現 Ludwig Masters Publications)である。当時の同社社長が初演を聴いて気に入り、すぐさま出版をオファーしたエピソードは有名だが、Ludwig社は他にも兼田作品を出版している。既に当時から、兼田 敏の楽曲は先駆けて洋の東西を超えた高い評価を得ていたのだ。

「この序曲は2つの断章から成る-即ちAndanteとAllegroである。Allegroの主題は四国にある村の秋祭りから着想されたもの。作曲者は幼少の頃、海に恵まれたこの四国の地で、2年ほどを過ごしている。」
                    (フルスコア所載のプログラム・ノートより)

特に日本的素材は用いていないにもかかわらず日本的な抒情が随所に感じられるAndanteと、それに続く活気に満ちたAllegroが繰り返される構成(緩-急-緩-急-コーダ)の楽曲である。
律動感に心躍らされるAllegroを含めて、打楽器の使用がTimpani、Sus.Cym.、Glockenのみであることには驚かされる。敢えてこれだけ打楽器を限定した上で、リズムの特徴やダイナミクスの変化を現出したところに作曲者の手腕の高さが感じられるし、またそれ故に一見地味とも思えるこの曲が個性的で、聴く者を惹きつけて已まないものになっていると感じられるのだ。

♪♪♪

3/4拍子 Andante Cantabile(♩=66)の情感のこもった導入部に始まる。ふくよかなバックハーモニーからクラリネットの歌で序奏が始まり、これに素朴なCup MutedのTrb.と清冽なGlockenの煌めきとが呼応する。澄み切った清流と鹿威しの情景がイメージされるのではあるまいか。(冒頭画像)
この序奏を従え、オーボエが歌いだす。
Oboe_solo何と日本的な美意識に満ちた、そして抒情溢れる旋律であろうか。まさに和装美人を彷彿とさせる名旋律である。この情緒と上品な美しさが紅葉に満ちた京都の黄昏の雰囲気に相応しい-私はそう感じたのだ。

途中Poco piu mosso 9/8拍子の“祭りのざわめき”(©秋山 紀夫)のような部分が現れて心を戦ぎ、一層情緒を深める。ここではGlockenの落ち着いた煌めきが効果的であり、またFagottoをはじめ各楽器の音色を巧みに組み合わせて魅力を掘下げている。
89ほどなく透明感のある木管アンサンブルで落ち着きを取戻し、序奏が呼び返されるのだが、ここで加えられたオブリガートがまた抒情を極める心憎さなのである。
Photo2/2拍子に転じ、Trp.+Trb.がファンファーレ風の旋律を伸びやかに奏してブリッジ.に入る。
Trp徐々にダイナミクスを上げ、シンコペーションのリズムを効かせてアッチェレランドした緊張感の頂点はG.P.!本楽曲ではたびたびこうした”間”を効果的に使用し、日本的な美意識を発揮しているのも見逃せない。

続くAllegro con brioでは、まずブリッジで提示された旋律が快活に奏され、次に変拍子的な第2の旋律が現れるが、ここではクラリネットの音色が魅力を放っている。
Allegroいずれも民謡風のこの2つの旋律が掛け合いながら進行するのだが、まさに”祭り”の活気が充満していることが感じられよう。旋律のバックで中低音が打込むビート(決して画一的でなく、微妙な変化を内包する)とコードも絶妙である。
Allegro_trbこの特徴的な打込みのリズムと、保続音的に刻まれる4分音符の緊迫感とをバックで入れ替えながら、スピード感のある音楽を展開していき、遂には舞うようにダイナミックなシンコペーションで高揚し鳴動するのだ。その息をつかせぬ見事さに感じ入ってしまう。

熱狂を一旦醒まして3/2拍子のブリッジとなり、金管中低音の柔らかな響きに導かれたAndante Cantabileの再現を経てAllegro con brioの快活な音楽に戻り、祭りの熱狂はいよいよクライマックスに向っていく。
再現されたAndanteでは玲瓏なFluteで歌い出される。これを初めとして、続くAllegroを含め単に同じことを繰返すのではなく、オーケストレーションを入れ替え楽曲全体の色彩を一層豊かなものとしているのがまた凄い!

最終盤ではクライマックスを予感させる中低音とTimp.の打込みを配する周到さだし、
Timp_hornそのクライマックスでは旋律をHornが奏し、その音色が効いて音楽のテンションを更に嵩ぶらせるのである。
そして豪快なバンドサウンドが鳴り響いて一瞬のG.P.を経るやAllegroのファンファーレ風旋律が拡大され堂々と奏されるコーダに突入、最後は全合奏による浮き上がるようなGsus4のモダンな響きに、和太鼓風のTimp.連打が轟いて鮮烈に締めくくられる。

♪♪♪

音源としては以下をお奨めしたい。
Photo_3汐澤安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

この演奏では、9/8拍子の“祭りのざわめき”の雰囲気が見事に表現されている。単にテンポが上がるということだけでない「ニュアンス」の表現は他の録音には見られないものである。一方でAllegroは速めのテンポによりダイナミックに演奏、楽曲の有する2つの要素の対比を明快に描いた好演。
(LP音源/残念ながらCD化はされていない)

Cd_corporonユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー

楽曲の内容を指揮者/奏者が理解・共感していることが感じられる好演。日本固有のものを使用せずに日本的情緒を表現しようとしたこの作品が、アメリカのバンドによってこれほどまでに現出されたことに感動した。明確・極端な対比より移ろう感じにウエイトがあるように感じられるのは、彼らなりの日本的情緒の解釈か。

     【その他の所有音源】
       山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
       原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団浜松
       木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
       Ludwig Masters社デモ音源(演奏者不詳)

♪♪♪

また別のエピソードがある。

この曲をコンクールの自由曲に選んだある大学、残念なことにこのバンドにはオーボエがなかった。しかしサックスの名手がいる!ソプラノ・サックスにソロを置き換えて演奏に臨んだ。僅かに及ばず全国大会出場はならなかったが見事支部大会金賞受賞、審査員の講評には
「この曲には、オーボエよりもソプラノ・サックスの音色が合いますね。」 (!)とあったそうだ。

作曲者は考え抜いて作品を生み出す。オーボエの音色に歌わせるのが相応しいとの意図だ。しかし恵まれない状況というのはある。代替で演奏せざるを得ない状況において一心に演奏し、かかる評価をしてもらえるなら、プレイヤー冥利に尽きるではないか!
演奏者たるもの、常にそうした気概で臨みたいものだ。

(Originally Issued on 2006.6.10./Overall Revised on 2015.5.14.)

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2015年5月12日 (火)

聖歌と祭り

PhotoChant and Jubilo
W.F.マクベス (William Francis McBeth 1933-2012)

私も大好きな人気音楽コミック「BLUE GIANT」(石塚 真一)を読むと、主人公のテナーサックス奏者・宮本 大にしろ、後にドラムを始め共に活動するようになる高校の同級生・玉田にしろ、”初めてのライヴ”というものが彼らにとって極めて重要なものとして設定されている。
Blue_giantその”初めてのライヴ”は、二人それぞれに痛恨の蹉跌を与える舞台として描かれているのだが、これを乗り越える姿-それ以前に乗り越える決意を固めるさまが丹念に描かれていて、読む者の心を震わせる。

希望や期待が”不安”に勝ったからこそ臨んだはずの”初めてのライヴ”は、自身も想像し得ないほど、予想し得ないほど彼らを傷つけてしまった。愉しいドライブが一瞬にして事故の大惨事に変わるように、その反動の大きさが一層深く心を傷つけるのだ。それぞれにまた新たな歩みを始めようとする二人は、それを成し遂げ得るのは自分自身だけであること、傷を癒すためには楽器に(音楽に)対峙していくしかないことを悟り、再び挑戦していくのである。-そこに人間の真実の姿があるから、このコミックは感動を与えるのだろう。つくづく”音楽で受けた傷は音楽でしか癒せない”のだ。

はて、私にとっての”初めてのライヴは何だっただろう?
と思い返してみると、それは昭和52年(1977年)8月6日、大分文化会館大ホールにて開催された大分県吹奏楽コンクールのステージだった。
それまでの人生では音楽というものにほぼ興味がなく、4ケ月前に初めてTromboneを手にした中学1年生の私。そんな私が迎えた”初めてのライヴ”はいきなりコンクールの本番だったわけだ。入部してから一度たりとも行事などで”演奏”したことはない。(当時の”田舎”はそんなものだった。)
というより、それまで私は聴衆を意識したシチュエーションで音楽を演奏したこと自体がなかった。

その”初めてのライヴ”で演奏した曲こそは-課題曲そして自由曲の「聖歌と祭り」だったのである。

♪♪♪

Wmfrancismcbeth200「聖歌と祭り」1962年1月初演、おそらく前年に完成していたと推定される。フランシス・マクベスの作品の中でも、ごく初期の作品かつ、最も広く演奏された楽曲である。題名通り明確に性格の異なる2つの部分-厳かで敬虔な「聖歌」=Chantと、華やかでダイナミックな「祭り」=Jubiloから成っている。Jubiloも”キリスト教に於ける歓喜・歓声”を示す意味あいの濃い言葉であり、楽曲自体が宗教的なものからインスピレーションを得たものだろう。

Greogorian_chant若い世代ならサッカーの応援歌を思い浮かべるかもしれないが、あれは本来の意味になぞらえた洒落であり、Chant(チャント)とは教会で歌唱される聖歌を指している。そして何といってもグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)がその代表的なものである。

グレゴリオ聖歌とは、カトリック教会の典礼聖歌として中世以来継承されているもので、ローマ教皇グレゴリウスI世に因んで7-8世紀頃からグレゴリオ聖歌と呼ばれるようになったという。
古風な単旋律音楽にして、その旋律は明るく開かれた全音階的旋法性の上に繰り広げられ、そのリズムは拍子や小節の枠から全く自由なしなやかさを持つとされる。気品に満ちたこの聖歌はローマカトリック教会の典礼の格調高さに資しており、単声の音楽形式が到達しえた人類最高の偉業と呼ばれるにふさわしいものとも讃えられている。

  雄大な建築は、典礼を荘厳に挙行するための重要な役割を持って
  いる。高貴な彫刻や絵画は、我々に働きかけて祈りの心を高める。
  しかしそれらがいかに偉大であっても、典礼に直接的に参加する
  ことはできない。ただ1つ、音楽芸術のみ、それに参与しうる可能性
  を有する。そのための公式の音楽、それがグレゴリオ聖歌である。
                     -「グレゴリオ聖歌」(水嶋 良雄)より                                                        


グレゴリオ聖歌は、後世=特に中世及びルネサンス期の音楽に大きな影響を与え、また幻想交響曲(ベルリオーズ)第5楽章”ワルプルギスの夜の夢” や交響詩「ローマの松」(レスピーギ)の”カタコンベの松”をはじめとして名曲にたびたび引用もされている。更にそれに止まることなく、まさに現在に至るまであらゆるジャンルの音楽に影響を与え続けているのである。

Photo_2【出典・参考】
 「新音楽辞典」 執筆者:水嶋 良雄 (音楽之友社)
 「グレゴリオ聖歌」 水嶋 良雄 (音楽之友社)


♪♪♪


「聖歌と祭り」の冒頭に現れる「聖歌」の旋律は、9世紀のギリシャ聖歌が元になっているとのことである。作曲者マクベスは「冒頭の聖歌には決してヴィブラートをかけてはならない。バリトン(ユーフォニアム)が真っ直ぐな音で奏することは殊のほか重要である。」との指示を残している。素朴な美しさのある旋律であり、それをごくシンプルに提示して曲は開始される。(冒頭画像)

この聖歌が変奏されてFluteに移るが、幻想的なClarinetの和音と打楽器(グロッケン・トライアングル・サスペンションシンバル)の伴奏が印象的。ここでの打楽器の使い方には”ただのバックグラウンドではない”とコメントしているように、マクベスのこだわりが現れている。
Flほどなく低音と打楽器が寄せては返す波のようなリズムを加え、楽器が増えて徐々に高揚し遂に全合奏で聖歌が奏でられる。
ここでは木管楽器が息の長いスラーで奏する一方、金管楽器はアクセントの付された音符で逞しく、朗々と奏する構造となっている。
Photoこの2つを混然とさせるのがマクベスの意図であり、カウンターのリズムを奏する打楽器とともに大変印象的で、前半部にスケールの大きなクライマックスを創りだしている。

穏やかに鎮まった”聖歌”はTrb.ソリで締めくくられる。そしてppから幅広くクレシェンドしてくるサスペンション・シンバルに導かれ、その頂点に続きTrumpetのファンファーレが現れて”祭り”の開幕だ。華麗なTrumpetの音色とフレーズに、打楽器群の毅然としたカウンターが絶妙に映えている。
Photo_2鮮烈なTrumpetのコードが鳴り響くや、中低音の重厚なカウンターと木管高音の祝祭感に満ちた付点のリズムがこれに呼応し、それら全てが一体となって濃密なサウンドの音楽となる。繰返す低音と打楽器のフレーズは徐々に遠くなって静まって緩やかな楽想に移り、Fluteの清冽な旋律へと繋がりゆく。
少しずつ律動感を高めつつも落着きのある楽想で進行し、高音に低音が谺するその響きを更に豊かにしていくが、やがて煽情的にテンポを上げて(♩=112 → ♩=120)高揚し鮮烈なTrumpetのフレーズで緊迫のG.P.へ!最終盤のエネルギッシュなAllegro(♩=144)へと突入する。

16ビートの如くスピードと緊迫を醸す伴奏の上で、雄大な旋律がハーモナイズを濃くしつつまたダイナミクスを拡大しながら全曲のクライマックスへと向かう。Trb.の旋律に対峙し咆哮するHornのカウンターも聴き逃せない。
そしてマクベス得意の高音対低音によるアンティフォナルなクライマックスへと到達するが、遂にはそれも一体に転じて全合奏が荒ぶり、情念を爆発させるのである。(マクベスはテンポを緩めることなくG.P.へ突入せよ、と指示している。)
Photo再び劇的なG.P.が現れ、これを経てMaestoso(♩=84)で厳かな低音のサウンドが響き渡る。続いて運命的な打楽器のリズムとふくよかな中低音のコードに乗り、Trp.をはじめとする高音楽器が高らかに凱歌を奏するコーダとなるが、これこそは全曲最大の聴きどころである。
Photo_2ハーモナイズされた旋律の壮麗さだけでなく、印象的なリズム・伴奏全てが渾然となった感動的な音楽はsfzpからの息長いクレシェンドに集約し、fffの圧倒的なサウンドで締めくくられる。

    ※譜例は”2nd edition”を使用。これは1997年、マクベスがサザン音楽出版から
      最初の作品(第2組曲)を世に送り出してから35年目の節目であることを記念
      して改訂出版されたものとのこと。現在私にはコンデンススコアの1ページ目
      しか初版との比較ができないが、サスペンションシンバルの撥指定が変更に
      なっているのが読み取れる。全般に練られた演奏上の指定が細かく反映され
      るなど明確になり、改善が施されているようである。ただ、スコアに使用されて
      いるフォントだけは、初版の方が曲想に合致した風情があるように思う。^^)
      尚、本稿中の楽曲に関する情報はマクベスのコメントを含め、”2nd edition”
      フルスコア所載の解説に基いている。

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テクニック的にほぼ無理のない楽曲ながら、随所にマクベスの美点が散りばめられ、どの楽器にも印象的なフレーズが用意された洵に”カッコイイ”名曲である。
音源は以下をお奨めしたい。
Cd汐澤 安彦(飯吉 靖彦)cond.
フィルハーモニア・ウインドアンサンブル

「聖歌と祭り」の録音と云えばこの演奏、という定番。改めて聴き比べてみると明確な演奏コンセプトがあり、しかもそれが終始徹底されている好演であることがよく判る。本作の劇的性を最も表現した演奏である。

Cd_2ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー

非常に現代的な演奏で、アーティキュレーションもくっきり。指揮者の求めた明晰さは「祭り」冒頭のTrp.によるファンファーレの好演に端的に表れている。

Cd_3スティーヴン・スカイアーズcond.
ノーザン・イリノイ大学ウインドアンサンブル

プレイヤーのレベルにバラつきが大きく〝巧い”という演奏ではないが、この曲に共感しおもしろく演奏しようとする意思が確り伝わってくる。Piccoloの太い音色と積極的な演奏が印象に残る。

     【その他の所有音源】
      フランシス・マクベスcond. テキサス工科大学シンフォニックバンド
      木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
      丸谷 明夫cond. なにわオーケストラル・ウインズ(Live)
      スティーヴン・グリモcond. アメリカ空軍西部バンド(Live)


♪♪♪

あの時、課題曲「ディスコ・キッド」も難曲だったが、今思えば初めて経験する”本番”として、よりシビれるのは「聖歌と祭り」の方だったはずだ。
Trb_soli当時、メンバーは3人だけで1パート1人のTrb.セクションにとって、”聖歌”を締めくくる弱奏のSoli(左画像)は相当ヤバい!でも私にはビビった記憶がない。ミスして大変なことになった記憶もない(結果も金賞・県代表だった)…始めて4ケ月のど初心者がよくぞ平気で吹いたものだ。
「無知」はオソロシイ。”上手く吹きたい””キメるところはキメたい”といった思いが存在しない状態では良い演奏ができる可能性も乏しいのだが、一方でビビることもないのである。そんな中学1年生だった私の”初めてのライヴ”は劇的なことなど一切なく、何の気なしに過ぎ去っていった。

もちろんあの頃より今の方が遥かに吹けるようにはなったけれども、ミスをする可能性は「思い」のある今の方がきっと高いとも云えるだろう。それを乗り越えるにはいつだって「練習」しかない。”練習は裏切らない”のだと信じて。

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2015年4月14日 (火)

ロベルト・シューマンの主題による変奏曲

PhotoVariations on a Theme of Robert Schumann
R.E.ジェイガー

Robert E. Jager 1939-)

Robert_jager1975年の来日時、インタビューにて「(作曲した)あなた自身一番好きな曲は?」と尋ねられたロバート・ジェイガー「それは、父親に『どの子供が一番好きか』ときくのと同じようなものですよ。」と苦笑しつつ、「多分ね…」と熟慮した上で3つの曲名を挙げている。それが「ダイアモンド・ヴァリエーション」「吹奏楽のための交響曲(第1番)」と、この「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」(1969年)であった。
数々の名曲を発表し人気作にも恵まれたジェイガーだが、その中でも「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」は演奏機会の少ない地味な存在に思える。しかし作曲者本人もお気に入りであるこの作品は、まさにジェイガーの魅力を満載した楽曲なのである。

     ※出典 : バンドジャーナル 1975年6月号
       尚、本楽曲については「ロバート・シューマンの主題による変奏曲」という
       邦題が一般化しているが、逆にRobert Shumann自体の邦訳は「ロベルト
       ・シューマン」が圧倒的に流布していることから、本稿では「ロベルト・シュ
       ーマンの主題による変奏曲」を採った         


先に書かれた「ダイアモンド・ヴァリエーション」は”テーマ”(=イリノイ大学の応援歌)が終始形を成して現れることがないという特徴的な変奏曲であったが、この曲はロベルト・シューマンのピアノ曲「楽しき農夫」をテーマとしたオーソドックスな変奏曲と云える。そしてアプローチの異なる二つの変奏曲が、ともに大変素敵な作品となっているのが興味深い。

♪♪♪

Robert_schumannジェイガーが変奏主題に選んだ「楽しき農夫」はドイツ・ロマン派を代表する作曲家ロベルト・シューマン(Robert Alexander Shumann 1810-1856)1849年に出版したピアノ曲集「こどものためのアルバム」(Jugendalbum op.68)の中の1曲である。この曲集は、もともとシューマンが彼の長女マリー7歳の誕生日に贈り物として用意した数曲を核に、徐々に作品を加えて「クリスマスアルバム」としたのが原型という。その後更に曲を追加・変更し改題もされ、”小さい子らに””もっと大きい子らに”の2部に分かれた全43曲から成る曲集として出版された。

Photo「こどものためのアルバム」は父親となったシューマンの温かいまなざしが感じられる傑作にして、後世に亘る世界的な音楽教育に測り知れない役割を果たしたと評される。
さまざまな小楽曲がそれぞれの魅力を放っており、題材そのものも「兵士の行進」「サンタクロースのおじいさん」「朝の散歩」などイメージしやすく、子供向けにアレンジされた判りやすい楽曲が並ぶ。聴いていても”シンプルな音楽”として魅力にあふれた、とても楽しいものである。

     ※左上画像 : リコ・グルダ(Rico Gulda / Piano
)による全曲収録CD

Jpeg「楽しき農夫」は「こどものためのアルバム」第1部”小さい子らに”に属する第10曲である。この曲集のみならずシューマンのピアノ曲を代表するものとされる1曲だ。

”さわやかに元気よく”との指示があるこの曲の原題は「仕事を終えて帰る楽しげな農夫」であった。のびのびとした旋律にリズミックな伴奏をあしらい、表題通り楽しげな”足取り”を想起させる。
一日の仕事をなし終えて向かうは家族の待つ自宅か、はたまた酒場か…いずれにしろ洋の東西を問わず、また現代でも全く不変のあの浮き浮きした気分が充満した、実に陽気で愉快な佳曲なのである。

    ※尚、「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」という楽曲としては、シュー
      マンに評価され後押しされたあの大作曲家ヨハネス・ブラームスと、シュー
      マンの妻にして才色兼備の名ピアニストであるクララ・シューマンとが、それ
      ぞれにピアノ曲を作曲している。
      双方ともシューマンの「色とりどりの小品 op.99」第4曲の主題による変奏曲
       である。クララは1853年のシューマンの誕生日にこの変奏曲を贈り、不眠や
      幻聴に悩む夫を励ました。一方、ブラームスは翌1854年に入水自殺を図り
      そのまま精神病院に入院したシューマンのために作曲し、シューマンに対
      する敬意とクララに対する慰めを込めて献呈している。
      どちらも落ち着いた美しさとともに、熱い情念の感じられる曲となっている
      ところに共通点を感じさせる。

     【出典・参考】
     「名曲解説全集」(音楽之友社) -執筆者:芹沢 尚子
           萩谷 由喜子によるクララ・シューマン楽曲解説(CD/Octavia B004V6XZCO)
     和田 真由子によるブラームス楽曲解説


♪♪♪

曲は主題と6つの変奏曲、コーダから成る。

主題 ”楽しき農夫” Moderato e semplice (♩=80)
Trb.のリズミックでハーモニアスな伴奏を従え、A.Saxが「楽しき農夫」の旋律を提示して始まる。(冒頭画像)本楽曲ではA.Saxに重要なSoloが何度も現れるので、どうしても優れた音色の歌心あふれる名手が欲しい。これにTubaのベースラインとPiccoloのオブリガートが加わって繰り返されるが、最低音楽器と最高音楽器が同時に入ることで、一層微笑ましい楽想を醸し出している。

第1変奏 L'istesso tempo
“ハイドン風のスタイルで各楽器のソロに配置された主題”

Var_i旋律がFagottoそしてOboeへと移り変わり、FluteとClarinetがこれを彩る。さながら室内楽の如き典雅さが素敵であり、木管楽器の味わいに惹きつけられる。特にFagottoは旋律でも伴奏でもこの楽器の魅力を存分に発揮している。
他の楽器も加わりやや厚みを増して高揚するが、ほどなくFagottoに旋律が戻り、再び室内楽的な響きとなって最初の変奏を結ぶ。

第2変奏 Allegro vivace (♩=152)
”Fluteの奏するスケルツォ的な主題の輪郭”
Var2アウフタクトから始まるFluteソリによる変奏、アウフタクトが頭拍であるかのようにも聴こえるユニークな楽句でスタートだ。これを受け継いだリズミックな音楽は一気に高揚し意気軒昂で活気に満ちたギャロップ風の曲想となる。途中に挿入されたTuba2本が掛け合うソリはとてもユーモラス!
Var2_tubasoli目まぐるしく切り替わるダイナミクスも印象的で、まさに”スケルツォ”な変奏曲だ。

第3変奏 Andante sost. (♩=80)
”メロディアスで音程の跳躍が特徴的な変奏”
Var3快活な前変奏から一転、律動感も感情も抑制された変奏。Fagottoのソロに始まり、嫋やかなOboeソロへと受け継がれていくが、これに応答し伴奏するClarinetの繊細さが心に響く。このシ-クエンスがダイナミクスや色を変えながら反復されていくのだが、ダイナミクスが大きくなっても終始沈着さを失わぬ不思議な音楽である。
Var3_oboesolo_tuba各楽器それぞれの音色が実に映えているのが印象的で、Vibraphoneやドラの醸すサウンドも、終始ミステリアスなこの変奏に極めて似つかわしい。

第4変奏 Presto (♩.=160)
”リズミックさに重点を置いた自由な変奏”
Var4また一転、遠くなるOboeソロの残響を断ち切って、突如Prestoで連続する3連符が上向し高揚するエネルギッシュな変奏が始まる。打楽器も加わって各楽器がモチーフを拮抗した応答を奏し緊迫感を漲らせると、再び最初の三連符の高揚が戻りこれを中低音が二拍三連で畳みかけて鮮烈に吹き切って終わる。まるで嵐のような変奏の中で、ダイナミックに活躍するTimp.が聴きもの。

第5変奏 Andante sost. (♩=64)
”メロディーラインを変形したラプソディックな変奏”
全合奏の激しい高揚の余韻が収まり、A.Saxの甘美なSoloが歌いだす。Var5_saxsolo_2

Fagottoを初めとする木管楽器の伴奏は各楽器の音色を巧みに生かしており、とても味わい深い。全曲の中でも最も魅力的なこの変奏は、幻想的な美しさと蕩けるようなロマンティックさの極致である。
旋律がハーモナイズされFluteを中心とした清らかな響きで奏されると、Hornの抒情を尽くした対旋律がこれを彩る。
Var5_horn_2これほどに感動的なのはHornの醸す音色ならではだろう。
やがて繊細な硝子細工の如き美しいクラリネット・ソロ-
Var5_soloそして伴奏するSax+Vibraphoneはグラスハーモニカのような天上の響きだ。感情の昂ぶりを表し木管の低音が朗々と歌った後はまたクラリネット・ソロが戻り、更に最初のA.Saxソロを呼び戻していく。Fluteの上向楽句に各木管がこだましながら、静かで幻想的な余韻を湛える。

第6変奏 Allegro con brio (♩=152)
”主題のリズミックな変奏”
突如幕が落ち、ライトが一斉に灯ったかのような眩いサウンドに圧倒されるオープニング!ダイナミックで熱烈な音楽は生命感に満ち溢れている。
序奏部が鎮まって主題がClarinetに現れ
Var6変拍子で軽快自在に奏されていくのに続き、今度は主題が音価を拡大して低音楽器で奏され徐々にせり上がり、シンコペーションの応答する鮮やかな頂点を迎える。
これがブレイクとなって少し緩めた優雅なワルツ風の変奏へと遷る。その変拍子を効かせた洒落た楽想が何とも素敵なのだ。
Var6_alla_valseアッチェレランドとともに高揚すると響きわたるドラから短いブリッジを挟み、再び快速な変拍子の変奏に戻って、徐々にバッキングとサウンドを厚くしながらクライマックスに向かう。そこではHorn+Trb.の絢爛華麗なベルトーンが、さながら夜空を彩る祝典の花火を描き、いよいよ目まぐるしい変奏は終結へ進んでいくのである。
Var6_2興奮冷めやらぬG.P.の後にAdagio (♩=48)となり冒頭のA.Sax.Soloによる主題を再現、これを受継ぐOboeが名残惜しげに遠くなるや、一気呵成のコーダ(Presto ♩=160)に突入する。エキサイティングなTimp.ソロ
Var6timpsoloに続いて重厚なバンドサウンドが鳴動、Timp.の16ビートを伴ったfpクレシェンドから華々しく最後の一音を放ち、全曲を締めくくる。

♪♪♪

音源は非常に少ない。作曲者による自作自演
Cdロバート・ジェイガーcond.
東京佼成ウインドオーケストラ

が断トツの推奨盤。さすがに要求されるテンポやニュアンスが的確に示され、楽曲の魅力を発揮した好演である。実にのびのびとしてダイナミックレンジも広く、スケールの大きさを感じさせる。

    【その他の所有音源】
      エドワード・ピーターソンcond. ワシントン・ウインズ
      スティーヴン・グリモcond. アメリカ空軍西部教育訓練部隊吹奏楽団


…しかし、である。
この珠玉の作品には、他にも素晴らしい演奏が残されていいのでは?推奨盤としたジェイガー自作自演でも、テンポの速い変奏についてはよりシャープな切れ味が期待される。もっともっと素敵な、感動的な演奏が生まれて然るべきという気がするのだ。

各楽器の特色や機能を活かしたSolo、Soliを随所に織り込んだ多彩さには魅了されてしまうし、変奏曲ごとのコントラストや場面転換の鮮烈さも出色である。また抒情性やエキサイティングさ、輝きといったものが生み出す魅力がとても深い上に、そのいずれもが終盤のクライマックスに向け更に濃くなっていくようセッティングされていることも感じられるはずだ。

洵によくできた作品である。部分部分に煌めきのある曲はそこそこあるが、こうした構成の整った”よく考えられた曲”というのは近年では非常に少ない。この傑作が再評価され、演奏機会の増えることを心から望みたい。-作曲者ジェイガーと同じく、私もこの作品がこの上なく好きなのである。

♪♪♪

私は社会人になって最初に籍を置いたバンドで、この曲を演奏している。

その半年前の演奏会直前に団員同士の揉め事が発生する-その影響は収まらず本番自体は何とか終えたものの、打楽器パートは全員退団、そしてそのトラブルを憂い創立以来指導されていた常任指揮者も離脱した。歴史のあるバンドであったが、まさに沈没寸前となって更にメンバーが離脱していく。

副指揮者を務めていた私は、団長さんをはじめとする皆と力を合わせて再建に取り組んだ。何とか新たな常任指揮者の招聘にも成功し、打楽器も我が学生時代の後輩たちをはじめとしたエキストラで何とか揃えた。さまざまな制約に悩まされながらも、この「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」をメインプログラムに据え練習を重ねていく。もちろん非常事態ゆえに演奏会を取止めるという選択もあり得たわけだが、我々は沈みゆくこの船(楽団)を救うには、何が何でも演奏会をやり続けることだと頑なに信じたのである。

そして迎えた演奏会本番-我々は逆風を跳ね返し、演奏面でもまた一つ進歩できたと思う。危機感が残ったメンバーを強く束ねたのか…「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」の最後の一音ではこれまでに奏したことのない充実したサウンドも示すことができた。
打ち上げの席では、団長さんと抱き合って泣いた。愛するこのバンドをこれからも続けることができる。人生の中で、これほど嬉しい瞬間はなかったかもしれない。
私はこのバンドを全力で愛し情熱を注いだ-。

▼▼▼

そんな私もまた、その後僅か2年ほどで愛して已まぬはずのこのバンドを飛び出す結果となってしまった。きっかけは私のとある失敗だったのだが、それ自体よりもその際に自分がすっかり疎まれている現実を認識させられたことが要因だ。それまでにも疎まれているのが徐々に色濃くなっているのを感じてはいたが、それがハッキリしてしまった。例えば同じ問題に苦悩する、同じ団員であっても、●さんは可哀相だが私は全然可哀相じゃない-周囲はそう思っているということを突きつけられてしまったのだ。

全ては自業自得、そもそも疎まれた原因は一重に私の「甘え」の積重ねにあったと今は自覚している。若造ではあったが、既に充分大人でなくてはならない年齢だった。
「全力で誰よりも懸命にやっている」「この人のことを心からリスペクトしている」「大事に想い、心を尽くしている」といった主観は何をも免罪しない。こうした主観に寄りかかって然るべき配慮を欠いたり、自分の欲に任せて行動したりということは許されない-それがあるべき大人の世界なんだ、と本当の意味で気付いたのはずっと後になってからだった。

当時は単純に、届かぬ愛の悲しみに耐えられず私は心から愛していた楽団を辞めた。その烈しい痛みは過去に経験した痛恨の失恋と酷く似ていたが、原因も同じだった。振り返ってみれば、私はまたもや自らの”甘え”に起因する失敗を繰り返してしまっていたのである。

▼▼▼

それももう20年ほども前の話だ。
しかし「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」の最後の一音…それを聴くと人生最高の喜びそして最悪の絶望とが同時に、今でもふっと甦ってしまう。
この曲は素敵な音楽の感動とともに、時として複雑な想いを私の中に交錯させるのである。

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2015年3月20日 (金)

プレリュードとダンス

PreludedancePrelude and Dance
op.76
P.クレストン
(Paul Creston
1906-1985)


ポール・クレストン1959年作曲した、吹奏楽オリジナルの傑作である.。エキゾティックな旋律に幽玄な響きが大変印象的な”プレリュード”と個性的でエキサイティングなリズムと息の長い旋律が同時進行し立体的な音楽を成す”ダンス”とのコントラストが素晴らしい。またアルトサックスをはじめヴィルトゥーゾの求められる魅力的なソロも随所に登場し、楽曲の魅力を一層深いものとしている。

♪♪♪


イタリア系移民の貧しい家庭に育ったクレストン(本名はジュゼッペ・グットヴェッジョ Giuseppe Guttoveggio といい、
”ポール・クレストン”というのは作曲者としてのペンネーム)はピアノとオルガンこそ正規の音楽教育を受け教会のオルガン奏者も務めたが、作曲は全くの独学。ヘンリー・カウエルそしてアーロン・コープランドに評価されて奨学金を受け、作曲家への道を本格的に踏み出したのは、既に32歳になってからだったという。

Photoサウンドや使用するリズムパターンに独特の個性があり、作風はジャンルを越えて共通している感がある。管弦楽曲では管楽器を多用、吹奏楽のような響きを持った曲も少なくない。また2つの部分から成る楽曲(「呪文と踊り」「牧歌とタランテラ」など)を好んで作曲したが、本作品もまさに”2つの部分から成って”いる。
中でもクレストンは「プレリュードとダンス」という名の楽曲を、吹奏楽曲であるこのop.76のほかに4つも遺している。それらはそれぞれ管弦楽
(op.25)、ピアノ独奏(op.29)、アコーディオン独奏(op.69)、2台のピアノ(op.120)のために作曲されたもので、広いジャンルに亘っている。

♪♪♪

「この作品番号76の”プレリュードとダンス
”において、プレリュードの部分は42小節と短い。この”前奏曲”はゆったりと、そして荘厳かつ雄弁に開始されるが、これにOboeの優美で抒情的な楽句が割って入り、A.Sax.のソロへと受け継がれる。そしてそこから徐々に朗々と高揚して冒頭の荘厳さや雄弁さを築き直し、ダンスへと導いていく。
”ダンス“ではまさにそのタイトル通り、リズムの要素が強調される。しかしながら初めから終わりまで、旋律や和声における多様さも犠牲にすることはない。陽気だったり、朗らかだったり、柔らかだったり、劇的であったりと雰囲気は多彩であるが、それでいて勝利に満ちた終局へと絶え間なく進み、決して妨げられることはないのである。」
                     (クレストン監修による作品集(LP)所載の解説より)

木管楽器の荘厳で迫力に満ちたユニゾンで開始され、これに金管・打楽器が応答するインパクトの鮮烈なオープニングである。(冒頭画像)劇的に流れ出した音楽は一旦静まって繊細なOboeソロへと移り、優美なアルトサックス・ソロへと連なる。このソロの”色艶”は洵に絶品である。
Asax_soloこれに続き金管・打楽器の激しい打ち込みとともに木管の全合奏で旋律が繰り返され、緊迫を強めて最高潮に達するのだが、その瞬間には一転して暖かく密度の濃い響きに包まれる。-クレストンならではのサウンドだ。
Trp.+Hornに始まり徐々に厚くそして音域を上げていく際どいブリッジが全合奏のfpクレシェンドに収斂し、Allegroの烈しく弾む”舞曲”へと突入する。サックス群の紡ぐリズム・パターンとサウンドは個性に満ちており、それに乗ってクラリネットに現れる旋律がまた実に印象的。
そしてこれを受け継ぐアルトサックス・ソロこそは全曲の白眉!
Preludedance2縦横無尽にめまぐるしく、また奔放に”踊りまくる”さまがまさに聴きものである。
Asax_allegro_solo旋律の合間に挿入されたシンコペーションを効かせた諧謔的な応答もセンスよく、やがて金管中低音によって雄々しい旋律が高らかに奏でられ高揚していく。
Photo一旦鎮まってTrp.+サスペンションシンバルによる特徴的なリズムを従え、Euph.Soloが息の長い旋律を歌いだす。この旋律は木管群 - Oboe Solo - Sax. Soli - Trp. Soliに朗々と、そして徐々に華やかを増して受け継がれていく。ポリリズム的な面白さに加えてオブリガートも鮮やかであり、多彩な音色の展開に魅了されてしまう。
Preludedance4打楽器も加わりダイナミクスとスケールを拡大し一層エキサイティングにダンスが展開された後、いよいよテンポを落として重厚なエンディングを迎える。鮮烈なドラの響きとともに、壮麗さを極めたサウンドが轟いて全曲を締めくくるのである。

♪♪♪

作曲から半世紀以上が経過しているのにもかかわらず、非常に斬新に聴こえる作品である。形式・手法は寧ろ保守的だが、どの作曲家とも異なる個性が眩しい。
-そこには吹奏楽の機能を存分に発揮した、強靭な”クレストン・ワールド”が存在しているのだ。

この曲は1970年に関西学院大学が、そして1980年には近畿大学が全日本吹奏楽コンクールで採上げいずれも金賞を獲得しているが、永らく本邦ではこれらの実況録音以外に音源の存在しない楽曲であった。残念ながらいずれも大きなカットもあり、楽曲の全容とその魅力を伝えきるものとは云えなかっただろう。近年、録音が増えてきて再評価の動きがあることは大変喜ばしい。

入手し易い好演として
Cd_kanade福本 信太郎cond.
ウインドアンサンブル奏

サウンド面の充実は特筆もの、クレストン独特のエキゾティックな響きが楽しめる。




Cd_accローウェル・グレイアムcond.

アメリカ空軍コンバット・コマンド
”ヘリテージ・オブ・アメリカ”バンド

iTunesなどの音楽配信サイトで購入可能。シュアーな演奏で対比にも富む。


を挙げるが、私としては
Revelli_years_vol4ウイリアム・レヴェリcond.
ミシガン大学シンフォニーバンド

(LP集”The Revelli Years”Vol.4収録)
の演奏を決定盤としたい。

緊迫のプレリュード冒頭から躊躇のない音楽の足取りが見事であり、アルトサックスのソロも実に艶やかで、積極的な表現が堪らない!そして何といってもダンスに入ってからの生命感あふれるエキサイティングさは、他の追随を許さず文字通り抜群である。極めて快速なテンポ設定だが、決して荒れることなく楽曲に秘められたエネルギーをうまく引き出している。この曲の真価を発揮した演奏と云えるだろう。BRAVO!

    【その他の所有音源】

      渡邊 一正cond. 東京フィルハーモニー管弦楽団員による吹奏楽団
      モーリス・スティスcond. コーネル大学ウインドアンサンブル
      川瀬 賢太郎cond. 九州管楽合奏団(Live)
      ロバート・レヴィーcond. ローレンス大学ウインドアンサンブル

      ルイス・バックリーcond. アメリカ沿岸警備隊バンド

(Originally Issued on 2006.6.13./Overall Revised on 2015.3.20.)

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2015年2月25日 (水)

ザノーニ (ザノニ)

PhotoZanoni  op.40
P.クレストン
(Paul Creston
1906-1985)


エキゾチックなサウンドと、巧みで個性的なリズムの使用- そうした作風で根強いファンを持つアメリカの作曲家ポール・クレストンが吹奏楽界に遺した傑作。1947年に作曲されたこの「ザノーニ」は「プレリュードとダンス」「セレブレーション序曲(式典序曲)」「アルトサクソフォン協奏曲」と併せ、クレストン吹奏楽四大名作と呼んで差支えないであろう。
作中の随所に現れる独特の楽句とその”音響”は思わず息を飲むような驚きを与えずにはいない。また印象的な個性をもつリズムパターンが執拗に繰返されるその凄味もまた固有のものであり、そうしたクレストンの音楽に私も強く惹きつけられるのだ。

    ※この曲の表記は永らく「ザノニ」とされていた。しかしながら本稿では後述す
            る私の推定に基き、本標題の元と見ている小説の一般的邦題に合わせ、
      敢えて「ザノーニ」と表記することとしている。


♪♪♪

「『ザノーニ』という標題を掲げてはいるものの、この作品は標題が示唆するものが一切ない抽象的な音詩である。標題がブルワー=リットン卿の著した物語或いはその主人公と同じなのは、純粋に偶然の一致である。」

Crestonクレストンのコメントは斯様ににべもない。確かにクレストンの作品に標題音楽はほとんど見当たらない。
しかし、ならば「ザノーニ」という標題は何に由来するのか?クレストンはわざわざ「関係ない」と言及した一方で、では何に?について一切コメントしていない。この言葉の持つ語感が何となく気に入ったとでも云うのだろうか?手を尽くして調べ得た限り(少なくとも1947年の作曲当時に於いて)「ザノーニ」という言葉はクレストンも触れているブルワー=リットン作の小説の題名以外にほぼ使用されることのないものである。
これに鑑みれば次の三つが推定し得るところではあるまいか。

 1.クレストンの念頭にはやはり小説「ザノーニ」があって、そこから
  
この曲は生まれた。クレストンのコメントは「標題に囚われること
     なく、純粋に音楽として作品を捉えてほしい」という趣旨が色濃く
     表れたもの、ということではないか?
    楽曲の各部分について-例えば「トランペットのソロはザノーニと
     ヴィオーラの愛を表現しているのですか?」といった類の、この楽
   曲をあたかも同小説の情景描写的な作品であるかのように解釈
     をしようとする向きに接し、それをすっかり嫌気したのかもしれな
     い。

 2.「ザノーニ」は後述の通り”小説として”大変興味深いものである
     が、錬金術・魔術をはじめとするオカルティズムや、秘密結社=
     薔薇十字団との関係が深い。小説「ザノーニ」にインスパイアされ
     て曲を書いたのは事実としても、クレストンとしてはそうしたものと
     は一定の距離を置いている旨、表明したかったということか?
 
 3.本作はミシガン大学の吹奏楽曲委嘱シリーズの1曲なのだが、
     例えば委嘱者側が完成したこの曲の印象から小説「ザノーニ」を
     想起して、標題を付した。或いは小説「ザノーニ」を題材にした楽
     曲を委嘱されたが、実際には必ずしも内容が委嘱趣旨とリンクし
     ない楽曲が完成してしまった。


情景描写的音楽では全くないとしても、上記推定に基きこの楽曲と”無関係”とはどうしても思えない小説「ザノーニ」について、やはり触れておくことにしたい。

♪♪♪

Zanoniillustration「『ザノーニ』(1843年)は、ひとことで言うならば、壮大なメロドラマ的小説ということになるだろうか。それは「カルディアに始まり、のちの薔薇十字会へと流れてゆくすべての輝かしい友愛団の奥義」をふまえた神秘的な作品であるとともに、フランス革命の時代の史実をふまえた歴史小説でもある。それは神秘主義の教説と歴史とを二つの極として、その間でくりひろげられてゆく愛と死の物語である。あるいは比喩を変えて、ナポリ、ヴェネチア、イタリアの山奥の城、ギリシャの島、恐怖政治下のパリ、そしてロンドンをつなぐ空間を横糸とし、西洋の長い歴史を縦糸として、そこに神秘の糸をまじえて織りあげられた愛と知と陰謀の絢爛たる絵巻きと言ってもよいだろう。」
                                            -富山 太佳夫による解説より

 【ザノーニ : あらすじ】

 美しく信心深いナポリの歌姫ヴィオーラには、その芸術家として
 の成功と女性としての安寧を庇護する不思議な存在があった。
 それが超人ザノーニである。秀麗の美男にして富裕なザノーニは
 神出鬼没、舞台にあるヴィオーラには客席から魔法のように力を
 与え、また彼女に危機が迫れば察知してこれを救う。ザノーニこ
 そは、耐えうる者の稀な修行を経て永遠の若さと超能力を手にし
 た幻視者であった。未来を見透し、遠く離れた場所の情景や会話
 を幻視し、いかなる病魔からも救い出す秘薬を操る彼はまさに驚
 
異の存在である

 ヴィオーラのザノーニに対する尊敬はやがて思慕へ、そして愛情
 へと変わる。ザノーニのヴィオーラに対する庇護者の想いもまた、
 愛情へと変化していった。
  しかし時空を超えて存在する超人ザノーニと、永遠たり得ないヴ
 ィオーラとは本来交わり得ない運命にある。ましてやヴィオーラ
 との愛に身を投じた瞬間から、彼女を庇護する超能力はザノーニ
 から喪失されていくのだ。激しい葛藤の末、ザノーニは師メイナ
 ーの忠告も振り切り、ヴィオーラとの愛を選択する。

 二人は愛らしい子供にも恵まれ、ひととき幸せな時間を過ごす中
 で、ザノーニは自身の超能力が完全に消失する前にヴィオーラと
 子供とを自分と同じ境地に引き上げようと試みた。しかし、信心
 深さゆえ迷信に惑うヴィオーラにそれはできず、ザノーニへの深
 い愛情とはうらはらに、彼の不思議さに対する畏れと疑いとをど
 うしても拭いきれない。

 そして幻視者への修行に挫折したグリンドンの言葉を信じて迷信
 に塗れたヴィオーラはザノーニを恐怖し、子供を守りたい一心か
 ら愛情を押殺しパリへと出奔してしまう。折しもフランス革命に
 おけるロベスピエールの恐怖政治下である。その嵐に巻き込まれ
 たヴィオーラは、幼子とともに死刑囚として投獄されてしまった。
 ほぼ超能力を失ってしまっているザノーニは、生身の人間として
 妻子の救出に向かうが、もはやそれを実現するにはヴィオーラの
 身代わりに自らの命を賭するほかなかった。
 それでも、断頭台に向かうザノーニは愛に生きた確信に満ち、最
 期の瞬間まで笑顔を失わない。

 ザノーニが
”永遠”を棄ててまでも守りたかったヴィオーラ。

 -ザノーニの最期を眼にし、これに耐えることのできなかった彼

 女もまた、この上なく美しい姿をとどめたまま天に召されて行っ

 たのだった。

   ※ザノーニの詳密なあらすじ:「zanoni_synopsis.docx」をダウンロード


Siredwardbulwerlytton_2「ザノーニ」の作者エドワード・ブルワー=リットン(Edward Bulwer-Lytton 1803-1873)はイギリスの小説家・政治家で「ペンは剣よりも強し」の名言で有名。またあのリットン調査団の団長は孫にあたる。「ザノーニ」の各章冒頭にはさまざまな小説や戯曲からの引用がアフォリズムの如く掲げられており、作者の幅広い教養が強く感じられる。
作品としては「屋敷と呪いの脳髄(幽霊屋敷)」もあるが、何といっても「ポンペイ最後の日」が汎く知られているだろう。

Photo※ポンペイ最後の日(1834年)
紀元79年にベスヴィオ火山の噴火により壊滅した南イタリアの古代都市ポンペイを舞台とし、これもまた愛と陰謀の物語に魔術の要素を絡めた物語である。原著は長編小説とのことだが邦訳は専ら少年少女向け文学となっている。登場人物は善と悪とで明確に分かれ、劇的で判りやすいストーリーの傑作であるが、圧巻は盲目の美少女ニディアのキャラクターとその生き様の描写であろう。
ニディアは三角関係の妬けつくような愛憎にかられ葛藤に苦しみながらも、決してダークサイドに転落することなく、自らの純愛は密やかな自決によって貫く。その”善”が、あまりにも潔くもの哀しいのである。 (画像 : 岡田 好恵 訳/講談社青い鳥文庫)

一説によれば自身が薔薇十字会の会員であったともいわれるブルワー=リットンは「ザノーニ」において神秘的なもの、オカルト的なものをふんだんに織り込んだ。このような”ゴシック小説”は恐怖の仕掛けと幻想性が売りものの大衆文学と受け取られがちとされるが、もちろんそうした側面に「ザノーニ」の真の魅力があるわけではない。
「超越した知性を持ったザノーニが人間の不安定な心情に共感し、それに同体化してゆくこと、更にはヴィオーラに対するまさに”人間的な”愛のためにその超能力を棄ててしまうこと、そして遂には愛のために自らの命をも犠牲にするということを超人たるザノーニに実践させることで、現代の人間をも貫く強烈な愛のイデオロギーを提示している」(富山 多佳夫 評)さまが、読者に劇的な共感を与えているのに相違ないのだ。

しかも、それが激動の史実とオカルティズムの交錯する、刺激的な舞台で演じられているわけで、ブルワー=リットンの構想力と表現力には脱帽するほかない。そして、悲劇極まる中に不思議な穏やかさを湛えているラストシーンは、まさに本小説のテーマを総括し象徴するものであろう。

Photo_2【参考・出典】
「ザノーニ」I・II
富山 多佳夫・村田 靖子 訳
(図書刊行会)

「薔薇十字団」
クリストファー・マッキントッシュ 著 吉村 正和 訳
(平凡社)


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私見に拠り長々と小説「ザノーニ」について述べさせていただいたが、前掲の通り、作曲者クレストン自身はあくまで本作品とは”無関係”としている。
従って楽曲の詳細についてはあくまで標題音楽としての要素を排し、クレストンのコメント(「 」)を引きながら紹介することとしたい。

「この作品は大きな三部形式(A-B-A)に成っており、荘厳な序奏の後に”A”セクションが始まる。」
Slow and majestic (4/4拍子、♩=48) と記された通り雄大で荘厳な序奏に始まる。堰き止められた水が溢れだすかの如くTrp.(+A.Sax., Horn)によって力強く奏される骨太な旋律と、これに呼応する中低音のカウンターのエキゾチックな響きが初手から痛烈なインパクトを与えている。(冒頭画像)
ミステリアスなFluteソロで静まった後、序奏部は再び繰り返され今度はClarinetの即興的なソロに続きOboeの敬虔な響きで締めくくられる。

「そしてテューバによって繰返し演奏される低音の旋律=グラウンド・ベース※1の上に流麗なコルネット・ソロが現れるのである。このグラウンド・ベースはほどなく音域を上げ、ハーモナイズされて奏されていくが、後に楽曲のテクスチュアに於ける中心的な位置を占めることとなっていく。」
ややテンポを上げ(♩=60)抒情的なTrp. ソロへ。
Cornet_solo美しくも哀切な旋律が、反復される低音部の伴奏の上で流麗に奏され、幻想的な曲想となる。
Ground_bassこれが清冽なFlute+Oboeに移ると、あたかも澄み切った清流が淵で緩むような安寧が訪れる。グラウンド・ベースを優美に奏するClarinetに導かれ、今度はEuph.の暖かで大らかなソロが現れるのだが、ここではまさに優しく抱擁されている感覚に包まれるだろう。
Euph_solo







「短調のクライマックスを経て、短いブリッジが”B”セクション(Moderately fast)へと導く。ここでは3/8拍子のフィギュレーション※2による伴奏とともに2/4拍子の旋律が歌われる。3/8拍子×4と4/8(または2/4)×3がオーバーラップする”定期的な細分化の重複”※3が用いられている。」

穏やかな旋律が継承される一方で、グラウンド・ベースはTrp.のスタッカートの楽句に移り、アジテートな雰囲気を徐々に濃くして高揚、強力な低音群と高音楽器の附点のある3連符のリズムのコントラストとが緊迫のクライマックスを形成する。
全合奏のffの残響から突然静まるブリッジを経て、ポリリズムのModerately fast (♩=104)へ入るが、この部分こそクレストンの真骨頂である。息の長いフレーズで伸びやかに奏される2/4拍子の旋律と対照的に、小節を跨いで刻まれていくリズムが密やかだが実にヴィヴィッドであり、静かにしかし確実な興奮を誘う。
Moderately_fast拡大と縮小を繰返したこの展開部は、金管中低音に始まる拡大した旋律がほどなく鮮やかな金管の全合奏となって頂点を迎え、木管セクションの下降楽句によるブリッジを挟んで怒濤の終結部へとなだれ込んでいく。

「”A”セクションへと戻ると、あのグラウンド・ベースがハーモナイズされ且つ拡大され、強大にまた威厳をもって現れるのである。」
slightly slower の終結部は、重厚で弛みない歩みを示すTimp.と、Trb.+Euph.+Tubaの奏するハーモナイズされたグラウンド・ベースとが推進していく。
Gb執拗に反復され続けるこのグラウンド・ベースに、あのTrp.ソロで奏された抒情的な旋律がクロスオーバーしてきて、終幕に向かって放射状に高揚しながらひたすらに突き進むのだ。
Photo音量とともに音楽はスケールと決然とした強靭さとをじわじわと拡大し、遂には打楽器群が激しく畳み掛けてこの上なくドラマティックな、感動のエンディングに到達するのである。

     ※1 グラウンド・ベース : ground bass
       =バッソ・オスティナート(執拗なバス)。同一音型を同一音高で連続反
         復する最低音部を指す。その際、上声部は独自の運動を展開すること
        によって、下部構造の固定化というこのバスの静止状態と対照をなす
        のが普通である。13世紀から既にみられる手法で、古典派ロマン派か
       
ら現代の作品に至るまで用いられている。
                判りやすい例としてよく「コジラのテーマ」が挙げられる。

 

         ※2 フィギュレーション : figuration
               音階や分散和音などの音型を用いて旋律や和声を修飾すること

         ※3 ”定期的な細分化の重複”: regular-subdivision-overlapping
       
クレストンは作曲技法におけるリズムの権威書「リズムの原理」を著し、
       
さまざまな楽曲に使用されたリズム手法を分析・整理しているが、ここで
        使用された手法はこのように名付けている。そしてこれをはじめとして、
       さまざまな手法を自作に使用しているのである。       


Photo【出典・参考】

 ・LP”The Authenticated Composers Series : Paul Creston”
    (後掲)所載のクレストンによる解説

 ・「新音楽辞典」 (音楽之友社)
 ・「リズムの原理」 ポール・クレストン 著 / 中川 弘一郎 訳
   (音楽之友社)


♪♪♪

全編を通じ深みのある”黒”の色合いが感じられ、また濃厚でパワフルなサウンドと随所に現れる各楽器のソロを配したソリステッィクな楽想とが対比しつつ一体となって迫るさまは、まさに見るものを圧倒する美しい織物のよう。独特の個性が魅力を放つ傑作である。

1972年の全日本吹奏楽コンクールでは関西学院大学が本作を演奏し見事金賞を受賞した。
1972楽曲の勘所を押さえダイナミックかつドラマティックに演出したなかなかの好演である。「ザノーニ」という曲は一般にこの演奏のLive録音でしか知られていない。ところが残念なことに、このコンクールでの演奏は極めて重要な前半のトランペット(コルネット)・ソロがカットされているのだ!

全曲を収録した商業録音はたった一つしか存在しない。
Creston_lpロバート・レヴィーcond.
ローレンス大学ウインドアンサンブル

作曲者クレストンの監修のもと録音されたもので、楽曲の素顔の魅力を端的に伝えている。トランペットやユーフォニアムのソロも好演。掲載されたプログラム・ノートも貴重であり、クレストンの吹奏楽曲に関する資料として価値の高いアルバムである。
しかしCD化はされていない…!

近時クレストンの作品では「プレリュードとダンス」の録音が増えてきており大変喜ばしいが、この「ザノーニ」においてはノーカットのCD音源が存在しないという極めて残念な状況である。
ぜひクレストン作品の再評価がなされ、活発に演奏されるよう願うとともに、優れた演奏の録音が待望される。

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